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人事システム殺人事件 〜複雑な連鎖〜


第四章  秘密の仙台旅行

         1  11月15日、金曜日、午後7時39分

 電子手帳の扉が開き、わずかながら光明が見えてきた。「電話」の女に関しては土田の家族にでもきいてみなければ分からない。「メモ」に関しても誰かにきいてみなければやはり分からない。
「スケジュール」の三件に関して、「磐梯山 山田 渡辺」はたぶんトリオの山田悦子・渡辺史子と磐梯山へ行ったのだろう。竹内でも福島にある会津の磐梯山ぐらいは知っている。これはその二人にきいてみれば分かることだ。次の「東京 東 銀の鈴 PM5:00」は大いに興味を引いた。「銀の鈴」とは東京駅にある待ち合わせ場所である。確か東口だった竹内は記憶していた。時間が記録されているのに誰と会うとは記されていない。そこがどうも気になった。東京の女が絡んでいるのだろうか?次の「仙台 松島」も気になる。二週間前の十一月二日、三日の土日に登録されているが、翌日の月曜は三日の振替で休日だ。土田は出張のついでに仙台と松島へ行ったのだろうか?だが、磐梯山のように一緒に行った人の名がない。一人で行ったのだろうか?それとも?
 竹内はこのへんのことを確認するため、明日の土曜日土田の実家を訪ねることにした。どのみち、彼の荷物を届けなければならないのだから。

 翌日の土曜日早い昼食を食べてから竹内は出かけた。土田の家にはスキーに行くとき来たことがあるので道順は問題なかった。ただ、住んでいるところが団地なのでどれがどれだかよく分からない。家を出る前に一応土田の家に電話をかけておいたので、棟と号数をきいておいてよかったと胸をなで下ろしているところだ。土田の棟を見つけ車を止めようとしたが、どこも青空駐車で埋まっていて、やっとのこと空いている場所を見つけた。
 土田の家には母親だけがいた。母親は六十近い高齢だった。土田を遅いときに生んでいたのだが、とく子供のころは孫と間違われたそうだ。母親は年だけでなく、息子の失踪ということでかなり憔悴しきっていて、顔のしわが不安を表現している。竹内のことは土田からよく聞いているらしく「いつも、お世話になります」と丁寧に挨拶された。
 部屋に案内されたが、お世辞にもきれいとは言えなかった。別に掃除をしていないという意味ではなく、建物が古いため壁など薄汚れていて、一部は小さな亀裂が走っている。建物は外の壁はきれいで新しい団地のように見えたが、最近壁を塗り直しただけだった。土田はここに十年以上住んでいるそうで小中高とここで卒業していた。
 早速、母親から話をきくことにしたが、彼女もそれほどのことを知っているわけではない。月曜日に仕事へ出たきり戻らないという事実がこの女性の前にあるだけだ。もちろん電話などの連絡は一切ない。一週間も音沙汰がないと母親としてはどんな気持ちになるのだろう。我々、仲間うちよりもその深刻さは計り知れない。
「最近変わった様子などはありませんでしたか?」
「そういわれても、近頃はほとんど顔を合わせていませんからね。毎日、大阪や東北へ出張でして、家に入るのかと思えば、土日も仕事で夜遅くならないと帰ってきませんから。食事の時ぐらいしか話をする時間もありません。でもいつも疲れていてあまり話もしませんし、夕食を済ませてきたからと、そのまま寝ることもあるんです」
 確かに今の状況では家族より会社の人間と一緒にいる時間の方が長いのだから無理もないだろう。
 竹内はあらためて最近の彼の行動についてきくことにした。
「ここ一ヵ月ぐらいの彼の出張のことなんですけど覚えていますか?」
「はあ、大阪と東北の行ったり来たりですけど」
「一ヵ月ぐらい前、福島へ行ったついでに、磐梯山へ出かけたのは御存じですか?」
「ええ、会社の人たちと会津若松の方へ行ったとかは聞いていますけど」
「そうですか、じゃ、その次の週に東京へ寄ったのは?」
「はい、それも知っています。東京で一泊して見物してきたと言っていましたから」
「一人でですか?」
「そうだと思いますよ・・・、道幸は何も言いませんでしたから」
 そうなると電子手帳に記録されていることが腑に落ちない。あれは明らかに人と待ち合わせをする予定になっているからだ。
「それと今月の連休ですか、仙台の方にも行かれたと思うんですが?」
「ええそうです。車で行きましたから」
「えっ、車でですか!新幹線とかじゃなくて」
「そうですよ。火曜の夜でしたか、大阪から帰ってきてこれから東北まで車で行くと言いだしたんで、危ないからやめなさいって行ったんですけど、どうしても行きたいところがあるっていうもんで、仕方なく行かせましたけど」
 土田は夜中、東名を突っ走って首都高から東北自動車道を通って行ったのだろうか。途中で仮眠のために休んだとしても翌日の昼までには十分に着ける。しかし、何のために車で行ったのだろう?土田はドライブが好きで土曜の夜中でも山の中に走りに行くと言っていたくらいだから、単に車で行ってみたかったのだろうか?それとも現地で移動する金を節約するため自分の車で行ったのだろうか?
「仙台へ行く目的は何だったんですか?」
「さあ、よく分かりませんが、観光じゃないんですか」
「具体的にどこかへ行ったとかは言ってませんでしたか?」
「別に。ただ仙台と松島へ行っただけだと。青葉城へ行ったとかも言ってましたけど、昆布の土産だけ買ってきてくれましたが」
「車で行ったのは会社には内緒なんですよね」
「そうだと思いますよ。でも、旅費はちゃんともらうとか言ってましたけど」
 竹内は出されたお茶を飲んで次の質問を考えた。あまりききやすい事ではないが、念のためきいておきたかった。
「あの〜変なことをききますけど、土田さん、付き合っている女性の人はいるんですしょうか?」
「はあ、女の人ですか?そのへんのことはよく分かりませんが」この母親、息子のことは何も知らないようだ。それとも、息子の方が何も話さないのだろうか。
「彼宛の電話なんか最近ありましたか?」
「そういえば、この間電話がありましたね」
「いつ、誰からですか」竹内は身を乗り出してきいた。
「道幸が出かけた日ですから、今週の月曜でしたかね。女の人から電話があって・・・」
「な、名前は?」
「名前!名前は言いませんでしたね」
「内容は?」
「ええ、道幸はいますかって言われたんで、仕事に出ていますと言ったら、大阪ですか福島ですかときかれたので大阪の方ですと答えたんですけど」
「どんな感じのひとでしたか。若かったですか?」
「そうですね、若い感じでしたよ」
「しゃべりかた、訛りとかはありませんでしたか?」
「いえ、普通の話し方でしたよ。可愛らしいというか、小さな声でした」
 たぶん、大阪の土田に電話をかけた女だろう。となると次の事実が明らかになる。土田の居場所は母親によって大阪だと知ることが出来た。しかし、あの銀行の電話番号はどうやって知ったのか?あそこの電話番号は電話帳には出ていない。しかも、直通の電話であって万が一銀行に電話をしたとしてもあそこの電話には交換台を通さなければつながらないのだ。美和子は交換台を通さず直接受けていた。トリオの会社で銀行の番号を教えた形跡はない。昨日、総務の人たちや山田部長、そして念のため七階の森や榊原課長など電話を取り次ぎそうな人に聞いてみたが、土田の居所をきく電話は無かったそうだ。となると銀行の電話は直接もしくは間接的に土田が教えたものなのか、または、銀行関係の人が教えたのではないかと推測される。つまり、土田は問題の女と親しい付き合いではなかったのかと考えられるのだ。女は土田の母親に、彼の居所について「大阪ですか福島ですか」と具体的な場所を尋ねている。これは土田との接触がなければ分からない事実なのだ。それとも今まで出会った、もしくは竹内の知らないMTS関係の人が絡んでいるのだろうか?

      2  11月16日、土曜日、午後1時12分 

 土田の部屋を見せてもらった。彼の部屋は最近増築した部分で今までいた部屋よりは明るくきれいだった。この部屋の増築のため母親のいる部屋は採光がなくなり昼間でも電気をつけなければならなくなっていた。その分、彼の部屋は電灯をつけなくても明るい。部屋は八畳であったが家具やオーディオで狭く見える。窓際には大きな机がある。小学生時代から使っている、いわゆる学習机である。隣には豪勢なステレオと映画好きらしい大きなテレビ、反対側には古いマンガのつまった本棚とよくぞここまであるなというビデオの山。押入れがないのか布団が畳の上に畳んであり、その布団の上には枕とパジャマが置いてある。それはいつでも息子が帰ってきてすぐ眠れるようにという、母親の配慮がかいま見えた。
 椅子に座って机の上を見た。鉛筆とかボールペンが転がり、給与明細書が無造作に置いてある。ふと足元を見ると小さな段ボール箱があり、中には紙屑みたいな物があった。それは映画の半券や入場券だった。母親にきいてみると土田は切符や入場券など記念になりそうな物は何でもとっておく習慣があるそうだ。その中をごそごそと探っていて、比較的上の方にあるものを拾い上げてみた。会津若松城の入場券や松島の瑞巖寺の半券、東京で買ったらしい一日フリー券やサンシャインビルの展望台の券などがあり最近の行動を裏付けている。一日フリー券は電子手帳に記録されていた十月二十五日の翌日二十六日の日付になっている。彼が東京へ行ったのも間違いないようだ。そして、特に注目したのが仙台での宿泊のさいの領収書であった。竹中別館と書かれていたが、日付が十一月三日となっていて手帳のスケジュールと一致する。仙台に行ったことも確実なのだ。
 その箱に細長い袋があった。それは写真が入っているよくカメラ屋で渡される袋だ。中にネガと二十枚ほどの写真が入っていた。写っているのは土田と山田悦子と渡辺史子で、城や山、池をバックに三人がかわるがわるポーズをとっている。どうやら磐梯山へ行った時の写真らしい。それほど、撮影状態がいいとは言えないので、たぶん写るんですタイプの使い捨てカメラを使ったのだろう。三人が一度に写っている写真は二枚しかない。あとは同じ場所を二枚ずつ二人で写っているものがほとんどだ。土田はサングラスをかけいつも外出時に着ているブラウンのジャケットを羽織って、カッコをつけている。悦子と史子は、史子の方が引き立てているのか女子学生みたいな感じで、どの写真にも愛想を振りまいている。写真によっては史子の方が年上に見えるようなものもある。
 うらやましいと正直に竹内は思ってしまったがある写真に手が止まった。それは三人とも写っていない写真だったが、とはいえ風景を写したとも思いにくい写真だ。岩や小石がごろごろと転がっている山肌の写真で風光明媚とは言いがたい。写っているのはその風景をバックに歩いている人が五・六人撮影されている。写真の中央から少し離れたところに男女が写っておりその後ろと反対側に人が写っているのだ。竹内の感じから見ると。もしかして土田はこの一番前にいる男女を撮影したのではないかと思われた。もちろん土田が写したという前提だが、その可能性は高い。男はサングラスをかけ横を向いているので少し顔の判別はつきにくいが、三十から四十才の中年だろうか、髪はきっちりしていてきている服もスーツではないがきちんとしたジャケットにスラックスで身だしなみは良い。一方、女性の方は正面から撮られていて表情までよく見える。髪が肩より長く、細面できりっとした顔だちである。年は二十五前後か、ジーパン姿に淡い草色のセーターにベージュのコートを羽織っている。見た目で判断するとどうも不釣り合いな気がする。とは言っても親子とは年齢的に思えないし、不粋な考えをすれば、不倫の関係にも見えないことはない。
 しかし、なぜこんなものを土田は撮ったのだろうか?たまたまシャッターを押してしまったのか、いやそのわりには焦点のずれがない。正しくカメラを据えて撮った感じだ。前にも言ったように風景を写したとも考えにくい。さすれば、やはりこの男女を故意に撮ったものなのだろうか、場所はどこなのだろう?ネガから判断するとフィルムの終わりのほうで、前後に悦子や史子が山らしきものの前で写っている。福島に行ったこともないので聞いてみなければさっぱり分からない。
 帰り際、土田の母親に彼の電子手帳をしばらく借りていくことを承諾してもらった。そのついでに電子手帳の「電話」に載っていた、竹内の知らない女性についてきいてみたが、どうやら土田の同級生で同じ町内に住んでいることが分かった。しかし、最近連絡を取っている様子はなく今回の事件とは無関係のようだ。また「メモ」に記録されていたわけの分からない英数字についてもきいてみたが、母親は分からないと言うだけだった。
 帰りの車の中、これからどうすればいいか困惑していた。土田の家に来てますます謎が増えたばかりで、解決の目処はますます遠ざかっていくような気がしてきた。ただ、一点の光は仙台にあるような気がしていた。大阪から消えて仙台とは途方もない話だが、竹内にはそんな気がしてならなかった。失踪して一週間が経とうとしている。不安の勢いは広がり始めていた。

         3  11月18日、月曜日、午前8時40分

 土田の失踪から一週間が経った。竹内は朝から会社に出社した。加藤千尋と渡辺史子に話をきこうと思ったからだ。しかし、彼女たちは、朝早い新幹線で福島へ行くため、既に出発というか、名古屋駅へ直行していたのだ。二人が福島へ着くのは早くとも午後一時。電話できくとしても半 日無駄となってしまう。土田への不安は焦燥感をましていたが、どうすることもできない。
 月曜日、トリオでは朝礼というものがある。管理職の話や諸連絡の伝達、挨拶の練習などあるが面倒なのは管理職の話の前に一般社員も何か話をしなければいけない。当番は順番に回ってくるのだが、時にはたまにしか会社に来ない出向組にいきなり出番が回ってくることもある。そして、今日の犠牲者が竹内になってしまった。八時四十分になり六階の人たちが現れはじめたら、総務の榊原が竹内を見つけ挨拶の書いてあるカードを手渡した。一瞬竹内は何のことか分からなかったが、榊原に「よろしく」と言われたので事の重大さを思い出した。竹内は入社してから二三度当番をやったことはあるが、その後、研修や出向で会社に、特に月曜などは居たことはなく二年ほどやっていなかったのだ。何もこんな時に指名しなくてもいいのに、わけありで今日はたまたま来たのにと思ったが、既に社員たちは並び終わり、社長たちも上から降りてきた。いきなり、大役を仰せつかったので、全く話のネタなどは考えていなかった。季節がら風邪などがはやり始めてるので健康には気を付けましょうと、誰もが話すようなことをしゃべろうと思ったが、それではつまらないので、とっさに今の状況から、ある話を思い出した。
 事務所内が静まり、社員全員の視線が竹内に注がれた。竹内は少し間をおいて口を開いた。
 「まず、私の方から。先日、テレビで『ロング・ウェイ・ホーム』という映画を見ました。確か四人だったと思いますが、幼い兄弟が家庭の事情でバラバラに生活することになり、数年後、その兄弟の長男がもう一度再会を果たすため、わずかな手掛かりで兄弟を探していくという話でした。その長男が主人公なのですが、長男は必死の努力で一人ずつ探し当てていき、最後には努力が実って感動の再会となるのです。一見、お涙頂戴映画に見えましたが、実話ということもありますしその主人公の努力というものが心に感動を生みました。兄にとって兄弟の再会が夢でした。努力すれば夢は叶うものだということを教えられた気がします。私たちも夢とまでは言いませんが、各々が何かを達成させることが出来るよう努力したいものです。以上です。管理職の方、お願いします」
 あまり長くない話だったが、誰の心にも訴えかけるものがあった。竹内は努力こそが大事だという主旨を言いたかったのだが、その話の内容が現在の竹内と土田の関係を暗示させずにはいられなかった。特にその映画を見たことがある者にはひとしおである。誰もが竹内の決意というものを感じ取っていた。必ず土田を見つけてみせるという思いと共に、竹内に寄せる期待も膨れ上がっていった。
 管理職の話は社長の当番であった。竹内の話に圧倒されたのかしばらくの沈黙があってから、社長は口を開いた。社長は新聞の記事のことをネタに話を始め、土田の失踪に関しては一切話さなかった。連絡事項は何もなく、おざなりに挨拶の練習を行ってから解散となった。
 竹内が挨拶のカードを榊原に返す時、彼女は「有り難うございました」と心から礼を述べていた。そして、竹内が六階に戻ろうとドアに寄った時、藤井幹弘は静かに竹内の肩を無言でたたいた。

 竹内は八階に呼ばれ応接室で木下社長と野尻部長に今までの報告をすることになった。早野部長の姿は朝礼の時からなかった。大津の方へ直接出かけたようだ。早野の家は岐阜の垂水なので、朝早く神戸方面まで行く普通列車があり、それに乗れば八時ごろ大津に着けるのだ。出張の目的は、当然土田に関することで滋賀F社において今後の対応を話し合うために出向いていた。
 竹内は現在まで分かっていることを二人に話したが、全てを話したわけではない。数々の謎や手掛かりはあるのだが、不確実なものはあまりはっきりとは説明しなかった。つまり、二人に与える印象としては、さっぱり進展がないということだった。しかし、二人共竹内の働きには、さっきの朝礼の話の影響もあるのか、それなりに評価していた。なるべく早く見つけ出すよう今後も努力を願うと竹内に申し合わせたからだ。竹内が福島まで行きたいと言うと、野尻はなぜ大阪から福島なのかと驚いていたが、社長は全てを竹内に任せる腹でいた。最後に警察への届け出はどうなっているかと竹内が質問すると、早野が大津の帰りに大阪に寄って届けを出してくるという話であった。

 七階では美和子、佐藤、加藤が出かける準備をしていた。祐子は午後出かけるので制服のままである。佐藤たちもことの成り行きをきいてきたが、進展はあまりないが福島へ行ってみるとだけ話しておいた。そして、美和子に質問した。
「電話の女の人のことなんだけど、東北訛りはなかった?」
「東北ですか、前も言ったように普通の話し方でしたよ」
「そう・・・」男女が写っている写真の女が、電話の女ではないかと思ったのだが、違うのだろうか?
 三人とも元気のないまま「行ってきます」と言って出ていった。つらい状況下でも仕事をしなければならないのがサラリーマンなのだろうか?

 昼食は相変わらずゑびす亭のランチだった。しかし、一緒に行く人は滋賀グループの人が多かったので、桑原と松浦、藤井に青山、伊藤だけのメンバーだった。食事のときも土田のことをきかれたが、「進展なし」のおうむ返しでしかない。電子手帳のことを彼らに尋ねても成果は有るはずもなく、滋賀グループの人間にきかなけらば、霧は晴れないのだ。
 帰り際、堀川を越えた道の前方にある小さな神社にトリオの社員がたむろしているのを発見して桑原にきいてみた。
「あれ、うちの社員じゃないんですか?」
「そうよ、今年の新人で森君に、畦津君、末国君かしら、本来なら加藤君もいるんだけど、最近はあの三人だけよ」
「何やってんです?」
「さあ、あそこでパンなんか食べて、休み時間の終わりまでウロウロしているみたい。入った時からずっとあそこで、ああやってるの。よく分からないは。だんだん入社する人たちの資質が変わってきたみたい。山田部長のせいかしら?」
 山田部長によって入社が決まった我々がその始まりなのかと竹内は思い、自分も変わっている人種の一人なのかと自問してしまった。

 午後は総務へ行き土田の旅費精算書を調べることにした。土田のスケジュールと突き合わせてみるためだ。総務には山田部長しかおらず、社長と是洞部長は外出中であった。榊原と光永は忙しそうに事務整理を行っている。中嶋に精算書を見せてもらうよう頼んだ。当然、総務は旅費精算や領収書などを数年分はきちんと保存している。多くの社員の請求書が束ねてあったが、土田のはすぐに見つかった。東奔西走しているだけあって精算書も多いのだ。古いのはとばしてここ一ヵ月のものを見てみた。まず約一ヵ月前、十月の第三週、つまり、土田たちが磐梯山へ行った週だ。土田は月曜日・十四日の夕方に出発してその日は福島で一泊。金曜日の十八日まで宿泊して土曜日の十九日に名古屋へ戻ったことになっていた。当然、電子手帳の内容と異なっているのだが、そのへんのことを総務が承知しているのどうか、きくことに迷った。下手なことを言って、悦子や史子に迷惑がかかってはたまらない。しかし、中嶋を信頼してきいてみることにした。
「中嶋さん、この週、土田さんたちがもう一泊して磐梯山の方へ行ったのは知っているんですか?」竹内は山田部長を気にしながら声をひそめて尋ねた。
「ええ、知っているわよ」中嶋は素直に答えた。
「何でも銀行さんがどっかに招待したんでそのついでに観光もしてくるって、山田さんが言っていたから、請求書はいつも通り書いて出してって言っといたわ。余分な一泊は彼女たちが自費で出したので会社とは関係ないから」
「そうなんですか」心配して損したと思った。請求書をよく見ると始めの四泊は東急ホテルになっているのが、金曜の宿泊は何とホテル聚楽になっている。それが銀行側の招待らしい。土田たちは次の土曜日、自腹を切ってどこかに泊まったのだ。
 続いて翌週の請求書を見た。月曜日の二十一日に大阪で泊まり、翌二十二日には大阪を出て名古屋をそのまま通過して福島へ行ったようだ。名古屋を素通りなんて何とも可哀相だ。火曜の二十二日から三泊して金曜日・二十五日の夜、名古屋に戻ったことになっている。
「すいません、中嶋さん。この週は金曜日に戻ったことになっているんですけど、土田さんはどうやら東京でもう一泊したらしいんですが、そのことは知りませんでしたか?」
「ええ、それはきいてないわ。へえ、東京なんかに寄ったのどうしてかしら。ただの観光なんでしょ」
「さあ、そのへんは私にも分かりませんが」ひとまず、誰かと待ち合わせしていたことは言わずにおいた。
「でも、自費で一泊したんなら問題はないわ。請求書の切符も指定席なら一回だけ変更が出来るし、料金も金曜と土曜とでは同じだから」
 中嶋が知らないのではこの件に関してはこれ以上の収穫は望めない。
 次に先々週の請求書を見た。この週は月曜日の二十八日は大阪で一泊しているが、翌日の二十九日は名古屋に戻っているようだ。その翌日、水曜日に名古屋を発ち福島へ行っている。金曜の十一月一日まで泊まって土曜の二日に名古屋に帰ってきている。スケジュールとは全く違う。
「中嶋さん、もう一つすいません。これなんですけどこの週は土田さん仙台へ行ったらしいんですよ。それも知りませんでしたか?」
「ええ、それも初耳だわ」中嶋は少し驚いたようだ。
「この週はね確か、火曜日に戻って水曜日に福島へ行ったのよね」請求書を見ながら一行ずつ指を差している。
「そうそう、火曜日に明日福島へ行くとか電話があったんで切符はどうするのってきいてみたら、会社へ寄る時間がないので、自分で買うとか言ってたかしらね。だから切符代も書いてあるでしょ」
 請求書には切符代と特急料金が書かれていた。そういえば今までの請求書には列車の運賃が書かれていなかった。それは総務が、あらかじめ往復切符と指定席件を購入しておいてくれたからだ。そういえば電子手帳のシークレットでない「メモ」に「名古屋−福島 13、000」と書かれていたのと通常期、閑散期、繁栄期の特急券の料金が書いてあったのを思い出した。それは車で行ったのを誤魔化すため、ちゃんとメモっておいたことなのだろう。車で行ったこともあえ て話すのは避けることにした。また、いつもは東急インに泊まっているのに、その週だけは辰巳屋というところに宿泊していたことにも気付いた。それはホテルの領収書もあるので間違いない。この違いは単に予約の問題だけなのだろうか?
「しかし、三週続けてあっちこっち行くわね。出張のついでとは言うけど、よっぽど好きなのね」
「でも、今度はそういうことじゃないみたいですね」竹内は冗談のつもりで行ったのだが、中嶋は冗談として取ってくれなかった。

         4  11月18日、月曜日、午後2時8分

 竹内は明日、自分も福島へ行くことを告げ、切符の手配を頼んでおいた。時間は土田たちがいつも利用する便と同じにしてもらった。
 時刻は二時を過ぎ、竹内は七階へ降りて祐子のところへ行った。祐子は忙しそうにワープロを叩いていた。既に私服に着替えているので、もうすぐ出かけるところらしい。近づく竹内を見つけ祐子が話しかけてきた。
「竹内さん、これからどうするの?また、大阪に行くの?」
「いえ、福島に行こうと思っているんです」
「福島?それはまた、全くの逆方向ね。どうして?」
「ええ、真野さんは先々週、土田さんが仙台へ行ったことは知ってましたか?」
「いいえ、知らなかったわ、本当なの?」
「土田さんのお母さんからも話をききましたし、仙台のホテルの領収書とかありましたから、まず間違いないです」
「先々週といったら十一月の始めね。私は大阪にいたけど、他の人からもそんな話きいていないわ」
「ええ、そうでしょう。土田さん誰にも言わずに一人で、しかも車で行ったそうですから」
「そうなの、でも、何しに行ったの?」
「そこが私も分からないところで、そのためにも福島方面に行くんです」
「なるほど、で、それが分かったとして、今回の失踪と関連があるわけ?」
「それも断言できませんが、私は何かあると思うんです」
「私にはさっぱり、やっぱり、竹内さんの思考は私みたいな凡人には計り知れないわ、こういう時には」こういう時は余分な気がしたが、祐子の見つめる視線が暖かく感じられた。
 竹内はちらりと時計を見て「そろそろ、渡辺さんたち着きましたかね?」
「そうね、もう着いたころね。電話する?」
「ええ、お願いします」
 祐子は北邦銀行に電話をかけ、トリオの人間を呼び出してもらった。祐子が相手と二言三言話をして、竹内に受話器を渡すと、元気な声が響いてきた。加藤千尋だ。 ———もしもし、竹内さんですか!
「そうだよ、加藤さんか、お疲れさま」
———お疲れさま。竹内さん、明日、こっちに来るんですって。
「ああ、そうだよ。今朝、話をきこうと思ってたんだけど、既に出かけちゃった後だったからさ、まあ、そういうわけなんだよ」
———土田さんのことなんでしょ?まだ、消息つかめないんですか?もう一週間だよ。
「ん、残念だけど、まだね。それで、手掛かりらしきものが、そっちにあるみたいだから、ぜひ行こうと思ってね。詳しいことは明日話すけど」
———えっ、こっちにですか?いなくなったのは大阪なんでしょ、随分離れていません?
「まあ、そうなんだけどね。いろんな点で福島や仙台が見え隠れするんだ」
———仙台もですか?仙台なんか誰も行ってませんよ。仙台営業所のトリオの人はたまに来ますけど。
「ん、それも明日話すよ。それよりも、明日からの宿泊なんとかなる?」
———今からですか?ちょっと難しいですよ。当日泊まるというのは。昔、土田さん福島から新幹線で隣の郡山まで行ってやっと泊まれるところを見つけたぐらいですからね。
「そうか、困ったな。大阪でも大変だったからな」
———あっ、そうだ。土田さんが予約していた分を使えばいいんじゃないですか。今週分は確か東急インに予約してあるはずですから。
「そうか、そうか、そりゃ都合がいいや」どう都合がいいのだろう。土田がいないからこそ竹内が行くのではないか。
———今日の分はキャンセルしなきゃだめですけど、明日からの分はそのままにしておくよう連絡しときますね。
「じゃ、よろしくね」
———わっかりました。待ってますよ。
 千尋は元気な子である。こんな状況下なのに明るさを忘れていない。

 竹内は六階へ行き伊藤を探した。伊藤賢司は相も変わらず、仕事をしているのかしていないのか分からない様子でコーヒーをすすっていた。
「伊藤君、ちょっと頼みがあるんだけど、いいかい」
「なあに、竹内さん。一回千円ね」伊藤はだらだらした態度で手のひらを差し出した。
「ま・じ・め・に・き・け」と言って、竹内は伊藤の頭を軽く小突いた。
「何すんだよ。人が真面目に仕事をやっているときに」といつもの笑顔で竹内を見た。
「まあいいや、あのさ、明日でもいいからさ、山田さんに会って話をきいておいてくれよ」
「山田さんに?いいけどさ、何きくの・・・ああ・・・ツッチーのこと?」
「そうだよ」
「なら竹内さんが直接きけば、俺忙しいんだけどな」
「何言っているんだ、いつも暇そうにして。第一、俺は明日から福島へ行かなきゃならないんで、だめなんだよ」
「福島?なんで竹内さんが福島へ行くの?ツッチーがそこにいるのか?」うらやましそうな顔で文句を言っている。
「そのへんは、まだつかめないけど、調べたいことがあるんでね」
「で、ツッチーの、何をきくの?」
「まず、最近変わったこととか、様子が変だったことはないか、と言ってもずーっと変だったという答えは聞き飽きているから、もっと細かく見た微妙な変化というものについてきいて欲しいんだ」
「よく分かんないけど、まあいいか、それで?」
「あとは、土田君に最近女性の影がないかどうか?」
「女?女がどう関わってくるのさ?」
「説明はいつかしてやるよ。お前に話すと理解させるのに一苦労だからさ。とにかく、土田君が女のことについて話していたとか、女じゃなくてもいいんだが、誰かと会ってたりしてなかったとか、そういうことなんだよ」
「ふーん」竹内は伊藤が分かっているのかと不安だったが、話を続けた。竹内はスーツの懐から一枚の写真を取り出した。
「あとはこの写真に見覚えはないか、特にこの男女について」竹内はあの問題の写真を伊藤に渡した。竹内は会社にくる時、その写真の焼増しを頼んでおき、今取ってきたばかりなのだ。伊藤は写真を眺めたが、たいした反応は示さなかった。
「それと」竹内は土田の電子手帳を取り出して、シークレットの「メモ」を開いた。そして、近くにあった紙に謎の英数字を書き、手渡した。祐子にきこうと思ってすっかり忘れていたのだ。彼女は既に大阪へ向かっていた。
「これについて知らないかきいておいてくれ。以上だ。なるべく早く会って、福島の銀行に電話をくれ、重要なことだからしっかり頼んだぞ」
「分かったよ。あとで何かおごってよ」
「ああ、土田君におごってもらいな」
 竹内は伊藤に頼んだことを危惧したが、質問先の相手も悦子だから、竹内はあまり期待しておらず、手間を省くため伊藤に依頼したのだ。しかし、その懸念は当たっていたかもしれない。伊藤がしっかり竹内に頼まれたことをやっていれば、事件は早く片づいたかもしれないからだ。

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