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人事システム殺人事件 〜複雑な連鎖〜


第五章  東京の女

         1  11月19日、火曜日、午前9時47分

 ひかり号は富士川を渡り右手にはかすかに駿河湾が望め、左手には雄大な富士がそびえ立っている。空気の澄んだ冬近しこの時期、頂を白い雪で覆われた富士が間近に見える。
 竹内は久しぶりに新幹線に乗った。名古屋を九時過ぎに発車する、朝早い列車だが、車内はほぼ満席であった。竹内が指定席の場所を探してあてると、既に人が座っていた。席を間違えたかなと確認してみると、立ち席の人が空いていたか座っていただけだった。
 名古屋を発ってからしばらく眠りに落ちていた。榊原香織が土田たちと同じように席を取ったために禁煙席となり、煙草を吸うことさえも出来ず、眠るしかなかったのだ。しかし、どういうわけか富士さんが近づくと目が覚めてしまった。何度見ても富士の姿には心打つものがある。自分も日本人だなとついつい思ってしまう、今日この頃だ。愛鷹山に富士が隠れ丹波トンネルに入ると再び眠りについた。
 次に目が覚めた時には、ひかり号もスピードを落とし、世界一のビル街の中を動いていた。東京駅で降り立つとそのまま東北新幹線に乗り換えた。ちょっと前までは上野まで山手線に押し込まれていかなければならなかったが、現在は東京までの延長が完成していた。まだ真新しいホームが気持ちよかったが、島式ホームが一つのため人で込み入っていた。
 東北新幹線・やまびこ号に乗るのは始めてだった。今度は眠らず外の景色を眺めていた。上野駅に入るため一度地下に潜り、再び地上に出て山の手沿いを進む。新幹線の高架と同じぐらいのビルを横目に見ながら大きな川を渡る。荒川だろうか?昔の金八先生で見たような風景だ。埼玉に入ると住宅地の町並みや、ロッテの練習場を過ぎ大宮に着いた。ここからは上越新幹線と分岐する。新潟の人には悪いが、なぜ上越新幹線なんかが早々と出来上がったのが、不思議でならなかった。よっぽど、札幌までつなげるか九州を縦断した方がよかった気がするのだが、某政治家の力はすごいものだったのだ。大宮を離れると同じような田園風景とトンネルを繰り返しているうちに、那須の山々が現れ、続いて磐梯山の山たちが見え始めると福島の駅に滑り込んだ。
 福島は阿武隈川のたもと、東北の玄関口として成り立つ観光と文化の町だ。福島県は大きく分けると浜通り、中通り、会津の三つから成る。浜通りはいわきを中心とした海岸線、会津はその名のとおり、会津若松を中心とした山間部、そして中通りが福島を中心にした盆地地帯である。福島市はそれら全ての中心であるが大都会に比べれば、まだまだ田舎と言えるだろう。市街地は北に桜の名所・信夫山をひかえ街中を阿武隈川がゆっくり流れる。一歩市街を出れば、サクランボや桃、ブドウからリンゴまで季節毎に実る果樹園が広がっている。
 駅のホームはだだっ広いだけで閑散としている。福島駅は県庁所在地の町としては静かでのんびりした感じだ。これが地方都市というものなのか名古屋に比べれば人の多さは全く違う。駅は最近工事が終わったらしく、路面もきれいだ。駅ビルも今風のファッション街となっている。秋も深まり冬近しこの時期、さすがに雪はまだ降っていないが、空気の冷たさを感じる。とは言っても名古屋ほど寒いとはなぜか思えない。街の中の高層ビルから吹くビル風の寒さとは違って自然の寒さなのだ。
 駅前に立って竹内は重大なミスに気付いた。銀行がどこにあるかきいておくのをすっかり忘れていたのだ。銀行の電話番号は土田の電子手帳を見れば分かるので、連絡してから案内してもらうか、出迎えてもらおうと思案していた。その時肩を叩く人がいた。振り返ると、そこには笑顔の日野林と野田がいた。
「やっぱり竹内さんだった」
「なんだ、日野林さんだったんですか、びっくりしましたよ。もしかして、今の列車でしたか?」
「そうですよ。同じ列車だったんですね。ホームで見かけたもんで、野田君はちゃいまっせと言っていたんですけど、私はきっと竹内さんだと思ったんですよ。でも、どうしたんです?こんなところに突っ立って」
「ああよかった。ついうっかりして北邦銀行の場所、聞くのを忘れていて、途方に暮れていたんですよ」
「そうなんですか。竹内さんも随分おっちょこちょいなんですね。ところで、何で福島なんかに来ているんです?土田さんの手掛かりが見つかったんですか?」
「ええ、まあいろいろと調べたいことがあって、結局ここまで来てしまったんですよ」
「そう。ああ、こんなところで立ったまま話すのもなんですから、竹内さん,お昼食べましたか?」
「いえ、まだです。駅弁はどうも高いわりにはボリュームがないので、こっちで食べようと思って」
「なら、ちょうどいいわね。一緒に行きましょうか。どうせ福島のことなんか分からないでしょうから」
「ええ、いいですよ。よろしくお願いします」
 三人は駅前のメイン通りを歩いていった。ロッテリアやパルコ的なデパートもあり、ダックシティ山田とかいう変な店もある。繁華街らしいのだが、人通りも疎らでせわしさがなく、これが地方都市かと感じさせられる。店閉まいしてシャッターが閉まったスーパーらしきものがあり、その向こうに北邦銀行の大きな赤い広告塔が見えた。
「あそこがそうでっせ」と野田が指さしてくれた。さすがに本店だけあってビルも大きく少々古臭い。
 銀行へは向かわず、手前の交差点で曲がり、煉瓦舗装された商店街から小路の中を歩いていった。大通りとは違って少し寂れた雰囲気のある飲食店街だ。昼休みも終わり仕事に戻るサラリーマンが店から出てくるところだ。日野林は酒菜家という店に入り、竹内と野田も入口にぶら下がっているすだれを手でのけて中に入った。どうやら居酒屋らしいのだが、それは夜だけで昼間は魚介類を中心にした丼物屋になっていた。ゑびす亭のエビス丼に近い。日野林はイクラ丼、野田はネギトロ丼、竹内は無難にサカナヤ丼を頼んだ。
 三人は土田失踪の話題は避け、互いの身の上話に会話が弾んだ。日野林は陽気で屈託のない話し方、それでいてどこか厳しいところともある。野田が冗談で「姐御」と言っているのも分かる気がする。トリオにはこのタイプの女性は少ない。榊原では気楽さがないし、悦子には厳しさがない。強いて言えば祐子ぐらいがそれにあたるだろうか。トリオにも一人ぐらいはいてほしい人材だ。野田はおっとりしていて好感の持てる人物だ。今年入ったばっかりの新人だが日野林も信頼しているようだ(ただし、不安材料も多いそうだが)。
「野田君も土田さんがいなくて寂しいですよ」日野林は今日始めて土田のことを口にした。
「土田とは仲がいいんですか?」
「まあ、いつもお世話になっていますから」野田は照れくさそうに言った。
「世話ばかりじゃなくて、いいコンビですよ。いつも二人でボケとツッコミをしているんですから」
「そんな、漫才師じゃないんでっから」
「そう?どう見ても吉本に近いわよ。それに州崎君が入ったら完全なトリオ漫才じゃない」
「なんてことを。確かに土田さんはトリオですが、私はSFLですよ」
「また、しょうもないこと言って、御免なさいね。いつもこうなんで」
「いえいえ、土田の方もうちの会社では同じですから。私がいつもツッコミ役に回っているんですよ」
「土田さんも、ちょっと変わった人ね。真面目なのか、不真面目なのか?」
「私も最初は恐い人かなと思っていましたが一緒に仕事をしているうちにだんだん分かってきましたよ。変な人だって」
「土田さんがそんなこときいたらきっと怒るわよ・・・・・・」
 三人はここで言葉に窮した。本当に土田がきいたら『バキッ』っとでも言って明るく怒るだろう。だが、土田からその言葉を聞けるだろうか?そんな一抹の不安が誰の胸にもよぎっていた。

          2  11月19日、火曜日、午後1時35分 

 一時半も過ぎたころ銀行に入ることとなった。表口からは入らず守衛のいる裏口から、日野林が「F社です」と言ってビル内に入り、エレベーターで八階に上がった。八階で降りると目の前は講堂のような大きな部屋で、日野林はその横にある部屋に入った。幸徳銀行とは違ってそこは人事部の部屋ではなく、このプロジェクトのために会議室を使用しているようだ。部屋には山積みにされた資料と幸徳銀行で見たのと同じマシーンにプリンターや作業用のデスクなどが所狭しに置かれている。部屋にはSFLの人らしい男女と、たぶん仙台営業所から来たのだろうトリオの制服を来た女性、そして、加藤千尋と渡辺史子がいた。二人は竹内を見つけると嬉しそうに笑ったので、竹内は二人のところに近づいた。
「やっと来ましたね、竹内さん。待ってましたよ」千尋が可愛らしく早口でしゃべった。
「ああ、やっと着いたよ。結構遠いんだね。ここまで来るだけで疲れちゃったよ。よく毎週来れるね?」
「もう、慣れちゃいましたから」と軽く史子が言った。華奢な二人がよく頑張れるものだなと思わずにはいられない。
 日野林が二人の同僚を連れてきた。
「竹内さん、紹介しておくわ。北邦銀行担当の福谷と松田です」
「福谷です」と男の方が名刺を差し出した。背も高くがっしりした体格で特にお尻が妙にでかい。響くような低い声で名前を名乗ったがさっぱりした感じだ。年齢は滋賀F社の佐藤よりは若いだろうが、今まで会った人たちよりは年長だ。
 続いて女性の方が「松田です」と名乗った。髪が肩ぐらいまでのほっそりとした顔だちで、年齢は日野林と同じくらいか、やや下かなと思えた。おとなしいそうで落ちついている感じがしたが、それは彼女の服装がそう見させたかもしれない。どことなくこのようなオフィスで働いている趣ではないのだ。いかにも、普段着ぽいスカートとセーターを来て質素な雰囲気をかもしだしている。滋賀F社には総務の女性以外は制服を着ないのだが、大津の事務所で見かけた女性たちとは全く違って、OLという姿が全くにじみ出ていないのだ。
 竹内も昨日補充しておいた名刺を渡し「竹内です」と名乗り返した。
「竹内さんのことは日野林の方からきいています。協力できることがありましたら、遠慮なく何でも申しつけてください。私たちも土田さんが無事戻られることを願っていますから」福谷が感情を込めて言ってくれた。
「有り難うございます。いろいろ御迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」
 千尋と史子は日野林の後ろに控える野田を見つけた。
「野田さん、お久しぶりですね」千尋が声をかけた。
「あっ、こんにちは、加藤さんに渡辺さん、お久しぶりです」
「今週はこちらなんですか?」
「ええ、こっちの作業を手伝いに来ましたんで」
「私は福谷さんと話があるからあとはよろしくね」と日野林と福谷は引き下がった。
「それじゃ、こちらもちょっと話をききたいんだけど、いいかな?」竹内は椅子に座って千尋と史子を見据えた。
「ええ、いいですよ。・・・・・・あの松田さんも同席してもらっていいですか?福島では土田さんとは長いんで、何か御存知かもしれませんので」史子が言った。
「ああいいよ」松田は私もという顔をして自分に指を指している。竹内は「どうぞ」と隣に座ってもらった。
「私もいいですか」と一人取り残されたような顔をして野田が尋ねた。「ああ、どうぞどうぞ」と野田にも座ってもらった。
「松田さんも今の状況については御存知ですよね?」
「はい」静かにうなずいた。
「まず、ききたいんだけど、最近の土田君の様子で変わったこととか、気になるようなことはなかったかな。ただし、この仕事をやってからずっと様子が変だったという答はもう聞き飽きたから、そういうのじゃなくて、何か思い詰めているとか、特にここ一二週間の状況でね」二人とも竹内の話に少し微笑んだ。
「真野さんたちは近頃考えにふけっているって言ってたけどどうかな」
「そうですね、そう言われれば最近考え込んでいる姿はよく見かけましたよ。こっちの仕事がそろそろ山ですから、大変なのかなとは思っていましたけど」と史子が答えた。
「私も疲れているのかなと思ってました」と千尋。
「そう」このへんはだいたい今までと同じ感触だ。
「じゃあ、渡辺さん。一ヵ月ぐらい前、土田君と山田さんとで、磐梯山の方へ行ったよね。そのことでききたいんだけど、ちょっと待って」竹内はバッグから借りてきた写真を取り出した。 「これはその時の写真だよね、もう見た?」
「ええ、焼き増ししてもらって、この前いただきましたけど」
 千尋がその写真を取り上げ、松田たちと一緒に覗き込みながら「いいな、いいな、私も行きたかったな」としきりにうらやましがっていた。千尋はそのころ名古屋にいて、今は悦子の引継ぎとして福島に来ているのだ。
 竹内は三人が見ている写真の中から問題の男女が写っているものを抜取り史子に見せた。
「これは覚えある?」史子は写真を手に取りじっと見つめた。
「いえ、これは見たことありません。何を写したんでしょうか。たぶん、吾妻小富士だと思うんですけど、失敗した写真みたいですから、アルバムには入れなかったのでしょうか?」
「この男女に見覚えは?」
 史子はあらためて写真に視線を写した。
「そういえば、どこかで見たような・・・?」

         3  11月19日、火曜日、午後1時50分 

 土田、悦子、史子の三人は十月十八日、北邦の慰安という形で招待され、飯坂温泉へ出向くことになった。滋賀F社の人や仙台のトリオの人たち、また、他の協力会社の者まで一泊していた。北邦銀行は実際には滋賀F社側から見ればお客様なのだが、人がいいというのか持てなし上手というのか、まるでこちらがお客さんのように、作業の折を見て、酒の席を作ったり、システム完成のパーティを開いたりしていろいろ施してくれた。飯坂温泉行きもその一つで、土田たちは始め遠慮していたのだが、日野林たちがぜひ参加するように勧められ、早野部長もいいんじゃないと言ってくれたので参加することになった。特にこの三人はMTS・北邦の要であるので呼ばれなければこの慰安の意味がなくなってしまうのだ。そこで悦子たちはついでなので福島を観光することにした。せっかく東北まで来ているのだから一度ぐらいはあちらこちらに行ってみたいと常々思っていたのだ。
 飯坂温泉は福島市の北、宮城県と接する位置にあり、タレントの佐藤B作の出身地で、かの芭蕉も訪れたことがある東北屈指の温泉郷である。市内から車で三十分ほど、または、福島交通というローカル線が終点の飯坂温泉までつながっている。土田たちが宿泊したのは飯坂温泉の中でも一番豪華なホテル聚楽である。首都圏以外の人間には馴染みがないが、マリリン・モンローの声で「聚楽よ〜ん」というCMが有名なホテルグループの一つである。食事も豪勢で温泉も露天風呂などもあり満喫できる。銀行の人たちのお持てなしで宴会は始まり、二時間ほど和気あいあいと騒いで、あとは部屋に集まり二次会となった。
 悦子たちは翌日からの予定を具体的に立てていたわけでもなく、泊まる宿なども決めていなかった。ところが、たまたまその話を悦子が銀行員の一人に話したところ、その銀行員の学生時代の恩師が磐梯山の麓でペンションを経営しているので、当たってみますという展開になり、早速電話で連絡、二部屋予約することができた。そして、行く先も会津若松・磐梯山方面と決まり、翌朝、福島駅まで戻り、レンタカーを借りて出発した。途中、本屋に寄って「るるぶ福島」を買い求め、国道四号線から中山峠を越えて猪苗代湖へ行き、そこから磐梯山を眺めながら会津若松へ向かった。会津若松城、つまり、鶴ヵ城を見学し、るるぶに載っていた手打ちそば屋「桐屋」で昼食、喜多方でラーメンでも食べようかと向かったが、時間がなくなりそうなのでゴールドラインで裏磐梯高原へ、五色沼を散策して近くにあるペンション「蛇平」へとやって来たのだ。ペンションは出来たばかりで外観も、そして中もきれいで気持ちが良かった。三人は夜食用のつまみと酒を買いだしに行き、夕食へとダイニングに降りたのだ。
 そこまで史子は説明し、そのペンションでの出来事に話が移った。
「夕食はフランス料理みたいなフルコースで、さっき言った恩師さんが奥さんと一緒に手作りで出してくれたんです。その日は私たち以外には、もう一組、男と女の人がいたはずだったわ。その女の人がこの写真の女の人に似ているような気もするんですけど、一ヵ月も前のことですから、はっきりとは断言できません」
「で、土田君の様子が変わったのもその時からだって言うんだね?」
「今思えばそんな気がします。食事の後、私と山田さんの部屋に土田さんが来て、お酒やおつまみをほおぼってたり、テレビを見たり、それから伊藤さん家に電話をかけたりしていたんです。でも、それまで楽しそうだった土田さんが、どうも考え込んでいるというか、私たちの話に対して上の空のような感じだったんです」
「何を考えていたのかな。そのへんはきいてみたの?」 
「ええ、山田さんが何ボーッとしてんのとか言ったら、ちょっと疲れただけですよ、ずっと運転させるものだからとか言ってはぐらかしていたような気がします。土田さん何かを思い出そうとしていたのかもしれません。そんな気がしますけど」
「じゃあ、夕食の時に見た男女と関係があるのかな?」
「そうですね、この写真があるとそういうふうに考えられますけど」
「それで、翌日はどうしたの」
「その恩師の人に教えられた有料道路を通って吾妻小富士へ行ったんです」
 蛇平からレークラインという湖を回る有料道路がある。裏磐梯高原には檜原湖、小野川湖、秋元湖という大きな三つの湖があり、レークラインはその後者の二つの湖をまわって土湯峠に出る国道一一五号につながっている。土湯峠からは磐梯吾妻スカイラインという有料道路で吾妻小富士を通り、福島の西側に出れるのだ。
「だから、この写真はその吾妻小富士で撮ったものだと思うんですけれど」
 ネガの順番からいってもこの写真の前に火山のような山をバックに写る三人や火口の写真があったのでまず間違いないだろう。
「君はこの写真を撮ったのには気が付かなかったわけ?」
「はい、全然」
「となると、土田君はペンションで見た男女を吾妻小富士でたまたま見かけ、何か気になることがあるのでカメラに収めたということなのか」竹内は独り言のようにつぶやいた。
「帰り道も土田君はずっと考え込んでいる様子だった?」
「そうですね、私や山田さんは疲れて寝てましたけど、土田さんはずっと起きていて考え込んでいるか、本を読んでいましたよ」
 一体この男女は何者で、どこの人間なのか?土田とは関係があるのか?そして、今回の失踪と関連は?新しい事実が浮かぶたびにますます?が増えていく。もしかしたら、これらは土田の失踪とは関係がないのかもしれない。だが、竹内には重要なことのように思われて仕方がなかった。次に竹内はその後の土田の行動について尋ねた。
「土田君は三週間前に東京、二週間前に仙台へ行っているのだが、そのことは誰も知っていなかったかい。特に仙台へは自分の車で来たらしいんだが」
 松田を含めた三人が首を横に振った。野田は事の複雑さを考察しているようで複雑な表情をしている。
「やっぱりね、じゃ・・・」竹内は女のことを尋ねたかったのだが、松田と野田がいるので少し躊躇った。だが、どのみち女のことはこれ以上隠しきれないし、そのことを話さなければ事の核心がつかめない気がしていた。
「今度の土田君の失踪に女の人が絡んでいるんだけど・・・」竹内はかいつまんで大阪のことを説明した。四人とも同様に驚いて、今回の事件のデリケートさを感じ始めていた。
「それで、君たちもそういう女の人の影っていうか、女の人じゃなくてもいいんだけど、福島に彼の知人なんか居なかったか知らないかな」
 その時、松田が話し始めた。
「あのー、ちょっと前なんですけど、土田さん宛に女の人から電話があったんですけど」松田は恐る恐るという感じで話した。
「本当ですか、それはいつです?」四人の視線が松田に集中した。
「確か三週間前だったと思いますよ。私が帰る日でしたから、金曜かな」カレンダーを見るとそれは十月二十五日であった。そう土田が東京へ行った日だ。
「そっ、それでその女の人は名前を言いませんでしたか?」
「ええ、今まで全く忘れていたんですが、渡辺さんが吾妻小富士の話をしたんで思い出したんです。確か、アズマとかおっしゃってたと思います」
「アズマ!」

         4  11月19日、火曜日、午後2時8分 

「アズマですか。それって大阪の東さんじゃないんですか?」
「いいえ、大阪の東さんなら私も知っていますから、声からして違う人でしたよ。それに土田さん目上の人に対するような言葉つきでしたから」
「電話の時、土田は何か言ってましたか?地名とか、時間とか」
「ええ、あまり人の話を聞くのは失礼だと思うんですけど、やっぱり、ちょっと気になったんで何気なくきいていたんです」松田は遠慮がちに言った。「何か東京で待ち合わせるとか、時間は夕方とか言ってました」
 間違いない。電子手帳のスケジュールに記録されていた三週間前、十月二十五日の出来事だ。
———アズマか?アズマ、アズマ・・・・・・。
「ははははは・・・・・・」突然竹内は声をたてて笑いだした。四人はどうしたのという顔で竹内を見入った。
「ごめん、ごめん。ちょっと思い出したもんで」
 竹内は自分の愚かさと、馬鹿馬鹿しい事実に思わず笑ってしまった。土田の電子手帳ににあった「スケジュール」の一つ「東京 東 銀の鈴 PM5:00」というのは今までは“東京の東口にある銀の鈴で午後五時に待ち合わせる”という意味だと思っていたが、本当は“東京でアズマに銀の鈴で午後五時に待ち合わせる”という意味だったのだ。“アズマ”とは竹内が入社した時にいたトリオの女性社員、東里美ではないかと、竹内は判断した。里美は二年目の途中で病に臥し入院をして手術をした後、会社を退社し、イギリスに留学したのだ。竹内はそこまでは知っていたが、その先彼女がどうしているのかよく知らず、噂で日本に帰ってきたというのを聞いた程度だった。
 その時、入口の方から「日野林さん、見えとったんすか」という東北訛りの声が聞こえてきた。どうやら銀行の人が来たらしい。松田が「笹久間さんが来たので、まずいわ」と言ったので、竹内たちは一時話を切り上げ、皆仕事に戻った。竹内は日野林に呼ばれ、その銀行員に挨拶することとなった。
 銀行員は笹久間という五十歳くらいの眼鏡をかけたそのへんのおじさんという感じだった。さすがに地元の人だけあって東北特有の訛りがもろに出る。本人はあまり気にしていないのか、または、今更どうしようもないと思っているのか、平気で訛ったままだが、つい数日前まで大阪・滋賀にいて、関西弁の中に包まれていた竹内には違和感が甚だしかった。竹内は同じようなシステムを今度担当するので見学という形で来たのだと誤魔化したが、「土田さんは、まだ御病気ですっか」と言われた時には少々後ろめたい気がした。
 北邦と幸徳とでは銀行員との触れ合いがだいぶ違う。幸徳ではいかにも事務的に銀行とSE(システム・エンジニア)側が打合せをしているが、こちらはもっと親密な感じである。それにマシン室の雰囲気も全然違う。むこうは人事室の片隅にガラスに仕切られて作業をするのでどうも堅苦しいが、こちらはこのシステムだけに用意された部屋なのでのびのびと行える。ここの人事部自体は一階下にあり、すでに作動している一部の機能のために回線だけつないでいるのだ。席では喫煙や飲食もOKという具合である。(このへんは少々行き過ぎだが)また、土田たちが豪華ホテルなどに招待されたことからも分かるように、北邦はSEの人たちとの接し方がうまいというか人間味があるのだ。仕事だけの付き合いでなく、お互いにもっと知り合いましょうという態度が見えて、こちら側も気をよくしてしまう。日野林たちが幸徳より北邦の方を一生懸命やってしまう気になるというのもよく分かる。
 笹久間は忙しそうに次から次へと打合せをしていった。SE側の担当者は複数いるのだが、銀行側の担当はほとんどが笹久間だけらしい。あと二名ほど関わっている人がいるのだがたまに顔を見せる程度だった。
 笹久間がいなくなってから竹内は電話を借り、大阪の幸徳銀行にいる祐子に連絡してみた。里美のことを知りたいのでトリオの物知り博士に聞いてみることにしたのだ。大阪と電話がつながり転送されて祐子が受話器に出た。
———竹内さん、今、福島なの?
「そうです」
———その後、進展はあったの?
「ええ、まあ、いろいろと。それでですね、昔トリオにいた東さんのことを知りたいんですけど、今どこにいるか知っていますか?」
———東さんて、金ちゃんのこと?日本に帰ってきて働いているとは聞いたけど、詳しいことは知らないわ。でも、何で金ちゃんが出てくるわけ?
「説明は今度しますよ、話すと長いんで。今はとにかく居場所が知りたいんですよ」竹内は焦り気味に言った。
———じゃ、竹村にでもきいてみたら。彼女ならたぶん知っていると思うわよ。
「竹村さんね・・・分かりました、どうも」竹内は祐子が何か言いたそうだったのにも関わらず電話を切って、今度は名古屋の会社にかけた。
 竹村和子は里美とは同期の女性で、当時はもう一人大北幸子という女性と三人仲良く働いていて、周りからはカシマシ娘と言われていた。大北も既に退職していたが、竹村はまだトリオにいてT社に出向しているはずだった。
 名古屋では松浦美砂が直接電話に出た。
———あら、竹内君、どうしたの。ああ、今、福島からね。
「ええ、そうです。松浦さんですか。ちょうどよかった、竹村さんに連絡してもらえませんかね?」
———竹村さんに?いいけど、一体どうして?
 どうしてこう女性は理由をききたがるのだろうか?いちいち返答するのが面倒くさくなってきた。
 「説明は今度しますから、とにかく竹村さんに福島の北邦銀行まで電話をくれるようにお願いします」竹内はこちらの電話番号を教えてすぐに電話を切った。
 十分ほどして再び電話が鳴った。この十分が妙に長く感じられたが、電話は案の定、竹村からだった。
———竹内君、久しぶりね、何、今福島にいるの?竹内君も滋賀グループになったんだ。
「ええ、まあ、そんなところなんですけど。あのですね、東さん今どこにいるか知りませんか?」
———東さんて、金ちゃんのこと。何でまた金ちゃんのことなんかききたがるの?ああ竹内君も手紙出していた口なんでしょう。
 竹内は竹村の言っている意味がよく分からなかったが、適当に相槌を打っていた。
———今、彼女は東京にいるんだけど。
「そうですか」竹内はやはりと思った。「それじゃ、こっちに連絡できるようになりませんか?」
———ええ、出来るわよ。住所も知っているし、なんなら今すぐにでも連絡しましょうか。勤め先も知っているから。
「本当ですか。出来るならそうしてもらいたいんですけど、それなら、こっちの電話番号を言いますから・・・」
———そっちの番号なら金ちゃんも知っているわよ。ちょっと前に土田君からも連絡があって電話番号をきいているから。
「そっ、そうですか、じゃお願いします」竹内は受話器を置いて待った。これで東京の出来事は確実だ。
 里美からの電話を待ったが一分一分が長くて仕方がない。二度ほど電話が鳴ったがそれは違うものだった。そして三度目、里美からの電話がかかってきた。松田が取ってくれたので、保留の間にこの間の女の人ですかと尋ねたところ、たぶんそうだと教えてくれた。
「もしもし、竹内ですけど、お久しぶりです」
———あら、竹内さん、久しぶりね、元気にしてた?
 懐かしい声が受話器を通して聞こえ、竹内も懐旧の念にとらわれた。里美の声を聞くのは彼女の送別会以来だ。
「ええ、元気ですよ。東さんのほうはどうです?」
———ん、私のほうも元気よ。以前はいろいろと御心配をかけたけど。竹内さん、福島だって、何とかという銀行の仕事するようになったんだ。
「ええ、まあ、実はですね・・・」ここでも、土田のことをどう言えばいいか迷ったが、彼女にはきちんと説明しておくことにした。これまでのことをかいつまんで話した。さすがに里美も驚いたとみえて、元気な声がトーンダウンしだした。
「三週間前、十月の終わりごろの金曜日に、東京で会ったのは間違いないんですね。でも、どうして急に会ったりしたんですか?」
———それはね、私がイギリスに行っていた時から、ちょくちょく土田さんから手紙をもらっていたの。こっちに戻って来てもね、実家の方に手紙が来ていたから、今の住所も教えてあげたわけ、それで先日、今福島に出張で来ているので東京を素通りするから会いたいですねって手紙が来たから、すぐに竹村に電話して、そっちの電話番号をきいて連絡してみたの。それで、この間会ったわけなの。
 竹内は手紙のことをきいて少し恥ずかしくなった。自分もイギリスの住所を教えてもらったのだが、とうとう手紙は出さずじまいだったからだ。年賀状でさえ正月になってから書くのに、筆不精の竹内がそんなものを書くはずもないが。
———その日は、東京駅のビルで食事をしていろいろ話したわ。土田さんの仕事のことやトリオの人たちのこと。その後、土田さんは友達の家に泊まるとか言ったんで駅で別れたんだけど、次の日は東京を見て回るとか行っていたわね。急だったんで、私のほうは用事があって付き合えなかったんだけど。
「それじゃ、彼と話している時、何かありませんでしたか。仕事のことや女の人のことで?」
 竹内はストレートに「女の人」と言明した。竹内は土田のある性格を思い出した。自分に秘めていることを誰かに話したがるということだ。竹内は結構土田のいろんな話を知っている。それは土田が竹内を信頼しているからだ。(その分、竹内も自分のことも話しているが)他の人には決して言わないこともでも、竹内にはわりと心を開いて話し、相談などもしていた。同じようにそれが里美にも言えるのではないか。里美は現時点でトリオとは関係がないし、女性としては(?)信用できる人物だ。だからこそ、何かを話していないか竹内は期待したのだ。
———そうね、今の仕事のことはいろいろ言っていたわね。つらいとか、退職届けを一度出したとか。あとは彼女がいるとかどうとか、そうそう、それから何か悩んでいるとか言っていたわね。
「悩んでいる?」
———そう。危険なことをしようとしている女性がいるんだけど、どうしたらいいかとか言っていたわ。
「危険なことって、どういうことなんです?」
———んー、具体的な話はしてくれなかったけど、なんでも知り合いの女性が、本人は気付いているのかどうか分からないんだけど、危ないことに首を突っ込みそうで、自分はどうすればいいのか困っているとかいう話よ。
 ついに女性の存在が出てきた。その女性が果して写真の女なのか、それとも土田を呼び出した
女なのか?土田からの伝聞ではあるが、彼の口から女性の存在がはっきり出てきたのは始めてだ。誰も知らなかったこと、知らせなかったことが、この懐かしい先輩には語られていたのだ。土田も何かを悩んでいた。だが、そうやすやすと人に相談できることではなかった。それ以上に土田自身がどうすればいいか困惑していて苦しんでいたのだ。本来なら竹内にでも相談するのだろうが、忙しい身の土田は人に相談する時間さえもなかったのだろうか。
「その女の人については、何か分かりませんか?どこの人とか、どういう仕事をしている人とか?」
———全然、そこまでは話してくれなかったわ。
「それで、東さん、何て答えたんです?」
———それは決まっているわ。その女の人を助けるべきと。
「その後、彼から連絡はありませんでしたか?」
———ええ、ないわよ。私もどうなったか気になっていたんだけど。・・・あっ、もしかして、そのこと、今回の土田さんの行方不明と関係があるの?
「そのへんは、今の段階ではよく分かりませんが、僕は関係あると思いますよ」
———そう、竹ちゃんからきいたんだけど、竹内さん、結構、いろんなことで活躍しているんですって。今度もそれで飛び回っているの?
「ははは、そっちまで伝わっているんですか。まいったな。僕はたいしたことしていないんですよ。たまたま運がいいっていうだけで」
———そう、でも、私最初に竹内さんを見た時から普通の人とは違うなと思っていたのよ。何か目立っていたし。
「そうなんですか、まあ、名前を間違えて覚えてもらうよりはましですけど」
———やあね、それ皮肉?
「ええ、いろんなこと知っていますから」
「ははは・・・」二人は電話を通して笑った。
 一つの謎が解けて、他の謎も少しだけ道が開けたような気がした。竹内は丁寧にお礼を述べて電話を切った。もう一人女性の存在が露出してきた。これらの女性は同一人物なのか、全く別人なのか?数々の謎と手掛かりがあるのに、どうも結びつかない。竹内は何かを見落としている気がしたが・・・。
 失踪から一週間、警察に届け出が出されたものの、何も音沙汰がない。竹内にはそろそろ焦りが見え始めていた。

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