このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

人事システム殺人事件 〜複雑な連鎖〜


第六章  琵琶湖の殺人

         1  11月19日、火曜日、午後2時50分

 再び笹久間が現れたので竹内は史子たちの仕事を見ている振りをしていたが、いつしか退屈になり、下の階に食堂があって一服できると史子からきいて降りていった。当然、食堂は営業していなかったが、自動販売機があったのでコーヒーを一本買い、入口に置いてある長椅子に腰掛けた。煙草に火をつけて缶のふたを開けた。営業していない食堂は寂しそうで、天井の電灯の明るさが妙に虚しかった。
 足音がしたのでその方向を向いてみると、福谷が近づいてきた。彼も胸元から煙草を取り出し一本抜いた。すかさず、竹内がライターを差し出して火をつけてやった。
「すいません」と言って、福谷は竹内の隣に座った。同じような情景が幸徳銀行でもあったような気がした。
「どんな、あんばいです」
「ええ、なかなか難しいですね」
「もう一週間ですね。本当に心配になってきましたよ。無事だといいんですけど」
「そうですね」
 二人の会話は、もし他人が見ていれば、サラリーマンが仕事に疲れてぼやいているように見えるだろう。お互い何かを言いたいのだが、今言ったところでどうにもならない現実が二人に染み渡っていた。
「滋賀さんの方では、今の状態が続いた場合、今後どうなさるおつもりなんですか?昨日、早野がそちらに伺ったと思うんですけど」
「ああ、早野部長さんは確かにみえましたけど、うちの佐藤の方が休みだったので、ちゃんとした話し合いはなかったんですよ。一応、日野林とは話したみたいなんですが、もうしばらく様子を見ることにしたそうです」
「そうですか。佐藤さん、御病気かなんかで休まれたのですか?」
「ええ・・・まあ・・・そんなとこです」
 竹内は福谷がおどおどしているようだと悟った。返事の中に何か隠していることがあるような気配がしたのだ。一瞬の同様を竹内は見逃していない。
「それじゃ、失礼します」と福谷は急に煙草を消して、そそくさと立ち去った。
———何だろう?どうも様子が変だ。
 竹内も残ったコーヒーを一気に飲み席を立った。

 竹内は端末の前で作業をしている野田を見つけ、隣の椅子に座った。
「野田さん、ちょっといいですか?」
「ええ、何です?」
「大津の佐藤さん、昨日はお休みだったそうですけど、どうかなさったのですか?」
「佐藤ですか、ええ、昨日は会社に来まへんでしたけど、風邪とかきいてまっけど、それが何か?」
「いえね、あの丈夫そうな佐藤さんが休まれたときいたもんで、珍しいんじゃないかなと思って」
「そうですな、佐藤さんが休むなんて私も始めてみましたわ。鉄より頑丈そうな気がしてましたけど、馬鹿じゃないってことですかね」野田はニヤリと笑った。
 野田の反応は先ほどの福谷の反応とは全く違う。何かを隠匿している顔ではない。短い間の触れ合いだが、野田は嘘がつけない人間だと思えた。たぶん、嘘をついてもすぐ顔に出るだろう。ということは佐藤は本当に風邪で休んだのだろうか?だが、それにしては、福谷の態度は解せない。野田は入社一年目だ。だから、まだまだ、会社の状況をすべて把握する必要性もないのだろうか。彼にも隠すような重大なことがあるのだろうか?日野林なら知っているかもしれない。だが、きくのは気が引けたし、佐藤のことを気にしても仕方がないのでそのままにしておくことにした。

         2  11月19日、火曜日、午後6時45分

 伊藤賢司は面倒くさいなと思いながらも山田悦子のところに連絡した。悦子はトリオシステムを退社して、元トリオのI氏と彼の同業者の人が設立した小さなソフトハウスに再就職していた。もちろん、トリオには家に入るためと退職理由を偽ったが、早野部長などはうすうす気付いていたかもしれない。
 伊藤は悦子にもらった名刺のところに電話をかけたが、当人は外に出ていて、折り返しこちらへ連絡してもらうよう頼んだ。十五分ほどして悦子から電話があり、ききたいことがあるからどこかで会おうと簡単に用件を伝えた。二人は栄の地下街・サンロードの中心・クリスタル広場の日産自動車ショールームの前で六時半に待ち合わすことにした。二人とも互いに相手が十五分は遅れるだろうと、六時四十五分ころ着くようにしていたので、両人共待ち時間はほとんど無かった。変なところで気が合う二人だ。
 酒を飲むほどの話ではないので、悦子の案内ですぐ近くにある“MONCHER LAFON”というカフェへ行った。夕方なので仕事帰りのOLやアベックで混んでいたが、二人は運よく席を取ることができ、軽い食事とドリンクを注文した。
「で、一体何なの、いきなり呼び出したりして、今日は久しぶりに仕事が定時に終わりそうだったから、スカイルのセールでも行こうと思っていたのに。セール明日で終わりなんだからね」
「んなこと言ったてさ、俺だって好きでこんなことやっているわけないさ」
「そういえば、ツッちゃん、行方不明になったんだって、今どうなっているの、みつかったの?」
「なーんだ、もう知ってるの。銀行の仕事していないのに」伊藤は笑いながら呆れたような顔をした。
「私だって情報網ぐらい、持っているのよ」と人指し指を振りながらニヤリと笑った。
「じゃ、もしかしてそのことで、私を呼んだの?」
「そうだよ。竹内さんが山田さんにきいてこいっていうもんだから」
「あらら、竹内迷探偵がもう登場してきているの。竹内君も好きだわね」さすがに竹内のことまでは知らなかったらしい。
「いや、今回は社長や部長たちが頼んだみたいなんだよ。どういうわけか」
「あらそうなの、部長がそこまでやるとは意外ね。一体どういう風邪の吹き回しなのかしら。ところでツッちゃんのことで何がききたいの?」
「ええっとね・・・」伊藤は眉間にしわをよせて竹内の言ったことを思い出そうとした。
「まずね、最近のツッチーの様子でおかしなところはないかとか言ってたかな?」
「ツッチーの様子?それはこの仕事が始まってからずっと変だけど」
「ハッハッハッ・・・・・・」伊藤は大笑いした。
「何よいきなり笑ったりして」
「はっはっ、いやね竹内さんが、山田さんならきっとそう答えるだろうと言っていたからさ」
「あっ、そう」悦子は不機嫌に目を細めてコーヒーを飲んだ。
「そうじゃなくてさ、もっと細かく見て、何かちょっとした変化がなかったかとかいうことさ、特に最近の」
「でも、最近、私のやっていた分は終わって、あとは史ちゃんとカトさんに任せてあるんでもう福島に行っていないし、だから、二週間ぐらいは会ってないかな?その前に磐梯山へ行った次の週が最後だったかしら。別に何か変だとは思わなかったけど」
「そう、じゃさあ、竹内さんが言うには、何か女の人が絡んでいるんだって。だから、そういうことで何か知っている?」
「へえ、女の人がいるの、意外ね。それって、会社の人じゃないんでしょ」
「当たり前じゃん、そんなんだったら、とっくに真相が分かっているし、大問題じゃない」
「そうよね、でも女の人って言われても。まだ、社内ならいろいろ噂は聞いているけど、外のことではね、思い浮かばないわ」
「大阪か福島で知り合いの人とかいなかったの?」
「そういうのも分からないわ。たぶんいないんじゃない。ツッちゃんナンパなんかできるようなタイプじゃないから。そんな伊藤君みたいにあっちこっちに付き合っている人がいるわけないじゃない。そうだら」
「俺のことは余計だけど、そりゃ言えてる、はっはっはっ」まったくこの二人は土田のことを心配しているのかどうかよくわからない。
「そうそう、あとね、この写真なんだけど」伊藤はそう言いながら胸元の内ポケットから写真を取り出した。その時、竹内が電子手帳の「メモ」の内容を書き写した紙が手元から落ち、ヒラヒラ流れて椅子の下に入り込んでしまった。しかし、伊藤も悦子もそれに全く気が付いていなかった。
「見覚えないかな?」
「えっ、ちょっと見して」悦子は写真を手に取りしげしげと見入った。
「こんな写真見たことないわね、場所はどこなの?」
「さあ、それきくの忘れていたな。そこに写っている男と女にも見覚えない?」
「んー」もう一度写真を見つめなおし、低速の頭を回転させた。
「全然、わかんない。男の人は顔がよく分かんないし、女の人は知らないよ。この写真に何か意味あるの?」
「さあ、説明は後でするとか言っていたから、私には分っかりません。それとさ・・・」伊藤は胸ポケットをもう一度探った。
「あれ・・・あれれ・・・」とスーツ中のポケットをまさぐり、ついにはズボンやセカンドバックの中も探した。
「何探してんの?」
「いやね、竹内さんからもう一つ頼まれたことがメモしてある紙があったんだけど、あれっ、どこやったかな?ありゃせんがな」
「それって、何が書いてあったの?覚えていない?」
「んー、確かね、メディアとか9999とか、わけの分からないことが書いてあったと思うんだけど、あれっ、おっかしいな」身体中をまさぐりながら答えたが、ついに伊藤はあきらめに入った。
「まあ、いいや、どうせたいしたことじゃないだろう。また後で竹内さんにきいておくわ」
「後、何かないの?」
「もう・・・何もないと思ったけどな」
「そう、ねえねえ。近頃のトリオの方はどう?〇〇さんが〇〇だってきいたけど・・・・・」  悦子たちはついに土田の話題からそれて全く別の話を始めた。この二人は今の状況を把握していないようだ。かといって土田の安否を心配していないわけではない。単に事の重大性を知らない二人は、土田のことを楽観視しているだけなのだ。竹内が説明をハショッタため伊藤は今起こっている事態の緊迫感を実感していないだけである。それゆえ、悦子にもそのことが伝わらなかったのだ。しかし、伊藤は重大なミスを犯していた。あのメモを無くしたことだ。後になってそれがとても重要だったことを伊藤は結局最後まで気が付かなかった。たとえ、今の悦子でもあのメモを見ていれば、何か気が付くことがあったはずなのだ。
 しかし、竹内にも伊藤を責める資格はなかった。竹内自身も「メモ」のことを史子たちにきくのをすっかり忘れていたからだ。史子の磐梯山の話や東京の東のことの発見で有頂天になっていて、メモのことは全く失念していた。

         3  11月19日、火曜日、午後6時58分

 同じころ竹内は日野林たち女性陣と一緒に夕食に出ていた。福谷や野田は銀行の裏口前にある「カロリー」という大衆食堂へ行っていた。質より量の彼らには合っているのだ。だが、松田たちはそこの味にはどうもついていけず、なるべく違う店を選んでいた。彼女たちは量より質なのだ。今日は「喜助」という牛タンを食べさせてくれる店に出向いた。ここの店は一風変わっていて、福島でも有名なところらしい。牛タンと言えば焼肉屋にいけば必ずあるが、ここの牛タンはそんな焼き肉屋の安物とは比にならない本物の牛タンなのだ。そう、メニューは牛タンしかなく、たいていは牛タン定食という定番メニューを食べるのがツウである。定食には塩かタレで焼いた牛タンを麦飯の上にのせて食べるというもので、あとはトウガラシとテイルスープが付いてくる。この麦飯というのが米ばかり食べている人にとっては新鮮で魅力的な味なのだ。そしてテイルスープも絶品というしかないほど旨い。牛タンはあまり美味しくないと思われがちだが、ここの牛タンを食べれば見方も変わるというものだ。
 竹内もこの店はおおいに満足だった。出張の醍醐味はこう言うところで満喫しなければ、遠路はるばる来た意味がない。土田には悪いがこの一時だけは何もかも忘れさせてくれるような気がした。
 店を出て竹内は日野林たちと別れ、そのままホテルへ向かった。銀行へ戻ったところで彼女たちの邪魔になるだけで、今のところ何もすることがない。竹内のすることは思考のみなのだ。彼女たちは十二時の銀行が閉まるぎりぎりの時間まで働くらしい。
 ホテルは銀行から五分ほどのデパートの上階にある東急インというホテルだ。エレベータで上りフロントのある階で降りる。土田の予約で取ってあると説明し、宿泊表にサインした。ただし、会社名にはF社と書いた。東急グループではF社は割引になるのだ。キーをもらい再びエレベーターで一階上に登った。L字型になった廊下を進み自分の部屋に入った。部屋は新しくも古くもないといった感じで、今まで泊まったホテルよりは広い。まだ、八時前なので少し街を歩いてみることにした。
 このホテルの近辺が駅前ということから福島の歓楽街なのだろう。ウィークデーとあって人もまばらだが、飲み屋やラーメン屋などが点在する。なぜか福島なのに“キリタンポ”の秋田料理の店まである。まあ、そんな店に入る予算もないし、少し寒くなってきたので、すぐホテルに戻ることにした。
 ホテルの前に千尋がいつも帰りに何とかジュースを買っていくというモスバーガーがあったのを思い出し、モスにしかないライスバーガーとポテトを買って夜食とした。ホテルの自動販売機でジュースを買い、ただで手に入る氷を持って部屋に入った。
 バーガーにかぶりつきながらテレビをぼんやり眺めていた。地方だけあって局数も少なく意外な時間にやっている番組や名古屋では全く違う系列の番組を放送していた。ここのテレビにもHチャンネルがあり数秒間だけタダで見れた。もう一つ有料でまともな映画も放映している。今月は「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」が放映されていたが、そこまで見る気にはなれなかった。今の状況もそうだが、この映画には苦い思い出もあったからだ。
 定時になったのでチャンネルをニュースに変えた。政局はPKO法案のことでもめている。湾岸戦争の後、日本の世界的な貢献というのが問題になり、まもなく行われるカンボジアの和平に対しどうするかというのが論争の焦点になっている。自衛隊を派遣するかどうか憲法とイデオロギーとが絡み大論争となり、国会が騒然としているのだ。竹内には判断しかねる問題だ。自衛隊自体が灰色の存在なのにそこから人材を提供するというのは明確な答が得られない気がする。
 全国ニュースが流れた後、ローカルニュースが始まった。その二番目のニュースをアナウンサーが語りだし、竹内の耳がピクンと反応した。それまでぼんやり聞いていたので全容はよく分からないが、一ヵ月ほど前の殺人事件が未だに手掛かりなしで、捜索は難航しているというものだった。殺されたのは二十八歳の女性だったが、竹内が注目したのは彼女が北邦銀行の職員だったと言っていたからだ。もちろん、単にそれだけのことで、土田の失踪と関係がないのだが、今の状況では北邦と聞いただけで心が反応してしまう。一ヵ月前と言えば、土田たちが磐梯山へ行ったころとなるのか。ふと、そんなことを考えテレビを見つめた。被害者の女性の写真が画面に映し出された。不謹慎と思いながらもつい女性を鑑定してしまう。一般的に見れば美人の部類に入るのだが竹内の好みではない。銀行員らしくスキッとした顔立ち、笑顔だとそれなりに愛想がいいのだろう。髪はセミロングだが大きな目と太い眉毛に特徴がある。このニュースのことがしばらく頭を離れず次からのニュースは全く耳に入らなかった。
 しばらくしてから我に返り、残りのバーガーを食べ、シャワーを浴びて寝ることにした。
 竹内が眠りにつこうとすると電話が鳴るというルーチンが再び起こった。竹内に安眠をさせないようとしている魔手があるかのように。

         4  11月19日、火曜日、午後10時11分

 電話は加藤千尋からだった。空想していたことが夢になり始め思考のままに制御できないような状態になった時、騒々しいベルが竹内を現実の世界にひき戻した。枕元の電話に手を伸ばし受話器を取ると同時に千尋のけたたましい声が耳をつんざいた。
———竹内さん、竹内さん、竹内さん、大変です、大変です、大変です。
「な〜に、加藤さんなの、一体どうしたの、そんなに騒いで」
———大変なんですよ、佐藤さんが亡くなったんです。
「佐藤さんが?」竹内は跳び上がり、両手で受話器を握った。
  「大阪で何かあったの?」
———大阪?違いますよ、滋賀ですよ、大津で。
「大津?じゃ、佐藤さんじゃないの?・・・・・・」竹内は思考がまとまらず一瞬沈黙したがすぐに事の真相を理解した。
「ああ、佐藤さんて、うちの寿さんじゃなくて、滋賀F社の佐藤さんかい?」
———だから、さっきからそう言っているじゃないですか。
 千尋の方も慌てているのか竹内の詰問がよく分かっていないようだ。ただ、トリオの佐藤が死んでいたら、千尋も今のような状態ではないだろう。泣きじゃくって電話などしている余裕はないはずだ。
「それで、佐藤さんが亡くなったていうのはどういうことなの?」
———詳しいことは私もよく分からないんですけど、ついさっき、滋賀の方から日野林さんに電話があって、佐藤さんが亡くなったって連絡が入ったんです。それでこっちは大騒ぎで、あっちこっち電話をかけまくったんです。会社に電話したら榊原さんがいたんで、早野部長の電話を教えてもらって部長には報告しました。どうやら加藤君が連絡したらしく部長はすでに承知してましたけど。で、史ちゃんと相談して竹内さんにも知らせようかどうか迷ったんですけど、明日仙台へ行くって言ってたでしょ。だから、今のうちに知らせておこうと思って。竹内さんならどうせ何か見ながら夜ふかししていると思ったし。
 何かは余計だ。「ところで、佐藤さんの死因は?何で亡くなったの?突然みたいだから事故なの?」
———たぶん、そうだと思うんですけど、日野林さん、何も言わなくて、ただ、亡くなっただけとしか。でも、ショックのような顔をしていましたから。
「そう、分かったよ。明日はどうするかよく分からないけど、・・・また明日連絡するよ。じゃ」
 竹内は間髪をいれず、テーブルの上のシステム手帳を取り上げ、加藤共生の宿泊場所を探した。加藤千尋は事故だと言っていたが、何か嫌な予感がしたのだ。
 加藤共生は今週は湖月ではなくレイクサイドとかいうところにいるはずだ。十二時にはなっていないが佐藤の事でもう仕事はしていないだろう。
———加藤、加藤と、ったく加藤とか佐藤とか同じような名前ばかりでややこしい。作者が実在の人物を使ったりするからだ!
 レイクサイドの番号がなかなか見つからない。どこにメモしておいたか忘れてしまった。ふと土田の電子手帳にも書いてあったことを思い出しスーツのポケットから取り出した。電子手帳のメモを開いた時、史子たちにあのメモのことをきくのをすっかり忘れていたことに気付いた。しまったと思うものの、とにかく今は加藤に連絡を取るほうが先だ。
「メモ」にあったレイクサイドの番号に電話をかけ加藤を呼び出してもらうと、相手はまだ起きていたらしくすぐに電話に出た。
「加藤君か、竹内だ。今、こっちにも連絡があって、滋賀の佐藤さんが亡くなったそうだが、本当か?」
———本当です。
 加藤のわりには張りのない声だった。
「一体何があったんだ?事故とか聞いているけど」
———実は・・・、実はですね。・・・佐藤さん・・・殺されたんです。
「・・・・・・」

         5  11月19日、火曜日、午後10時23分
 佐藤の姿を最後に見たのは犯人以外では妻だけだった。日曜日の夕方、佐藤はちょっと出ていくと言って車で出かけたきり戻らなかった。妻は夫がその夜遅くなってからも連絡がなかったので少々不安になっていた。普段なら何らかの連絡をする夫である。ひとまずその夜はそのままにしておいたが、翌朝になっても戻ってこなかったので、妻の危惧は拡大した。月曜日なので会社のほうに電話し、佐藤の上司に相談、すぐに警察の方へ捜索願を出すことになった。SFL側は一部の人間だけに真相が伝えられ、公には佐藤は欠勤扱いとなっていた。月曜日は全く進展がなかった。日野林たちも心配であったが、仕事はそのまま続けた。月曜日の朝、トリオの早野がSFLを訪ねたが佐藤がいないためにあまり話はできずしまいであった。
 そして、火曜の午後三時ごろなぎさ公園に男の変死体が流れ着き、たまたま散歩していた人に発見された。地元の守山署の署員が現場に急行、早速身元の調査が行われたが、死体のズボンの財布に免許書がありすぐに身元は判別され、それが捜索願が出されている人物と分かり、滋賀県警・大津署へ連絡がなされた。
 それからは大騒ぎとなり、家族に会社に連絡がいき、すぐに妻と会社の上司が駆けつけ身元の確認が行われた。死因は後頭部を石のような固いもので強打された跡があり、それによるショック死と判明した。その後、湖へ突き飛ばされたらしいが水はほとんど飲んでいなかったので、殴られた時にほぼ即死状態だったと思われた。現場の特定は今の段階では確定できなかったが、流れのない湖のことである、死体発見現場からはそう遠くないと推定される。死亡推定時刻は発見時点で死後二日、四十時間から五十時間とみられた。つまり、日曜の午後一時から午後十一時に犯行が行われたと推測される。
 佐藤の目撃者は妻が最後で、その後はまだ見つかっていない。ただ、夫が出かける直前、誰からか電話があったことは間違いない。佐藤が直接出たため、妻は相手が誰か分からなかったが会話の話ぶりから知人である感じはしたらしい。もちろん、男か女かは分からない。その電話の後一時間ぐらいしてから佐藤は出かけたのだ。それが午後三時である。佐藤の車は京阪レークセンターというレジャーランドの駐車場で発見された。どうやら、そこが待ち合わせ場所らしく、そこから犯人の車で現場まで行ったと推測される。
 さて、動機という面だが、まず物取りの犯行ではない。金品はすべてあり、また前述のように呼び出されているので、その方面は省かれる。怨恨の線だが、彼が誰かに恨まれているかどうかという点で、仕事がら多くの部下たちを指揮する上できついことや怒ったりもするが殺されるほどのことはしていない。もちろん、佐藤の過去についてはまだこれから調べなければならない。また、上司の話からでも客先とのトラブルが、彼らの知っている範囲では無かったようだ。現在は銀行のプロジェクトにかかりっきりであったが、スケジュールの遅れはあるもののこれといって大きなトラブルはない。ただ、現段階で土田のことは警察には知らされていなかった。警察としてもそのへんはこれからの聞き込みに期待をかけていた。
 以上が加藤が話した事件の概要だった。もちろん、加藤が全てを知っていたわけではなく、当夜のニュースで得た情報もある。
 加藤は月曜日の午後、大津に行き、佐藤がいないことに気付いたが、あまり付き合いもなかったので、そう気にしていなかった。火曜日の午後、突如SFLのオフィスが騒々しくなった。社員の動きが慌ただしくなり、誰の顔にも動揺の色がかいま見えた。さすがの加藤も事の異変に気付き、州崎に問いただしてみたところ、佐藤の事件を知ることとなった。しばらくして警察が現れ、一通りの事情聴取が行われた。加藤もいろいろきかれたが佐藤とは親しくないので通り一辺倒の質問しかなされなかった。その日は仕事が出来る状態ではなくなり、加藤も八時にはホテルに戻った。その後、早野部長に事態を説明するため電話をし、指示を仰いだ。状況が落ちつくまで取りあえず、今週は名古屋に帰ることにした。
 竹内は加藤の話を一言一言聞き入った。思わぬ事態が発生したことに動揺を隠しきれず心が騒いだ。
「それで、土田君のことは警察の方に話したの?」
———いいえ、話していません。というか、そのことは何もきかれていないので。話さなくってよかったんですよね。
「ああ、今のところはしない方がいいと思う。しかし、いずれ警察もそのことは嗅ぎつけるだろうとは思うが」
———分かりました。でも、土田さんの失踪と今度の事件とは関係があるんですか?
 加藤の声が徐々にか細くなっていく。
「さあ、そのへんは俺にも分からないが、しかし、立て続けに事件が起きては関係ないと言い切れる自信もない」
———警察に佐藤さんを恨んでいる人ときかれて、つい土田さんの顔が浮かんでしまったんですけど。
「滅多なことを言うもんじゃない!」竹内は加藤を叱咤した。
———す、すいません。
「それで、お前は明日からどうするんだ。このまま大津にいても大変だろ?」
———ええ、ですから明日は朝、顔を出してから名古屋に戻ろうかと思っているんですよ。部長もそれでいいって言っていましたから。
「仕事の方はどうなんだ?もし、できたらこっちに来て欲しいんだけどな」
———福島にですか?まあ構わないと思いますけど。仕事もどのみち大津でなきゃ出来ませんから。部長にきいてみます。
「そうか、分かったよ。夜遅く電話して悪かったな。また、何かあったら連絡してくれ。じゃ、お休み」
———いいえ、お休みなさい。
 竹内は震える手で受話器を置いた。全く思わぬ事態に事は進展している。一体何がどうなっているのか?頭が混乱するばかりだ。しかし、佐藤が殺されたということは事実として認めなければいけない。問題はその殺意が土田の失踪と関わっているかどうかということだ。さっき竹内は加藤の言葉を制止させたが、実際竹内自身も同じ考えを持ってしまっていた。二つの事件に関連があれば、土田と佐藤の結びつきがクローズアップされてくる。その前に二つの事件に関連があるのかという疑問があるが、全くこれらが別物だとも考えにくい。まだ詳しい情報はないが、こう立て続けに事件が起きては偶然という言葉では済まされないような気がする。
 そして、一番危惧されるのは失踪した土田が佐藤を・・・、という最悪のシナリオである。むろん、竹内はそんなことはありえない確信しているが、もし警察がそのことを知れば、俄然注目するはずだ。土田の佐藤に対する感情というものは決して好感を持っているとは思えない。冗談としても佐藤のことを恨んでいないとは否定できないのだ。しかし、警察はそういう人間の曖昧な感情をYES、NOとはっきり割り切って答を出そうとしてしまう。だからこそ厄介なのだ。土田が殺意を抱くほどのわだかまりが有るはずもないが、他に有力な手掛かりがなければ、警察は土田を疑うはずだ。しかも、当人は行方不明なのだから、至極怪しい人物と思われても仕方がない。
 だが、なぜ佐藤は殺されたのか?土田が消えたこととどう関係するのだ。土田を呼び出した女と佐藤とも関わりがあるのだろうか?それとも、あの謎の写真の人物がつながってくるのか?二つの事件に関連があると推測しても、佐藤が殺された理由が全く見えてこない。やはり、別の次元の話なのだろうか?
 眠れない夜が続きそうであった。

第七章へ     目次へ     HPへ戻る


このページは GeoCities です 無料ホームページ をどうぞ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください