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人事システム殺人事件 〜複雑な連鎖〜


第七章  磐梯山・仙台の足跡

         1  11月20日、水曜日、午前8時42分

 竹内は朝早く目を覚まし、と言ってもほとんど眠っていないのだが、出かける身支度をした。史子の部屋に電話をし今日は銀行に行かない、行くとしても夕方になると言い渡した。史子は少し不満げだったが、竹内は銀行に行きたくなかったのだ。行ったところでする事はないし、第一、佐藤の事件のことでまず仕事にはならないだろう。今度ばかりは銀行側に知らせないわけにもいかないはずだ。しかも、場合によっては刑事が来るかもしれない。そんな中竹内がいたら何をきかれるか、それ以上に何を答えていいのか分からないので、なるべく避けたいのだ。竹内のような現行の仕事と関係ない人物がいたら、警察はどう受け止めるか計り知れない。土田のことはまだ伏せておきたいのだ。
 そこで竹内は土田が旅した磐梯山と仙台を訪ねることにした。列車で移動するより車のほうが便利なので、ひとまずレンタカーの店へ出かけた。土田たちが磐梯山へ出かけた時に利用した駅前のレンタカーへ行ってみた。店に入ると若い男の店員が対応してくれ、レンタカーの申込みをした。車は1600ccのカローラレビンにした。土田たちは悦子が運転できるようにと彼女の愛車と同じシビックを借りたのだが、1300ccだったため山道では苦労したというのを聞いていたからだ。手続きをしている時、ついでにと店員に土田たち三人が写っている写真を見せ覚えているか尋ねてみた。その店員はじっと写真を見つめ思い出したのが嬉しいというように笑って答えた。
「この方たちならよく覚えております。一ヵ月ぐらい前でしたか、車をお借りいただいて、しかもティッシュペーパーまでいただきましたから」
「ティッシュパーパー?」
「ええ、そうです。レンタカーですのでお返しの際はガソリンを満タンにしていただくのですが、たまたまガソリンを入れたスタンドがセールをしていたらしく、ティッシュパーパー五箱とパンをいただいたそうで、まあ、御旅行の方々ですからティッシュなど持ち帰れないと仰りましてこちらの方に置いてって下さったんですよ。『わ』ナンバーなんですからね、スタンドの方も考えればいいのに・・・。お客さまはこの方々のお知り合いですか?」
「ええ、同僚ですよ。こちらの店が良かったときいたもんでね」
「そうですか。有り難うございます」
 アルバイトなのだろう、気のいい青年だった。写真を見せたことに何の疑問も抱いていない。 竹内はレンタカーの店員に磐梯山へ行くといったので、福島の地図をもらい、高速を使わなくても国道四号線で行けば早いと言われ、その通りにした。四号線はバイパス化が進み走りやすい道だ。ついついスピードも出がちになるが、晴天のもと少し肌寒いが気持ちのいい日和だった。単なるドライブならもっとよいのだが、昨日までの出来事がハンドルを少し鈍らせている。高村光太郎の「智恵子抄」の智恵子の故郷、安達町を過ぎ、二本松市を通り、本宮町に入ると右手側に安達太良山がそびえ立つのが見え始めた。
 JRの東北線と近づいたり離れたりしながら、高速の本宮インター手前で県道の越後街道に入った。今までの道とはうってかわった狭い道で目前の山々が徐々に迫ってくる。気が付くと熱海というところに出た。一瞬おやっと錯覚に陥ったが、ここは磐梯熱海というれっきとした温泉地で、伊豆の伊東氏がここを訪れたとき生誕の地に因んでつけたらしく「美人の湯」として有名なのだそうだ。川づたいにある温泉を見ながら、道は国道四九号線に変わりゆるやかな登り道となる。中山峠を越えると目の前に大きな水たまり、猪苗代湖が望め、その北側には美しく雄大でコニーデ型と呼ばれる磐梯山がそそり立っている。
 猪苗代湖は日本で四番目に大きな湖で透明度もピカ一である。ただ、今まで琵琶湖を目にしていた竹内にはそれほど大きいとは感じられなかった。また、細菌学者の野口英世の出生の地がここ猪苗代町のため、野口英世記念館の案内がちらほら見える。
 レビンは湖の畔にある駐車場に入り、一服することにした。湖は穏やかで太陽の光がさざ波をきらびかせている。弱い風が湖に小さな波を形作り、岸に単調な波音を繰り返させている。ウィンドサーフィンが湖面を走っているが、さすがにこの季節は少ないようだ。
 いつまでもここにいたいのだが、そうも言っておられないので再び車を走らせた。土田たちはこのまま四九号で会津若松まで行ったのだが竹内はそのまま裏磐梯高原へ向かった。左手に磐梯山を見ながら車は山裾を進む。磐梯山の姿が徐々に変化していった。表側の美しさとは違い、裏側の磐梯山はザックリ削られ荒々しい姿を見せてくれる。明治二十一年に噴火しすべてが吹っ飛び村一つを水没させている。明治二十一年と言えば随分昔だが、地球的規模から見ればほんの一瞬なのだろう。火口の跡が凄まじい。富士山などどこから見ても富士山なのだが、表と裏がこんなに異なる山も珍しい。
———表と裏。
 竹内はふと考えた。人間にも表と裏がある。今まで出会った人、またはまだ見ぬ女やその背後にいるかもしれない人物。それらの人々にも表と裏があるのだろうか。磐梯山のように美しさと荒々しさを持つ二面性が人間の二面性を想起させた。誰かの顔の裏には表とは全く違う顔があるのだろうか?表の優しさと裏の凶悪さの二つが。それとも土田のあの顔の裏にも何かが有るのだろうか?
 道が平になってきた。どうやら裏磐梯高原に着いたようだ。大きな湖と三百を超す沼々が散らばり、夏などはキャンプやペンションが賑やかになる。もちろん冬はスキーのメッカだ。裏磐梯での一番の名所はやはり五色沼だろう。二十ほどの沼が藻の種類によって水の色が緑や青白く見えるのだ。遊歩道もあり一時間ほどで見て回れる。土田たちも年甲斐もなく歩き回ったそうだが、竹内にはそんな根性はなかった。
 五色沼の手前に蛇平ペンション村の看板があり農道のような道を進んだ。カラフルで清楚なペンションが右に左に現れる。そんな中、まだ出来て間もない感じのペンションが見えてきた。木造の白い小屋風の建物で、いかにも女性が好みそうなペンションだ。そういえば、悦子と史子が二人一緒にこの前で笑っている写真があった。駐車場にはホテルの車で「プチホテル蛇平」と書かれたライトバンだけが置かれている。
 竹内は車を降り玄関を開けた。リンリンとドアについている鈴が鳴り、そこは小さなフロントになっていた。スーツ姿がセールスマンのようで場違いな感じがするが仕方がない。初老の女性が奥から現れ「いらっしゃいませ」と一言言った。白いセーターを来た愛想のいいおばさんだった。竹内の姿を見て、やはりセールスマンとでも思ったのか「何方様ですか?なんの御用でしょうか?」と質問してきた。
「ええ、少々うかがいたいことがありまして、来たんですが」
「はあ、何でしょう?」要領を得ない顔をした。
「一ヵ月ほど前に、この人たちがここに泊まったと思うんですけど・・・」竹内は写真を見せながらそう話した。「覚えていらっしゃいますか?こちらの御主人さんは以前先生だったそうで、その教え子さんの中に銀行に勤めている方がいらっしゃって、その方にこちらを紹介してもらったはずなんですけれど」
「はいはい、覚えていますよ。あの時の方々ですね。斉藤さんから御連絡があった。愛嬌のある女性たちだったと覚えていますわ」
「そうですか、それなら彼らがこちらに泊まった日、もう一組お客さんがいたと思うんですけれど、覚えていらっしゃいますか?」
「はあ?」婦人は少し警戒するような態度になった。「あの失礼ですけど、あなた様はどうゆう方で?」
「あっ、ええ・・・」竹内は言葉に窮した。しかし、この場合素直に本当のことを言った方がいいような気がしたので事情を説明することにした。
「実はですね、さっきの写真の三人の内の一人、男なんですけど、彼が行方不明になったんですよ。それであちこちに手掛かりを探すうちにこちらに泊まった時の様子が変だったということをきいたもので、それでその日のことを調べにきたんです。申し遅れましたが、私か彼の同僚で竹内といいます」
「そうだったんですか。それはご苦労さまです。それでしたら少し調べてみましょう。本当はこういうことはいけないんですけど、事情が事情ですから」
「申し訳ありません」
 婦人はフロントの机の引き出しから宿帳を取り出しパラパラとめくった。少し視力が悪いのか細めで指を指しながら探している。
「一ヵ月前と言うと十月の終わりごろですね」
「はい、十九日の土曜日のはずですが」
「ああ、ありました。泊まられた方は山田様という方ですね」
「そうです、そうです。で、その日の別のお客さんは?」
「ええ、もう一人見えましたね。お名前は大山実様ですか」
「女性の方もいたと思うんですけど?」
「はい、他一人となっていますから、お名前は分かりません」
「住所とか、教えてもらえますか?」
「住所ですか、それはちょっと。おやっ、この住所おかしいわね、こんな所あったかしら?」
「どうしました?」
「いえね、私はずっと福島の方に住んでいましたから、福島の町名はだいたい分かっているんですけど、こちらの方の住所には覚えがないんです。福島の小森というのは。たぶん、この記載にはうちの主人が見ていたんでしょ、主人は福島に詳しくありませんから」
「そうなんですか。それってもしかしたら、偽の住所じゃないんですかね。そうすると名前も電話番号も。そのお客さんってどういう人でしたか?」
「はあ、あまり覚えていませんね。山田様たちの方は斉藤さんの御紹介ということもあって印象があったんですけど、こちらの方々はね。男の方は三十半ばぐらいでしたかね、女性の方はもう少し若かった気がしますけど」
「そうそう、この写真を見てください」竹内は謎の男女が写っている写真を見せた。「この人たちじゃないですか?」
「さあ、男の方はよく顔が見えないので何とも言えませんね。女性の方も似ているような気がしますけど、あまりハッキリとは」
「そうですか」竹内は落胆の表情を浮かべた。
「この方たちがいなくなった方と関係がありますの?」
「いえ、それはまだ分からないんですが。この大山さんは以前からここを予約していたのですか?」
「いいえ、以前からの予約ではないです。宿帳を見ますと、その日の昼ぐらいに電話で空いているか連絡があったようです」
「旅行案内か雑誌でも見たのですかね?」
「それはないと思います。ここは今年の夏に出来たばかりで、まだあまり広告類は出していません。昔からのお知り合いの方に連絡した程度で、今年の冬からは本格的に予約を取れる体制のつもりなんです」
「じゃ、そういう人の口コミでここを知ったと言うことになるんですか?」
「たぶう、そうだと思います」
 竹内は少し押し黙って考えた。「他にこの人たちのことで、何か気付いたことは有りませんかね?」
「そうですね。さっきも言いましたようにあまり印象に残っていないので、なんとも。逆に印象に残らないようにしていたのかしら?目立たないように。変な言い方ですけど、不釣り合いのカップルかもしれませんね、ふっふっふ」婦人は意味深い笑いをした。
「いろいろ有り難うございました。これで失礼します」
「そうですか、たいしてお役にたちませんで。これから、どちらへ?」
「吾妻小富士へ行こうと思っているんですけど、どう行けばいいんですか?」
「小富士なら、ここを県道まで戻って少し西へ行くとレークラインという有料道路がありますから、そこを回ってスカイラインに行けばすぐですよ」
「有り難うございました」
「いいえ、その方、早く見つかることを願っています」

         2  11月20日、水曜日、午前11時57分

 竹内はペンションの婦人に教わったとおりに車を進め、レークラインに入った。小野川湖を眺めながら紅葉も終わり始めた深森の中をくぐっていく。後方には磐梯山がバックミラー越しに見えるが、じっと眺める余裕はドライバーにはない。尾根を走ると檜原湖が遠くに望め、秋元湖が徐々に近づいてくる。裏磐梯の眺望が堪能でき、千円近くの高い通行料も満足できる。中津川と呼ばれる渓谷を超すころ、紅葉の素晴らしさが全開となってくる。秋元湖が間近になり白鳥らしき白い鳥が湖面に見える。秋元湖を過ぎると再び紅葉の山を走り抜け、国道一一五号線に入り土湯峠に達する。ここからは磐梯山吾妻スカイラインに乗った。標高は千メートル以上の高地を走るワインディングロードで通行料も千五百円とちと高い。さすがに火山の近くとあって付近には数多くの温泉がある。土湯峠からは徐々に登っていくと先ほどの三湖や猪苗代湖、安達太良山系まで見渡せる。急カーブの続くワインディングを登り詰めていくとすでにこの辺りは紅葉も終わり、積雪の跡もちらほらと見えてきた。尾根に登りきったのか比較的平らな地形に出ると徐々に木々が無くなり荒涼とした荒れ地に変わっていった。前方にこんもりした土山が現れた。確かに富士山のような山らしい形の山である。まあ、富士の形に似ている何とか富士と言う山は各地に沢山ある。それほど、富士というのは山の中の山なのだろうか。大きな駐車場が前方に見えてきた。浄土平という休憩所で平日のわりには人出が多く観光バスも止まっている。冬になれば雪のためこの道は閉鎖されるので最後の観光に集っているらしい。竹内も無料の駐車場に車を止め、山まで歩くことにした。
 浄土平から十分ほど歩くと火口壁に登ることが出来る。登りにくい階段を登り詰めると巨大なすり鉢が眼下に広がった。火口の底には湯気のようなものが沸き上がっている。まだ活火山なのだ。火口壁の反対側にも人がいるのが見える。火口の縁を一周することができ、向こう側まで行けば福島や蔵王まで望めるそうなのだが、竹内には時間と気力がなかった。竹内は本来の目的に立ち戻りあの写真に写っていた場所を探した。土田たちが写っていた場所はすぐに分かった。今いる辺りで撮ったものらしく、現に多くの観光客が写真を撮っており、竹内も三人連れの女性グループに頼まれて使い捨てカメラで写してあげた。どうもスーツ姿が周りの人々とは不釣り合いで、団体客の添乗員みたいになっている。
 山を降り平地にたどり着く手前であの男女が写っている場所が分かった。背景がほぼ一致したからだ。大川と思われる人物はやはりここに来ていて、土田がその男と彼に付いてきた女を撮ったのだ。しかし、それがはっきりしたところで何も進展しないことに気付き、竹内は車に飛び乗った。
 再びスカイラインを走り、道は下りのヘアピンとなる。木々も再び覆い茂り始め、高原のような感じが漂った。料金所を過ぎると谷間の道が切り開かれ田園地帯へと導いていく。まわりは果樹園ばかりでところどころに果物を売る店が軒を並べ、採れたてのフルーツを売っていた。今の時期は当然リンゴばかりである。
 フルーツラインという県道に入り福島の市街へ。福島西インターから東北自動車道に乗った。時刻はすでに正午を回っている。サービスエリアで昼食をとってから、一気に仙台まで走り急いだ。

         3  11月20日、水曜日、午後2時36分

 宮城県を知らなくても仙台を知らない人はいないであろう。東北地方最大の町で、杜の都、そして、独眼竜こと伊達政宗の六十二万石の城下町である。佐藤宗幸の青葉城恋唄でも知られる青葉山公園、その山裾を静かに流れる広瀬川、伊達家ゆかりの史跡があり、まさに観光と歴史の町である。
 レビンは東北自動車道・仙台宮城インターチェンジを降り、青葉山を貫く仙台西道路を通って市内に入った。駅の近くのパーキングにひとまず車を止め、土田が泊まった宿・竹中別館を探すことにした。
 一番町通りと呼ばれる繁華街に足を踏み入れ、本屋を探した。この繁華街、平日の昼間だというのに人通りが激しい。名古屋の大須や大曽根のようなさびれた感じが全くない。こざっぱりして、活気がある。それにゴミなども一切落ちていないクリーンな通りだ。やっと本屋を見つけ地図売場へ。竹中別館の住所は土田が泊まったときの領収書で分かっているので、市内の地図から探し当てた。運よくこの近くらしく十分も歩けば行けそうなので、車は置いたまま歩いていくことにした。
 仙台にもトリオの営業所があっが知っている人間がいないので寄るのはやめておいた。もちろん、昔は同期の男が一人いたのだが、最初の研修のとき「あいつはすぐに辞めるだろう」と皆に思われていて、その下馬評通り一番に辞めてしまった。顔はもちろん名前さえももう覚えていない。
 仙台の中心は比較的碁盤の目のように整備されていて歩きやすいが、宿の近くは少々分かりづらかった。電柱に看板があるのを見つけ、その矢印の指示で見つけることが出来た。ホテルというよりは旅館といった感じで新しさは全くない。修学旅行で泊まるようなところだ。
 フロントに顔を出すと、そこには四十ぐらいのおばさんが伝票を整理していた。
「いらっしゃいませ、申し訳ありませんが、まだ、チェックインの時間ではないんですけっどど」おばさんは顔をのぞかせた。
「いいえ、泊まりにきたわけではなく、尋ねたいことがあったもので」
「はあ、そうですっか、で何を?」
「二週間前の十一月二日に、こちらへ泊まった人のことをききたいんですけど、分かりますか?」
「そりゃ、分かりますけど。何でまた、あんたさんはどなたですの?」
 竹内はここでも正直に話すことにした。東北の人は親切なので無理に嘘をつく必要はないと気付いたからだ。
「私の同僚がですね、今行方不明になっているんですよ。それで、二週間前にこちらに泊まったことを突き止めたので、何か手掛かりがないかと思いましてね」
「そうなんですか。それじゃちょっと待って下さい」おばさんは奥へ行き宿泊名簿らしきものを持ってきた。
「その方のお名前は何とおっしゃいますか?」
「土田です、土田道幸。道路の道に幸せです」
 おばさんは名簿をめくっていき、あるところで指を止めた。
「ありました。ありました。土田道幸さん、名古屋からみえたかたですね」名古屋の言い方が妙に訛っている。
「彼は一人でここへ来たのですか?」
「そうでっす。お一人様です。仙台駅のJTBさんからの御紹介ですね。車で見えてます」
「そうですか。何か彼のことについて覚えていることはありませんか?」
「さあ、私のほうはさっぱり記憶にないんですけど。なんなら、その時の係の者、連れてきましょうか?」
「ええ、ぜひお願いします」
 おばさんは再び奥に引っ込み、しばらくするとさっきのおばさんよりは若い女中が現れた。
「何っか、わたっしに御用ですっか」ひどい訛りの女性だ。
「あの十一月二日に、確か土曜日だと思うんですけど、名古屋から来た一人客の男について尋ねたいんです。土田というんですが、この男なんです」竹内は土田が写っている写真を差し出した。
「ええ、この人なら覚えていまっす。この時期には珍しく一人客の方でしたからね」
「それはよかった。彼はここへ何しに来たんでしょうか?」
「さあ、観光じゃないんですっか、車でみえてたし、確か名古屋だとか仰っていましたっね」 竹内は軽くうなずいた。
「翌日は松島に行くとか言ってましたしね」
「そうですか、観光ですか・・・・・・」
「そういえば、中山はどこかって、きかれましたけっど」
「中山?そんなところがあるんですか?」
「ええ、青葉区のほうにありますけど、あそこに見るものは何もないっし、観光地でなくただの住宅地ですっから」
「住宅地?何でそんなところへ行ったんでしょうか?」
「さあ、そこまではおっしゃりませんでしたっけど。そんで、JRの仙山線で北山ってところで降りれば近いって説明したんですけどね。車で行くとちょっとややこやしとこですから」
 結局、土田は車で行ったのかJRで行ったのかは分からないが、中山という町を訪ねたようだった。それ以上のことは分からなかった。礼を述べて竹中別館をあとにし、中山へ行ってみることにした。

         4  11月20日、水曜日、午後3時36分

 駐車場に戻る前にまた本屋を探した。途中、赤い看板の北邦銀行が目に入った。当然仙台市なのだからあって当たり前だ。よく見るとこの界隈銀行だらけである。よく目にする大手の銀行や全国展開の都市銀行、特に東方地方しかないようなローカルなものが目立ち、意味の分からない数字の銀行がある。銀行は元々出来た順に数字で呼ばれていた。その名残が今も残っている銀行があるのだ。すなわち、第一勧銀と言うのは銀行の中でも最初に出来たもので、第二歓銀などない。だから宝くじを独占販売しているのだ(そんなわけないか)。そういえば、トリオの斜め前には第三銀行がある。数年前、銀行の制度(自由化の促進)が変わり、地方銀行(相互銀行)が一斉に名称を変えた。たいていはその町や都市の名前にしたのだが、中には「幸福」や「トマト」というものまで登場しているのだから、銀行も名前を売る時代になったようだ。こんなに多くの銀行がよく経営していけるものだなとう思いがする。最近は銀行の合併も多い。MTSの話が検討中だったK銀行もそうだが、今後もまだまだ続くのだろうか。金融の自由化が叫ばれる昨今、これからの銀行はどうなるのだろう?政治や暴力団とからんだ不正融資、不良債券の増加、バブル経済のツケがそろそろ見え始めてきた。今こそ、銀行のあり方を考え直さなければ行けない時期ではないのだろうか。
 結局さっきの本屋まで戻り、仙台市の区分地図で青葉区を探し、中山という地名を見つけた。駅からは少し離れていて、道もややこしそうだったが、何とか頭にたたき込んで車で出かけることにした。
 慣れない街中を案内掲示板を気にしながら進んだが、中山という区画した町名などの案内はほとんどない。JR仙山線を越えることを目標にし、どうにか青葉区に入ったらしい。そこからはところどころで歩いている人に道を尋ねながらなんとか中山という区域に辿り着いた。
 旅館のおばさんが言っていたように明らかにここは住宅街であった。整備された区画に立ち並ぶ住宅や、まだ新しいコーポがある。大都会に比べれば、まだまだ土地が安いのだろう、どの家も敷地が広く車を二台も入れられる駐車スペースがざらである。反対側には高層マンションも連立し、学校やスーパーマーケットも立ち並ぶ。名古屋で言えば名東区や天白区、または知多半島の内陸部のようなところだ。町の開発というものは少しずつ郊外に広がっているのだ。
 土田が何しにここへ来たのか?旅館のおばさんも言っていたように、当然観光とは思えない。それならば、考えられるのはただ一つ、誰かを訪ねてきたとしか考えられていない。しかし、誰を訪ねたのかわかるはずもなかった。住宅やマンションが立ち並ぶこの町にどれだけの世帯があるのだろうか、見当もつかない。しかも、中山という町名は一丁目から九丁目まであり、全部を探しまくることは不可能だ。
 竹内はひとまず、スーパーの駐車場に車を止め、歩き回ることにした。と言っても、どこへ行けばいいのか当てがあるはずもなく、闇雲に巡っていった。途中、道歩く人に土田の写真を見せて訪ねたが、反応が全くなく、きくのも億劫になってきた。「中山町」という手掛かりだけではどうすることも出来ない。
 時間も遅くなりはじめた。レンタルのリミットもあるのであきらめて車に戻ろうと思いスーパーに向け狭い路地に入った。その時、ふとある家が目に入った。何の変哲もない白い二階建ての家で、三ナンバーの車と軽自動車が車庫に止まっている。だが、家の前には別の黒っぽい車が一台止まっており、今まさに男が二人玄関からの短い階段を降りて、車に乗ろうとしていた。その二人の男は濃いグレーのスーツを着ていたが、見るからにセールスマンとは思えない。目付きが鋭いのだ。今もきりっとした眼光を周りに光らせている感じがする。やくざか何かかと思ったが、よく考えてみると刑事かもしれないと閃いた。竹内は知り合いの刑事に会うために、たまに警察署へ行くことがあるのだが、そこで見かける人たちに似通っているものがあるのだ。何しに来たのだろうかと少し気になってしまい、歩調を緩めた。
 門構えの表札には「深谷」と刻まれている。車に乗ろうとした男の一人がちらりとこちらの方を見たため、竹内は慌てて視線を逸らした。竹内が道の角まで辿り着くと、車がすぐ脇を通り抜けていった。ちらりと中の一人が後ろを振り返ったものの、ただそれだけの事だった。刑事がこの中山にいたとして、(あれが刑事だとして)土田の失踪と関連があるはずもない。ただの偶然なのだ。
 遠く仙台までやって来たのだが、成果があったのかないのかよく分からない状態になってしまった。土田が仙台の中山町という住宅街まで来た(本当に来たのかさえ明確でないのに)目的が分からない以上どうにもならない。車に乗り込み帰路を急いだ。レンタルの時間も迫ってきたし、福島のこと、特に佐藤殺害事件のことが気になって仕方がなかったからだ。

         5  11月20日、水曜日、午後5時29分

 東北自動車道を再び福島に向けて走らせた。日の入りの時刻が過ぎ、前方には落陽が雲を赤く染め、後方には夕闇が迫りつつある。福島飯坂インターチェンジで降りて国道十三号線で市街地へ入った。駅の近くまで行き返却時のガソリンを給油することにし、セールをしていないスタンドを探した。レビンを返してから、駅前のルミネに立ち寄り、また本売場を探した。蛇平に泊まった大山という男の住所を探したが、やはり小森という所は福島市内にはない。続いて、ペンションのおばさんが宿帳を見ている隙に暗記した大山の電話番号をかけてみたが、案の定「この電話番号は現在使われておりません」というメッセージが返されるだけだった。電話帳にも福島市には「大山実」という人物は見当たらない。やはり偽名、偽住所だった。なぜ、偽名などを使ったのだろうか?後ろめたいことがあるのか?連れの女性との関係というものが大きなポイントとなる。ペンションのおばさんが行っていたように、ただならぬ関係なのか?そして、それが土田との、しかも彼が写真に撮ってしまうほどの関連とは何なのだろう?
 ひとまず、北邦銀行に行ってみることにした。表はすでにシャッターが下りているので、いつも使う裏口からF社ですと守衛に断って入った。七階の部屋は閑散としていた。日野林の姿はなく松田とトリオの二人だけが黙々と仕事をしているだけで、笹久間も福谷もいない。史子たちは竹内を見つけるとホッとしたような笑顔をした。
「やあ、ただいま、どうだった」
「ああ、竹内さん、お帰りなさい」千尋が元気なさそうに答えた。
「大変でしたよ、仕事は全く手に付かないし、どたばたしどうしで」
「日野林さんは?」
「大津に帰られましたよ。野田さんと一緒に」
「そう。それで警察は来たの?」
「ええ、昼過ぎに来て、私たちにもいろいろきいてきましたけど、何も話すことはなくて」やはり、来たのか、いなくてよかったかもしれない。
「土田君のことは言ってないよね」
「もちです。史ちゃんから念を押されてましたから」竹内は朝、史子に電話した時、いろいろ言っておいたのだ。
「それで、竹内さんの方はどうでしたか?何か分かりましたか?」
「んー、新しい事実は見つけたけど、それ以上に謎が増えたっていう感じかな」竹内は今日の出来事をかいつまんで話した。マシンを操作していた松田もいつの間にか加わり三人の女性は竹内の話に熱心な耳を傾けた。
「あの問題の写真の男は、たぶん大山実という人物だと思われるんだけど、誰か知っている?ただ、大山というのは偽名のようだから、無理だと思うけど」
 三人ともかぶりを振るだけだった。
「じゃ、土田君が仙台へ行ったのは中山というところへ行くのが目的だったようなんだけど、その中山も耳にしてないかな?」
 再び三人とも首を横に振るだけだった。
「お手上げだな。一つ何か分かるたびに一つ、いやそれ以上に謎が増えるのでは、思考の限界だよ」
「それじゃ、ひとまず腹ごしらえしましょうか。腹が減っては戦じゃなくて、頭も働きませんから。私たちもろくに昼食は取っていないんでもうペコペコになってるんですよ」松田がそう言うと、千尋と史子も激しく首を縦に振った。
 竹内も一通り話したので夕食に行くことにした。こんな時は何か美味しいものでも食べて気を晴らさなければやっていられない。
 千尋が席を立った時、彼女が見ていた帳票のリストが目に入った。特に頭の部分の数字が気になったのだが、史子に行きますよと急かされ、何か後ろ髪を引かれる思いで部屋を出ていった。 今晩は中華料理屋に行くことにした。「王芳」という雑居ビルの一階にある小さな店で、中はきれいだがテーブルも少なかった。女性陣はラーメンを注文し竹内はチャーハンを頼んだ。店のおばさんが竹内を見ると声をかけてきた。
 「見かけないお客さんですね。新しい方?」と松田に尋ねた。どうやら、馴染みの店らしい。まあ、半年も福島に来ているのだかよく行く店なら顔ぐらいは覚えられても不思議ではない。
「いつもの男の方、最近見えないけど帰られたの?」ときいてきた。土田の事も知っているようだが、もうしばらくしたらまた来ますよと曖昧な返事をしておいた。
 食事中もあまり会話はなされなかった。土田の失踪に続いて佐藤の殺人、いやなことばかり続き四人の心情も晴れ晴れしいはずもない。竹内は今日の出来事を整理してみたが、結局何も回答は出なかった。ただ、複雑なだけなのだ。今までにない複雑さで、パズルのピースが数倍にも増えた気がする。どこからパズルを埋めていっていいか分からない。多くの謎という断片のピースは出来上がっているものの、それを繋げていく重要なキーパズルが見つからない。いや見つかっているのだ、キーパズルは土田そのもののはずだ。だが、その土田というキーパズルでさえもが置く場所はもろか紛失してしまったかのように見当たらないのだ。
 食事を終え外に出ると白いものが舞っていた。雪だ。積もりそうではなかったが、大きな白い粒が一様にばらまかれている。夜空の闇から降りてくる白い雪。それが闇の中からの光であることを願わずにはいられなかった。

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