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人事システム殺人事件 〜複雑な連鎖〜
第八章 復讐するは我にあり
1 11月20日、水曜日、午後7時16分
北邦銀行へ戻る途中、史子に伊藤と加藤共生から電話があったと伝えられ、銀行について早速本社に電話を入れ、まず加藤を呼び出してもらった。加藤は今日、名古屋に戻ってきていて、まだ会社にいた。
「加藤君か?」
———あっ、竹内さん、今帰ろうとしていたとこなんですよ。昼に戻ってきて電話をしたんですけどいないって言われたんでどうしようかと思っていたんですよ。
「悪い、悪い。で、大津の状況はどうなっている?」
———それが、まいりましたよ。最悪ですよ。
「最悪!一体何が?」
———それがですね、土田さんのことが警察にばれちゃったみたいなんですよ。僕もいろいろきかれましたし。
「何だって、どうしてなんだ。誰かがリークしたのか?」
———リーク?ええ、誰か分かりませんけど、たぶん滋賀の人が話したんでしょう。
「警察は土田君のことを疑っているのか?」
———みたいですよ。聞いたところによると、佐藤さんが発見されたなぎさ公園というのがですね、この仕事を開始する直前にMTSの研修を行ったホテル、確か「ラフォーレ」とかいいましたっけ、そこの近くなんですよ。当然、土田さんもその研修に参加しているので、その場所のことは知っているはずだとか言ってましたよ。
「そりゃ、まずいな」今の段階で土田のことが警察に知られたのでは操作の方向性が偏りかねない。
「で、他に何か進展は?」
———いえ、その他は全く。僕が知っている限り新しいことはありません。
「そうか。それで、加藤君は明日こっちへ来れるのか?」
———はい、行きます。部長の許可も取りましたから。明日の昼にはそっちへ。
「わかった。待っているよ。悪いが伊藤君に替わってくれ」
———はい、ちょっと待ってください。
電話機から保留音が流れ、しばらくするとだらだらした声が聞こえてきた。
———何だ、竹内さんどこへ行っていたんだよ。人に助手の役、やらせといて。
「すまん、すまん。いろいろ忙しいもんでな。それで、山田さんの方の話はきけたの?」
———ああ、一様きいといたよ。
「で、何て言っていた?」
———何も、何も気付いたことはないって。
「何もってさ、ちゃんときいたのか?それから写真も、磐梯山のことで何か言っていなかったのか?」
———だから、たいしたことは何もないって。写真もみせたけど、分からないって。
あらら、竹内は呆れ返ってしまった。同じ旅行に出かけた史子があれだけ気付いているのに、悦子は何も感じていないなんて。よっぽど悦子が鈍感なのかと思ってしまった。それとも伊藤の方がとろくさくてきき方が悪かったのだろうか。皆同じB型なのによくもここまで違うものだなと思わざるをえない。やはり、伊藤に託したのは失敗だったのだろうか。
———あっ、それとさ、竹内さんからもらったメモ、無くしちゃってさ、そのこときけなかったんだけど、もう一度教えてよ、またきいとくからさ。
「メモ?」その言葉が竹内の脳髄を貫いた。土田の電子手帳の「メモ」のことをすっかり忘れていた。そして、そのメモのうち、数字の部分が脳裏に浮かび上がり、電気のショックのようなものが全身に走った。
———今、あの数字をどこかで見た。どこだ?そう、そうだ、さっき加藤千尋が見ていたリストだ。
竹内は小刻みに震えだし「伊藤、また後で電話をするから、じゃ」と言って唐突に受話器を切り、千尋のいるデスクに跳んだ。
「加藤さん、このリストの頭に書かれている数字はなんだい?」
竹内は千尋がチェックしていた帳票を取り上げ左側の数字を指さした。帳票には一行ごとに数字や名前、役職名、部課名などが印刷されている。ここの銀行の名簿のようなものだった。血相をかえて来た竹内に千尋は少し身を引いて答えた。
「こっ、これですか?これは職員番号ですけど。つまり、ここの銀行の人それぞれに付いている番号です。全部で六桁あって頭の二桁が入社年の西暦、後ろの四桁が通しの番号なんですが、最後の一桁が奇数だと男性、偶数だと女性になるんです」
竹内は土田の電子手帳を取り出し、シークレットの「メモ」を開いた。そして、問題の数字が三つ並んでいる部分を表示した。
「この数字なんだけど、もしかして、今言った職員番号に当てはまらない?」
「これですか?」千尋は手帳を覗き込んで言った。「そうですね、北邦銀行の職員番号かもしれませんね。幸徳の方も行員番号とかいって同じものがあるんですけど、あっちは入社年が和暦ですから」今見ている数字の頭二桁は、80、90、85なのでこれらは西暦なのだろう。
「そうか。それって確かめられないのかな?無理だよね」
「出来ますよ」千尋は当たり前じゃんという表情を見せた。「今やりましょか?」
「本当できるの?すぐやってよ」
「いいですよ」
千尋はデスクを離れ端末があるテーブルへ行き、空いているマシンの前に座った。
マシンのディスプレイには「テスト用環境」、「本番用環境」というメニューが表示されている。カラーディスプレイなので鮮やかな原色で表されていた。千尋はマウスを取り上げると画面上の矢印を「本番用環境」のところへ移動させマウスの左側のボタンを押した。画面が一瞬消えたかと思うと、「しばらくお待ちください」というメッセージが現れた。
「本番の環境なんか使っちゃっていいの?」
「大丈夫ですよ。中身を見るだけでデータなんかを操作しませんから」
竹内には千尋が何をやっているのかさっぱり分からなかった。
「お待ちください」のメッセージが消えパスワードの入力画面に変わった。千尋は手際よくテンキーを押した。
ここの人事部の職員は各々パスワードを所持している。その人の権限により操作できるプログラムと出来ないのがあるし、誰が操作したか履歴に残すために必要なのだ。F社関係の作業員はいつでも作業できるように特別のパスワードを皆教えられていた。
パスワードを入力すると再び画面がカラフルなメニューの画面に変わった。異動とか研修、検索など十六種類の項目が表示されている。その中から彼女は個人照会という項目をマウスで選択した。
「これはここの職員さんの情報をすべて見ることが出来るんです。名前や住所はもちろん、今までの係歴とかどこの支店にいたとか」千尋は説明しながらも手のほうはかろやかにマウスを動かしている。画面の上の枠に「個人照会」と文字が表示されると、枠で区切られた大きな画面の上に小さな画面が現れた。「氏名による選択」、「職員番号による選択」、「店舗による選択」という三つの項目が現れる。マウスを「職員番号による選択」に合わせるとその下の下線が引かれている部分にカーソルが現れた。
「ここに番号を入力すればさっきのが分かりますよ。じゃ、ちなみに最初の“800121”を入力してみましょうか」
千尋が数字を入力すると小さな画面が消え、その下の枠で区切られた画面に文字が現れた。
「ありましたよ。この番号の人がいますね」
画面には氏名や住所、年齢等、個人の情報が表示されている。
竹内はまず名前を見た。
———“小川誠”
見たことがない名前だ。しかし、この名前に何か引っ掛かるものがあった。年齢は三十三となっている。職員番号の頭二桁が80なので大卒とすればだいたい合っている。
この人物が一体どうしたのだろうか。なぜ土田の手帳に記されているのか。たまたま番号が合っただけなのか?
が、竹内は画面の住所を見て頭に引っ掛かっていた箍がはずれたような気がした。
“福島市大森町———”
「大森」には記憶はないが「小森」という言葉が浮かび上がってきた。蛇平のペンションできいた正体不明の男の住所だ。「小森」と「大森」。対になっていてどうも胡散臭い。そして、もう一度名前を見てある確信を得た。この男があの男なのだ。ペンションの男の名は「大山実」。「大」と「山」を逆にすれば「小」と「川」になる。「実」はこの小川誠の「誠」を見ると「誠実」という言葉になる。つまり「小川誠」=「大山実」。見事に対を成した名前で住所の「小森」も含めると間違いなく偽名を使ったということが考えられる。
「どうです、何かありますか?」
「ああ、ちょっとね。ん、でも名前だけじゃね。顔でも分かりゃいいんだけど」
「分かりますよ、顔写真も登録してありますから」
「えっ、すごいね」竹内はただ感銘するばかりだ。
「まっかせて下さい」千尋は画面の一番上の外枠に表示されている「イメージ」というところに矢印を移動させ、マウスの左ボタンを押すと「イメージ」の下に「顔写真」、「住所」、「メモ」という文字が縦に三つ並んで表示された。ボタンを押したまま矢印を下げると、「顔写真」の文字が反転し、そこで左ボタンから指を離した。
一・二秒画面が静止した後、右上半分に写真が表示された。モノクロの写真だがかなり鮮明に写し出され顔がはっきり分かる。小川誠という男、いかにも銀行員らしく、きちっと分けた髪形で細おもての顔立ちが引き締まっている。年より多少老けている感じだが、まだこれからという意気込みが目の渋みから分かる。しかし、この顔が土田が撮った吾妻小富士の男女の写真の男とは判別しにくい。なにせ、写真の男の顔はあまり明確に写っていないので写真だけで見比べると同一人物とは確認できない。
「この人がどうかしましたか?」千尋は竹内の顔を見つめて尋ねた。竹内の視線はディスプレイに釘付けのようで、千尋が質問しても凝固したように微動だしない。
「いや、まだよく分からない」竹内は次の番号が気になり、「じゃ、次のを頼むよ」といって姿勢を椅子の背もたれに戻した。
再び千尋はマウスを手際よく操作し、さっきの職員番号入力の画面まで戻した。今度は“902384”を入力した。
今度も職員番号がデータと合致したらしく、しばらくしてデータが表示された。女性のプロフィールだ。名前は「深谷夏美」。竹内は「深谷」とういう名字を見てドキリと鼓動が鳴った。そして、本籍地を見てその鼓動は更に高まった。住所は福島市でどうやらここの銀行の寮であったが、本籍地は「宮城県仙台市青葉区中山二丁目———」となっていたからだ。今日仙台でうろうろした時、目にとまったあの家の所在地だ。一体全体どうなっているんだ。あの家には刑事らしき人物が出入りしていた。すでに、警察が今回のことで動いているのだろうか?
「顔写真を出して」竹内は千尋に催促すると、画面に深谷の顔が表示された。なかば期待していたものだったが、そのとおりの事実が驚かせた。吾妻小富士の女の顔なのだ。写真の女は全身が写っていて顔は小さくしか見れなかったが、このモノクロの顔写真と同じであることは間違いない。ついに女を見つけたという喜びよりも、驚きと何故という思いが頭の中を駆けめぐっっている。
千尋もこの女の顔に気付いたのか「これって、これって、これって、あの女の人じゃないですか?」と言葉をもらしたが、竹内は縦に何度も首を振るだけだった。 さて、残るもう一つの番号は何なのか、ひとまずそれが気にかかり、いろいろ考えるよりもそちらを先に進めることにした。
「取りあえず、最後の番号を入力して」
千尋は操作をして“851296”を入力した。今度も女性で名前は「星野美和」やはり名前にも住所にも記憶はなかった。そこで顔写真を表示してもらったが、心臓の高鳴りは最高潮に達し、思わず椅子を押して立ってしまった。
「どうかしました?」竹内が茫然自失の状態なので、千尋は横に立つ竹内を見上げた。
「ああ・・・・・・、この人もういないはずなんだけど」
「いないっていうことは辞めたということですか?でもまだ、ここにあるっていうことは退職の処理が成されてないんですね。でも、何で竹内さんが辞めたなんて知ってるんですか?」
「いないって言うのはね、つまり・・・この人、ちょっと前に死んだんだ。殺されたんだよ」
昨日、テレビのニュースで見た、一ヵ月ほど前に殺された女性だったのだ。今度は千尋の方が茫然としてしまった。
2 11月20日、水曜日、午後7時35分
土田が磐梯山で会った男と女、小川誠と深谷夏美がここで登場したのはある程度納得できる。しかし、星野という殺された女が出てきたのは全くの予想外であった。三人とも北邦銀行の行員である。土田がどこかで見たか、出会ったかとしても不思議ではないが、どう土田と関わっているのかが分からない。ペンションで二人を見つけ銀行で見かけた人たちだと思ったのだろうか。しかし、ただそれだけで写真までは撮らないだろう。星野が殺害されたことが重要な鍵なのか。気になるのは女が二人とも融資課という部署にいることだった。なにやら金がからんでいて胡散臭さがのぞけたが、それ以上のことは分からない。そして、今回の失踪との関わりはもっと分からない。
竹内が三人の個人照会のハードコピーを見て考えている時、千尋は土田の電子手帳をいじくっていた。
「竹内さん、これってプログラムじゃないんですか?」
「なにー、どれどれ」
「これですよ」千尋は「メモ」に表示されている三人の職員番号の上にある英数字“JNJCJ13S”を指した。
「これがプログラムなの?」
「そうです。ここのシステムは全部統一されたネーミングがされていて、“JNJ”というのは全てに共通で、次の“C”の部分は何のシステムかの識別です。異動ならNだし、研修ならF、これはCだから共通のプログラムですね。共通のプログラムというのはどのシステムでも使う汎用的なプログラムです。次の“J”がプログラムの種類で、YPSならY、COBOLならC、JはCLです。次の数字は通し番号で最後の“S”はバッチか画面かという区分だったと思います。だから、これは共通のCLだと思いますけど」
「なぜ、そんなものを手帳に入れておいたのかな?」
「何か覚えておくためでしょ」
「しかし、シークレットの部分に入れているってことは、他の人に見せたくないっていうことだと思うんだけど。もしこれがここのプログラムの一つならここにあるのかな?」
「幸徳のプログラムかもしれませんよ」
「とにかく一度探してみてよ。何か分かるかもしれない」
「分かりました。私、あんまり詳しくないんで史ちゃんにきいてみます」千尋は史子のところへ行きマシンを操作し始めた。
竹内は今の英数字の上に登録されている。“MEDIT O8726S”を見つめた。これも何かのプログラムかな。そう思って二人のいるところへ近づいた。
「ねえ、ねえ、M・E・D・I・Tって知っている?」
「ああ、メディットのことですか?それならきいたことがありますけど。何か絵を書くソフトみたいですよ。それがどうかしました?」
「これなんだけど、そうするとこれもプログラムかな?」
「さーあ、よく分からないんで・・・、松田さーん、ちょっといいですか?」史子は向こう側でマシンを操作している松田を呼んだ。
「何ですか?」
「こういうメディットのプログラムってありますか?」
「どれどれ」松田は電子手帳を覗き込んだ。
「さあ、メディットのIDまで覚えていないけど、どこかの端末にあるんじゃない?これがどうかしたの?」
「いえね、土田の手帳に記録されているので何かなと思って」
「そう、じゃちょっと待って下さい。探してみますから」
松田は八台あるマシンを順番に操作しメディットを探している。千尋と史子はさっきのプログラムを探すため何度もキーボードを叩いているが、ディスプレイには「オブジェクトがありません」と表示されるばかりだった。
「竹内さん、どこのライブラリを見てもありませんよ」千尋が音を上げて嘆いた。ライブラリとは膨大なプログラムやデータを整理するために、ある目的や形態で分け、範囲毎にまとめたものである。二人はいつも自分たちが使用するライブラリにアクセスしてみたがどこにも見当たらない。一方、松田の方もメディットがないと言ってきた。
「ここのプログラムと関係ないのかな?」竹内は腕を組みながらつぶやいた。
「もしかしたら、うちのマシンにあるかもしれませんよ。土田さんがいつも使っている」史子が思いついたように言った。
「そう、じゃ名古屋に電話してみよう。加藤君まだいるかな?」
竹内が早速電話をかけたが加藤共生は既に帰ったあとだった。仕方がないので伊藤を呼び出してもらった。
「伊藤君、上へ行ってさ、土田君がいつも使っているマシンを操作してくれないか?」
———上のマシン?ああ、いつも藤井さんたちがテトリスをやっているやつ。でも、俺分からないよ、あれ。
「緊急なんだ。上に誰かいるだろ、きいてやってくれ。五分後にまた電話するから」伊藤の返事も聞かず電話を切った。
松田たちは相変わらずプログラムやメディットを探していたが一向に見つからない。五分くらい経って再び本社に電話をかけマシン室にいる伊藤につないだ。
「準備できたか?」
———ああいいよ、運よく青山さんがいたから手伝ってもらうよ。
青山真治は今の仕事で土田たちが使っているのと同じ機種を使用しているので操作には慣れていた。
———今立ち上げているけど、何か入力しろといってきたけど?
竹内は史子に尋ねた。
「“JINJI”と入れてくれって」
———分かった。
しばらくして。
———メニューの画面になったよ。で、どうするの?
「まず、“O8726S”というメディットを探してくれ」
———メディットってなんじゃ。
「どこかのライブラリにあるから青山さんにきいて探してくれ」
———めんどいな。
しばらく、電話口で伊藤と青山がごちゃごちゃ言っているのが聞こえてきた。三分ほどして。
———あったよ。
「本当か?それじゃ、その中身を見てくれ」
———あいよ・・・・・・なんじゃこりゃ。
「どうした?」
———変な落書きみたいなのが出てきたよ。アッカンベーをしたマンガみたいな顔で上に『ざまーみろ』ってでかい字で書いてあるよ。
「はあ、何言ってるんだ。そんな下らない事が書いてあるのか?」
———そうだよ。
竹内は自分が馬鹿を見ているような気になった。単に土田がふざけて作っただけなのかと思えた。土田の悪ふざけに乗せられた感じで緊張感が抜けてしまった。だが。
———それから、下の方に『復讐するは我にあり』って書いてあるけど、どういうこと?
「“復讐するは我にあり”?」ここで竹内はもう一度考え直した。土田のおふざけにしては少し度が過ぎている気がしたからだ。この言葉の中に底知れぬ何かを感じ取っていた。人間の奥底に潜む悪意のような何かが。
「それじゃ、次にプログラムを探してくれ。CLだと思うんだけど“JNJCJ13S”、どこかにあるはずだ」
———OK。
再び青山と言い合っている声が洩れてきた。竹内はじっと返事を待ちながら、高速度で頭を回転させていた。五分ほどしてやっと伊藤からの返事があった。
———あったよ。制御文らしいけど、俺はこっちの方は苦手なんで青山さんに替わるよ。
———青山だ。竹内か?
「そうです。どうもすいません。それでそのプログラムはどういうものです?」
———CLなのは確かだが、今まで見たことがない命令がある。俺にもよく分からないが、そっちの人に見てもらった方がいいんじゃないか?
「そうですか。それじゃ、それをリストしてFAXしてください」
その時史子が竹内に声を掛けた。
「竹内さん、FAXしなくても転送できますよ」
「転送?」
「そうです。プログラムをそのままこっちのマシンに送れるんです」
「へえ、そんなこと出来るの。じゃ、渡辺さん、青山さんとでそれやっておいて」竹内は受話器を史子に渡した。
千尋たちはまだ、メディットやプログラムを探していたが見つかっていない。いつの間にか福谷も戻ってきた一緒に探していた。
「松田さん、名古屋の方にありましたから、今転送してもらっています。ひとまずそれを見てください。特にCLの方はだいぶ複雑なようで」
史子がこちらに届いたと知らせてきた。早速CLの方をリストアウトし、メディットの方も見られるように端末のマシンに入れなおした。CLの方は竹内にはさっぱりなので福谷に任せることにした。メディットの方は松田が操作を完了し、カラーディスプレイに表示されるところだった。
メニューの出ていた画面が切り換わり、一瞬真っ暗になった後、真っ赤な画面が現れた。そして、その赤い画面の上に白い線が描かれ人の顔になる。そいつは、左手で左目の下を引っ張り、口から下を出している。確かにアッカンベーをしている顔だ。その顔の頭の上に「ざまーみろ」と太い文字が現れ、下の右側にさっきの半分ほどの文字で「復讐するは我にあり」と浮かび上がった。
竹内と三人の女性は画面に見入ってしまった。普通なら笑える状況なのだが、このメディットには陰湿なものを感じ取っていた。
千尋が口を開いた。「何なんでしょう、これは。絵はめちゃうまいんですけど。何か気味悪いですね」
「うん、何だろうな。松田さん、メディットというのはどういうふうに使うんですか?こんな絵みたいなものがあったとして、今松田さんが操作したみたいに、しなくちゃいけないんですか?」
「メディットの絵だけを見るなら今みたいなことをすればいいんですけど、実際にはメディットを動かすというか、沢山のメディットの絵を順番に出せるようなプログラムがメディットの機能としてあるんです。それを使えば他のプログラムが動いているときにこういう絵を操作なしで出すことが出来るんです。それに、文字だけのメニューじゃなくてビジュアル的な絵や地図を表示してメニューを作り、そこをマウスでクリックするように出来るんです」
「となると、あのCLの方が問題になるのかな?福谷さんどうです、分かりました?」
「ええ、どうもよく分からないな。一般に我々が使うマニュアルの命令とは違うものが記述されています。これはいわゆる“隠しコマンド”というやつで、F社の技術者やハードを扱う人間が使うものかもしれないですな。ただ、分かる範囲で判断するとこのCLはシステムを破壊するもののようだ」
3 11月20日、水曜日、午後7時59分
CLとは一般にジョブ制御文と呼ばれるJCL(JOB CONTROL LANGUAGE)のことである。プログラムが完成したところでそれ自体では何の動作もしない。個々のプログラムをつなげて一つのシステムというものが出来上がっている。JCLはそれを担うもの、簡単に言えばプログラムを動かすプログラムである。普通JCLはインタプリタと呼ばれる形式で作られる。インタプリタとは作られたプログラムを実行した際、マシンが判別できる機械語に翻訳しながら処理を実行するものである。だから、途中で間違いがあるとそこでストップし異常終了となる。世間一般に知られているBASICがその代表的なものである。そこで、CLというのはそれをワンステップ進歩させ、JCLをコンパイラーにしたF社特有の言語となる。コンパイラーとは、COBOLやFORTRANのように人間がわかりやすい言葉で記述されたプログラムをマシンが理解できる機械語に翻訳する形式の言語である。これらはソースと呼ばれる基のプログラムをオブジェクトと呼ばれる実行形式のプログラムを生成しなければならない。CLもその形式を取り、より安易に高度な作業が出来るように開発されている。そしてCLの特徴の一つに、本来端末に対しオペレーターが数々のコマンドを入力していかなければならないのを肩代わりしてくれる機能がある。オペレーターが作動させるたびに何度も数十のコマンドを入力するのは非常に面倒でミスる可能性もある。そこで、入力するコマンドをCLに記述すればCLを実行することで何でも出来るのだ。そして、CLはF社だけのものであるため、F社にしか通用しない秘密のコマンド、“隠しコマンド”が適用できる。つまり直接コマンドを入力しなくてもCL中に記述しておき、ある日時などに作動させることは可能なのだ。システムを破壊したければその場にいなくてもアリバイを作っておくことが出来る。
福谷が見たCLにはそれが混在していたのだ。
「そんなコマンドがあるんですか?」竹内は半信半疑で福谷にきいた。
「私も詳しいことは知りませんが、そういうコマンドがあるというのは聞いたことがあります。ですからハッキリしたことは分かりませんが、この“DESTROY”という命令がどうもそうだと思いますね。もちろん、DESTROYとだけ打ったところでシステムは壊れませんが、正しいパラメタと暗号のキーを付随すれば働くと思います」
「そんなコマンドを知っている人がいるんですか?」
「まあ、ごく一部の人たち、しかも、F社の技術畑で育ったような人間でないと知らないでしょう。こんなものが世間中に広まってしまったら大変ですからね」
「それじゃ、MTSに関わる人でそれを知っていそうな人はいないんですか?」
「えっ、・・・はあ・・・いないと思いますけど、そんな高級な人間はうちにはいませんから」福谷はニヤリと笑ったが、竹内は福谷が何か隠そうとしている一瞬の動揺を見逃さなかった。何だろう。だが、今はそれをきく感じではなかった。
「それじゃ、もう少しこのCLを調べてみます。それとこれがどこから呼ばれるか、いつ呼ばれるのか、そしてこのCLがここのシステムの中にあるのか、これは一大事ですからね」福谷は竹内との会話をはぐらかすかのように席を離れた。
「竹内さん、竹内さん、竹内さん一体どうなっちゃっているんです」今まで黙っていた千尋が言い寄り史子と松田も竹内の前に寄ってきた。
「そう言われても、僕の方がききたいぐらいだよ。とは言っても恥ずかしい話だが、僕自身、手帳のことはすっかり忘れていたんだ。東さんの事や仙台の件で有頂天になっていたからね。こんな重大なことがあったなんてもっと早く加藤さんたちに聞けば良かったよ」
「まあいいじゃないですか、竹内さんが悪いわけじゃないし」史子が慰めてくれた。
「ありがとう。まあとにかく土田君の手帳からいろんな事実が分かったのは確かだ。一つのことから連続的に次から次へと事実と疑問が浮かび上がってきている。ただし、それが複雑なんだ。連続的に現れた物事はそれぞれ全く関連のないように見えて複雑に絡み合っている。その絡みが解けた時、全ての事実がはっきりするんだ」
「竹内さんの言っていることよく分からないわ」千尋が小首を傾げている。
「そうだね、今分かっている事柄で見てみると、すべてのつながりの源は土田君なんだ。とどのつまりは!」
「土田さんですか?」
「事件の発端は彼の失踪、吾妻小富士で男女を見たのも彼、システム破壊のCLを見つけたのも彼、殺された女の事を気にしていたのも彼、そして、殺された佐藤さんの知り合いも彼」
「佐藤さんの事も関連があるんですか?」
「僕はそう思っている。むろん、土田君が犯人だなんて考えていないが、これら一連のことは土田君から始まっているのは間違いない。少しずつだがそのつながりは見えかけてきた。だが、もう少し情報がないと、分からない点が解明できない。だから少し質問させてほしい」
竹内はさっきのハードコピーを持ってきて史子に渡した。
「渡辺さん、この写真の人、蛇平で泊まっていた人たちじゃないかな?」
史子は鮮明に印刷されている小川と深谷の写真を見た。
「ええ、確かに似ています。私もはっきり見ていたわけではないですけど、たぶんそうだと思います」
「じゃ、松田さん」
「は、はい」急に呼ばれ松田は改まってしまった。
「この人たちに見覚えはありませんか?」史子はハードコピーを松田に手渡した。松田はしげしげと見つめて言った。
「女の人は知りませんけど、小川さんは知っています。前は人事部の方にいて、今回のシステムも小川さんがきっかけですから」
「どういうことなんです?」
「小川さんの学生時代の友人がうちの社員でして、山本というんですけど、たまたま二人が東京で再会して仕事の話をしているうちに、北邦さんが新しいシステム開発を考えていたので、山本がそれならこれはどうかとMTSを紹介したんです」
「山本さんというのは幸徳の担当だった人で今は辞められた方ですね?」
「よく御存知ですね?」
「ええ、日野林さんからちらりとききましたもんで」
「あら、そうですか」日野林のお喋りという表情が松田の顔から読み取れた。
「その後、小川さんは?」
「契約が成立した時、人事異動で小川さんは営業部へ移られたので、今はMTSに関与していません。時たま、顔を見せることもありますけど」
「渡辺さんは、会った事あるの?」
「いいえ、一度も。会っていれば蛇平の人だと気付いたはずですから」
「そうだね。最近はどうなんです。特になぜ土田が小川さんに興味を持っているかそこが知りたいんですけどね。蛇平で見かけたというだけで写真に撮るほどの興味を抱くとは思えないんですが」
「近頃はお会いしていませんね。土田さんとの事は全く」
「女性の方は全く知らないんですか?」
「はい」
「この星野という女性は一ヵ月くらい前に殺害されているんですけどね」
「えっ・・・そうなんですか、そういえばそのくらい前に銀行で騒ぎがありましたね。そう、そう思い出しましたよ、テレビの取材なんかも来ていましたよ。そう、そうなんですか」
「すると彼女たちと土田の関係も分からないんですね?」
「ええ、全く。あっ、じゃ小川さんが土田さんの写真に写っていた男の人なんですか」
松田は今までの竹内たちの会話を聞いていないのか理解していないのか、今気付いたようだ。
「確認したわけじゃありませんが、渡辺さんの話からもまず間違いないと僕は思っています」
「そのことが佐藤さんやCLとも関係があるのですか?」
「直接は結びつかないんですけど、間接的というか、土田の存在が全てを結び付けてしまったと思うんです」
「さっぱり分かりませんけど」
「今はちょっと説明できませんが、すでに光明は見えているんです」
竹内が少し自信に満ちた顔をした。三人の女性たちには何も理解することは出来なかった。
4 11月21日、木曜日、午前0時15分
その夜、竹内は最後まで史子たちに付き合った。午後十一時半を過ぎたころ笹久間ではない銀行員が顔を覗かせたので、福谷たちも今日はこれで引き払うことにした。全てのマシンの電源を落とし、資料等の入ったロッカーを施錠してから、銀行員が部屋の鍵を掛けた。五人が一階の半分閉まりかけたシャッターから出ると、道の上にはうっすら雪が積もっていた。既にやんでいるが、闇夜の街は静かだった。福島の夜は早いらしく酒場やカラオケ屋も店を閉めるところで、やたら代行運転の車が道の端に停車している。一行は誰も物言わずにホテルまで行き、フロントで鍵を受け取ってから「お疲れさま」と言って各部屋に別れていった。
竹内はスーツの上着を椅子に引っかけベットに大の字で乗っかり伸びをした。南から北へ移動し体も疲れたがそれ以上に精神は疲労困憊の状態だ。天井の白い壁を見ながら精神を集中させ今日までの出来事を整理してみることにした。事実と疑問。今夜の電子手帳のキーワードは一気に“?”の嵐を吹き飛ばすものだった。今までに判明した事実と、疑問は次だ。
一、土田は十月十九日、二十日、磐梯山と吾妻小富士へ出かけた時、ある男女が気になった。その男女は偽名で宿泊していたが、どうやら北邦の行員、小川誠と深谷夏美らしい。
二、土田は一ヵ月前に殺された星野という北邦の行員のことを気にしていた。
三、土田は十一月三日、仙台へ行き深谷夏美の家を探していた。たぶん、本人とも会ったのだろう。東の話では深谷は危険なことに足を突っ込みかけているらしい。
四、十一月十一日、土田は失踪した。直前に女からの電話があったことは確かだが、相手は不明。深谷なのだろうか?
五、土田はMTSの中にシステム破壊のCLとメディットを見つけていた。どこで見つけたかは不明。作成者も・・・?
六、滋賀F社の佐藤が殺害されたが、犯人、動機は不明。
七、深谷家に不審な動きがある。何かあるようだ。
竹内はいつものように頭の中でパズルを組み立てていった。今度のキーパズルは当然土田である。彼の存在が全ての事柄と結びついているのは間違いない。しかし、今回はキーパズルがもう一つある。それが何か竹内には確信は持てないが、ある程度予測はついていた。二つのキーパズルを埋めることで数々の謎がより明らかに結びついていく。ただ、一つ分からないのが土田と深谷の関係である。なぜ、土田は深谷という女性に興味を持ったのだろうか?彼が男といたところでなぜ土田が気にするのか?知り合いなのか?銀行で見かけ気になっただけなのか?いや、どれも違う。そうだ、史子が言っていたっけ。土田は何かを思い出そうとしていたと。土田の過去に関わるのか?
とにかく多くの謎が今解明という一つの道に出ようとしている。あまり重要視していなかった電子手帳にこれだけのヒントが隠されていたとは思いも寄らなかった。その事を見逃していた自分が歯がゆくて仕方がなかった。今までの事件でも気付くべきことに気付いておらず、悪い結果を生んでしまったことがあった。今度の事件ではそうならないことを祈るしかない。それは土田が危険な目に会っていることは確かだと考えているからだ。そして、まだ生きているのかそれとも・・・・・・。今度のミスがそれにつながらなければいいと切望するしかない。すでに佐藤が殺されている。女性の銀行員も。だから、次が起こらないとは断言できない。失踪から十日、考えれば考えるほど不安にさいなまれる。
竹内がシャワーでも浴びて寝ようと服を脱ぎ始めた時、突然電話が鳴り響いた。また、何か悪い知らせなのかと恐る恐る受話器を取った。
———もしもし、竹内さんですか?渡辺です。
「どうかしたの?何かあった」竹内は柔らかい声できいた。
———いえ、別に。ただ、一人になったら、急に怖くなったんで・・・・・・。
「怖い?」
———恐ろしいんです。周りで次から次へと事件が起きて、土田さんの事も心配だし、明日もまた何か起こるのかと思うと・・・。
「大丈夫だよ。もうすぐすべて終わるから。だから、もうぐっすり寝たほうがいいよ。明日からいろいろ忙しくなると思うから。今夜は何も考えずに眠りなさい」
———はい、分かりました。竹内さんの声を聞いて何かホッとした感じです。すいませんでした。
「いいんだよ、おやすみ」
———おやすみなさい。
静かに受話器を置いた。史子を落ちつかせたが竹内の方が彼女より不安だった。もうすぐ終わるとは強がりで言ったもののそんな自信は無かった。謎は解明できそうだが、事件をどのように決着させるか、つまり土田をどうやって見つけ出すか、それが皆目考えつかない。いや、それどころではなく終わらせなければいけない。切迫した事態が迫っている気がしていた。それは・・・・・・。
浅い眠りが今夜も来る。
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