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乗鞍高原殺人事件 〜見えない糸〜


第二章  落ちてきた男

         1

 その日は抜けるような青空だった。雲も筋状の薄いものしかなく、風も微風にしか感じない。さすがに、気温は低かったが同じ温度でも都会の街の中に居るよりは温かい。
 竹内は車のフロントガラスから入ってくる朝の光で目覚めた。こんな狭っくるしい車のシートで熟睡できるはずがないが、寝る前のワインのせいか、三時間は全く記憶がない。日が昇り辺りが明るくなってからは、うつらうつらして何度もシートで寝返りをうった。車のデジタル時計を見ると、八時を過ぎていた。後ろの二人を見るとまだ幸せそうに毛布の両端を引っ張り合いながら眠っていた。隣の土田も、よくハンドルがある運転席でこうも丸くなって寝れるもんだなと、感心するぐらい小さくなっていた。いつも冬に着ている紺のハーフコートをまとい、フードの部分を顔に覆っている。
 車は当然、エンジンをかけヒーターを入れっぱなしにしてある。窓に水滴がつき、外の光を反射させていた。竹内は靴を履き静かにドアを開けて、一度伸びをしてからトイレの方へ歩いていった。
 周りはいつの間にか車でいっぱいになっていた。昨夜、トイレまで真っ直ぐ行けたのに、今は車の間を通りながらいかなければならない。
 隣の佐藤のディアスでは、美香たち四人が横になって寝ていた。ディアスはシートをすべて倒しフルフラットに出来るため、体を伸ばして眠れるのだ。今度はこっちに乗せてもらおうと竹内は思った。青山のカリブの方は皆起きているようだった。竹内が前を通ると伊藤と青山が出てきて「早いな」と声をかけてきた。悦子の方は車の中で伸びをしていたが、藤井だけはまだ毛布にくるまったままだ。いつでもどこでも、ぐうたらな人である。
 竹内がトイレから戻ると土田たちも起きていて、サークルKの袋をあさっていた。
「竹内さんも、自分の選んだおにぎり取って」と土田がおにぎりを食べながら言った。
 竹内は袋の中から梅と鮭を取った。
「私が取っておいたしぐれがない」と千尋が駄々っ子の様な口調で訴えたが、袋の中にはおかかとツナしかなかった。
「誰かが間違えて持っていったんだよ」土田が慰めた。既に、青山・佐藤の方からまわってきたようだ。
「しぐれ、しぐれ・・・もう、おかかでいいや」千尋は渋々おかかを手に取った。
 ツナが一つ残り四人が同時に視線を合わせた。「どなたか食べます?」と史子がきいたので、結局二個しか食べていない竹内にまわった。
 飲物は午後の紅茶のペットボトルがあったので、昨夜、ワインを飲んだコップに史子が注いでくれた。千尋は、「午前なのに午後ティーとはそれいかに」としょうもないことを言っている。 時間は午前九時前になり、女性たちは更衣室へ着替えのためにぞろぞろ出掛けた。男たちはそんな面倒くさいことはせず、車の中で一応毛布で隠しながら、さっさと着替えを済ませ、スキーを降ろしたり、ワックスを塗るなどの準備に取りかかった。だが、藤井が支度を終えたのはもちろん最後である。二十分もすると女性陣が戻ってきた。「人でいっぱい」と美香は疲れたようにぼやいた。彼女たちのウェアーは各々に華やかだった。白を基調にしているものや、ピンク系のものもある。流行のものを毎年買っているようだ。史子はウェアーだけは自分のを買っていた。まあ女性なら当然だが、打って変わって男たちの方は流行のものとは程遠い感じで、毎年同じ物をきているのか、新品という感じは無い。その中でも佐藤のウェアーだけは目立っていた。派手好きとはいわれていたが、初めて見た竹内も、さすが佐藤と妙に納得してしまった。ウェアーに負けずと劣らず板までが派手だ。
「じゃあ、そろそろ行こうか」と青山が先頭をきって歩きだした。
 竹内は佐藤がふくらんだナップサックをしょっているので「何が入っているんですか?」と尋ねた。
 佐藤は「後のお楽しみ」と、ニャッと笑っただけだった。
 リフト券を伊藤が配った。女性たちが着替えている間に、残った男たちでジャンケンをし、いつもついていない伊藤が負けたのだ。
 皆が「ありがとう」と券を受け取ると、「後で、ちゃんと払ってくださいよ。持ち金もうないんですから」と、目尻にしわをよせてながら笑って頭を下げていた。全員明日も滑るつもりなので二日券を買ってある。
 リフトは既に動いていて、ゲレンデもまばらだが滑走している人はいた。乗鞍は他のスキー場に比べ遠距離のせいか週末でもわりと空いている。ゲレンデも広くリフトで嫌になるほど待つことも滅多にない。雪質は高地だけあって周りのスキー場より良質である。もちろん人工雪など、よっぽどのことがない限り使わない。ひとまず、冬ならば滑走可能な積雪は確実である。もっと高い所にある乗鞍山岳スキー場では、春から初夏にかけても滑れるのだからスキーヤーにはたまらない。
 史子はレンタルスキーのため、下まで降りていかなければいけなかった。美香と千尋がついていってあげることにした。それは、佐藤と美香が無線を携帯しているからだ。残りの九人は上まで行って、三人が来るまで先に滑ることにした。三人が登って来ても美香の無線で落ち合える。 乗鞍は大きく分けて三つのゲレンデがある。乗鞍ゲレンデ、国設ゲレンデ、そして休暇村ゲレンデである。十基以上のリフトやクワッドがあり、当然三つのゲレンデはつながっている。初心者から上級者まで楽しめるコース設定になっており、レストハウスも各地にある。
 九人はロマンスリフト、第一クワッドリフト、第三ペアリフトを乗り継いで、カモシカ平の頂上まで上り、かもしかコースを滑走した。三回ほど滑ると美香から無線が入った。美香たちが頂上まで来ると、やっと十二人で滑ることとなった。
 スキー大好きの佐藤とスポーツマンの伊藤は、スキーに関してはプロ並にうまい。華麗でダイナミックな滑りの佐藤と、優雅だがいやらしい腰つきで滑る伊藤のシュプールの描き方は抜群である。その上佐藤は狼の顔をしたぬいぐるみのような帽子をかぶっているので目立ちっぱなしだ。中にはなにあれと指を指す者もいた。今度は羊か、赤ずきんちゃんでもいれば完璧である。
 青山、藤井も前の二人ほど美しく滑らないが、回をこなしていることと運動神経のよさで、うまく滑っている。土田も回数だけは他の人に負けないので、ぎこちなさは残るがそれなりに滑っている方だろう。いよいよ、竹内の初見参である。皆に散々言われたので、少し緊張してしまったが無難に滑り終えた。下で待つ美香や美砂からは「さすが」と言われ、竹内は「そんなことないですよ」と謙遜してみせた。
 一方女性たちの滑りというと、運動音痴と思われがちの悦子が断然上手い。女性らしくきれいな滑りである。千尋も悦子に勝とも劣らない滑りをする。ピンク、またはホワイト系のウェアーが可愛らしい。恵もきれいな滑りをしているが、派手な原色のウェアーが妙に目立っていた。美香・美砂も滑る分には問題ないが、まだぎこちなさが残る。美香など一回は必ず転ぶし、途中停車が多い。十二人の中でも一番心配されていたのは史子だった。会社に入ってからスキーを始めたので初心者なのだが、会社や学生時代の友達と出掛けたり、悦子や千尋にみっちりコーチをしてもらった甲斐があったのか、今はそれなりに滑れるようになっていた。もちろん何回か転倒 しながら最後に降りてくるのだが、悦子に「史ちゃん、うまくなったね」と言われると、嬉しそうに「そうですか、山田さんや千尋ちゃんのおかげです」と答えていた。  午前ということもあって休む間もなく一行はスキーとリフトを繰り返した。そして、このツアーの悲運を予期するかのごとく最初の小さな事件が起きた。

         2

 竹内たちは何回目かの、このコースのスキーを終え、降りてくる人を待っていた。別に皆で滑る必要性もなかったのだ。十二人もいるとまとめるのも大変だし、どのみち無線が有るのだから、二手に別れてもいいのだ。だが、どうしても連帯感、仲間意識が働いてしまう。それに最近はガンガン滑るのにも疲れ気味なのか、待っている間が休み時間となって丁度よいのだ。そうなると、いつも最後の史子にはつらい。しかし、今回は史子が降りてきたのに佐藤と美砂が降りてこなかった。美砂が遅いのは分からないでもないが、いつも一気に降りてしまう佐藤が遅いのは変だ。佐藤はソニーの8ミリハンディカムを持参しているので、皆より先に滑って降りてくるのを撮るか、一緒に滑りながら撮影していた。まさか、美砂一人を撮影しているとは思えないし、少し不安になった一行は美香に無線で連絡を取らせた。
「佐藤君、佐藤君、今どこにいるの?」返事が無かったので、もう一度繰り返した。
 すると、ザッという音の後に佐藤から応答があった。
———こちら佐藤ですけど、えーっと、今上なんですけど、松浦さんが怪我したんですよ。
 全員の顔に緊張が走った。
「どこ怪我したの容体は?」
———手首をですね、ちょっと切ったらしんですよ。そうたいしたことはないんですけどね。 皆、一様の安堵感に浸った。
「それで、どうするの?」
———今ですね、上のリフト降り場まで行って、怪我人がでたからって、連絡したんですよ。そしたら、下の救急施設から迎えにいくと言われて、待機しているんです。
「そう」美香が返事をしていると、ふもとの方からサイレンを鳴らしたスノーモービルが猛スピードで駆け上がっていった。たぶん、あれがそうなのだろう。
「今、スノーモービルが行ったわよ」
———そうですか、ああ、こちらからも見えましたよ。
「それじゃ、ひとまず、ここで待っているわ」
———わかりました。
 下から見ているとスノーモービルは徐々に小さくなり、頂上付近で止まった。あの辺に二人がいるのだろうが、ここからでは肉眼で見えない。五分ほどするとスノーモービルは再び動きだし、竹内たちの前を通りすぎた。シートの後ろに美砂が座っているのが確認できる。しばらくすると、美砂のスキーとストックを持った佐藤が降りてきた。
「佐藤君、どうなの、大丈夫?」美香は佐藤が止まるやいなや口を開いた。
「大丈夫だと思います。ここを三センチほど切ったみたいですから」佐藤は右手の内側の手首に指で線を書いた。皆が佐藤に寄った。
「そこって危ないんじゃないの?」
「そうですね、もうちょっとずれていたら、危なかったかもしれないですよ」
「まあ、大事にいたらなくて良かったけど、何で切ったの?」
「さあ?本人もよくわからないって、言ってましたけど。転んだ拍子にスキー板で切ったみたいですよ。僕も松浦さんが転んだんで近づいたら、雪の上に赤い血のあとがあったんでびっくりしたんですよ」
「そ、そういう話は止めて」と悦子がストップという意思を表すために、手を広げて突き出した。悦子は暗闇もお化けも苦手だが、血も苦手なのだ。つまらないホラー映画をみただけで騒ぎまくるぐらいだ。
「とにかく、下まで様子を見に行ってみよう」藤井が声をかけ、十一人は救急施設がある一番下の休憩所まで滑り降りた。さっきのスノーモービルが止まっていて、美砂が施設の中にいるのが見えた。
 十分ほどすると美砂が照れくさそうに笑いながら出てきた。
「大丈夫ですか?」恵が最初に声をかけた。
「ええ、何とか。もうちょっとずれていたら危ないって言われたんだけど」美砂は包帯の巻かれた右手を見せた。
「でも、どうしよう。こんなふうじゃ、しばらくは変に誤解されちゃうわ」
 確かに右手とはいっても手首に包帯を巻いていれば、自殺未遂と勘違いされてしまう。美砂のことを良く知っている人間はそんなことは思わないし、中には冗談ぽく「どしたの?」と聞く者もいるぐらいだろう。が、あまり彼女のことを知らない人は不審に思うかもしれない。特に今、美砂は社内ではなく出向しているので、ますます具合が悪い。実際後からきくと、やはり、何かあったのかという顔をされたそうだ。もちろん、その後は笑い話になったのだが。
「でも、モービルに乗れてうらやましいな」横にあるスノーモービルを見て土田が言った。
「そうそう、あれって結構おもしろいわね」さすが、スビード狂の美砂の答えである。
「それじゃ、これからどうしよう。まだ、十一時前だから昼飯には早いしな」青山が切り出した。
「松浦はもうちょっと休んでいた方がいいんじゃない?」と美香。
「そうですね。ここで少し休んでますわ。みんな、滑ってきて」美砂は背後の方に顔を向けて言った。
「でも、一人じゃなんでしょう」と恵。
「なんなら、僕が付き合いましょうか?ちょっと久しぶりのスキーで疲れちゃったんで」と竹内が言った。
 皆、一瞬驚いたような顔をした。竹内が女性とツーショットとなると、少し勘繰りたくなる。
 竹内には別に深い意味はなかった。ただなんとなく、美砂と話がしたいなと思っただけだ。
「まあ、竹内君がそういうなら、それでいいわ。一時間位したらまた呼びに来るから、その後上で昼食にしましょう」と美香がニヤリと笑って言った。
「わかりました。それじゃ、あそこのレストランでコーヒーでも飲んでいますから」
 竹内はスキーを外し美砂とレストハウスに入り、十人は再びリフトに乗って上がっていった。レストハウスは早めに昼食を取る人で多少混み合っていた。二人はコーヒーを飲むことにし、下界よりはるかに高くて、それほどうまくないコーヒーを頼んだ。頼むといっても、セルフなので竹内が二人分を席まで運んだ。
「でも、大変でしたね。こっちは怪我したなんてきいたもんだからビックリしましたよ」
「ビックリしたのは私の方よ。転んで起き上がったら雪の上に赤いものがあるじゃない。どうしたのか思って周りを見たけど、手首を切ったなんて全然気がつかなかったわ。佐藤君が来てその手と言われて、初めて気が付いたの」もう一度包帯のある手首を彼女は見つめた。
 竹内は彼女に引かれるものがあった。半年ほど前は髪がかなり長かったのだが、最近短く切ってしまった。そのせいか、以前より魅力的に見えた。髪を切ったことだけでなく、全体的な雰囲気というか全身から漂う感じが変わったのだ。特に、毎日会社にいない竹内にとっては顕著である。会うたびに何かが違っているように思われた。
 女性の魅力とはなんだろう?容姿?性格?家柄?竹内も今までいろんな女と付き合ったが、本当に魅力を感じた女性はいなかったような気がする。もちろん、中には真剣に付き合おうかなという女もいたが、そういう女に限って向こうから離れていくので、運命とは切ないものだなといつも思っていた。
 そんなことを思いながら美砂を見つめていると、彼女の背後の遠くのほうで店を出ていく男が目に入った。白に緑の柄のはいったウェアーを来て眼鏡をかけている。竹内はどこかで見たことがあるような気がしたが、遠くにいるため顔がよく見えず、ハッキリとは思い出せなかった。
「どうしたの?」と美砂が声をかけたので、竹内は我に返り「いや、なんでもないよ」と曖昧な答えをした。そのうち竹内はその男のことは忘れてしまった。

         3

 一時間ほど話しただろうか、突然美香がやって来て「ヒューヒュー」と二人をからかった。
「あっ、美香さん。いたんですか?」美砂は驚いて振り返った。
「お熱いことで」
「そんなんじゃないですよ」と美砂は照れた。
「お昼の準備、上でやっているから、行きましょう」
「はい、でも準備って、何をするんです?食堂で食べるんじゃないんですか?」
「実は、佐藤君がスパゲッティを作ってるの」
「スパゲッティ?」
「そうそう、キャンプ用のランタンとか鍋を持ってきて、煮ているの」
「ああ、だから、リックに何か入っていたんですか」と竹内。
「スパゲッティもわざわざ持ってきたんです?」
「スパゲッティとミートソースは昨日コンビニで買っといたの」
 竹内は感心したものの、半ば呆れてしまった。スキー場でスパゲッティを作るなんて佐藤らしいのかもしれない。
 三人はリフトで上まで上がっていった。途中、美香は「何を竹内君と話していたの?」とニタニタしながら質問した。
「いろいろ」と美砂は適当にはぐらかした。
 上に着くと三本滝平のレストハウス脇に青山たちがいるのが見えた。確かに、彼らの中心に湯気のたつのが見える。三人が近づくと「もうすぐできるからね」と佐藤が嬉しそうに言った。キャンプ用のバーナーの上に、真ん中にミートソースの缶を入れ周りにスパゲッティが突っ立ている鍋がのっている。周りでは白い紙皿とフォークを持ってスパゲッティが出来るのを心待ちにしている面々が円を描いて中心の鍋を覗き込んでいた。五十メートル程向こうにリフト乗場があるので、何をやっているのだろうかと、こちらを見ている人たちもいて、衆人環視の中少し恥ずかしい気はしたが、食の欲望を抑えることはできない。
 スパゲッティの味はなかなかのもので、晴天の下、雪の上で食べるのもおつなものだ。一回で作れる量には限りがあるので、全員に行き渡るには三回作らなければいけなかった。
 恵と史子が皆からお金を集め缶ビールを買ってきた。十二人のメンバーは恵を除いて酒が飲めるというよりは、酒豪といってよかった。類は友を呼ぶ。
 ビールとスパゲッティで満喫し雪の上で皆寝ころがった。そのうち食後の運動といって、藤井と伊藤が悦子を深雪に放り投げたり、それに協力しようとする土田を逆に雪に突っ込ませたり、ストックを遙か遠くの深雪にの中に投げたりと、いつものおふざけが始まった。
 食後の運動も終わったということで、午後の滑りとなった。午前ほどのペースでは滑らず、一時間も過ぎると悦子と伊藤が「疲れた」と言いだし、再び休憩となった。佐藤が気をきかしてというか、リックを背負っているので、中腹の売店でビールやジュースを買ってきてくれた。
 座り込んでいる傍らには雪の積もっている急な斜面があったので「紅茶のお酒」ごっこが始まった。「紅茶のお酒」とは、フェアチャイルドのゆうがスノーマン(女性だからスノーウーマンか?)のかっこうをして雪の中を這いずり回り、紅茶のお酒を探すというCMのことである。つまり、急な斜面を上りそのまま新雪をかき分けて滑るというたあいのない遊びである。手始めに伊藤が滑り、藤井、佐藤と続き土田にいたっては何回転も転げ回るまでエスカレートし、ついには千尋や恵の女性陣まで加わる始末。そのうち、横で笑いながら見ていたギャラリーも参加するようになり、その知らない人たちの8ミリビデオに納められてしまった。
 結局スキー以上に疲れたものの、滑る時間も残り一時間位となったので、ギリギリまで滑ることにした。一応本日の最後ということで各人好き勝手に滑ることにし、四時に一番下のゲレンデで落ち合うことにした。
 竹内は土田と、今日はあまり滑っていない乗鞍ゲレンデの方へまわった。山の天気は変わりやすい。さっきまであんなに晴れていたのに、いつしか雲が張り詰めてきた。山の谷間にあたるので陽も陰り始め、暗さが迫りつつあった。
 二人きりでリフトに乗り土田が問いかけた。
「何で松浦さんと残ったの?」
「別に何となくね」
「そう」土田は眉を顰めて言った。
「それより、土田さんの方はどうなの?」形勢を逆転しようと竹内が言った。
「何が」
「何がって、いろいろだよ」
「へへ、まあこっちもいろいろ大変だからね。思うようにはいかないよ」
「そうなの」
 そう言っている間にリフトは終点まで登り、土田は「こっちへ行ってみよう」とさっきとは反対の方向へ滑り始めた。
 あまり滑る人がいないコースで林の中を通り抜け二人は思いのまま軽快に滑っていった。林を抜け本コースへ戻ろうとした時、竹内の視界に何か黒い物が落ちていくのが入った。急ブレーキをかけ黒い物体に近づいた。それは人間であった。黒いスキーウェアーを着た男だ。
 竹内はスキーを外し、男に駆け寄った。男はうつ伏せのまま横たわっている。
「大丈夫ですか?」と声をかけたが、男は苦しそうにこちらに顔を向けるのが精一杯だった。
「オオシマノヤツ・・・・・・」と言って男は気を失った。

         4

 竹内の背後に土田が寄ってきた。「どうしたの?」
「どうやら、リフトから落ちたらしい。急いで下まで行って誰かを呼んできて。俺はここでこの人を見ているから」
「うん、わかったよ」土田は慌てふためいて、降りていった。
 転落ということなので下手に動かすのはまずいと思い、竹内は男をそのままにしておいた。男が落ちた所は、運が悪いことに貯水池のような水を溜めておく場所のコンクリート台になっていた。雪の上ならリフトから十メートル位なので案外軽く済んだかもしれない。竹内は上を見上げた。さっき土田と乗っていた二人乗りのリフトが動いている。この男は、あのリフトから落ちたようだ。なぜ落ちたのだろう?グローブやストックを落として慌てたためか?いや、グローブもはめているし、ストックも右手首に輪が通してあった。風はほとんど無く振り落とされることはないはずだ。二人乗りのリフトだから安定性に関してはそれほど心配はない。単にこの男がそそっかしくて落ちてしまったのか?それとも、もしかして、誰かに・・・・・・。
 竹内がここに来た時、男は雪上に着く直前だった。男に目が行き上のリフトなど見る余裕は無かった。林から抜けるところがリフトとの通過点だが、木がおおい茂りリフトは見えないし、本コースの方を見ていたのでリフトは全く視界に入らなかった。もし、もしだ、誰かが居たとしても、竹内は気付くはずがない。そして、今は人が通り過ぎているが、さっきまでは誰も滑っていなかった。誰も落ちる瞬間を見ていないのだ。
 男は「オオシマノヤツ」と俺に言った。その後は息も絶え絶えで良く分からなかった。オオシマという人間がどうしたのだろうか?もしかして・・・・・・。
 サイレンが響きわたってきた。午前に美砂を運んだスノーモービルが二台来た。一台には担架が繋げられている。救助隊はてきぱきと男を介抱した。手首を取って脈をはかり、目の瞳孔を見た。まだ息はあるというので担架にそっと運ばれスノーモービルは去っていった。
 もう一台のスノーモービルから、サングラスを掛けた隊員が竹内に近づき質問してきた。
「あなたが発見者ですか?」
「そうです。たまたま通りかかったら、落ちたところを見たもので」
「そうですか、じゃあの方とはお知り合いではないんですね?」
「はい、全然知らない方です」
「わかりました。恐れ入りますが、後ほど連絡がいくかもしれないので住所と名前を教えてもらえますか?」
 竹内は名前と住所を告げ、隊員はメモをした。
「今日、お帰りですか?」
「いえ、こちらで泊まりますけど」
「それでは、宿はどちらです?」
「えーっと、確か白雲荘とか言ったと思いますけど」
「そうですか。いろいろ有り難うございました。お手数をおかけして」
 隊員が去っていくと土田が上から滑ってきた。
「どうだった?」
「今運ばれていったよ。まだ息はあったが、かなり重傷だと思うよ」
 二人は一番下のゲレンデまで降り、皆を待つことにした。
 もうすぐ四時になろうとしていて、十人は既に土田たちを待っていた。遅いぞと言われて、その理由を説明した。
「そうなの、さっきのサイレンは。今日はいろんなことがあるわね」と美香。
「一回目が松浦で、二回目が竹内の落下遭遇。二度あることは三度あるつうから、まだ、何か起きるのかな?」と青山が言うと、
「きっと、帰りにツッチーの車がぶつかって、大破でもするんじゃないか」と伊藤がからかった。
「縁起でもないこと言うなよ。前のトレノだって、買って一ヵ月で友達にぶつけられたんだから、もうこりごりだよ」
 皆大笑いしたが、竹内だけは何故か笑えなかった。二度あることは三度ある。竹内はそんな予感がしていたのだ。
 青山、伊藤、土田は車を取りに上へ登り、残りの九人は彼らが来るまでここで待つこととなった。
 ゲレンデは完全に日陰となり建物の天辺だけに日が当たっている。日陰で佇むと寒さが押し迫ってきた。体、そして、心の奥底にも。二度あることは三度ある。竹内はもう一度そう心の中で考えた。そして、その三度目は土田の車がぶつかること以上に、もっと悲惨な結末になってしまった。

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