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乗鞍高原殺人事件 〜見えない糸〜


第三章  赤い半纏

         1

 あたりはそろそろ暗くなり始めた。陽が陰りだすと急速に冷え込みは厳しくなる。佐藤たちは予約した民宿にやって来た。迎えたのは愛想のいいおばさんだった。いかにも民宿らしい。宿は白雲荘といって、それほど大きい宿ではないが、清潔感があり明るい雰囲気だ。佐藤たちの部屋は十五人は入れる大部屋で民宿の二階、天窓から夜空が眺められた。
 一行は早速風呂に飛び込んだ。当然、温泉で硫黄の匂いが漂っている。湯の花が湯船に浮かんでいるが、三人位しか入浴できないので体を洗うのと交替で入った。
 七時から食事となり食堂へ。二つのテーブルに別れて座った。テーブルの真ん中に大きな鍋が置かれ、ぐつぐつと煮え始めていた。山らしく山菜や川魚の焼き物、等々。女の子たちが御飯をよそい楽しい食事となった。
 今日の出来事をいろいろ思い出しながら、語りあい話も弾む。
「土田さん、土田さん、土田さんおかわりする?」千尋が土田の方に手を伸ばした。この子は人を呼ぶとき名前を連呼する癖がある。
「ああ、食べるよ、ありがとう」
「竹内さんは?」
「ん、俺ももらおうかな」と続いた。
 竹内は隣の恵が気になった。夕方ごろからどうも元気がないようだ。いつもみんなの話に入ってくるのに今は少しひいているように感じられた。
「どうしたの、あまり元気がないね」竹内は声をかけてみた。
「いえ、別に。ちょっと疲れただけです」
「そう」竹内はそれ以上に何も言えなかった。
 鍋の湯気が窓の外に見える景色を曇らせていた。

 食事も終わり、皆部屋で寛いだ。大きな炬燵の上には青山が近くの酒屋で買ってきた二リットルのビール樽に、ワイン、生酒とあたりめやチーズ蒲鉾のつまみが広がっていた。
 食事の時もビールで乾杯したのに、ここでも二回目の乾杯とエンドレスな宴会が始まった。これで明日も滑ろうと言うのだから大したものだ。ビールや酒はみるみるなくなり、つまみの袋も次々と開封された。明日のことは気にせず「酒好き」と「酒飲み」たちは食と酒の祭典を満喫した。
 一段落すると恒例のUNO大会となる。トリオの人たちはUNOが好きで、何処へいっても誰かが必ずUNOを持ってきている。罰ゲーム付きのUNOで、負けた数が一番多い者二名が勝者にジュースを買ってこなければいけない。敗者は伊藤と美砂になり、二人ともしぶしぶ下に降りていった。
 テレビはずっとつけっぱなしだったが、誰も見ている人はいない。十一時になってゲームも一息つこうとなり、テレビは「ねるとん紅鯨団」をやり始め、皆見ることになった。遊びに行くのはたいてい土曜日なので、この時間になるとねるとんを見る羽目になる。その事を指摘するかのように、悦子が言った。
「こういう時しかねるとんは見ないのよね」ともらした。じゃ、普段の土曜は何をしているのだろうか?
 男性陣の紹介が始まると、悦子たちは「なに、こいつ」とか「この人いい」とテレビに向かって勝手なことを言いだした。
 一方、男たちの方も女性陣との御対面が始まれば、同様なことを口走っていた。男たちの女性に対する意見はだいたい同じだが、中には好みが分かれることもある。
 土田が「この子いい」と言えば、悦子は「ツッちゃんの好みわかった」とはしゃぎまくった。 告白タイムが始まると更に盛り上がる。意外な男とツーショットになれば「信じられな〜い」と史子がわめくし、ごめんなさいをすれば「何この女!」と伊藤が突っ込む。
 その時入口の扉をたたく音がして、誰ともなく「はーい」と返事をすると、宿のおばさんが顔をのぞかせた。
「夜分遅くすいません。こちらに竹内さんという御方はいらっしゃいますか?」
 竹内は炬燵に入ったまま首だけをおばさんの方に向け「私ですけど」と答えた。
「すいませんが、下でお巡りさんが待っていますので、おこし願えますか?」と、丁寧に言った。
 竹内は転落事故の事かなとピーンときたが、藤井は「お前何かやったんか」とからかった。
 竹内が降りていくと玄関にコートを着た制服の警察官が立っていた。
「竹内さん、竹内正典さんですか?」
「そうですけど、何か?」
「私は大沼と申しますが、昼間の転落事故のことでおききしたいんですが?」信州なのになぜか東北訛りがある。
「そうですか。それで、容体はどうなんです?」
「実は・・・先ほど亡くなられました」大沼巡査は沈痛な面持ちで答えた。
「えっ」竹内は絶句し、心が動揺してしてしまった。
「落ちた場所が貯水池のブロックでしたので、頭のほうを強くうちまして、意識不明のまま亡くなったのです」大沼は竹内の心をなだめるよう、落ちついて話した。
「亡くなった方とはお知り合いですか?」
「いいえ、その方のお名前は?」
「山内盛幸さんといいます。えー、あなたと同じ愛知県の方ですな。住所は東郷町となってますが」メモを見て答えた。
「そうですか、やはり知らない人です」
「事故の状況のことをおききしますが、竹内さんが現場に着いた時、山内さんが転落するのを見たんですね」
「ええ、そうですけど、正確に言うと、転落した後、いや、直前でしたかね、視界に黒い者が入ったんで気が付いたんですけど」
「そうすると、リフトから落ちるところは見ていないんですね」
「そういうことになります」大沼がメモをしているので、竹内は恐る恐るきいてみた。
「あの、警察の方では、今回のことは事故とお考えですか?」
「はあ?」大沼は怪訝な顔をして、メモを取る手を止めた。
「どういうことです。あれが事故でないとでも思っているのですか?」
「そういうわけではないんですけど、まず、リフトからあんなふうに落ちるのかなと思って」
「シーズンに十件位は転落事故が発生しますけどね。まあ、死亡するというのは稀ですけど。運が悪かったんですな」
「ん・・・・・・」竹内は考え込むような顔をした。
「他に何かあるんですか?」
「そのう、山内さんは亡くなるまでに何か言ってませんでしたか?」
「いいえ、ずっと意識不明のままで、そのままお亡くなりになりましたよ」
「そうですか。・・・実は、山内さんが気絶する寸前、言い残したんですよ『オオシマノヤツ・・・』というふうに」
「オオシマノヤツですか、その後は何て?」大沼巡査は神妙な顔つきになった。
「そのあとはもう聞き取れませんでした」
「それは少々重要ですな、でもその言葉の意味はどういうことなんでしょう?」
「さあ、良く分かりませんが、オオシマという人に何か言いたかったのか、でもヤツと少し下げすさんだ言い方をしているので、素直に考えると『オオシマノ奴に落とされた』というほうが自然な気がするんですが」
「それは、大胆なことをおっしゃりますな」
「はあ、でもですね」
「しかし、あなたはリフトから落ちるところは見ていなかったんでしょう。落下を見る前もリフトは見ていないんですか?」
「そうです、ちょうど林から抜けるところで、木で見えませんでした」
「他に見た人はいないんですか?」
「友人が私のすぐ後ろで滑っていたんですが、さっききいたら何も見なかったと言っていました。それに、周りにもちょうど人はいなかったし」
「まあ、いたとしても、その目撃者を探すのは大変ですな。スキー場のような不特定多数の人間が来る所では、泊まる人だけならまだしも、日帰りで来る人が多いですからね、どうしようもありませよ。本当に誰かが落とすのを見ていれば通報してくると思いますが、今のところありませんな」
「山内さんは一人でここに来られたのではないんでしょ、でも一人でリフトに乗ったということなんでしょうか?」
「もちろん、会社の仲間と来られたみたいですけど、突然いなくなったんで心配していると、アナウンスで山内さんの知人を探しているというのをききつけ、連絡してきたわけですが」そのアナウンスなら竹内も聞き覚えがあった。
「その仲間の人たちは山内さんが誰かと会うようなことはきいていなかったのですか?」
「そこまでは伺っていませんがね。事故ということで取り扱っていますから」大沼は自分のミスを指摘されたようで嫌な顔をした。
「一応、竹内さんの御意見は伺っておきますが、他に何かお気付きの点は?」
「いえ、別に」
「そうですか、それではこれで失礼します。また、何かおききするかもしれませんが、明日名古屋の方に帰られるのですね?」
「はい」
「夜分遅く申し訳ありませんでした。御協力を感謝します」大沼巡査は敬礼してその場を辞した。
 竹内が部屋に戻るとテレビは既に「夢で逢えたら」をやっていた。
「竹内、どうだった?」を早速青山が質問した。
 竹内は一瞬迷ったが黙っていても仕方がないので、亡くなったことだけ告げた。一同は複雑な表情をしたが、それ以上話をきこうとはしなかった。
 外は風が出てきたのか、窓がガタガタ鳴り始めた。たぶん気温も低いのだろう。室内の暖かさからはそんな事を微塵も感じなかった。もちろん、心に忍び寄る寒さというものも。

         2

「ある女子寮の話です。どっかの会社の。その女子寮は部屋にトイレがなく共同で使用するようになっていました。一階にあるそのトイレですが、そこには恐ろしい噂がありました。真夜中にそのトイレに行き、三つ並んだトイレのうち一番角のトイレに入るとどこからともなく声が聞こえてくるのです。それは老婆のか細い声でトイレの壁の中から聞こえてきたのです。『赤〜い半纏着せましょか?赤〜い半纏着せましょか?』と壁の中からトイレに入った女性に囁いてくるのです。
「この噂は一気に寮内に広まりました。夜中には誰もそのトイレには近づきません。老婆の正体というのも皆目分かりません。噂は徐々に大きくなり、寮の方もほっとけない状態になりました。そこで警察に連絡をし、調べてもらうことになったのです。
「ある夜警察がこの寮を調査に来ました。寮の周りや建物内に警官を配置し、各所を調べ回ったのです。そして、いつもの真夜中になりました。一人の婦人警官、まあ勇気がある人だと思いますが、その婦人警官が現場に行き噂の角のトイレに入りました。しばらくすると、壁の中から老婆の声が聞こえてきました。『赤〜い半纏着せましょか?赤〜い半纏着せましょか?』さすがに婦人警官だけあって、簡単にはひるみませんでした。婦人警官は老婆に向かうように言いました。『着せれるものなら、着せてみなさい』
「『バチッ』と鈍い音がするのをトイレの入口で待機していた警官が聞きました。警官は慌ててトイレの中にはいり、さっき入った婦人警官に声をかけました。『どうかしたか?大丈夫か?』しかし、何も声が返ってきません。不安になった警官は婦人警官が入った角のトイレを開けてみることにしました。『大丈夫か?』扉を開けるとそこには婦人警官が倒れていました。だが、その状態は悲惨そのものです。頭がざくろのように割られ絶命していたのです。頭から流れ出た血が彼女の服を染め、それはまるで赤い半纏のようでした。
「その事件の事実は公にされませんでした。そして、その後その寮は閉鎖されましたが今日もトイレに入ると、聞こえるかもしれません。『赤〜い半纏着せましょか?』」
「・・・・・・」

         3

 山田悦子はなかなか寝つけなかった。体は疲れ頭も眠ろうとしているのだが体自体が眠りに入らない。
 宴会のほうは零時を過ぎる頃には終わり、いの一番に藤井が「もう寝る」と言いだした。その前から既に炬燵でうたた寝をしていたのだが、そのまま這って布団にもぐり込んだ。ドライバーでもないので酔ってしまえばとっとと寝てしまう。どうせ、帰りの車の中でも熟睡するつもりなのに。朝一番遅くて夜一番早い、健康優良児かもしれない。
 ドライバーの土田は少しでも眠っておこう、というより、昨日からあまり寝ていないので、早めに床に就いた。それに、もう一つ理由があり、ある人より早く寝ようとしたのだ。一方もう一人のドライバー青山は、まだ、ちびちびと酒を飲み交わしていた。よく体が持つなと感服してしまう。
 女性陣も千尋が「泳ぐ人が来る、泳ぐ人が来る」と下らない洒落を言いながら布団に入り、史子と恵もそれに続いた。美香と悦子は佐藤、伊藤と心理ゲームの本で遊んでいたし、竹内と美砂は昼間の話の続きでもやっているのか二人でずっと語り合っていた。午前二時もまわった頃には、完全にお開きとなり皆床に就いたが、これが悦子にとっての大きな間違いだったかもしれない。
 悦子が眠れない理由は三つ。一つは竹内のいびきである。竹内のいびきがひどいというのは噂で聞いていたが、これほど凄まじいとは想像外であった。なにせ、まるでテレビのコントでやっているような嘘のいびきみたいで、部屋中に響きわたっている。よく他の人たちは眠れるものだなと感心してしまった。デリケートな悦子にはもたない。土田が早く寝た理由も今になって分かり、してやられたと思ったが後の祭りだ。
 二つ目は土田が寝る前にした話である。「赤い半纏」という怖い話だった。話が恐ろしいうえに、土田の話し方が怖さを助長させ、すっかり恐怖心に捕らわれてしまった。
 三番目は眠れないというよりは、眠れないがためにこうなったと言った方がいいかもしれない。それは、トイレに行きたかったのだ。しかし、土田の話が頭にこびりつき、とても一人では行けそうもない。「赤い半纏」という話は、ある女子寮のトイレで夜中にそこに行くと角のトイレから「赤い半纏着せましょか?」という老婆の声が聞こえると言うものだ。結局最後に、調べに行った婦人警官が死に、しかも頭が割られて、服が赤い半纏のように真っ赤になっていたという。  そんな話を聞いた日には、トイレなどとてもとても行けない。それに外は風が強いのかヒューヒュー唸っている。どうして私はこんなに怖がりなのだろうか。自分ながら情けなくなってしまう。本当にお化けがいるとは思っていないが、幽霊ぐらいはいるかもと思ってはいるものの、そうそう出てくるはずもない。しかし、怖いものは怖いのだ。なぜと言われても、怖いとしかいいようがない。暗闇に何かいたらどうしよう。何かが動いたらどうしよう。特にこんな宿のトイレというのは、夜は真っ暗で電灯のスイッチなんかは内側にある。電気を付けた瞬間に白い物でもいたらそれこそ気絶ものだ。
 そんな事を考えながらトイレに行こうか、このまま何とか寝てしまおうかと迷っていると、美砂を置いてその隣の恵が起きて動きだそうとしていた。悦子は囁くような声で言った。
「ケイちゃん、もしかしてトイレに行くつもり」
「そうですけど」恵は寝とぼけた声で答えた。
「それじゃ、私も行く」悦子は嬉しそうに布団から飛び抜け、向こう側に寝ている男たちを踏まないように忍び足で進んだ。竹内の横を通る時、蹴っ飛ばしたい衝動にかられたがここは我慢した。
 もちろん、恵を前に歩かせ、二人はゆっくり階段を降りた。階段が軋む音も悦子には恐ろしかった。トイレは一階の食堂の手前にあったが、そこまでは薄暗い電灯しかない。恵に先にトイレへ入ってもらい電気をつけさせた。誰もいないよねと、きくのはさすがに恥ずかしかったので、明るさという安心感もあり堂々と入った。しかし、角のトイレは当然避けた。
 悦子がトイレに入ると隣から「赤い半纏着せましょか」とか細い声がきこえた。
「ケイちゃん、止めてよ!」と悦子は本気になって怒鳴った。
 二人は手洗いに行き、「ほんとに、まったく、もう、ケイちゃんたら」とぶつぶつ言った。
「御免なさい、山田さんて本当に怖がりなんですね」
「しょうがないじゃない、性格だもん」
「えっ、へっ、へっ」
「でも、ケイちゃんちょっとは元気になったみたいね」
「そうですか?」
「どうも夕方ごろから元気がないように見えたし、食事や宴会の時も何となくのってないっていう感じだったわね」
「・・・・・・」
「何か悩み事か心配事でもあるの?」
「ええ、まあ、ちょっと」
「私でよかったら相談にのるわよ。今直ぐでなくてもいいから気持ちが落ちついたらね。美香さんとか松浦でも相談にのれるとは思うは。女の子って人にきいてもらうと気が晴れる時もあるしね」
 悦子ははちゃめちゃな性格だが、頼り甲斐がある部分もある。芯はしっかりしているのだ。先輩として女の子たちの世話も一生懸命みている。後輩たちも彼女のことを信頼しているようだ。
いろいろ相談にも乗ってくれるが、ただ、言ってもまずくないことは社内に広めてしまう欠点もある。恵は悦子の言葉に動かされるものがあった。目が少し潤んできた。
「ありがとうございます」
「わかったわ、冷え込んできたから戻りましょ」
「キャーッ」
「ケイちゃんどうしたの、ビックリするじゃない、また冗談なの」
「いえ、窓の外に人の影が見えたから」
 悦子は振り向いたが何もなかった。ただ、風が窓にあたっているだけだった。
「気のせいじゃないの」
「ええ、確かに見たんですけど、疲れているのかしら」
「まあいいから戻ろ、戻ろ」悦子は怖くなってきたので恵を急かせた。
 階段は登ると部屋の方から、かすかに竹内のいびきがきこえた。
———こんなところまできこえるの、向かいに泊まっている人が聞いたらどう思うかしら。そういえば向かいの客はアベックだったと伊藤君が言っていたっけ。
 悦子は少し変な想像をして顔をあからめた。酔い過ぎたかなと感じて、直ぐ寝ようと思った。 相変わらず竹内は豪快だった。
「ケイちゃん、寝れるの?」
「大丈夫ですよ。私、寝つきはいいほうですから。でも、凄いですね。・・・・・・じゃ、お休みなさい」
「お休み」悦子は枕の中に頭を突っ込み、寝ることに努めようとした。

         4

 翌日は朝からふぶいていた。風は台風のごとく吹きまわり、雪は真横に降っているようであった。視界は十メートルも見えればいいところだ。道には一気に雪が積もりまともに歩くこともできない。
 佐藤たちは当然スキーを取り止めた。こんな吹雪の中でスキーをやるほど物好きではない。第一、リフトが一部しか動いてないという情報だった。帰ろうと思ってもこの天気では車の運転はいくら4WDとはいえ危険と判断するしかない。治まるのを祈って昼まで待つことにした。宿のおばさんも昼まではいてもいいと承諾してくれた。朝から酒を飲むわけにもいかず(実際は昨夜で無くなっているのだが)、昨夜残ったつまみをつっついている者もいれば、ボーッとテレビを見ている者、藤井のようにそのまま布団で寝ている者もいた。スキー場へ来てスキーをしないのでは、時間はただのチリに過ぎない。
 竹内も無為に暇を持て余していたが、ふと恵がいないことに気がついた。二十分位前に部屋から出ていったような気がしたが、それから全く見ていない。
「林田さん、どうしたのかな?」と起き上がりながら皆に言った。
「そういえば、さっき出ていったきり見てないわね」と美香が周りを見渡した。
「トイレにしちゃ長すぎるし、どっかに行ったのかしら」と美砂。
「まさか、こんな吹雪の中。どこへ行くっていうんだよ。風呂じゃないの?」伊藤が呆れた様子で言った。
「朝は風呂やっていないよ」と土田が目をつぶったまま言った。
 悦子は昨夜の事があるので、妙に気になり始め「探してくる」と出ていった。
 三分位して悦子は戻ってきたが「どこにもいないわよ」と心配そうな顔をした。もう一度探そうということになり、青山、佐藤、竹内、悦子、美香が宿中を見て回った。しかし、恵の姿はどこにもない。佐藤が階段を慌てて登ってきた。
「大変だよ、宿のおばさんが彼女らしい人が出ていくのを見たって言うんだよ。それに彼女の靴が無くなっているんだ」
「この天気の中、どこへ行くっていうんだよ。正気じゃないぞ」と伊藤が叫んだ。
「とにかく、男たちは彼女を探しに行こう。君たちはひとまずここで待っててくれ、戻ってくるかもしれない」青山がてきぱきと指示を与えた。十一人の顔に不安が蔓延している。
 六人の男たちはスキーウェアーの上着やジャケットと手袋をとり出し、猛吹雪の中にかけだした。
 突風の大荒れの天気、道の上に深雪が積もり、とても歩けるような状態ではない。しかし、今はそんな文句を言っている暇もなく、六人は歩き始めた。彼女がどっちへ行ったか、皆目見当もつかなかったが、まず、スキー場の方へ向かったと判断し、藤井を先頭に縦に並んで進んだ。
 雪と風が容赦なく顔と体に叩きつけられる。一瞬にして体は凍え、体中に冷気が走る。スキーブーツを履いていないので、普通のスニーカーでは歩きづらく靴下の中まで雪が湿ってきた。他に歩いている人などいず、周りは白一色しか目に入らない。
 ひとまず、三百メートルほど行った先にある公衆浴場の湯けむり館まで行くことにした。三百メートルなど、普段ならどうっていうこともない距離だが、雪の中では一分で十メートル進むのが精一杯のような気がした。前傾姿勢で何とか進んでゆくと、雪の間に温泉の明かりがかすかに見えだした。その手前に駐車場があるのだが、そこの脇に三人の男らしい人影が見えた。一人はしゃがんでいる。雪の中に何かがある。藤井がそこに近づいて行ったので竹内たちもそれに続いた。
 雪の中には人が倒れこんでいた。ほとんど雪に埋まり体の一部が雪から出ている。しゃがんでいた男が雪を払いのけた。すると、赤く染まりシャーベットのように固まった雪が現れた。その赤い部分の流れは倒れている人の胸につながり、そこにはナイフが突き刺さっていた。
 真っ白なジャケットが赤く染まり始めている。みようによっては赤い半纏に見える。男が顔の部分の雪を払うと、それは女性の顔だった。林田恵の。

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