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乗鞍高原殺人事件 〜見えない糸〜


第五章  『死』とメッセージ

         1

 竹内正典は雪の中を歩いていた。深い雪の中を。空から止めどもなく雪が降りつづけている。風はない。竹内は自分が薄いシャツにジーンズしか着ていないのに気付いたが、なぜか寒さは感じなかった。ひざまでの雪をかき分け当てもなく前に進む。突然目の前に黒い物体が落ち、雪が舞い上がる。竹内はその物体に近づいた。それは人間、男だ。男はうつ伏せに倒れている。そして、苦しそうに顔を上げた。「オオシマノヤツ・・・・・・」と男はつぶやいた。竹内は恐怖にかられ後ずさりし、来た道を戻ろうとした。今歩いてきたばかりなのに、既に道は雪に閉ざされ跡形もなくなっている。走ろうとしても足が雪にとられてなかなか進まない。男に足を引っ張られているような錯覚までしてきた。
 雪の壁に二つの光が見え、徐々にこちらへ近づいてくる。それは赤いエクリプスだった。車はみるみる迫り、竹内の目前で急ブレーキをかけた。雪を舞い上げ車は少し傾いて止まった。車の中には男と女が乗っている。それは尾関と恵だった。二人はフロントガラス越しに竹内をじっと見つめた。その目は悲しみに満ち満ちていて何かを訴えている。
 竹内の足元の雪が急に増えた。いや、雪が増えたのではなく、竹内の方が雪に埋まり始めたのだ。あっという間に竹内の体は雪の中にのみ込まれていき、もがいてももがいても這い上がれないない。まるで蟻地獄のようだ。首元まで雪に埋まり、ついに息が出来なくなった。
 竹内は布団の中でビクンと体を動かし、一瞬にして目を覚ました。すべて夢だった。パジャマの中には汗がにじみ出ていた。竹内は「ふっー」と一息ついて今の夢を回顧した。一昨日も何の夢かはっきり覚えていないが今みたいな悪夢だった気がする。
 今日は土曜日で久しぶりに家でゆっくりすることができる。体とそれ以上に精神を休めなければならない。今週は慌ただしかった。心身共に疲れ果てていた。月曜日に戻り松本から来た天野刑事の事情聴取、そして二人の葬式。
 二人の葬式は全く対照的であった。恵の方は突然の悲報に弔問客は涙にくれ、憔悴しきっていた。一方尾関の方も悲劇とあって悲しみにうちひしていたが、心中と言っても殺人には違いなく弔問客もよそよそしかった。マスコミの方は騒ぎたて、どちらの家にも露骨に遺族に対し質問をぶつけ、カメラのフラッシュが瞬いていた。なかには、一年前の専務殺害事件もからめトリオは呪われた会社と言い張ったものもいる。竹内は怒り心頭し、殴りたい衝動に駆られたが、そこな何とかおさめた。
 事件は結局、無理心中事件ということで収まった。尾関の同期などから話をきいたところ、彼は恵に対し思いを寄せていたようで、恵の方も恋愛にからんだことで悩んでいたらしい。二人の付き合いがどの程度だったかは憶測でしかはかれないが、尾関が死を選んですべてを終わりにすることにしたのだろうというのが警察の考え方だ。
 仲間うちから恵がスキーに行くことを知り、自分も一人で後を追った。土曜日、佐藤たち一行がバラバラにスキーをして、恵が一人になった時彼女に近づき、翌日会う約束をした。日曜日、天気は荒れスキーは中止になったが、恵は約束に間に合うよう、一人で落ち合う場所に向かう。その途中で尾関が刺殺、彼女を置いて尾関は山へ登り自殺を図った。
 恵を刺したナイフには尾関の指紋が付着していたし、尾関の車から発見された遺書は彼のものと筆跡鑑定された。あの吹雪の中よく山までいけることができたなとか、なぜ、車を使わなかったのか疑問は残るが、自殺者の心理は複雑なので、その点はあまり考慮されなかった。
 竹内は布団の中でまどろんでいた。意識の方はまだボーッとしていた。竹内は今回の事件で再び「死」というものに対し畏怖の念を感じていた。突然の後輩の死、そして見ず知らずの男の死。それが、一年前の事件をも思い起こさせ、「死」という一文字が脳裏を駆けめぐる。
 竹内の両親兄弟、そして同居している祖父母も健在のため、肉親の死というものに対面したことはない。もちろん、叔父や叔母などの近い親戚の死には直面しているが、自分がまだ大人になっていなかったり、親戚といっても毎日顔を合わせているわけでもないので、それほど深く考えることはなかった。しかし、社会に出て家族以上に親しくしている友を目前で亡くすという事態に「死」というまだ見えぬ概念が押し迫って来た。今まで共に仕事をし、遊んでいた者が突如いなくなる。そのことが心に与えるショックは相当なものである。
 一年前の時はしばらく鬱病のように空虚な時間を過ごした時もあった。「死」が、人の命が消える事が恐怖を生んだ。俺もいつしかこの世から消えるのか?予期せぬ出来事で自分が死んだという事実も分からず、自分の存在がこの世から消滅するのか?その想像もできない世界が恐怖を産出し、心を蝕んできた。
 人は産まれ「誕生」というスタートから「死」というゴールへまっしぐらに進む。その道は、コースは人それぞれによって長さが違う。人生という様々な障害を乗り越え、また幸福という頂きに向かい、人はいつしかゴールへ進む。目指したくなくても運命という見ない要素がゴールへと促す。しかし、中にはコースをはずれ、まるでワープでもしたかのように、突然ゴールへたどり着いてしまう者がいる。頂きを越えることなく、いつしか思い出にもなるかもしれない障害も語れずゴールへ。
   恵と尾関の死が再び忘れ去っていた恐怖を甦らせ、山内という男の死が運命の儚さを痛感させた。
 竹内は「死」というものに何か引っ掛かるものがあった。今考えている死の恐怖ではなく、「死」という言葉自体に何か引っ掛かるのだ。何だったのだろうか?当然今まで見聞きしていることの中に、何かあった気がする。けれど、疲れきった頭ではその先を探し当てることができなかった。
 山内の死なのか?竹内はふと思った。山内の転落事故は事故として処理されたのだが、竹内にはやはり納得できないものがあった。もちろん「オオシマノヤツ」という彼が言い残した言葉もあるが、今冷静に考えると他にも気が付いた事柄があった。山内が転落したのが事故とすると、それは運の悪い偶然なのか?あのコンクリートのブロックの上に落ちたというのはよっぽど運が悪いとしかいいようがない。しかも目撃者がいなかったというのは、統計的な確率からいってもものすごく低いものに思われる。
 ———まてよ、ブロックの上に落ち、目撃者がいなかったというのは、もし、これが誰かに突き落とされたと考えるなら、犯人にとっては千載一遇のチャンスだったかもしれない。同じ場所、タイミングなら転落するより落とされた方が可能性としては高いのではないか。大沼巡査が言った「運が悪かったんですな」という言葉が思い出される。運が悪かった。逆に犯人にとっては運が良かったのか。運の良い悪いという確率はこの場合同じだ。事故と殺人は表裏一体である。山内はやはり突き落とされたのだろうか?
 山内が転落した時の顔と夢の中に出てきた山内の顔が、その目が何かを訴えている。それは転落して”しまった”という表情ではなく、なんで俺がこんな目に合わなければいけないのかという表情に思えてくる。山内は竹内に訴えているのだ。
 竹内は今夜も「エルム街の悪夢」状態になるのは避けたかった。悪夢をなくすにはその原因をなくす、もしくは原因を納得しなければならないと思った。まるで「エイリアン2」のリプリーのように心を決め布団の中から立ち上がった。そして、システム手帳を取り出し土田に電話を掛けた。

         2

 土田は家にいた。今週末もスキーに行く予定だったらしいが、今はそんな気分にはなれず取り止めたそうだ。家でごろごろしているので、直ぐに来てくれと言われた。土田は家である団地の前で待っており、そのまま竹内のスカイラインで出かけた。昼食前とあって、土田が知っているレストランで落ちつくこととなった。
 DINERというアメリカ映画に出てきそうなカフェ・レストランだった。店内も60’の雰囲気で統一してあり古いジュークやジェームス・ディーンの写真、アートなどがある。食事もハンバーガーやフライドポテトなどそれらしいものばかりだ。二人はハンバーガーとチキンサンドを頼んだ。
「会社の方はどう?」竹内が最初に切り出した。
「まあ、なんとか落ちついたけど、ずっと忙しかったよ。一年前のことが思い出されてね。いいようのない感じだよ。それで、今日はなんなの?」
「んー、今回のこといろいろ考えているんだけどね・・・・・・」
「ちょっと待った。この事件に首を突っ込もうとでも思っているの。まあこの間の件は僕から頼んだことだけど、今回の二人の事件については一応片づいているんだし、それとも、何か疑問でもあるの?」
「いや、二人の事ではないんだ。あの転落事故のことだよ。そっちの方が特に気になってね」
「ああ、あのことね。二人の事件のことでそっちの方はてんで忘れていたよ」険しい表情だった土田は安心したような顔に戻った。「で、何が気になるんだい?」
 竹内は山内の転落事故に関する事や自分の考えを説明した。
「『オオシマノヤツ』ね、推理小説でいうとダイイング・メッセージということになるのか。それで、どうするつもりなの?そのオオシマという人物を探そうということ?」
「そのつもりだけど」
「でもどうやってオオシマなんて?それなりにある名前だし、もしかしたらオオシマっていう場所に住んでいる人かもしれない。例えば伊豆諸島の大島とかさ」
「そういうことも考えられないことはないけど、ひとまず、山内氏の家族にでも会って親戚や友人にいないかきいてみるつもりだけど」
「ふーん、それで・・・・・・もしかして、心細いから僕を誘ってみたわけ」食い入るように土田が見つめた。
「あたりー」竹内は人指し指を立てて手を振った。
「しょうがないな。それでいつ行くの?」
「今からだよ」
「えっ」
「一応山内氏の住所なんかは新聞見て分かっているからさ」
「はいはい、でも、山内さんの事がさ、万が一殺人事件だとしてその後はどうするつもり?」 竹内は少し押し黙ってから言った。
「もちろん警察に行って、もう一度捜査してもらうけれど、それ以上に・・・・・・」
 竹内は言おうか言おまいか迷ったが「つまりだね、山内氏が殺人事件だとしたら、二日間のうちに乗鞍という小さな町で二件も続けて殺人事件が起こったことになる。そんなたて続けに起こるなんて偶然にしては出来過ぎだし、不自然だ。だから、俺は山内氏の転落事故と二人の心中事件は関連があるんじゃないかと思うんだ」
「まさか、あの二人のどっちかが、山内さんと知り合いだったて言うの。それとも、尾関君が山内さんまで何らかの理由があって殺したとでも言うのかい」土田は竹内の飛躍についていけなかった。
「それは、ちょっと違うな。二つの事件は同じ刑事が扱っているんだけど、そういう関連があるならもう捜査済のはずだと思う。警察でも多少二つの事件の関連を考えているはずだからね。 当然そのへんは両方の関係者にきいていると思うよ。でも、事故と事件として発表されたから繋 がりはなかったのじゃないかな」
「それじゃ、やっぱり関連はないんじゃない」
「いや、そうとも言えない。警察は関連がなさそうなので事故と事件にしてしまったのだが、俺は逆に事故ではなく事件と考えているから、二つは繋がっているように思うんだ。転落事故を事故と考えている警察と事故を事件と考えている俺とでは出発点が違う。特に警察は『オオシマノヤツ』を全く無視しているから、そこから既に考え方が異なっているんだよ」
「でもね、この事件がどう繋がっていると竹内さんは考えるの?」
「それは、山内氏の事を調べてみないと分からないよ。でも何か繋がりが、見えない糸があるような気がしてならないんだ」
「僕はまだ半信半疑だけど、竹内さんのことは信頼しているし、今までの実績もあるから、その山内さんのこと、調べてみる価値はあると思うよ」土田は指を顎の下で組み合わせて体を乗り出した。
「ありがとう」
 二人は店をあとにした。竹内が誘ったということで食事代はすべてもった。
 スカイラインに乗り山内の家がある東郷町へ向かった。レストランがちょうど国道一五三号線の近くだったのでそのまま一五三号のバイパスに入った。バイパスとあって走りやすいのだが、今、片側の一車線を二車線にする工事が行われている。どのみち、二車線にするなら、なぜ、最初から二車線にしておかないのだろうかと、竹内は疑問というか役所に対する苛立ちを感じた。当時予算なくて一車線しか作れなかったとしても、数年後に二車線化したのでは二度手間で、物価の上昇なども絡んで余分に金がかかるような気がしてならないのだ。
 車は日進町から東郷町に入った。東郷町は名古屋圏のベットタウンとしての役割をはたしている。近年、地下鉄鶴舞線・名鉄豊田新線の開通に伴い急速に発展した。道路のほうも市街地から離れた一五三号線のバイパスが豊田まで完成し、新しい生活圏が広がりつつあった。まだまだ、未開発の土地も多く残り発展途上の町である。
 車はゴルフのクラウンズで有名な和合を過ぎ、旧一五三号と別れる。山内の家はそこから少し進み大きな人形屋のところを小道に入った辺りだった。こういう都心から離れたところは字とか大字とかがあり、最初どこがどこなのか道路地図だけでは良く分からない。あちこち動きまくって、散歩している人を捕まえやっと見つけることが出来た。
 竹林や造成中の土地などがある少し田舎臭いところで、家の前には小さな墓地があり、二人はギョッとしてしまった。

         3

 山内盛幸の家には母親だけが在宅していた。家の中には重苦しい雰囲気が漂っている。それは線香の香りがかもしだしているのかもしれない。まだ山内が亡くなって一週間、突然の訃報だけあって悲しみを拭うにはまだしばらく時間がかかる。
 山内の母はいきなり見ず知らずの訪問者が現れ、戸惑った表情をしていたが、竹内が事故の通報者だと説明すると、「お世話になりました」と丁寧に挨拶し、中に通してくれた。母親は五十位のほっそりした人で普通のおばさんに見える。だが、息子の死に接し、かなり憔悴しきっているようだ。
 二人は山内の仏前に手を合わし御焼香をした。苦痛の表情しか見ていない竹内にとって遺影の中で山内が微笑んでいる顔を直視すると、心に染み渡るものがある。竹内は山内の事故についてどう話そうか迷っていた。まさか「息子さんは殺された可能性があるのですが」とは言えない。しばらく、お悔やみの言葉や事故の目撃の事を話し、重要な点についてきこうかきこまいか躊躇していたところ、土田が竹内の胸の内を察したのか、上手い口実で話を切り出した。
「あの、山内さんが亡くなられた時、正確には意識をなくされた時に竹内が、最後の言葉をきいたんですけど」
「はあ」母親は不審そうな顔をした。
「オオシマとか言ったんだそうなんですけど、オオシマという人に何か言いたかったんじゃないかと思っているんですが」
 土田は「ヤツ」という卑下した言葉をわざと避けた。
「山内さんの友人か知人の中に、オオシマという人はいませんかね?」
 竹内は土田がうまく切り出してくれたので、それに追随するように口を開いた。
「私が山内さんの最後の言葉を聞きましたので、何を言いたかったのか分からないんですが、せめて、そのオオシマという方にお会いして『あなたに、山内さんが何か言い残したかったんですよ』と伝えてあげたいと思っていましてね。心当たりはないかと思って、お訪ねしたんですが」
「そうなんですか。オオシマという方には心当たりはありませんね。・・・・・・少々お待ちください」
 山内の母親はしばらくしてから葬式の記帳名簿を持ってきてぱらぱらめくった。
「やっぱり、オオシマという方は見当たりませんね。葬儀に見えた方の中にはいらっしゃらなかったのかしら」
 そうなると、オオシマという人物はそれほど山内と親しい間柄の人物ではないのであろうか。それとも、オオシマという人物が山内を転落させた犯人としたら葬式に出るほど図々しくもないのか。
「そうですか、・・・・・・そうなると、オオシマという人はどこの方か分からないんですね。困ったな」土田はわざと困ったような顔をした。
「それでは、山内さんが親しくしていた友人の方を教えてもらえませんか?学生時代とか会社の方とか」
 母親は少し困惑していたが、わざわざ家まで来てくれたので、教えることにした。会社の友人と学生時代の親友を一人ずつ紹介してくれた。
 二人は早々に山内家を辞した。
「竹内さん、これからその二人に会いに行くの?」
「そうだな、二人ともここからは遠いところだし、時間も遅いんで明日にしようかと思うんだけど、土田さんは明日も暇なの?」
「えっ、明日はちょっと用事があるんで、悪いんだけど」
「そう、別にいいよ」竹内は土田の返事におやっと思ったが、あえて突っ込もうとははしなかった。
「それじゃ、竹内さん、もう帰るかい?」
「ああ、土田さんを送って帰るけど」
「そんなら、墓参りに行こうよ」
「墓参り?・・・・・・ああ、そうか、もう一年だもんな。ん・・・・・・、途中花屋にでも寄って、行こうか」
 二人は友に会いに出発した。

 日曜日、竹内はまず、山内の会社の同僚、羽多野美紀を訪ねることにした。美紀は名古屋市に隣接する春日井市に住んでいる。春日井市は西部は工業中心の市街地で名古屋空港にも近い。逆に東部は新しい住宅街で、高蔵寺ニュータウンと呼ばれる巨大な団地群がそびえ、その西側には岐阜県と接する内津峠や定光寺付近の庄内川渓谷がある。中規模の都市で社長を含めトリオの人間も多く住んでいる。
 美紀の家は春日井市といっても、庄内川を挟んで向こう側は名古屋市の守山区というところだ。竹内は道路地図を見ながら川辺を進んだ。昨年の春この近くでバーベキューをしたことを思い出した。雨の日だったが、肉などを買っていたので橋の下で無理矢理決行したのだ。JRの高架をくぐり、その橋の手前で曲がって工場地帯を抜けると小さな住宅街に出た。ここからはよく分からなかったが、公園の角にある住宅地図を見つけ、美紀の家を確認した。
 美紀は家にいた。ここでも見ず知らずの人間の来訪に驚いていたが、山内の母親にいったのと同じような嘘を行って彼女を納得させた。
 美紀は山内の勤める愛知タイヤという、文字通りタイヤ関連の会社で事務員をしている。山内とは親しい付き合いをしていた。山内の母親に、彼の会社の知人を教えてほしいと頼んだところ、女性を紹介してくれたので竹内は少々驚いた。つまり、山内の親も公認しているほどの間柄なのだろう。そのあかしは彼女の態度からも判別できた。山内の死は彼女にとっても相当なショックであり、彼の話にはあまり触れたがらないようである。しかし、オオシマを探すことには理解を示し、重い口を開いてくれた。
「オオシマという方、会社の方にはいらっしゃいませんか?」
「そうですね・・・・・・、私の会社にはそういう者はいませんが。そんなに大きな会社でもありませんし、ほとんどの人は知っているんですけど。ただ、工場の方は私もあまり詳しくないんで、そちらの方かもしれませんね」美紀は涙を拭いながら答えてくれた。
「あの、仕事上での付き合いの中ではありませんか?」
「そうですね、その点でも、私の知っている限りでは分かりませんね。彼の名刺などを見れば分かるかもしれませんが」
「そうですか」竹内が少し残念そうな表情をしたので美紀は気をきかしてくれた。
「一度、調べてみますわ。もし、後で分かりましたら連絡を差し上げますわ」
「それは、すいません」竹内は会社の連絡番号を教え、自分がいない時は土田という者にことづけをしてほしいと話した。
「ところで、山内さんは会社の方々とスキーに行かれたのですか?」竹内は話題を変えるため、あてずっぽできいてみた。
「そうです。私とあと会社の者が三人ほど」竹内の感が当たった。
「山内さんが事故に遭われた時、お一人だったんですか?」
「ええ、ふと気が付くと彼だけがいなくなったので、どうしたのかと思っていたんです。しばらくしても、戻らないので心配になってきたら、彼のことが放送されたんです」彼女はここでまた涙ぐんだ。
「す、すいません。辛いこときいちゃって」
「いえ、いいんです。こちらこそ、お見苦しいところを」
「それじゃ、最後にひとつだけ。山内さんは誰かと会っていませんでしたか?彼が知っている誰かと?」
「いえ、そんなことはないと思います。彼がいなくなる間までは」
「そうですか、いろいろ有り難うございました」
 竹内は美紀の家を辞した。続いて学生時代の友人、蟹江貴弘を訪ねた。蟹江は尾西市に住んでいるので、春日井からは県道と一五五号線を使って西へ進んだ。尾西市は繊維で有名な一宮市の西側と木曽川に挟まれている。尾西市も工業は繊維関係が多いが、濃尾平野の真っ只中なので田園地帯といったほうがいいかもしれない。
 蟹江の家も字とかがあり、何丁目というのがないので探しにくいかと不安だったが、案外簡単に見つかった。一五五号線を走り、名神高速道を越えた辺りで脇道に入って東海道新幹線の高架橋のところまで行くと、カラオケ兼レストランがあった。そういえば、新幹線から見たことがある気がした。
 蟹江はこの店でマスターとして働いていた。たぶん、家族経営なのだろう。昼過ぎに到着したし、日曜なので客は三人ほどしかいない。竹内は遅い昼食をカウンターで食べながら話をきくことにした。
「失礼ですが、蟹江貴弘さんですか?」
「そうですけど、貴方様は?」蟹江はわずかに不審な目付きをした。だが、客商売をしているだけあってあからさまには表情にださない。
「ええ、私、竹内といいます」
「それで、私に何か?」
「先日亡くなられた山内さんのことはご存じですね」蟹江は警戒の色を濃くした。
「はい、知ってますが、葬儀にも行きましたし。それが、どうかしましたか?」
「実はですね、私、山内さんが事故に遭われた時の発見者なんですよ」
「そうなんですか、それはそれは」多少、蟹江は安心した気持ちになっていた。
 竹内は山内が残した言葉について説明した。
「それで、山内さんのお母さんから貴方のことうかがいまして、学生時代の知り合いにオオシマという人はいなかったかこうしてお訪ねしたんですけど」
「そうですか、それは御苦労なことで」
「それで、どうでしょう。オオシマという人物に心当たりはありませんかね。もしかしたら、オオシマという場所の人かもしれませんが」
「そうですね、私が知っている限り、小島はいましたけど、オオシマはいなかった気がしますな。もちろん伊豆大島からこっちに来た人もいなかったしね」
「そうですか」竹内は落胆した。ここに来れば何か見つかると最後の期待をしていたのに、全く徒労に終わってしまった。
 竹内は山内の事をもう少しきいてみた。
「山内さんはどういう方だったんです」
「まあ、一言で言えばいい奴っていうとこですかね。誰とでも気軽に付き合っていたし、屈託のない奴でしたよ。でも、少々変わったとこというか、時々付いていけない部分もありましたけどね。熱中しやすいタイプなんですな」
「蟹江さんは、彼と大学で知り合ったんですか?」
「ええ、あいつは経済学部で、私は社会学部でしたから。でも、いまじゃレストランのマスターですからね、大学なんてほとんど意味なかったですけど、やっぱり遊びたかったですからね」気を許すとよくしゃべる男だ。
「大学は名古屋の方に?」
「ええ、一応、南山ですけど」蟹江は少し照れ笑いをした。
「卒業後も会われていたんですか?」
「んー、時たま会ってましたよ、ここにも二三回きましたから。あいつは立派なサラリーマンで、私はしがない店長。釣合いは取れませんが、気が知れた仲ですからね」
「じゃ、その時にでもオオシマという人の事はでてきませんでした?」
「そうですね、あんまり記憶にないですね。竹内さんでしたか、妙にオオシマにこだわりますね」
「いえ、どうしても最後の言葉が気になるもので」
「そうですか、あなた素晴らしい人ですね。そうそう、こんな事やろうとする人はなかないませんよ。はっきりいって他人でしょ。立派だな」
「ええ、まあ」竹内は照れるのみである。
「でも、あいつも最後に何か言いたかったのなら、私の名前を呼んでくれればいいのに、みずくさい奴だな」と言いつつ蟹江は少し目を潤ませていた。彼にも山内の訃報は衝撃だったのだろう。山内の呼びかけは、自分を死に至らしめた者に対する叫びなのかもしれないとはとうてい言えない。
 後から何か思い出したら連絡してくれるように頼んで、竹内は蟹江の店を後にした。
 収穫は何もなかった。帰りの車の中で竹内はいろいろ考えたが、やはり何も浮かんでこない。ただ、今日の出来事の中で一瞬だが何か心が揺り動かされる、ピンと来るものがあったようなきがしていた。何だったのだろう。また、悪い癖が出たなと思ったがどうしても思い出せない。そして、今日も眠れない日が続くかと、憂鬱な気持ちに陥ってしまった。

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