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乗鞍高原殺人事件 〜見えない糸〜


第七章   虚実の崩壊

         1

 竹内は土田たちに思考を邪魔されたくないので、一人で七階に上がった。ゆっくり階段を登り一つ一つパズルのピースをを組み立てようとした。山田というキーパズルが見つかったことで、パズルは急速に埋まりだした。あとは残った細かい不鮮明な部分を作り上げるだけである。
 なぜ山内は殺されたのか?山内が殺されたということは確信していた。そう仮定すればすべてが見えてくる気がする。となると、恵と尾関の死はどうなるのか。当然、山内の死に関連しているはずだ。いや、山内の死が二人に関連しているのかもしれない。では、どのように。そこで二人の死に疑問がわいてくる。無理心中と殺人では結びつきが明確にならないが、殺人と殺人ならどうか?すでに俺は二人が殺されたものと考えている。そして、それは今確定的となった。そう、心中に見せかけて殺された?なぜ?山内が殺されたためか?それを恵が目撃したため?いや、それでは尾関の存在がなくなる。まてよ、なぜ尾関が乗鞍にいたのか?心中ではなかったらとしたら、どうして彼が乗鞍に来ていたのか、殺されるため?そうなると誰かに呼ばれたことになるのか?恵が呼んだのか。何もスキー場に、しかも我々に黙って呼ぶはずがない。つまり、尾関のを呼んだのは山田なのか?山田が呼んで二人とも殺したのだろうか。そうだ、そうだとすると辻褄があってくる。理由は良く分からないが、山田は二人を無理心中にみせかけて殺したのだ。
 そうなると、山内の死は?そうか、山田は乗鞍にいてはいけない存在なのだ。それがいた。山内に見られたのだ。だからこそ、山内を消さなければならなくなったのだ。恵と尾関の心中が新聞に載ればトリオの名も当然出るはずだ。そうなれば、その日山田が乗鞍にいたことを疑問に思うかもしれない。山内が、ただの偶然なり、山田が恵たちのグループと一緒に来ていたと考えてくれればいいのだが、山田にとってはそこまで楽観視出来なかったのだろう。だから、隙を見て山内を誘い絶好のチャンスに転落させた。
 山内の殺害の動機は察しが付いた。では恵と尾関の動機は?三角関係のもつれか?金銭的なものか?まてよ、尾関の車から見つかった遺書は彼の筆跡だった。それに、山田はどうやって乗鞍に行ったのだろうか。下手に動けばばれてしまう可能性があるはずだ。そのへんが良く分からない。それ以上に証拠が何も無い。単に竹内自身の推論にすぎない。
 七階に着くと神谷順子と榊原香織が目に入った。恵の同期である。加藤と渡辺は出向に出ているので社内にはいなかった。竹内は二人の話をきくのは忍びなかったが、真実をつかむには仕方がないことだ。勇気を奮い起こし二人に近づいた。二人は昼食の弁当を食べ終わり、談話をしていたが明るい雰囲気ではない。香織は総務部である。久野が結婚後もしばらく勤めていたが、子供ができたことで退職となった。それを見越して、一人新入社員を総務に配置したのだ。皆から「香織ちゃん」と呼ばれている。それは榊原主任との混同を避けるため入社以前のアルバイトの時から言われていた。髪は長く体格も小柄な方で、可愛い感じの子である。始めの頃はおどおどしていたが、今では一人前に仕事をてきぱきとこなし、こちらの冗談にも対応できるようになっていた。しかし、照れ性なのか赤面症の癖はいまだになくならない。彼女の顔をじっと見つめれば必ず赤くなるので、酒の席でよく佐藤たちがからかっている。
 一方順子の方は恵と同じ二課で、竹内の思うところ彼女が恵と一番中が良いのではないかと判断できる。順子の方も小柄で髪も長く、サラッとした感じだ。ぽっちゃり型かなと思っていたが、着太りするタイプなのか、私服でジーンズをはいた彼女を見た時、スリムだったので驚いたこともある。ただ、竹内が一つだけ順子についていけない部分がある。それは彼女のしゃべり方だ。性格的にのんびり屋さんなのか、動作もゆっくりだし、それ以上にしゃべり方がスローなので、時々竹内は喉元を掻きたくなる衝動にかられてしまう。
 そんな二人も今回の事件にはそうとうのショックを受けたようだった。葬式の時もずっと泣き続けていた。総務ということで事務的な対応に忙しかった香織は身体・精神共に疲れているようだ。
 竹内は苦笑しながら二人の前に座った。二人とも竹内が来たことで少し身構えている。
「ちょっといいかな、こんな時に何なんだけど、どうしても重要な事なんだ」
 二人は互いに顔を見合わせてから、香織が竹内の方を向いた。
「もしかしてケイちゃ・・・林田さんのことですか?」香織は少し辛そうに問いた。
「うん・・・そうなんだよ、あまり話したくはないと思うんだけど、どうしてもきいておかなければならないんだよ」竹内は穏やかに、しかも、優しく語りかけた。
 二人とも困惑していたが、竹内の活躍については知っていたし、人間としての信頼もあったので、心を開くことにし軽くうなずいた。
「警察の人もたぶん質問したと思うんだけど、林田さんが何かで悩んでいたというのは君たちも知っていた?」
「はい、そのことは知っています。はっきりと言ったわけじゃないんですけど、亡くなる少し前位から様子が変だったのできいてみたんです」
 香織は悲しげな目で答えた。順子はただそれにうなずいているだけだった。
「何で悩んでいたか、具体的なことは話した?」
「いえ、そこまでは。ただ、今思えば恋愛関係のことだったのかなと思えますけど、その時はあまりはっきり言わなかったんです。でも、何となく人間関係のことかなとは感じていたんですけど」
「そう、じゃ、相手が尾関君だということは全然分からなかったんだね?」
「そうですね」香織の声が小さくなっていった。
 竹内は少々失望してしまった。二人にきけば何か分かると思ったのだが、恵はほとんど胸のうちに引っ込めていたらしい。それほど深刻な問題があったのだろうか。その時、順子が口を開いた。
「あの、私、ちょっと違うような気がしていたんですけど」
「違うって何が?」竹内も香織も彼女を見つめた。
「そのケイちゃんが尾関さんと関係があったということなんですけど。私、どうしても尾関君とは思えないんです」
「どうして、彼女が言ったの?」
「そうじゃないんですけど・・・どうしてと言われても・・・何となくというか・・・」
 竹内は彼女の話し方が焦れったくなって口をはさんだ。
「つまり、女の感っていうこと?」
「ええ」順子は少し微笑んだ。
「最初、尾関さんというのを聞いたときは驚きましたけど、冷静になって考えるとどうしても違うような気がするんです。彼女わりと勝気な性格でしょ。それがあのおとなしそうでちょっと頼りなさそうな尾関さんとなんていうのはどうもぴったりこないんです」
 竹内は黙ってうなずいた。内心、自分の考えが正しいことを喜んでいた。
「有り難う」竹内は席を立ちかけた。
「もういいんですか」
「ああ、十分だよ。辛い話だったけど、有り難う」竹内は手を上げて微笑んだ。
 順子も目を潤ませた笑った。

 竹内は尾関の話をきくために再び六階へ降りた。土田たちはコーヒーを飲みながらはしゃいでいて、竹内が入ってきたのを気にしていなかった。竹内は谷口たちを探したが席にはおらず、マシンが置いてある側を覗いた。そこには、谷口文彦と江口英幸が昼休みなのに既にマシンの前に座って仕事をしていた。尾関の同期はこの谷口、江口、前沢、それに山田である。前沢はK塾に出向しているのでここにはいない。
 江口は高卒でまだ二十歳も迎えていない。樋口の後輩である。しかし、煙草は吸っているし、見た目にはとても十代とは思えない。性格はおとなしくあまりしゃべったりはしゃいだりはしない。仕事に関してはこつこつ、黙々とやるタイプだ。
 一方谷口の方は陽気な性格で屈託もなくウィットにとんだ面白い男である。仕事もそれなりに行うし、人付き合いもいい奴である。今後の二課を背負う人材なのだろう。竹内もたまに話して好感を持っていたが、いつも気になるのは、少々、頭のヘアーが危ないかなということだ。若いのにこれからが大変だなと会うたびに要らぬ心配をしてしまう。
 その二人に話をきこうと思い声をかけた。ただ、江口はまだ大人に成りきっていないので、大人の話はあまりきいても良く分からないと考え、谷口を中心にきくことにした。
「あっ、これはこれは、竹内さん。お久しぶりです。今日は何の御用ですか」谷口はいつもの冗談口調で受け答えをした。
 竹内は隣のデスクフロアーの人たちに聞かれないよう声を潜めた。マシンが置いてあるスペースは周りをマシンで囲まれているし、プリンターの音が竹内の声を抑えた。
「突然で悪いんだけど、ちょっと尾関君のことでききたいんだ」
 二人とも困惑と動揺の表情をかいまみせ、明るく振る舞っていた谷口の顔が歪んだ。竹内はそのことを気にせず話を続けた。
「たぶん警察にもきかれたと思うけど、尾関君が林田さんに好意を持っていたことは間違いないのかい?」
「ええ、そうです」谷口が答えた。
「それは、何、本人が言っていたの?」
「はい、随分前、みんなで飲みに行った時、そんなふうな話になって、酔った勢いで尾関君を突っ付いたら、とうとう洩らしたんですけどね」
「じゃあ、今回のことはそれが興じてあんな結末を迎えたと思うの?」
「まあ、結果的にはそう考えざるをえませんね。残念ですけど。ただ・・・」
「ただ・・・」
「ただ・・・なんとなく府に落ちな言っていうか、事実は頭に入るんですけど、気持ちの上ではどうも信じられないんです」
「どういうところが?」
「そうですね、具体的にどうとかは言えないんですけど、彼があんな大胆なことが出来るとは思えないんですよ。彼は見たとおりおとなしい奴で、優しい男でしたから」
「江口君もそう感じた?」
「ええ、何となくですけど」江口はつぶやくように言った。
「あの、さっきの飲みに行ったっていう話だけど、誰がいたの?」
「えっと確か、男は皆いましたよ。女の子たちは呼びませんでしたからね。そうじゃなきゃさっきのような話はしませんよ」
「山田君もいたの?」
「もちろん山田もいたし、前ちゃんもいましたよ」
「有り難う。参考になったよ」
「あの、また何か起こるんですか?」
「ん・・・・・・正直に言うと、今よりも辛いことになるかもしれない。しかし、真実を埋もれたままにすることは出来ない。死んだ人たちのためにも」
「分かりました」谷口は静かにうなずき、椅子に座ったまま、真っ暗なディスプレイを見つめた。

         2

 竹内は自分の席に戻る途中、ふと机の上にある自動車雑誌が目に入った。谷口の席だろうか。竹内は何気なく本を取りパラパラとめくった。読者の投票で選ぶ昨年のベストカーが特集で載っていた。エクリプスのことが頭に浮かび、パーソナルカーの部門を探した。ベストワンが自分のスカイラインだったので妙に嬉しくなってしまったが、その後、ソアラやRX7が上位を占め、エクリプスは十五位であった。
 その瞬間、竹内はあることに気付いた。何でこんなことに今まで気が付かなかったのか?竹内は自分を罵って馬鹿さかげんに呆れてしまった。
 時刻は一時になり、社員たちは仕事に就き始めた。竹内は美香に一言「出かけてきます」と言って事務所を飛び出した。美香は呆気に取られ返す言葉もなかった。竹内は出向先に出かけたのではなかった。所在場所を明記しておくホワイトボードには、ずっと出向先の名が書かれてあるので、社の者は何とも思っていない。しかし、竹内は尾関の家を目指していた。
 竹内は歩きながら考えた。予想外の展開に竹内自身も驚愕するばかりだ。「オオシマ」の謎に迫れば山内の死の真相に近づけると思っていた。そして、その結果、恵と尾関の死についても何がしかの推論を得られるだろうという、憶測というよりはわずかの切望があった。だが、オオシマ=山田という式が見えた瞬間全ての繋がりが明確になり、恐るべき結論に達してしまった。
 竹内のパズルもほぼ埋まった。残る問題は一つ(パズルのピースが一つ残るということはないから二つになるかな)。その疑問を解き、車のことについて再確認すればパズルは完成する。ただし、頭の中でだけでだが。
 尾関の家は会社から少し歩いた名古屋駅の反対側にある。JRのガードを潜り古い住宅街に入り込んだ。しばらく行くと先日葬儀を行った尾関の家が見えた。葬儀から一週間、まだ寂寥感と悲しみ、そして世間から疎外されている空気が重々しく伝わってきそうだった。
 家には尾関の母親しかいなかった。竹内が訪ねるとよそよそしい態度を示したが、トリオの人間だと言うと深くお辞儀をし、先日の礼を述べた。葬式の時は忙しく竹内のことはあまり覚えていないようだった。仏前に手を合わせてから、話を切り出した。昼間に突然訪ねられて、どういう用なのか戸惑っている様子だったが、竹内は単刀直入に説明した。
「尾関さんのお車は戻りましたか?」尾関の車は当然警察の下に置かれていた。
「ええ、戻りましたけど、それが何か?」
「とても重要なことなんです。ぜひ、見せてもらえませんか?」
 尾関の母親は竹内の真剣な眼差しにけおとされたのか、車のキーを渡し、駐車場の場所を教えた。
 五十メートルほど離れた空き地にエクリプスは駐車してあった。どことなく持主がいない寂しさをかもしだしている。まだ、雪のよごれが残り、寂しさを助長させている。
 竹内はあらためてエクリプスを見た。やはり、そうだ。竹内はそれなりに車については興味があり、詳しいつもりだったが、単純なことをすっかり忘れていた。エクリプスは三菱の日本車なのだが、米販売が目的で日本には逆輸入車として売られている。つまり、外車と同じ左ハンドルなのだ。竹内が元越でエクリプスを目撃した時、手袋をした人物が右側に乗るところだった。竹内は車を後部から見ていたのだが、右ハンドルと勘違いして、右側に乗ったのは尾関自身だと思い込んでいたのだ。
 しかし、実際には違っていた。右側に乗ったのは尾関ではなく別の同乗者なのだ。となるとその人物は・・・・・・。たぶん、いやきっと彼なのだろう。手袋をしていたのは、当然車内に指紋を残さないためだ。
———そうか、奴は尾関と共に行動し、乗鞍へ行き、そして殺害したのだ。道連れと共に。
 竹内はキーを刺し車の中を見てみた。警察が調べたのかどうか良く分からないが、車内はきれいで助手席にはカセットテープが置かれている。これといって気になるものはなかったが、クラッチレバーの奥にある小物や硬貨を置く小さなスペースにジュース缶のプルトップがあるのが目に入っただけだ。
 竹内は再び尾関の家にもどり、車のキーを渡して言った。
「すいませんが、もう一つお願いがあるんですが」
「はあ」
「本当に申し訳ないんですけど、確か尾関さん、遺書を残されたと思うんですけが、もし手元に有るんでしたら、ぜひ、拝見したいんですが」
「えっ、遺書ですか」母親は当惑以上に驚いていた。
「ぜひ、お願いします。息子さんの、尾関さんの死の真実が分かるかもしれません」
 母親はしばらく考えたが、奥の部屋に移動し、数分後、白い封筒を持ってきた。封筒には何も書かれていない。
「封筒には遺書と書いてなかったんですか?」
「そうです」
「では、失礼します」竹内は一礼して、封筒の中身を出した。普通の便箋に一行だけ書かれている。
———突然、こんな手紙を書いてごめんなさい。私はしぬ———
 竹内はこの文面を見て全てを悟った。最近、ずっと抱えていた「死」に対する疑念というのはこれだったのだ。天野刑事が朗読したときにも、おやっという感覚をもっていたのだが、今ここで原文を見てその不可解な文面の意味を解読することが出来たのだ。
 この遺書、遺書と思えば遺書に見えるのだが、よく文面を見ると不自然な気がする。死を覚悟した人間が書くのだからといえばそれまでだが、逆に死を考える時こそ、しっかりした文を書くのではないか。そして、最も注目する点は「私はしぬ」というところの「し」である。なぜ、漢字の「死」ではなく、平仮名の「し」なのか。遺書なのだから「死」ということを強調したいのではないか。それに普通でも「死」という漢字はごく自然に書くものではないか。平仮名で「し」と書いたのは「死」を人間の生命が無くなるという意味で使っている感じがない。それは違う文章の流れで出てきたものだ。「しぬ」という言葉で考えられるのは、副詞的な働きで「死ぬまで」とか「死ぬほど」ではないか?この場合、命が無くなることを直接語っているのではない。つまり、この文章は「私はしぬ」の後にまだ続くのだ。それは、「私はしぬ」のところに句点が無いことからも言える。竹内は昼休みの藤井と谷口の会話からこの事を思いつき、確認したいがために、ここまで来たのだ。
 では、何だろう?どんな時に「死ぬほど」とか「死ぬまで」とかを使うのか?「突然・・・」の部分も考え合わせると、思いつくことが一つある。それはラブレターだ。「突然こんな手紙を書いてごめんなさい。私はしぬほどあなたのことが好きです」とでも書けば、これはラブレターになる。そう考えた方が、文章が自然に見えてくる。
 筆跡鑑定の結果は尾関本人のものと判明している。すると、これは尾関が書いたものに違いない。しかし、尾関がこんな歯の浮くような文章を思いつくだろうか?それよりも山田の方が思いつくような感じがする。そうか、これは山田が尾関に書かせたのかもしれない。山田がうまく尾関をたらし込み手紙を書かせたのだ。自分が言うように書けと言って。尾関は書いた。尾関が「私はしぬ」とまで書いたところで、やっぱり今のはやめようとか、何とか言って、手紙を取り上げ、別の文章を書かせたのだろう。山田は最初からこの手紙を遺書に偽装するつもりで、尾関に書かせ、「私はしぬ」まで書いて取り上げ、そっと隠し持ち、後で利用したのだ。しかし、奴は気が付かなかったのだ。尾関が「死」を「し」と書いたことに。彼は「死」という言葉が強烈な印象なので、わざと平仮名で控え目に書いて文を柔らかくしたのだ。そのデリケートなところに奴は気が付かなかった。
 竹内は手紙を封筒に戻し母親に返した。
「大変参考になりました。約束はできないかもしれませんが、息子さんの無念を晴らすというか真実を明らかにしてみせます」
 竹内はもう一度仏壇に頭を下げ、尾関宅を辞した。帰り際、母親は目に涙を溜めていたが、竹内に頼りたいという気持ちが顔にあふれていた。

 竹内の考えはまとまった。パズルは全てのピースが埋まり完成した。しかし、すべて情況証拠でしかなく物的証拠が一つもない。出来上がったパズルも置き場所が無いのだ。このままでは山田の罪を明確にすることは出来ない。竹内の考えを警察に言ったところで、誰も信じてくれないだろう。警察がもし本気で動いてくれれば、山田が乗鞍にいたという証拠が見つかるかもしれないのだが。目撃者や遺留品が必ず有るはずだ。完全犯罪などあり得ない。
 竹内は警察かと考え、ある人の顔が浮かんだ。あまり会いたくはないのだが、警察に知り合いは彼しかいないし、運がいいことにここは中村署の管轄であった。
 竹内は意を決し、中村署を訪ねた。署舎は新築されたばかりで、外観からしてきれいで警察署とは思えない。受付で自分の名を名乗り、筒井警部補を呼び出してもらうようお願いした。しばらくして、奥の方から、懐かしい長身の男が現れた。
「これは、これは誰かと思ったら、あの竹内さんじゃないですか」
「あの」は余計だなと思いながらも「どうもお久しぶりです」と馬鹿丁寧に挨拶した。
「まだ、あのトリオとかいう会社にお勤めで?」
「ええ、まあ」
「そういえば、つい先日にも心中事件があったとかで大変でしたな。あの会社、何かあるんじゃないですか?呪われているとか?」
 竹内が憮然な表情をしたので筒井は「申し訳ありません」と謝った。
「で、今日は何です。いきなり署を訪ねるなんて・・・・・・もしかして、その心中事件に関わっていることですか?」
「ええ、まあ、それも含めて、いろいろとね」
 今度は筒井の方が憮然としてしまった。

         3

 山田浩司は焦っていた。突然竹内から出向先に電話があり、尾関について話をききたいから寮を訪ねると言ってきたからだ。竹内の活躍というのは、噂ながら知っていた。すでに竹内が何かを知っているのでは、という不安がよぎっていた。ただ、単に尾関のことについて話をききたいのか?たぶん、そうだろうと思いたかった。だが、尾関の事を調べているというのが気に食わない。警察の事情聴取もすでに終わり、事件は無理心中で終結しているはずだ。それを、竹内が調べている。二人の死に疑問を持っているのか。しかも、竹内の動きが早いような気もする。俺について何かつかんだのか?が、山田は自分の計画に自信があった。たかが素人だ。警察のように出来るはずがない。俺の頭脳に勝てるものか。奴に全てが分かるわけがないと、自分に言い聞かせたが、疑心暗鬼が山田の心を乱した。
 確かに計画には紆余曲折があったものの、うまくいったのだ。
 尾関尚士を丸め込むのは簡単だった。根が純情なうえ、人を疑うことを知らない性格だったからだ。尾関が恵を好きなことは、酒の席で洩らしていたから知っていた。そこで、それを利用して邪魔な恵を無理心中に見せ掛け殺そうと考えたのは、今思うと恐ろしかったが、すべてはあの女の方が悪いのだ。
 尾関に「今度、林田が乗鞍にスキーに行くらしい、そこで俺がうまく取り繕ってやるから、お前が告白してみろ」と諭した。尾関は初めは恥ずかしそうに渋っていたが、説得に応じその言葉を信じ、山田に付いて行くと返答した。
 そこで、山田は佐藤たちと行くのを取りやめ、尾関と彼の車で行くことにした。奴らの出発時間は知っていたので、まあ三十分は遅れると見越して、一時間後に出発した。しかし、春日井付近で、奴らの車が接近してきたのには驚いた。一時間も遅れるとは思っていなかったのだ。もちろん、藤井の車が故障するなど予想外の事だったからだ。
 山田は佐藤たちの車に気付き、尾関に「トイレに行きたくなったから、そこで曲がってくれ」と指示し、交差点を曲がらせた。その後、一行と離れるため尾関にゆっくり進ませた。しかし、また元越で追いついてしまったのだ。奴らが途中で買い物をするなんていうのも、計画外だったからだ。竹内がこっちの車を見ている時は、さすがに緊張した。もしかしたら、姿を見られたかもと心配したが、竹内がそのまま行ってしまったので、一安心だった。その後は順調に乗鞍まで行き着くことが出来た。
 その日は車の中で眠り、翌日、はやる気持ちの尾関を何とかなだめ、恵との接触のチャンスをうかがっていた。なかなか奴らはバラバラに行動しなかったのでやきもきしたが、ついに恵が一人になったのを見つけ近づいた。恵は山田の登場に驚いたが、話を付けたいと言ってきたので、冷静に対応した。明日の午前十一時、公衆温泉で待っていると告げると、彼女も行くと答えた。自分たちの事を佐藤たちには知られたくはないはずなので、しゃべる心配はなかった。しかし、その後が最も危急存亡の秋だった。偶然にも山田は学生時代の知り合い、山内盛幸にばったり出会ってしまったのだ。山内の存在は計画がつぶれる可能性があった。いまさら計画の変更は出来ない。二人の殺害のレールはひかれていたのだ。
 そこで、山田は山内も消すことを決断した。二人殺すも三人殺すも一緒だと狂気的な思いが芽生えていた。しかし、どうやって消すかは難しい選択だった。とりあえず、山内が彼のグループと合流する前に、強引に引っ張り二人乗りリフトに乗せた。リフトでたあいないことを話しながら殺害方法を練った。すると、目前に雪で覆われたコンクリートブロックの貯水池が見えた。後ろのリフトには人がいない。下で滑っている人もいなかった。これは絶好のチャンスだと思い、山田はとっさに山内を突き落とし、見事にブロックに当たった。貯水池の向こう側は林で、そこを竹内と土田が滑っていたのは、彼らが山田を見ていないのと同じように山田も見えなかった。 尾関はその日、恵に会えなかったのを疑ったが、「段取りは付けたから、明日」とどうにか抑えさせた。その夜も車で泊まった。民宿などに泊まって証拠を残すわけにはいかない。車の中では指紋を残さないようずっと手袋をしているのは辛かった。当然、尾関は不思議がっていたが、寒がりだからと何とか誤魔化した。
 夜中、明日のことを思うと気持ちが高ぶって眠れなかった。寒い中、ふらふらと散歩に行き、そして、奴らが泊まっている宿が目に入り、近づくと一階の部屋の一部に明かりが付いていた何気なく近寄ってみると、そこはトイレだったのだが、恵ともう一人女の声がして驚いてしまった。急に恐くなり山田は車に戻った。
 そして、翌日。またまた運が悪いことに吹雪になっていた。しかし、これは逆に好運だったのだ。これだけ寒ければ遺体の死亡推定時刻が狂ってくるはずだと考え、山田はまず尾関の車で、鈴蘭橋の近くまで行き、ロープで尾関の首を絞めて殺した。そのロープがずれないように気をつけながら、自殺に見せかけ木に吊るした。作業は寒中のため手こずったが、人間いざとなれば何でも出来る。足跡は吹雪ですぐに埋まってしまい、痕跡は残らない。
 急いで温泉のところまで戻った。恵が来ないのではないかという懸念も多少はあったが、彼女の性格上来ると確信していた。案の定、吹雪の中を恵はのこのこやって来た。恵の前に立ちはだかり、尾関を殺した時に手に握らせたナイフで彼女の胸をひと突きした。山田は早く乗鞍から脱したかったが、この雪ではどうしようもなく、公衆温泉に入って、雪が止むまで待つことにした。尾関の車には遺書が置いてある。それは出発の前日、山田が尾関に書かせたものだ。ラブレターと偽って山田の言うとおりに尾関に書かせ、途中で取り上げたものだ。それを巧みに隠し、後で封筒に入れて、車に残しておいた。
 公衆温泉にいる時も危機一髪だった。竹内たちが騒いでいたし、刑事らしき人物まで来た。山田は休憩室の隅で静かにじっとしていた。竹内たちが去った後、刑事が温泉の人たちにききまわっていたが、山田は温泉やトイレに入ったりして、目立たないようにしていた。
 午後になり雪が止んでから、バスが動くようになり、バスで新島々まで行き、そこから松電、JRを乗り継いで名古屋に帰ったのだ。
 と、いろいろ危うい面もあったものの、計画は成功したのだ。しかし、竹内が・・・・・・。

 山田は実家が豊橋のため会社の寮に一人で住んでいる。山田が入社する前に一人住んでいたのだが、専務殺害事件のあおりをくらってここで殺された。その後、会社はもう寮には誰も住まないだろうと考え、閉鎖しようとしたが、山田がぜひ利用させてほしいというので、今でも寮は存在した。殺人があったぐらい山田は気にしていない。まあ、さすがに被害者の部屋は使おうとはしなかったが。
 竹内は時間通りに七時にやって来た。山田は出迎えると竹内は唇に微笑みを浮かべていたが、山田はそれが不敵な笑いに見えて、気に食わなかった。竹内は静かにドアを閉めた。ここのドアはきちんと手で押さえて閉めないとものすごく大きな音がするのだ。竹内が閉めた時には全く音はしなかった。山田はその事を寸分も気に掛けていない。
 竹内はここへ来るのは、ほぼ一年ぶりだった。あの事件以来ここに足を踏み入れる気にはなれなかったのだ。竹内はあの時の現場を見ていなかったが、頭の隅にその情景が浮かぶような気が今でもする。竹内はリビングに座り、山田は冷蔵庫のお茶を出した。
「悪いね、突然訪ねちゃって」竹内はお茶を運ぶ山田に声をかけた。
「いえいえ、それで、今日はどうゆう用なんです、竹内さん。尾関君のこととか電話で言ってましたけど?」
「まあ、そうなんだけど、その前にちょっと別の件でききたい事があるんだけど」
「はあ?」
「山内盛幸っていう人知っている?」
 山田は動揺してしまった。尾関のことをきかれるのかと、心構えをしていたのに、いきなり山内の名が出で来るとは、予想もしていなかった。感情を顔に出さないよう努力はしたが、微妙に顔の表情が崩れてしまった。それにもまして心臓の方が高まってきた。この場合、とぼけた方がいいのか、知っていると言った方がいいのか迷った。
「山内ですか・・・そうですね・・・ああ、学生時代にそんな名前の奴がいたような気がしますが」
「たぶんそうだよ。山内さんは君と同じ南山の出だからね」
「そうですか、で、その山内という人がどうしたんですか?」山田はとぼけきった。
「実はね、あの事件が起こった前日に乗鞍で転落事故があったんだよ。それが、山内さんなんだ。それで、たまたまなんだけど、その事故を目撃、目撃って言っても落ちる瞬間じゃなくて、落ちたところなんだけど、目撃したもんだからね、僕が助けに行ったんだ。結局は数時間後に亡くなられたんだけど、気を失う直前に『大島の奴』って言い残したんだ」
「大島の奴」山田はまたしても動揺してしまった。自分のあだ名を山内が伝えていた。しかも竹内に。
「そう、『大島の奴』ってね、で、その意味はよく分からないんだけど、たぶん大島という人に何か言いたかったのかもしれないと思えてね。そういうわけで、大島っていう人を探しているんだ。彼の両親や友人にもきいてみたんだけど、心当たりはないって言われたんでね。それで、君も南山だっていうことを思い出したんで、もしかしたら知っているかもしれないと思ってね」 「お、大島ですか、僕の方も思い当たりませんね」
「そう、やっぱりないか。あっ、もしかして、そういうニックネームの人はいない?」
 山田の心は乱れ、騒ぎ、恐れた。竹内は何もかも知っているのではないだろうか?ここまで言うとは、単にはったりなのか?かまをかけているのか?あの転落事故の目撃者なんて信じられない。よりによって竹内などに発見されるなんて。しかも、余計なメッセージまで残しやがって。こいつはあなどれないな。言葉を慎重に選ばなければいけない。
「さあ、そのへんも、思い当たりませんね」
「そうか、まっ仕方がないな」山田には竹内が自分の反応を楽しんでいるようにしか見えなかった。
「それじゃ、尾関君の話に戻るけど、山田君は今回のことどう思う」
「どう思うって、どういうことです?」
「つまり、君なりにどういう感想を持ったとか、信じられないとかさ」
「ええ、確かに信じられないというか、驚きましたけど。尾関君が林田さんのことを思っていたことは知っていましたが、まさか、ああいう形になるとは思ってもいませんでしたよ」
「尾関君と林田さんの関係ってみんな知っていたの?特に同期の人たちは?尾関君が彼女のことを好きだと言っていたというのは谷口君たちからもきいたけど」
「さあ、具体的にはどこまでっていうのは分かりませんけどね。それに、林田さんの側は特に男では分かりませんよ」
「林田さんの相手って本当に尾関君だったのかな?全然別の人だという話もあるんだけど」
「誰がそんなこと言っているんです。そのへんもよく分かりませんね。会社と関係ない人だったら、全く分からないんじゃないですか?」
 しばらく竹内は沈黙した。それが山田にはうすら恐ろしかった。そして・・・・・・。
「実はね、僕は悔やんでいるんだよ。元越で、元越って知ってるよね」山田がうなずく。「そこで、尾関君の車を目撃していたんだ。その時、僕はそれが尾関君の車だなんて知らなかったんでね。もし、知っていれば今回のこと、くい止められたかもしれないんだ」
「そうだったんですか」山田はわざとらしく答えた。
「でもね、今思うとその時尾関君の車にもう一人乗っていた気がするんだ。誰か分からないけどね」
「えっ」山田はもう一人乗っていたということに対する驚きの振りをし、実際には自分のことを言われている事実に驚愕していたのだ。
「それってどういうことなんです?」
「うん、これはね、あくまでも僕の仮説なんだけど、もう一人乗っていた人物、男か女か分からないけど、今回のことに関連しているんじゃないかと思うんだ」
「つまり心中事件にですか?」知っていることを知らないふりして答えるのは辛かった。
「いろいろ調べれば調べるほど、尾関君が林田さんを殺して、自殺したという出来事が解せないんだ。だからその人物が重要な鍵を握っている気がするんだ。ただし、何も証拠は無いけど。僕が見たっていう証言だけでは警察が動くはずもないし、第一、車に指紋がないと思うんだよ」
「指紋が?」
「そう、警察はね、当然車の鑑識をしているから、指紋の採取なんかもしているはずなんだ。だけど、尾関君の指紋とか家族のとか、あとはあまり事件と関係ない古い指紋しか出なかったと思うんだ。それは、その人物が手袋をしているのを、僕は見たからね」
 山田は一瞬ホッとした。尾関の車に乗っている時はずっと手袋をして、車には指紋を残していないはずだからだ。竹内が自分をどう疑おうと証拠はないのだ。 「しかし、もしかしたら、その人物の指紋があるかもしれないんだよ」
 安堵の心がいきなり動きだした。指紋なんてあるはずがないと、もう一度思い返した。
「これも推測なんだけど、元越で止まったというのは、休憩のためだろ。長い時間ドライブするんだから一回ぐらいはどこかで休むさ。で、たいてい、あそこで休めばさ、のどが渇いてジュースやコーヒーの一本でも飲むのが普通じゃん。たとえその人物がコーヒーを買わなくても、尾関君の性格から判断すると、その同乗者のためにもと、二本買ったんじゃないかな」
 山田は思い出した。あの時竹内が去った後、尾関は缶コーヒーを買いに行き、気を利かして山田の分も買ってきてくれたことを。
「で、同乗者も、折角買ってきてくれたから、飲んだと思うんだ。でもね、手袋をしたまま缶の栓、プルトップとか言うのかな、それは抜けないと思うんだ。尾関君は運転しているし抜いてもらえない。だから、その時だけは手袋をとって抜いたんじゃないかな」
 山田はその時の情景が脳裏に蘇った。竹内の言うとおり、缶を開けるのに手袋をとったのを思い出した。あの時、缶に触るぐらい大丈夫と思ったのだ。
「たぶんその時は缶なんてどうせ捨てるからさわってもいいやと思って手袋を取ったと思うんだけど、その缶がどうなったかと考えると・・・・・・。よく車にある缶ホルダーにそのままだったかいや待てよ、尾関君、几帳面なところがあるって言っていたから、ゴミ袋みたいなものにいれたのじゃないかな」
 山田は思い出そうとしたが思い出せない。あの時の缶は一体どうしたのか?確かに竹内の言うとおり尾関がゴミ袋を用意していた。車内でお腹が空いた時に食べるようにとお菓子を少し持ってきていたからだ。缶はその中に入れたのか、車のホルダーに置きっぱなしにしたのか。
 山田はすっかり、竹内のペースに巻き込まれていた。山田が動揺している姿は竹内にもありありと分かった。
「それで、尾関君の家へ行って、もう一度車を見たんだよ。そして、バックシートの下っていうか、運転席の下に袋があってその中に缶があったんだ」
 その瞬間、山田は思い出した。元越を発った後、県道の峠を越えた休憩所で、自ら缶をそこのゴミ箱に捨てたことを。
「嘘だ!缶はゴミ箱に捨てたんだ!」山田は心のうちを思わず口に出してしまい、シマッタという表情を現した。
「そう、捨てたの。そりゃそうだよな。車の中に袋なんてなかったからな、でも・・・・・・」竹内はニヤニヤ笑っていた。
 山田はまんまと竹内の術中にはまってしまったのだ。「ちきしょう、だましやがったな」
 山田の表情がみるみる恐ろしい形相に変わり、目が殺意を秘めギラギラしだした。
 竹内は一瞬、自分の優越感に浸って油断したため、山田が飛びかかってくるのを避けられなかった。見境の無くなった山田は、竹内にのしかかり首に手を廻した。山田は竹内と比べると大柄なので竹内は身動き出来なくなり、山田の思うがままだった。息が出来ない。両手で山田の腕を握っても動かせない。助けてと声も出せない・・・・・・。竹内は入口の方を見た。
 その時、「そこまでだ、山田浩司。殺人未遂の現行犯で逮捕する」と落ちついた、低い声がした。山田が振り返ると見慣れない長身の男と、その背後に土田と伊藤の顔があった。山田が唖然として手の力を緩めると、竹内は山田を突き飛ばし窓際まで這っていった。
 筒井警部補は山田を取り押さえ手錠を掛けた。部下が呼ばれ山田は連行されたが「きったねえな、このくそやろ」とずっと悪態で罵っていた。
「大丈夫、竹内さん」土田が咳き込んでいる竹内に近づいた。
「大丈夫なわけないだろ、もっと早く来てくれよ、ほんとに。もしかしたら、いないんじゃないかと不安になったよ」
「まあまあ、ちょっと竹内さんにスリルを味合わせよかな思ったんで」伊藤が笑いながら言った。
「冗談じゃねえよ」
 竹内はドアを閉める時、自分の靴を挟んでおいたのだ。山田が竹内との話に熱中している間に、筒井と土田と伊藤はこっそりマンションに入りリビングからは見えない部屋に入り込んで二人の話を聞いていたのだ。山田が犯人だという証拠は現時点では何もなかった。そこで竹内が賭に出たのだ。竹内は尾関の車にあったプルトップを見て缶の事を思いついた。車にあったプルトップは車を運んだ人が忘れたものだったが。竹内は山田が虚栄心の強い、自信過剰な男と判断した。しかも、この殺人には計画性というものがあったので、その計画成功の自負を逆手にとろうとした。山田のような人間はその自信や見栄を少しでも突き崩せば、後はぼろぼろと崩壊するものである。最初は小さな穴がダムに開いても、いつしかそれは亀裂を生じ、大きな裂け目となり最後にはダムが決壊してしまうように。竹内は山田に不安と猜疑を与え、その虚偽をうち崩そうとした。筒井は反対したが竹内の熱意とこれまでの実績に根負けした。もちろん、竹内の話は半信半疑だったが、竹内の「手柄」という言葉に負けてしまったのだ。寮のことを知っている土田を同行させたが、一人では心細いので伊藤も連れてきた。
 筒井が竹内に寄ってきた。
「いや、今回は竹内さんのお手柄ですな」
「はあ、でも死んだ者たちは、帰ってきませんよ」竹内の冷たい返事に、筒井は押し黙ってしまった。

         4

 山田は観念したのか案外に全てを自供し、ほぼ、竹内の推測通りのことが明らかにされた。実際は小心者かもしれない。松本署の方でも調べた結果、山田らしき人物が公衆浴場やスキー場で目撃されていた。何を隠そう、天野刑事が公衆浴場で山田を見たことを覚えていたのだ。山田のメッシュのような白髪と体から滲み出るふてぶてしさはやはり目立つのだ。事件が無理心中となったため、天野も気にはしていなかったのだ。ある意味で証拠が乏しく、立件は難しいのだが、 その後のことを竹内は気にしないことにした。考えれば、考えるほど苦しくなってしまう。だが、山田にとっては致命的な証拠が見つかった。尾関の車のキーが彼のスキーウェアの中から発見されたのだ。尾関を自殺に見せかけるには車のキーが余分に必要だった。山田は尾関とスキーのグッズをディスカウントショップへ買いに行った時、車に忘れ物をしたと言って鍵を借り、店内の金物コーナーでスペアー作っていた。それをうっかりウェアーのポケットに入れっぱなしにしていたのだ。山田にとっては大きなミスだったが、警察にとっては決定的な証拠となった。
 動機は山田と恵の恋愛関係のもつれであった。山田はトリオに入ってから恵に近づいて、付き合っていた。恵の方も山田のどこに魅力を感じたのか疑問であったが、それなりに相手をしていた。恵のような勝気な女性は山田みたいな少々図々しい男の方が軟弱な男よりもいいのかもしれない。二人のことは誰も知らなかった。社の人たちには洩れないよう二人とも細心の注意していたらしい。しかし、山田は出向先で新しい女を見つけた。言葉巧みに女を引きつけ接近したのだ。それは、女がある大会社の社長令嬢だったからである。山田にとってこれはまたとないチャンスである。トリオのようなしょうもない中小企業に見切りをつけ、いつかは社長にと、夢がかなうのであった。しかし、恵の存在は邪魔だった。適当に別れればいいものの、つい自慢したいがために本当のことを彼女に話してしまった。それを聞いた恵は激昂し、このままではすまさないと、相手の女に全てをぶちまけると言いだしたから、山田にとっては手の施しようがなく、殺害を決意した。だが、いくら恵とのことが公になっていないからといっても、単に殺しただけではいつか疑われると思い、いろいろ模索してみた。そこで思いついたのが尾関の存在で、以前恵が好きだと言っていたことを思い出し、尾関の恋の果ての無理心中を企てたのだ。しかし、悪事はできないものだ。計画の中でスキーを取りやめたために、山田の代わりに行くことになった竹内が事件を解決してしまったのは、皮肉としか言いようがない。そして、竹内が山内の目撃者になったのは運命としか言いようがない。

 尾関の汚名は晴らされた。しかし、死んだ者は決して戻らない。また、とんだとばっちりという形で横死した山内の死は悔やんでも悔やみきれない。マスコミも意外な顛末に大騒ぎし、犯人がまたしてもトリオの社の者だったため、一年前の事件とも絡めてでかでかと報道された。もちろん、竹内の名はどこにも明かされていないが・・・・・・。
 事件のほとぼりがさめるのに一ヵ月以上が費やされた。

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください