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知多半島殺人事件 〜南吉の涙〜


第三章  見立て殺人

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 七月も終わろうとしている。あまり大きなニュースもなく平穏な暑い夏の日々が続いていた。バブル経済崩壊の産物が大きな問題となっている。証券会社の損失補填問題だ。野村、日興、大和、山一の大手はもちろん、準大手の証券会社までが行っていたことが露顕したのだ。バブル経済の絶頂期、猫も杓子も株を買いあさり、株式投資は金持ちや実業家だけのゲームではなくなり、一般人であるサラリーマンや主婦までが加わった。金余りの時代、マネーゲームの過熱はその後の危機的状況を盲目化させていた。バブル経済が弾けると株価は暴落、その結果大口の取引先だけに損失の補填を行うという不祥事が発生したのだ。むろん、個人投資家は激怒した。お得意様だけに優遇を施し、他の一見の客に対しては何もしない。冷静に考えればどっちもどっちなのだ。株は必ず儲かるわけではない。その危険性をなおざりにして欲張った人たちも悪いし、証券会社側ももっと悪い。政府もこの問題に関心を示していたが、どうせ、政治家ももらっているのだろうという憶測が、政府の歯切れの悪さを示唆している。
 凶悪事件も増加している。名古屋では「小野浦海岸殺人事件」が発生したばかりだが、筑波大学では「悪魔の詩」の翻訳者が大学内で刺殺されるという惨事があったばかりだ。故ホメイニ氏がイスラムを愚弄したと作者に対し死刑を宣告したのが発端だ。確かに自分が信じる宗教を軽視されれば怒るのも無理はない。だが、それを盾に人を殺してもいいという正論は通らない。宗教は人の心を潤し、悩みや苦しみを解き放つものだ。それが、いつの間にか戦争や政治の道具にされ、不幸な歴史を作ってきた。本物の宗教などあるのだろうか。「あなたは神を信じますか」ときかれたら「あなたはあなたが信じている宗教の歴史を知っていますか」と聞き返したいくらいだ。もちろん、過去にこだわり続けるのもよくない、改心していまは素晴らしい宗教であるものも多い。だが、宗教が違うというだけの差別はいまだに残り、その結果の戦争もある。逆に戦争がなくなれば、人々が悩むこともなくなり宗教も必要なくなるのかもしれない。日本人のように曖昧な宗教を信奉している人種にはいまいち不可解なことが世界では起こっている。だが、その日本でもそのうち宗教について深く論じ合う時がくるだろう。
 「悪魔の詩殺人事件」も「小野浦海岸殺人事件」も解決していない時、新たな殺人事件が発生した。それもまた知多半島で。

 美浜町の北部中央、丘陵地帯の小高い平地に大日山とそのかたわらに堂前池というのがある。地元の人しか知らないような場所で松林に囲まれたやまと周辺四キロの小さな池だ。通称鵜の山と鵜の池。約十平方メートルの松林には一万羽のカワウが生息し、日本の九十パーセントがここにいるのだ。鵜と言えば長良川などの鵜飼が有名だが、あの鵜はウミウでここにいるカワウではない。カワウはウミウよりも小型で集団で樹上に巣をかける。逆にウミウは海の岸壁などの岩場に巣を作るのだ。鵜だけでなく冬になれば鴨やゴイサギも飛来し、野鳥の楽園になる。周りは平坦な丘で畑が一面に広がっている。大日山の東側には知多半島道路が接している。多少の環境に対する影響もあるのだろう。
 暑い夏のある日、いつものようにトラクターに乗って畑へ向かった地元の農業家が池の側を通ったとき、不審な物を発見した。県道から逸れた細い道を進むと池を望むことができる小さな展望台がある。その足下、池の岸にその物体はあった。今日も朝から鵜の山周辺は無数の鵜の合唱により騒々しかった。その葬送曲の中、奇妙な死体が発見されたのだ。
 第一発見者の通報により常滑署の刑事たちが駆けつけた。その中には「小野浦海岸殺人事件」の捜査員もいて、むろん、杉浦部長刑事も加わっていた。「前の事件も解決していないのまた殺人かよ」というぼやきが刑事たちの会話にあった。
 死体は整備されたコンクリートの岸にうつ伏せで横たわり膝から下だけが水に浸かっていた。しかし、ただの変死体ではなかった。奇妙なデコレーションがなされていたのだ。その首にはウナギが巻き付けられ、顔の周りにはイワシが十匹ほど置かれていた。そして、体の周りには無数の栗が散りばめられていた。杉浦たちはその異様な飾りに複雑な表情を見せ、何かの悪戯かと当惑するのみであった。
「杉さん、何なんでしょ、この飾りは?なにゆえ、こんな面倒なことをしたんでしょうな?」田窪刑事が杉浦部長刑事に尋ねた。
「さあね、私もさっぱり分からんよ。栗と周りの小魚は・・・イワシかな。それと首に巻きついているのは・・・ウナギか?んー。」さすがの杉浦も次の言葉がなった。
 検死の結果は以下の通りである。死因は刺殺、腹部を鋭利な刃物でひと突きされたことによる出血死と判明、他殺と断定された。殺害現場はこの展望台の下で、被害者の血痕が砂にしみ込んでいた。そこから引きずった跡があり、池の柵の下を転がして池に落としたものと推測された。その後で犯人は不可思議な装飾を施したようだ。死亡推定時刻は昨夜の午後八時から十時の間と断定、むろん、そんな夜ではこの周辺に人など居るはずもなく目撃者など皆無に等しいと最初の段階から悲観的な観測がもたらされた。県道から現場への道は舗装されているため、犯人もしくは被害者が車で来たとしても、何も痕跡は残っていない。展望台の前も固い砂利のためタイヤの跡など残るはずもなく、数日前に降った通り雨のためにできた古い跡しかない。
 被害者の身元は所持していた免許書からすぐに分かった。坂豊彦、二十七歳、職業は中堅規模の広告代理店の営業であった。現住所は稲沢市で国府宮に近い賃貸マンションに住んでいた。家族は妻と四歳になる子供が一人。警察から妻のところに連絡が届き、すぐに身元の照会が行われた。妻の話によると昨日は休日にも関わらず、営業ということで出勤した。夜になっても戻らなかったが、仕事がら遅くなることはよくあったので、不審には思わなかった。しかし、普段なら何らかの連絡があるのに、昨夜は全くなく妻は多少の不安を抱いていた。そして、翌日夫は帰らぬ人となり、妻は号泣した
 動機の面は怨恨の線が濃厚であった。奪われたものはないし、こんな辺鄙なところへくるということは顔見知りの犯行と推測できた。ただ、仕事上、または人間関係によるトラブルはなく、犯人との接点は見いだせなかった。
 昨日の足取りは朝会社に出勤した後、得意先を回ったまでは分かったが、午後五時にはそこを出ており、会社には直接家に帰るという連絡があっただけだった。得意先へは車を使わず、公共交通機関を利用したため、目撃者探しは困難であった。犯人とどこで接触があったかは今のところ不明である。家にそれらしき、電話等はなかったし、会社では毎日のように不特定多数の電話があるので、電話を最初に受けた者もすべてを覚えているはずはなかったからだ。
 謎の証拠品として押収された、ウナギ・イワシ・栗から犯人を特定するのは難しい。これらのものはどこでも買うことができるからだ。それ以上にこれらの意味するものは何か皆目見当もつかなかった。
 こうして「鵜の池殺人事件」も初動捜査の段階から暗礁に乗り上げてしまった。常滑署では二つの事件が関連しているのではという見方もあったが、殺害方法が異なること、二人の被害者の関わりが明確でないことから、ひとまず二つの捜査本部を構えて事件解決にあたる方針をとり、県警の協力も得て事件の解決に躍起となった。

                         竹内は日曜の朝刊でこの事件のことを知った。当然竹内は死体に施された奇妙なデコレーションに注目した。率直な感想は小野浦と同じで奇妙な死体だということだった。二つの事件に関連があるのかどうか、この時点では不透明な感触であった。竹内が今までの学業生活においてもっと真面目に知識の吸収と教養の向上を図っていれば、その意味にすぐ気付いていたはずだ。だが、意外な展開でその意味を見つけることができた。

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 その日、竹内は月末ということで作業報告書を提出するため、午後三時には会社に戻った。会社には普段から社内に入る面々他、定時後には各出向先から多くの人が竹内と同じように戻ってきた。久しぶりに顔を見るものもいれば、先日の海水浴で会ったばかりの者もいるが、仕事が終わった後の団欒は和気あいあいであった。その結果、何だから飲みに行こうかという話になり十人ほどが集って、仕事の憂さ晴らしに繰り出した。竹内も誘われるままについていった。
 一行は思いつきで飲みに行く時、よく利用する酔虎伝に向かった。昔は、「憩」や「大」など庶民的で質素な飲み屋によく行ったのだが、駅周辺の土地開発のため、軒並み閉店や転居の憂き目を受け、飲み助には寂しいかぎりだ。酔虎伝は桜通りを駅へ向かい、途中結婚式場「クレール」へ向かう路地を曲がった雑居ビルの二階にある。客が中に入ると「ドンドン!」とうるさい太鼓の音が響き、店員が座敷へ案内してくれた。二つのテーブルを陣取りビールや食い物をジャンジャン注文した。
 いつものように適当な話で盛り上がり、わんやわんやと笑いと歓声が充満していた。いつしか、色鮮やかな夏っぽいミニスカートとタンクトップを着た綺麗なお姉さんが二人バスケットを持って店内を歩き回っていた。どうやら、新しいタバコの試供品を配っているようだ。タバコ好きの青山たちは早速手を伸ばし、キャンペーンガールから受け取った。欲張りな藤井はタバコを吸わない土田たちにももらわせ、自分の懐に入れてしまった。セコイ!
 しばらくして、田岡と会話していた藤井が「そういう話は竹内にでも聞いてみればいいですよ」という声が本人の耳に届いた。
 竹内は二人の方を向き「何の話です?」と問いかけた。
「いやね、この間の小野浦での事件はどうなったかと思ってね」と田岡が答えた。
「ああ、あの事件ですか。さあ、私はよく分かりませんけど。でも、何で私なのですか?」
「そりゃ、竹内なら迷探偵だからもう、あの事件の全貌を把握しているんじゃないかと思ったからさ」藤井がにやけて返事をした。
「そんな、まさか。私にそんなことできるわけないじゃないですか。新聞などの情報しか知りませんよ」既に杉浦刑事と情報交換していることは言えなかった。ここはとぼけたふりをするしかない。
 今日は悦子はいなかった。そうでなければこんな話はできない。食事時に相応しい話ではなかったが、徐々にその話題は大きくなり始めた。
「でも、竹内君、興味はあるんでしょ。事件の後ずっと何かを考えているようだったから」桑原が千里眼の力を発揮し、竹内の痛いところを突いてきた。それに、追い打ちをかけるように土田が「桑原さんの言うとおり喫茶店でずーっと考えているんだから」と余計な一言を続けた。
 竹内はどう答えていいか頭の中で模索していた。その時、佐藤寿晃が言いだした。
「そいや、つい先日もまた、知多半島の何とかという池で殺人があったようだけど」
「鵜の池のことですか。変な飾りを付けた遺体の事ですよね」
「さすが、竹内君、すでに情報を収集しているのね」と松浦が感心したようにつぶやいた。
「そんなことはないですけど、新聞くらいは読みますから。それに鵜の池は常滑の人間ならたいてい知っているはずですよ」
「しかしさ、こう立て続けに事件が起こるなんて妙じゃないかな。もしかしたら連続殺人かもしれないな」青山が竹内の心を煽るように行った。
「新聞を読むと警察は今のところ別個に考えているようですけれど、確かに連続殺人ならすごい話ですね。そう、この二つの事件には共通点がありますね」
「どんな?殺害方法は違うし、被害者の接点もまだ分からないんでしょ」と渡辺裕予も興味本位で尋ねてきた。
「共通点は奇妙なことです。どちらの遺体にもおかしなところ、奇妙な点があるのです」竹内の目が輝きはじめた。
「奇妙なことって、あのウナギとかイワシのこと。でも、内海の方は何?」松浦が分からないという表情できいてきた。
「内海の事件は手袋ですよ。本当の理由は分かりませんが、この暑い夏に毛糸の手袋をしているなんて変じゃありません?」
「なるほど」
「ただ、奇妙な点が共通するといってもそれが何を示唆するのかさっぱりわからなくてね。そんなことをして犯人に何の得があるのか?」
「それは、わざとそういうふうにしたということは“見立て”じゃないのかな?」と土田が聞き慣れない言葉を発すると皆が反芻した。
「見立て?」

         3

「何じゃ、『見立て』って?だらしないことか?」藤井がとぼけると「それは乱れでしょ」と伊藤が突っ込んだ。
「『見立て』というのはですね、何かに見立てる、つまり、例えるということですよ。これはよく推理小説によく出てくる常套手段なんですけど、殺人を何かに見立ててその意味合いを濃くするのです」
 土田は自慢げに話しだした。彼の得意な分野で蘊蓄が始まったのだ。
「例えばよく知られている話だと、横溝正史の『獄門島』や『悪魔の手毬唄』なんかが有名ですね」
「ああ、知ってる知ってる。俳句とか手毬唄になぞられて殺人が起こる、なぞられる、即ち、見立てるね。だから見立て殺人。分かった分かったわ」と桑原が納得したようにうなずいた。他の人たちもこれらの小説は割りかし有名なのでなるほどという表情でうなずいた。明智小五郎と並ぶ日本の名探偵・金田一耕助が登場するので、映画やテレビで一度は見たことがあるはずだ。石坂浩二や古谷一行が演じた金田一はその特異な風貌が印象に残り、最初に金田一が小説に登場してから五十年も経つというのにその人気は衰えない。角川文庫が角川映画第一弾として公開した『犬神家の一族』はその大々的な宣伝と角川書店のバックアップで大ヒットを飛ばし、沈滞しかけた日本映画に久しぶりの栄華を取り戻させた。あの仮面を取るシーンのテレビスポットは特に印象的で一種のブームを作ったものだ。
「でも、見立て殺人にして何の得になるの?面倒くさいだけじゃない?」とこういう分野には弱い裕予が尋ねた。
「見立て殺人には大きく分けて二種類の目的が考えられます。一つは復讐の強調です。例えばですね、過去に何かあったとして、それを恨む人がいるとします。その人、つまり真犯人が誰かを殺害します。その殺害に見立てを使ったとします。被害者には仲間、つまり過去の出来事において共犯関係にある人物が複数います。被害者が殺されたことを知った仲間たちはその殺され方に驚きます。自分たちが過去に起こした出来事を象徴させているからで、彼らに真犯人は分かる場合もありますし、そうでないこともありますが、過去の出来事が何らかの形で関係あることは瞭然としてます。
 しかし、仲間たちはそのことを警察とかには打ち明けられません。その見立ての意味合いを話せば自分たちの過去の不始末も明らかになり、事件が解決しても自分たちが不利になるからです。最低限、仲間内でしか話し合うことはできなくなります。彼らは自分たちが狙われているのは手に取るように承知していますが、下手に助けを求めることができません。真犯人にとってはそれが狙いで、恨みある者たちをジリジリと焦らせ、恐怖と戒めを迫らせていくのです。それが心理的な圧迫である見立て殺人の一例です」
 土田の熱心な話ぶりに皆聞き入った。
「まあ、これは推理小説の中でも最初から犯人が分かっているようなパターンに多いですね。心理サスペンスっていう奴ですかね。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』がいい例ですよ。マザー・グースの歌になぞられ次々と人が殺される。だれが、殺されるのかは分からないけど、次の歌から殺し方は推測できる。そして、生きている人物の中に犯人がいるという緊迫感がすごい話です。それと、横溝正史の『獄門島』もちょっと意味合いは違いますがこの部類に入るかもしれません。殺人を依頼した祖父が犯人たちに孫を殺す時に、俳句に見立ててほしいという少々狂気的なこだわりですが。『鶯の身を逆さまに初音かな』と『無残やな兜の下のきりぎりす』、それに『一つ家に遊女も寝たり萩と月』の芭蕉などの句が使われていました。それを見立てて、最初のは死体を木に逆さまに吊りました。次は鐘の下に死体を入れました。最後は小さな小屋に死体を置き、そばに萩の花を置いておいたんですよ」
「ツッチー、そんな俳句まで暗記しているなんてやっぱ“オタク”だな」と佐藤が言うと、皆がどっと笑った。
 本人は不満そうに「単に金田一耕助が好きなだけですよ。マニアって言って下さいマニアって」と反論した。
 竹内は土田の蘊蓄を抑えるため「もう一つの目的は何だい?」と催促した。
「もう一つね」土田は気を取り直して再び語りだした。
「・・・もう一つの目的は今の説明した復讐の強調を逆手にとったパターンです。こっちの方が本格的な推理小説には多く、基本的なパターンは同じですが、見立てをいろいろ工夫して話を広げています。これは細かく分けるとまた二通りの分類ができます。
 まず一つですが、今度も例を挙げてみると、例えば、連続殺人が発生しそれには不可解な飾りがしてあるとします。警察や主人公の探偵はそれが何かの見立てだと感づきます。見立てだと気付けばその意味合いを求めることによって犯人が推測でき、事件はほぼ解決となります。が、話はそこで終わりません。犯人はその見立てで特定できますが、実はそれには裏があって真犯人が別にいるのです。こういう場合、最初犯人と思われた人物は行方不明になるか、もしくは自殺に見せ掛け真犯人に殺されてしまうパターンがほとんどです。犯人が生きていたら真犯人には不都合ですからね。
 真犯人はある見立てを利用して別の人間に罪を着せるんです。警察は見立てを知っている人物が犯人と思ってそいつを追い、死んでしまったので事件は終結、真犯人にとっては万事O.Kとなるわけです。
 これのいい例が横溝正史の『悪魔の手毬唄』ですね。あれは真犯人が手毬唄を知っているお庄屋に罪を着せるために画策した見立てで、手毬唄に出てくる『升』、『秤』、『錠前』を死体の側に置いたり飾ったりというやり方です。横溝正史はクリスティの『そして誰もいなくなった』を読んでこれを考えたと言われています」  この小説も映画化やテレビでも映像化されたので皆納得した。
「土田君のことだから、その手毬唄も覚えているんじゃないの?」と佐藤がまたからかった。
「えっ、そりゃ、覚えていますけど、まあ、ここではやめておきます」土田はまた突っ込まれるのが嫌でシニカルな笑いをした。
「それともう一つはですね。複数の人間を殺害してそれらに関連があるかのように見立てで見せるのですが、真犯人にとってはその中の一人だけが殺害の真の目的で、あとは単に見立てのために利用する、つまりカモフラージュっていうパターンですね。これになるとその連続殺人の真意はなかなか見いだせません。まあ、それを解決するのが探偵の役目ですが、そこが推理小説の神髄です。
 ネタをばらすとまずいかもしれませんが、有名な小説だと、エルキュール・ポアロが登場するアガサ・クリスティの『ABC殺人事件』や内田康夫の『萩原朔太郎の亡霊』なんかがその代表だと思いますよ」
 皆、呆れたを通り越して真に感服してしまった。ここまで、詳しく素人にも分かりやすく説明し、なおかつその例まで挙げるのだから、“オタク”というレベルをこえて博識な悪く言えばとんでもない男だと誰もがあらためて思っていた。
 竹内もそういう感情であったが、今の土田の話はとても興味深く思えた。知多半島で起きた二つの事件が関連ありとするならば、その関連性である「奇妙さ」は見立てだと考えてもおかしくない。竹内にとって「見立て殺人」という新語が脳内をかけめぐった。しかし、これらの事件が見立てとしても何に見立てたのかが竹内には分からなかった。それが判明しなければ結局闇の中なのだ。それは他の人たちにとっても同じ疑問であり、まるで代表したかのように藤井が詰問した。
「じゃ、今回の二つの事件は何を見立てているんだ?」
「そこまでは、僕にも分かりませんよ。今話したことはあくまでも小説上の話、言わばフィクションですからね。でも知多半島の方は現実の事件でしょ。第一本当に関連があって、なおかつ、見立てだという確証があるわけじゃありませんし・・・。竹内さんはどう?」
 竹内は自分に振られたところで、藤井と同じ思いだったから、首を横に振るだけだった。誰もがその解答を求めようと考え込んだが、誰にもその答えをはじき出すことはできなかった。いや、一人だけいた。今まで黙って先輩たちの話を聞いていた吉田真紀が始めて口を開いた、しかも、解答であるその見立ての意味を。
「もしかしたら、その見立てって『新美南吉』じゃないですか?」
「新美南吉?」

         4

「新美南吉?」全員が真紀を見つめ、声を揃えて言い返した。誰もがその答えをすぐに把握できない用であった。
「新美南吉って、確か童話作家の人でしょ」桑原が問いかけた。
「ええ、そうです。童話が一番有名ですけど、他に小説や詩、俳句とか童謡なども作っています」
「真紀ちゃん詳しそうね、何で知っているの?」
「私が、昔住んでいたところが南吉の故郷でしたから」
「あらそうなの、それどこ、遠いとこ?」
「いいえ、半田です。知多半島の」
「えっ、そうなの。新美南吉って地元だったかしら」誰もが同じような思いだった。「そう言えば、そんなこときいたことがあったような」というつぶやきも聞こえた。案外、地元の偉人など覚えていないものだ。特に少し前の文学人となると、教養の乏しいに人間には難しいかもしれない。だが、特に竹内はそのことに恥ずかしさをおぼえた。常滑市は半田市の隣町である。その常滑市民である自分が郷土の偉人を直ぐに思い出せなかったのは、とてつもない恥のような気がした。
 そのことを誤魔化すかのように竹内は真紀に聞いてみることにした。この時まで竹内は真紀の存在をあまり認識していなかった。飲みに行くと言われ、ぞろぞろと伊藤たちの後をついていく時、見慣れない女の子が目に入った。一瞬誰かなと記憶を探り、土田にでもきいてみようかと思った時、先日の土田の話を思い出して、相手が真紀だと分かったのだ。真紀は裕予と同じところへ出かけていて、今日でその仕事が終わったのだ。一緒に帰って、裕予に誘われるまま、珍しく先輩たちと飲むことにした。話にきいたとおり、おっとりした感じで、可愛らしい子だ。まだ、ほっぺたが赤い感じがする少女っぽさを残し、先輩の女性陣や同期の脇田とは対照的な印象だ。話し方もやはりスローで、一言一言を吟味しながら話しているみたいだ。今、誰全員の注目が彼女に集まり、少し照れくさそうな表情をしている。そして、竹内は彼女の存在を今、鮮烈に感じ取った。
「吉田さん、事件が新美南吉を見立てているというのはどういうこと?彼の話の中に何か関わりがあるの?」
「そうです。私も事件のことは知っていました。それぞれの事件が全然別物だと思っていましたから、その竹内さんたちがいう奇妙な点というのはあまり意識していませんでした。でも、今皆さんのお話をうかがって、二つの出来事に関連があると考えると私には新美南吉のことが浮かんできたんです」真紀はゆっくり、ゆっくりうつむき加減に話している。
「その・・・遺体に施された奇妙なモノが南吉の話に符合するのです。・・・内海の方は手袋をしているということですが、私はそのことから『てぶくろを買いに』という童話が思い浮かんだんです」
「『てぶくろを買いに』ってどっかで聞いたことがあるな。・・・あっ、そうだ、小学校の教科書で読んだことがあるな」伊藤が一生懸命に思い出そうとしている。
「それなら、知っているわ。狐が手袋を買いに町まで行く話よね。確か、子供の狐だったと思ったけど」松浦も思い出したようだ。
「そうです。寒い冬の日、子狐が手袋を買いに人間の町へ行きます。母狐は人間は恐ろしいものだから手袋を買うときは母狐が変えてあげた人間の手を店の人に出すよう注意しました。でも、子狐は間違えて狐のままの手を出してしまったのですけど、人間は白銅貨が本物だったので、ちゃんと手袋を売ってあげたというお話です」
 それを聞いて思い出した人たちもいたが、文学に程遠い人もいた。
「手袋って毛糸だったかな?」竹内が尋ねた。
「そうです。人間が売ったのは子供用の毛糸の手袋です」
「なるほどね・・・・・・」竹内は見事な符合にうなずいた。「それじゃ、鵜の池の方は何なの?」
「そっちの方は南吉のお話でも一番有名な『ごんぎつね』の話だと思います・・・」
「『ごんぎつね』なら知っているよ。ゴンという狐がタンスにいたとかいう・・・」伊藤が下らないことを言うので松浦の鉄拳がとんだ。「バカはほっといて続けて」
「ふふふ・・・、『ごんぎつね』は悪戯好きの狐・ごんが百姓の兵十の取った魚を逃がしたのです。数日後兵十の母が死んだことを知ったごんは病気の母が魚を食べれなかったので死んでしまったと思い、お詫びに『イワシ』を家の前に置きましたが、盗んだいわしなので兵十が疑われてしまいました。そのことを知ったごんはまたお詫びとして今度は『栗』を置いておいたんです。兵十は神様がくれたのだと思っていました。ある日、兵十は悪戯狐を見つけ撃ってしまいました。
その時、栗を持ってきたのがごんだと分かったというお話です」
 竹内はイワシと栗が話に出てきたことに目を見張った。「イワシと栗は出てきたけど、ウナギはどうなの?」
「ウナギはですね、ごんが最初兵十の取った魚を逃がした時に、一匹ウナギがいたんです。手ではなかなつかめないので、ビクに顔を突っ込んで口でくわえたところ首に巻きついてしまったと、話には出てきます」
 “首に巻きついて”それはまさに鵜の池の変死体の装飾そのものだ。あまりの類似点に竹内は言葉もなかった。それは事件の詳細を新聞等で見た者には同じ感覚のようだった。異様な沈黙がながれそれに気付いた真紀も「すいません、調子に乗って」とか細い声で謝った。
 青山はその雰囲気を変えるため真紀に尋ねた。「吉田さんは詳しいね、やっぱ地元だったということかな」
「そうですね、私が住んでいたところは、新美南吉が生活していたところです。まるで、南吉の見るままの世界が私の目に映るようなものです。小学校の途中まで住んでいたんですけど、学校でも南吉のことは郷土の誇りとして語りつがれています。学校の図書館でも南吉の話はすべて揃っていますし、いろんな資料もあります。そんな環境で育ったものですから、南吉が大好きで、彼のことは何でも知っているつもりです。それに・・・・・・」
 真紀はそこで少し悲しそうな眼差しをし言葉が詰まった。誰も気にしていなかったが、竹内は別であった。その一瞬の沈黙をも気にせず佐藤が言った。
「いわば、南吉オタクというところかな」と佐藤がからかい、笑いが起こった。
「まあ、そうかもしれませんね」
 やっと雰囲気が和んできた。殺人の話はこれでおしまいと暗黙の了解が漂っている。だが、竹内は今の話に衝撃を受け、まだ茫然自失の状態であった。二つの事件の関連性が見えてきたからだ。奇妙さが「小野浦海岸殺人事件」と「鵜の池殺人事件」の共通点であったが、その意味合いは今まで見えていなかった。しかし、今の土田の「見立て殺人」の解説と真紀のその見立ての内容が事件の奇妙さと一致し、その意味合いが見えてきたような気がした。
 いや、謎は増えてしまった。二つの事件が新美南吉の話を見立てているとして、その真意は何なのか?殺人を素朴な童話に例えて何の目的が見いだせるのか?土田の話を思い出すと、見立ては復讐の強調だという説明が頭に浮かんだ。南吉の話が真犯人にとって何かの復讐を示唆するものなのか。逆に言えば被害者たちにもその復讐の理由は明白になっているはずだ。むろん、古川は何も分からず殺されたが、坂にとって古川の死は自分たちの過去の因縁に起因するものだととっさに分かったということになる。坂はその過去に恐怖しながらもどうすることもできず、今にも振りかかろうとする災禍に震えていたのだろうか。そして、他にも同じように迫り来る悪魔の手に身動きできない事態にさらされている人物がいるのだろうか。
 もちろん、これらの考え方は古川と坂に共通点があり、同一犯によって殺害されたという前提の上で成り立つ。それが、確実なものか今の段階では五分五分だ。確かに南吉の童話が奇妙な殺害状況に符合している。これが、偶然とは考えにくい。だが、その結論を通すこともまた難しかった。杉浦に、警察にこんなことを言っても取り合ってもらえないような気もしていた。少々荒唐無稽で、推理小説の読み過ぎと一笑されそうだ。もっとなにか、歴然とした確証が欲しい。
 もう一つ竹内は思い浮かんだ。土田の説明の二番目、復讐の強調をカモフラージュにとった場合の見立てだ。だが、そんな凝った連続殺人をするのだろうか。それこそ映画などの世界で笑止千万と言われかねない。これらの事件が本当に関連があり見立て殺人だとい言い切れなければ、カモフラージュだという考えは尚早だと思える。
 真犯人と被害者が持つ新美南吉のこだわりとはなんだろう。そこが、大きなポイントだ。彼らにしか分からないことが、竹内に分かるのであろうか?それとも、新美南吉の一生になにかヒントがあるのだろうか?まずは、新美南吉という人物にについて詳しく知らなければいけないと竹内は感じた。
 今まで、手袋とウナギ・イワシ・栗という二つのパズルはまったく別のパネル上にあった。全く別個のパズルだと思っていたのが、新美南吉というキーパズルによって一つのパネル上にあるピースだという考え方が生まれてきた。だが、今はそれだけだ。二つをつなぐ接点はあるものの大部分がまだ闇の中でピースは組み立てられていない。
———新美南吉か。

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