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知多半島殺人事件 〜南吉の涙〜


第四章  南吉の故郷

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 東の宮沢賢治、西の新美南吉と言われるように南吉の作品はいまだに万人から愛される珠玉の童話作家だ。だが、その生い立ちは決して幸福だったとは言えない。その環境が彼の作品に多大な影響を与えていたのは間違いない。
 南吉は大正二年知多郡半田町(現在の半田市)の畳屋、渡辺家の次男として生まれた。名は正八、これは生後十八日で死亡した兄の名でもあった。だが、南吉が四歳の時、母が死亡、六歳で継母に育てられ、八歳のとき母の生家、新美家に養子として入った。
 南吉の才能は幼いころからその片鱗を見せていた。十三歳の小学校の卒業式で「たんぽぽの 幾日ふまれて 今日の花」という俳句を入れた答辞を読み先生や参会者を驚かせた。中学に入ってから文学に興味を持ち、同人誌を作成、投稿作品も雑誌に載るようになった。
 十八歳で中学校を卒業し、母校の尋常小学校の代用教員になった。この時、子供たちに「ごんぎつね」の話をし、その後「赤い鳥」という雑誌にも「ごんぎつね」や「正坊とクロ」が掲載された。その時のペンネームが「南吉」であった。昭和七年、十九歳で東京外国語学校英語部文科に入学し、勉学や創作に励んだ。しかし、このころから体の調子をこわし、喀血を起こしてしまった。
 昭和十一年、二十三歳で東京外国語学校を卒業、東京の神田で勤めたが、二回目の喀血で故郷に帰った。
 翌年、尋常小学校の代用教員になったり、住み込みで働いたりして苦労を重ねたが、昭和十三年愛知県立安城高等女学校の教諭となった。生活は安定しはじめ、生徒たちとも詩集などを作り、次々と作品を発表、最良の時を過ごした。
 二十八歳の時、腎臓病で床に就くが始めての単行本が出版された。しかし、病状は悪化、死を予期したのか書きたかったものを病魔と戦いながら執筆、そして二十九歳の時、喉頭結核のため永眠した。
 その後、数々の本が出版されあらためて南吉の死が惜しまれた。
 昔の文学者は劇的な死を迎えるというのが多い。芥川龍之介や太宰治のように自ら死を選ぶ者もいれば、中原中也や宮沢賢治のように若くして病に臥し、それでも執筆に力を尽くした者もいる。文学者ということでその心も繊細でナイーブなのか、それとも少々狂気じみたところが有るのだろうか。そして、病に伏せる人々も多い。昔だから、今ほどの医療の発展はなく、結核など不治の病として絶望視されていた時代だ。そして、作家という家に籠もりがちな生活が体を悪くしたのだろうか。逆に体が弱いから作家になった者もいるが、そういった病魔と戦いながら作品を描く気力には感服する。不幸な生い立ちやその病気との戦いが作品の中に溶け込み、素晴らし い名作が後世に残っている。人間は喜びや享楽はもちろん、苦しみや悲しみを得て人間を形成し心をより高尚させていく。様々な出来事、多くの喜怒哀楽をものにした人こそが成熟した人間となりえる。ただそれを、文字で表すというのは別である。作家でなくてもそういう人は多く、その人ごとに表現が違うだけなのだ。本当の人間は他人の喜怒哀楽も理解でき、それを分かち合ったり与えたりすることができる人なのだ。余計なことだが、ある推理小説の作者も若死にしたほうが、作品の希少価値も上がるかもしれない。
 宮沢賢治の童話は有名な「銀河鉄道の夜」のように現代的な少々SFがかった作品がある。「注文の多い料理店」など、今のショート・ストーリーにありそうな奇妙な話感覚で、ちょっと、恐いかなという作品だ。実に夢のある、また想像力たくましい作品が多い。一方、新美南吉の作品は実に素朴で親しみが持てる。自分の故郷を多く舞台に取り入れ、悪く言えば田舎だが、自然の中の物語が読者の心を心地よく潤す。だが、実際に彼の作品をよく読むと、どれも何か心に残る悲しさがある。必ずしも、ハッピーエンドで終わるとはかぎらない。「ごんぎつね」は最後ごんが鉄砲で撃たれてから、兵十はごんが栗をもってきてくれたことを知る。「てぶくろを買いに」は子狐は人間は恐くないと純粋に思っているのに、母狐は子供の話を聞いても本当かと人間に対する不信は消えない。「おじいさんのランプ」も文明開化の波に負けた巳之助はランプの行く先を嘆き、半田池でランプを割ってしまうのが実に切ない。もちろん、泥棒を改心させるいい話や「牛をつないだつばきの木」などは心にジーンとくる感動ものである。
 だが、はっきり言えることは南吉の作品はどれも子供たちのためにという姿勢が貫かれている。南吉はずっと子供の心を持ったままの青年であったのだろう。子供のころから育った故郷の村を愛し、その故郷の良さを次の子供たちに伝えよう、残そうという南吉の気持ちがくみ取れる。若くしてこの世を去った南吉の偉業は今の子供たちの心に必ず何かを訴えかけている。

 竹内は半田口の駅に降りたった。ここは無人駅なので電車の車掌に切符を渡し、改札のないホームを降りた。この駅は半田市の北の端にある。半田は知多半島の中心で、東は衣浦湾に面し工業地帯になっている。もともとは木綿の産地で今でも綿織物業は盛んである。また、清酒、味噌、醤油などの醸造業も発達している。中埜酢店(一般に分かりやすく言うとミツカンである)は見学もできる。
 日曜日の午後、七月も終わり八月に入ると暑さは日に日に増すようだった。先日の飲み会で新美南吉のことを知ると、南吉のことについて調べたいという気持ちが竹内の足を運ばせた。二つの殺人が本当に南吉と関係があるのか、あるのならその意味は?その謎を解くには新美南吉という人物に迫らなければならないと感じている。彼の話を読み、彼の人となりを知る。無駄なことかもしれないがこれが大事な気がしていた。
 今日は多分いろいろ歩くことになるだろうと思い、車はやめて電車で行くことにした。母親に「新美南吉の住んでいたところはどこか」と尋ねたところ、「あんた、そんなことも知らないの、隣町の人なのに」と少々軽蔑気味な口調で言われ「名鉄の河和線の半田口で降りればすぐよ」と教えられた。
 名鉄常滑線・西の口から普通列車に乗り太田川で河和線の急行に乗り換えた。半田口は普通しか止まらないので阿久比で一度降り、普通列車を待った。接続が悪いのか三十分近く待つ羽目になった。暑いホームで座っているのは辛い。こんなことなら太田川から普通にのれば良かったと後悔した。やっとのこと列車が来て乗車した。三番目の駅(植大は止まらないが)が半田口だ。 駅のホームを降りると道路の上に案内板があった。「岩滑コミュニティセンター」、「南吉の生家」、「南吉の養家」の文字が矢印と距離数で表示されている。南吉の生家が一番近かったが、コミュニティセンターへ先に行くことにした。そこに行けば何らかの資料があり、案内用の地図があると考えたからだ。
 線路を越えて、常滑へ向かう道を進んだ。この道は半田方面から家に戻るとき利用した記憶がある。今まで何の変哲もなく通り過ぎていたが、ここが南吉の故郷だとは全然気が付かなかった。案外周りを見ていないものだ。その道を真っ直ぐ行き、案内にしたがって左に曲がると、コンクリートの少々古臭い建物が見えた。二階建てで、いかにも役所関係の建造物らしさがある。どうやら、区民館のようで南吉資料館を兼ねているのだ。反対側には公民館もある。入口から狭い階段を二階へ登る。右手にはざら板がある区民館の入口で、左側が南吉資料館だった。その入口にパンフレットが置いてあり、竹内は一枚手にした。「なんきちのふるさと」と書かれたパンフレ ットで、南吉の年譜や作品名、そしてこの近辺の案内図が載っている。
 竹内は中に入った。古いタイプの大きな冷房機が壁に立てかけてあり中は涼しかった。学校の教室ぐらいの大きさで壁の周りと中央にガラスで仕切られた展示物がある。南吉直筆の原稿や日記、手紙、出版された本などが並んでいる。南吉の写真も様々展示されていた。もちろん、どれもモノクロで古い時代らしい服装に短く刈った頭の真面目で優しそうな写真ばかりだ。東京に行っていたころは多少髪を伸ばし眼鏡を掛けいかにも学生らしい。原稿は正直行ってうまい字ではないが、それが原稿らしさだ。黄ばみかけた原稿には随所に縦線が引かれたりして、何度も書き直したり書き加えた跡もある。竹内は様々な資料を一つずつゆっくり見て回った。竹内にとってこういった資料を見ることなど珍しい。博物館や何かの展示会に行ってもザーッと見るだけが常だったのだが、今回は違う。どこかに事件のヒントを求めようと必死だった。その時、入口に人の気配を感じ振り返った。
「今日は、暑いですの」とその男は言って入ってきた。三十は過ぎたであろう、事務職の制服を着た男で、すっきりした眼鏡を掛けた穏やかそうな人物だった。
「でも、ここは涼しいですね」竹内は自然に返事をした。
「はは、そうですね。区民館の受付はあつーてたまにこっちにくるんですよ。お客さん、どこからみえました?」
「常滑です。大野の方ですけど」
「そうですか、大野と言ったら、南吉のお話にもよく出てきますな」
「ええ、そうですね」竹内は南吉の物語をまだ読んでいないので大野のことを言われてもよく分からなかった。でも、知らないと答えるのは恥ずかしいので適当に相槌をうっておいた。
「珍しいですな、こんな暑い時は皆海水浴に行ってまってあまり来る人もおらんですけど」
「そうなんですか。僕はちょっと南吉のことに興味を持ちましてね、一度ここへ来てみたかったんですよ。近くなのになかなか来る暇がなくて」
「でも、よかったですな。この資料館ももうすぐ終わりですから」
「終わりって、閉めてしまうのですか?」
「いえね、平成の六年に新美南吉記念館というのが出来るんですよ。それの開館に伴ってここの資料は全部持っていくので、ここも終わりということです」
「そうなんですか。それは楽しみですね」
「ええ、まあ」男は少し悲しそうな顔つきをした。記念館の開館によりここは閉鎖されるので寂しいのだろう。今まで区民館を兼ねていたので、この人が管理していたのだが、記念館ができればサヨナラなのかもしれない。
「南吉の生家には行かれましたか?」
「いえ、まだこれからですけど、案内の地図が欲しかったので、ここへ寄ればと思って」
「そうですか、それじゃ、ごゆっくり」
「ええ、どうも」
 竹内はもうしばらく中をゆっくり見学した。一通り見た後、南吉の生家に向かうことにした。資料館を出る時、区民館の受付を覗いて先ほどの男の人がいるのを見つけると軽く会釈をして資料館をあとにした。

 竹内はパンフレットの案内図に従って、南吉の生家を目指した。さっき来た県道を駅の方へ戻り阿久比へ向かう県道に曲がった。電柱には「岩滑」と貼られている。「いわなめ」と書いて「やなべ」と読むのだ。普通では読めない。パンフレットの読み仮名でやっと分かった。この辺りはすべて岩滑で、今いるところが中町、隣接して東町、西町、高山町、北浜、南浜がある。県道を曲がるとすぐ脇にそれる斜めの道があり、何本かの道が複雑に交差したところに、木造の瓦葺きの家があった。木造の家は黒く煤け、入口のガラス戸だけが新しく違和感がある。ただし、昭和六十二年に復元されたものであった。
 ガラガラと扉を開けるとそこが土間になっている。ここは畳屋と下駄屋を営んでいた。向かって右側が父・多蔵の畳屋、左側が継母・志んの下駄屋である。昔からある本物ではないだろうが、それぞれ当時の店の様子を催している。土間の奥に下に通じる階段がある。この建物正面から見ると一階建ての様なのだが、実は二階建てで、表から裏に回ると土地が傾斜しているので二階の三分の一ほどの大きさで一階があるのだ。一階は勝手場や物置で、昔の釜やポンプ火鉢などが所狭しと置いてある。南吉の生家だけでなく、大正から昭和初期にかけた生活様式の資料館ともなっている。店を兼用しているが当時としては大きな家なのだろう。
 一階と思っていた二階に戻る。入口のところにさっきのコミュニティセンターのとは異なるパンフレットがありそれを手にした。その隣に、ここを訪れた人が記帳する名簿のノートがあった。竹内も折角だから自分の名を書くことにした。ぱらぱらとページをめくる。名古屋や愛知の人がほとんどだが、中には長野や大阪から訪れた人もいた。南吉を慕う人が各地にいてなんとなく嬉しかった。やっと記入してある最後のページになった。今日はまだ、三人ほどしか書かれていなかったが、その最後の名前に竹内は驚いた。偶然なのか、意外で、ある程度納得でき、ちょっと嬉しい名だった。
———吉田真紀 愛知県海部郡七宝町———。

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 彼女がここに来ていたとは驚いたものの、何となく納得できた。最後に書かれたのでまだ真紀はこの付近にいるのだろうか?竹内は南吉の生家を出て、案内図の指示通りに進むことにした。生家の隣には大木と「南吉生い立ちの地碑」があり、道路を挟んだ家の反対側に常夜灯がある。寺や神社ある石の明かり取りだが、秋葉神社という小さな祠が隣にあった。
 蝉時雨が徐々に大きくなる。二三分すると鳥居が二つ見えた。小さな鳥居をくぐり、五段の短い石段を上がって、色あせた大きな木の鳥居をくぐる。正面に狛犬を据えた社がある。社の裏には気が多い茂り、ここまで来ると蝉の鳴き声が増したようだ。社はこじんまりとしているが境内はかなり広い。子供たちの遊び場として滑り台やブランコもある。そのブランコを見つめる女性の姿に竹内は目が行った。一人たたずみ空を見つめる真紀の後ろ姿はどこか寂しげだった。ジーパンに淡い黄色のシャツ、肩掛けの茶色いショルダーに白い帽子を被っていた。
「今日は、吉田さん」竹内は背後から声を掛けた。
 びっくりして体を少し震わせ彼女は振り向いた。「えっ・・・、あら、竹内さんじゃないですか?」
「偶然だね、どうしてここに来たの?」竹内は意外な邂逅で嬉しそうに言った。
「ええ、この間の飲み会で新美南吉のことが話題になって、何となく来たくなったんです。ここ辺りは幼いころの私の思い出の場所ですし、中学の頃までは友達もいてちょくちょく来ていたんですけど、最近はさっぱりで五年ぶりぐらいに来てみたんです。そういう竹内さんはどうしたんです・・・、やっぱり、あの事件の事ですか」
「ん・・・、まあ・・・、それもあるけど、この間の話で南吉のこと全然知らなかったら、隣町の人間なのに恥ずかしくてね。だから、来てみたんだ」本意は事件の方がメインなのだが、あからさまには言えない。
「そうなんですか。竹内さんていろんなことに興味を持たれるのですね?」いろんなことは何を指しているのか?誰かが余計なことを吹き込んだのだろうか?
「これからどうするの、吉田さんは?」
「ええ・・・この辺をぶらつこうと思ってますけど」
「じゃ、折角だから南吉に関するところを案内してくれるかな?」
「は、はい・・・ええ、もちろんいいですよ。次はどこへいくんですか?」
「えーっと、つぎはごんごろ緑地かな」竹内はパンフレットを開いて説明した。
「ごんごろですか、すぐそこですね。案内します」
 竹内は真紀の後に続き境内を通って県道に出た。二人は車に注意しながら道路を渡り阿久比の方角へ向かった。目の前に小さな川と橋ががあった。橋の向こう側には阿久比町という案内があり、ここが半田との境のようだ。
「この川はなんていうの」竹内は真紀に尋ねた。
「矢勝川といいます。半田池から流れて出て衣浦湾に注ぐんです」
「じゃ、もしからしたら『ごんぎつね』に出てくる川なのかな?何とかというお百姓が魚を取った」と竹内は半分あてずっぽで言ってみた。
「そうです、兵十が魚を取り、ごんが悪戯をした川です」
 二人は小さな広場に着いた。ここがごんごろ緑地のようだが、竹内はもっと自然な緑の原っぱと思っていたのだが、実際は整備された公園で少し期待外れだった。向こう側には日曜大工の店があり、イメージの違和を助長させている。川の向こう側、阿久比町はまだ田園地帯が広がり、ここまで続いた町並みは途切れていた。
「この辺も変わってしまいました。昔はこんな公園じゃなくただの広場だったのに」真紀は感慨深げにつぶやいた。南吉に関わる名所ということで整備するのは分からないでもないが、自然のままの方が童話の世界そのままで自然がより生きていくように思えるのだが、お役所もどこかに予算を使わなければいけないのだろう。
「そうだね、ちょっと思っていたのと違う気がするな」竹内も素直に考えを述べた。
「次は常福院とかいうところに行ってみよう」竹内は古の景色を眺めている真紀を促した。
「はい」彼女は後ろ髪引くような面持ちで歩きだした。
 二人は再び県道を渡り八幡社の裏の狭い道を進んだ。矢勝川の向こう側に小高い山がある。木々で多い繁った緑の山だ。
 竹内の視線に気付いた真紀が山の方を指さした。「あれが、ごんのいたごんげん山です」
「まだ、あの辺は自然が残っているね。緑が眩しいぐらいだよ」竹内は少々恰好を付けた台詞をもらした。
「そうですね、ごんげん山だけはそのままで嬉しいです。その周りもまだ、田んぼばかりで。でも、いつかは無くなってしまうのかしら?」
「そんなことはないよ。ごんぎつねは南吉のシンボルだし、そのごんぎつねの山を無くしてしまったらここの意味、故郷の意味が無くなってしまうよ。第一、そんなこと地元の人が許すわけないよ」
「そうですね、多くの人が愛するここを無くすことは不可能ですね」
 木が繁る小道を行くと古い木造の建物が見えだした。二人は常勝院に入り境内をゆっくり回った。
「ここには、南吉の弟、益吉の墓があるんです」
「南吉に弟がいたの?」
「ええ、南吉とは異母なんですけど、南吉の母は彼が四歳の時に亡くなりました。その後、後妻の人がきて弟を生んだんです。でも、結局南吉は実の母の実家に養子にいき、新美姓を名乗るようになったんです」
「そうなの、結構不幸せだったんだね。それが、作品にも影響しているのかな?」
「そうだと、思います」
 続いて光蓮寺に向かった。常勝院から岩滑コミュニティセンターの方へ進んだ。狭い路地の両側には古いものから最近改築されたような家までが立ち並ぶ。何気なく表札を見ると「榊原」というのが妙に目立っていた。
「この辺は『榊原』っていう人が多いの?」
「そうですね。榊原は多いですよ。田舎特有の同姓かもしれませんね」
「そう言えば、うちの二人の榊原も半田の人だしね」
「そうですね」
「もしかして、新美っていう家もあるのかな」
「ええ、結構ありますよ。南吉と遠戚の人もいるみたいですよ。もちろん、南吉は結婚していませんから子孫はいませんけど」
「そう、独身だったの。でも、恋愛ぐらいはしたんだよね」
「さあ、そこまでは私も、でもきっと憧れていた人ぐらいはいたんでしょうね。それとも、純なロマンスでもあったのかも」真紀は嬉しそうに答えた。
 そんなことを言っているうちに光蓮寺に着いた。誰も人はいず、静かで落ち着いた寺だ。
「ここで、南吉はお経を習ったんだそうです。それに、亡くなった時の戒名もここの住職が付けたそうです」
 真紀の南吉に対する博学ぶりには脱帽した。好き以上に憧れや尊敬が彼女にあるのだろう。正直言って寺や神社ばかり訪ねても面白くないので、早めにここは辞した。
「これから、どこへ行かれます?南吉の養家までいきますか?途中に『しんたのむね』とかありますけど」
 竹内はパンフを取り出しだ。ここからだと二キロ半はあろうか、どうしようかなと一瞬躊躇したが、彼女が一緒なので行くことにした。
「ちょっと、遠そうだけど、折角だから行ってみようかな。吉田さんはいいの?」
「ええ、構いません」
 さっき岩滑コミュニティセンターに向かった県道のところまで出て、西の方へ向かった。
「吉田さんはどこに住んでいたの?」
「南吉資料館には行かれました?・・・・・・その近くに住んでたんですけど。今は家の跡もなくアパートが立ってます」
「ふーん」
 真紀と歩道の無い道を歩いた。会社の女性とこんなふうに出歩くのは初めてだった。今までは南吉のことで会話をつないでいたが、そろそろ話題がなくなってきた。だから、家のことなどを尋ねて、彼女のことを知ろうと考えたのだ。
「いつまで、ここにいたの?」
「七歳だったから、小学校の一年、二年生になる春ですね。もう十五年も前になるんですね」彼女は自分に問いかけるように言った。
「今住んでいる、海部郡の方に家を建てたので引っ越したんです。あのころはとっても嫌でしょうがなかったんですよ。友達と別れるのが辛くて」
「じゃ、さっきもそのことを思い出していたの?神社にいるとき、なんか寂しそうな感じがしたから」
「えっ、そうですか・・・ええ、まあ」彼女は言葉に窮しているようで、顔の表情も微妙に動揺していた。竹内は彼女の瞳を見たが、真紀は見られないように避けた。
 竹内は何かきいてはいけないことをきいてしまったような気がした。七歳までしかいなかったこの土地にも色々と思い出があるのだろう。楽しいことや、悲しいこと。幼かった少女の心にも様々な思いがあり、それがまだ心に残っているのだろうか。特に子供のころの体験は幼時体験として大人への成長過程に影響し、見えない深層にシコリを残すことがある。
 竹内にしても、幼時体験などないものの、何事にも動じない毅然とした人間のように思われているが実は内面的にはもろい人間だった。過去に出会った数々の事件で竹内は心に傷を受け、精神的にもまいってしまったことがある。特に「専務殺害事件」の時は、自分が介入したために余計な犠牲者を出したことを心から悔やんでいた。友と先輩の死の悲しみと悔恨は五臓六費に染み渡っていた。どんなに陽気に振る舞っている人でも、一つや二つは深い哀傷があるはずだ。決して触れてはいけない思い出が。
 真紀はそんな思いを隠すかのように陽気に言った。「ここが私の小学校だったんです」
目の前に学校の建物が現れた。二十年ぐらいは経っているだろうか、コンクリートの校舎は少々薄汚れている。
「南吉もここの出身です」と言って真紀は懐かしそうに立ち止まって校舎を見上げた。

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 吉田真紀は思いつきで幼いころの郷里に帰った。今まで忘れていた南吉のことが先日の飲み会で話題に上がり、ついつい饒舌に喋ってしまった。そのせいでこの岩滑のことが思い出され、久しぶりに行ってみようかなと思い立ったのだ。
 しかし、来なければよかったと八幡神社にたたずんだ時に心の奥で自分に語りかけていた。懐かしいこの町だが、辛い思い出も同時に思い出された。あの出来事が・・・。そんな時、突然声を掛けられた。振り返るとそこには竹内が立っていた。一瞬なぜと当惑したが、竹内の隠れた顔のことを思い出し、その登場の真意を見いだした。
 帰ろうと思っていたが、竹内に誘われるまま南吉の縁の地を散策することにした。真紀は竹内に対して、この間まではただの先輩という意識しかなかった。ただ、彼の噂はいろいろきいていた。竹内が今までにトリオで起こった事件に関わりその解決に貢献していたことを。一見すると頼り無さそうでふらふらしている遊び人ぽく見えたが、その内面には秘めたる力があるのかもしれない。先輩たちも竹内のことはからかい半分に付き合わないほうがいいよと、苦笑しながら言っていたが、その反面、彼に対する信頼が絶大なものであることもうかがえた。真紀にはまだ、そこまで分からない。実際に彼の活躍を見たわけでもないし、「専務殺害事件」や「乗鞍偽装心中事件」のことは新聞などで見たことがあり、断片は知っているがその実情は知らない。先輩たちもこれらの事件についての詳細はあまり話したがらなかった。その事件には様々な悲しい思い出が有るように真紀も感じ取り、深く追求はしなかった。
 今、目の前にその男がいる。知多半島の殺人事件の謎を追ってここまで来たようだが、客観的に見ると随分物好きな人だなとしか思えなかった。自分やトリオの人間とは関係の無い事件までに首を突っ込もうとしている竹内は本当に探偵ではないのかと錯覚してしまう。ただ、テレビで見るような鋭敏でカッコいい探偵には見えなかった。白いシャツに茶色のスラックス姿の竹内は今時の海岸にいそうなナンパ師のようだった。だが、彼の瞳は違った。軟弱なその辺の男たちとは全く違う瞳をしている。誠実で優しさにあふれ、しかも、何もかも見抜いてしまうような鋭さがある。げんに、竹内は真紀が神社で悲しみにむせいでいたことに気付いていた。真紀はその場をすぐに取り繕ったつもりだったが、この男にはそんな誤魔化しなど通じなかった。感心する以上にちょっと恐ろしかった。自分の心をすべて見透かされているような過剰な気分にもなった。そして、そのことについて質問された時、一瞬心が揺らいだ。竹内になら話してもいい−−−。だが、結局はやめた。これは自分だけの問題だからだ。  二人は小学校を後にして進んだ。しばらく行くと、住宅地の間に工事中の敷地が現れた。地面に半分埋まった形の建物が三棟ほどあり、駐車場の整備も進んでいる。建物の周りは芝生だらけで、ちょっと変わった建造物だ。
「何を作っているんでしょうか?」真紀は竹内にきいてみた。
「ああ、これがたぶん、新美南吉記念館なのかな。資料館の人が言っていた」
「記念館ですか。それは知りませんでした。確かにあの資料館ではちょっとみすぼらしいかもしれませんね」
「ははは、そんなことを言ったら失礼だよ」
「そうですね。ここはもうすぐ完成なんですかね」
「平成六年とか言っていたから、まだちょっとあるね」
「完成したら、一度来て見ますわ」
「そうだね」
 道はY字型で交差する地点になった。小さな川を越えると道が上り坂になり知多半島道路を跨いだ。半田常滑インターの入口まで来ると、「南吉の養家」という看板が見えた。
「あと少しだね、随分歩いたけど。吉田さん疲れない?」
「ちょっと、疲れますね、それに暑いのが」
「申し訳ないね、こんな事に付き合わせて」
「いえ、いいんです。でも、どうして、竹内さんここまで南吉に興味を持ったんです?あの事件のことが気になるんですか?」真紀は衝動に駆られきいてみることにした。彼女のような凡人には理解できない竹内の行動を問いただしてみたかったのだ。
「んー、どう言ったらいいのかな・・・。好奇心って言ってしまったら不謹慎かな。それとも天の巡り合わせかもしれない。どうも、僕の周りにはこういう事件がよく発生して自分が巻き込まれるんだ。どういうわけか」
「竹内さんの過去の活躍はいろいろうかがっています。詳しいことは知りませんけど、うちの会社で起こった事件に関わっていたそうで」
「まあ、関わっていたと言えばそうだけど、たまたまだね」
「でも、新聞には竹内さんのことは書かれてませんでしたし、あの乗鞍の事件でも新聞を見るかぎり複雑なようで、それを竹内さんが解決したというのは凄いことじゃないんですか」
「いやね、偶然だよ、偶然。たまたま運が良かっただけさ」
 真紀は竹内の謙遜の陰にあまり話したくないという意思が読み取れた。やはり、その背後にはいろいろあるのだ。彼女もこれ以上のことはきかないことにした。
 二人は案内板の指示に従って県道から逸れ、狭い田舎道を右に左に曲がった。普通の民家の間に南吉の家・養家はあった。昔風の農家があるとかなり周りとの違和感が拭えない。茅葺き屋根の一階建てで、別棟がもう一つあった。その隣にも小さな建物があったが、それはトイレだった。家の裏には木々が多い茂り、蝉の声がこだましている。建物は市の有形文化財として保存されていた。家の中に入ると涼しく、気温は高いのだが湿りけがない。中は生家と同じように大正の人の生活を展示した資料館になっている。昔の農耕具や炊飯器具、服飾品などが展示されている。 南吉は新美家に養子にきてしばらくここで生活した。今竹内たちが歩いたように学校や、生家 の方にも歩いていったのだ。南吉がここで何を思い、何を考えたのか。その答えは彼の数々の物語にあるはずだ。
 真紀は感慨深げにこの養家を見入った。ここで南吉が暮らしていたのかと思うと南吉への思いも一入になった。目の前に子供のころの南吉が生活している幻影までもが見えそうな気がした。実の母に死なれ、養子としてこの家に預けられ、新しい母親とどう生活したのだろうか。幼い南吉の心に亡き母の面影はどう残っていたのだろうか?自分が亡きあの人のことを思うがごとく・・・。
 真紀が我に返ると、竹内がすでに外へ出ているのに気付いた。竹内が真紀を一人にしてくれたのか?彼女にはそんなふうに竹内の小さな心配りに感激した。
 真紀も外に出て「行きましょうか」と誘い、「次はどうします?半田池まで行きますか?」と尋ねた。
 竹内は案内図を見て「ここからだと半田池は二キロ以上あるね。まあ、やめておこうか。半田池なんて、家からこっちへ来るときよく横を通り過ぎるからいいよ。じゃ、最後に南吉のお墓に行って駅へ戻ろうかな。それでいいかな?」
「はい、分かりました。じゃ、墓地の方へ案内します。それじゃあ、裏側から戻りましょう」真紀はそう言って、竹内を県道とは反対の方向へ案内した。

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 民家の群れを過ぎると、周りは田んぼになり、その向こうは住宅を建てるために土地が均され、今でも工事の車が行き交っていた。近年、知多半島道路に半田常滑インターが出来たため、この付近の開発が始まったようだ。
「この辺もすっかり変わってしまったわ。昔はずーっと山と緑だけだったのに」
 知多半島の開発は目まぐるしいものがあった。海岸付近は古い町並みや工業地帯となり、半島の先端は漁業と観光の町だ。残るは半島の内陸部、比較的低地の丘陵地帯が開発のターゲットとなった。緑の木々は伐採され、山は切り崩された。それは知多だけのことではない。日本全国どこにでもあるものなのだ。それがいいことなのか悪いことなのか?自然保護と開発の問題は早急に答えを出せるものではない。
 目の前の情景を見ると竹内はそういう思いに駆られた。以前の風景は知らないが、今まで見てきたごんげん山などの景色がここにもあったと思うと、緑が全くなく区画整理された砂色の宅地は荒涼とした砂漠に見えてくる。ここに家が建ち人が生活しだせばそれなりに見栄えのする街になるのだが、そこに新しく訪れた人たちにはその過去の風景は決して見ることはできない。そう、もし、南吉がこの風景を見たらどう感じるだろうか?故郷はいつか町となり、都会に変わる。子供のころ母親に自分の故郷はどこと尋ねたら、街に住んでいるから故郷はないと言われ、何となく納得した。たとえ都会だろうと故郷は故郷だ。だが、母親の言っていた「故郷はない」とうのも、まんざら偽りでもない。都会で産まれ育った者の故郷はアスファルトの大地になるのだろうか?
 舗装されてない砂利道を通って知多半島道路の高架を潜り、元の方向へ戻った。こちら側はまだ宅地開発などなく畑や水田が見られる。また、野菜の温室が所々にあり、農村の趣を残している。パンフを見るとこの辺りに「しんたのむね」という縁の地があるのだが、竹内にはどれなのか分からない。「しんたのむね」という意味が分からない。しん太という人の胸なのかと思ったが、真紀に尋ねるのも無知を余計にさらしだすようで、恥ずかしく聞けず、そのままにしておいた。「しんたのむね」というのは「牛をつないだ椿の木」という話に出てくる地名である。
 道はさっき歩いた県道につながっていた。その手前で農作業車しか通れないような細い道に入り、県道のY字路に辿り着いた。
「ここから、お墓の方に行けます。表から回ると大変なので裏口から行きますね」真紀は疲れも見せずに明るく話したが、竹内はそろそろまじで疲れてきた。南吉の養家まで行くのをいまさら悔いていた。
 さっき、真紀に質問されその疑問を自分に自問してみた。
———なぜ、俺はこんなとこに来たのだろう?南吉のことを調べるため?いや、その発端である二件の殺人事件の発端をとつながりを調べるため?
 竹内は自分と関わりがない事件にこうものめり込むのかと自分でも理解できなくなっていた。今までの事件はトリオの人間が巻き込まれたり、相談されたりして事件に関わってきた。だが、今回はトリオとは何の関わりがない。もちろん、トリオの人たちと海水浴に行ったのが、発端ではあるが奇妙な水死体に出くわしたのは単なる偶然だ。それが、続いて起きた「鵜の池殺人事件」との関連があるかのように自分が勝手に思い込み、その関連の謎を求めてしまったのだ。それに、近所の刑事が事件の担当だったため、協力を仰がれたのも奇妙な巡り合わせだった。
———まったく、俺はいつから本当に探偵になってしまったのか?あれだけ、辛い目に会いながら目の前で何かあるとつい関わり合いになってしまう。まるで、目前に人参をぶら下げられた馬のようだ。もともと、事件を解決しても何らかの報酬を得ているわけではないし、言わば、ボランティアなので別に問題はない。まあ、確かに今回は知り合いが関わっていない事件なので、案外気楽な気持ちであるのは間違いない。それに、真紀のような女の子ともお近づきになれて、瓢箪から駒のようだ。自分の好奇心を満たせればそれでいい、今回はそんな軽い気持ちで竹内はい た。だが、事件の裏には様々な人間模様があるはずだ。特に、この事件は見立てという復讐があるかもしれない。それが、心の重みにならなければとふと気にはなった。
 真紀は案内図では分からないような細い道をくねくね進み、いつの間にか墓地の裏口に辿り着いた。市の共同墓地で、石の階段を上ると墓石が整然と並ぶ霊園となった。お盆にはまだ間があったので人の姿はほとんどない。昼間だからまだいいが夜にともなればおっかないだろう。大好きという人はあまりいないだろうが、竹内もあまり墓は好きではない。どうしても、「死」ということを連想してしまい、今までの死の恐怖を思い起こしてしまうのだ。
 段々になっている霊園の通路を通り、急な石段を登った。登り詰めたところにも墓は広がり、竹内にはうすら恐ろしかった。そんなことも気にしないように真紀が言った。
「むこうの方に南吉の墓があります。ああ、誰かいますね。私たちのように散策している人でしょうか?」
 何百もある墓石の群れの中に、三人の男女がいる墓が望めた。徐々に近づいていくと、その墓は周りの墓とは一回り大きく、花の数も多かった。それが、南吉の墓だった。二十九歳という若さで、しかもまだ秘めたる才能を十分に開化させないままこの世をさった南吉は今この墓の下で静かに眠り、幼き頃別れた母の下に帰ったのだ。没後彼の作品が評価を増し、文学史に残る才人となった。そして、半田の、知多の偉人となり、多くの人々に今なお親しまれている。草葉の陰で南吉はどう思っているのだろうか。評価や名声などはいらなかったのだろう。ただ、子供たち、または、子供の心を持った大人たちに自分のお話、故郷の話を読んでもらえば、それで南吉は充分なのかもしれない。親から子へ、そしてまたその子へと永遠に「ごんぎつね」たちが語り継がれていけばそれで満足なのだろう。あまり幸せではなかった南吉の生涯もこうして半田の人に愛され、多くの人々に偲ばれれば埋め合わせがなされたかもしれない。
 竹内と真紀は南吉の墓の正面に立ち、静かに手を合わせ黙祷を捧げた。墓まで来るつもりがなかったので花も線香も持ち合わせていなかった。それでも、捧げる気持ちはここを訪ねる人たちと変わりはなかった。竹内が先に目を開けると、真紀はまだ目をつぶったままだった。竹内は気が付いた。彼女の閉じた瞳には涙が滲み出ているのを。南吉のことを思って涙しているのか、それともさっきから気になっていたことが、また思い出されたのか?竹内は彼女から少し離れ墓の裏側に回った。
 さっきの男女はまだいて、しきりに何かを相談している。話の内容を断片的にきいていると彼らは教師のようで、何かの宿題か研究で南吉のことを調べさせ、このお墓にきた証に戒名を写させようかと話し合っていた。真紀はもとの様子に立ち戻り近づいてきた。
「これで、南吉の故郷巡りは終わりです。どうですか、何か事件のヒントはつかめました?」
「いや、南吉のことはよく分かったけど、事件のことまではね、やはり、何か接点が違うような気がするな。でも、ありがとう、今日はいろいろ付き合ってくれて、本当助かったよ」
「いえ、私の方も一人でぶらぶらするより、ずっと良かったですわ。こうして、竹内さんともお話しできたし。それじゃ、帰りますか?ここからちょっと行くと住吉町の駅ですから」
「ああ、そうしようか。そろそろ疲れてきたしね」
 二人は南吉の墓をあとにして墓地を出た。出たところが本来の正面入口で、南吉の墓という案内図も入口に掲げられている。墓地の向かい側は半田農業高校で、昔部活の対抗試合で来たことがあるのを思い出した。こんなところに南吉の墓があったのか、と竹内は思った。
 高校の横を歩き、バスが通る県道に出た。ここもさっきの高校へ行った時に歩いた記憶があった。道をまっすぐ進と、名鉄河和線の踏切が見え、住吉町駅への道も思い出した。
「まだ、時間あるかな、喫茶店でも入って一服しようか?」竹内は歩きながら尋ねた。
「ええ、いいですよ。今日、予定は別にありませんから」
 二人は駅の近くにあった喫茶店に入った。二人ともアイスコーヒーを頼み落ち着いた。
「今日は本当にありがとう。いい勉強になったよ。普段はあまり文学に興味なんか無かったけどこうやっていろいろ歩いてみると、君が南吉の魅力に取りつかれているのが分かるような気がするよ。今日帰ったら、図書館にでも行ってみて早速南吉の本を借りてこようと思うよ」
「そう言われると、私も案内した甲斐があるような気がします。一人でも多くの人に南吉のお話を読んでもらえれば私も嬉しいです」真紀は心から嬉しそうに笑った。
 竹内はまたここで思った。こんなに明るくて初々しい彼女がふと見せる悲しさは何だろう。何でも興味を持ってしまう自分に呆れたが、好奇心は抑えられない。だが、それを問いただすようなことはもちろんできない。だが、その悲しみが南吉と関係あるような気はしていた。南吉を心から愛しているのに、その南吉に何か悲しい出来事があるのかと、矛盾に満ちた彼女の心が目に映った気がする。何もかも南吉づくし、そんな思いが脳裏をめぐった。

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