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知多半島殺人事件 〜南吉の涙〜


第五章  過去の悲愴

         1

 竹内は家に戻ってから車に乗り常滑警察署へ向かった。吉田真紀とは住吉町から名鉄の急行に乗り、太田川で別れた。最後に、お互いに「ありがとう」と言って本日の些細なデートを締めくくった。竹内は電車の中で考えた。二つの殺人事件に関連があり、キーワードが「新美南吉」だと、断定は出来ないがそのことを杉浦刑事に話すことにした。とにかく二人の被害者の接点を探さなければ、関連性を証明することはできない。それは、竹内の力で早急にできるものでなく警察力をフルに使ってもらわなくてはならない。むろん、警察も二人の関連性は捜査しているだろう。すでに、結果が出ていればそれでいいし、その内容も知りたかった。
 常滑警察署に着くと、玄関の受付で杉浦刑事を呼んでもらった。忙しい人だから、いないかもしれないと危惧していたが、奥の方からにこやかに杉浦は登場した。 「竹内さんでしたか、これはどうも、今日は何の御用で」
「今、お忙しいですか?事件のことでお話したいことがあったもので」
「忙しいことは忙しいのですが、事件の方は全く進展がなくて手を焼いているんですよ。何かいい情報でもあるのですか」
「情報というわけではありませんが、ちょっと気になったことがあるので」
「そうですか、ここでは何ですので、こちらへ」杉浦は竹内を応接室のような場所へ案内した。杉浦自身がお茶を入れて、席に着くと竹内は口を開いた。
「あの、『小野浦海岸殺人事件』と『鵜の池殺人事件』の関連性は警察としてどう考えているのですか?」
「二つの事件の関連性ですか?もちろん、連続殺人の可能性は考慮して調べていますが、今のところ被害者同士に面識はないもようです。互いの家族や会社の人間に質問しても相手のことは知らないという答えのみです」
「じゃ、二人の過去に何か接点はなかったのですか?」
「その点ですか?」杉浦は突然渋い顔をした。「実はですね。坂氏の過去がよく分からないんですよ」
「分からないって、どういうことなんです?」
「それがですね、坂氏は過去を隠しているようなんです。奥さんには昔の事をあまり話さなかったようですし、彼の御両親は既に他界しているので話はきけません。兄弟もいないそうで親戚もよく分からんのですよ」
「それじゃ、学生時代とかの友人は?」
「それもですね、大学は分かったのですが、高校より以前はどこにいたのか不明なんです。会社に提出した履歴書を見ても大学は本当に行ったところなんですが、高校より以前の学歴はすべて虚偽だったんです。履歴書の学校に問い合わせてもそんな生徒はいなかったと連絡がありましてね。今、あちこちの学校に坂氏という人物はいなかったかと打診しているところです。本籍地も昔、御両親が三重にいたときのままで、全然移していなかったのです」
「それは変ですね。何か自分の過去を隠しているかのように感じますが」
「そうです、そうです。だから古川氏との接点が見いだせず、捜査が停滞しているんです。ただ、古川氏の車の経路は判明しましたよ」
「本当ですか?」
「ええ、古川氏の車が武豊の給油所でガソリンを入れたことは確認できました。武豊から碧南ですと、彼の車の走行距離とだいたい一致します。そこから判断して車は美浜町から南知多町の間まで走ったことがわかりましたが、それでは半島の先端全部なので現場の特定はまだ困難です」
「でも、スタンドの人が車の運転手を目撃したのでは?」
「それが、帽子を深く被り、サングラスをしていたのでよく分からないと、しかも、顔を見せないようにしていたとか。ただ、感じから言って古川氏と同じぐらいか少し上のような人物だと、高齢者や若い者ではないことはいえるようですが、犯人の特定までちょっとね」
「なるほど・・・・・・」
「竹内さんは二つの事件が同じ者の犯行だと考えているのですか?」
「・・・ええ、そんな気がします。二つの事件の共通点はあるんです」
「えっ、何ですか?」
「それは奇妙な殺人だということです。小野浦の方は夏なの手袋をしている。鵜の池の方はウナギとイワシと栗がばらまかれている。これはどちらも奇妙ですよね」
「そのことは捜査陣の中でも言われていましたね。ただ、それが何を意味するのか誰も分からなくて、その意見は反故にされているんです」
「その意味なら分かっています」
「本当ですか」杉浦跳び上がらんばかりに驚いた。
「もちろん、絶対という確実な保証は出来ませんが、一つの見方としてある推測が成り立ちます」
「何なんです、それは?」
「『見立て殺人』と『新美南吉』です」
「ミタテとニイミナンキチ。なんですそれは?新美南吉って半田の童話作家のことですか?」
「そうです」
 竹内は見立て殺人と新美南吉の童話について説明した。むろん、それは土田と真紀から得た知識なのだが、その場では自分のもののように自信に満ちた口調で話した。杉浦刑事は最初その意味がよく飲み込めなかったのだが、竹内が何度か分かりやすいように説明するうちにその意味を 理解することができた。
「なるほど、なるほど。つまり、二つの事件に関連があるとすれば、ホシは何らかの過去の因縁で彼らに対する復讐をなし遂げようとしているということですな。しかも、見立てだから、まだ他の者にも訴えているかもしれない、つまり、まだ殺人が続く可能性があると仰るわけですな」
「そういうふうに、僕は考えています。ですから、彼らの接点を早く見つけ、そこから事件の発端は何かを探し、新たな被害者を出さぬよう真犯人の特定を急いでほしいんです」
「いや、とても参考になりました。早速、捜査会議で提示してみましょう」
「しかし、これが本当にそうなのか私はいまいち自信が持てません。もし、間違っていたら、捜査に支障をきたすような気がして、杉浦さんに御迷惑かと」
「いやいや、そんなことは。どのみち、捜査は進展していないんですから、何か解決の打開策を見いださなければいけないんです。だめでもともとですよ。それに竹内さんに頼んだのは私なんですから、私が全部責任を負いますよ。それじゃ、また、何か気が付いたことがありましたらよろしく」と言って杉浦は早々に部屋を出ていった。
 竹内はゆっくり歩いて署を出たが、何か間違ったことをしたような気がしてならなかった。

         2

 美浜町の南部、小野浦海岸の手前に大御堂寺はある。通称野間大坊と呼ばれ、昔も今も知多半島の名所の一つだ。天武天皇時代に創建され、白河天皇の勅願寺として中興された古刹である。源頼朝が野間の荘司長田忠致に暗殺された父・義朝の菩提を弔うため、七堂伽藍を建立したが幾度もの兵火による火災でそのほとんどを失った。現存の建物は一七五四年に再建、修理されたものである。広い境内には、本堂、講堂、経堂、開山堂、鐘楼などがある。また、木太刀に埋もれた義朝の墓、義朝の忠臣・鎌田政家の墓もある。そして、長田忠致が義朝を殺し、その首を洗ったと伝えられる「血の池」がある。
 その血の池に本物の死体が浮かんでいた。月曜日の朝、近所の人が散歩に出かけると池の中に男の人が浮いているのを発見、すぐに警察へ通報した。常滑署の署員が三たび殺人事件に出くわすことになった。刑事たちは既に発生している二件の殺人事件のせいで慰労困憊だった。そして、またもや奇妙な殺人事件に出くわしたのだ。
 家に帰っていた杉浦刑事もたたき起こされ現場に急行した。現場に到着し、実況検分を行っている様子を見ながら、恐ろしいことに気付いた。この死体にも奇妙な施しがなされていた。いや、一見するとおかしくはないのだが、よく見てみるとおかしいのだ。
 杉浦は部下の田窪刑事に尋ねた「害者は下駄を履いているのか?」
「そうです。下駄です」
「どんな下駄だ?」
「普通の下駄ですけど、ただ、新品ですね。水に濡れて湿ってますけが、木も鼻緒も新品です」「新品の下駄?これも竹内さんの言っていた『見立て殺人』なのか?」杉浦は独語した。

 竹内は朝早く電話で起こされた。あと三十分は眠れたのにと、腹立たしかったが相手が杉浦ときくと眠気も怒りも吹っ飛んでしまった。
「もしもし、竹内ですけど」
———杉浦です。こんな、朝早くからすみません。ただ、お仕事に行かれる前にご連絡したかったもので。
「と言うと、何かまた事件ですか?」
———ええ、そうです。竹内さんの危惧があたってしまったようです。野間大坊の池で今朝死体が見つかりました。身元等はまだ調査中ですが、絞殺されたあとがあるので他殺は間違いありません。それに、奇妙な点があるんです。
 奇妙という言葉に竹内はときめいた。「何が奇妙なんです?」
———今度は下駄です。足に下駄を履いているのです。下駄なら場合によっては履くかもしれませんが、まだ、買ったばかりのような新品なんです。そこが、どうも引っ掛かって。これが、昨日竹内さんが言われていた『見立て殺人』なのかなと思いまして、ひとまずお知らせしようと。「そうですか、新しい下駄の意味は私には分かりません。南吉の本を借りて読んではいるんですが、まだ、全部読んでいませんし、作品集に載っていないものかもしれないので。じゃ、知り合いにも南吉に詳しい人がいるんで、きいてみます。それからまた連絡をしますよ」
———分かりました。こちらの方も早急に身元を洗って、前の事件との関連を探るつもりです。お手数ですが、よろしくお願いします。
「いえ、こちらこそ、わざわざ、すみませんでした」
 竹内は受話器を置いて少し震えた。やはり、事件は進行していたのか?———新品の下駄。それが南吉の話の中にあるのか?好奇心と不安が入り交じり始めていた。

 被害者の身元はすぐに判明した。犯人に害者の身元を隠す意思は全く無いものと思われる。それは前の二件とも同じだ。被害者は高山昌幸、二十八歳、住居は豊橋であった。独身で一人暮らし、両親・兄弟とは別に暮らしていた。仕事はT銀行の情報システム部、つまりSEであった。 検死の結果以下のことが判明した。死因は絞殺、喉部には紐状の細い紫色の痕がくっきり残りそれによる窒息死と判明。死亡推定時間は発見された午前五時から逆算して昨夜の午後十一時から明けた午前一時の間と断定された。
 野間大坊の周りには民家が狭い道路を挟んで接している。寺と道を隔てる垣根のようなものはなくどこからでも寺の敷地に入れる状態だった。血の池と呼ばれる、小さな水たまりのような池も寺の敷地内ではあるが、民家の目前にあり何もしきるものはない。池と民家の間にある道路に車を止め死体をそのまま投げ捨てることができるのだ。午前零時前後になればこの辺り人けは全く無い。この場所が殺害現場とは特定できず、殺害したあと遺体だけを運んだとも推測され、いつ池に放り込まれたかは全く分からなかった。付近の住民も不審な車や物音をきいたという証言はなかった。遅くとも午前一時にはほとんどの家が就寝していたので、遺体投棄は真夜中と思われた。
 高山の昨日の足取りだが、豊橋のアパートに午後九時ごろまでいたのは確認された。隣人が回覧板を持っていったことが明白で、それ以後の消息がつかめなかった。ただ、午後十時ごろ誰かが高山を訪ねた気配があったことを隣人は証言した。しかし、それが誰か、男女も特定できない。ただ、扉を叩く音が聞こえただけだった。彼の車はアパートに起きっぱなしだった。高山がその訪問者と出かけたようで、その後どこかへ行き殺害されたのだろうか?そして、なぜ知多の野間大坊に遺棄されたのか?
 動機の面も皆目見当がつかない。仕事はコンピュータ関係ということで残業も多く、忙しい毎日であったが、何のトラブルも表面上はなかった。高山も温厚で人柄もよく借金などの問題も全く無い。銀行という仕事だが、情報部なので金との接点は何も出てこなかった。怨恨の線も付き合っている女性はいるものの、良好な関係をたもち、そういった人間関係の問題もなかった。
 「野間大坊殺人事件」もすぐに暗礁に乗り上げた。そう、前の二件と同じく、捜査は停滞したままなのだ。そして、捜査陣の誰もがこれらの事件の関連性を再度考えはじめた。どの事件も動機が明白でない。害者の年齢も二十七か二十八。つまり、昭和三十八年生まれであり、同学年だった。殺された場所も知多の各名所、そしてどの死体にも奇妙な飾りがなされていた。この点からもこれらの事件は一本の線で結ばれるのではないかと捜査方針が変わりつつあった。それを決定付けさせたのが、杉浦刑事の進言だった。杉浦は竹内からきいた話を「野間大坊殺人事件」が起きる前夜に捜査会議で話した。荒唐無稽で理解でき難い話のため、他の刑事たちも半信半疑であった。だが、野間大坊の殺人事件でデコレーションされた「新品の下駄」は杉浦の話を裏付けるものになった。

         3

 竹内正典は普段通り出向先に出社した。本当は直接、会社に行きたかったのだが、トリオが絡んでいない事件の調査で会社にいけば、また、何を言われるか分かったものじゃないと懸念していたのだ。それに、あからさまに真紀に近づくと、あらぬ噂をたれられそうで、竹内自身はかえって嬉しいが、真紀には迷惑だと思い遠慮したのだ。
 しかし、心の方はうずうずしていた。「新品の下駄」の謎を解きたく、真紀に話を聞きたかったのだ。昨日竹内は近くの公民館で南吉の作品集を借りてきた。「ごんぎつね」や「てぶくろを買いに」を先に読み、あの事件との符号性にあらためて驚いた。今朝、杉浦から電話があり、「新品の下駄」のことを知ったが、本を全部読んでいなかったので、その場では分からなかった。来る途中で読もうかと思ったが、満員電車の中では読みにくいし、少し大きな、しかも童話を読むのは少々恥ずかしかった。
 九時を十五分ほどまわったころ竹内は会社に電話をした。真紀は渡辺裕予と出ていた仕事は終わり、今は社内で残務的な仕事や、他の人の仕事を手伝っていると昨日話していた。だから今日もまだいるはずだ。
 電話には森が出て、保留の間もなく真紀に渡された。トリオで最初に鳴る電話はシステム一課の新入社員が座る席の電話と決まっている。むろん、電話対応の訓練の為で、竹内の時は土田と佐藤真里が座っていたのだ。今は、そこに今年の新人である森と真紀が座っているのだ。
———竹内さんですか。お早うございます。昨日はありがとうございました。
「ああ、こちらこそ」
———で、何でしょうか私に何か用で。
「実はね・・・、言いにくいんだけど、今朝ね、知多半島でまた事件があったんだよ。殺人事件が」
———本当ですか。でも、今朝のテレビでは何も言ってませんでしたよ。
「それは、今朝見つかったばかりだから、報道は昼になるだろうね」
———でも、どうして、竹内さんは知っているんです。
「いや、それは・・・・・・ちょっとね。それよりも、今回も奇妙な装飾がなされているんだ」
———また、ですか?それじゃ、今度も南吉の・・・・・・・。
「その点を確認したくて、電話したんだ。『新品の下駄』って言っただけで分かるかな?遺体の足には新品の下駄が履かしてあったんだけど」
———えっ・・・・・・、そうですか・・・・・・。
 真紀はしばらく沈黙した。それは『新品の下駄』の意味が把握できたからだろう。竹内は静かに待った。
———それは、『きつね』という童話の引用だと思います。
「『きつね』?」竹内は昨日借りた作品集の目次にそんなのがあったのを思い出した。最後の方に載っていたのでまだ、読んでいなかったのだ。
「それは、どんな話?簡単に言ってよ」
———文六という子供が友達と下駄を買いに行きます。その時、あるおばあさんが『晩に新しい下駄をおろすと狐が憑く』と言って、子供たちを驚かせたんです。子供たちは半信半疑でしたが、お祭りにそのまま行った帰り、文六が『コン』と咳をしたんです。それで他の子供たちは文六が狐に憑かれたと思い込んでよそよそしくなるというお話です。
「んー・・・・」竹内はうなった。まさに今回の殺人も新美南吉の童話を模倣している。これで、三件の殺人の関連性がより明白なった。それ以上に、早くこのことを杉浦に進言し、せめて三人目の犠牲者を出さないような対応を出来なかったのかといまさらに悔やんでいた。
———竹内さん、また起こってしまったのですね。一体誰が何のために。
 真紀の声が悲しい響きで受話器から伝わってきた。だが、竹内には何も答えることができなかった。

 竹内がその夜家に帰ると、母親が「杉浦さんがお待ちよ。今自宅にいるそうなので、すぐに行きなさい」と言われ、着替えもせず杉浦の家に出向いた。杉浦は食事が終わったところでまた出かける様子だった。
「ちょっど、よかった今お宅にうかがって、署にいると伝えてもらおうと思ったところなんですよ。着替えを取りに家に戻ったんでね、今日はもう徹夜ですよ」
「そうですか、それはご苦労さまです。で、今朝の事件ですけど・・・・・・」
「竹内さん、『きつね』ですね。もう分かっていますよ」
「そうなんですか。警察もその線で追っているのですか?」
「ええ、昨日竹内さんのお話は捜査会議で説明しました。昨日はあまり、相手にされませんでしたけど、野間大坊の事件で下駄が出てきたので、早速南吉の本を調べさせ、『きつね』という話を見つけたんです。捜査本部の方もこれで納得したようで、事件は連続殺人事件ということになりました」
「そうですか。それはそれは。でも、そんな私の考えだけで関連性を決めていいのですか?」
「いえいえ、もう一つ関連性が分かったんです。三人の被害者は同年、同学年です。しかも、中学まで同じところに住んでいました。今朝の害者の身元から、彼が中学時代に住んでいた場所と古川氏のすんでいた場所が一致したんです。そこで、坂氏のことも問い合わせてみると、彼もそこに住んでいたことが分かりました。十五年前まで彼らは同じ所に住んでいたんですよ」杉浦は徐々に興奮してきたのか声が大きくなった。
「で、どこなんです。それは?」
「半田です。半田の『いわなめ』ですよ」
「そ、それは『やなべ』のことですか?」
「そうそう、『やなべ』でしたな。常滑に住んでいるもんで、つい『いわなめ』と読んでしまう。しかし、竹内さんよく御存知でしたね。『やなべ』なんて難しい読み方でしょ、まあ隣町だから知ってて当然ですかね」
「いえ、私も昨日まで知りませんでした」
「そうなんですか、でも、昨日ってどういうことなんです」
「昨日、岩滑に行ったんですよ」
「何しにですか」
「岩滑はですね『新美南吉』の故郷なんです」
「・・・・・・」その回答に杉浦は絶句した。

 竹内は家に帰っても眠れなかった。事件が思わぬ展開になり、すべてがつながってきたからだ。三人の被害者が同級でしかも岩滑に住んでいた事実は竹内を驚かせ、納得もさせた。新美南吉との接点が見え始めてきた。三人は同一犯にある意図を持って殺害されたと判断していい。だが、南吉のデコレーションが何を意味するのか釈然としなかった。三人のつながりがハッキリしたところで犯人とのつながりがまだ不鮮明のままだ。犯人像が全く見えてこない。なぜ、新美南吉なのか?それは犯人と被害者、そしてまだいるかもしれない狙われている人物にしか分からないの だ。十五年前、彼らは同じ地にいた。そこで何かあったのか?
———十五年前?どこかできいたような数字だ。どこだっけ、そうか。もう一人俺は岩滑出身の人物を知っていた。それが、今回と関係あるのか?だが・・・・・・。
 明日は自分にとっても、そして、彼女にとっても辛い日のような気がしてきた。

         4

 吉田真紀は竹内との電話を切った後、しばらく動揺していた。またしても知多で事件が起こり、しかも、南吉の童話が暗示された装飾がなされていた事実は、彼女の心を震わせた。半田での忌まわしい記憶が再び脳裏に甦り、様々な思いが駆けめぐった。
 先日見た夢はこれの前兆だったのかもしれない。目には見えない不思議な巡り合わせが彼女の周りで起こりつつあった。十五年前の出来事が今回の連続殺人につながるのでは、ふと思ったりもしたが、そんな偶然があるものだろうか。自分も竹内の好奇心やその姿勢に感化してしまったのかと自嘲してしまった。だが、それは現実のものになりつつあった。

 翌日、竹内は真紀を呼び出した。昼のうちに連絡を取り、栄まで来てもらったのだ。今回は神妙な話になりそうなので名古屋駅付近で会うのは避けた。トリオの同僚に万一にでも見られたら、あらぬ誤解を招きそうだったからだ。竹内は中日ビルの一階ロビーで彼女を待った。ここは栄での待ち合わせ場所の一つで夕方ともなると同類の人間がたむろしている。午後六時ちょうど、真紀は現れた。竹内を見つけると静かに近づいてきたが、その顔色は既に深刻そうな表情だった。彼女も今回の呼出しの意味をある程度予想しているのかと竹内は思った。竹内は喫茶店などに行くと少々まずい状況になると推測していたので、店などには入らずビルを出て、テレビ塔下のセントラルパークをぶらつき、適当に空いているベンチを見つけ、彼女を座らせた。周りは同じような夕涼みのカップルばかりだが、二人の状況はそういった華やいだものでなかった。
「わざわざ、呼び出したりして御免ね。でも重要な話があるんだ」
「事件のことですか?」
「んー、そうなんだ。知多で起こった三件の殺人事件は連続殺人になったことは知っているね」「ええ、それは今朝の新聞で読みました。南吉の童話が模倣されていることはまだ載っていなかったようですけど」
「それ以上にね、ある共通項が出てきたんだよ」
「そうなんですか?そんなこと新聞にもテレビでも言ってませんでしたけど」
「実はね、僕の知り合いがあの事件の担当刑事なんだよ。だから、いろいろ情報を得てね」
「じゃ、南吉のことももしかしたら竹内さんが教えたんですか」
「ん、実はそうなんだ。ここだけの話にしてよ。トリオの連中に知れるとまたとやかく言われそうだからね」
「はい、分かりました。で、その共通点は何なのです?」
「三人とも十五年前まで、半田の岩滑に住んでいたんだ」
「岩滑にですか・・・・・・」真紀はそこで言葉に詰まった。意外な事実が彼女の心を揺り動かした。
「彼らが中学校一年の頃まであそこに住んでいて同級生だったことは分かったんだ。吉田さんも岩滑に住んでいたから、記憶に無いかなと思って」
「いえ、全然知りません。知っていたらとっくに気付いていたはずです。私は七歳くらいでしたから、その頃中学の人なんて、大きいお兄さんたちという目でしか見ていませんから、全く記憶にありません。そうですか。岩滑の人だったんですか?」
「あの・・・・・・・」竹内はいよいよ核心に触れる質問をしようと思ったが、彼女のことを思うと言葉を発するのに躊躇いと戸惑いが制御をかけた。
「あのさ、本当はききにくいことで、どうしようか迷っているんだけど。もし、事件と関係なかったら君に申し訳ないし、でも、聞いておかなければいけないような気がするんだ・・・」
 竹内はもったいぶった言い方をした。
「何なのですか?」真紀は瞳を震わせ竹内を見つめた。
「彼らが、岩滑を去ったのは十五年前、君も同じ頃にそこを離れたね。だから、その頃岩滑で何かなかったか?何か大きな事件とか事故がね、もう少し前かもしれないけど。吉田さんが岩滑で時折見せる悲しそうな素振りは何か、それが彼らの過去と関係していないのかなと思ったんでね。答えたくないならいいよ。無理にはきかないから。君の心の傷を開くつもりはないんだ」
「・・・・・・」真紀は黙って目をつぶった。その閉じたまぶたからは涙がこぼれようとしていた。竹内はやっぱりきかないほうがよかったかなと後悔したが、彼女は涙を拭って答えた。
「竹内さんになら話したいと思います。これが事件と関係あるのかどうか私にも分かりませんが、岩滑の悲しい思い出を・・・・・・」

 真紀が七歳、小学校一年の時、彼女は半田市の岩滑に住んでいた。岩滑は新美南吉の故郷、そういった環境から彼女も子供の時から南吉の話を聞き、南吉の世界へのめり込んでいた。ただ、それは南吉の故郷だという条件だけの結果ではなかった。もう一つ大きな要素が彼女を南吉に引きつけたのだ。
 真紀の家の近くに、内田久義という青年が住んでいた。歳は十七歳、家庭の事情で高校には行かず、近所の自動車修理工場で働いていた。内田は内気であまり人とは話すのが得意ではなかったが、仕事は黙々とする真面目な青年だった。その素朴な性格は子供たちに近く、仕事が暇になると近所の公園や神社に行き、子供たちと戯れていた。童心を持つ内田は子供たちとは打ち解け、いろいろなお話をきかせていた。彼の好きな話は新見南吉の童話だった。地元の才人というだけあって、南吉の童話は広く親しまれていた。内田もその南吉の世界に魅了された一人で、幼いころから暇があれば南吉の童話を読みあさっていた。そして、今その思いを子供たちに伝えようと南吉の話を子供たちに話していたのだ。
 その子供たちの中に、吉田真紀もいた。幼稚園のころから内田のお兄さんとは仲が良く、いつも南吉の童話を聞き入っていた。真紀の南吉好きもここが出発点であったことは間違いない。内田の話し方はとても優しく、その童話の世界に引き込まれるような優雅さがあった。真紀は内田が大好きだった。神社で遊んでいるときに彼が現れるととても心が踊った。いつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と言っては内田に抱きつき遊ぼうとねだった。内田はいつも嫌な顔をせず子供たちの相手を務めた。
 内田にとって心を開くことができるのはこの子供たちだけだった。仕事場でも家でも無駄口を言うことはなく、もの静かな青年というのが周りの評判で、子供とばかり遊ぶことにも多少の批判はあったが、その関係が崩れることはなかった。
 だが、ある日、岩滑で大事件が起こった。今から十五年前の夏だった。それがすべての歯車を狂わしたのだ。
 蝦名寿郎という小学校一年生、すなわち吉田真紀の同級生が行方不明になった。午後七時を過ぎても帰宅せず、家族は不安にさいなまれた。よく遊ぶ友達に居所を尋ねたが、午後五時ごろまで遊んでいたという証言があり、その後の消息は知れなかった。警察や消防団、近隣の人たちが手分けをして、近くの山や川を捜索した。午後十時、念のためにと蝦名少年の家から四キロ半も離れた半田池も捜索したところ、少年の消息が判明した。
 池に浮かぶ少年の姿はあまりにも無残だった。だが、その死因が溺死でないことはすぐさま明らかになった。殴られた痕が顔や腹部にあったからだ。警察は何者かによる他殺とその後に半田池へ遺体を投棄したものと断定、すぐさま捜査本部が半田警察署に設置され、署員総動員で捜索が始まった。
 蝦名少年は小学校一年の割りにはませており、向こう気の強い腕白タイプだった。喧嘩もよくするし、気に入らない大人には「バーカ」とか言って悪態を付くほどだった。
 捜査は少年の目撃談を元に、午後五時以降友達と別れた後の足取りを探った。そして、少年が矢勝川のほとりで内田久義と話をしていたという目撃者が現れた。早速、内田は警察に事情をきかれた。その日、内田は仕事が忙しく残業をしていたため、蝦名少年の失踪については知らなかった。だが、ここで大きな疑惑にぶつかった。警察の少年と会ったかという問い掛けに、内田は何も答えなかった。内田は黙したまま何も返答しなかった。
 警察は内田に対する嫌疑を強め、取り調べを進めたが内田は黙ったままで、何一つ語ろうとはしなかった。そして、数日後、内田は拘置所で自ら命を絶った。ベッドに備えつけられていたシーツで首をくくったのだ。
 事件は急展開した。内田が命を絶ったことは自ら罪を認めたものと警察は考えた。むろん、捜査は継続され、他に目撃者や証拠はないか捜索されたが、たいした成果は無く、内田の犯行と推定されてしまった。結局は、事件は曖昧なまま終わり、誰もが釈然としないまま事件のことは忘れられてしまったのだ。
 しかし、真紀に取って忘れられる事ではなかった。小学生という未成熟な心にも内田の死はショックであった。あの優しいお兄ちゃんが子供をあやめたということも到底信じられなかった。何か理由があるのだと思いたかったのだが、自殺という事実が思いを複雑にした。
 真紀は涙ながら話してくれた。彼女の岩滑における悲しみの真実を知った竹内にとっても衝撃的な話であった。

「そう・・・・・・」竹内には慰める言葉もなかった。彼女にとってとてつもなく辛い過去をしゃべらせたことを心から詫びている気持ちだった。
「吉田さんはどう思っているの、内田という青年が本当に犯人だったと」
「私は信じていません。お兄ちゃんがあんなことをするなんて絶対に信じられません」真紀は訴えるように言った。
「じゃ、なぜ警察に何も言わなかったのかな。黙秘することはそれなりに理由があると思われてもしかたがないよ」
「それは・・・、よくわかりません。ただ、お兄ちゃんは大人と話をするのが苦手だったですから。それに、蝦名君が死んだことがショックだったかもしれません。蝦名君とも仲は良かったですから」
「しかし、自ら命を絶った理由がどうしてもわからないな?」
「私も、当時は分かりませんでした。『死』というものがよく分からなかったのもそうですが。でも、今考えるとお兄ちゃんは責任を感じたんだと思います。蝦名君と会ったのは事実のようです。その後、蝦名君が何らかの事件に巻き込まれたと思います。だから、お兄ちゃんはその時に何とかしておけば、家まで送るとかしておけば蝦名君は死なずにすんだと後悔していたのだと思います。お兄ちゃんは本当に子供が好きでした。自分が疑われることよりも一人の少年が死んだことに重圧を感じたんではないでしょうか。だから、そのことが・・・・・・」
 竹内には真紀の気持ちが良く理解できた。人を信じることがどれだけ大切かひしひしと感じた。彼女が内田という青年を無実と信じているのなら、自分もそう思おうと考えた。
「ありがとう、辛い話を。そのことが今回の知多の事件と関わりがあるかは分からないけど・・・・・・」だが、竹内は心の中で何か得体の知れない感触をつかみ取っていた。
 竹内は真紀を促しベンチを立った。真紀の足取りはどことなくおぼつかなかったが、竹内は彼女を支えるように肩を抱いてあげた。

 家に戻り竹内は常滑署に電話を入れ杉浦を呼び出してもらった。
「竹内です。お忙しいですか?」
———ああ、忙しいと言えば忙しいですが、手詰まりでね。で、何か?
「あのですね。被害者三人が十五年前岩滑に住んでいたころ、小学生の殺害事件があったはずです。そのこと調べてもらえませんか」
———十五年前?ああ、なんとなく記憶に有りますな、被疑者が自殺したとかいう事件だったと思いますが、あれは半田の事件だったですかな?
「それだと思います。ちょっと気になるんで」
———ええ、分かりました。しかし、そんな情報どこから仕入れてくるんです。警察より情報網が広いんですか?不思議な方ですな。
「いえ、まあ、明日は私有給休暇で家にいますから、何かあったら連絡ください。それでは失礼します」
 事件は終末に向かっている。そんな思いが受話器を置く竹内にはあった。謎めいた絡み合う糸が一本になるとき何か大きな衝撃が来るような不安にもさいなまれ始めていた。

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