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知多半島殺人事件 〜南吉の涙〜


第六章  遅すぎた結末

         1

 翌日、竹内は休暇で朝から家にいた。トリオの夏休みは特定の期間があるのではなく、有給を利用して七月から九月の間に連続休暇を取る形になっていた。竹内は出向先の夏期休暇に併せて夏休みを取っていたが、今年いっぱいでトリオを退社する腹積もりだったので、有給休暇を残してももったいないからと、適当に有給を取っていた。
 暑いこともあったが、竹内はあまりよく眠れなかった。昨日の真紀からきいた過去の悲劇が心を高ぶらせていた。竹内は今までの経験で人の感情に共鳴してしまうことがよくあった。特に「死」が関わってくるとなおさらだ。真紀の話、彼女の気持ちは痛いほど理解できる。自分の知る者、愛する者の死がどれだけ心を蝕んでいくか、竹内には真紀以上に承知していた。彼女の悲しみはあたかも竹内自身が疑似体験しているがのごとく心のスクリーンに投射されていた。彼女の勇気にも竹内は畏敬の念を感じた。人生の中で最も辛い出来事を彼女は話してくれた。それはとても勇気のいることだと思えた。体の傷はいつしか癒える。だが、心の傷はそうたやすく治癒することはない。治ったと思っても心の奥ではその忌まわしい記憶がまとわりついたままだ。忘れること、口に出さないことで、その傷を隠しているのが人間のできる範囲だ。その傷口を自ら語ることで再び開くのは相当の心構えがいる。彼女はその勇気を奮った。彼女のその気丈さに竹内は胸を打たれ、彼女の芯の強さを知った。
 竹内自身、後悔はしている。彼女の触れられたくない過去に踏み込んだことが竹内には辛かった。しかも、本当に今回の連続殺人に関係あるのかどうかも分からないのに。だが、竹内はあると睨んでいた。いつもの感がそうだと言わせている。しかし、一抹の不安もあった。彼女の傷口を開いたことがとてもやるせなかった。
 朝食を食べながらそんなことを考えると母親がやって来た。
「杉浦さんが見えてるけど」
 竹内は残った飯をかき込み玄関に走った。
「お早うございます。朝早くからすみません。今日はお休みと聞いたんでちょっと寄ったんですが」
「そうですか。それで何かあの件で分かりましたか?」
「ええ、十五年前岩滑で起こった事件については調べました。それで、今から当時岩滑の派出所にいた巡査の方に会いに行くのですけど、竹内さんも同席しませんか?」
「私がですか?いいんですか、私みたいな捜査陣と関係ない者が?」
「いいんですよ。もともと、事件の方向を確立したのは竹内さんの助言なんですから。それに、まだ、いろいろ謎がありそうなので一緒に話をきいてもらったほうがいいと思いましてね」
「そうですか。分かりました。じゃ、すぐに支度をしてきます」
 竹内は出掛ける用意をしてすぐに家を出た。神社の空き地に覆面パトカーが停車していて、杉浦が待っていた。竹内は後ろに座り、杉浦は助手席に座った。運転席には若い刑事がスタンバイしていた。
「こちら、竹内さん。彼は私の部下で田窪と言います」
「田窪です。よろしく」田窪刑事は後ろを向き軽く会釈した。竹内も「よろしく」と言って挨拶を返した。
 田窪は小声で杉浦に尋ねた。「民間人を捜査に加えていいのですか」田窪は怪訝そうな、目つきを後方に忍ばせた。
「いいんだよ、田窪君。実はあの『見立て殺人』と『新見南吉』の話は竹内さんから拝聴したことなんだから」
「えっ、そうだったんですか?私はてっきり杉さんが発案したのばかりと・・・・・・」
「ははは、こんなおいぼれにあんな発想が湧くと思うのかね。自分のようねデカはこつこつ事件を追い詰めていくのは得意だが、ああいった突飛な発想なんかは苦手というものだよ。いっちゃなんだが君達のような若いデカこそもっと頭を使ってもらわにゃ。そうそう、このことは他の人には言うなよ。俺にも面子ってもんがあるからな」 「はあ、まあ・・・・・・」田窪は少し恐縮した表情をし、竹内を見つめた。「あんなことは我々でも気づきませんよ。それを竹内さんが見つけたんですか。恐れ入りますね」田窪は皮肉と畏敬の思いが混ざった表情で言った。
「いえ、私もたまたま運がよかっただけで・・・・・・」実際、『見立て殺人』と『新見南吉』の発想は土田と真紀の意見を取り入れただけで、竹内自身何もしていない。竹内には面子はなかったが、あらためてそのことを言うのは少々恥ずかしかった。
「どこまで行くのですか?」竹内は話題を変えようと杉浦に尋ねた。
「さっき言った元巡査が知多市のほうに隠居しているのでそちらに向かいます」
「十五年前の小学生殺害事件のことは何か分かりましたか。今回との関係なんか」
「そのへんはまだ、分かりませんな。半田署の方から当時の事件の調書を概要だけFAXしてもらったんですけど・・・」そう言って杉浦は足元のアタッシュケースから資料を取り出した。「見てみますか?」
「ええ、ぜひ」竹内はそれを受取パラパラと拾い読みした。だいたいは真紀からきいた話と同じなので目新しい発見は無かった。書類の間に写真のFAXがあった。コピーされたものなのであまり鮮明ではないが、人物の顔ははっきり分かった。
「この写真が、容疑者だった内田さんですか?」
「そうです」
 写真は成人にも達していない幼さが残る優しそうな男の顔が写っていた。真紀の言っていたことがさらに現実味を帯びた感じがした。こんな優しそうな男に子供が殺せるのだろうか。竹内にも信じられないという素直な感想が脳裏に巡った。
———おや、どっかで見たことがあるな。
 竹内はふとそう感じた。どこで見たのだろう。十五年前の事件だから、たまたま新聞やテレビで見た記憶が微かに残っていたのだろうか。いや、違う感じがする。つい最近見たような気が・・・・・・。
「しかし、どうして新見南吉なんですかね。そのへんは竹内さん、分かっているのですか?」
 田窪が話しかけてきたので、竹内の思考は中断された。
「いや、そのことは私にも・・・」本当はある程度予想が付いていたのだが、その事はまだ刑事たちに言う段階ではないと悟っていた。
「杉浦さん、南吉のこと以外にも共通点があるのは気づいています?」竹内はちなみにきいてみた。
「まだ、他にあるのですか」
「ええ、大したことではないんですけど。ちょっと気になることがあるんですよ。まず、水ですね。三件の殺人はどれも水のある場所に遺体がありました。海と池と、まあ、血の池も池と言えば池ですが、水には変わらないと思います」
「そうですね。確かに仰るとおりで」
「水は一体何を暗示しているのか最初分かりませんでした。でも、岩滑の事件を知ってその意味が分かった気がします。つまり、水、すなわち、池を指す。それはあの少年が半田池で見つかったということを指し示しているのではないでしょうか」
「なるほど。なるほど。分かります。分かります。他にも何かあるのですか?」
「ええ、もう一つは『狐』です。三件の見立ての元になった南吉の話はどれも狐が登場します」
「確かにそうですな」
「このことは、狐=化かす。つまり、化かされるな、騙されるな、ということを示しているような気がするのですけどね」
「はあ・・・」田窪は感銘の声を漏らした。今まで、竹内のことをあまり信用していなかったが、ここまでいろいろ推論されては刑事の面目以上に竹内自身の洞察力に感服してしまった。
「じゃ、竹内さん、十五年前の事件に何か騙されるようなこと、いや、間違いがあったのではと考えているのですか?」杉浦は難しい顔で尋ねた。
「そこまでは断言できませんけど、何かあるはずです」
車は新舞子から西知多産業道路に入った。竹内はこの道を通りたくはなかったが、そのことを刑事に注文など出来るはずもない。忌まわしい過去の記憶がありありと蘇った。目をつぶるとあの時の情景が目の前に浮かびそうだった。そして、その現場を車は瞬時に通り過ぎた。竹内の視界に一瞬だが、現場に花が添えられているのが入り、竹内も静かに黙した。今も、覆面とは知らずにビュンビュンと車が追い抜いていった。
 杉浦は「サイレン鳴らそうか?」と田窪に尋ねたが「今は、捜査の途中ですし、そんなもんほかっときゃいんですよ。そのうち事故りますから」
「おいおい、事故を未然に防ぐのも警察の仕事だぞ。そう向きになったいかんがな」
 その時、目前で白バイが跳びだし、突っ走った車は停車を命じられた。
 田窪は「ほれみたことか」と笑いながら横を通り過ぎた。

         2

 車は知多市に入ると朝倉インターから出て、つつじが丘という団地に向かった。知多半島開発の典型のような地域で、五階建ての団地が整然と立ち並んでいる。三人は車を止め、目的の部屋に向かった。表札には中野と刻まれていた。チャイムを押すと初老の婦人が扉を開けた。
「申し訳ありません。先程お電話した常滑署の者ですが」杉浦が代表して答えた。
「はい、お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」
 婦人は三人を応接室に案内し、しばらくすると白い髪の男が入ってきた。まだ六十前後ようだが、体つきも物腰もしっかりしていた。
「突然、すいません。常滑署の杉浦と申します」杉浦は一礼して挨拶したが竹内のことは紹介しなかった。
「いえいえ、わざわざ御足労を。お仕事とはいえ暑い中御苦労様です」
 婦人が三人のために冷たい麦茶を運んできてくれた。三人は礼を言って話に入った。
「今日、伺ったのは先程も電話でお話ししたように十五年前、岩滑で起こった小学生殺害事件のことなんです。当時中野さんは岩滑派出所にお勤めで事件に係わったのはもちろん、周りの住民たちとも親しかったと思いますんで、お話を聞きたいんです。事件の概要はだいたい把握していますが、調書にも載ってないこともありますので」
「あの事件は今思い出しても辛いですな。被害者も被害者ですが、容疑者になった青年もあんなことになるとは、いまだにいたたまれませんわ。しかし、その事件が今回の知多半島のこととかかわりがあるのですか?」中野は懐かしさとは違う苦渋な表情で口を開いた。
「中野さん、今回の事件の被害者たちに御記憶はありませんか?彼らは十五年前岩滑の中学校に同級生として通学していたんです」
「そうだったんですか。いえね、私もどっかできいたような名前と思っていたんですがね・そうだったんですか。そうなると、何か奇妙ですね。すべてが、十五年前の岩滑につながっている感じがしますな。しかも、新見南吉までからんでいるようで」
「えっ、南吉のこと御存知でしたか?そのことはまだ報道に流していないんですけど」
「そりゃ、十年も岩滑にいれば誰だって南吉のことは分かりますよ。もちろん、最初から分かりませんが、三つの事件が連続となれば分かりますよ」
 メモを取ろうとしていた田窪はちらりと竹内を見て眉をしかめていた。
「それでは、彼らが何らかの形で昔の事件に関わっているというようなことはありませんでしたかね」
「んー、彼らのことはあまり記憶にないんですけど、第一すぐに容疑者が見つかりましたからね。所轄の刑事が話をきいたかもしれませんが、私の方ではなんとも」
「中野さん・・・」竹内がここで言葉を発した。スーツを来ていないこの男を中野は不思議に思ったのか、一瞬目が光った。「・・・内田さんが本当に小学生を死に至らしめたと思っていましたか?私が見聞きした彼の印象からいくとそんな恐ろしいことをする人物にはとても思えないんですけど」
「確かに、あなたの仰るとおりです。私も彼のことはよく知っていました。大人とはほとんど話をしないおとなしい青年でしたね。ただ、なぜかあの近所の子供たちとは仲がよかった。私も最初彼が容疑者になったと知ったときは耳を疑いましたよ。でも、彼の本質はよく分からなかったですからね。今の時代みたいに精神障害的な犯罪は稀でしたから、そういった内に秘めたものがあったのかもしれませんね」中野は悲しそうに目を閉じた。
「彼は取り調べで何も言わなかったのですか?」
「そうですね、ずっと黙っていたそうですよ。黙秘とは違うみたいで、ショック状態のような形で何も話すことができなかったらしいですけど」
「しかし、彼が本当に犯人なのかはハッキリしたのですか。彼は死んだ時点で容疑者であって犯人ではないんじゃないですか?その後も真相を突き止めるためいろいろ他の可能性も探究したのでしょ?」
「それはそうだと思いますが、ああいう形で自らの命を絶ったのですから、自白したようなものと所轄の刑事は思ったのでしょう。結局事件は容疑者未確定のまま終わりましたけど、表面上は彼が犯人ということになりましたんでね」
 竹内は何か納得のできないような思いに刈られた。内田青年が犯人である確固たる証拠はない。ただ単に殺された少年といただけという目撃談しかないのだ。あとは彼の性格や家庭環境を考慮し、捜査を終わらした感は否めない。警察が杜撰な捜査をしている気がした。竹内は続けた。
「内田青年に家族はいたのですか?」
「確か、御両親はすでに他界されたはずですよ。けど、彼のお兄さんはまだいますよ。岩滑に」
「岩滑にですか?」
「ええ、岩滑の区民館で今も働いているはずです」
 竹内はそのことをきいて、さっきのもやもやが溶けた。内田青年の写真を見てどこかで見た気がしたのは、新見南吉資料館で出会った男の顔を想起させたからだ。兄弟だ、似ているところがあってもおかしくない。その時、竹内はあるひらめきが起こり、事件の全貌が見えた気がした。
「内田さんのお兄さんは、弟が犯人だなんて信じていなかったのでしょうね」
「そうですね。葬式の時、私はうかがったのですが、康夫さんは弟は絶対犯人じゃないと言ってましたね。弟は心の優しい男だ。ただ、人付き合いが下手で、繊細な硝子細工のような心の持ち主だったから、仲良しの男の子が死んだことにショックを受けただけだったんだ。弟が男の子に会ったのは事実だから、弟はその時、何とかできなかったのかと悔やんでいただけで、その責任の重圧にさいなまれ自ら命を絶ったのだと言い張っていましたね。肉親だからそう思うのも仕方がないですが」
 竹内には内田青年の兄の思いが手に取るようにわかった。真紀からきいた内田の人柄は決して他人を傷つけるような愚行はしないという善人以上のはずだ。それを兄が分からないはずがない。子供たちにも理解できる内田の人物像は、兄以外の大人たちには理解されなかったのだ。
 杉浦はもうしばらく中野に質問したが、竹内はすでに聞いている状態ではなかった。高速度に脳髄を回転させ、パズルを組み立てていった。杉浦の話が終わったのにも気づかず、田窪に肩を叩かれ、我に返った。
 三人は中野の家を辞し、車に向かった。歩きながら杉浦が尋ねた。
「竹内さん、あなたはどうも十五年前の事件において内田青年が犯人じゃないような考えを持っていませんか?」
「ええ・・・、まあ・・・」しばらく考えてから竹内は口を開いた。「杉浦さん、仮にですよ、内田青年が児童の殺害犯でなかったとしたらどうでしょう、今回の連続殺人の真意が見えてきませんか?」
「はあ?何を仰るんです?」
「あくまで仮定ですけど、内田青年が犯人でなく、別の者が少年を殺害したとしたら、今回の事件の点と線が結びつく気がするんです。見立て殺人は復讐のためです。そして、その見立てになぜ新見南吉の童話を利用したか。そして、水と狐。騙されるなというのは、真相を正せというこ とではないのでしょうか」
「た、竹内さん・・・あんた、とてつもないことを考えていますな」杉浦は立ち止まり、振り替えって竹内を見つめた。
「杉さん、どうしたんですか。私にはさっぱり分かりませんけど。竹内さん・・・」田窪は見つめ会う二人の顔を交互に覗き込んだ。
「次は半田署の方へ行くつもりでしたけど、岩滑に寄りましょうか?」
「ええ、ぜひ」竹内は静かに答えた。

 車は知多市を斜めに横切り、佐布里池を渡って阿久比町から半田市に入った。半田市に入るとそこは既に岩滑で竹内は先日来た道順を思い出し、岩滑コミュニケーションセンターに車を導いた。
「田窪君はここで見張っててくれ。竹内さん行きましょう」
 二人は車を降り、区民館の入口まで登った。受付には内田はおらず、制服を着たおばさんが座っていた。
「あの、今日内田さんは?」
「内田さんですか?昨日から休んどりますけん。何も連絡がなくて困っておりますがな。家にもおらんようで、どうかなさったのか心配なんじゃけんど」とおばさんは平坦な口調で答えた。
「杉浦さん・・・」竹内は嘆きのような声を発した。その時、「杉さーん」と大きな声で呼ぶ田窪の声が階段に木霊した。二人は駆け降り田窪に言い寄った。
「どうした、田窪!」
「今、署から連絡がありました。師崎の海岸に死体が上がったそうです」
「何!また、殺しか?」
「いえ、今度は自殺のようですけど、身元はまだ」
「自殺!」竹内は思わず叫んだ。その声に反応し杉浦も少し身震いをした。
「竹内さん、すいませんが現場に急行したいと思うんでここで降りてもらいます。また、後ですぐに連絡を入れますから」
「わかりました」緊張した空気が二人の間に伝わった。
 車は赤色灯を回し、サイレンを鳴らして急発進した。竹内は今回の事件に関わったことを後悔し始めた。最初は興味本位で足を踏み込んだが、それが最悪の結果になりそうだった。もっと早く気づいていれば、この結末に気づくのが遅すぎた、そういった悔しさが次々と胸中をうごめいていた。竹内の感はよく当たる。今回はその感が外れることを願ったが、結局は当たる確率が少し上がっただけだった。

         3

 知多半島の最南端、南知多町に師崎はある。師崎には師崎港があり、日間賀島などの離島へのフェリー発着場としていつも賑わっていた。船に乗らなくても、知多の観光ついでに寄れば、海産物の土産など新鮮なものが手に入る店も並んでいる。ちなみに漁港は少し北上した東側の海岸にある。師崎の最先端が羽豆岬と呼ばれ岩場の小さな海岸が広がっていた。その岩間に男の死体がうち上がっているのが磯釣り来た釣り人に発見されたのだ。
 遺体は一目見て溺死と判別できた。警察が駆けつけ早速捜査が始まった。身元を示すものがなく、判明に奔走をしたが、杉浦刑事の指示で内田康夫という人物を洗わせたところ、彼が遺体の人物と判明した。
 内田は車で現場まで来たようだ。彼の車が師崎港の駐車場の中から見つかった。
 司法解剖の結果、死因は溺死、ただ、胃からは睡眠薬の痕跡が検出された。そのことから、内田はジュースか何かに薬を混ぜ、意識をもうろうとさせたまま入水自殺を図ったと判断された。 仕事は半田市岩滑地区の区民館、及び同建物内にある新見南吉資料館の管理をしていた。内田は昨日から無断で職場を休んでいた。他の職員が家に連絡を入れたが全く応答は無かった。普段は真面目な人物で、仕事を休むことなど滅多になく、しかも連絡がないとはどういうことかと、他の職員も少々の不安を抱いていて、このような悲しい結果になったのだ。
 動機の面は当初から疑問視されていた。人柄もよく、独り暮らしだが生活も質素で内田に現在これといって問題など無かった。金銭や健康の面でも健全で、何が原因なのか周りの人たちには分からなかった。ただ、彼の過去に弟を失ったという悲劇はあったものの既に十五年が経過し、それが原因とは到底考えられなかった。しかし、杉浦刑事には心当たりがあった。だが、確証がないのでその時点では提言しなかったものの、内田の家を家宅捜査しその心当たりが正しいものとなってしまった。
 遺書など自殺をほのめかすものは無かったが、ある手紙が発見された。差出人は坂豊彦、そう「鵜の池殺人事件」つまり、「知多半島連続殺人事件」の第二の犠牲者だ。この発見に捜査陣は色めき立った。一人、杉浦は冷静であったが。
 手紙の内容は衝撃的なものだった。十五年前岩滑で起こった小学生殺害遺体遺棄事件の真相が書かれてあったからだ。小学生を殺害したのは自分とその仲間たちだという告白だった。坂は他の友達(名前は結局手紙の中では明かされていない)と矢勝川で遊んでいたとき、少年と会った。
いつも生意気で上級生にも食ってかかる少年を坂たちはからかったが、いつものように反抗し少年のパンチが一人の急所にあたった。怒ったその一人は我を忘れ仲間たちと少年を乱暴に殴ってしまい、いつしか気づいた時には少年は気を失っていたのだ。我に返った坂たちは慌ててどうしようかと困惑した。その時点で少年が生きていたのかどうか今となっては分からないが、その時の彼らは死んでしまったものと思い、遺体を隠す行動に出てしまったのだ。坂たちは少年を川伝いに運んでいき、半田池へ投棄した。
 その夜、少年が行方不明になったことで町中が大騒ぎしたが、坂たちは沈黙を保った。自分たちが人を死に至らしめたことはとてつもなく恐ろしく、仲間たちは口裏を合わせ、決してこのことは言わないと誓いあった。すぐに、死体が見つかり内田青年が容疑者として連行された。だが、こうなっても彼らは決して口を開こうとはしなかった。自己防衛の本能は当時の彼らの罪悪感に勝っていたのだ。結局内田は獄中で死亡、事件はうやむやのまま終わり、坂たちは危機を免れた。しかし、日に日に罪悪感は増していった。そして、どういう過程を得たのかは分からないが、彼らは徐々に岩滑を離れていったのだ。
 時が立っても坂はその過去に縛られ良心の呵責に苛まれつづけた。年々その贖罪の思いは強くなり、十五年という殺人事件の無効期限を一様迎え、真実を告白することにした。死んだ少年の家族の消息はつかめなかった。少年が死んで他に子供がいない蝦名の家族は数カ月後岩滑を去っていた。そこで、内田青年の兄に真実の告白を行ったのだ。

 以上が手紙の内容である。警察はこの手紙を手掛かりに今回の「知多半島殺人事件」のストーリーを推測した。
 手紙を呼んだ内田康夫は当然、驚き、憤激以上の怒りにかられたに違いない。自分の弟は無実で、しかもそのために死という最後の世界に飛び込んでしまったのだ。その怒りはやり場を失い、ついに復讐という手段に出たのだろう。
 坂と接触を図り、犯行に加わった仲間の名を聞き出した。坂も相手が殺意まで抱いているとは思わず、面会し真実を自分の口で語った。内田にとって真実を聞いたところで弟は戻らない。いますぐにでも、坂を殺したいという気持ちはあったのだろうが、その場は抑えた。
 内田はただ殺したのでは弟に対するはなむけがない、罪を罪として見せつけるために弟が愛した「新見南吉」の見立てを復讐の強調、坂の仲間たちに恐怖を与えるために施した。
 最初に古川が「てぶくろを買いに」の見立てで殺された。古川をどこかに呼び出し、殺害、彼の車で遺体を遺棄し、わざわざ碧南まで戻した。途中ガソリンを入れなければいけない窮地に陥ったが、その場は何とか取り繕い第一の計画を完了させた。
 古川の死は坂にとって恐ろしいものだったのだろう。しかも、南吉の童話のデコレーションまでなされていたのでは、すぐに復讐という文字が脳裏をよぎったに違いない。しかし、どこにも誰にも助けを求めることはできない。内田に対しては謝罪したが、法的に裁かれるのは本位でなかったようだ。彼には家族もあるのでそのことは無視できなかった。
 一方、高山の方も古川の死の意味に気づいていたのだろうが、坂同様どうすることもできなかった。坂と高山が連絡を取ったのか今持っては調べようがない。
 坂は恐怖におののきながらも結局殺害されてしまった。どのように内田と再会したかは分からない。自分を殺そうとする人物に果たして会うだろうか。それとも罪を償うために死を覚悟で会ったのか?このあたりも明確な回答は得られない。
 坂も殺され、ついには高山もその犠牲となった。そして、内田はついに復讐を成し遂げ、自らも命を絶った。
 これが警察の、杉浦の描いた見解である。ほとんどが状況証拠でしかない。物証と言えば坂の手紙。その後、高山の靴が内田の車のトランクから見つかった。また、内田が所有していた服の一部にルミノール反応も検出され、坂の返り血と判定された。武豊の給油所の店員も内田の容姿、歳などが目撃した人物だと断定は出来ないものの、そうかもしれないと証言した。こうして、知多半島殺人事件は解決の目処に至った。もちろん、いろいろ疑問点、不鮮明な点も残るがこれ以上調べることもできないし、犯人はすでにいないので致し方ない。

         4

 竹内は事件の全貌を知るにつれて落ち込んでいった。やはり、関わらないほうが良かったと、いまさらに後悔していた。竹内は内田青年に兄がいて、しかも新見南吉資料館の管理者だと知ったとき、全ての謎が溶けていた。岩滑と南吉を結ぶ接点が一つになった時、その恐ろしい復讐の幕は既に降ろされていた。竹内は悔やんだ。事件に関わってしまったのなら、もっと早く真相に気づき、最悪でも内田の死をくい止めることできなかったのだろうかと。もちろん、竹内に責任はないと杉浦などは慰めてくれたが、「死」に対するこだわりを人一倍持つ竹内には焼け石に水だった。
 内田は犯罪者の兄となりながらも、岩滑に住みつづけた。本来の人柄から、周りの人の偏見も徐々に薄れ、区民館の管理をするようにまでなった。それほどまでに岩滑を、弟が愛した南吉と岩滑から離れようとはしなかった。その思いの中にはきっと弟が無実であることの確信があったのだろう。そして、十五年を経てその真実を知ることになった。
 内田の行いはもちろん許されることではない。法的になんとかすれば良かったのかもしれない。しかし、内田に共鳴する点はある。弟の無為な死を放置しておくことは出来ない心情は理解できる。もし、彼の立場が自分ならどうか竹内は考えてみた。しかし、当事者でなければそんな回答はでない。今までにも様々な「死」に出会った竹内には複雑な心境だ。「死」に直面し、悲しみと憂いを感じ、恐怖にも捕らわれた。
 一人の死はその周りの人々の環境も変えてしまう。内田はもちろん、古川たちでさえも少年の死を通じて自分たちの人生が変わったはずだ。少年の死と、そのために無実の人間を死に至らしめた事実は彼らの心をずっと苛んでいたはずだ。嫌な言い方をすれば自業自得なるが、十五年苦しみ続けたことがある意味では贖罪だったのではないだろうか。
 竹内はここでもう一人、今回の事件で多大な影響を受けた人物を思い出した。彼女もまた、「死」という青天の霹靂により幼き時、そして十五年経った今、心の傷を再び開いてしまったはずだ。連続殺人の犯人が内田の兄であったということは、彼女の心を粉々に砕いてしまったのではないか。そして、事件の背景、十五年前の真実がどれだけ彼女に打撃を与えたか、竹内は心配でたまらなかった。自分があの事件の時、放心状態に陥ったのと同じ道を辿っていないか不安で一杯だった。彼女の自宅の電話は分からない。いや、今は静かにそっとしておいたほうがよいのかもしれない。彼女を巻き込んでしまったことを竹内は心から悔いていた。

 竹内は会社に戻ってみた。真紀がいるのかどうか分からなかったが、その姿を見て安心したかったのだ。六階へ行ってから七階に上がった。今日はあまり人がおらず、七階のフロアーはガランとしていた。森は今日は榊原がいないのでのんびりしていた。あとは渡辺裕予と真野祐子が席で静かに仕事をしていた。竹内は祐子に近づき尋ねた。
「吉田さんは今日いますか?」
「いるけど。今マシン室よ」
「最近、吉田さん元気ないけど、どうかしたのかな」渡辺が手を休めて言った。
 真紀が岩滑と関わりがあることは竹内以外誰も知らない。
「そう言われればそうね。竹内さん、何かあったの?最近真紀ちゃんと何かあるみたいな気がするけど」と祐子が竹内に言った。さすが祐子だそういったことをキャッチする能力は鋭い。
「いえ、別に」と竹内はボロが出ないうちにマシン室へ急いだ。
 マシン室もガランとしていた。マシンが稼働している鈍い音が静かに鳴っている。整然と並ぶ端末の中の一つで真紀は作業をしていた。カタカタとキーボードを叩く音が虚しく響いていた。竹内が部屋に入るとその気配に気づき真紀は顔を上げ手を止めた。竹内は悲しく微笑んで真紀の席の隣に座った。
「・・・・・・」真紀は無言のまま竹内を見つめた。やはり、見た目にも窶れた印象が拭えない。竹内も何と声を掛けたらいいか瞬時に思いつかなかった。休まずに仕事をしているだけでも彼女の気丈さを表しているようだ。
「元気だった・・・。君には謝らなくちゃね。ここ数日で辛い目にばかりあわせちゃって」
「いえ、いいんです。竹内さんのせいではありません」
「何と言えばいいか分からないけど、とにかく元気を出していつもの吉田さんに早く戻ってよ」「ありがとうございます。私は・・・私は大丈夫・・・・・・」そう言って真紀は泣き崩れてた。今までの心の抑止が崩れ、彼女は大粒の涙を流した。彼女は竹内の胸に頭を静め、すすり泣くように嗚咽した。竹内は突然の彼女の行動におののいたが、何もできず、慰めの言葉さえも掛けられない自分が悲しかった。誰も来ないことを願いながら竹内も彼女の肩を抱いてあげた。

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