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ソフトハウス殺人事件 〜メビウスのアリバイ〜


第二章 専務の死

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 トリオシステムに最初に出社してくるのは早野課長である。早野は最近大阪支店から転勤してきたばかりだが、実家はもともと岐阜県にあり、現在はそこに妻子と住んでいる。ただし、JRは通っているものの、少々へんぴな所なので列車の本数が少ない。出社時間である午前九時に間に合う列車はあるものの、それではぎりぎりなので、いつも一本余裕をみている。そのため、八時ごろの出社となってしまうのである。
 早野は鍵を開け書類棚の引き出しに納めてから自分のデスクに着いた。当然、管理職なのでタイムカードは押さない。そして、机の引き出しを開け、おもむろに電気カミソリを取り出して髭をそった。早野が社に来て最初に行うことである。
 続いて、佐藤寿晃が出社してきた。佐藤は現在H電子の仕事で忙しかった。いわゆる「はまっている」という状態であった。毎日遅くまで作業をしているし、朝も早めに出社して仕事を始めることも時々ある。昨日は客先で作業を行い直接家に帰っていたので、今日も早朝から出勤した。 しばらくして、山田悦子と渡辺裕予が現れた。彼女らは早出当番であった。早出当番は女性社員が一週間毎に交替でテーブルを拭いたり、湯飲みを洗ったり、朝のお茶だしを行う係である。彼女たちは制服に着替えてから、早速各々の仕事に取りかかった。そうこうしているうちに、他の社員もちらほら出社してきた。

   裕予は湯飲みを洗いに炊事場へ、悦子は机を拭くこととなった。一応、礼儀として上司の机から拭くので彼女は専務室へ向かった。この会社、社長室は無いのになぜか専務室はあるという変わった会社だ。社員にとってはフロアーの真ん中にでんと座って周りを眺められるよりはましなので喜ばしいことである。ただ、専務室といってもフロアーの片隅を仕切って、大きい机と応接セットを配置しただけだ。
 悦子は専務室の扉を開け中に入った。朝ののんびりした雰囲気である。煙草を吸う者、既に書類などを見ている者、更衣室で着替える女性社員のお喋り、今日もいつもの一日が始まろうとしていた。しかし、今日はその静寂が破られようとしていた。凄まじい悲鳴がフロアー内に響き渡ったからだ。

         2

 八時には既に片岡は起きていた。深夜に泊まりに来た五人の男たちはまだ熟睡していたが、片岡が起こしまわってうつらうつらしていた。朝の時間がたつのは早いもので、うだうだしているうちに八時半近くになっていた。竹内たちも昨日の酔いがまだ残っているものの、意を決して布団の中から這いだした。スーツを着て布団を片付け、適当に顔を洗ったりしてから寮を出た。古井は片岡と一緒に出かけるので四人だけそのまま会社に向かい始めた。
 時刻は八時四十分。会社まではマンションの前を流れる堀川沿いに歩いて十分位である。
「竹内さんはどうするの?これから出先に行くの?」土田はあくびをしそうなぼやけた顔で竹内にきいた。
「そうだなあ、今から行ったってどうせ遅刻だし、ひとまず会社に顔を出してからということにしておこうかな。どのみち、今はそんなに忙しくないから、昼前までに行けばいいさ」
「そう、あんきだよね。俺なんか今日もいろいろ大変だよ。全然プログラムが進んでないからな」
 それから思い出したように「あっ、しまったあ、今週は俺がゴミ当番だったんだ。ちぇっ、まあいっか、今日は」一年目の新人の男はフロアーのゴミ箱のゴミを捨てるという仕事が習わしになっているのだ。
「竹内さんなんかゴミ当番やったことないだろ?」
「ああ、四月に一回か二回やっただけだよな」
「ったく、古井君や荻須さんはすぐにいなくなるし、竹内さんは東京、伊藤君や樋口君まで最近ではちょくちょく何処かに行っているから、毎日のように俺がやんなきゃいけないんだよな」土田はぼやくように言った。
「しょうがないだろ仕事なんだから」樋口はすまないという思いは全く見られない笑顔で言葉をかけた。
「来週はいるんだろうね樋口君?」
「たぶん」
 広小路通、錦通を越えて桜通を目指していた。この辺はオフィス街なので通勤のサラリーマンがちらほら歩いていたが、問屋のような店もあるし、まだ早朝とあって静かだった。だが、その静けさを打ち破るように遠くの方からサイレンの音が聞こえてきた。
 「何だ?朝っぱらからサイレンだなんて」前を歩く伊藤が振り返りながら言った。
 パトカーのサイレンのようだった。音はだんだん近づいてきた、というよりは、自分たちが近づいて行くような感じがしていた。
 桜橋の信号が見えトリオシステムがあるビルの広告塔・コーミソースが視界に入った。トリオシステムプランズは桜通と堀川が交差する桜橋の角のビル、星光桜通ビルの七階と八階の一部にある。八階には総務部があり社長などがいて、七階が主に仕事場となっている。名古屋駅からも東方に十五分ほど歩いたところにあり、通勤にもまずまずで、現在新しい地下鉄が桜通で工事中である。
 竹内たちは桜通に達した。桜通は片側五車線の広い道で堀川にかかる桜橋の歩道側の車線にはパトカーが五台ほど停車している。そのパトカーを指しながら土田が言った。
「おい、どうやら、うちのビルみたいだぞ、何かあったのか?」
 竹内は何か嫌な予感が胸中を貫いていた。トリオがある七階には明かりが煌々とついている。
 土田が言ったとおり警察は星光桜通ビルに来ていた。正面の自動ドアの傍らに制服警官が二人立っている。
 竹内たちが入ろうとすると「失礼ですが、どちらへ」と一人の警官が尋ねた。
 竹内は一瞬すくんでしまった。警官に尋問されるなんて、スピード違反で捕まって以来だし、この場合、異様な緊張感が全身に張り詰めていたからだ。
「ええ、七階の方ですけど」
「そうですか。今エレベーターは使用できませんので階段で行って下さい。それから、上で指示を受けて下さい」
「は、はい、わかりました」
 竹内たちは互いに顔を見合わせながらエレベーター脇の階段を登った。普段点検などでエレベーターが休止し、やむを得ず階段を使う場合、伊藤なんかはいの一番に「ったく何で階段なんか使わなきゃならんのさ、疲れた疲れた」とぼやくのだが、今はそんな事を行っている雰囲気ではなかった。早足に階段を登る。途中駆け降りて来る警官ともすれ違い、七階に到着した。トリオの入口には警官が立ち、ロープが引かれている。当然室内には入れそうもない。外から見た感じでは何人もの人間が動き回っている気配がした。
 入口の警官が「こちらの方ですか?」と質問してきた。
「ええ、そうですが」今回も竹内が答えた。
「そうですか、只今こちらには入室出来ませんので、八階の方でお待ちください。おって、係の者がお話をうかがいに行きますから」
 ちょうどその時、八階から人材開発部の山田部長が降りてきた。土田は山田部長の顔を見つけると、すかさずきいた。
「一体どうしたんですか?何があったんです?」
 それに対して山田部長は苦渋の表情で「ひとまず上の会議室へ行ってください」そう言うと七階の部屋に入っていった。普段からある額のしわがいつもより深く感じられる。
 竹内たちはゆっくりとした足取りで八階に上がっていき、総務部に入った。社長の姿は見えなかったが、総務部長の是洞と脇嶋貴子が忙しそうに電話をかけている。中嶋孝江が「会議室に入ってて」と沈痛な面持ちで話しかけてきた。
 会議室に入るといつも社内にいる面々が立ったり座ったりしていたが、話し声はあまりきかれない。誰の顔からも暗鬱と苦痛と悲しみ、そして驚怖の表情が読み取れる。奥の席で山田悦子が真野祐子に抱き抱えられながら嗚咽している。
 伊藤がテーブルの上に腰を下ろしている藤井幹弘に尋ねた。
「一体何があったんです?」
 藤井はうつむいた顔を上げた。「専務が殺されたんだよ!」

         3

「殺された?・・・・・・」伊藤は次の言葉が出ず絶句した。他の三人も同様に驚きのあまりしばらく何も言えなかった。我に返った竹内だが全く事態が掴めなかった。
「どういうことなんですか?」竹内は藤井に言葉を発した。
「俺も詳しいことは分からないが、悦ちゃんが専務の部屋に入って専務が死んでいるのを見つけたのさ」それで山田悦子が泣いている理由がわかった。
「それから、直ぐに警察に連絡して、後はもう目茶苦茶さ」
 野尻部長と松浦美砂が会議室に入ってきた。彼らも何が起こっているのかわからない状態で、近くにいた青山に竹内たちと同じようなことをきいていた。
「殺されたとか言いましたけど本当ですか?犯人は?」
「それは本当だ。俺も良く見たわけではないが、首に絞められた跡があった。犯人なんてのはまだ分かるわけないよ」
 その時、二人の見知らぬ男が入ってきた。二人とも背が高く一人はがっしりとした感じで、もう一人はほっそりしていた。
「失礼します。お静かに」長身の細い方が口火を切った。「私は中村警察署の筒井警部補、こちらは愛知県警の河合警部です。今回の事件を担当します」筒井警部補が紹介をしている間、河合警部は部屋にいる全員を見渡していた。「今、下の階では現場検証を行っています。その後皆さんに事情聴取をしますので御協力をよろしくお願いします」二人の刑事は出ていった。

 事件の概要はこうである。第一発見者は山田悦子、朝の掃除のため専務室に入ったところ床に倒れている被害者を発見。一見して死んでいると分かり彼女は悲鳴を発した。他の社員が駆けつけ、事態を把握、警察に連絡した。
 トリオのビルは中村区にあるため中村署の署員が現場に急行した。ここは中村区といっても橋を越えたり道を一歩越えれば、中区か西区になるという境界にある。昔トリオの社員が駐車違反を三回もやりそれぞれの警察署にレッカーされたということさえあるのだ。というけで西警察署と愛知県警からも応援が来た。
 被害者は松野保、四十一歳。トリオの設立時から会社を築いていき、先日常務から専務となったばかりである。当然結婚をしていて小学生の息子も一人いた。中肉中背のどちらかといえばがっしりしたタイプで顔も厳格な感じである。喜劇俳優のフランキー堺をいかつくしたイメージで声もどことなく似ている。
 死因は絞殺で首にロープの様な紐状のもので絞められた跡が紫色に残っていたが、頭に殴打された形跡もあった。死亡推定時刻は、十二時間前から十四時間前、つまり昨日の午後七時から午後九時の間となる。後の司法解剖からもこれは実証された。
 昨日の松野専務の行動だが、普段はどこか客先に出かけ直接家に帰ることが多い。が、昨日は珍しく定時退社の六時まで社内におり、そのまま帰る様子であった。定時までは社内にいると、今度は部下とよく飲みに行くのだが、昨日はそのような予定はないようだった。
 松野専務はいつもこのビルから三分位の立体駐車場に車を止めている。車といってもマイカーではなく一応社用車なのだが、いつの間にかマイカーのように乗り回していた。その車、ローレルは駐車場に止まったままで、動いた様子もなかった。そして、その現場にはわずかながら血痕の跡が残っていたので、松野はここで殴打されたものと推定された。
 しかし、ここで大きな疑問がわいた。なぜ、駐車場で殴られたのに殺害を実行したのは会社内の専務室なのか?しかも松野が退社した後、全く彼の姿が目撃された様子がないので、松野は社を出てすぐ駐車場へ行き殴打されたと判断されるので、その時刻は六時少し過ぎと思われる。しかし、実際に殺害されたのはその一時間後から三時間後となる。殴打には生活反応があるので、殴られたのは殺される前に気絶させるためのものと思われる。どうして殺害までの間に時間が経過しているのか、それが大きな疑問である。
 駐車場にも殺害現場にも遺留品らしき物は全くない。また指紋のほうも専務室といっても様々な人が出入りするため、無数にあり、これから犯人を特定するのは難しい。第一、犯人には計画的な面も見られるので、たぶん手袋などをしていたと推測される。
 そして、その犯人像だが、財布や時計などを奪われた形跡はないので、物取りの犯行とは考えられず、怨恨の線とみてよかった。松野を恨む者はいなかったかと当然事情聴取されたが、社員には概して嫌われているものの、殺さなければならないほど恨んでいる者は今のところ浮かんではこなかった。また会社の運営に対して敵なども調べられたが、それほど大きな会社でもないので、仕事間でのトラブルなどあまりなかった。
 捜査の過程で社員の誰かによる犯行という線が濃厚となってきた。それは松野が七時以降に専務室で殺されていたという事実からである。このビルは午後七時を過ぎると誰でも入れるという状態ではなくなるからだ。正面の自動ドアは閉められ、裏口から入出しなければならなくなる。しかも、この裏口は外から入る場合、セキュリティカードを装置に通すか、中から誰かに開けてもらわなければならないからだ。そうなると、トリオ以外の入居している事務所の人間も可能性としてはあるのだが、各事務所に入るには裏口を開けるセキュリティカードを鍵置場のカード入れに通し、暗証番号を入力しなければ鍵を引き抜くことが出来ないようになっている。この点からカードを持ったトリオの社員のだれか、もしくはカードを持っていなくても松野を殴打した者の共犯がいたとすれば、その者がビル内から裏口を開け、その後殺害を行ったと判断される。ちなみに一階のドア及び七階のフロアーの入口がこじ開けられた形跡はない。
 また、その日松野がどこへも行かず、そのまま家に帰るということを知っていなければ、犯行に及べない。そのことからも、その日の彼の行動を知っている者、つまり当日社内にいた者が犯人の可能性が高いということになった。
 これらの情況をもとに各社員の事情聴取が徹底的に行われた。

 第一発見者の悦子は同僚の祐子に付き添われながら刑事の質問に答えた。悦子は暗闇と幽霊が大の苦手な女性である。そんな彼女が殺害死体を発見したために、相当のショックを負ったようで、死体発見直後は失神、意識を取り戻した後泣きながら質問に答えた。だが、単に第一発見者にすぎず、たいした成果はなかった。なお、悦子はショックのあまり、その後三日間会社を休んだ。
 当日、最初に出社したのは早野課長であった。彼は当然セキュリティカードを持っていたが、昨夜の犯行時刻には既に帰路についていた。さて、そのセキュリティカードだが、カードは六枚あり、一枚は前述の早野が持っており、あとは、野尻部長、早出当番の一人裕予、総務の早出当番だった中嶋が着替えは七階で行うため一応一枚持っていた。また、早出出社するつもりの佐藤寿晃が一枚、そして、もう一枚がいつもカードが入れてある引き出しに入っていた。
 野尻は犯行時には家に、中嶋も自宅にいた。裕予にいたっては誰かと会っていたらし。佐藤はその日、仕事先の客のところに行っていて、犯行時には家に向かっていたということでアリバイははっきりしない。だが、カードが一枚引き出しに入っていたということから、社内にいた人間は誰でも持ち出すことが可能という結論になる。カードが犯行の直前にあったかどうかは、はっきりとは分からなかった。一応、カードの管理表みたいなものがあり、借りる時は名前を記述するようになっているが、殺人を犯す時に名前を書く者はいないはずである。カードを元に戻すこともビルを出るときには必要ないので、引き出しに残しておいても問題はないのだ。
 専務が退社した後、誰が出ていったかということもあまりはっきりしていなかった。誰も人の出入りをチェックしているわけではないし、トイレが事務所の外にあるため、人の出入りはあまり気にしていないのである。
 そこで、当日社内にいた者の犯行時のアリバイが更めて調べられた。前述のように、早野部長は列車に乗っていて七時半には帰宅していた。野尻部長と二課の水野課長は中村区に住んでいるので既に家にいた。総務の中嶋、脇嶋も家にいた。社長の木下は是洞部長と飲んでいたし、山田部長は家に帰っていた。裕予は人に会っていたし、祐子と桑原美香も自宅にいた。悦子、美砂は家にはまだ戻っておらず、買い物をしていたと説明した。藤井はアリバイがなく、青山は人に会ったと証言、佐藤も前述のようにアリバイはない。伊藤、樋口、古田、佐藤真里は一緒に飲み会に行っていた。そして、警察が最も注目したのが土田である。昨日の最終退出社で犯行時には会社にいたからでる。
 土田は八時に社を出て、その時までは何もなかったと主張したが、証明するものは何も無い。また悪いことに、松野が退社した後、土田も外出していたことが分かったからだ。本人は給料日だったので近くの銀行に行こうとしていたのだと言い張ったが、銀行は出張所なので六時には閉まっており、土田が銀行へ行ってお金を降ろしたという証明はなされなかった。また、このことが証明されても犯行時の共犯という可能性もあったので、警察はしつこく追求した。

 警察は当然その日社内にいた社員だけでなく、出向などで外に出ている社員にも随時聴取を行った。名古屋の社員だけでも六十名ほど、これら全員のアリバイ、動機付けを捜査するのは大変な作業である。しかし、有力な容疑者は今のところ見つかっていなかった。

         4

 竹内が家に戻ると会社の人から電話があったと母から言われた。名前をきくと「土屋とか何とか言ってたみたい」と答えたので、竹内にはすぐ土田からだと分かった。というより、彼から何らかの連絡があるだろうと思っていたのだ。
 今日は松野専務の通夜のため竹内も出かけていた。そこには、むろん土田も来ていた。見るからに疲れきった様子であまり言葉も交わさなかったのだが、何かを訴えたいような顔をしていたからだ。
 竹内は着替えをして、土田の家に電話をかけた。土田にはちょくちょく電話をしている。あまり社内にはいなかったので、いろいろ話を聞きたかったし、土田とは何となく気が合っていたからだ。いつも冗談ばかりの会話だが今日はそんな気分ではない。電話には土田の母親が出て、いつものように暗い声で対応された。「みちー、みちー」と息子を呼ぶ声が受話器を通してきこえてきた。
———もしもし、竹内さん、悪いね。
「ああ、いいよ。今帰ったとこなんだ。それで、何だい、やっぱり事件のことか?」
———うん、そうだ。僕、もうまいっちゃっているよ。
「何が?」
———警察はね、僕のことを容疑者扱いしてね、もう、ほとほと困っているんだよ。
「まあ、そうだな。最後に会社を出たんだし、アリバイもないしね」アリバイと言う言葉にいかにも事件だという響きがあった。少しの緊張とスリルが感じられる。
———ああ、それはそうだけど。僕は専務なんか殺していないよ!絶対に。竹内さんは信じてくれるよね。
「もちろん、俺は君がやったなんて、思っちゃいないよ」
 竹内は土田の性格を知っているつもりだった。彼のような気の小さい男が人を殺せるとは思えない。
———でも、警察はそう簡単には信じてくれないんだよ。今日も参考人として一日取り調べられたからね。
「そうだっのか」通夜の時の疲れた顔のことが理解できた。
———何度も、何度も同じ質問をして、ちょっとでも前の答えと違うものなら、鬼の首を取ったみたいに問い詰めてくるんだから、たまったものじゃないよ。
 土田の声が少し涙声に感じられた。
———このままじゃ、本当に犯人にされてしまうよ。
「いくらなんでも、そこまでは」
———でも警察というのもあまり信用できないし、やっぱりアリバイがないのがね、ネックだよ。
「うん・・・・・・まあ、ひとまず、気を確かに持ったほうがいいんじゃないか」竹内にはそれ以上の慰めの言葉が思いつかない。警察の取り調べなんて、自分も経験したことはないし、テレビのドラマなどのイメージしかなかったからだ。
———それでさ、もう頼れるのは、竹内さんしかいないんだよ。
「と言ったって、一体何をどうすればいいんだ?」
———何とか事件の真相をさ、解明してほしいんだ。
「おいおい、そんなこと無理だよ、探偵じゃないんだし」
———いや、それはそうだけど、頼むよ。
「ああ、わかったわかった。どうすりゃいいかよく分からないけど、ひとまず、今度話でもきこう」
———そう、ありがとう、じゃ来週にでも。
「ああ、でも、明日の葬式には行くんだろ?」
———えっ、ああ、行くけど・・・・・・また取り調べがあるし。
「そうか、大変なんだな。それじゃ、明日会ってから話そう」
———うん、わっかた。それじゃ、さよなら。
「さよなら」
 竹内は土田の申し出を引き受けたものの、どうしたらいいのか本当に分からなかった。今回の事件には少なからず興味があるが、どう考えたって社内の人間が関わっているのは間違いないという思いが気持ちを沈ませていた。

 翌日は午後に松野専務の葬式が自宅近くの妙見寺でしめやかに執り行われた。トリオの社員はほとんど出席している。
 一人の男が死んだ。竹内は松野を好きではなかったが、死んでしまえばそれは別の問題だ。いや、人間として、人間の死に対面している今は生命のなんたるかを考えずにはいられない。人は産まれ必ずいつしか死に直面する。ある程度の年齢に達し、ほとんどは病気という形でこの世を去る。それが普通で自然である。時として、事故や災害に出くわし、突然の他界を余儀なくされることもある。それはいわば運命、その人のさだめなのかもしれない。殺人も事故の部類に入るが、これだけは、自然や運だけでは片づけられない。つまり、他人の意思というものが働いているからだ。ある理由のため人が人をあやめる。この世で一番罪深い殺人というものを、竹内は許すことが出来なかった。だが、それは現実に行われた。誰が、なぜ?被害者には殺される理由があり、相応して加害者には殺す理由がある。罪と行為が天秤にかけられ加害者の心を揺り動かしているのだろうか?
 式は粛々と進んだ。社員の間ではあまり言葉を交わす者も少なく、皆、意気消沈の面持ちである。が、その裏には誰かが犯人ではないのかという疑心暗鬼が感じられる。その中に土田もいたが昨日より疲れている様子だった。午前中は、また警察に行っていたらしい。正午には帰されたのだが、それも当然である。刑事らしき人物が数人、式の中にいたからだ。また、マスコミ関係の方も大勢来ていた。それなりに世間を注目させる事件であるようだ。
 式はさすがに専務だけあって、弔問客も多いし、花輪も相当数ある。どこかで見たことのある社名も多かった。今回の悲劇は松野夫人にとってもショックのようだったが、夫人は気丈に努め、喪主の責務を最後までこなしていた。
 竹内は社員の一人一人を見回していった。この中に犯人がいるのだろうか?竹内には信じられなかった。小さな会社のため、一般社員の間ではアットホーム的な暖かさがあるというのに。しかし、現実から目を背くわけにはいかない。松野は殺されたのだ。
 式が終わり竹内は土田に近づいた。
「今日もだったの?」
「ああ、本当に疲れたよ」
「それは、それは。刑事たちも来ていたんだよね」
「今もあそこでこっちを見ているよ」
 竹内が振り返ると二人の刑事が何気なくこちらを見ている。
「それじゃ、明日話を聞こう、定時後どっかで」
「わかった、それじゃ七時に国際センタービルのロビーで待ってて」
「O.K、じゃ気を落とさずに元気でな」
「・・・・・・」

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