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ソフトハウス殺人事件 〜メビウスのアリバイ〜


第三章 セキュリティーカード

         1

 竹内正典が国際センタービルで待っていると、午後七時少し前に土田道幸は現れたが、後ろには伊藤賢司も来ていた。
「お待ち、心細いんで、伊藤君も連れてきたよ」
 何が心細いんだか良く分からない。ちゃらんぽらんの伊藤を呼んでも、しょうがないんじゃないかと思ったが、まあ、彼も会社の人間なので、それなりの話をきけるだろうと悟った。
 三人は高速道路の工事中の大通りを渡り「憩」という居酒屋に入った。ひとまず、ビールを注文したが、今の気分では誰も乾杯する者はいなかった。
「社内の方はどう」竹内はビールで喉を潤した。
「まあ、あんな事があればね、暗いっていうか、いつもとは違う異様な雰囲気だよ」
 今日からトリオも普段の状態に戻った。仕事も多いのでいつまでも休んでいるわけにはいかない。
「警察の方は?」
「ひとまず解放というところかな、アリバイは無いけど物的証拠もないからね。それに動機らしき動機がないから、単に嫌いだけでは犯人にされないよ」警察に御厄介になっただけあって、妙な犯罪用語が飛び出る。だが、幾分ホッとした表情で土田は答えていた。
「そうか、それで、話をきこうか。事件の日のこと詳しく話してよ」
「そうだな、あの日は同期の飲み会だったろ、それで当然僕も行くつもりだったけど客先でトラブルがあってね、いろいろ対応しなきゃならなくなったんだよ」
 土田はその日落雷によるシステムダウンの事を話した。
「それで六時半になっても帰れないんで、伊藤君たちに後から行くようにと言って社内に残ったんだ」
「伊藤たちは、すぐに出たわけ?」
「そうだな、六時半過ぎには出たかな。俺と樋口君と古田さんと佐藤さん四人で」
「他の人たちもそんなに早く帰ったの?」
「そうそう、あの日は珍しく皆早く帰ってしまったな。榊原さんさえもつっつと帰っちっまって、七時には僕一人だったからな」
 注文した料理がきたので話しは中断された。店員が離れてからまた竹内が話しだした。
「専務は六時に帰ったんだね?」
「そう、専務も珍しく社内にずっといたからね。六時になったらさっさといなくなったよ」
「その後、直ぐ誰か出ていったの?」
「さあ、専務がいなくなったらいつものように解放感と、その日は皆早く帰るつもりだったから、ざわざわしていてね。僕や伊藤君は気が付いていないよ。それに、僕は直ぐに出て行ったからね」
「そりゃまた何処へ?」
「銀行へ行こうと思ってね。国際センターのT銀行へ行ったんだ。しかし、あそこは六時に終わっちゃうんでね、結局降ろせなかったんだよ」
「それじゃ、そのことが警察が疑っている理由の一つなんだね」
「そう、もしお金を降ろしていれば、明細書があるから証拠になったんだけどね。しかも、その時はビルに誰もいなかったから都合が悪い」
「それで、すぐ戻ったんだね」
「そう、六時十五分位に戻ったかな、そうしたら小西から電話があったと連絡があってトラッブッたんだ」
「十五分もあれば、専務を殴って気絶させれるわけだ」
「だから、僕が殺ったんじゃないって」土田が声を張り上げたため、周りの客がチラッとこちらを見た。
「まあ、まあ、仮定の話なんだからさ」竹内は土田を宥めた。
「それで、その後電話でトラブルの対応をして、八時まで会社にいたんだね」
「そうだよ」
「当然、その間は誰も来なかったんだね」
「もちろん」
「となると、犯人は八時以降に社内に入って専務を殺したということになるのか」
「そういうことだね」
「天狗に来たのは八時十五分位だったから、会社を出たのは八時ごろだね」
「そう、きっちりタイムカードを押したからね」
「でも、誰もそのことを証明してくれる者はいないってわけか」
「ああ、そうだな、あのオヤジさえ起きていれば、何とか証明になったかもな」
「オヤジって?」
「そうか、竹内さんは知らないんだ」今まで食べることに専念していた伊藤が口をもぐもぐさせながら言った。
「一階の裏口のところにね、ホームレスの男が寝泊まりしているんだよ」
「そうなの、ではその日はいたの?」
「いたらしいけど、寝ていたみたい。身動きも、声も聞こえなかったから」
「その事は警察にも言ったんだろ」
「あったりまえさ!でもそのオヤジいなくなっちまったんだって」
「いない?」竹内は何か嫌な予感がした。ホームレスに関しては始めて聞いたが、底知れぬ不安が漂った。
「だいたい、土田さんの話は分かったよ。しかし、今の情況じゃ警察が土田さんに目を付けるのも無理はないな。真犯人を見つけない限り容疑は晴れないかもしれないな」
「本当は犯人じゃないの、ツッチー」伊藤がからかって言った。
「違うってば、僕じゃねえよ」
「おいおい、そんなにからかうなよ、本人にとっては深刻なんだから」
「冗談、冗談、でも、ツッチー以外の同期は皆アリバイがあるから一安心だな」
 確かに、あの時、土田以外の七人は、七時には既に飲み始めていたので犯人である可能性はない。竹内にとっては真にほっとした気持ちだった。同期の中に犯人がいたのでは、いたたまれない。
「で、これからどうするの」土田は不安そうにきいた。
「そうだな、何から手をつけたらいいか良く分からないけど、まず、みんなから話を聞いてみようか。その中で何かを見つけるかもしれないからな」
「じゃ、明日会社に来る?」
「そうだな、今は仕事もそんなに忙しくないんで、社に戻っても大丈夫だろ。明日一日中いるわ」
「うん、わかったよ。何とか頼むよ」
 その後、三人は事件の話はしないで飲み続けた。

         2

 トリオシステムプランズは大きく分けると、システム部と総務部から成り立っている。その中でシステム部は第一システム課、第二、第三と三つの課に分けられる。一課は主にオフコンを中心にシステム開発する仕事が多い。野尻部長はシステム部の部長だが、主に一課の仕事に携わっている。最近、早野が課長として大阪から赴任してきたので、一課の世話も軽減された。
 二課はパソコンを中心にした仕事が主で、F社はもちろん客先の関係でN社のパソコン開発も行う。責任者は水野課長でまだ二十八歳だ。水野もそうだが野尻でさえまだ三十二である。他のもっと大きな会社ならば係長がやっとという年齢だが、設立十年で、社員も少なければこういう状態になるのかもしれない。他社の同格の客と話をしていても少し違和感がある。
 三課もオフコン中心だが、ほとんどの社員が長期の派遣のため社内に人がいることはめったにない。
 竹内はもともと一課であったが、現在の仕事が長期というよりは期限がはっきりしない派遣なので、秋の人事異動において二課に移されてしまっていた、一課はどちらかというと短期の派遣しか行わないのだが、野尻と松野の話し合いでそのあたりは適当に決められてしまうのが常である。
 その日竹内が会社を訪ねると皆珍しいねと言ってきた。先日も会社に来ていたのだが事件の発生で挨拶している暇はなかった。さて、竹内が社内にいたところでやることは何もない。部長や課長がいる時は、適当に書類を見ている振りをしていたが、部長たちは直ぐに出かけた。事件のこともあり、あちらこちらに挨拶をしなければならないのだろう。いつもなら部長たちがいなくなれば、のんびりした雰囲気がフロアーに漂うのだが、事件からまだ間もないので、沈んだ感じがしている。
 竹内は榊原主任の目が気にはなったが、社内にいる各人に話をききまわった。「久しぶりですね」という言い出しで何気なく事件のことを持ち出し、意見や当人のアリバイなどをきき出していった。なかには事件のことを話したがらない者もいたし、「お前は刑事か」と冗談とも本気とも取れることも言われた。
 佐藤寿晃は今年二年目の一課の人間でアウトドア大好きの陽気な人だ。バイク好きであちこちにキャンプツーリングに行き、冬はスキーでエンジョイしている。先輩や後輩からも慕われ、何かにつけて遊びに関してはリーダーシップを取っている。仕事もブツブツぼやきながら真剣に行っているが、普段の陽気さの反動なのか仕事にはまってしまうと極端に暗くなってしまい、他の誰も近づきがたい存在になってしまうことがままある。最近も仕事にはまっていたことでピリピリしている。今日は作業も一段落してか気分もまずまずのようであっが、事件に関しては不機嫌だった。彼も専務の殺害時刻のアリバイがハッキリしていないため、警察に追求されたからだ。
「その日はどうだったんです?」竹内は穏やかにきいた。
「えーっと、H電子でカストマイズしてから五時半位に帰ったかな」
「何で行ったんです?」
「地下鉄だよ、本当はラングレーで行くつもりだったんだけど、水野課長にさ、先約されていてね」
「それじゃ、会社に戻ろうと思えば戻れたんですね」
「そうだよ」
「何分位かかるんですか?」
「三十分位かな」
「それじゃ、六時には着けるんですね」
「そうそう、そのことがね、警察の目に留まってね。ラングレーで行ってれば、渋滞にまきこまれ、ここまで一時間はかかって、アリバイは有りになったのに」佐藤は運が無いよなという顔をした。
「その上さ、地下鉄で帰ったもんで、途中で寄り道しちゃったんだよ。最近忙しくて買い物もする暇もなくてさ」
「それで何時位に家に帰ったんです?」
「九時少し前かな」
「ここから佐藤さんの家まで三十分位ですよね。それじゃアリバイに関しては疑われても仕方がないんですね。でも、出かけていたんだから、専務が出かけたかいるのか知りようがないんじゃないです?」
「いやね、ここを出たのが三時頃だからね、その時間まで専務がいれば、まず外出しないと判断できるんだ。そこを警察が突っ付いてね。それにさ、電話でもかければ専務の行動なんか分かるじゃない。警察は細かいよね」佐藤の言った点は犯罪上無理がある気がする。
「・・・・・・それにもう一つあるんだけどさ」
 佐藤は眼鏡のフレームを指で押し上げ、まいったという表情で首を揺すった。
「カードなんか持っていたものだから余計に疑われたよ」
「カードって?」竹内は何のことか分からないので、ポカーンとしてしまった。
「えっ、カードって、カードだよ。ああ、竹内君はカードのこと知らないんだ」
 佐藤は裏口の出入りや鍵に使うセキュリティカードのことを説明した。
「ということは、カードを持っていた人が犯人という可能性が高いわけだ」竹内は自分に言うようにつぶやいたが、佐藤の方も自分に話していると思いうなずいた。
 土田がカードのことを話していなかったので、事件の成り立ちに何か欠けている気がしていたのだが、カードのことでその一部は埋まったように思えた。
 竹内は佐藤との話を切り上げた。佐藤が犯人とは考えられない。佐藤も専務のことを嫌ってはいたが殺すほどの動機は無いはずだ。いや、他の社員の誰かが犯人とも思えなかった。ただ、誰も知らない背景や事情があり、それを突き止めなければ解決は難しいと感じられる。松野専務と犯人の関わりは何なのだろうか?松野のこと自体、良く分かっていないのに、犯人のことなんて分かるものだろうか?竹内はこの事件に首を突っ込みかけたのを後悔し始めた。しかし、乗りかかった船である、土田との約束もあるので、できるところまではやってみようと奮起した。
 カードの事をもっと詳しく知りたいので、誰にきけばいいか土田に尋ねてみた。土田は「そうだな、そういう社内に関することは真野さんにきけばいいんじゃない。会社のことは何でも知っているし、まるでウォーキング・ディクショナリーだよ」とくだらない例えで答えた。
 真野祐子は自分の席で向かいの渡辺裕予と話し込んでいた。二人とも一課の三年目である。一課の三年目の女性はもう一人山田悦子がいるが、他の同期は男も含めあまり多くない。むろん、彼女らが入社した当時は今の三倍は人がいた。だが、景気の良くない時期と重なり、一人また一人と松野専務、当時は常務に肩を叩かれ会議室で話し合いをし、一週間後にはいなくなるというパターンが多かった。中には絶対に無理な仕事をまかされて責任を執って辞めるという過酷なこともあったらしい。いまでは、そのような手段は取らないことになっているが、景気が再び下降線をたどれば復活しないという保証はない。
 三年目ともなれば、後輩の面倒を見つつ、リーダーシップをとり、また、自分の能力をレベルアップさせ、作業の効率、すなわち売り上げを上げなければいけない。そんなシステム部の要ともいえる三年目の人たちだが、さすがに生き残った人たちだけあって、人望も厚く、技術の高さも上司の信頼を得ているほどだ。
 祐子は小柄で髪の毛もいつも肩ぐらいまでしか伸ばさなく、あまり着飾らないタイプだ。性格はしっかり者で皆の面倒もよく見てくれる女性だ。ただ、物事をハッキリさせる性格なのか、きちんとした批判精神を持ち、時には辛辣な言動もある。一方、裕予の方は女性のわりには長身で髪は長いストレート、線が細い感じがする。性格のほうは祐子同様、親切で仕事もてきぱきこなす人である。ただ、勝気な面があるのか、ハッキリ物を言うタイプで同期の男性陣にも引けをとることはない。それゆえ、竹内のような下っ端では頭が上がらなかった。(だからこそ、彼女たちは生き残っているのだ)
 竹内は恐る恐る祐子の隣の空いている席に座って「すいません、ちょっといいですか」とひきつった顔できいてみた。
「何!」と祐子はきりっとこっちを向き、竹内を見つめた。今日は珍しく眼鏡をかけていて、いつもとは違うおもむきだ。
「カードのことでききたいんですけど?」
「カード?カードって鍵のカードのこと」
「そ、そうです」
「それで」
「あの事件のとき、誰がカードを持っていたかなんですけど」
「な〜に、刑事みたいなこときくのね。事件のことほじくり返してどうするつもり?」
「いや〜、ちょっと興味があるもんで」竹内は曖昧に答えた。
「興味?んー・・・・・、まあ、いいか。カードは部長と課長がいつも持っているし・・・」 「部長と課長って?」竹内は役職名だけいわれてもピンとこなかった。
「野尻部長と早野課長よ」
「なるほど」
「それから裕予ちゃんが早出で持っていたよね」祐子は裕予の方を見て同意を求めた。「うんうん」と裕予は答えた。
「それと、佐藤君が持ってたかな」
「それは、佐藤さんからききました」
「そう、後はねー、ちょっと待って」祐子は席を立ち、カードが入れてる引き出しからカードの記録簿を持ってきて、ページをめくった。
「孝ちゃん一枚ね」
「上の中嶋さんですか?」竹内は上向きに指を上げた。
「そう、上の早出当番で必要だったからじゃない」
「それから、№7は誰も借りてないみたいね。単に書いてないだけかもしれないけど」
「となると、事件の時、一枚はあったんですね」
「そういうことね」
「それじゃ、誰かがカードを持っていたのかもしれないんですね」
 その時、今まで、黙って二人の会話を聞いていた裕予が口を開いた。
「それはないと思うわ。あの日、悦ちゃんがカードを持っていて、引き出しに入れておいたと言ってたから、帰る時に持って帰ろうとしたの。その時カードが二枚残っていたのよ」
「二枚ですか?」
「一枚は八階用のカードで、もう一枚は№7って書いてあったような気がしたわ」
「渡辺さんは何時に帰ったんです?」
「七時前かな」
「その後、誰が残っていたんです?」
「えーっと、藤井さんと松浦かな。あと、土田君がまだ電話をしていたわね」
「そうすると、カードの一枚はあったことになるのか」
 彼女が嘘を言っていない限り、帰る時にはカードはあった。彼女が帰った後で残った者がカードを持ち出すとは考えにくい。土田の席からは引き出しが良く見えるし、もし、持ち出すなら人がいない時か、何日か前に持ち出しているはずだ。
「あっ、そのことは警察に言ったんですか?」竹内は思いついたようにきいた。
「ええ、さっき上に行ったら、たまたま刑事さんがいて、カードのことをきかれたから話したわ。前の時は動転していてすっかり忘れていたんだけど。警察もカードのことに興味があるらしいわね。今もそのへんのこと真野ちゃんと話していたのよ」
 やはり、警察は警察である。こちらが考えるようなことはあちらも考えているのである。しかし、こうなると容疑はカードを持っていた者と、最終退出の土田に絞られてしまう。これではますます土田が窮地に陥ってしまう。
「ちなみに、渡辺さんもカードを持っていたんでしょ、アリバイの方はあるんですか?」
「私!ええ、まあ、大丈夫よ。人と会っていたから」裕予は何か照れくさそうに躊躇して答えた。誰と会っていたんですかときいたところで、答えてくれるはずもないので、余計なことはきかないことにした。
 竹内は席を離れようとしたが、まるで刑事コロンボのようにもう一つ質問をした。
「あの、もう一つ質問なんですけど、カードって今言った・・・えーと・・・六枚ですっけ、それだけしかないのですか?」
「そうそう、もう一枚あったわよ」祐子は手をたたいて答えた。
「もう一枚?」
「随分前まであったんだけど無くなったの」
「どうしてですか?」
「確かね、片岡さんが借りてそのうち無くしちゃったみたい」
「そうですか・・・・・・」
「たぶん、きょう、T社組は月末で帰ってくるから、きいてみたら」
「わかりました」
 もう一枚紛失したカードがあった。このことに何か重大な意味があるような気がしたが、今、竹内の頭の中は五里霧中の状態であった。まるで、ジグソーパズルがバラバラのまま、はめ込む枠だけが目前にあるようだ。ただキーとなるパズルが「カード」だと考えることは出来る。鍵を開ける「カード」が「キー」とは。下らない洒落だなと思い、土田に似てきたなと竹内は自分で苦笑していた。

         3

 八階から降りてきた松浦美砂はファイルを手に持って席に着いた。竹内の斜め前の机である。
「松浦さん、刑事まだ上にいるんですか?」
「ええ、見えたわよ、またいろんなこときかれちゃった」
「はあ、大変ですね」
「でも、あの刑事さん意外とかっこいいわね。顔もなかなかだし、話し方もクールなうえ、温厚な感じで、第一、背が高いのがいいわ。私にピッタリかも」少女っぽく美砂は言った。
 確かに美砂は女性のわりに背が高い方である。というよりも、体型ががっしりしているのだ。肩幅だって竹内より広いし、昔、水泳をやっていて大会にも出ているくらいだから納得できる。彼女のバタフライはトリオの伝説になっている。彼女は二課で二年目、竹内の先輩になるが年齢は逆である。腰までありそうな長い髪に軽くウェーブをかけている。性格も明るいほうで、気がきく人だが、少々怒りっぽいところもあるし、からかいやすい面もある。遊びにも長けていて、家にいるよりも外で体を動かすタイプだ。
「ところで、何か話をしていたんですか、例えば事件の時のアリバイとか?」
「ええ、まあ、そんなところね」急に美砂は暗い顔になった。
「松浦さんもアリバイが無かったんですね?」
「そう、買い物していたから、でも、何とか店の人に証明してもらえそうよ。それに、私っていうか、女の人にあんなことできると思うの?」美砂は徐々に声をひそめていった。
 竹内はもともと女性の犯行とは思っていない。いくらなんでもあんな残虐な殺し方を女性がするとは思えないし、それ以上に駐車場で殴打した松野を会社まで運ぶなんていうのは不可能としかいいようがない。案外、美砂なら火事場のくそ力で運べるかなって冗談で思ったが、口に出すのはやめておいた。張り倒されてしまう。
 その時入口のドアが開く音がし、美砂は仕事をしているふりを始めた。「失礼します」という声がしたので竹内はゆっくり振り向いた。それは刑事だった。事件の日や葬儀の時にみかけた刑事の一人だ。確かに美砂の言う通り長身で髪は短めに刈り、男目にもかっこいいと思う。俳優の古尾谷雅人に似ている印象を竹内は持った。それにしても、自分は、髪はスポーツ刈りのように突っ立ているし、不精髭は生えている、背はそれほど高くない。ちょっと引け目を感じてしまった。
 刑事は竹内と目が合うと近づいてきて、手帳を出した。
「中村署の筒井と申しますが、あなたは・・・・・・?」
「竹内です」
 竹内は筒井警部補と話すのは初めてだった。事件の日は、いつも社内にいない人間とあって事情聴取は簡単に終わり、相手も別の刑事であった。警部補と知って驚いた。年齢はどうみても二十五・六歳で若いからだ。よほどの功績をあげたのか、それともエリートなのだろうか。
「竹内正典さんですか。後ほど、伺おうと思っていたんですけど、今日はこちらだったんですか」
「ええ、そうです、ちょっと用事がありまして」まさか、土田のために調査しているとは言えない。
「ちょうど良かった。少しお話をきかせてもらえますか?」
「いいですよ」
「それでは、向こうの方へ」
 筒井警部補は竹内を今いる席とは離れた窓側の方へ促した。そこは三課の席であったが、三課は課長も含めほとんどの人が出向しているので、誰もいないエリアである。ただ、専務室の前にあるので少々薄気味悪かったが、我慢するしかない。
「竹内さんですね。住所はここに記載されている通りですね?」筒井は履歴書のコピーを見せて示した。
「そうです」
「早速ですが、あの事件の時どちらにみえました?」
「アリバイですか?」竹内は予想していた通りの質問なので少しおかしかった。
「ええ、形式的なものですから、気にせずに」
「前の時も、他の刑事さんに話しましたが、同期の連中と飲みに行ってました」
「ああ、そうですか。それでは、樋口さんや伊藤さんと飲んでいたんですね?」
 とっくに、自分の事などは、伊藤たちにきいていて知っているはずなのに、わざわざ質問するなんて警察らしいと邪推してしまった。
「仕事場は上社の方でしたね。何時ごろそちらを出られました?」
「六時半でしたかね。それから、真っ直ぐ名古屋駅まで行きましたから、七時過ぎには着きました」
「お店に着いた時は皆さんは既にいましたか?」
「ええ、私が着いた時には揃っていました」
「ただし、土田さんはまだですよね?」
「ええ、そうですけど」竹内は刑事の質問の仕方に対し多少の嫌悪感を抱いた。
「なるほど」筒井は手帳にメモをしながらつぶやいた。
「それでは、事件のことで何か思い当たることはありますか?例えば、松野さんを恨んでいた人とか?」
「いやー、そういうのはあまり思い当たりませんけど。私は入社して半年位で東京の方へ今の仕事のために研修に行かされたので、社内のことは詳しくないんですよ」しかし、松野の思いつきで竹内は東京に行かされていたのだ。もちろん、そのことは発言する気はない。刑事にあらぬ動機付けされてしまう可能性があるからだ。
「そうですか、松野さん自身のことはどう思われます」
「そうですね、まあ厳しい人だったとは思いますよ。確かにあまり好きとは言えませんけど、どこの会社にでもああいう人はいるんじゃないですか。また、いないと会社としてうまく行かな61とおもいますがね」竹内は刑事にもかかわらず、つい本音を言ってしまった。
「なるほど、他に何か気が付いたことはありませんか?」
 竹内は少し考えた。カードのことはどうせ知っているし、土田の事を言っても藪蛇になりかねないので「別にありません」と答えておいた。
 筒井警部が手帳をしまった時、竹内は口を開いた。
「あのー、一階のホームレスの人って見つかったんですか?」
「えっ・・・・・・」筒井は一瞬警戒の目をした。
「いえ、ちょっと、その男のことをきいたもんで」
「ん・・・・・・、ホームレスの男はまだ見つかっていませんよ。こちらも目下、懸命に探しているんですけどね」
「ひょっと、すると、その人も、既に・・・・・・」
「んー、あなた何を考えているんですか?」
「その男の存在って、大きな問題なんでしょ?」
「まあ、そうですよ」
「それなら、犯人にとっても大きな問題なんですよね。・・・・・・刑事さんは、どう思っているんです?」
 刑事はしばらく黙っていた。そして、鼻から息を出して厳しい目で言った。
「私自身、あなたと同じ考えだと言っておきましょう」
 筒井警部補は席を立って別の人を聴取しに歩いていった。

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