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ソフトハウス殺人事件 〜メビウスのアリバイ〜


第六章 消えた履歴書

         1

 昼食の時間になった。トリオの女性社員はほとんど弁当を持ってきては、皆で集まりわいわいがやがや楽しく食事をする。一方、男性陣は外食ということになり、普段彼らは会社から五分位、堀川を越えたマンションの一階にある居酒屋へ食事に行く。居酒屋と言っても酒が出るのは夜だけで、昼間はサラリーマン向けのランチ等を出している。
 竹内は昨日に引き続き会社にいた。昨日は一日中これからのことをどうしようかと考えていたが、青山の奨励に奮起し、やれるところまでやってみることにした。竹内も弁当など持ってくる柄ではないので、彼らに付いて行った。入社当時は新入社員だけで近くの揚げ物がメインのキッチンへ行っていたが、いつからか先輩と親交を深めるため一緒に付いて行くようになった。しかし、そのうちに新入社員も徐々に外に出ていくようになり、残ったのは土田ぐらいである。今日もその土田と伊藤、樋口、藤井、青山、佐藤寿晃、山田、桑原、松浦の十人でぞろぞろ食事に出かけた。
 恵比寿亭というその店にはカウンターとテーブルが二つに、奥の座敷の方にテーブルが四つあり、結構人が入っていた。なぜか幼稚園児のような小さな女の子がウロウロしている。たぶん、店員の子供なのだろう。ただ、おばさんの店員に対し「ばばあ」と言っているのには驚いた。無邪気なのか教育がいまいちなのか。
 運よく竹内たちは座敷の丸テーブルが空いていたので、少しきついが十人は座れた。女の店員がお茶を持ってきた。長い髪を束ねた少し化粧がけばいおばさんだ。青山が代表して注文を取った。竹内は何を頼んでいいのか良く分からないので伊藤たちに追随した。藤井と土田はランチに飽きたのでエビス丼を、美香はランチの刺身が食べられないのでエビ鍋を頼むことにした。「ランチ七個でそのうち二個大盛り、エビ鍋一つにエビス丼二つね」と青山は言ったものの、おばさんは「ランチ六個に、エビス丼三つ」とでたらめなことを厨房の人に言ったので、青山は即座に大きな声で違うよと言い訂正させた。
 「あのおばちゃん、とろくさいでいかんわ、いつもすぐ忘れてしまう」伊藤が笑いながら言い、藤井が続いた。「三歩、歩いたら忘れる鳥みたいなもんだな」皆大笑いしたが竹内だけは笑わなかった。
 ———“忘れる”そうだ、俺は何か忘れている。何か重大な事を忘れているのだ。事件が起きてから見聞きしたことの中に何か忘れているような気がする。何なのだろう。焦燥感が押し迫ってくる。
 ランチが配られた。竹内はそれに気付かず考えに没頭していて、土田にどうしたのときかれ現実の世界に意識を戻した。その後も、竹内は忘れていたことを思い出そうと、今までの出来事を一つずつ回顧していった。

 食事も機械的に取り、皆の後ろをただ付いていくように歩いて会社の席に戻った。「竹内さんもコーヒー飲む?」という土田の呼びかけにも「ああ」と答えただけだった。
 土田は手際よくブラックと砂糖入りのコーヒーを人数分作り配った。
 伊藤と藤井が話をしているのが耳に入った。藤井幹弘は二課の四年目、美香と共に二課になくてはならない存在だ。それというのも彼らの上には水野課長しかおらず、二人が二課の面倒を見なければならない状態なのだ。藤井は仕事の面ではさすがに厳しいところもあるが、普段は気さくでいつも下らない、もしくは“シモ”に走る冗談ばかり言っている。元ロッカーということもあり、カラオケでの歌は絶品で、特にチェッカーズ関係では右に出る人はいない。癖なのか少し伸びた前髪を触りながら伊藤に話しかけた。
「今度、会社の組合の関係で蓼科の池の平と法人契約したらしいな」
「池の平って『白樺リゾート、池の平ホテル』といやつですか?」伊藤はCMで流れたメロディーを付けて言った。
「そうそう、今だったらスキーもできるし、気分転換にもいいし。すぐにでも上にいって頼んでみようか?」
「いいですね、でも、何人ぐらいなんですか?」
「まあ、二部屋借りて八人ってとこかな」
「一声かければメンバーはすぐに集まりますね。でも,会社の人間じゃなきゃ駄目なんでしょ?」
「そんなもん、誰でも泊まれるさ、適当に誰かの身内にすりゃいいさ・・・」
———“誰でも泊まれるさ”———
 その言葉が竹内の耳に入った時、頭の中に閃くものが光った。
———どこかで聞いた言葉だ。どこだったかな?「泊まれるさ」・・・泊まる・・・そうだ、事件の前日寮に泊まろうとした時だ。俺が誰でも泊まれるのかと訪ねた時、伊藤が「誰でも泊まれるさ」と言ったんだ。そして、片岡さんを起こして、二言三言話をしたっけ。そうか、そうだ思い出したぞ、寮には誰でも泊まれるんだ。
「そうか、そうだ」竹内は思わず大きな声を出してしまい、フロアーにいた全員の視線を浴びてしまった。
「どうしたんだ、竹内、突然変なことを言って、煎餅とクリームソーダでも欲しいのか」藤井が呆気にとられた顔できいた。
「いえ、何でもないんです。ちょっと、いろいろ」竹内は曖昧な返事をした。
 竹内はなぜ今までこんな単純なことを思い出せなかったのだろうと自分の馬鹿さかげんにに呆れてしまった。頭の中でポカポカ自分の頭を殴っているイメージを描いた。事件の起こった後の
事ばかり考え、それ以前の事をすっかり忘れていたのだ。それに漠然と社外の人間が関わっていると思ってはいたが、寮でのカード紛失という出来事が社内にいる人の仕業だという先入観を持たせていたからだ。

 竹内は八階に上がる機会を窺っていた。そして、山田部長がコピーをしに降りてきたので、ここぞとばかりに八階へ上がっていった。竹内の願いが通じたのか、運よく社長も是洞部長も不在であった。その代わりといってはなんだが、見慣れない私服の女の子がいた。小柄で髪の長い可愛らしい娘だ。竹内は小声で中嶋に「誰ですかあの子は?」と尋ねた。
「ああ、来年度入社して総務にくることになっている榊原さんよ。総務の仕事はいろいろ大変だから、今のうちにアルバイトという形で勉強してもらっているの。あのことがあってごたごたしていたから、しばらく休んでもらっていたんだけど、今日からまた来てもらっているの」  そう言えば、伊藤たちが榊原主任と同じ名字の人が来るとか言っていたのを思い出した。竹内がその娘をじっと見つめると、赤面症なのかみるみる頬が赤くなるのが分かった。その時、脇嶋が「何の用」とぶっきらぼうに言ったので竹内は我に返った。どうも、竹内はこの脇嶋と榊原主任だけは苦手だった。別に嫌いというのではないけれど、どこか威圧感を感じ、一歩引いてしまうのだ。
「いやあ・・・、あの、ここの会社を辞めた人の名簿なんてあるのですか?」
「もちろんあるわよ。そこのロッカーの中に入っているわ。でも、そんなもの何のためにいるの?」
「いえ・・・ちょっと・・・見たいと思ったもので」
「どうせ、まだ事件のこと根掘り葉掘りしているんでしょ。そんなこと警察に任せて、おとなしくしてたら」
「はい、すいません。・・・じゃ、もしかすると警察の人もそういうの見たんですか?」
「ええ、しっかりコピーを取っていったわよ」
 さすが警察だ。抜け目がない。しかし、竹内は自分でケリをつけたかった。しかも、警察よりも先に。
「まあ、しょうがないわね。今は部長とかいるから、定時後に見なさい。ただし、余計なところは見ないでよ!」
「はい、もちろん。有り難うございます」
 山田部長が戻ってきたので、竹内はすぐに出ていった。

 定時後、竹内は誰もいない八階に上がりロッカーの退職者名簿を取り出した。会社と繋がりがあって、今はあまり関係のない人と言えば退職者が一例として挙げられる。その中に渦中の人物がいるかどうか分からないが、手掛かりは今のところこれしかなかった。竹内はひとまず名古屋本社の退職者を見ることにした。各支店営業所の退職者もいるが、今回は外すことにした。名古屋の退職者の中でも女性は外し、退職日が新しい人から調べていくことにした。この業界は出入りが激しいのか、名簿の数も思った以上に多い。
 一人一人退職者の名と履歴書の顔写真を見ていると懐かしい人もいた。東や大北の名が出てきた時は特にそうだ。大北は親切な人だったし、東の転ぶ靴音が思い出された。また、鳥井だとか森本だとか村瀬など見たことも聞いたこともないか、会社案内のパンフレットでかすかに見た記憶があるような人もいた。そんな感慨にふけっている場合じゃないと思い立ち、作業を続けた。 一通り名簿を見たが、誰かいなかったような気がした。もう一度確認のため一枚一枚見てみたが、やはり、誰かいないような気がする。だが、どうしても思い出せない。また、悪い癖が出たかなと思いつつも、何かの勘違いだろうと八階の部屋を出た。

         2

 最初の事件から二週間が過ぎた土曜日、竹内は退職した人たちを訪ねることにした。一人で行くのは心細いので、どうせ暇しているであろう伊藤を誘ってみた。案の定、伊藤は家でごろごろしていたが、迎えにくるなら付いて行ってもいいと、わがままなことを言うので、瀬戸まで車を走らせた。そのくせ、このまま竹内のカローラFXで行くか、伊藤のフェアレディZで行くか二人で言い争いになり、結局竹内がZの運転に尻込みしたので、FXで行くことになった。
 今日の訪問先はなるべく最近辞めたひとの順番に三河方面へ行くことにした。そこでまず、名古屋市天白区の平針に住む竹原博幸を訪ねる段取りになった。平針といえば運転免許試験場があるので行ったことはあるのだが、瀬戸からはどう行っていいかさっぱりなので、伊藤に道案内を託した。
 今日は午後から天気が崩れると車のFM放送は言っているが、朝早い今は澄みきった快晴である。それほど、風もなく比較的暖かい。こんなドライブ日和に隣に座っている無粋な男とドライブとは味気ない。
 車は竹内にとっては全く知らない道を進み、長久手、日進町を抜けると天白区に入った。地下鉄の駅ターミナルを通過し、緩い坂を登って丘の上に出ると、団地の建物が連立する平針住宅が見えた。
 どこにどの棟があるのかややこしかったが、何とか竹原の棟を見つけ部屋を訪ねると、運よく竹原は在宅していた。団地ということで家に上がるのは遠慮し、近所の喫茶店に入って話をきくことにした。三人ともコーヒーを頼んだが、朝早いということで、モーニングサービスのトーストとゆで卵が付いてきた。
 竹原は二課の三年目だったが、昨年の末退職し、現在は同種の仕事に再就職している。仕事はほどほどにこなし、業績には問題なかったが、少々皮肉屋の傾向があり、上司に対してははっきり不満を言うこともあった。結局、そういうことが積もり積もって退職という結果になったのだが、トリオにおいては竹原のようなパターンは多い。不満のない会社というのはないだろうが、不満の多い会社も困ったものだ。
「お久しぶりです。お元気でしたか。今はどうしています?」竹内が口火を切った。
「まあまあってところかな、そんで今日は何の用だ?わざわざ訪ねてくるなんて」
「ええ、専務の事件のことなんですがね」竹内は少し言いにくかった。
「ん・・・、そのことか。そんなこときいて、どうするんだ」竹内は疑うような目をした。
「社内の人に容疑がかかっているんで、どこか外に専務と関係がある人がいないか、いろんな人に話をきいているんですよ」伊藤が竹内の代わりに言った。
「そういうことか、まあ、俺の方も疑われた口だからな」
「えっ、というとすでに刑事が来たのですか?」
「ああ、この間きて、いろいろきいていったよ。どこからきいたのか、俺のこと知っているみたいで、しつこかったよ」
 竹原はトリオを辞め、ディーラーだったM商事に再就職していた。そのさい、トリオ側というか、特に専務とは確執があったので、警察はそのことを突っ付いたのだろう。
「事件の日、アリバイはあったのですか?」
「もちろん、ちょうど東京に一週間出張中で土曜に帰ってきて、事件を知ったからな」
「そうですか、他に専務を恨んでいるとかいうような話はきいていませんか」
「そのへんは知らんな、まあどのみち好かれるようなタイプの人じゃなかったからな、自業自得じゃないのか」竹原はわずかに嘲笑した。
 竹原との話は互いの近況などを話した後、次の予定があるので早々に切上げ、二人は次の訪問先である石川敬三を訪ねるため豊明へ向かった。
 緑区を通過し、中京競馬場の裏手を通り豊明の住宅街に入った。豊明は名古屋のベットタウンとして発展してきたが、開けているのは駅近辺と中心街から北側だけで、まだまだ田舎臭い。地下鉄の早期着工を嘆願する看板があちこちに見られる。
 石川の家はすぐに分かったが、二人はあまり彼と面識がなかった。石川は東京支店にいたのだが秋の人事異動で名古屋に戻ってきた。しかし、仕事先と自分とは合わないのですぐに辞めてしまったのだ。そのため伊藤はまだしも、竹内は一度も会ったことがなかった。二人が訪ねると石川は驚いていたが、トリオの人間だと言うと、少しは馴染んでくれた。大きな眼鏡をかけた勤勉で少し神経質そんな感じだ。専務のことにかんしては全く何も知らなかったし、事件当日のアリバイもハッキリしていた。たいした成果もなく二人は石川宅を辞した。
 竹内自身、素人がどうこうしても、そんなにうまくいくとは思ってはいなかったが、まだ、二人しか訪ねていないのに、先行きが不安になってきた。
 国道一号線に出て、昼を過ぎていたので、道路沿いのファミリーレストランに入った。竹内が伊藤を誘ったのでおごることにした。伊藤は嬉しそうに「悪いね」と礼を述べた。
「次は誰のところ?」
「えっと・・・次は市原さんか、岡崎だな」
「はあ?鈴木さんじゃないの?安城だからそっちの方が近いんじゃないの?」
「鈴木さんて?」竹内は同じ質問を以前にもしたような気がした。
「えっ、鈴木さんだよ、やっちゃんさん!」また忘れたのかという顔をした。
「そうかそうか、思い出したよ、すまんすまん」と言いつつ竹内は気が付いた。
 ———そうか、この前退職者名簿を調べた時、誰かいないと思ったのは鈴木さんのことだったのか。しかし、おかしいな。なぜ、鈴木さんの名簿は無かったのだろうか?俺の探し忘れかな?そんなことはない。二度も丹念に調べたのに。単になかっただけなのだろうか?竹内は何か引っ掛かるものを悟った。
「どうした?」じっと考え込んでいる竹内に対し、伊藤がきいた。
「いや、何でもない。鈴木さんの家は知っているのか?」
「ああ、山田さんを送ったついでに、送っていったことがあるからだいたい分かるよ」
「そうか、また道案内を頼む」二人は店を出て、竹内は静かに車を走らせた。
 天気はうす暗い雲が少しずつ広がり始めた。そして、竹内の心にも暗雲が広がり始めていた。

         3

 安城市は名古屋の南東に位置する中規模の大きさの町である。名古屋の通勤圏ベットタウン的要素を持ちながら、まだまだ田んぼや畑の残る田舎と言えるだろう。市民と三河地方の住民の熱い願いで(?)、新幹線の三河安城駅が作られたが、駅とそれに伴う駅前街が周りの風景とピッタリはまっていない。岐阜羽島の二の舞にならないことを祈る。
 鈴木康弘の家はその駅と市街地の中間あたりにある商店街の一角で雑貨屋を営んでいる。二人が訪ねると驚いたもののいつものにこやかな笑顔で迎えてくれた。しかし、あまり鈴木と接していない竹内から見ると、その笑顔も無理に作っているような気がした。客間に通された後、店は暇なのか鈴木はお茶の用意をしてくれて、二人の前に座った。竹内は竹原や石川に説明したのと同じようにして、話を切り出した。
「あのことは俺も驚いたよ。まさか、専務が殺されるなんてね。しかも、片岡さんまでがね」鈴木は目を潤ませていた。
「鈴木さんのところにも刑事はきたんですよね?」
「えっ・・・そっ、そうだな、この前来て、いろいろきいていったよ」鈴木は少し言葉がもたついていた。
「ちなみに、その時のアリバイはあったんですよね?」
「ア、アリバイはあるようで無いようで、ずっと店にいたから、お客がきたりもしていたし」
「そうですか」竹内はこれ以上何をきこうか戸惑った。鈴木の狼狽ぶりに竹内は疑問を持ち始めた。
 竹内はしばらく黙した。沈黙が嫌いな伊藤が、会社のことや昔のことなどを鈴木と会話している。
 竹内はその部屋をぐるりと見回した。壁の上の方に紙が古くなり黄ばみかけている感謝状が目に入った。たぶん鈴木の父のものだろう。一司という名前が読み取れた。そして、その感謝状の末尾に書いてある会社名が気になった。どこかで見た社名だったが、竹内はまた思い出せないことにぶつかってしまった。そして、その隣のタンスの上にある写真が目に留まった。少々古そうな写真だが、丸顔で眼鏡をかけた小太りの男と女性、五歳位の男の子と性別は分からないが可愛らしい赤ん坊が写っていた。竹内は二人の会話が途切れたのを見計らって鈴木にきいた。
「あの、失礼なことをききますけど、あの写真の男の方は鈴木さんのお父さんですか?」
「そうだよ」
「随分若いんですね」
「ああ、あれは十五年位の前の写真だからね、父はその後事故で亡くなったんだよ。母も五年前に亡くしたしね」
「そうなんですか。それは失礼しました」
「いいんだよ、気にしなくて」竹内はなぜ赤ん坊の事は言わないのか不思議に思ったが、これ以上質問するする気は失せてしまった。
 会話が途絶えたのを潮に二人は辞することにした。店の入口まで鈴木は二人を送って別れた。
 竹内の頭の中には何か得体の知れぬ、とらえどころがないものが動いているようだった。脳では何も認識していないのに、心の奥の感覚がひしひしと何かを訴えてきた。
 路上に止めた車に戻り、竹内はすかさず地図を取り出した。
「それじゃ、今度は市原さんのところに行くんだね」伊藤が助手席に座ってきいた。
「いや、その前にちょっと寄りたいところがあるんだ」
「どこに?」
「ちょっとな」
 竹内は車を市街地に走らせた。しばらく行くと目的の建物が見え、そこに向かった。
「何!警察に行くの?」
「そうだ」竹内は車を安城警察署の敷地に乗り入れた。
「俺はちょっと・・・警察は苦手なんだけどな。こないだ、免取がやっと解除になったばかりだし、どうも好きになれないんだ」
「じゃ、車の中で待つか?」
「どの位かかるの?」
「さあ、よく分からないけど、三十分位かな」
「それならさ、俺さっきあったパチンコで暇を潰してくるわ」ここに来る途中にきらびやかなネオンの店があった。
「ああ、わかったよ。そんじゃ、パチンコ屋まで車で行ってくれ、後から行くから」
「よっしゃ」伊藤は運転席に乗り換えてパチンコ屋を目指した。
 竹内は一度警察署を見上げ中に入った。

         4

 竹内はこういう形で警察に入ったのは初めてだった。今まで免許の書き換えや事故証明をもらいに地元の警察に入ったことはあるが、見ず知らずの警察に入るのは緊張する。受付で何といえばいいか迷ったが、ひとまずそこにいる婦人警官らしき人に尋ねてみた。
「すいませんけど、十五年位前に起きた事故のことを調べたいんですけど、どなたか分かる方はいらっしゃいませんか?」
「はあ?」受付の女性は唐突にわけの分からないことを言われ、困惑したようだった。少し考えてからどこかに電話をし「しばらくお待ち下さい」と言った。
 竹内が受付の前辺りをウロウロしていると、上の階から丸い顔に眼鏡をかけ、体格のいい刑事らしき人物が降りてきた。歳は三十をだいぶ過ぎているだろうか、受付の女性に目で合図してから竹内に近づいた。
「あなたですか?昔のことをききたいという方は?」
「ええ、そうです」
「どのようなことでしょうか?」
「十五年ほど前に起きた事故のことなんですけど」
「そうですか、ここではなんですので、こちらへいらして下さい」刑事は竹内を応接室のような部屋に案内した。
「私は大西と申します」大西は名刺を渡した。名刺には大西正剛巡査部長とかかれていた。いわゆる部長刑事である。竹内は名前だけ名乗った。
「十五年前のどういう事故で」
「鈴木さんという方のことなんですけど、事故で亡くなったようなんですけど」
「鈴木さんね、この辺でも鈴木という名字は多いので、分かりかねますが」
「篠目町の鈴木さんです、雑貨屋をやっている人です。今は息子さんがやっているんですが、その方のお父さんのことなんですけど」
「ああ、思い出しましたよ、あの事故ですか」
「御存じでしたか?」
「ええ、あの頃は私もまだ若くて下っ端でしてね。いろいろ事件を抱えていましたが、あの事件のことはよく覚えていますよ」大西は急に不審な顔をした。
「しかし、そんなことをなぜ知りたいのですか?失礼ですが、あなたとその鈴木さんとは、どういう御関係で?」大西は今まで明るそうなおじさんの表情から、刑事特有の容疑者を見る目になった。
 竹内は答えに窮した。まさか、名古屋で起きている連続殺人事件の捜査ですとは言えるはずがない。伊藤でもいれば、また適当なことを言ってくれそうなのだが、今は竹内が考えなければならない。
「ええ、私の父がですね、その鈴木さんと知り合いだったもので、しばらく御無沙汰していたんですけど、たまたまこちらに来たので、どうしてらっしゃるかと思ったんですけど、なんか亡くなられたそうで、それで少し気になったもんですから、どうせ父の方もどうして、いつ、どこでとか、きいてくると思ったものですから」
 竹内は少し声を震わせながら、嘘八百を並べた。
 大西は信用していない表情をかいまみせたが、十五年前のことだし、事故なのだから問題もないだろうと考え、話すことにした。
「あれはですね、一五・六年前の夏、知多半島の師崎沖で船の転覆事故があったんですよ。事故の扱いは向こうの警察の管轄でしたが、鈴木さんがこちらに住んでいたので、こちらの方の対応をしました。たまたま、私がその担当だったんですけどね」
「えっ、あなたがですか?」これまた偶然である。「それでどうゆう事故だったんですか?」
「鈴木さん、確か一司さんとおっしゃったと思うんですけど、会社の同僚の人と釣りに出掛けたんですよ。しかし、その日は海が時化ていたんですけど、二人は無理をして沖へでて波に飲まれたんです」
 竹内は大西の話に集中した。
「それで、同僚の方は助かったんですけれど、鈴木さんの方は行方不明になり、翌日だったかな、浜に打ち上げられたんですよ」
 竹内はその時ある事を思い出して、大西に尋ねた。「鈴木さんが勤めていた会社というのは『ダイフク』とかいいませんでしたか?」
「そうそう、ダイフクですよ!和菓子みたいな名前なんで、よく覚えていますよ」
「じゃあ、その同僚の方の名前は覚えられてますか?」
「いやあ、そちらの方は、全然、こちらではただの連絡しかしていませんのでね。むこうの警察の記録でないと分かりませんわ」
「そうですか、その後の家族の方は?」
「そうですね、もともとお店は鈴木さんのお父さん、今の鈴木さんのお祖父さんがやっておられて、その後鈴木さんの奥さんがやっておられたんですけど、旦那さんが亡くなられてからも、息子さんのために一生懸命でしたな。その奥さんも五年前に亡くなられたとか。その後、しばらく店を閉めていたんですけど、最近息子さんが再開していますけどね」
「あのー。鈴木さんは一人息子さんでしたか?」
「いやいやいや、当時、確か・・男の赤ちゃんがいたんですけど、お父さんの死後、家庭的に大変だったんで確か養子に出されたと思ったんですけど」
「養子!」竹内は思わず叫んでしまった。
「その子の名前は分かりますか?」
「確かねー・・・なんだったかな・・・マ、マサちゃんとか言ってたから・・・そうだね・・・そう、マサヒロだったかな?そんなような名前だった気がしますけど」
「そうですか、分かりました。いろいろ有り難うございました。お手数かけて」
「いえいえ」
 竹内は知りたいことは知ったので、何か言われないうちにそそくさと警察を後にした。
 伊藤がいるパチンコ屋に向かいながら、竹内は思い出したことがあり、途中にあった公衆電話に立ち寄った。念の為にと、今のトリオの社員の住所録もコピーしておいて持ち歩いていたのだが、それが早速役に立った。相手はトリオの生き字引・真野祐子である。電話には———本人が直接出た。
「あっ、竹内ですけど、突然すいません」
———ん、別にいいんだけど、突然に一体何?。
「あの、真野さんが知っているかどうか分からないんですけど、松野専務がトリオの前にいた会社って分かりますか?」
———専務の前の会社?そんなことまで・・・ちょっと待ってどこかで聞いたことがあるわね、確か・・・何だったかな。
 祐子の考えている時間が、焦れったくなってきた。
———何かね、フクスケじゃないわ、えっとね何かお饅頭みたいな名前だったかな?
「それって、もしかしたら、『ダイフク』じゃありません?」
———そうそう、ダイフクよ、なあに知ってんじゃない。
「いえいえ、ちょっと確認したかったもんで」
———そうしたら・・・・・・。
「それじゃ、どうも有り難うございました」竹内は———がいろいろきいてこないうちに受話器を切った。
———そうか、専務と鈴木さんのお父さんは同じ会社にいたのか。そうするとやはり・・・。 松野の葬儀の時「ダイフク」という会社から花輪がきていたのを思い出していたのだ。竹内はあの船の事故に専務が関係あると見た。
 電話ボックスで考えながら何気なくコピーした住所録を見ていたとき、目がある氏名の上で止まった。それは竹内を驚愕させ、電気のようなショックと戦慄が体を駆け抜けた。それと共に事件の全貌が見え、パズルのほとんどが瞬時に埋まってしまった。
———そういことだったのか!。
 竹内にとっては最悪の結果になったかもしれず、驚愕の後に深い悲しみが襲ってきた。
竹内は電話ボックスを出て、虚ろに歩いた。パチンコ屋の駐車場まで行くと、ちょうど伊藤が片手に乗るくらいの袋に景品をいれて、出てきたところだった。
「竹内さん早かったね。ちょっとの間だったけど、こんなに出ちゃって・・・」
 伊藤は陽気に声をかけたが、竹内の深刻そうな顔を見ると、急にトーンダウンした。
「どうしたの、警察で何かあったの?」
「いや、ちょっとな」
 竹内が伊藤から車の鍵を取ろうとしたので「俺が運転しようか」
「ああ、悪いがそうしてくれ」竹内は助手席に、伊藤が運転席に座った。
「で、次はどうするの?岡崎に行くんか?」
「・・・・・・いや、予定変更だ。お前、樋口君の家、知っとるか」
「樋口?知ってるけど、なんで樋口君の家なんかに行くんや?」
「・・・・・・あとで、あとで話すよ、とにかく樋口君のところへ・・・樋口昌洋のところへ・・・・・・」

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