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トゥリダンの逆襲

 

    第 十 二 章      略 奪

 

         1

 

「何て、何てことなの!私の下僕が・・・」カーミは驚くというよりは、震えるように言った。

「どうしたのカーミ」サーミは今まで見たことのないサーミの怯えように驚異を覚えた。

「下僕たちが皆やられてしまった。三体とも全てが・・・」

「そんな、まさか。カーミの血を引き継ぐモノがどうして人間なんかに?カーミの血は完全なは

ずなのに。それとも、まだ、体が復調していなかったのかしら?」」

「分からないわ。確かに、まだ、体の調子は完璧ではないけど、私の下僕が、なぜ・・・?私た

ちは少しあの人間たちをあなどっていたかもしれない。あの女だけでなく、その仲間たちもトゥ

リダンの涙の力を使いこなせるようね。三種の神器だけが恐ろしいのかと思っていたけど、トゥ

リダンの涙を持つ人間たちも私たちには脅威になりかねないわ」カーミは深刻な目つきをした。

「そうなると、ますます、奴らがトゥリダンの涙を手にしているのは大きな障害ね。何としてで

も奪わなければ、もう時間もあまりないようだし、どうするの、カーミ?」

「んー、そうね。サーミ、あの女は城にいるはずね」

「そうよ、どこにも出かけていないわ。どうやら子供が一緒にいるみたいだから」

「子供ね・・・、フッフッフッ。こうなれば直接的な手段に出なければいけないわ。人間の弱い

ところをつくしか」カーミは不敵に笑った。「サーミ、闇夜になったら行くわよ。いいわね」

「分かったわ」サーミもカーミにつられて口元をほころばせた。

 

 その夜は厚い雲に覆われ、二つの月の明かりも地上までは届かなかった。ぼんやり雲の一部が

おぼろげに光っているが、電灯などないこの世界の夜は月がなければ闇に近い。ところどころに

ランプや松明を吊るし、城内の通路だけは明かりを燈してはいたが、今日は風が強く、その炎が

消えている場所もある。

 今日の夜は、やけに気味が悪かった。雲に月が隠れ中途半端な明るさのせいばかりではない。

流れる空気の中に何かが溶け込んでいるようで、夜風に当たるのも避けたいような気分になって

いた。

 それを一番感じていたのはノーマである。今日はいつもと違う。どこか変なのだ。ノーマは妙

に落着かなく、ジーケンイットたちがいないことがとても不安であった。

 その不安を感じているのはノーマだけではない。悦子や枡田などは、もともと鈍感で呑気な性

格だから、何も気にしていないようだが、まだ、純真さを充分に備えいる子供たちは敏感にそれ

を察知しているようだった。

「今日はいつもと逆に静かね。全然はしゃがないし、笑ったりもしないわ。変ね」悦子は自分の

娘の顔をまじまじと見て言った。

「そうですね。ミーユもミサキちゃんに倣ってか、今日はおとなしいわ。ミサキちゃんがこの部

屋に来るようになってから、とっても機嫌がよかったのに。今夜はちょっと変ですね」リオカも

息子の微妙な変化に気付いてはいた。

「毎日が楽しすぎて、疲れちゃったんじゃないですかね。お互い同じ年頃の子どうしですから、

嬉しかったのじゃないですか」浩代はミーユの揺りかごを覗きながら言った。

「ええ、城には赤ちゃんが他にいませんから、この子も嬉しいのでしょうが、今日は、静かって

いうよりは、何かに怯えているみたいな気がします。瞳が少し震えているみたいで」

 悦子たちは夕食後、リオカに呼ばれて彼女の部屋に来ていた。ジーケンイットやヒロチーカが

いない城内は、リオカにとっても寂しいものなのだろう。悦子たちにとっても仲間たちが出かけ

ており、その気持ちは同じだった。ノーマとミヤカがいつものようにお茶の用意をしてくれて、

食後のひとときをのんびり過ごそうと皆が思っていたのだが、なぜか今日は落ちつかない。子供

たちの不安が感染したように浩代や枡田も何か嫌な予感というものを感じ始めていた。

「今夜は変な天気ですね。風も出てきましたし、月もどこか気味が悪いように見えますわ」ミヤ

カはリオカのテーブルにお茶を置きながら外を眺めた。

 入り口を叩く音が聞こえ、リオカが「どうぞ」と声を掛けると、ヒヨーロが入ってきた。

「ヒヨーロさん、どうかしました?」リオカはおっとりと尋ねた。

「いいえ、別に何もないのですが、どうも胸騒ぎがするので。外の雰囲気がどこか変です」ヒヨ

ーロは厳しい顔つきで答えた。

「ヒヨーロさんもそう感じますか」ノーマは彼女に近づいた。「私もですが、ここにみえる方、

特に子供たちが何か鋭敏になっているようです。あまり、よい前兆には思えませんが」

「そうですね。少し用心した方がいいかもしれません。今は何かと不安な要素が多すぎますから

・・・」ヒヨーロがそう言ったのと同時に、窓の扉が急に開き、強風が室内に流れ込んだ。ベビ

ーベッドのシーツがはだけ、細長い花瓶がテーブルを転がり、お茶を入れたカップが床に落ちて

割れた。

 ミヤカと浩代がすぐにも窓を閉めたが、外からの風は窓を押し開けようとしている。それと同

じくして建物の外から何か物が壊れるもの凄い音がした。そして、兵士たちが騒ぐ声があちらこ

ちらから聞こえ、中には悲鳴みたいなものも混じっている。

「何事でしょう?」リオカは急激な不安を覚え、ミーユのベッドに近づいた。悦子も同様に美沙

希を抱え、窓から遠のいた。彼女らにすがるようにミヤカと浩代が集まってきた。

 枡田はヒヨーロとノーマの後ろに付いて、窓から外を見ようとした。その瞬間、窓がまた動き

だし、開いたと同時にガラスが粉々に砕け散った。枡田たちはそれを避けるように腕で顔を覆っ

たが、すさまじい風圧のために数歩後退を揺るぎなくされた。

 次に彼らが目を開けた時、信じられない光景が飛び込んできた。窓の外に、黒い服を来た人間

が二人立っている。いや、立っているというのは間違いだ。ここは建物の二階部分にあたる。そ

れなのにそいつらは、窓の外に立っていた。つまり、浮いていたのだ。枡田たちは何が起こって

いるのか把握できなかった。しかし、悦子だけはそれが何なのかすぐに分かった。おぞましい記

憶が今甦る。三種の神器を手に入れるため、必死の覚悟で戦い、滅ぼしたはずの魔女が今、目の

前にいる。

「魔女!」悦子がそう叫ぶと、枡田たちもかなしばりが解けたように、今の状況を察した。ヒヨ

ーロは腰の剣を抜き身構え、リオカと悦子は子供たちを体で覆い隠した。

「ふっふっふ、あの時の女、ここにいたな。どうやら私たちの事を覚えているようね。嬉しいわ。

そして、あの時の恨み今晴らさせてもらうわよ」ベールの影に隠れはっきり見えないサーミの目

だけが光った。

「お前たち、何しに来た。ここをブルマン王家の城と知って来たのか?」ヒヨーロは剣をかざし

威厳を込めて魔女たちに言葉を浴びせた。

「そうよ。ここはジーケンイットの城、その城に我々がわざわざ、お迎えにあがったのよ。フッ

フッフ」カーミはほくそえむように笑った。

 枡田と浩代、それにミヤカは震えた。話にきいてはいたが、本物の魔女が目の前に現れると、

その恐怖心はこのうえない。単なる女とみればいいのであるが、魔女たちから湧き出てくる異様

な感触というものが、蜘蛛の触手のように鳥肌をたたせている。リオカも恐れてはいた。だが、

今は子供を守ろうという意思が彼女の恐怖心を希薄にはさせていた。一番恐かったのは悦子かも

しれない。彼女は魔女がどんなものか知っているだけあって、以前の恐怖をも思い出し、それに

負けない心の力を出そうと頑張った。ノーマは、それほど動じてはいない。だが、なぜ魔女がこ

こに来たのかという理由の方が恐ろしかった。ノーマには魔女たちの思惑というものが予見でき

ていた。

「リオカ様、エツコさん、子供たちを連れてお逃げください。やつらはこの子たちを狙っている

ようです」ノーマの言葉に二人とも、かすかに抱いていた不安を確実なものにしてしまい、子供

たちを強く抱きしめた。逃げろと言われても、そう簡単に動ける状態ではない。

 カーミとサーミは壊れた窓からそのまま宙に浮いた形で入り込んできた。ヒヨーロはそれをく

い止めようと、剣を振り回し二人に切りかかったが、ごく普通の剣では魔女に何の傷も負わせる

ことはできない。カーミが右手を左肩から振り下ろすとその勢いだけで、ヒヨーロの体が横の壁

にふっとんだ。

 それを見た枡田は手元にあった壊れたテーブルの脚を握って、迫ってる魔女たちに立ち向かっ

た。「こっから、先は通さない!」

 だが、魔女たちはそんな枡田をものともせず、サーミが起こした風で枡田を後方に吹き飛ばし

た。

 続いてノーマが立ち上がった。魔女たちもノーマの存在には少したじろいだようで、瞬時歩み

を止めた。「お前が、この城の賢者か?いらぬ知恵をジーケンイットたちに与え、我々の邪魔を

する」カーミは眼光を鋭くさせた。

「魔女よ、ここから去りなさい。お前たちの来るところではない。そして、すぐにこの世界から

消え去りなさい。ここはお前たちの生きる世界ではない」ノーマは力強く言った。

 だが、サーミは「ほざくな、人間の分際で我々に命令しようというのか?今ここで引き裂いて

やる」と罵りながら、右手を上げ、指先を鋭利な刃物のように伸ばした。ノーマはそれにもたじ

ろがず、二人の魔女を見据えている。「死ね!」サーミが右腕を振り下ろそうとしたが、ヒヨー

ロの剣がそれをはねのけた。ヒヨーロは左肩と口から血を流しつつも、気力だけで立ちふさがっ

た。

「邪魔をするな」カーミがまた、風を起こした。そのすさまじい風力にヒヨーロは耐えられず吹

き飛ばされ、ノーマも巻き込んで壁際に身を投げた。

 その間にもサーミは残った四人の女のところに近づいていた。「さあ、その子供を渡せ、そう

すればお前たちの命だけは救ってやる」

「そ、そんなことできるものですか。絶対にこの子たちは渡しません」リオカは勇気を奮って魔

女に言った。

「フッフッフ、無駄なこと。我々にかなうとでも思っているのか」サーミは高らかに笑うと、「

いえ、私たちは負けない。お前たちのような邪悪なモノには!」悦子も強気で言い放った。

「フッフッフ、笑わせるわね、女。トゥリダンの涙を持たないお前など恐ろしくもなんともない

のよ」カーミは悦子の顔をじっと見た。

 悦子はそう言われて、我に返った。確かに今、手元には竜玉がない。そのことだけでも、急激

に不安が胸を貫いた。悦子は本来彼女が持ちえる力のことを忘れてしまった。竜玉が単なる媒体

であることを忘れたため、自分の力をも消し去ってしまった。竜玉に頼りきっているという甘え

が今ここで自らの弱さを露呈してしまったのだ。

 そのひるみが魔女の付け入る隙だった。魔女たちはその眼光を今まで以上に輝かせ、リオカた

ちを睨んだ。目を逸らそうと思ったが、時すでに遅く、悦子たちはその術中にはまってしまった。

催眠状態のようにリオカたちは寝起きのような顔になり、強く子供を抱きしめていた腕も緩めて

しまった。

「カーミ、赤ん坊が二人いるわ。どっちが、この女の子なのでしょう?」

「ウーン、どっちでもいいわ。そうか、もう一人はジーケンイットの子かもね。この際、二人と

も連れていきましょう。その方がやつらにとってもダメージが大きいというものね」

「分かったわ」サーミは母の腕の中から離された二人の子供を両手で抱き抱えた。赤ちゃんはす

ぐにも泣きだし始めた。

「うるさいわね、人間の子どもって、変な声で泣くのね」

「まあ、いいわ。目的は果たせたから、帰りましょう」カーミが踵を返すと、部屋の入り口を押

し破って兵隊たちがなだれ込んできた。赤子を抱えるその姿に、テムーラとニシオーを先頭とす

る警備隊は身動き出来なかった。

「きさま、そのお子さんたちを離せ!」テムーラがそう叫んだが、魔女は意に返さずの様子で澄

ましていた。若い兵が矢を構えたが、ニシオーが「ミーユチッタ様たちに当たる!止めよ!」と

命令した。

 リオカと悦子が催眠から解け、自分たちの腕の中にいない子供がサーミに捕らわれているのを

見つけると、「その子を返して、その子を!」と絶叫を響かせた。

「フッフッフ、この子たちを返して欲しければ、セブンフローのエサカ湖まで竜玉を全部持って

きなさい」そうカーミは捨てぜりふを言って、窓から飛びだし、風のように消え去った。

 魔女が去ると今までの強風が嘘だったかのように静けさが広がった。茫然とする二人の母。「

ミーユ」、「美沙希」。二人ともその場に倒れ込み、浩代とミヤカが抱き抱えた。気絶していた

ヒヨーロ、ノーマ、枡田も警備隊の兵に起こされ、意識を取り戻したが、最悪の現状を知ると嘆

き悲しんだ。

「青山さんたち、早く帰ってきてくれ」枡田は悔しそうにそうつぶやいた。

 

         2

 

 日本中、特に東海地方においては最近の異変続きに人々は怯えをみせ始めていた。毎日の地震

はもちろん、度重なる自然界の異変に敏感になっている。

 天竜川の下流では無数の死んだ魚が浮かび上がった。川の上流には水を汚染するような工場な

どはない。また、ダムの放流によるものでもなかった。毒物などの有害なものは一切検出されず

その原因はまったく不明のまま、人々の不安をかきたてている。

 浜名湖の沿岸ではこの地には珍しいイルカの大軍が押し寄せていた。漁師たちは見慣れぬ光景

に驚いてはいたが、イルカが漁を邪魔したり、餌となる魚を食い尽くしたりはせず、一安心はし

ていた。しかし、この現象もその理由が分からず、人々は困惑していた。ある老練な漁師は、海

神様の怒りとか、何かの警告だと若い者たちに説教じみて話したが、誰もイルカたちのことは分

からない。ただ、もし、この情景をトーセにいる美砂が見たとしたらきっと、その意味を分かっ

たかもしれない。大軍の中にあのイルカもいたからだ。

 

 ジーケンイットたちは意気揚々と城に凱旋した。しかし、その高揚した気分もすぐさまふっと

んでしまう事態が彼らを待ち受けていた。

「何だと!まさか、そんな。ミーユがさらわれたなんて。おのれ、魔女め、卑劣な事を!」ジー

ケンイットは地団駄を踏むように、部屋の壁を思いっきり叩いた。彼の側には泣き崩れるリオカ

がミヤカに付き添われ、気力を振り絞っている。

「ジーケンイット様、申し訳ありません。私がついていながらこのようなことになったことお詫

びのしようもありません」ヒヨーロは彼の前にひれ伏し、事件の経過を説明していた。彼女は左

肩を布で吊り、頭にも包帯をまいていた。

「ヒヨーロ、お前だけの責任ではない。私が、もう少しこのことを考慮しておけば良かったのだ。

だが、完全に盲点だった。魔女がそこまでの行動に出るとは、うかつだった」彼の悔しさが両手

の拳を震わせた。

「御免なさい私がもっとしっかりしていれば、こんなことには」悦子は伊藤に抱き付き、娘の事

を語った。

「お前のせいじゃない。悪いのは魔女だ。子供をさらうなど最も悪辣なことをしやがって、絶対

に許せない」伊藤はあまりみせない怒りをあらわにしていた。

「伊藤君、申し訳ない。目の前で子供たちが連れて行かれたのに何もできなくて、自分が情けな

いよ」怪我を負って包帯の布を巻いている枡田は、伊藤の肩に手をかけ、謝った。

「枡田さん。枡田さんが誤られることはないですよ。それに、娘を助けようとしてそんな怪我ま

でされて、俺の方こそ申し訳ないと」

「いいんだよ。ただ、魔女は強かった。恐ろしかった。山田さんからきいていた話以上の存在だ

った。それだけは正直言って身震いしたよ」

「くっそー、せっかく竜玉を手に入れたというのに、魔女め・・・」佐藤は悔しさに耐え切れな

いようだった。

「で、皆どうする。このままにしておくことはできないだろ」藤井が全員に向かって言った。

「もちろん、ですよ。こうなれば、魔女の棲み家に殴り込んで、子供たちを助けなきゃ!」古井

は立ち上がり、拳を握りしめた。

「そうです、行きましょう。山田さんのお子さんや、王子さんのお子さんを助けに!」前沢も意

気込んでいた。

「そうだ、行こう。そうだ、助けに」各々が声を上げ皆の意見が一致しはじめた。

「ま、待ってくれ、皆さん。そう簡単なことではないのだぞ。今までのような竜玉を探しに行く

ようなものとは数段違う。魔女と直接対峙しなければならないのだから、危険は計り知れない」

ジーケンイットは、はやる者たちを少したしなめた。「鍛えぬいた兵士でさえ、構わぬ魔物だ。

簡単に考えていては命取りになる。エツコ、それにマスダーは魔女の恐ろしさを実感しているは

ずだ」

「ですが、悦ちゃんの子供がさらわれたのです。このまじっとはしていられません。王子様だっ

てそうでしょう。我が子を救いに行こうとは思わないのですか?」青山は強気でジーケンイット

に言い放った。

「むろん、私とてミーユは大事だ。ミーユを救うならば自分の命をも投げ出す覚悟は出来ている。

だが、あなたたちを巻き込んでしまったのも、私の責任だ。これ以上迷惑はかけられない。私と

警備隊とで必ず救い出してみせる。だから、皆は城で待っていて欲しいのだ。これ以上怪我人や

最悪の事態だけは迎えたくない」

「王子さん、あなたの言っている事は分かります。ですが、このようになった今、問題は王子さ

んやトーセだけの問題では無くなっているんです。我々がここに来たのは偶然か、何かの導きか

は分かりません。でも、我々は自らの意思であなたがたに協力することにしたのです。魔女が悦

ちゃんの子供を狙ったのも、俺たちの行動に対する報復なのかもしれません。今や責任とか言う

ものは関係ないのです。俺たちは我々の起こした事として立ち向かうことにしたのです。もちろ

ん、王子さんたちの協力はあおぎます。ですが、黙って成り行きを見ているつもりはないのです。

悦ちゃんは我々の大事な仲間です。その仲間が困っている、それを見過ごすことなどできないの

です」藤井は声を張り上げ訴えた。藤井の言ったことに誰もが同様の気持ちを抱いている。全員

が堅い意思を持ち、勇気を奮わせた目を輝かせた。

 悦子は藤井の言葉を聞いて、思わず涙をこぼした。「ありがとう、藤井さん、ありがとう、み

んな」伊藤も彼らのような素晴らしい仲間がいることに心から感謝した。

「確かに、魔女は恐ろしいかもしれません。私たちが出会った魔女の分身でさえ、あれほどの力

があるのです。それを考えれば魔女というものがどういう化け物か想像はできます。それは、私

にとってもこのうえない恐怖かもしれません。でも、ここにいる人たち全員が一致団結すれば、

恐ろしさも半減します。一人では無理なことも、多くの人が集まれば不可能はないはずです」史

子は小さな体から、大きな力を出すように言った。

「私たちには竜玉がある。それを使いこなせるのも私たちだけです。王子さんの剣で魔女は倒せ

るかもしれませんが、竜玉の導きなくては、そこに到達するまでが困難かもしれません。今こそ

竜玉の力を借りるときです。私たちがきっと、その力を解放させてみせます」美香も史子に続い

て声を震わせた。

「分かった。あなたたちの心と勇気と力強い意思に敬意を表しますよ。私の方こそあなたたちの

協力を要請したい。トーセの命運はあなたがたに掛かっているといってもいいぐらいだ。私から

はこれ以上のことは言わない。ただ、一緒に戦おうと言いたいだけだ」

「ありがとう、王子さん」、「サンキュー、ジーケンイット様」

「ジーケン様、私も行きます。私もトーセの一員です。ですから・・・」ヒロチーカも自分の意

思を堅持した。

「分かっている。私はもう何も言わない。ヒロチーカの力も貸してくれ」

「お兄様、私も参ります。魔女たちを倒さなければ、トーセは滅びます。そんなことは王家の一

員として、見過ごすことはできません。魔女が勝つのならトーセの存在はなくなります。それな

らば、私も戦いたいと思います」フーミも続いた。

 ジーケンイットは少し躊躇したが、何を言っても後に引かないことは分かっているので静かに

うなずいて、承諾の意思を表した。

「ジーケンイット様、魔女は何を企んでいるかしれません。ここは、こちらも何か策を考えなけ

ればいけないと思いますが」後方にいたターニが歩み出てそう進言した。

「ん、確かにそうだ。魔女のこと、何か罠を用意しているかもしれない。慎重に行動しなければ

すべてが無駄になってしまう。それに、例え竜玉を差し出したところで、やつらがそう簡単に取

引に応じるとも思えない。たぶん、我々に攻撃を仕掛けてくるだろう。そして、何よりも大事な

のは子供たちをどう助けるかだ」

「そうです、まずは、人質のことを先に考えましょう。子供たちが戻らなければ我々の戦意とい

うものも萎えてしまいます。それが、何よりも先決です。魔女を倒すことは皆さんの力や、三種

の神器の力をもってすれば難しいことではありません」ノーマはそう意見を言った。

「そうだな・・・。ノーマ、何かいい知恵があるのか?」

「はい、魔女たちはセブンフローのエサカ湖に来るよう言い残しました。エサカ湖はトゥリダン

が住んでいたと言われる洞窟の奥深くにあると言われています。トゥリダンがいた山です。誰も

近づこうとはしないので、それは伝説的なものとして残っている状況です。ですが、トゥリダン

を退治しようとした者がセブンフローの裏山から洞窟に通じる道があるのを見つけています。そ

れが、本当にエサカ湖まで続いているかは不確かですが、そこから中に入り込むのも手ではない

かと、魔女は当然正面の入り口を警戒していますから」

「んー、それは賭けというものだな。もし、その裏通路がつながっていなければ、全ては水の泡

だ。だが、今はじっくり考えている暇はない。可能性を信じて、その案を使ってみるか。むろん、

これは危険な賭けになるな・・・」

「私が行きましょう」ターニが最初に言った。

「ターニ、いいのか?」

「はい、必ず裏の通路を見つけます」

「俺も行く」今度は伊藤が言いだした。「自分の娘は自分の手で救う。俺ならば娘がいるところ

に行けるかもしれない。その事を信じて俺は娘を助けたい」

 悦子は目の前の夫を見つめた。こんなに逞しい伊藤を見たことがなかったが、今は彼を信じき

っていた。

「じゃ、私もいきます。誰か竜玉を扱える人が一人はいなければいけないですからね」美香がそ

う言い、伊藤に目配せをした。

「ありがとう、美香さん」伊藤も笑ってみせた。

「ジーケン様、私も行きます。ぜひ、行かせてください」今度はヒロチーカがそう言って、一歩

前に出た。

「ヒロチーカ、お前では・・・」

「どうしても行きたいのです。お願いします」

「んー・・・、分かった。ヒロチーカの思うようにしろ」

「ジーケン様」

「よし、これで決まった。ターニ、彼らのことを頼む。そして、我々は彼らの行動を気にかけな

がら正面から乗り込むことにする。では、戦いの準備に掛かってくれ、用意ができ次第出発する

としよう。ターニ、ニシオーを通じて警備隊の兵も準備しておくよう手配を頼む。昨日の騒ぎや、

脱走者捜索で各地に人員が散って、頭数は少ないとは思うが、全力をだすように」

「承知しました」

 ジーケンイットが部屋を出ようとすると、ノーマが近づいてきて、小声で言った。

「ジーケンイット様、魔女たちの行動には腑に落ちないものがあります」

「どういうことだ、ノーマ」

「ジーケンイット様、魔女たちはエツコさんたちがこの地に来ていることを知っているように思

われます。竜玉探しに出掛けても、各地に魔女の分身が現れたのは偶然と考えてもどうしても不

自然です。それに、今回のミーユチッタ様たちの拉致も、それを最初からの目的にしてこの城を

襲ったように思われます」

「魔女のことだ、何かそこ知れぬ術策を使ったのではないか?」

「それも、あるかもしれませんが、あまりにも全てを熟知しているように感じるのですが」

「つまり、何が言いたい」ジーケンイットは不審げに言った。

「ですから・・・、この城の中に魔女に通じる者がいるのではないかと」ノーマは言いづらそう

に話した。

「うんー、信じがたいことだが、完全な否定もできないな。ノーマ、そのあたりの捜索をしてみ

てくれ、そして、先程の策のことは誰にも言わぬよう、手配もしておいてくれ」

「承知しました」

 ジーケンイットは深く考え込んでから、部屋を出ていった。

 

 出掛ける支度をしているヒヨーロに向かって、コトブーは無表情に言い放った。「ヒヨーロ、

お前は今回来なくてもいい、城に残るんだ」

「どうしてですか、私もトーセの者です。皆と一緒に戦います。それても、私のことを気にかけ

ているのですか?そのような心遣いは無用です」

「いや、だめだ。お前は怪我をしている。それではろくに戦う事もままならない。返って足手ま

といになる。だから、城で待っているんだ。いいな」コトブーの語気は強かった。だが、彼の心

の中には娘と父が対峙することだけは避けたいという思いがあったのだ。今度は奴が来る。コト

ブーの直感はそう語りかけていた。

 ヒヨーロは険しい表情でコトブーを見つめたが、彼はそれを無視するように出ていった。

 

「シンジーマーヤ王、何か私に御用でしょうか?」ジーケンイットはシンジーマーヤとアズサー

ミの前に立って言った。

「ジーケンイット、今回の事、私も残念に思う。お前が城にいないときぐらいは、我々の力で守

り切らなければいけないのだが、王としても不甲斐なさを実感している」シンジーマーヤは悲し

げな顔をした。

「父上、そのようなことは、万全の対策を施しておかなかった私の方こそ、落ち度があるという

ものです」ジーケンイットも恭しく答えた。

「ん、今更どうこう言っても始まらない。今はどう子供たちをどう救うか、それが大事だ。ミー

ユは私たちにとっても大事な孫であり、このブルマンを継いでいく者なのだ。だから、必ず助け

出して欲しい。それに、エツコさんの娘さんをもさらわれたことは我々の責任である。だから、

必ずや今回の戦いに勝利をおさめるよう私もずっと祈っているつもりだ」

「はい、心得ております」

「そして、お前にもう一つ言っておきたいことがある」シンジーマーヤは息子を穴が開くほど見

つめた。「ジーケンイット、今回の騒ぎが収まったあかつきには、私はお前に王位を譲ろうと思

っている」

「父上、今何とおっしゃいました。そのようなこと、なぜですか。まだ、王としてこの街を治め

ていくことに何の問題はないはずです。それとも、どこかお体がお悪いのですか?」ジーケンイ

ットは驚きを隠せず、その理由を知りたがった。

「いや、体の方は至って健康だ。まだ、五十を迎えていない。何も問題はないので安心しろ」

「では、なぜ?私にはまだ、王位を継ぐなどという力も心構えもありません。まだ、未熟者です

「ジーケンイット、お前はすでに王位を継承する資格は充分にある。これまでの政治的、外向的

活動を見れば明らかではないか。トーセの危機を救い、今の繁栄をもたらした。ワミカとの和約

を締結し、争いのない世界を築いておる。トーセの代表というだけでなく、お前はすでにオリワ

の代表となっていて、それは誰もが認めていることだ。私の時代はもう終わった。何も出来なか

った私だが、今こそお前に全てを譲る時だと思っている。少し、早いかもしれないが、私を引退

させてくれ。歴代の継承をみても、突然の先代の死去などを除けば、こんなに若い王など今まで

なかったことだが、お前を咎めるものなど誰もいないはずだ。私のわがままかもしれぬが、余生

を長く過ごさせて欲しい。アズサーミともう一度人生をやり直したと思っている」シンジーマー

ヤがアズサーミの方を見ると、彼女は乙女のように恥じらった。「むろん、引退後も各街には大

使としての役割などは続けていく。お前が王になればそれだけ忙しくなる。その分は当然、我々

がお前を助ける」

 シンジーマーヤも自分の父だけあって頑固な面があることをジーケンイットは充分承知してい

る。いくら、拒んだところで、王は受け付けないだろう。だが、その反面、父が自分に信頼を寄

せていることが嬉しかった。シンジーマーヤはジーケンイットにとって決して越えられない人物

であり、彼は畏敬の念をいつも抱いていた。その父からの自分に対する賛辞の言葉はこのうえな

い喜びである。

「父上・・・、シンジーマーヤ王、承知いたしました。あなたのお言葉に従います。ただ、それ

も今回の問題を片づけてからということに・・・。トーセにとって最大の危機が訪れようとして

います。トーセが滅んでは、私が王になっても何の意味もありません。今は、そのことに専念し

たいと思いますので」

「それは、分かっておる。いいか、トーセのためにも勝利を得て、無事に戻ってこい。そして、

ミーユを救い出して欲しい」シンジーマーヤは懇願するようにジーケンイットを見つめた。

「分かりました。では、行ってまいります」

「ん、気をつけてな。そして、エツコさんのお仲間に怪我のないように頼む」

「ジーケンイット、頑張ってください。あなたなら、成し得ることができます」アズサーミは震

える瞳で息子を見ながらも笑顔を見せた。

 ジーケンイットは胸に手をかざし、一礼をしてその場を去った。

 

「ジーフミッキ様、どうやら魔女が動いたようです」ギオスがジーフミッキに報告した。

「そうか、それで、魔女は何をした?」ジーフミッキはギオスの方に振り返りもせずきいた。

「城から、子供をさらってきたようです。たぶん、ジーケンイットの子供でしょう。ですが、子

供はもう一人いるようです。誰の子供かは分かりませんが・・・」

「魔女め、こしゃくな手を使う。すると、魔女の手下は竜玉の強奪に失敗したとみえるな。そこ

で、今度はジーケンイットの子供を使って、竜玉を手に入れようとしたわけか」

「そのように思われます」

 ジーフミッキはここで振り返り、椅子を倒して立ち上がった。「よし、奴らはきっと竜玉を持

って、ここに来るはずだ。そこを狙い竜玉を手に入れる。ギオス準備をしろ」

「はい、すでにルフイには各地の囚人たちを呼び戻すよう、手配させてあります。軍隊のように

はいかないとは思いますが、ブルマンの警備隊も各地における囚人たちの行動により翻弄されて

おり、城における人員は手薄と思われます。ですから、トタールで見れば互角かと」

「ようは、竜玉さえ手に入ればいい。それと、ジーケンイットを倒せればな」

「はい」

「ギオス、お前少し顔色が悪いようだな。どうかしたのか?」ジーフミッキはギオスの微妙な変

化に気づいた。

「いえ、大丈夫です。ここは暗いのでそのように見えるのでしょう。それとも、これから戦いに

なろうという時、久々のことで気分が高揚しているのかもしれません」ギオスはジーフミッキか

ら視線を逸らして答えた。

「なら、いいが、お前だけが頼りでもあるのだからな。しっかり、頼むぞ」

「はい」

 

         3

 

「では、出発する。今からでも遅くない、降りる者があるならばここに残れ。これからの戦いは

厳しいものになる。誰もそのことを非難することはできないし、恥ずかしいことでもない」ジー

ケンイットがそう言ったが、警備隊の隊員の中からは誰一人として動こうという者はいなかった。

悦子たちもジーケンイットを見つめたまま、微動だしない。

「そうか、心から感謝する。では、行くぞ」一行は正門を抜け、スターライト連山のセブンフロ

ーに向かった。兵の数は昨夜の魔女との戦いや各地に分散したため、五十人にも満たないほどの

少数しかいない。軍を解散し警備隊に縮小したことも大きな影響となっていた。だが、ジーケン

イットは自分の行ったこの政策は間違っていないと思っている。今回のような不測の事態に陥っ

たことは予想外だったかもしれない、だが、二度とこのようなことがないようにするのも今回の

戦いの意義なのだ。完全なる平和をもたらすのが、王となりうる者の資格であり、ジーケンイッ

トの使命でもある。トーセの命運を背負う者たちが今、敵地に向かった。

 

 ターニ、ヒロチーカ、伊藤、美香はジーケンイットたちの隊とは別個に動いていた。彼らはろ

くな準備もする間もなく、セブンフローに向かって裏山の道を急いでいる。ジーケンイットの達

しにより、彼らの行動は秘密裏に進められた。ノーマの懸念を考慮し、戦いの決起の場にいた者

以外には、一切彼らのことは口外しないよう、厳重な態勢が引かれた。

「随分、険しい道ね。思ったより、大変だわ」美香は付いていくのに精一杯という足取りで言っ

た。

「でも、急がなくちゃいけないですから、頑張ってください」伊藤は人が変わったように励まし

を美香に述べた。伊藤とて、普段からの運動不足のせいで、この山道はこたえている。だが、今

の彼には娘を助けるという一念のみで動いており、いつもの愚痴さえ出てこなかった。

 ターニは後ろを気にしながらも、山道を熟知しているかのように突き進んでいく。重たいはず

の楯を背負っているのに、軽やかに岩や崖を登っていく。ヒロチーカは最後尾についていた。元

気だけは人一倍あるのだが、体格的に小柄なので小さな崖も上り下りが大変だ。けれど、彼女は

決して弱音を吐くような態度は取らなかった。

 川の上を、岩を飛びながら進んでいく時、伊藤は美香とヒロチーカの手を順につかみ、引っ張

り上げた。

「ありがとう、お兄ちゃん」ヒロチーカは王家の人以外誰に対しては、お兄ちゃんとかお姉ちゃ

んとかコトブーに至ってはおじさんと呼ぶ。兄弟がいない一人身という心境がそうさせているの

かもしれない。

 

「でも、どうしてこんな危険なことに付いてくるんだい。それに、王子さんたちと行った方がも

っと安全なのに?」伊藤はヒロチーカにきいてみた。

「だって、お姉ちゃんの赤ちゃんを助けに行くんだもん、私もいかなきゃ。お姉ちゃんは私だけ

でなく、トーセを助けてくれた恩人なんだから、今度は私が助けてあげる番なの」

「そう。ありがとう」伊藤はヒロチーカに笑って見せた。伊藤には彼女が妹のように思えてきた。

実際に彼には妹がいるが、その妹に抱く感情と似たようなものだ。そのことはジーケンイットと

同じ感情を表しているのかもしれない。彼がこの少女を可愛がる理由が分かった気がする。優し

さだけではなく、勇気も持ち合わせているこの少女を伊藤はいとおしかった。

 

 リオカの部屋にはノーマ、ヒヨーロ、ミヤカの三人が静かに黙したまま、たたずんでいた。

リオカは空虚を眺めるような目つきで悲嘆している。普段の精彩さや優雅さがまったくなくなっ

てしまった。ミーユチッタのいないベビーベッドがこの空間の悲しみを大きくしているようだっ

た。

「リオカ様、お気を落とさずに。ジーケンイット様が必ず、ミーユ様を魔女から取り戻されます

」ミヤカにはそんな慰めの言葉しか言えなかった。

「ありがとう、ミヤカ。私もそう信じています。けれども、一時も離れたことのない息子のこと

を思うと、今、どうしているかと思うと・・・。私もエツコさんのように一緒に行けば・・・、

いえ、やっぱり私は足手まといになるから・・・」リオカの言葉は断片的な感情のもつれでしか

なかった。

 ヒヨーロは窓から、セブンフローの方角を眺めていると、後ろからノーマが歩み寄り、声を掛

けた。

「ヒヨーロさん、お怪我は大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫です」

「・・・ヒヨーロさん、コトブーさんはあなたのことを思って・・・」

「それは、分かっています。けれども、私は父と対面しなければならないのです。父が罪を犯し

ている以上、それを正すのが娘の義務であり、それでも、父が王家に刃向かうのでしたら、その

時は、私が・・・」

「ヒヨーロさん、それだけはいけません。例え、どんな親であろうと、子が親をいさめてはいけ

ません、決して」

 ヒヨーロはノーマの方を振り向かないまま、じっと外を眺めた。

 そこにヨウイッツとキユーミが現れた。

「リオカ、大丈夫か、気をしっかりもってくれ」ヨウイッツはリオカのところにかけより彼女を

抱きしめた。

「お父様、私は大丈夫です。ジーケンイット様を信じていますから」

「そうだな、ジーケンイット様なら必ず、ミーユを取り返して戻られる。それに、エツコさんや

その仲間たちもついている。心配することはないな」ヨウイッツは自分に言い聞かせるように言

った。ヨウイッツも孫を持つ身となり、ミーユチッタに対しては溺愛の感情を抱いているため、

ショックもリオカ以上のものがあった。

「リオカ様、私もジーケンイット様を信じております」キユーミもリオカの手を握り言葉を添え

た。「あのー・・・、先ほど、ジーケンイット様が出陣されるのは拝見しておりましたが、ター

ニさんのお姿が見えませんでしたけど、どうかされましたか?」

 リオカはキユーミの質問に少し驚いた。なぜ、そのようなことを尋ねるのか一瞬疑問に思った

のだ。ノーマを通じてターニたち別働隊の事は隠密裏にするよう言われていたので、彼女の質問

が的を得過ぎていたのだ。

 そのことは、かたわらにいたノーマも気づいた。まさかと、ノーマは瞬時、警戒の色を濃くし

ようとした。

 リオカが答えに困っていると、また、扉をノックして人が入ってきた。リオカたちはそちらに

視線を移し、キユーミの質問をはぐらかした。

「これは、ワーンではないか、久しぶりだな、どうかしたのかね?」ヨウイッツがワーンを見つ

けると、嬉しそうに言った。

「ヨウイッツ様、本当にお久しぶりです。隠居後もリオカ様の婚姻の儀以来ですかな。編纂誌の

作業がやっと終わりましてね。ちょっと、城に戻ったのです。ですが、昨夜は恐ろしい事があっ

たようですな。私も穴蔵で不快な感触を感じてはいたのですが、まさか、魔女が現れるなどとは

私も意外でしたな」ワーンはしゃがれた声で、ゆっくり言った。「リオカ様はいかがされておる

かね。お嘆きのようではあるが、気をしっかりもっていただきたい」

「はい、ワーンさん、私は大丈夫です。御心配なく」リオカは気丈に振る舞ってみせた。

 その時、ワーンはリオカとヨウイッツの背後にいる女性に目が行った。ワーンはノーマのとこ

ろに近づき、小声で尋ねた。「ノーマ、リオカ様の後ろにおいでの方は?」

「ええ、キユーミさんです。ヨウイッツ様の遠戚に当たる方で、今はヨウイッツ様の秘書を・・

・。ワーンお祖母様は長い隠居生活でご存知ありませんでしたね」

「そうか・・・。ノーマ、お前、重要な事を見過ごしておったな」ワーンは皺くちゃの顔を厳し

くした。

「えっ、何のことでしょうか?」そう、ノーマが言うと、彼女は老女とは思えぬ素早さで、キユ

ーミに近づいた。ワーンはキユーミの前に立ちはだかると、両手を広げ彼女の額に翳した。キユ

ーミ驚く間もなく、ワーンの手のひらが視界を覆うと、すぐに意識が遠のき、その場に倒れ込ん

だ。

「ワーン、一体何をするんだ。キユーミがどうかしたのか?」

「ヨウイッツ様、この方は魔女に操られております」腰が少々曲がったワーンはヨウイッツを見

上げた。

「何だと、そんな馬鹿な。キユーミは私の遠戚にあたるものだ。魔女などとは関係がない」ヨウ

イッツは苛立ちげに答えた。

「ですから、この方は操られておるだけで、本人は何も認識していないのです。魔女は彼女の心

の中に入り込み、彼女の目や耳を通して五感をそのまま魔女が感じ取っているのです。この方が

見たもはそのまま、魔女の目に映り、彼女の聞いたことはそのまま魔女の耳に入るのです。です

から、彼女自身の体には何か変調をきたしているわけではありません」

「だが、いつ、魔女がキユーミに取り入ったのか?」

「最近、城外にお出かけになられましたか?特に、コーキマでの脱獄騒ぎがあった以降において

」ノーマが尋ねた。

「うーん、あの時、ちょうど、ガースカイに緒用があって、キユーミと出かけたが、あの日一晩

砂漠の手前で宿泊をした。まさか、その時・・・」

「かもしれませんな。とにかく、この方が、魔女の術策に陥っているのは間違いありません」

「では、ジーケンイット様が懸念されていた情報の漏れというのも、キユーミさんのせいで」ヒ

ヨーロがきいた。

「多分、そうでしょう。ワーンお祖母様のお考えどおりなら、キユーミさんの見聞がそのまま、

魔女のところに・・・」ノーマはそのことに気が付かなかった自分がしゃくだった。魔女の影響

波を見破れないようでは、賢者としての力の無さを実感させられてしまう。

 それを察しワーンが言葉を掛けた。「ノーマ、無理もない。魔女の方が巧みであったのだ。そ

う自分を責めるな」

「ところで、ワーン、キユーミは一体どうなるのだ。このまま、ずっと、魔女の奴隷になってし

まうのか?」ヨウイッツは眠ったように倒れている彼女を見て、心配している。

「そのことなら、ご心配いりません。魔女との接点を断ち切ればすむことです。・・・ですが、

この際、よい考えがございます。やつらが我々のことを知ったように、我々も魔女たちから情報

を引き出そうかと思いますが・・・」ワーンは鋭く目を光らせた。

 

「変ね、急に何も見えなくなったわ。それに、音も聞こえない。まだ、人間の眠る時間ではない

のに、どうしたのかしら?」サーミはもう一つの視聴覚が断たれたことに首を傾げた。

 サーミとカーミはジーフミッキを脱獄させるためにコーキマに向かうとき、途中の街で腹ごし

らえしようと血を求めていた時、宿場の庭にいた女が目に入った。二人は、これ見よがしに襲お

うとしたが、その女はカーミたちを見ると、「魔女!」と叫び逃げようとした。自分たちが魔女

だということを認識しているこの女はブルマン王朝の関係者に違いないと二人は考え、血を奪う

ことをやめ、カーミたちのスパイとして術をかけたうえ、そのまま城に返したのだ。

 サーミは自分の視聴覚にキユーミの視聴覚を重ね合わせているようかのような感覚を持つこと

ができる。キユーミの見たものが、聞いたことがそのまま、サーミの見聞となる。右と左の目に

別々の映像が映り、その音が右と左の耳に聞こえてくるようなものだ。サーミは常時その態勢で、

城の内部の情報を得ていた。城に悦子たちが来たことも、彼らが三手に分かれて竜玉を探しに出

掛けたことも、全て彼女を通じて知りうることができたのだ。キユーミが起きている限り、つま

り、彼女の脳が睡眠以外の活動を行っている時には、すべて魔女たちに筒抜けであったのだ。

「ジーケンイットたちがこちらに向かっているのは確かなのね」カーミ戸惑っているサーミにき

いた。

「ええ、それは女の目を通して見ているわ。だけど、ジーケンイットの部下の姿が見えなかった

のが気になるの。だから、そのことを問いただそうと、女にそれとなく意識させるように念を送

ったんだけど、そのことをきこうとしたら、急に全てが遮断されたみたいで」

「うんー、感づかれたのかしら」

「そんなことはなわは?人間に私の術が見破れるわけがないわ。それに、万が一そうであっても、

それが出来るのはあの賢者の女ぐらいよ。でも、あの女が気付いているような感じはないわ。そ

れなら、もっと早く、向こうが何か策を講じているはずよ」

「それも、そうね。いいわ、何とかジーケンイットの部下の情報を手に入れるまではこのまま様

子を見ましょう。あいつらが何を考えているのか、これからの決戦には必要だから」

 

「ワーンお祖母様、何をなさるおつもりですか?」ノーマは心配そうにきいた。

「なーに、奴らがこの方の目と耳を利用したのと同じように、私も魔女の目と耳を利用するのじ

ゃ。それよりも、魔女の思考の中に入り込み、奴らが何を考え、何を企んでいるのかそれを探ろ

うと思う」

「そんなことをして大丈夫なのか?キユーミに何か影響しないのか?」ヨウイッツは彼女を案じ

ていた。

「その点は御心配なく、あくまでもこの方は魔女との接点であり、単なる媒体であります。です

から、魔女の影響力は彼女を通過するだけです」

「ですが、それではお祖母様の方が危険ではないのですか?魔女の思考と直接コンタクトを取る

のですから?」ノーマはワーンの考えに賛成できなかった。「私がやります。お祖母様では、危

険です」

「それは、承知しておる。だからこそ、私がやろうと言うのじゃ。お前に万が一の事があったら

どうする。それでは王家に対する賢者の務めが果たせない。ここは、すでに隠居した私の出番な

のだ。編纂誌も書き終えた。賢者としての英知は全てお前に授けたし、どうせ、そう長い命でも

ない。私の元賢者としての最後の務めにしたいのじゃ・・・」ワーンは寂しそうに笑った。顔に

刻まれた無数の皺がこの老女の歴史を物語っているが、彼女の小さな瞳だけはノーマにも劣らな

い力強さがある。

 

 ノーマは反対したかった。だが、それも無駄なことだということも承知している。ワーンはす

でに決心しているのだ。賢者として最後までその力を王家に貢献することを。

「分かりました。ですが、無理はなさらないでください」

「分かっておる。では、始めるぞ」ノーマがキユーミを抱き起こすとワーンは彼女の頭を両手で

押さえ、目を閉じた。呟くように何かを念じると二人の周りをオーラのような淡い光が包み込ん

だ。

「ノーマ、私に質問をしなさい。その答えを魔女の思考から導き出す」ワーンは少し震えた声で

命令した。

「はい」ノーマは気持ちを落ち着け質問を始めた。「魔女よ、お前はなぜ竜玉を欲しがる?」

 ワーンの口から言葉が発せられた。それは、彼女自身の声でありながらも、彼女とは異なる話

し方だ。「竜玉?、トゥリダンの涙の事か。トゥリダン復活にさいし、トゥリダンの涙は邪魔に

なる。だから、それを排除するのだ」

「邪魔になる?」ノーマはおやっと思った。魔女は竜玉を使って、トゥリダンを復活させようと

していたのではないのか?

「それは、どういう意味なの?トゥリダンの復活にその涙を利用するのではないのか?」

「トゥリダンの涙は必要ない。すでに、トゥリダンの復活は間近だ。ゲートが開くのもあとわず

か、それまでにトゥリダンの涙の妨害が入らなければいいのだ」

 ノーマはますます分からなくなった。ゲートとは何のことなのだ?「そのゲートとは何?一体

トゥリダンの目的は何なの?」

「ゲートとはテラにつながる次元の道なり、トゥリダンはそのゲートを通じて、テラに戻る」

「テラとは何?」

「テラ・・・、それはトゥリダンの生まれた場所。トゥリダンの帰るべき場所」

 いよいよ、ノーマは混乱し始めた。まったく聞いたことのない言葉ばかりが発せられる。ノー

マはひとまず先を進めた。

「では、そのテラに戻って何をするの」

「トゥリダンは再びカミになる。そして、テラを支配する・・・」

「カミ?」

 

「不思議な人間もいるものね。普通我々のことを見ていれば怯えるか、泣き叫ぶか、特に人間の

子供などは私たちを恐れるはずなのに、この子たちはそんな様子がない」カーミは洞窟の窪みで

ハイハイしている二人の赤子を眺めた。

「そうね、確かに変わっているわ。一人じゃなく、二人だからなのかしら。この子供たち、ずっ

と、向き合って笑い合っている。何も恐ろしいものがないみたい」サーミも同じ意見だった。

「人間の子供は純粋だと聞いているわ。大人のように濁った心や卑しい感情がない。だから、恐

怖などというものも知らないのかもしれない。だから、我々のことも恐怖の対象として認識して

いないのだわ」

「人間って複雑ね。こんな子供も大人になれば醜くなる。なぜ、そうも大きく変わるのかしら」

「さあね」カーミには人間の感情というものは分からない。

 その時、サーミは急に怪訝そうな表情をしだした。

「どうしたの?サーミ、おかしな顔をしているけど」

「うーん、何か変なの。誰かに見られているような感じが・・・」

「見られている?人間の気配なんか無いけど・・・。ハッ、それはもしかしてあなたの思考を誰

かが覗いているのでは?」カーミは嫌な予感を感じ取った。

「そんな、馬鹿な・・・、でも、確かにそうみたい。しまったわ。何者かがあの女を通して、私

の思考の中に入り込んでいる。くっそー、きっと、あの賢者ねー、やはり、あの時、殺しておく

べきだったわ」サーミの中に怒りがこみ上げてきた。

「何をつべこべ言っているの早くあの女とのチャネルを切りなさい。我々の考えが全部向こう側

に筒抜けになる」

「分かっているわ。でも、ただじゃすまさない。我々を甘く見たことを後悔させてやるわ」サー

ミは目を閉じ、自分の思考の中を探りキユーミとの接点を捉えた。誰かが、その中に入り込んで

いるのは確かだった。サーミはそのチャネルの中に悪意に満ちた毒気を送り込んだ。

「カミ?カミとは何なの?」ノーマは質問を続けた。だが、ワーンは急に顔を強張らせ苦しみ始

めた。「お祖母様、大丈夫ですか?」

「駄目だ、敵に私の存在を知られてしまった。あと、少しなのに。トゥリダンの弱点を探らなけ

れば・・・、ウッ・・・」

「お祖母様、もうお止めください、危険です」ノーマはワーンを止めようと、彼女の手をキユー

ミから剥がそうとしたが、その時、キユーミを通じて、物凄い電流のようねショックが伝わった。

ノーマは咄嗟にそれを避けたが、その衝撃はそのまま、ワーンの全身に伝わり、ワーンは軽く飛

ばされるようにのけ反った。

「お祖母様・・・」ノーマはワーンを抱き抱えたが、ワーンは呼吸も出来ぬほどの苦しみようで

微かにまぶたを押し上げた。「すまぬ、ノーマ。後少しであったのに・・・、大事な事を探れな

かった」

「ワーンお祖母様、もう充分です。無理をしすぎです」

「そうか、これが、トーセの役にたつのなら、私も賢者として生きてきて本望だ。ノーマ、後の

ことは頼んだ。曾孫の姿を見れなくて残念だったが、いいか、ノーマ、賢者の血を絶やしてはな

らない。我々は王家に仕え、王家のために生きていくのだ。お前も先祖からの意志をつないでお

くれ。いいな」

「お祖母様、しっかりしてください」ワーンはノーマの手を自分の頬に当てさせた。ノーマは涙

を浮かべ、ワーンに声をかけた。

「ノーマ、お前に残す言葉がある。『ドリーム』覚えておくのじゃぞ・・・」ワーンはその瞳を

閉じ頭をうなだれた。

「お、お祖母様、ワーンお祖母様・・・」ノーマは泣き叫んだが、ワーンは二度と言葉を言わな

かった。

 背後にいた、ヨウイッツたちも泣いていた。リオカはノーマを抱き抱え、そのまま、手を伸ば

してワーンの手を握った。「ワーンさん、ありがとう。あなたの死は決して無駄にはしません」

 ノーマはリオカの言葉を聞いて、我に返った。「今の話をジーケンイット様たちに伝えなけれ

ば。私には何のことか分かりませんが、エツコさんのお仲間なら何か分かるかも、ツチダーさん

なら」

「ええ、そうですけど。ノーマさん、ワーンさんが・・・」

「はい、それは承知しております。ですが、私はワーンお祖母様の意志を継いだトーセの賢者で

もあります。ですから、その務めを果たさなければなりません」ノーマは強く言い放った。唯一

の身内であるワーンを亡くした悲しみはこのうえないもである。だが、いつまでも打ちひしがれ

ているわけにはいかない。

「ノーマさん、以前も竜玉を通じてジーケンイット様と会話されましたね。今はできますか?」

「それは、駄目みたいです。今のことで魔女が結界のようなものを張り巡らせてしまいました。

セブンフローに近づけば近づくほど、竜玉に話しかけることは無理になっています。それに、今

その竜玉もエツコさんやそのお仲間たちが持っていないようなので力が通じないのです」

「では、どうされます?」

「ジーケンイット様たちを追いかけます。カウホースに乗れば追いつけるかと・・・」

「では、私がお供します。ノーマさんはカウホースの扱いには慣れておられないと思いますから

」ヒヨーロが前に出て言った。

「ヒヨーロさん。でも。それでは・・・」

「いいのです。今はとにかく、このことをお知らせしなければならないのですから」ヒローロは

腕の包帯を振りほどいた。

「・・・分かりました。お願いします」ノーマはヒヨーロの提案を受け入れた。そして、リオカ

に向き直り「リオカ様、ご迷惑とは思いますが、お祖母様のことよろしくお願いします」と、依

頼した。

「ああ、もちろんだ。ワーンの御遺体は我々がきちんと見届けておきます。ですから、御心配な

く」ヨウイッツがリオカの後ろから声をかけた。

「ありがとうございます。では、ヒヨーロさん、急ぎましょう」ノーマはそう言いながら、部屋

を出ていった。もう一度ワーンの亡骸を見ようとしたが、賢者である自覚を胸に秘め、その使命

を果たそうと毅然な態度を保ち、振り向かず進んだ。

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください