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トゥリダンの逆襲

 

    第 十 四 章      メ ッ セ ー ジ

 

         1

 

 宮崎は寝苦しかった。真夏でもないのに、汗をかいている状態だ。彼の心に刻まれている不安

は、日一日ごとにそれが大きくなっていく。だが、その原因が全く分からないのが、また不安を

助長させていた。毎日のように各地で起こる異変はその懸念を物語ってはいるのだが、その解決

策など地球的規模からみた小さな霊能力者だけではどうすることも出来ないのが実情であった。

それほど、宮崎は切迫している気持ちを抱いている。ノストラダムスの予言や世紀末破局物語で

はないが、それに近いものを宮崎は感じていた。

 そのことが寝苦しい原因であるのかと、眠りながらの思考の中で彼は考えていたが、それだけ

では無いようだった。誰かが宮崎を呼んでいた。遠くの方から聞こえる声は徐々に近づいてくる。

そして、その声に聞き覚えがあるのを宮崎は無意識に感じていた。

「宮崎ー、聞こえるか?聞こえるなら返事をしてくれ・・・」

「誰や、わてを呼ぶのは?夢の中に現れるなどとは、只者じゃねえなー」宮崎は夢の中で叫んだ。

今見えているのは霧のかかった森の中に自分がたたずんでいる姿で、濃い霧により視界はほとん

どゼロに近い。波のように流れ込む霧の合間に覆い繁った木々が見えるが、霧とその鬱蒼とした

森が光を遮っているようで、視界の悪さ以上に薄暗かった。右も左も分からない。道らしき道も

分からない。宮崎はただ闇雲に声のする方に進んでいた。

「誰や、わてを呼ぶのは?」宮崎はもう一度声のする方に叫んだ。

「宮崎!僕だ、土田だ。聞こえるか?」

「つ・ち・だって、土田さんでっか、んな、あほな、何であんたさんが、わての夢ん中に?」宮

崎は見えない声の主に向かって言った。

「これは、夢じゃないんだ。僕や、僕の仲間が、お前に呼びかけているんだ」

「ちょ、ちょって待ってくれまへんか。土田さんの仲間って、もしかしたら、居酒屋で消えてし

もうた人たちでっか?」

「そうだ。何だ宮崎、もう、そんな情報を仕入れていたのか?」土田の声は苦笑しているように

聞こえた。

「ええ、この間、竹内さんがみえたんです。あんたさんがたがいなくなったんで、相談しに」

「竹内さんが・・・、そうか、竹内さんがいたんだ」

「ところで、あんたさんがたは、今どこにいるんでっか?皆が探しまくってまっせ」

「うーん、それがな、説明しにくいんだけど・・・、僕らは今、違う世界にいる。次元の違う世

界に」

「次元が違う世界?つまり、異次元でっか?んな、あほなこと・・・」

「だが、事実なんだ。今僕らは地球とは違う星にいる。何の力でこの星に来たのかは分からない

が、とにかく、僕らはここにいて、全員無事だ。だけど、今この星に危険が迫っている。そして、

その影響が地球にも及ぼうとしてるんだ」

「何言うてんでっか?さっぱり・・・、けんど、最近あちこちで異変が起こっているのが関係し

ているのかいな」宮崎は夢の中で考え込んだ。

「何だと、既にそっちでも何かが起こっているのか・・・、これはいかんな。宮崎、とにかく僕

たちの言うことをきいてくれ」

「その声は、佐藤さんでっか?」

「ああ、そうだ。お前に頼るのは不本意だが、今は仕方がない」

「そんな、きついこと言うてくれますな」宮崎は苦笑いした。

「私だって、あなたには頼みたくないけど、唯一の望みなんだから・・・」

「おや、その声は脇田さんでっか?酒井さんはお元気で?」

「主人はそっちの世界にいるの?だから、私たちのことを知らせて欲しいの」

「はえ、分かっておますが」

「いいか、宮崎。これから言うことをよく聞いてくれ」土田が再び説明を始めた。「今我々はこ

の世界で強大な魔物と戦わなければなけない。詳しい事は省くが、僕たちは今からそれに挑まな

くてはいけないんだ。そして、その魔物は僕らの故郷、地球をも滅ぼそうとしている。こちらの

世界とそっちの世界は、あるゲートを通じてつながっているんだ。その魔物はそこを通って、地

球に行こうとしている。それを食い止めて欲しいんだ。魔物は我々が対抗すれば地球に向かう。

だが、それは地球の破滅を意味する。これは冗談なんかじゃない。大真面目な話だ。僕らは相談

して我々の念が通じるであろう、お前に全てを託す。もうあまり時間がない。魔物が現れるのも、

そして、さっき言ったゲートが開くのも差し迫った状態にある」

「んー、飛んでもない話でんな。けんど、わても何かが起こるのではないかという恐れはずっと

抱いていたんですわ。それが、今、まさに現実のものになりそうでんな。しかし、そんな物凄い

モノが迫っているんでっか・・・。わてだけの力ではそれに対処するのは無理かもしれませんな。

しかし、この事をこっちの世界に知らせても誰も信じてはくれまへんしな。わてと同じ様な仲間

を集めるのにも時間がないように思えますし・・・」

「だから、宮崎、僕らの仲間を集めてほしい。トリオにいた者たちを。こっちの世界には家族の

者が来ている人たちもいる。お前のような特別な力を持っていなくてもいいんだ。僕たちの心が

通じ合うものさえ集まれば、何とかなる。僕たちはこれから、お前にメッセージを伝えたように

して、仲間たちにもそれを送る。だが、うまく伝わらない者もいれば、それを信じてくれない者

もいるだろう。だから、お前が僕らの代わりにそれを伝えてほしいんだ。何人でもいい。僕らの

ことを信じてくれる者を集めてくれ」

「分かりましたが、でも、どこに集めればいいんでっか?」

「それは、もう伝えた。今、お前がいる場所だ。そして、他の人もその場所が自然に分かるはず

だ」

「なるほど、この場所がでっか・・・、そして、この場所はわてがずっと感じていた方角にある

んですな。分かりましたわ。ただし・・・」

「また、お前のただしかよ。いまはそんな悠長なこと言っている場合じゃないんだけどな。失敗

すればすべてが無になるんだぞ」土田はどんな状況下にもめげない宮崎に諦めを通り越し、そこ

までの執拗さに観念していた。

「まあ、でっから、成功した暁にはまた飲みましょうということを言いたかっただけでんねん」

「分かったよ。今度こそ本当に感謝しているから、今言ったこと頼んだぞ」

「まかせなさい」と宮崎は夢の中で胸を叩いた。彼の耳には土田たちの溜め息は聞こえていなか

った。

 

          2

 

 榊原香織はふと目を覚ました。今、何か聞こえたような気がした。前沢の声が夢とも幻とも思

えるような感覚で脳裏に残っていた。彼の消息はまだ何も分からなかった。そのことに対する不

安が彼女に前沢の声を聞こえさせたのだろうか?でも、今の声はそうではない気がする。本当に

彼が呼んでいる声だった。そして、ある場所へ行ってくれという訴えでもあった。どこだかは分

からないが、森のようなイメージが暗闇の中を見つめる瞳に残っている。そして、それがどの方

向にあるのかも知るはずもないの、なぜかそちらを眺めていた。

 

 佐藤真里は仕事の疲れのせいかぐっすり眠っていた。夢さえも見ていないほどの深い眠りだ。

だが、その閉ざされた静寂の世界に声が聞こえた。それは聞き覚えのある声だった。

───誰の声だろう?

 真里は深い闇の中で記憶を巡っていた。そして、その答えはすぐに見つかった。自分が昔働い

ていた会社の人たちの声なのだ。トリオを辞めてもう三年以上になり、トリオのことなど最近で

は思い出すこともなかった。そして、当然そこで知り合った先輩や後輩、そして同期の仲間のこ

ともしばらくは失念していた。だが、今、闇の中で声を聞いた瞬間、その時の人たちの顔が闇の

中に浮かんできた。

───古井さんに、土田さんだわ。それに、山田さんや松浦さんも、青山さんたちの声も聞こえ

る。何なの?

 真里は深い眠りから急速に現実感を覚えはじめ、目を覚ました。今のは夢だったのか?忘れて

いた事が急に夢の中で思い出されただけなのか?でも、それは違うような気がした。彼らが何か

を自分に言いたかったのが、今こうして目を覚ましても脳裏に残っている。だが、その意味が分

からない。彼らの願いというものが・・・。

 

 山田浩司は刑務所の中で怯えていた。自分の犯した罪に対する償いは簡単なものではないこと

は分かっている。長い刑期をここで務めなければいけない。もしかすれば一生出れないかもしれ

ないこの中で、毎夜彼は震え、眠ることを恐れた。夢の中に自ら手を下した者たちが現れ彼を苦

しめていた。許しをこうても彼らは毎晩現れる。

 だが、今日の夢は違った。いつもの彼らではなく、昔働いていた時に出会った人たちが現れた。

彼らは何かを訴えかけていたが、その意味は山田には見当もつかない。ただ、分かったことが一

つだけあった。それは、彼らが何か恐ろしいことに巻き込まれていること、そしてそれは自分が

毎夜見る夢よりもっと恐ろしいことだというのを感覚的に悟っていた。

 山田はこの囲まれた場所にいることに感謝していた。これからも悪夢を見なければならなくて

もいい。

───誰が、そんなところに行くか。そんな恐ろしいところに・・・。

 

 森隆二は宙を飛ぶような夢を見ていた。トリオを随分前に辞め、今は別の仕事をしているが、

今日は自分の家の田圃の稲刈りで有給休暇を使って手伝いをし、へとへとになっていた。だが、

その疲れとは無関係なように森は夢の世界をさまよっていた。雲の上に自分は浮かび、遙か下方

には田舎のような緑の田園が見える。浮遊感が現実のように感じられた。自分の思う方向に体は

向きをかえ、スピードの調節もできる。森はこの体験が面白かったが、どこか記憶のあるような

錯覚にも陥っていた。そのまま、飛びつづけると目の前に小さく光る物体が飛んできた。それは、

森の目前で止まると光を弱めた。驚く森だが、それは懐かし妖精であった。

「シャ、シャルンじゃないか?」

「嬉しい、私のこと覚えていてくれたの?」小さな妖精はその小さな顔をほころばせた。

「もちろんだよ。あの時のこと忘れるわけないさ。えっ、じゃー、ここは、また雲夢界なの。ま

た、俺、眠っているうちに迷っちゃったのかな?」森はシャルンとの再会は嬉しかったが、また、

あの世界に迷いこんだことは不安だった。バクに追われてはたまらない。

「大丈夫よ。ここは雲夢界じゃないから。もう、私の修行はとっくに終わっているの。ここは、

私の故郷『バイストンウェル』よ。今回は私があなたを呼んだの。大事なことを伝えなければい

けないから」シャルンは笑顔から真剣な表情に移った。

「呼んだって、どうして?大事なことって?」

「いい、よく聞いて。今、私たちの地球に危機が訪れているの。別の次元の世界から強大な魔物

がこっちの世界に来ようとしているの?だから、それを食い止めなければあなたの世界も、この

私の世界も崩壊してしまう。だから、あなたを呼んだの」

「魔物が来るって?地球がなくなるって?何か、すんごい話だね。でも、シャルンの言うことだ

から信じるよ。けどさ、俺にどうしろって言うの?そんな、凄いものが来るからって、俺には何

もできないよ」

「ええ、もちろん、あなた一人では無理よ。でも、多くの人たちが協力すれば出来ることなのよ。

私たちバイストンウェルの者たちも一致団結して、それに立ち向かうわ。だから、地上でも、戦

って欲しいの。この地球を守るために」

「うん、で、俺は何をすればいいんだい?」

「それは、あなたの仲間たちが教えてくれるわ。ほら、聞こえるでしょう」

「えっ・・・、ああ、聞こえる。この声は、青山さんだ。脇田さんもいるな・・・」

「さあ、その声をきいて、我々に協力して。そして、今こそ、バイストンウェルと地上とが手を

結ぶ時なのよ」

 シャルンの声を聞きながらも、森は青山たちのメッセージに聞き入った。

 

 佐藤ひとみは声を聞いた気がして、飛び起きた。真っ暗な部屋の中に一人いる彼女は、夫がま

だ帰っていないことをいまさらに感じている。だが、今確かに夫である佐藤寿晃の声が聞こえた

のだ。

───幻聴なのかしら・・・、それとも夢?でも、今の声は間違いなくあの人・・・。

 ひとみの脳裏には夫の声がまだ残っている。声だけではない。佐藤がそばにいるという感覚も

あった。

───あの人が呼んでいる。私を・・・。

 佐藤がひとみをどこへ呼んでいるのか?それは明確な位置とか場所を指してはいない。だが、

彼女はその場所を感覚として知っていた。

───行かなければ、あの人が、私を待っている。私の助けを・・・

 

 和田千尋は「史ちゃん!」と叫んで飛び起きた。その声に驚き隣に眠っていた和田健一も同時

に目を覚ました。

「どうしたんだい。何か寝言を言ったようだけど」和田は枕元の電灯を点けた。

「ええ、今夢のようなものを見ていたの、史ちゃんや前ちゃんがいた。それに、藤井さんや山田

さんたちも・・・?皆行方不明になった人ばかり。あなたから、そのことを聞かされたから夢に

見たのかしら」千尋は疲れたように言った。

 和田は社長からの話でトリオの面々が失踪していることを知った。その事実はすぐにも妻であ

り、元トリオの社員でもあった千尋に伝えられた。千尋もそのことには驚いていた。彼女の同期

である史子や前沢を初め、公私共に世話になった先輩たちが消えてしまったということは、信じ

られないことだった。その話をきいてから、一時もその事が頭から離れない。今は育児と家事の

忙しさだけで一日の生活を繰り返しているに、その大きな心配の種は日に日に大きく成長してい

った。その不安が夢にも現れたのかと彼女は最初思っていた。

「・・・いや、それは違う。今僕も同じような夢を見ていたんだ。佐藤君や枡田君が何かを僕に

言っていた。何か助けを求めているような・・・」

「私もそうなの。皆が何かを叫んでいて、自分たちのところに来てくれって・・・」

「んー、これは夢なんかじゃないのかな。僕は千尋みたいに霊感なんかまったくないから、こう

いう現象は全く信じていなかったけど、今のことは何だが妙に現実味があった。不思議だけど・

・・」

「そうね、史ちゃんたちが本当に目の前にいたみたい。ねえー、あなたにも見えた?彼らが来て

欲しいという場所が?」

「ああ、見えたよ。そこに皆がいるのだろうか?いるのなら、行かなきゃいけないな」

「そうね、行かなきゃ・・・」

 

 東里美、今は職場で出会った異国の男と結婚し、サトミ・パーペーとなっていた。今彼女はベ

ルリンの街で夫と暮らしている。今日は、昼食を食べる約束をして、待ち合わせをした後、レス

トランに向かって歩いていた。

 その時、里美の脳裏に何か不思議な感覚が通り過ぎていった。

───何?何なの、今のは?

 それは懐かしい思い出と懐かしい人々の感触であった。

───そう、トリオの人たち・・・、トリオの人たちが呼んでいる。

 里美が立ち止まって虚ろな目つきで空を見つめているので、夫は彼女の肩を叩いて現実に引き

戻した。

「どうしたんだ、サトミ、どうかしたのかい?」

「いいえ、何でもないの。ちょっと、昔のことを思い出していただけ」

「昔の事?ジャパンのことが気になるのかい?」夫は優しい笑顔を浮かべた。

「ええ、そうだけど」

「帰りたくなったのかい。ホームシックかな?」

「そんなんじゃないの。今、私はあなたの妻であり、ドイツの人間です。だから、心配しないで

」里美は夫を安心させるように言った。

「それなら、いいけど」

 実のところをいえば里美は日本に帰りたかった。故郷が懐かしいのではなく、昔、知り合った

人たちの事が急に気になったからだ。なぜ、そうなったのかは分からない。けれど、半ば忘れて

いた人たちの顔が急に目の前に現れたような錯覚に彼女は陥っていたのだ。だが、今すぐに日本

に行くことなどはできない。里美は心の中でトリオの人たちのことを思い浮かべ、祈るような気

持ちになっていた。

 余語美和子は浅い眠りの中に昔の仲間を思い浮かべていた。今は結婚して、別の仕事について

いるが、大学を卒業して入社した会社のことは今も忘れられない。仕事は辛い時もあり、苦しい

思い出もあったが、そこで出会った仲間、同期や先輩の人たちのことは、今でもはっきり覚えて

いる。学生の時とはまた違った人間関係が初めての社会生活であったにも関わらず、それだけは

充実していた気がする。

 退職後、結婚や新しい仕事の事で忙しく、昔の仲間に会うことも少なくなってきた。それでも

時々、伊藤などから同期で飲まないかと誘われると、楽しみに出掛けていた。なぜか、彼らと再

会すると学生時代の友人とは違った心の潤いを感じるのだった。

 そんな彼らが目の前に現れた。古井や土田に先輩の人や後輩もいた。彼らが何かを訴えかけて

いる。

───どうしたのだろう?

 彼らが失踪している事実を知らない彼女には不思議に思えた。だが、この不可解な出来事を美

和子は素直に受け入れていた。

───皆が呼んでいる。私を呼んでいる・・・。

 

 真紀は病院のベッドで穏やかに横たわっていた。陣痛が始まり急遽入院したが、今は落ちつい

た状態に戻り、母子共々順調な経過を辿っている。おなかの中の子供の元気な様子が彼女に心の

安らぎを与えていた。その時、まぶたを閉じた彼女の瞳に何かが映った。それは、彼女にとり大

きな人生の出来事の中で出会った人たちだ。様々な思い出をくれた先輩たちに、同期の奈緒美も

いた。

───なぜなのだろう。そして、どうしてなのだろう?

 皆が何かを叫んでいる。その祈りにも似た声にならない声が彼女の心に響いた。

 真紀は彼らのもとに行きたかった。自分が窮していた時に、彼らは助けてくれ心の支えにもな

ってくれた。その礼をしたかったが、今の状況では無理な話だった。でも、彼女はここで祈るこ

とにした。彼らのために、心からの祈りを・・・。

 

 神谷順子は真夜中の電話に驚いて飛び起きた。何なのだろうと、寝ぼけた意識で電話を取ると

相手は香織だった。

「御免ね、順子ちゃん。でも、話さずにはいられなかったの」香織は切迫したような早口で喋っ

た。

「うーん、別にいいけど、何なの急用?・・・前沢さんのことで何か分かったの?」神谷は無意

識に何となく前沢のことを口にした。

「それじゃ、順子ちゃんも夢を見たの?」

「夢・・・?そういえば、今何か見ていたような気がするわ・・・。そうね、前沢さんがいたよ

うな・・・、それに、史ちゃんや藤井さんもいたような気がするわ・・・」神谷はスローな性格

のためか物事を思い出すのも遅かった。だが、その曖昧な記憶は徐々に覚醒されていった。「そ

う、確かに見たわ」

「やっぱり。それなら、皆を助けに行かなきゃいけないわ」

「助けるって・・・、ああ、そうねー、夢の中の人たち何かを叫んでいたような気がする。どこ

かに来てくれって・・・。でも、それはどこなんだろう」

「私にも分からないわ。でも、分かるような気もするの、それが、どこにあるのか」

「よく、呑み込めない話ね・・・。ねー、このこと竹内さんに相談してみたら。あの人なら何か

分かるかもしれないから・・・」神谷はふと竹内のことを思い出した。

「そうね、そうしましょう。順子ちゃん、明日付き合ってくれる?」

「うーん、別にいいわよ。仕事の方は何とかなるから」

「そう、じゃ、明日朝に迎えにいくから。お願いね」

「分かったわ、それじゃ」順子は何か理解できないままにも、香織の言葉に従った。そして、そ

のまま、また眠りについた。

 

 白井孝好はトリオの事務所に戻り徹夜で仕事中であった。本来の自分の仕事ではなく、会社に

戻って他の仕事を手伝っていたのだが、その作業がなかなかはかどらず、今日は会社に泊まり込

みでディスプレイとにらめっこだった。一人、マシン室に籠もっているのは寂しくもあり、少し

不気味でもある。この事務所、一人で夜中に作業をしていると誰かが忍び寄ってくる気配がする

というもっぱらの噂があり、徹夜したことのある男なら皆経験していることであった。白井もそ

んな気持ちであったが、意識の片隅には失踪している仲間のことがどうしても浮かんできて、仕

事にいまいち集中できなかった。

 考えに詰まりソースエディターの画面を腕を組みながら眺めていた。頭上の蛍光灯の光が黒地

の画面に反射し、プログラムの文字がちらついている。その何も動くはずのないディスプレイの

中に人間の姿が浮かび上がってきている気がした。そして、それは白黒の画面の中に人間の形を

かたどっていった。

───何だ?何なんだ?

 白井は驚いて椅子を後ろに引いたが、冷静にそれを見つづけた。画面の中の人間は自分の知っ

ているトリオの人たちだった。それも、行方不明になっている。白井は唖然とした面持ちでディ

スプレイを見つめた。画面の中の青山や浩代が何かを言おうとしている。だが、このコンピュー

タでは音を聞くことはできない。じっと、それを凝らしているとなぜか自分の耳に直接彼らの声

が聞こえてくるような気がした。

───皆が助けを求めている。でも、どこにいるんだい?

 画面の中の人たちが一瞬に消え、もとのプログラムソースが現れた。だが、白井はその画面に

戻る瞬間にある映像を見ていた。

──そこに行けって言うのか・・・?

 

 青山裕予は幼い子供が泣きだしたことに気づいて布団から出た。二人の息子は小さな布団から

身を乗り出し、「パパ、パパ」と言いながら泣いている。青山がいなくなったことをこの幼い息

子も感じ取り、時々「パパはどこなの?」と尋ねてくる。裕予は「お仕事で出掛けているの?も

う、すぐ帰るからね」とあやしていたが、彼女の言葉の裏を読み取っているのだろうか、素直に

はそれをききいれていない様子であった。このまま、夫が帰ってこなければどうしよう。すでに、

裕予の心には絶望的なものがこみ上げていた。

 だが、確かに今、夫の存在を自分も感じた。彼の姿が夢とも幻とも思えないような感覚で記憶

に残っている。

「どうしたの?泣かないで」普段、滅多に泣きべそなどをかかない子に裕予はきいてみた。

「今、パパがいたの。パパが。でも、すぐに行っちゃった。ねえ、パパはいつ帰ってるの?」

「もうすぐよ。もうすぐ帰ってくるからね」それは、今までのうわべだけの言葉ではなく、どこ

かに確信のある思いであった。

───あの人が帰ってくる。もうすぐ。でも、そのためには・・・。

 裕予は今おぼろげに見ていた光景を思い出そうとしていた。

 光永かおるは急に昔のことを考え始めていた。最初の就職で出会った人たちのことをなぜか鮮

明に描いていたのだ。その原因はよく分からない。ただ、今眠りの中で見ていた何かがそうさせ

ている気がした。総務部の人間として働いていた毎日が思い出され、その時出会った人たちの一

人一人が順番に見えてくる。自分は物覚えもいい方ではなく、総務の時は誰が誰なのか最初は苦

労したぐらいだ。トリオを離れると、折角覚えた人たちのこともまたすぐに忘却しはじめたが、

今突然とも言えるぐらいその時の人たちの事が思い起こされていた。

───不思議ね。忘れかけていたことが急に思い出されたわ。でも、なぜなの?

 自問自答しながらも彼女は答えを見つけるために、今見た夢を思い出そうとしていた。

 

 竹原博幸は急にトリオの時代の事を思い出していた。トリオにいたときから付き合いのあった

会社に転職、いわば、引き抜きにあって、今の生活を続けている。結婚もトリオの時代に他の会

社から研修に来ていた沖縄の女性と結ばれ幸せな毎日だった。

 トリオを辞めた直後は、いろいろ付き合いみたいなこともあったが、最近ではトンと御無沙汰

のようである。今の会社自身とはまだトリオとの付き合いは続いているようで、野尻などが時々

顔を出すが、面と向かって挨拶したことはない。風の頼りや年賀状等で誰々が辞めたとか結婚し

たとか言うことは耳に入っていたが、皆が現在何をしているなどとかは皆目分からなかった。そ

のせいか、最近でトリオ時代の仲間の印象も薄れていっているような毎日であった。

 それが、なぜか今夜急に甦ってきた。何のきっかけがそうさせたのかも分からず、ただ何とな

く脳裏に昔の仲間の事がよぎったのだ。

───皆、どうしているのかな?おやー、何か変だな・・・。

 竹原はタバコを吸おうと思ってマンションのベランダに出た。

───何か、俺を呼んでいるみたいだったな?でも、なんでだ?

 竹原は闇の夜空をタバコをふかしながら眺めた。そして、雲が無いはずなのに、星が一つも見

えないことに気付いた。

 

 田中みゆきは結婚して一児の母となっていた。管理職にまで上り詰めた仕事であったが、やは

り普通の結婚生活を彼女は望んでいた。今は特に何もせず、専業主婦として家事と育児に追われ

る毎日だった。昔の仕事の事はもう忘れていた。自分の意志とは反していつしか課のリーダー的

な存在になり、後輩の指導や仕事の段取りを組むようになっていった。むろん、そういったこと

が苦手ではなかったのだが、年が経つにつれて、後輩たちとの隔たりに寂しさを感じたこともあ

った。新入社員を甘やかすつもりはなく、入りたてのころは厳しくし、それなりに一人立ちでき

るようになれば後は本人に任せるという考え方でやって来た。その後はなるべく、普通の先輩後

輩という関係を示し、気さくにつきあうようにはしていた。それは正しかったと今でも思ってい

る。

 それでも、課長という肩書がつくと、管理職という立場になり、一般社員との隔たりを感じず

にはいられない。同期に近い浩代や美香などは職場から離れれば、分け隔たりなく付き合ってく

れたが、二十代前半の若い新人は課長は課長という、見方しかしてくれず、完全な上下関係が保

たれたままだった。

 自分もそれほど、人付き合いが得意なほうではないことは分かっている。だが、他の管理職連

中と付き合うよりは若く活気のある彼らと付き合っていたほうが心が安らいだ。中には優柔不断

な者や何を考えているかよく分からない者など十人十色とも言える社員がいたが、今ではそれも

懐かしく感じる時がある。あの人は今、どうしているのだろうか?あの子は何をしているのだろ

うか?そんなことを時々思い浮かべては当時のせわしかった毎日を回顧していた。今の落ちつい

た家庭というものが夢のようであった時代が、今となっては懐かしくもあり、仕事に没頭してい

た自分がうらやましくもあった。

 今夜はなぜか寝つかれなかった。夫や子供はとうに深い睡眠の中に取り込まれていたが、自分

だけは仲間外れのように一人ベッドの中で天井を見つめ、昔のことを思い出していた。特に今日

はその懐旧の思いが強く、自分でもおかしいくらいだった。

 ふと、誰かが呼んでいるような気がした。夜の帳の中で静かな夜は物音一つ聞こえないような

状況なのに彼女の耳には人の声が聞こえていた。それも、懐かしい人たちの声が・・・。そして、

助けを求めている声が・・・。

 加藤共生は何か幻影を見た気がしていた。彼はトリオを退職し、趣味と実益を兼ねて冬にはス

キーのインストラクターをしていた。その分、オフシーズンの間には時々、グラススキーをする

ものの本格的な活動をすることはできない。来年は冬は日本、夏はニュージーランドでスキーを

するため、この夏からはバイトを一生懸命していた。今は、トラックの運転手をしている。辛い

仕事だが稼ぎはいいので短期間の収入源としては最適であった。

 本来仕事は昼間だけなのだが、今夜は夜勤の担当者の一人が急病で休んだため、休みであった

加藤に代役を務めてくれるよう頼まれて、加藤も仕方なくそれを引き受けていた。

 夜の国道二二号を名古屋から岐阜に加藤は突っ走っていた。昼間とは比べようもないほどの交

通量の少なさで、高速道のように飛ばす車がほとんどだった。加藤も飛ばしたい衝動にかられて

はいたが、商品を積んでいるので無理はできない。

 ヘッドライトに照らされて、夜道が光り、屈折した光がフロントガラスに流れていた。その時

だ、ガラス越しに人の姿が見えた。何人もの人間が自分に向かって何かを叫んでいるいる姿だ。

それはガラスの向こう側に存在するのではなく、映画のようにガラス自身に映っていたのだ。そ

して、その映った人たちには見覚えがあった。

───あれっ、佐藤さんに、土田さん、それに、青山さんも、一体どうなっているんだ?

 加藤は驚き、急ブレーキをかけた。後続車がいなかったら良かったものの、昼間ならばカマを

掘る事故になっているほどの反応だった。

 加藤は茫然とフロントガラスを見つめた。そして、そこに映る映像に吸い込まれていった。

───ここに、行かなきゃ・・・、行かなきゃ。

 

 中嶋孝江は誰かの声を聞いたような気がして目を覚ました。

───今のは確か、真野さんのような気がしたけど。でも、何なのかしら?もしかして・・・

 孝江はトリオで総務部にいた関係で今日、筒井警部からの電話を受けており、祐子たちが行方

不明になっていることは知っていた。もちろん、彼女にも彼らの心当たりなどはない。ただ、自

分もその日の飲み会には誘われていたことが、何とも心苦しかった。用事があったので断ったの

だが、もし自分もいっていれば立場は逆になっていたかもしれないのだ。そのことを思うと、彼

らの失踪は沈痛以上の何者でもない。

 そして、今、その消えた人間たちの声と姿が見聞きできたような気分だった。特に祐子の姿は

はっきり記憶に残っている。総務にいたということで仕事面での関係というものは他の人たちと

違ってはいたが、それでも、トリオで働いていた当時の人たちの事は今でも忘れることはできな

い。人事にいたこともあってか、彼女がいた時の面々の名前も顔も全てはっきり覚えている。そ

んな彼らが今自分を呼んでいた。理由はよく分からないが、それでも彼女は何かを心に決めてい

た。

 

 酒井明徳は妻の存在を感じ取っていた。帰ってきたのかと、一瞬思ったがそれは正しくなかっ

た。妻が居なくなってから、家の中は乱雑になり、酒井の衣類は散らかり、食事の後始末もきれ

いにしていない始末だった。奈緒美がいなければ何もできない男であったが、何もしないのは妻

が居なくなってしまったことを自覚しようとしていたから。目の前で消えてしまった妻・・・?

それは、酒井にとってこのうえない辛さであった。

 その妻の存在が今間近で感じられた。ソファーで眠る自分の側を通り過ぎていったような感覚

だ。奈緒美は死んでいて幽霊となって自分のそばに来たのだろうか?いや違う。そんな無機質的

な冷たい感覚ではなかった。血の通った暖かい感覚であったのだ。そして、奈緒美は自分に声を

掛けていた。自分や仲間たちを助けてくれるように・・・。

───行かなくちゃいけないな。奈緒美がいるところに。

 酒井はすさんでいた気持ちを捨て、奈緒美の夫であることの意味を思い出していた。

 

 荻須克也は誰かに起こされたような気がして目を覚ました。隣の妻は何事もなかったようにぐ

っすり眠っている。彼女が起こしたようではない。では、誰なのか?それはすぐに分かった。彼

を呼び覚ました声にはハッキリとした記憶がある。あのやかましい喋り方は古井だ。でも、古井

は今行方不明のはずだ。彼は自分の目の前で消えてしまった。今だにあの時の事が理解出来ない

のだが、消えてしまった事だけは事実なのだ。その古井が今目の前にいて何かを話していた気が

した。古井だけではない、土田もいたし、藤井たちの先輩の姿や後輩の声も聞こえていた。

───消えちまった人たちが何で?そうか、俺を呼んでいるのか?

 荻須は今日までの不可解な現象をやっと理解できた。しかし、その答えを求めるためにはまだ

行かなければならないところがあることもやっと理解できたばかりだった。

 

 竹内正典は夢の中を彷徨っていた。それは、まるで雲の中を泳いでいるようであり、身動きが

思う通りに取れない感覚だった。だが、これは夢だという自覚はあった。しかし、その夢の意味

が分からない。この夢は自分の意志ではなく誰かが見させているような気がしていたのだ。

「竹内さーん、竹内さーん・・・」

 誰かが自分を呼んでいる声に気付き竹内は周りを見回した。白一色の中には何も見えないが声

のする方向が分かると、竹内はそちらに向け走った。雲をかき分けるように進むと目の前におぼ

ろげな人影が見えてくる。そして、その人影の正体に竹内は驚く以上に懐かしみを感じた。

「樋口君、樋口君じゃないか・・・。一体どうしたんだ?生き返ったのかい、それとも、まさか、

俺も死んだのか?」

「ははは・・・、竹内さん大丈夫だよ。ここは竹内さんの夢の中の世界、僕がこっちにやって来

たんだ」樋口昌洋は昔と変わらない笑顔で言った。

「俺の夢の中に来た?じゃ、樋口君は本物の樋口君なのかい?俺が勝手に作り上げたんじゃなく

て・・・」

「そうだよ。僕は本物さ、いわば、本物の幽霊ってとこかな、ははは・・・」

「樋口君、俺はずっと君に謝りたいと思っていたんだ、あの時のことを・・・」竹内は少しうつ

むき加減に言った。

「何を竹内さんが謝るんだい。悪いの僕の方だったんだ。罪を犯したの僕だ。竹内さんが謝るこ

とはないんだよ。僕こそ、竹内さんを苦しみ続けさせているようで申し訳なく思っているよ」

「樋口君・・・」樋口は悲しい瞳を見せた。彼が死んでいるなんて信じられないような人間味に

満ちた瞳だ。

「それで、何で俺の夢の中に来たんだい?何かあるのか?」

「そうさ、竹内君、君に大事なメッセージがあるんだ」樋口とは違う声が聞こえた。竹内はその

声の方向に向き直ると、そこにも驚くべき人物が立っていた。

「か、片岡さん、どうして?か、片岡さんも幽霊になってここに・・・?」

「はっはっはっ、幽霊と言われると、ちと困るな。でも、まあ、そういうふうにしか理解できな

いからしょうがないかもしれないね」片岡伸一は穏やかな表情で笑ってみせた。「それに、ここ

にきているのは僕だけじゃないんだ。本当は樋口君と僕だけで用は足りたんだけど、皆、竹内君

に会いたいといってね」

「えっ?」竹内は気配を感じて振り向くとそこには三人の男女がいた。

「鈴木さん、それに確か尾関君だったかな?そして、ああ、ケイちゃん・・・」竹内が今までに

経験した事件で別れてしまった面々がそこにはいた。心から懐かしく、そして決して忘れられな

い人たちだ。

「竹内君、久し振り、元気にしてたかい?」鈴木康弘は懐かしい笑顔を見せながら手を上げた。

「竹内さん、あまりお話をしていませんでしたが、あの時は有り難うございました。心から感謝

しています」尾関尚士も昔のようにどこか控えめな態度で言った。

 そして、林田恵は竹内のところまで歩み寄り、竹内を見つめると目に涙を浮かべた。「竹内さ

ん、お会いしたかったです。あの時のお礼が言いたくて、ここへ無理に来させてもらったのです。

でも、会えて良かった。本当に、ありがとうございました」

 竹内は生前の恵とは違うしおらしい彼女に当惑しつつも、再会を喜んだ。少なからずも好意を

抱いていた恵は悪辣な企みにより命を落とした。その事が竹内にとってずっと大きな心の痛みだ

ったのだ。「礼だなんて、俺はたいしたことは・・・。ただ、真実を見つけたかっただけだから

・・・、でも、元気そうで良かった。・・・って言っても、もう死んでいるんだら、変な言い方

だけど」

「ふっふっふ・・・、竹内さんもお変わりないようで嬉しいです」と、恵は手の甲で涙を拭った。

彼女も実体のない別の存在だなんて信じられないような実感があった。幽霊が涙を流すものだろ

うか?

 竹内が懐かしみに耽っていると、片岡がそれを引き戻した。「ところで、竹内君、我々がここ

に来たのは大事な用件があってのことだ」

「ええ、そうでしたね。それで、一体何のことなんです」

「いいか、竹内君、今君の住む世界、地上界は重大な危機に瀕している」片岡は真剣な顔でいっ

た。

「危機って、何のことです。確かに最近、天変地異みたいな現象が起こってはいますけど、その

ことがそんなに大きなことなのですか?」

「そうだ、竹内君。それらは単なる予兆でしかない。しかし、これから来ようとしているモノは

もっとすさまじいモノだ。日本がいや、地球がその時点から無くなるかもしれない大きな事なん

だ」鈴木も見たことのない真面目な顔だ。

「いやー、何かスケールが大きすぎてよく理解できないんですけど、一体何があるんです。地震

とか津波とかそういったものじゃないように聞こえますけど」

「そうです。そういった自然の脅威ではありません。別の次元から強大なモノがこの地球に来よ

うとしているのです」恵が説明した。

「強大なモノ?そんなモノがきてどうなるんです。そして、どうすればいいんです?」

「竹内さん、それを竹内さんに阻止してもらいたいんです。竹内さんの力で・・・」

「ちょ、ちょっと、待ってくれよ。樋口君、俺にそんなことが出来るわけがないだろう。そんな

わけのわからないものに、俺みたいな人間が対処できるわけない。それに、なぜ俺なんだ、なぜ

俺が・・・、そして、何で君達が俺の夢の中に・・・?」竹内は思考が混乱し始め、矢継ぎ早に

きいた。

「竹内さん、それはその敵にすでに立ち向かっている者たちがいるからだよ」樋口は続けた。「

そして、それが、僕らの仲間であり、竹内さんの仲間だからさ」

「仲間って、誰だい?誰もそんなこと言ってなかったけど・・・、まさか、・・・まさか、行方

不明になっている人たちのことかい?」竹内は樋口を見つめた。

「そうだよ、竹内さん。今、皆がその強大なモノと戦おうとしている。だけど、彼らの力だけじ

ゃ駄目なんだ。違う次元の世界での力だけじゃなくて、こっち側からの力を発揮しなくちゃ意味

がないんだ」

「力って、何の力なんだ。さっきもいったけど俺には特別な力なんかないぜ」

「いや、竹内君にはある。竹内君だけじゃない。僕らの仲間には皆あるはずだ。だから皆の力を

結集すればそれでいいんだ。竹内君をはじめ、皆がもっている心の力というものを・・・」片岡

が強く言った。

「心の力・・・。しかし、具体的にどうすればいいんです。皆を結集するったって時間がかかる

し、それに、どこに行けばいいのか?」

「大丈夫だ、それは彼らが直接教えてくれる。そして、そのことは竹内君以外の人々にもすでに

伝わっているはずだから、後は目的の為に進めばいいだけだよ」

「教えてくれるって・・・?どうやって・・・」

 樋口が言った。「ほら、聞こえるでしょう。皆の声が、そしてどうすればいいかも・・・。さ

あ、竹内さん、地上の、地球の運命は竹内さんたちに掛かっているんだ、だから、頑張ってね」

 樋口たちは用件を終えたのかその場を去ろうとしていた。尾関が消え、鈴木が消え、恵も雲の

中に吸い込まれるように消えていった。そして、片岡も樋口も笑顔を見せながら空を滑っていく

ように雲の中に取り囲まれた。

「おい、待ってくれ、俺はどうすればいいんだ、もっと、教えてくれ・・・」

 その時、竹内の耳に声が聞こえた。それは、竹内が捜し求めていた人たちの声であった。

───土田さん、青山さん、佐藤さん、一体どこにいるんだ。何が言いたいんだ?助けてくれっ

て・・・、でも、どうすれば、いいんだ?行ってくれって、どこに・・・?ここかい、ここにい

けば・・・。

 竹内はガバッと布団から飛び起きた。全身が汗でびっしょりなのがよく分かる。今のは、全部

夢だったのか?竹内は大きく息を吐いて、気持ちを落ちつかせた。亡くなった友や仲間に出会い、

そして、失踪中の仲間の声を聞いた。これが夢のはずがない。こんな現実的な夢は見たことがな

い。そして、最後に見た、霧のかかった場所の事が脳裏に焼きついていた。

───そこへ行けって言うのか?でも、そこはどこなんだ?そして、皆はどこにいるんだ。

 

         3

 

 翌朝、竹内はいつもの通り農協へ勤めに出たが、ここ何日かと同じようになかなか仕事が手に

付かない。仲間たちのことを思い描いていれば仕方のないことだが、特に今日は昨夜の夢のせい

もあってそのことばかりに考えを巡らせていた。あれは本当に夢だったのか?自分の心配や今ま

での出来事があれを見させたのか?仲間たちが失踪していることは間違いのない事実だ。しかし、

そのことが最近の異変に関わっていて、なおも、この大地に危機が迫っているということなど、

どう理解できるのだろうか?そして、心の中はなぜか落ちつかなかった。今は、ここにいる時で

はない。どこか目的のあるところに行かなければいけないという思いが心の片隅にあった。

 そんな時、始業してからすぐに最初の訪問者が現れた。筒井警部がここまで訪ねてくるのは異

例である。竹内は接客用の部屋に彼を案内した。

「筒井警部さん、わざわざこんなところまでいらっしゃるなんて」

「いえね、他に大きな事件がないもので、時間があるのですよ。それで、失踪の件に関して報告

しようと思いましてね」筒井はそう言ったが、申し訳なさそうな顔をした。

「そのお顔から察すると、あまり進展はないようですね」竹内は先制しておいた。

「まあ、実はそうなんです。ですから報告というよりはお詫びに伺ったに、等しいですがね」

「いえ、そんな。こちらこそ、厄介なことを持ち込んだようで。で、本当に何も進展がないので

すか?」竹内は一応きいてみた。

「ええ、本当にそうです。行方不明者の家族の人たちや友人にも、連絡を逐次入れているのです

が、一切連絡等はないようです。完全な音信普通です。それよりか、竹内さんの方には何かあり

ませんでしたか?竹内さんもいろいろ調査されているんでしょ」

「はあ、私の方も別にこれと言って・・・」竹内は昨夜の夢のことを話して見ようかとも思った

が、現実主義の筒井に言っても取り合ってくれないような気がしたのでやめておくことにした。

 その時、職員の女性が竹内を探しに来た。「竹内さん、お客様ですけど・・・」

「お客?筒井警部さん、ちょっと失礼します」竹内が職員に付いていくと、受付のところに二人

の女性が待っていた。

「香織ちゃんに神谷さん?どうしたんだい?」

「すいません、急に来たりして、でも相談したいことがあるんです」香織は竹内を見つめて言っ

た。

「ああ、いいんだけど。ここじゃなんだからこっちに来て。たぶん、消えてしまった人たちのこ

とだろう?ちょうど、刑事さんも来ているから一緒に話を聞こう」竹内は二人を案内した。刑事

と聞いて二人は驚いた顔をしたが、筒井に会うと安心した顔をした。彼女らも筒井のことは知っ

ていた。「乗鞍」の事件を思い出させはするが、竹内との活躍で信頼はおける人物であることは

承知していた。

 互いに挨拶をしてから、竹内が切りだした。「それで、話って?」

「あのー、実は・・・、変に思われるかもしれませんが、昨夜夢を見たんです」

 香織の「夢」という言葉に竹内は大きな反応をした。香織はそれに気付かず話を続けた。

「行方不明の人たちが出てきました。そして、何かを訴えているんです。助けを求めているよう

な。そして、どこかに来てくれと言っているような気がしました」

「竹内さん、私も同じ様な夢を見たんです。ですから、不思議に思って、竹内さんなら、何か知

っているかと思って・・・」神谷はこんな時でもゆっくりとした口調で話に追随した。

 竹内は瞬時返す言葉がなかった。あの夢を見たのは自分だけではない。この二人も同じ様な体

験をしているということは、あの夢には何か大きな意味があるのだ。「そうだったのか。実は僕

も君たちと同じ様な夢を見ているんだ。ただ、そのことが本当に夢なのか、それとも何かの意味

があるのか分からなくてずっと迷っていたんだけど、今、その話を聞いてやっと分かったよ。消

えてしまった皆が本当に僕らを呼んでいるんだ」

「た、竹内さん、夢って一体何のことです?」筒井は話についていけず、質問した。

 竹内は昨夜の夢のことをかいつまんで話した。香織たちはその話を聞くうち全く同じことを体

験したという意思表示を示していたが、筒井は信じられないという表情を表した。

「一体何がどうなっているんですかね?集団で人は消えるし、竹内さんたちは変な夢を見る。そ

して、それには最近あちこちで起こっている異変にも関係があるなんて。どう解釈すればいいや

ら・・・?」

「しかし、三人が同じ夢を見るなんて、そんな偶然がありますか?これにはきっと深い意味があ

るんですよ。常識では計れない何かが・・・」

「その通りでんな、あんたさんがたの夢は夢でおまへん。あれはメッセージなんですわ」関西弁

の高らかな声が部屋の中に聞こえてきた。全員がその方に向くと、そこには袈裟を来た若い坊主

が立っていた。

「宮崎さん、どうしてここに?それに、何で夢のことを知っているんだ?」

「それは、でんな・・・、ああ、これは刑事さん久しぶりでんな」

「あんた、いつかの坊主・・・」筒井は宮崎を見て渋い顔をした。以前の事件で筒井は彼のため

にとんでもないことに巻き込まれていた。まあ、筒井だけではなく、直接の被害は被っていない

香織と順子も怪訝な顔つきをした。「お嬢さん方も御無沙汰してまんな、また、今度飲みましょ

うや」と宮崎は微笑んだ。

「それで、本題に戻ってくれ」竹内は急かせた。

「そうでした。で、あんたさん方が見たというのは彼らのメッセージなんでっせ。彼らはどうや

らこの世界とは違う別の世界にいるようでんな。ところが、そこで何か大きなトラブルに巻き込

まれたみたいでっせ、具体的なことは言っても分からんと思いますんで、省きますがとにかく、

今度のことは我々だけの問題やなくて、この地球的規模の大きなことになっているようでっせ」

「宮崎さん、一体何が起ころうとしているんだ?夢の中の説明ではよく分からない。そんな、こ

の世が滅んでしまうような事が本当に起きるのか?」

「うーん、わてにも説明しようがありませんな。正直言って、わてもよく理解してまへんのや。

ただ、あんたさん方はどこかに行かなければいけないんでっしゃろ。だったら、ここでぐずぐず

しておらんと、早く行かなあかんのではないでっか?」

「確かにその通りだ。皆が来てくれという場所に行かなければいけない。こうしてはいられない

な」

「そうです。行きましょう。今すぐにも」香織が立ち上がった。

「ええ、行きましょう」順子も香織に続いた。

「ちょっと、待って下さい、竹内さん。一体に皆さんでどこへ行こうと言うのですか?さっき仰

った夢を追いかけようとでも?」筒井はいきり立っている彼らに尋ねた。

「そうです。あれは夢ではない。僕らに助けを求めていたんです。今から僕らは彼らの指示する

ところに行きます。そして彼らを救い、再会を果たすんです」竹内は力を込めて言い放った。も

う、迷いなんか全く無い。今は自らの意思で動こうとしていた。

「わ、分かりましたよ。本当は何のことかさっぱりですが、行方不明の人が発見されるなら、私

も付いていきます」

「では、行きましょう。宮崎さん、他の人たちにも連絡を取ったほうがいいかな?」

「いや、それは必要ないでっしゃろう。ここにおいでのお嬢さんたちも夢を見ていて、そのこと

を実現させようとしているんでっから、他の人たちも同じようにするはずでっせ。現場に行けば

きっと・・・」

「そうだな。皆を信じるしかないな。よし、すぐに出発だ」竹内は仕事もほっぽりだし、彼らを

引き連れて外に飛びだした。

 

「加藤君、良かった家にいてくれて・・・」

「森君か、久し振りだね、元気にしていた?」加藤は徹夜明けで眠っているところを森からの電

話で起こされた。

「ああ、元気だよ」

「あれっ、でも、今日、仕事は?平日のはずなのに」

「昨日今日と稲刈りだから仕事は有休にしているんだ。それに、今日は大事な用があって」

「大事な用?」疑問を投げかけながらも加藤にはその意味がすでに分かっていた。

「加藤君、変なことを言うようだけど、昨日何か変わった夢を見なかったかい?」

「夢?俺、徹夜で仕事してたから、さっき寝たばかりで・・・。でも、変な事はあったよ。車を

運転していたら、ウィンドウに不思議な映像が見えてね。びっくりしたけど」

「それって、もしかして、トリオの人が見えていなかった?」

「ああ、そうだよ。その通り。でも、なぜ分かったの?」

「僕も、トリオの人の夢を見たんだ。多分、加藤君と同じように佐藤さんや土田さんが何かを叫

んでいるのを見たんだ」

「確かに、同じだよ。それって、どういうことなんだ?」

「加藤君、その映像の中に何か景色が見えなかったかい?」

「ああ、見えた。森のような、霧のかかった森が・・・」

「そして、そこに行きたいと今でも思っているだろ?」

「そう、その通りだよ」

「僕も同じなんだ。だから、今からそこに行こうと思ってね。加藤君も、もしかしたらと思って

電話してみたんだ」

「実は俺も、森君に電話しようかなと思っていたんだけど、仕事に出ているだろうから、迷って

いたんだ。でも、それはどこなんだろう。行き先が分からないんだけど」

「行き先は分かるよ。何となく心に方向が浮かんでいるだろ」

「ああ・・・」

「じゃ、今から出掛けよう」

「分かった、それじゃ、森君の家まで迎えに行くよ」

「O.K待っているよ」

 加藤は眠気も吹っ飛ばして、家を飛びだした。

 

 谷口文彦は結婚後トリオを退職、別の仕事に付いていたが、今は単身赴任の身で埼玉に来てい

た。昨夜はよく眠れず、どうも頭がすっきりしない。何かもやもやしたものが頭の片隅に残って

いた。

───何か変だな・・・。どうして、昔の事が思い浮かぶんだろう。そして、何で森の事が気に

なるんだろう?

 谷口は終始そのことを考えていて、朝、仕事先に来ても作業に集中できなかった。そして、し

ばらくしてから谷口は責任者のところに出向いた。

「すいません、急なんですけど、ちょっと名古屋に帰らせてもらいます」

「どうしたんだ。何か家で不幸でもあったのか?」上司は心配そうな顔をした。

「ええ、まあ、そんなところで、とにかく、すいませんが帰らせてもらいます」谷口は上司の回

答も聞かず部屋を飛びだした。もう、心情としてはじっとしていられなかったのだ。スーツ姿で、

何も荷物を持たず、東京に向かう列車に飛び乗った。そして、東京駅から名古屋に向かったのだ

が、次の駅が「名古屋」ではなく、「浜松」に停車する「ひかり」を彼は選んでいた。

 

 大北幸子は旧友の和子に電話を入れた。「竹村、元気ー」

「あら、大北じゃない。久し振りね・・・。でも、竹村って呼ばれるのも変ね。もう、結婚した

んだから、その名字じゃないのに」

「そうね、けれど、その方が呼びやすいから」幸子は電話口で笑った。

「ところで、どうしたの?今は仕事場から電話?」

「違うの、今、桑名の駅の公衆電話なの・・・。これから、名古屋に向かうところ」

「今日は遅いのね」

「違うの、今からあるところに出掛けるのよ」

「あるところ?それってもしかして、昨日見た夢の・・・?」

「竹村も見たの、あの夢・・・!そう、やっぱりね・・・」幸子は受話器に向かって大きな声を

張り上げ、周りの人が変な目で見たが、それも気にしなかった。

「ねえー、私も行くわ。どうしても行きたいの。だから、一緒に」和子は訴えるように言った。

「分かっているわよ。だから、こうして電話したんじゃない」

「ありがとう、大北さん。じゃすぐに準備して出掛けるから、名古屋駅の新幹線の改札で待って

て、必ず行くから」

「いいわよ。待ってるから急いで・・・」幸子は受話器を置こうとしたが、もう一度口許に戻し

た。「ねー、金ちゃんも来れたらいいののね。でも、ちょっとドイツからじゃ無理かしら」

「そうね、日本に来るに遠すぎるけど、金ちゃんもきっと私たちと同じことを思っているはずよ。

だから、そばにいると思っていればいいわよ」和子はうわずった声で言った。

「そうね、きっとそうね、金ちゃんも、私たちの仲間だったから」幸子も涙声でそう答えた。

 

 江口英幸はいつものように職場に向かって車を走らせていたが、途中で車を側道に停車させた。

ハンドルに腕をもたれかけ、フロントガラスを見つめながら、しばらくじっと考え込んだ。そし

て、意を決したように車を反転させ、逆の方向に走らせた。しかし、家の方には向かわず、国道

との交差点まで来ると、江口は西の方に向かってアクセルをふかした。

 

 臼井啓恵は昨日の夢の事が気になり、旧友の美砂に電話をしてみた。彼女なら何か知っている

かもしれないと考えたからだが、だが、彼女は家にいなかった。確か今日は学校も休みだし、こ

んな朝早くから出掛けるはずもないのでいると思ったのに・・・。

 そのことが、啓恵を余計心配させた。確か昨日の夢の中に美砂もいたはずだ。となると、あの

夢は現実なのか?彼女やトリオの仲間たちが助けを求めているのは本当なのかしら?

 そう思うと、啓恵はいても立ってもいられなかった。彼女は一応会社に休むとだけ言っておい

て、すぐにも出掛ける支度に掛かり、名鉄の駅まで走っていった。

 

 美和子が出掛けようとした時、電話が鳴った。彼女はそれを無視して出掛けようかと思ったが、

瞬時考え、受話器を取ってみた。

「もしもし、古田さんですか?」相手は唐突にそう言った。

「ええ、古田・・・、余語ですけど、どちらさんですか・・・?あっ、もしかして、佐藤さん?

」美和子は声を聞いてすぐに相手が誰か分かった。

「そう、佐藤です。良かった、古田さんまだいたのね」佐藤の溜め息が受話器から聞こえてきた

「でも、私今から出掛けるところなの、急いでいるから、また、後で・・・」

「ねえねえ、古田さん、私も出掛けようとしていたしていたのよ。古田さんも、もしかして、夢

に見た森に行くつもり?」

「えっ、どうして、どうして、知っているの?それじゃ、佐藤さんも見たの、あの夢」

「そうよ。私も見たの。でも、それが本当のことかどうか分からなくて、だから、古田さんに確

かめようと思って・・・。そうなのね。やっぱり、正しかったんだわ」

「それなら、一緒に行きましょう。今から名古屋駅に向かうから、新幹線の改札口で待っている

わ」

「ええ、ありがとう。じゃ、今から行くから」

 二人は同時に電話を切り、家を飛びだした。

 

 寺村弘は朝いつも通り出向先に出向いたが、どうも落ちつかなった。そして、職場につくとす

ぐに同僚である和田のところに行った。

「和田君、昨日、何か変な夢を見なかったかい」

 その言葉に和田も驚いていたが、すぐにその意味を悟った顔になった。「寺村君も、そうなの

か?やはり、行方不明の人たちの夢だったかい?」

「そうだよ。その通り・・・」

「やっぱりそうか・・・。寺村君、今こうしてここにいる時じゃないみたいだね。すぐにあの夢

が指し示したところに行かないと」

「和田君もそう思うかい。僕も今日はどうしようかずっと、迷っていたんだけど・・・、よし、

今から行こう。仕事なんかしていられない」寺村はそう言い、出掛けることにした。

「それじゃ、僕もそうする。だた、一旦、家に帰って、千尋も連れていかなきゃいけないから、

先に行っててくれ、すぐに追いつくから」

「分かったよ。それじゃ、後で」寺村が先に事務所を出て、和田は家に電話を入れた。

「今から帰るよ。そして、すぐに出掛けよう。昨日見た場所に」和田は千尋の「ありがとう」と

いう声を聞いてから受話器を置いて部屋を飛びだした。

 

 是洞部長は不思議そうな顔をして電話を置いた。それを見ていた木下は「どうしたのかね?」

とすぐに尋ねた。

「いえね、今日は変な日だと思いまして。今朝、臼井さんから今日は休むと電話があったと思っ

たら、さっきは寺村君から早退するって電話で、今は和田君からも早退するって掛かってきたん

ですよ。それに、白井君も今日は徹夜明けだから有休にさせてくれって、野尻君からきいている

んでね。今日は皆何をしているのかと思いましてね。行方不明の人たちもいるし、彼ら裏で何か

企んでいるんじゃないですかね」是洞は皮肉った言い方をした。

「いや、何も悪いことを考えているとは思えないけど。ただ、彼らは何か目的があるような気が

する。私には何となくそんな気がするんだがね」木下は全てが分かっているような暖かい顔つき

をした。

「社長、何か御存知なのですか?」

「いや、私は何も知らない。けれど、私はトリオの人間も、そしてすでに辞めてしまった人たち

も信頼しているだけなんだよ」

 是洞には木下が何を言おうとしているのか分からない。けれど、社長の言葉には説得力がある

のを是洞は思い知らされた。

 

 竹内は自分の車に香織と順子、それに宮崎と筒井を乗せ東名高速道路を走っていた。なぜ、こ

っちに向かうのか、その明確な理由は言葉に出せないのだが、心の感覚というか見えない力のよ

うな物が彼を導いているのは確かだった。

 筒井は助手席に座ったまま、黙って前を見ている。これ以上竹内や彼女たちに対しては何もき

こうとはしなかった。竹内には筒井が何もかも理解しているとは思えなかったが、刑事という職

業から全て自分の目で確かめるという意思が彼を一緒に来させたものだと憶測していた。

 宮崎は後部シートで毎度のごとく女の子にちょっかいを出してはいるが、今日はいつもと違っ

てどこか張りのない感じで、彼らしい精彩さを見いだせなかった。それよりも、これから起ころ

うとしている出来事に対し、恐れを抱いていて、それを隠そうとしているがごとく、わざと彼女

らを和ませようとし、なおも自分自身にも虚勢を張っているように竹内は見えた。

 この男がそんなふうに見えるなんて、竹内には信じられなかった。だが、その事が自分たちが

立ち向かおうとしている出来事を、より大きな物にしていることに竹内は気付き、心の中で震え

ていた。だが、恐れてなどはいられない。彼らのために行かなければならないからだ。

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください