このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

トゥリダンの逆襲

 

    第 十 五 章      死 闘

 

         1

 

 美和子は真里を待つため、名古屋駅の新幹線改札口前にあるマルチスクリーンのところに立っ

ていた。新幹線の待ち合わせ場所として多くの人がこの場にたむろしている。美和子はきょろき

ょろしながら、真里の来るのを待ちわびていた。

 その時、背後から声を掛けられ美和子は振り返った。

「やっぱり、古田さんじゃない。久しぶりね」

「あっ、大北さんですか?本当にお久しぶりです。こんなところで会うなんてびっくりしちゃっ

いますよ。でも、どうしたんですか?どこかにお出かけでも?」

「うん、ちょっとね・・・。そういう古田さんもお出かけなの?」幸子はそう言いながら何か見

えない糸があることを感じた。「ねー、古田さん、ここで会ったこと偶然だと思う?」

「えっ、どういう意味ですか?これが、偶然じゃないって?」

「それはね、私たち同じ目的があるんじゃないかと思って・・・」

「それじゃ、大北さん、もしかして、昨日,夢を見ませんでしたか?それもトリオの人たちが出

てきた夢を」

「やっぱりそうなの!古田さんも見たのね。私もそうなのよ、昨夜の夢にはトリオで出会った人

たちが助けを求めているようなことを言っていたの」

「同じです。何もかも。それじゃ、大北さんも夢の中に現れた場所に、行こうとしているのです

か?」

「そうよ。どこにあるのか分からないんだけど、どうしてもそこに行かないといけない気がして。

それで、ここで竹村さんを待っていたら、古田さんを見つけたの」

「竹村さんも来るのですか?実は私は佐藤真里さんを待っているんです」

「そうなの、皆同じ夢を見ているのね。ほら、竹ちゃんが来たわ。あれ、真里ちゃんも一緒じゃ

ない」幸子が見た方向から二人の女性が走ってきた。

「待ったー、御免ね、電車が遅れて、あれっ、古田さんじゃない?どうしたの?」

「竹村さん、お久しぶりです」美和子が挨拶した。

「そっちこそ、真里ちゃんと一緒じゃない」幸子が尋ねると「そうなの。名鉄の駅でばったり会

って、私と同じように新幹線の改札行くって言うから、驚いたのよ」

「私も、竹村さんから声を掛けられて、びっくりしたんです」真里が、か細い声で言った。

「どうやら、皆同じ目的のようね。これは、偶然なんかじゃなくて、何かの導きなのかしら?」

幸子がそう言うと、三人とも静かにうなずいた。

「それじゃ、急ぎましょう。何か時間が無いような気がしますから」真里がそう言うと四人は新

幹線に乗るため、切符を買いに切符売場に向かった。そしてそこでも不思議な邂逅が起こった。

「中嶋さんに、光永さんじゃないですか」美和子が声をかけた。

「えっ、あれっ、古田さんに竹村さん、どうしたの?」孝江の方も驚いた表情をみせた。

「もしかして、皆さんも夢を・・・?」かおるが確信のある顔つきをした。

「そうよ。私たちも夢を見たの。それで、その夢が告げた場所に行こうとしているの」和子も確

信に満ちた顔をした。

「ところで、中嶋さんたちはどこまでの切符を買ったんですか?」幸子の質問は自分たちがどこ

かに行こうと思っているのに、その行き先が分からないという不思議な自問自答である。

「それが、変なの。私たちはどこに行くのか分からないのに、この新幹線の乗り場に来て、そし

て切符を買ったわ。行き先は浜松。なぜか、浜松までの切符を買ってしまったの」

「そうですか、私も、どこまでの切符を買えばいいのかって、ふと上の運賃案内板を見た時、浜

松というのが目に入ったの。そこへ行けばいいんだと、心の中で誰かが叫んだみたいに」幸子が

そう言うと、真里たちもそうだと言うようにうなずいた。

「浜松に何があるのかしら。行方不明になった人たちがそこにいるのかしら?」中嶋そう言うと

「行方不明ってどういうことなんです?」と美和子たちは驚いていた。

「あっそうか、古田さんたちは知らなかったんだ」孝江は失踪事件のことを説明したが、それは

筒井警部からの概略だけであり、詳しい状況は話せなかった。だが、その事実だけでも和子たち

は驚きと同時にこの不思議な導きの真意を理解しはじめていた。

「それじゃ、トリオの人たちが浜松にいるのかしら?」真里がそう問いかけたが、かおるは「浜

松はただの中継点のような気がします。だって、夢に出てきたところは霧のかかった森ですから

」と言い、皆もその事が正しいことを悟っていった。

 こだま号が間もなく到着するというアナウンスが流れたので、六人は「急ぎましょう」という

幸子の言葉で改札に走り、上りのホームへ駆け登った。

 その彼女たちが登った階段とは反対側のところにみゆきが、そして、ホームの前方には啓恵が

入ってくる列車を待っていた。

 

 その入口は巨大な穴であり、その奥には漆黒の闇が無限のような奈落に向かっていた。ジーケ

ンイット、フーミ、コトブー、ノーマ、ヒヨーロ、そして悦子たち十三人とエーグを筆頭にした

二十名ほどの警備隊の兵士がその前にたたずんでいた。虚像ではあったがトゥリダンの借りの姿

である怪物がこの穴から現れては無意味な生贄を襲っていたのだ。

 先頭にいたジーケンイットは振り向いて皆を眺めた。「ここからは、もう敵の手の内に入る。

何が起こるか分からないし、魔女のことだ、何か仕掛けてくるかもしれない。だが、もう引き返

すことは出来ない。我々はトーセだけでなく、この大陸、そして、エツコたちの故郷までもを巻

き込んだ、人類の命運をかけた戦いをしなければいけない。そして、我々はトゥリダンに勝たな

くてはいけないのだ。私は勝利を信じている。ここに集った者たちを信頼すれば何も怖いものは

ない。では、出発する」

 ジーケンイットの掛け声と共に警備隊の兵たちが一斉に松明の明かりを灯した。奥に向かって

光を照らしだすが、闇は光をも吸収してしまうかのように静かに彼らを待ち受けているだけだ。

一歩一歩進む度に入口からの地上の光が失われていき、前方も後方も区別の付かない暗黒の世界

に彼らは踏み込んでいった。

 悦子は本来暗闇は大の苦手で、例え大勢の人間と一緒でもできるなら避けたいといつも思って

いる臆病な性格であった。だが、今の彼女は違った。掌の中に握っている竜玉のせいもあるのだ

が、彼女自身の心が闇を恐れていなかった。娘の為に、そして、故郷の為に。そういった思いは

彼女の弱さを払拭し、母親としての、真の女性としての強さを見せつけていた。

 一行の中にはノーマもいた。ジーケンイットは来ることはないと言ったのだが、ジーケンイッ

トに逆らったことのないノーマが付いていくと言い張った。トーセを含めたこの世界や悦子たち

の世界に破滅の危機が迫っているのに黙って見ていることはできなかった。そして、他にも理由

はあった。

 ノーマのそばに土田が寄ってきて、小声で彼女に話しかけた。「ノーマさん、我々のために悲

しい思いをさせてしまって申し訳ありません。お祖母さんの事、お悔み申し上げます」

「えっ・・・、どうしてそのことを御存知なのですか?」ノーマは土田を見つめた。

「はい、さっき竜玉の知識を真野さんからノーマさんを通して受け入れた時、お祖母さんが亡く

なられたことも受け取ってしまったんです。多分、ノーマさんには衝撃的な出来事だったので、

僕の中に伝わってしまったのでしょう」

「そうですか。ありがとうございます。祖母は私にとっての唯一の肉親でした。祖母を亡くした

ことはもちろん悲しいですけれど、私は賢者であり、祖母の意志を受け継いでいます。ですから、

祖母の死を無駄にしないように、私も賢者としての務めを果たすつもりです」ノーマは少しだけ

悲しそうな瞳を見せたが、すぐにも賢者であることを見せつける光をたぎらせた。

「ノーマさんは強い方ですね。僕も祖父母を子供の頃になくしていますし、大人になってからも

大切な友人を亡くしています。ですから、死というものの辛さは分かっているつもりです。特に

友人の死は僕にとって大きな痛手でした。そこから立ち直るのには精神的に苦労したものです。

そんな僕に比べると、ノーマさんは強い人です」

「ツチダーさん、人間は死と直面しながらその意味を知り、人間としての心を形成させていくも

のだと思います。その死の痛みが分かる方こそ、生きることの意味を大事にするのです。死に勝

つことはできません。その悲しみも避けることはできないのです。けれど、それを自分の生に変

えて、生きている者の義務を果たさなければいけないのではないでしょうか。人間は弱い心の持

ち主です。私だって変わりありません。祖母の死は本当は辛いのですが、皆さんのような素晴ら

し方々との出会いが私を励ましてくれたのだと思っています。生きていくことの希望を決して失

わないあなた方を見ていれば、私でも強くなれます」ノーマは土田の手を握った。

「ノーマさん」土田は驚いて声をあげた。

「ツチダーさん、慰めていただいてありがとうございます。でも、今はお互いの世界を救うため

に弱い心は消し去りましょう。ですから、このことはジーケンイット様や他の方々には言わない

でいただきたいのです」

「分かっています」土田もノーマの手を握り返して、強く頷いてみせた。

 

 洞窟は中に進むほど狭くなっていった。入り口は巨大なトンネルほどの大きさがあったのに今

では人の背丈ほどしかなく、長身の青山たちは少し屈まなければならないほどだ。

「こんなに狭いところとはなー。つまり、毎年この洞窟から出てきたトゥリダンが本物でなかっ

たということがハッキリしたな」コトブーがそうもらした。

「コトブー、さっき、エツコたちが話し合っていたことの意味がお前には分かったか?彼女らの

星とはなんなのだ、チーアから来たのではなかったのか?」ジーケンイットは理解しがたい悦子

たちの素性に疑問を持っていた。

「んー、ジーケンイットには理解できない事かもしれないが、エツコたちは異なる世界から来て

いるんだ。この世界と似た別の世界からな。だから、彼女たちには不思議な力があるんだ」

「別の世界・・・?トーセやチーア、ワミカ以外にも街や大陸があるということなのか?」

「まあ、そういうことだな」コトブーは笑ってみせた。コトブーにはノーマと同じように悦子た

ちがどこからきたのか分かっていた。自分たちとは違う世界があることに気付き、驚いてはいた

のだが、人間はどの世界でも変わらないことも知っていた。数年前まで一人で生きてきたコトブ

ーは悦子の影響で様々な変化を伴っている。トーセの街の人間と知り合えただけでなく、未知の

世界の信頼できる人たちと出会えたことは、人間の良さというものを教えてくれたような気がす

る。後ろにいるヒヨーロも彼には大事な女性だった。だが、今はコトブーを変えてくれた悦子た

ちのために命を賭けて戦う決意を固めていた。

 後方から女性の悲鳴が聞こえ、先頭にいたジーケンイットたちは何事かと振り返った。松明を

声の方向に向けると、そこには奈緒美を片腕で捕らえ、剣を喉元に突きつけているジーフミッキ

が立っていた。

「ジーフミッキ、何をする!その女性を離せ!」ジーケンイットは叫びながら剣を抜いた。

「ジーケンイット、さっきの勝負を付けにきた。一対一でここに来い。他の者はここから去らせ

ろ。さもなくば、この女を殺す」ジーフミッキは有無を言わさない態度を示した。

「お父様、もうお止めください。そのような事は、もう・・・」ヒヨーロが涙声で訴えたが、ジ

ーフミッキはそれを無視するように「どうするんだ、ジーケンイット!」と迫った。

「くっそー、松浦さんが捕まったのなら、どうにかなるのに、脇田さんではなー」古井が小声で

つぶやくと、隣にいた美砂は顔をたぎらせていた。「どういう意味よ。それは」

「分かった。お前の言う通りにする」ジーケンイットはそう言い、コトブーを呼んだ。「コトブ

ー、こうなったら仕方がない。ひとまずお前とエーグで先に進んでいてくれ。私も奴との決着を

付けたらすぐに行く」

「ジーケンイット、いいのか?」

「ああ、ジーフミッキとは雌雄を決しなければ行けない運命なんだろう。それと、ヒヨーロのこ

とも頼んだぞ。彼女には過酷な事かも知れぬが、私も王子として法には従い、犯罪者を捕らえな

ければいけない」

「分かった。後は任してくれ、先で待っているからすぐに来いよ」コトブーはエーグのところに

行き、ジーケンイットの指示を伝えた。

 ジーケンイットは列の中を通って、ジーフミッキの前に進み出た。途中でヒヨーロが近寄って

きたのだが、コトブーが彼女を取り押さえ、この場を離れるように半ば強制的に連れ去った。悦

子たちもこの状況に右往左往していたが、ジーケンイットの指示に従うしかない。

「さあ、その女性を離すんだ」

 ジーフミッキから解放された奈緒美はジーケンイットのところまで走ってきて、待っていた藤

井とコトブーたちを追った。その前に藤井は「王子さん、先に待ってます。必ず来てください」

と言い残すと、ジーケンイットは「大丈夫だ。私を信頼しろ。マブダチだろ」と快心の笑みを見

せた。

「さあ、ジーフミッキ、これで二人っきりだ。もう邪魔は入らない」

「ああ、望むところだ」

「だがな、ジーフミッキ、今はこのような無益な戦いをしている場合ではないのだ。このトーセ

が、この大陸が存続の危機にある。それはお前も分かっているだろう?だから、今は剣を置け」

「それはできん相談だな。さっきも言ったが、今の私にはお前を倒すことしかもう残っていない。

この街を支配するなど、いまさら無理なことは分かっている。魔女の力を借りたのもきさまとの

決着を付けるためなのさ」ジーフミッキはジーケンイットから目を離さないよう視線を釘付けに

した。

「そんな自分の願望だけで動いていたのか、きさまに煽動された囚人たちは何のためにお前に従

っていたんだ」

「所詮やつらは頭の弱いできそこないだ。どうなろうと私には関係ない。どのみちコーキマから

は二度と出れない身の奴らだったんだ。最後に新鮮な空気が吸えてよかったんじゃないのか」

「ジーフミッキ、元軍人としての心までも無くしたのか。ならば、ヒヨーロのことはどうなる。

彼女はお前のために苦しんできたんだぞ、もうこれ以上彼女を苦しめるな。お前は彼女の父なの

だぞ」ジーケンイットはヒヨーロのことは言いたくなかったが、言わずにはいられなかった。

「娘のことは持ち出すな!もう、ヒヨーロのことは忘れた。もう私とはかかわりのない人間だ」

「ジーフミッキ、きさまそこまで性根が腐ってしまったのか?お前の心にはもう人間としての思

いやりのかけらも残っていないのか?完全に魔女に毒されてしまったな。ならば仕方がない。も

う容赦はしない、私はお前を王家の敵として討つ」

 ジーケンイットは躊躇せず、剣を持ち替えて突き進んだ。ジーフミッキも待つことなく動きだ

した。

 

 ジーケンイットを残して一行は先に進んだ。コトブーを先頭にし、後方の安全を確保するため

にエーグが最後尾についた。この洞窟はどこに抜け道があるかわからない。ジーフミッキが突然

現れたように、ギオスやルフイが襲ってこないか警戒していた。

 ヒヨーロはコトブーに手を引っ張られるような形で歩いていた。彼女は後ろを何度も振り向き

父のことを気にかけて、腕を振りほどこうとしたが、コトブーは力強い手で離そうとはしなかっ

た。

「コトブー、お願いです。行かせてください」

「駄目だ。ジーケンイットに任せておくんだ。お前には辛い事かもしれないが、もうジーフミッ

キのことは忘れるんだ」コトブーは前を見ながら強い口調で言った。

 ヒヨーロは黙りこくり、そのまま進んだが、コトブーの手の力が緩んだ瞬間に、それを断ち切

り、今来た道に向かっていった。「許して、コトブー、私には父の事を放っておけないの」

「ヒヨーロ、よすんだ!エーグ、彼女を止めろ!」コトブーが叫んだので、エーグは訳も分から

ず走ってくるヒヨーロの進路を阻もうとしたが、彼女はモノともしない動きでそれを交わし、暗

闇の中に戻っていった。

 

 東名高速道路には一日に何万台ものの車が行き来している。その目的地は千差万別で、全く同

じ場所に向かう車などはトラックや集団の観光でもない限り、滅多にはない。だが、今この高速

上の車の流れの中に、同じ目的地へ向かう車が数台あった。それらは、現在数キロは離れた位置

を走っており、互いに他の車が走っていることを気付いていない。それ以上に彼らはどこに向け

て走っているのかさえも明確には分かっていなかった。だた、この方向に行けば目的地に行ける

のだろうと、心の中の思いがそのままハンドルを操作させているた。彼らはその導きに従ってい

るだけだった。

 

 ひとみは慣れない車の運転にびくついていたが、今の彼女はそんなことも気にかけている事は

できなかった。追越し車線を無理な走りで運転し、たまにクラクションを鳴らされていたが、ひ

たすら夫のためを思ってこの高速道を走らせている。最終目的地はどこなのか?ひとみはずっと

考えていたがハッキリとは分からない。ただ、夫が待っている場所を目指しているだけだった。

 

 荻須は愛車を飛ばしていた。トリオの中では一番遠い所に住む彼は瑞浪のインターから中央道

をひた走り、東名に入っていた。普段から高速道は飛ばす荻須だったが、今日はいつも以上に飛

ばしていた。オービスのある位置もだいたいは知っていたが、今日はそんなことも無視だ。今は

道を急ぐ思いしか彼にはなかった。

 

 和田は駅まで千尋に迎えに来てもらってから、運転を替わってそのまま高速道に乗った。

千尋は朝からいても立ってもいられない状態で、和田からの電話を待っていたようなものであっ

た。その連絡があり、千尋はいさんで子供を妹のところの預けてからすぐに駅へ向かっていた。

「ちょっと、遅くなったみたいだけど、大丈夫かな」和田は不安げに言った。

「ええ、それは気になるわね。やっぱ朝から出掛ける支度をしておいた方がよかったみたい」

「ああ、そうだね。僕が少し確信を持てなかったから、もたもたしてしまったけど、寺村君も同

じ夢を見たって言っていたから、間違いはないと思ってね」

「寺村さんも見たの?じゃ、他にもあの夢を見た人がいるのかしら」

「いるかもしれないな。まあ、それは行ってみれば分かると思うよ」

「ところで、どこへ私たちは行こうとしているのかしら?あなたは行き先が分かっているの?」

「うーん、どこへという具体的なことは分からないけど、こっちへ行けばいいっていう感覚があ

るんだよな」

「私もそう。この方向が正しいっていうことしか、今は分からないけど」

 和田の車の数キロ前を寺村の車が走っていた。一度家に帰ってから、車に飛び乗ったのだ。家

に帰ると妻は「どうしたの」と驚いた顔をしていたが、寺村は「大事な用があるんだ」とだけ言

い残して、着替えもせずに家を出た。何が自分をそうさせているのか寺村にも分からなかったが、

今はその事をしなければいけないという一心だけで突っ走っていた。

 

 ジーケンイットとジーフミッキの戦いは熾烈を極めていた。どちらも、渾身の力を込め一歩も

引かない剣さばきで互角の戦いをみせていた。ジーケンイットはトーセを守る正義のために、ジ

ーフミッキは自分の復讐心を成就させるためにと、相反する思いの中で剣を絡めている。松明が

転がっているだけの薄暗い洞窟の中に、剣が絡む音がこだまし、それと共に起きる火花が一瞬の

きらめきの中で二人の男の顔が照らしだされていた。

「ジーフミッキ、お前はなぜそうも変わってしまったのだ。軍人という規律と精神を尊ぶ者が、

なぜだ」ジーケンイットは息を切らしながらも言った。

「そう、私は軍人だ。軍という機構を統率する者はその頂点を極めなければならない。人の上に

立ってこそ、私という人間の価値があるのだ。その為には王家は邪魔なのだ。すでに、数百年、

街人の上に立って、権力を掌握しその力をただ単に子孫に伝えていくだけの体制が私には許せな

い。権力は自分の手で勝ち取る物なのだ。お前のように生まれた時から決められた人生など、ど

こが面白いのだ。私は自分の生き方を自分で決め、それを実行しているだけなのだ!」ジーフミ

ッキは一歩下がり、肩で息をしながら間合いを取った。

「何を言うか!自分の欲望の為に人を犠牲にしていくことが許されるというのか?そんな経過で

築き上げられた政治など街の人間が支持するとでも思うのか?確かに私は王家に生まれ何不自由

なく暮らしてきた。街の中で働いている者よりは贅沢な生活ではあろう。だが、私は自分の役割

というものを心得ているつもりだ。街の人々のためになろうとしてきたのだ」

「そんなものは偽善だ。権力者の自惚れに過ぎない。私はそう言ったものを一切変える。権力者

は力のある者がなるべきであり、力のある者はそれを配下の者に分からせて、従わせればいいの

だ。お前のような考えを今後も続けていけば、また私のような者がきっと現れるぞ。その時にな

って後悔するな」ジーフミッキは眼光を鋭くさせた。

「ジーフミッキ、お前の心は毒されてしまったな。きっと、トゥリダンがお前の心の隙に入り込

んだのだろう。わずかな野心を持っていた心をトゥリダンに見透かされたのだな」

「何のことだ。私はトゥリダンの操り人形ではない。確かに、トゥリダンの声に従い、私は魔女

を復活させた。だが、それは私が自由の身になるための手段であり、トゥリダンに服従したわけ

ではない。魔女の復活とて、私はすでに策をとってある。魔女でさえ私にはかなわないのだ」

「愚かな、お前は自分が気付かないうちにトゥリダンによってその心を支配されていたんだ。お

前が五年前に反旗を翻した時にはすでに、トゥリダンはお前の心に入り込んでいた。だから、あ

のようなことをお前はしたんだ。お前が気がつかないうちにな」

「何だと、私が気でも狂い、自分の意志では動いていないとでも言うのか」

「そうだ、ならば、なぜヒヨーロのことを忘れるなどと言うのだ。お前とて人の親、自分の娘の

事を忘れられるのか?」

「黙れ、ヒヨーロは私に従わず、しかも、裏切ってきさまの下に付いた。そんな娘を私は認めな

い。例え娘だろうと私に歯向かうものは容赦しない」

「ジーフミッキ、もうお前の心は元に戻らないようだな。ならば、私がお前を仕留める」ジーケ

ンイットはそう言いながら再び攻撃を始めた。

「返り討ちにしてやる、ジーケンイット」ジーフミッキも剣を持ち替え、大きく踏み出た。

 鋭い音を立てて剣が重なり、血走った眼の二人の顔が接近した。悪に対する怒りと正義に対す

る憎しみが交差し、互いの力が剣から全身に伝わってくる。ジーフミッキは一度力を緩め、剣を

引くように見せかけながら、すぐにも剣を突き出した。ジーケンイットもその動きは看破してお

り、慌てることなく剣を交わし、ジーフミッキが隙を見せた瞬間を見逃さなかった。ジーケンイ

ットは右手でジーフミッキの剣を交わしながら、左手の方でジーフミッキの脇腹目掛けて強烈な

一撃を食らわした。その痛みにジーフミッキはたじろぎ、体勢を崩して前屈み加減になり、視線

をジーケンイットから離してしまった。この優勢をジーケンイットは逃さず、今度はジーフミッ

キの顔面目掛け左腕を伸ばした。さすがのジーフミッキもそれをまともに受けては一たまりもな

く、後方に仰け反る形で足元がふらつき、前後の方向感覚を見失ったほどだ。なおも、ジーケン

イットは剣を突き出し、ジーフミッキの剣を絡めてそれをはたき落とし、地面に転がるとすぐに

それを蹴って奥の方にあった岩場の隙間に落とした。

 ジーケンイットは倒れ込んだジーフミッキの喉元に剣を突き付け、彼を見下した。やっと苦痛

が去ったが、不覚を取られたジーフミッキも、こうなっては身動きが取れない。「おのれ、私の

負けだ。さっさとけりをつけろ」ジーフミッキは覚悟を決めた。

「ならば、望み通りに・・・」ジーケンイットは一瞬躊躇ったが、この男はすでに人間を捨てて

いる。このまま、生かしたところで更正するはずもないだろうし、ジーフミッキ自身が負けを認

めれば、それは自分の死を意味することだと分かっているはずと迷いを断ち切った。

 ジーケンイットは剣を振り上げ、剣を握り直し、無の胸中で振り下ろした。だが、それを邪魔

する剣が横から飛び出し、振り下ろした剣を食い止めた。

「ヒヨーロ、何をする!」

 力強いジーケンイットの剣を受け止めたヒヨーロの剣は小刻みに振るえていた。ヒヨーロは剣

を止めることに全身の力を注いでいるため、歯を食いしばるような苦痛を見せていたが、それと

同時に彼女の瞳からは涙の滴が溢れていた。

「ジーケンイット様、お許しください。たとえ反逆者の烙印を押されたとはいえ、ジーフミッキ

は私の父に変わりありません。どのような悪事を働こうとも、私には唯一の肉親であり、かけが

えのない父なのです。ですから、目の前で父が死ぬようなことを私は見過ごすことができないの

です」

 ジーフミッキはヒヨーロを見上げたまま、黙っていた。ジーケンイットは振り下ろした剣を手

元に持ち替え、ヒヨーロを見入った。

「私は自分の手で父を討つことを考えていました。ですから、今日までコトブーやターニにさま

ざまな戦いの方法を教わってきたのです。ですが、父を目の前にすると、私の決意も揺らいでし

まいました。父が死を迎えようとする瞬間、私の体は心の衝動により動いてしまったのです。ジ

ーケンイット様、無礼なお願いとは思いますが、どうか、父を許してやってください。どうか・

・・、父の罪は私が償います。ですから、命だけは・・・」

「ヒヨーロ・・・」ジーフミッキがはじめて口を開いた。「私に生き恥をさらせと言うのか?こ

のままおめおめと生き延びて、日陰の中で暮らしていけと。そんなことが私にできるか?ジーケ

ンイット、ヒヨーロの言葉は聞くな。早くやれ!」ジーフミッキはヒヨーロを腕で振り払い、ジ

ーケンイットの前に体をさらした。

 ヒヨーロは二人の間に割って入り、ジーフミッキを体で止めよとした。「お父様、どうか生き

てください。母のなかった私はお父様に育てられました。そのことは心より感謝しております。

私は、何もお父様にしてあげられませんでしたが、これが私にできる精一杯のことです。どうか、

お願いです。私をもう一人にしないでください」

「ヒヨーロ・・・」ジーフミッキは娘であるヒヨーロを見つめた。長かった髪を切り、美しかっ

た顔立ちも今は意思の強さを表すような逞しいさが覗けた。ジーフミッキは娘だけは大事にして

いた。五年間も会っていないうちに、彼女はすっかり立派な大人に成長しており、自分の意思で

物事を考えている。だが、その優しさだけは変わっていない。子供のころからの人を思う心は今

も同じであった。

───母に似てきたな。容姿だけでなく、その心も・・・・。

 こんな近くで娘を見たことがあっただろうか。こんな美しい瞳を持っていたなんて全く知らな

かった。まだ、彼女が幼いころ、抱きかかえてやった時に見たのと同じ瞳だ。自分が父親として

何もしてやれなかったことが、今この場で胸の中に込み上げてくる。ヒヨーロを見ていると、ジ

ーフミッキは心の中にすどっていた魔のようなモノが、抜けて消えていく感覚があるのを感じて

いた。一体自分は今まで何をしていたのか?なぜ、このような野心に燃えていたのだろうか?父

親であることを思い出した今、ジーフミッキは一人の人間に戻っていた。

「ヒヨーロ、お前は昔と変わらぬな。姿はしばらく見ないうちに変わってしまったが、お前の中

身は変わっていない。男手一つで育てたのに、お前は美しくなった。こうしてお前を見ることが

できて私は嬉しい・・・。だが、私は大きな罪を犯してきた。今更それを悔いても仕方がない。

私の心には何か魔物のようなモノが住み着いていたようだ。しかし、それは単なる言い訳かもし

れない。私の中に魔物に付け込まれるような隙があったのだろう。自分の力を過信していたよう

だ」ジーフミッキはヒヨーロから視線を外すと、ジーケンイットを見つめた。「ジーケンイット、

私を罰しろ、お前の剣で、私を・・・。ただし、ヒヨーロには何も罪はない。このことは目をつ

ぶってくれ」

「分かっている。ジーフミッキ、今までの罪を悔い改めろ。そして、死してその罪を償え」ジー

ケンイットは剣を構えなおし剣先をジーフミッキに向けた。

「止めてください、ジーフミッキ様!」ヒヨーロが止めに入ろうとしたが、ジーフミッキは娘を

突き飛ばして、「さあ、やれ!」と覚悟を決めた。

 ジーケンイットは力を込めて剣を突き出した。

 

         2

 

 裕予は滅多に車に乗らないために車をどう扱っておけばいいのかということを失念していた。

とにかく、実家に子供を預けてから名古屋高速に乗り東名高速道にそのまま乗り込んだ。そのこ

とは、スタンドという建物が目に入らないという原因になり、ガス欠という事態が目前に迫って

いることにまったく気づいていなかったのだ。気が付いた時には遅かった。スタンドがあるサー

ビスエリアの東郷はとうに過ぎ去っており、次のスタンド付きサービスエリアである浜名湖はま

だ遠い。だが、それ以上にすでにガソリンの量は限界にきておりインターチェンジで降りて近く

のスタンドに行くことも無理なほどであった。

 急いでいる時に限ってこうだ。ガソリンぐらいちゃんと入れておけよと夫に文句の一つでも言

いたかったが、今はその夫のためにこうして先を急いでいるのだ。車がノッキングしだし、後ろ

からクラクションを鳴らされ始めたので、裕予は路肩に車を寄せ、非常用の電話まで歩いていこ

うと車を降りた。苛立ちと悲しみで虚ろに歩いていると、クラクションを鳴らして彼女の前方に

止まる車があった。裕予は何だろうと足を止めると、車から男が降りてきた。

「やっぱり、渡辺さんでしたか!前に車が止まっていて、人が歩いているのを見たのですけど、

何か気になりましてね」

「酒井君じゃない、どうしたの?」裕予は驚きの声を上げた。

「ええ、ちょっと、出かけるんです」

「どこに?」

「それが、よく分からないんですけど、とにかく行かなきゃと心の内が騒ぐんでいても立っても

いられなくて」

「もしかして、酒井君も昨日夢を見た。消えてしまった人たちの夢を、そして、霧のかかった森

のイメージが頭に残っていない?」裕予は急っつくように尋ねた。

 酒井もその言葉に顔色を変えた。「ええ、そうです。そのとおりです。じゃ、渡辺さんもです

か?」

「そうよ。それで、その場所に行こうと思って車を出したんだけれで、運が悪いっていうか、ガ

ス欠になっちゃったの。でも、運がよかったわ。酒井君が現れるなんて」

「そうですね、何から何まで不思議なことばかりです。それじゃ、僕の車で行きましょう。でも、

渡辺さんの車はどうするんでうか?」

「そんなもん、あとで取りにくればいいわよ。たいした車じゃないし、誰も持ってかないわ」そ

う言うが早く裕予は酒井の車に乗り込んでいた。

 

 白井は最近乗っていなかったバイクに跨がり、高速道を突き進んでいた。久し振りのライディ

ングで運転やバイクの調子が不安であっが、今はそんなことを気にしている時ではなかった。ほ

ぼ、徹夜状態で身体的にも問題はあるのだが、眠気などは一向に襲ってこない。そう、白井は眠

ってもいないのに夢を見ていた。だから、それは夢ではないのだ。ディスプレイに映った不思議

な現象は夢ではない。

 バイクは車間の隙間があれば、縫うように走っていった。バイクよ、目的地までもってくれ、

それが白井の願いであった。

 

 先を進んでいたコトブーたちは分岐点にたどり着いていた。大きな洞窟とそれに比べれば狭い

洞窟とがある。

「コトブー様、どちらにいきますか?」エーグは後方から前に来て尋ねた。

「そうだな、これは困ったな」コトブーは腕を組み、二つの洞窟を見比べてから、「竜玉は何か

言っているかい?」と後ろの女性たちにきいた。

「何も反応していませんけど」奈緒美が答えた。

「ならば、エーグ、皆を引き連れてそっちの方へ進んでくれ」コトブーは大きい方の洞窟を指差

した。「こんな狭い方に大勢で入っていって襲撃されたのでは八方塞がりだかな。だが、こっち

の方も妙に気になる節がある。だから、俺と二三の兵士で行こうと思う」

「なら、私も付いていきます。竜玉を持った者がいなくては万が一の時に・・・」史子がそう言

ったので、コトブーは素直にそれを受け入れた。「有り難う。では、フミコーとサトウ、一緒に

来てくれ。それと、後からジーケンイットが来るので一人ここで待たせて、そっちに行くように

しといてくれ」

 コトブーの指示により一行はふたてに分かれて進んだ。

 

 ジーフミッキはその時、死んだと思った。しかし、剣が空を斬る音がジーフミッキの耳元に聞

こえただけで、その後は何も起こらなかった。

「ジーフミッキ、お前は今死んだ。ジーフミッキはこの世からいなくなったのだ。私がお前に刑

をくだしたのだ。だから、お前の存在はもう無くなったのだ」ジーフミッキは落ちついた声で言

った。

「ジーケンイット・・・」

「ただし、お前は二度とトーセに足を踏み入れてはいけない。お前はもう存在していないのだ。

もし、再びトーセに現れた時は容赦しない。いいな」

「ジーケンイット様・・・」ヒヨーロは涙を流しジーケンイットを見つめた。

「さあ、早く、ここから去れ、そして二度と現れるな」ジーケンイットは剣を仕舞い命令した。

 ジーフミッキは立ち上がり、昔の顔に戻り、娘の顔をじっと見入った。

「ヒヨーロ、先を急ぐぞ」ジーケンイットは倒れているヒヨーロに手を差し出して言った。

「はい」ヒヨーロは立ち上がると、歩み出したジーケンイットの後ろについていこうとしたが、

父の事が気にかかり、一度振り返った。だが、もうそこにジーフミッキの姿は無かった。ヒヨー

ロは小さく「お父様・・・」とつぶやいて涙を拭った。

 

 松明の明かりを照らしても洞窟は薄暗い。鍾乳石のようないびつな形の岩石に囲まれたこの空

間は人間の居住区ほどのある大きさだった。地面は鍾乳石のために、デコボコしておりあちこち

から水が流れ出ている。その水はこの空間の真ん中にある大きな亀裂の中に流れ込んでいた。幅

が三から五バルクほどあり、走らなければ飛び越せない。また、この空間は迷路のようなこの山

全体の洞窟のほぼ中心部に位置し、ここから様々な方向に向かえる大小無数の抜け穴があった。

美沙希とミーユチッタは洞窟の中のすり鉢状になった低い穴の中にいた。二人は互いに見つめ合

った形でお尻をついて座り、言葉にならない声で笑いあっているようだった。その二人を見下ろ

すようにカーミとサーミは立っていた。

「カーミ、奴らが来たようね」

「そのようね。いよいよ、迫ってきたわ。ゲートが開くまであと少し、テラにトゥリダンが戻る

時が来たのね。そして、再びトゥリダンは神としてテラに君臨する。今度こそテラの人間を支配

する時なのよ」サーミは高らかに言った。

「では、これからどうするの?奴らを迎え撃たなくては」

「そうね、では、私が奴らをお迎えしてあげるわ。サーミはここでこの子供たちを見張っていて

くれ。奴らが、トゥリダンの涙を持っている限り、油断はできない。下手をすればこの子らを見

つけてしまうやもしれないしな」

「ええ、分かったわ。そうしましょう。それに、私少し体の調子が変なの。あちこち痛んでいる

ような感じがして・・・」サーミは渋い顔をして見せた。

「あなたもなの?私もどうもすっきりしない感じ。でも、これもトゥリダンが完全復活すればす

べて解決されるはずよ。では、私は行くわ。サーミ、ここを頼んだわよ」

「分かったわ」

 カーミは宙を飛ぶように洞窟の穴の一つから出ていった。

 

 ジーケンイットは早い足取りで先を急いでいた。後ろからはヒヨーロが遅れないようにと付い

てくる。「ジーケンイット様、何とお礼を申せばいいか?父のことありがたく思っています」

「んー、私も最初はジーフミッキを許し気など無かった。あそこまでの悪事を働いていればな。

だが、ヒヨーロの優しさに私は心を撃たれた。お前の父を思う気持ちにな。だが、それでもジー

フミッキが変わらなければ私は彼を討っただろう。だが、ジーフミッキもお前の言葉に負けたよ

うだ。だから、私も負けたのだ。あの戦いに勝ったの結局ヒヨーロだったのかもしれないな。し

かし、許してくれ、トーセを追放したことは。それだけは致し方のないことなのだから」

「はい、それは承知しております。父が生きていてさえくれれば、それで私は充分です」

 二人は分岐点のところまでやって来た。そこには警備隊の兵士が一人立っていた。

「ジーケンイット様、お待ちしておりました。コトブー様の命により、ジーケンイット様を案内

するよう言われております。エーグ副隊長の指揮により一行はこちらの大きい洞窟に向かいまし

た。コトブー様と数名の方だけこちらの狭い方に向かわれております」

「そうか、御苦労。では私も、エーグたちを追おう」

「ジーケンイット様、私はコトブーの方を追いたいと思いますが・・・」

「分かった。気をつけてくれ」

 二人は別々の道を進んでいった。

 

 竹原は妻には会社に行くと言っておきながら、公衆電話から体の調子が悪いと嘘を言って休み

を取っていた。駅の途中にある駐車場により、車を引き出し高速に向けて走らせた。

───俺は一体何をしているんだろうか?会社なんかさぼったりして・・・。けれど、これが正

しいという気がしてならない。とにかく、行かなければいけないんだ。

 竹原は自分の心に従って道を進んだ。

 

 江口は高速まで出るのに、いらついていた。知多半島の付け根に住んでいるため名古屋に向か

うのは便利がいいが、名神や東名を利用するのは不便なところだった。国道一五五で刈谷方面に

向かい豊田辺りから高速に乗ろうとしたが、朝のラッシュに巻き込まれ、思うように進まなかっ

た。名古屋高速に乗って、遠回りになるが東名阪を使ったほうが早かったかもしれない。

 だが、どうにかこうにか、一五五のバイパスまでたどり着き、インターからは一気に東に向け

て突き進んだ。

 

 伊藤たちは何時間も穴蔵の中を進み、方向感覚も時間の感覚も失われつつあった。もう、何時

間さまよってるのかも分からず、もしかしたら、永遠の迷路に入り込んでしまったのかという不

安もあった。だが、美香の持つ竜玉だけは相変わらず光を放ち、最後の望みとしてその光の方向

についていくしかなかった。しかし、ついに彼らは今までのような狭い空間ではなく、大きく広

がっている場所に辿り着いた。

「どうやら、竜玉の導きは正しかったようですね、ここがこの洞窟の中心でしょう。だが、魔女

たちはここに・・・」ターニは急に声をひそめた。薄暗い中に何かの気配を感じ取ってた。

「どうしました?何か・・・?」美香も声音を低くした。

「何かがいるな。何だろう・・・。笑い声のような、いや、子供の声だ」

「子供って、それは、美沙希ですか?」伊藤は血相を変えて飛びだそうとした。

「待ってください。子供だけのようではありません。偵察してきますから、待っててください」

 ターニは忍び足で出口から這うように出ていった。物音を立てないように岩の影からゆっくり

覗き見ると、窪んだ岩の中に子供が二人きょとんと座っている。だが、その上空には二人を眺め

るように魔女が浮かんでいた。ターニは再び、静かに戻っていった。

「どうなの、ターニ?」ヒロチーカ、待ちわびたように言ってきた。美香と伊藤も顔を擦り寄せ

てきた。

「子供たちは二人ともお元気です。安心してください。しかし、魔女が一人待ち構えています。

ですから、下手に手出しはできません。間もなく、ジーケンイット様たちもここに着くことでし

ょう。しばらく、様子を見ましょう」

 伊藤は子供を目の前にして何もしてやれない自分に苛立って舌打ちをした。

 

 エーグを先頭に進んでいった大部隊は突然洞窟から広い場所に飛び出した。天井も高く、暗が

りの中で正確なところは把握できないが野球場ほどの大きさはあった。松明やランプの様な人工

的な明かりはないのに、壁に光苔でもあるのか、この空間全体がほのかな光を放っているようで、

ぼんやりと周りを見ることができる。薄暗さに目が慣れてくると、彼らの前には平らな岩場が広

がっていたが、数十歩も歩くと、そこには巨大な穴がぽっかり開いていて、もし、そこに落ちれ

ば無限の闇の中、もしくは地底の奥底に消えていく状態であった。

「ここが、エサカ湖です」ノーマがその光景に見とれている人々に言った。

「えっ、湖って言ったって水が無いようですけど」悦子は当たり前のことを口にした。

「そうですね。ですが、この地底にこのような場所は他に無いと思われます。何らかの理由で水

が引いてしまったのだ思いますが、正直言って誰もここに来た者はいないので確かなことは言え

ませんが・・・」

「ここが、その地底湖としたら魔女はどこなんだ。悦ちゃんや王子さんの子供たちはどこだ?」

藤井がそう言うと、全員が周りを眺めた。だが、彼ら以外に人の気配はない。いや、人以外はそ

こにいた。

「ふっふっふ、よくここまで来たわね、誉めてあげるわ。でも、ここで終わり。あなたたちはこ

こで死ぬのよ」カーミが音も立てず現れ彼らの頭上に浮かんでいた。

「何だと、子供たちをどこにやった。約束通り竜玉は持って来た、子供たちを引き渡すんだ」

「ふっふっふ。お前たちに子供を返したところでどのみち皆死ぬのよ。お前たちだけではなく、

この世界とテラの世界すべてが滅ぶの。もうお前たちが生きているという意味は失われたのよ」

「何を言うか!我々はお前を倒し、子供たちを取り返す。そして、この世界も我々の世界も化け

物から守ってみせる!」青山が強い意思を表した。

「往生際の悪い奴らだ。もうお前たちの運命は決まっているのだ。世界は滅びる。トゥリダンの

力によって新たな再生が始まるのよ。さあ、覚悟しなさい、お前たち。今ここで先にあの世へ行

かせてあげるから、苦しまないことを感謝しなさい」カーミはそう言うと全身にオーラのような

ものを発光させ、力をためていた。

 魔女との戦歴がある悦子はすぐに反応した。「皆逃げて、魔女が攻撃を仕掛けてくるわよ」

三十名ほどの人たちは散らばり、洞窟の中の岩場に身を隠すと、同時に警備兵たちは勇猛果敢に

剣と楯を構え、魔女に立ち向かおうとした。

 悦子は以前の戦いで魔女の強さを知っているだけあって、隠れるように大声で言ったが、彼ら

は警備隊の名誉にかけて戦う心構えだった。悦子はジーケンイットが早く来てくれることを望む

しかなかった。

 

 加藤は森の家まで迎えに行ってから、そのまま名神高速に乗り、東名に向かった。

「それで、どこへ向かっているんだ?加藤君」

「どこって、僕に聞かれても分からないよ。ただ、ひたすらこっちの方に行けばいいのかなって

思っているだけだよ」加藤は俺にきくなよという顔をした。

「ふーん、でも地球の危機だって言ってたから、火山にでも行くのかと思ったけどね」

「地球の危機って、そんなことは俺、聞いてないけどな。不思議な映像の中では皆が助けを呼ん

でいただけのような気がしたけど。森君はそれも夢で見たの」

「夢っていうか、現実の幻みたいなものなんだけど・・・」

「何言ってんだ?相変わらず訳の分からん男だな、森君は・・・」

 森は、「えへへ・・・」と苦笑いしてみせた。

 

 カーミは冷たい眼差しで足元を眺めながら自分の腕を口許に持っていき、手首を強く噛んだ。

数滴の赤黒い血を地面に垂らした。すると、その血から泡のようなものが吹き出すと、みるみる

人間の形を作りだしていき、黒一色の影しかない魔女の分身が十体ほど現れた。

「きさまたちを、じっくり殺してやる。行けー、下僕たちよ」

 サーミの号令でそいつらはふらふらと動きだし四方に散った。警備兵たちは剣を振りかざし、

そいつらに斬りかかったが、まさに影を切っているようで何の手応えもなかい。だが、その影の

方が長く伸びた腕を振りまわすと、兵士たちの金属でできた鎧が真一文字に裂け、体から血を噴

出させた。化け物は悦子たちのところにも寄ってきたが、彼女らには竜玉があった。この影も竜

玉の光には弱く、悦子、浩代、祐子、奈緒美の四人の女性が持つ竜玉の光は敵が近づくとその黒

い肉体を焦がしていった。

「松浦さんが持っていなくてよかった。ここで力が発揮されなかったら、事だったからな」土田

が戦火の中でも余計なことを言っていた。

「どういう意味よ。それって」美砂はこんな時でも自分のことはしっかりきいている。

「それは、素手で戦えって意味じゃないんですか」と枡田が駄目押しをすると、「いくら、私で

も化け物とは戦えないわよ」と、囚人やリーモを倒したことも忘れて女ぶったが、「無事に返っ

たら、覚えていなさい」と捨てぜりふはちゃんと残していた。

 五体ほどの影が、藤井たちを取り囲んだ。竜玉のために下手に近づこうともしなかったが、逃

げる気もない。このままでは持久戦になり、そのうち魔女自身が攻撃をしかけてくれば、事は重

大だ。

「くっそー、手も足も出ねえな。やつらを倒せる武器はないのか?」藤井はそうのたまうしかな

かった。

「ジーケンイット様が来るまで我慢するしかないわね」祐子の言葉は唯一の望みだった。

「まずいぞ、フーミ様が危険だ」前沢がそれに気付いて言った。いつも彼女の側にいるつもりだ

ったのに戦乱のどたばたでフーミと離れてしまったのだ。フーミはエーグたちに守られていたが、

影の強さに彼らも成す術がないようだった。

「フーミ様を助けに行く」前沢はこの輪から飛びだそうとしたので、浩代が「私がついていくか

ら、気を付けてね」と二人は悦子たちと離れて、フーミのところに向かった。

 こっちの動きに気付き、影が近寄ってきたが、浩代の竜玉がその動きを抑止させている。

 エーグは化け物からの攻撃を交わそうとして、片腕を掲げたために負傷していたところに再度

傷を負ってしまった。エーグを襲った影は次にフーミに狙いを定めだした。前沢と浩代は急ごう

としたが、行く手を阻むように化け物が牽制を仕掛けてくる。

「邪魔だ、どけ!竜玉の光で火傷するぞ」前沢がそう脅しても、影は彼らとの合間を計り、襲い

かかるチャンスを狙っていた。「フーミ様!」前沢が怒りの叫びを上げた。

 一匹の影がエーグを突き飛ばし、フーミに襲いかかろうとした。だが、その化け物は奇声と共

に体を二つに裂かれ、瞬時に消滅してしまった。

 ジーケンイットがコーボルの剣を構え、フーミの前に立っている。「妹には指一本触らせない

」二匹の影がジーケンイットに飛び掛かろうとしたが、彼の剣はそいつらをものともせず、切り

裂き、残った影を全滅させるべく、前沢たちのところや青山たちを囲んでいる化け物を次々と切

り刻んでいった。

「ジーケンイット様!」誰もが彼の登場に歓喜した。だが、一人だけ怒りをたぎらせているモノ

がいた。

「来たか!ジーケンイット、よくも私の可愛い下僕を消し去ってくれたわね。だが、今度はそう

わいかないよ」カーミは再び体中に力を呼び起こし、全身を青白く光らせた。「容赦しないよ。

全員、あの世に送ってやるから。覚悟し」

 ジーケンイットは剣を構えなおし、カーミとのリターンマッチに挑んでいった。

 

         3

 

 コトブーたちの少数部隊も狭い洞窟から、大きな空間の入り口まで辿り着いていた。目の前は

岩が積み上げられた形になっているので、少し這い上がらなければ向こう側が見えない。コトブ

ーは慎重に進み、入り口から空間の方をゆっくり覗いた。薄暗い明かりの中に、人がいるのが見

える。しかし、それは人ではなかった。魔女の一人サーミだったのだ。

「いやがったな、あれが魔女か、するとここがエサカ湖か、いや違うな」コトブーは少し背伸び

をすると、魔女の足元に子供が二人いるのを発見した。「子供たちがいたぞ」

「本当ですか?二人とも無事で?」佐藤が小声できいた。

「ああ、よく見えないが、元気でいるらしい。しかし、どうするべきかな。のこのこと出ていっ

ても、そう簡単には子供たちを取り返すことはできないし、魔女を引き付けておく間に、誰かが

あそこまで行ければいいのだが、ここからでは回り込むこともできない」

「コトブーさん、あそこを見てください。向こう側の小さな穴のところです」ここから岩場が少

し下がったところがあり、その僅かの隙間を史子がコトブーに指し示した。そこに伊藤たちがい

るのが確認でき、向こうもこちらに気付いたのかターニが手で合図をしてきた。

「本当だ。伊藤たち、辿り着いたんだ。ノーマさんの言っていた通りだ。それで、どうしましょ

う。何か手は?」佐藤はコトブーに近づいた。

「そうだなー、我々が魔女を陽動し、その隙にターニたちが子供を助け出せるようにしよう」

 コトブーはターニに手話のようなサインを送り、こちらの作戦を伝えた。ターニもそれを承諾

し、了解の意思を表示してから、伊藤たちにもそれを伝えていた。

 ちょうど、そこにヒヨーロがやって来た。

「ヒヨーロ、来たか。大丈夫か?」コトブーはそれだけ言って、余計なことは聞かないようにし

た。

「はい、心配かけて御免なさい。私は大丈夫です」ヒヨーロは気丈に振る舞った。「それで、状

況は?」

 コトブーは現状を説明し、作戦のことも話した。

「では、行く。お前たちも気を付けてくれ、魔女を甘く見てはいかん」コトブーは二人の警備兵

に言って、行動を開始した。

 まず、コトブーはサーミ目掛けて普通の矢を放った。もちろん、シーゲンの矢でなければ魔女

にダメージを与えられないのは分かっている。あくまでも、サーミの気をこちらに引きつけるの

が目的なのだ。

 狙いは正確にサーミを捕らえていたが、サーミは瞬時に矢の存在を察知し、顔面に突き刺さる

直前、矢を素手で受け止めた。「誰だ、こんな子供だましな武器を使う者は?」

 警備兵と共にコトブーは岩陰から飛び出し、次の矢を放ったが、サーミはそれも片手で受け止

め、そのまま力を加えて握り折った。「よく、ここを突き止めたな。だが、無駄なこと、お前た

ちはここで死ぬのだ」

「魔女め、きさまこそ、この世から消し去ってやる。こちらにはシーゲンの矢があるんだ」コト

ブーはサーミの動揺を誘った。

「何?シーゲンの矢だと」サーミは一瞬、顔色を変えた。

「魔女め、シーゲンの矢と聞いて、怯えたか?どのみち、きさまはその程度のモノなんだ」

「何だと?私を怒らせる気か!今の言葉後悔させてやるぞ!」サーミはコトブーの誘いに乗り、

彼らの方に向かっていった。しかし、その顔は怒気に満ちており、鋭い眼光が青白く光りだして

いた。

───少し、言い過ぎたかな?まあ、まんまと乗って来たから、いいか。

 サーミは自分を愚弄したことに怒り心頭し、子供たちのことを完全に失念していた。だが、サ

ーミの怒りは予想以上に激しかった。全身を炎のようにたぎらせはじめると、火の玉が火山弾の

ように降って来た。警備兵は楯を使って、それを交わしていたが、それでも、もろに火の玉が楯

に当ると、衝撃が全身に響いてくる。コトブーは楯を持っていないので必死によけていたが、時

々炎が頭をかすめ、髪の毛が焦げた匂いを感じていた。

「ちっ、加減というもの知らないのか」巨大な炎の塊がコトブー目掛けて直進してきた。洞窟の

中の足場はごつごつしている上に、湧き出る水で滑りやすい。コトブーもそれに足をすくわれ、

足首をねじった。

───しくじったぜ。

 炎がコトブーに衝突する寸前、ヒヨーロが飛び出して来て、それを真っ二つに叩き切ると、コ

トブーの両側に流れていった。

「大丈夫?コトブー、無茶し過ぎよ」

「ああ、早くけりをつけないとまずいな」

 ターニたちはコトブーたちの動きを傍観し、サーミが子供たちから離れていくとすぐに行動を

開始した。四人は足早に穴から這い出て、岩の壁際を歩いた。目の前には人が入れるくらいの亀

裂があり、無限の暗闇を覗かせている。サーミはコトブーに翻弄され、全くこっちに気付いてい

ない。彼らは亀裂だけを気をつけて進み、簡単に子供たちのところに着いた。

「ミーユ様、御無事でよかったわ」ヒロチーカはミーユチッタを両手で持ち上げ抱きしめた。ヒ

ロチーカを見ると、ミーユチッタはキャッキャと笑い始めた。

 美沙希も父親の伊藤を見つけると、「パパ、パパ」嬉しそうに声を上げたが、その声をサーミ

が聞きつけてしまった。

「しまった。・・・おのれ、私をはめたな」サーミの怒りは絶頂を極め、反転し伊藤たちに向け

攻撃を開始した。サーミの体から放たれる火の玉が嵐のごとく襲い掛かる。

「伊藤君、見つかったわ。早く逃げなきゃ」美香がそう叫んでも、逃げ場がなかった。

 ターニは彼らの前に出て、ベーシクの楯を構えた。突き進んで来た炎は楯から放たれたシール

ドのようなものにぶつかり、大きく跳ね返っていく。炎が岩壁に当り凄まじい音と共に崩れると

周りが火の海のように真っ赤に燃えた。

「生きた心地がしないな」ターニの楯に守られながら、伊藤は身を縮めた。

 コトブーはターニたちからサーミを引き離そうと再び魔女目掛け矢を放った。シーゲンの矢を

放ちたいのだが、もし外れれば万事休すになってしまう。コトブーは珍しく慎重に物事を考えて

いた。

 コトブーの矢がサーミを突き抜けて、向こう側の岩に当った。だが、サーミは何事もなかった

ように振り向き、「小賢しい奴らだ。一気に片づけてやる」と、セリフを吐くと同時に全身を青

白く光らせ、「ガッッッ・・・」わめきながら、体の中から針金のような刺を周りに飛ばした。

 岩壁にも突き刺さるほどの威力のある刺だが、伊藤たちはターニの楯に守られて、刺はすべて

跳ね返され、何事もなかったものの、コトブーたちはそうもいかない。魔女に近づいていた兵士

が最初にその犠牲となり、無数の刺が全身に刺さって、何事が起こったのかも理解できないまま

絶命した。もう一人の兵士もすぐに岩陰に隠れよとしたが、刺は生きているかのように空を曲が

り、兵士の命を奪った。そして、コトブーとヒヨーロのところにも刺が突き進んでいたが、ヒヨ

ーロも剣では避けきれないと観念した。だが、光の帯が二人の前に伸び、刺はその光に突き刺さ

った後、地面に落ちた。光の元を辿っていくと、史子が握り締めている拳から放たれていた。

 サーミもそのことに気付いて、史子と佐藤の方を見たが、史子は光の帯をそのまま、サーミに

向けた。竜玉の力でもトゥリダンの分身である魔女たちのの命を奪い去る事はできない。だが、

悪のトゥリダンと相反する良心の竜玉は魔女に対し、善の力を見せ付けていた。

 眩しさと、善の力によりサーミの攻撃も衰えずにはいられない。サーミは宙に浮かぶのをやめ

地面におりて光から逃げようとした。

「今のうちだ、ターニ!子供たちを連れて安全な場所まで行け!どこかの穴がジーケンイットた

ちのいるところまで続いているはずだ」そして、振り返り史子たちにも叫んだ。「サトウたちも

行くんだ」

「でも、まだ、魔女が」佐藤はそう訴えた。

「心配するな、弱っているうちにシーゲンの矢で仕留めてやる。早く、先にいってジーケンイッ

トたちを助けるんだ」

 伊藤とヒロチーカがそれぞれ子供たちを抱え、ターニの後に付いて岩壁の際を足元に気をつけ

ながら進んだ。しばらくいくと、亀裂の幅が狭いところがありそこを飛び越えて、佐藤たちと合

流した。

「さて、どっから行けばいいんだ。あっちこっちに抜け穴があってどこに行けばいいか、さっぱ

りだ。下手なところを選んで迷ってしまっても事だしな」佐藤は無数の穴を見比べた。

「ねー、あの音は何?何かが爆発しているような感じだけど」美香がそう言ったので耳を澄ます

と、確かにどこからか轟音が響いてくる。

「ジーケン様たちがもう一人の魔女と戦っているんだ。どこから・・・」ヒロチーカは穴を順番

に覗くようにしていき、「ここだと思う。この奥が向こうに通じているみたい」と比較的大きな

抜け穴を指差した。

「では、行ってみましょう」ターニを先頭にその穴の中に入っていった。

 コトブーはうずくまっているサーミ目掛けて狙いを定めた。

 シーゲンの矢はサーミ目掛けて風を切っていったが、竜玉の光に弱っていた魔女の力はすでに

回復していた。サーミは当る寸前に動き出すと矢を交わした。そして、矢は向こう側の岩壁に突

き刺さってしまった。

「し、しまった」コトブーは慎重さを欠いた自分の行動を呪った。

「残念だったな。シーゲンの矢さえ、お前の手に無ければ何も恐いものはない。たっぷり、今ま

での礼をしてやる」そうサーミは豪語すると、再びさっきの攻撃を始めようと力をためだした。

「ちっ、逃げ場を無くしてしまったな!ヒヨーロ、ここは俺があいつを引き付けておくから、隙

を見て逃げろ」コトブーは腰から短剣を抜き出した。

「コトブー、私も戦います」ヒヨーロは逃げ隠れしようとせず、コトブーの横に立った。

「たっく、いつの間のそんな強い女になったんだ。こうなれば、ジーケンイットたちのためにこ

の魔女と道連れになってやるか」

 だが、二人が身構えているとサーミの様子がおかしいのに気付いた。サーミは浮かんでいたか

と思えば地面に降り、その場で苦しそうにうめいている。

「おや、一体どうしたんだ?まだ、竜玉の影響があったのか?」

「ウァー、何てことなの?体が、体が崩れていく」サーミの体には異変が起こっていた。顔の皮

膚が乾いたようにボロボロと剥がれだし、皮の下の肉が露出しだした。ただれたその肉も崩れる

ように顔面から流れ出している。手や足も同じで急激な早さで体中が溶けるように崩壊を始めて

いた。

「ウー、どういうことなの・・・?もしかして、復活時の血が・・・・?ならば、ここで血を浴

びるしかないな」サーミは気力を振り絞り、呆然としているコトブーとヒヨーロを、眼球が飛び

出し始めた目で見つめると、黒の衣をそちらに向けた。衣は生き物のようの伸び始め、先が無数

に分かれると蜘蛛の糸のように広がった。コトブーたちは逃げようとしたが、衣の速さは目にも

止まらぬほどで、二人はそれに包ってしまい、身動きがとれなくなってしまった。サーミはその

まま二人を引きづり自分の方に引っ張りこんだ。

「くっそー、俺たちを捕らえてどうするんだ。魔女め、急に体が変になりやがって、どうなって

るんだ?」コトブーとヒヨーロはもがいたが、それから抜け出すことはできない。ヒヨーロの剣

も絡み取られ、コトブーの短剣では切っても切りきれない状態だった。しかし、次の瞬間コトブ

ーたちは体が自由になったのを感じ、まとわり付いていた衣が死んだかのように体から落ちてい

った。

「お父様」、「ジーフミッキ」二人は同時に叫んだ。そこには剣をかざし魔女の衣を切断したジ

ーフミッキが立っていた。

「ジーフミッキ、裏切りよったな」サーミは悶絶の中で言葉を吐いた。

「裏切っただと?馬鹿め、もともと私はお前たちに協力するつもりなどない。今のお前のざまが

その証拠だ」

「何だと、では、やはり、復活の時に使った血に・・・」

「そうだ、お前たちを蘇らすのに生きた人間の血なんてもったいないと思ってな、死人の血を使

うようギオスたちには命令してあったのだ」

「おのれ、はかりおって、ならば、きさまの血を頂く」サーミはもう一度衣を骨のようになった

両腕で広げ、ジーフミッキを包み込むようにして、両サイドから衣を伸ばしていった。これには

ジーフミッキも逃げ場を無くし、衣に取り囲まれたジーフミッキはサーミの間近まで引き寄せら

れた。すると、今度は崩れかけたサーミの体の中から、蟹の足のような突起物がいくつも飛び出

し、ジーフミッキの体を突き刺した。「きさまの血を全部吸い取ってやる」

「ウワー」ジーフミッキは激痛に苦しみあがいた。だが、残る力を振り絞り、コトブーたちに怒

鳴った。「何をしている。早く、シーゲンの矢を手にとり、この魔女を殺さぬか。早くしろ。私

の血を吸い取ってしまったら、復活して手におえられないぞ」

 その言葉にコトブーは反応し、向こう側の岩壁に突き刺さった矢を取りに行った。地面にある

大きな亀裂をはずみをつけて飛び越え、そのままの勢いでぶつかるように壁に辿り付き、目の前

の矢を抜いた。すぐに、反転してサーミ目掛けて弓矢を構えたが、ジーフミッキを完璧に取り込

んでいて、狙いが定められない。

「ジーフミッキ、何とかして魔女から離れろ」

「無理な事を言うな、こんな状態で逃げられるか。それに私がこいつから離れてしまったら、逃

げ出してしまうぞ。私の血をかなり得ているから、さっきよりは回復している。だが、まだ完全

ではない。私が押え込んでいるうちに矢を放て。私に構うな!そのまま射るんだ!」

「お父様、無茶です。やめてください」ヒヨーロは事態を把握し叫んだが、ジーフミッキは聞き

入れる様子はなかった。

 コトブーは迷った。たとえ、今日までの罪があるとはいえ、ヒヨーロの前でジーフミッキごと

サーミを撃つことはできない。今の状態ではコトブーの腕であってもサーミと共にジーフミッキ

までも射抜いてしまうはずだ。だが、チャンスは今しかない。みると、サーミの状態はかなり回

復の兆しをみせ、朽ち果てだしていた皮膚は元に戻りつつある。それと同時にジーフミッキの血

の気が引いていくのがまざまざと分かる。ジーフミッキは初めから死ぬつもりだったのだろうか

とコトブーは思った。自分の蒔いた種を自分で刈ろうとしているのか?ジーケンイットとの戦い

で何があったのかはコトブーも分からないが、今のジーフミッキの顔はコトブーが知っている彼

の顔ではなかった。その顔は覚悟を決めているという意思が現れていた。

 サーミはジーフミッキの行動に気付き、ある程度体が回復したのでシーゲンの矢から逃げよう

と、ジーフミッキから触手を離したが、ジーフミッキの方が離れようとはしなかった。

「ジーフミッキ、何をする?離さないか!」サーミは強引にジーフミッキの腕を振りほどこうと

したが、強靭な力のジーフミッキは深手を負いながらもその力を緩めなかった。

「魔女よ、私の血を飲んだ代償は払ってもらうぞ」だが、ジーフミッキも無敵ではない。少しず

つ力が抜けていくのを感じていた。「何をしている。早くしろ」ジーフミッキは声の限りで叫ん

だ。

 コトブーは再度身構え、片目をつぶって焦点を定めた。

 ヒヨーロがそれを見て「やめて!コトブー!やめて!」と絶叫したが、コトブーはもう意を決

していた。

───すまぬ。ヒヨーロ、許してくれ。

 コトブーは力の限り弓を引き矢を放った。シーゲンの矢は燃えるような光を発し、魔女とジー

フミッキ目掛けて突き進む。ヒヨーロにはそれがスローモションのように見えたが、声を出す間

もなく矢は標的に当った。シーゲンの矢はサーミの背中から胸の位置に突き刺さっていたが、そ

の矢の先はサーミを貫き、反対側のジーフミッキの背中から飛び出していた。

「ギェェェェェー・・・」とサーミは断末魔と共に苦しみもがき、回復しだしていた肉体がまた

枯れた枝のようにひび割れ、中の肉片が溶けるように吹き出していった。そして、今度は復活す

ることも無くサーミの肉体は元の小さな塊に戻っていった。後には矢で胸を射抜かれたジーフミ

ッキだけが空を見上げるように立っている。そして、自ら胸に刺さった矢を抜き、体をふらつか

せた。

「お父様・・・!」ヒヨーロは泣き叫びながらジーフミッキのところに駆け寄り、倒れ込む父を

抱きかかえた。

 コトブーもすぐに二人のところに駆けつけた。ヒヨーロの足元にはサーミの塊が転がり、ピク

ピク動いて、ジーフミッキの流した血を探そうとしている。コトブーは短剣を取り出し、その塊

を真っ二つに裂き、地面の亀裂の中に蹴り飛ばした。「二度と甦るなよ」

「お父様、なぜ、このようなことを。罪はジーケンイット様が許して頂いたというのに」ヒヨー

ロは号泣して父に問いただした。

「いいのだ、ヒヨーロ、これで、いいのだ。私は罪を償わなければいけない。それが自分の死で

事足りるとは思わないが、私にできることはこれくらいしかない。お前に怪我が無くてよかった。

ヒヨーロ、さっきは言えなかったが、私はお前のことを心から愛している。そのことが、言いた

かったのだ」

「お父様、もう喋らないでください。お父様、死なないで下さい」ヒヨーロはジーフミッキの胸

に顔をうずめた。

 ジーケンイットは一度口から血を吐き、そして苦しそうにしながら、ヒヨーロの頬を手でさす

った。「それと、もう一つ大事な事を言っておかなければいけない。いいか、よく聞いておくん

だぞ」

「何でしょうか?」ヒヨーロは父の瞳を見つめた。

「いいか、お前の母親は生きているんだ」

「母がですか?母は亡くなったのではないのですか?」ヒヨーロは信じられないという顔できき

返した。

「違う。お前の母は生きているのだ。私がまだ若かったころ、当時はまだワミカとは冷戦の中で

あり、私も駐屯地に赴いたりしていた。その時、お前の母である女性に出会い、私たちは愛し合

ってお前が生まれた」

「では、なぜ結婚しなかったのですか?」

「それはな、私は当時すでに軍の要職に付くほどの戦果を上げており、宰相の道に繋がる地位を

得るところだった。しかし、お前の母とは結婚できなかったんだ。それは彼女がワミカの人間だ

ったからだ。軍の中に身を置く以上、敵の女とは結婚などできない。だから、私は生まれたばか

りのお前を引き取り、自分の手で育てたのだ」

 ヒヨーロは新たな涙を頬に流した。父の死を迎えたことに匹敵するぐらいの衝撃的な話であっ

たのだ。

「その後、私はその女性の消息を調べた。その結果、ワミカの『ジョウアン』というところに住

んでいるのを突き止めていた。五年も前になるが、まだそこにいるだろう。今まで、このことを

話さなくてすまなかった。ヒヨーロも母のいない生活で辛かっただろうが、私も本当は辛かった

のだ。あの時、軍よりも母をとっていればよかったと後悔した日々もある。もし、結婚していれ

ば私の生き方も変わっていたかもしれない。結ばれなかったことが、こんな私を作ってしまった

のかもしれないな。辛さから逃れるために野望というものに逃避していて、それを実現しなけれ

ばならなくなってしまったのだろう。そこを悪魔に見出されてしまったんだ。許してくれ、ヒヨ

ーロ」ここでまたジーフミッキは血を吐いた。

「お父様、私はずっと、お父様を愛していました。この事は今も、そして、これからも変わりま

せん」

「ありがとう、ヒヨーロ。死ぬ前にお前から、そんな言葉を聞けて、嬉しいぞ」ジーケンイット

はヒヨーロから視線をずらし、後ろに立っているコトブーを見た。「それと、お前、娘のことは

頼んだぞ、いいか、幸せにしてやれよ」そう言って、手を伸ばしシーゲンの矢を渡そうとした。

 コトブーはそれを受け取って言った。「お前に言われなくても、分かっているさ」コトブーは

冷徹に答えたが、それは内心の気持ちを押さえるコトブーの下手な表現方法であった。

「ウッ、そろそろ、迎えが来る頃だな。ヒヨーロ、私の墓は要らない。いまさら、ジーフミッキ

の名などを残す気にはなれないからな。私の遺骸はここに置いていってくれ」

「お父様、そんなことはできません。お父様を一人になんて」

「いいんだ。言う通りにしてくれ。さあ、早く行け、ジーケンイットたちはまだ戦っている。こ

の街を救うためにお前も戦うんだ。いいな・・・」

「はい・・・。お父様、お父様ー・・・・」ヒヨーロの呼ぶ声に何の反応も示さないジーフミッ

キの閉じた瞼から、一筋の涙が流れた。この男が初めて流した涙だった。

 ヒヨーロは旅立ってしまったばかりの父にすがり付くように泣いた。コトブーは少しだけ、そ

のままにしておいてから、ヒヨーロの肩を叩いた。

「さあ、行こう。まだ、戦いは終わっていない。ジーケンイットたちを助けにいかなければなら

ない」

「でも、父をここに置いてなんかできないわ」

「だが、それはジーフミッキの最後の頼みなのだから、言う通りにしてやれ。墓がないのは辛い

かもしれない。だが。それがこの男の贖罪であり、軍人として生きてきた男の望みなのだ。戦士

は戦場にしか死に場所はない。分かってやれ」

「はい・・・」

 コトブーの言葉に諭され、ヒヨーロは立ち上がった。体中が血で汚れているが、その死に顔だ

けは穏やかであった。こんな父をヒヨーロは見たことがなかった。今、ここに本当の父がいたの

だ。

───さようなら、お父様。

 ヒヨーロは最後に一度だけ、振り返って、そう言葉をかけ、翻ると先を行くコトブーに追いつ

こうとした。

 

         4

 

 カーミは両方の掌を上空に向けると、そこに光球を作り始めた。手の上のそれはみるみる大き

くなり不気味に火花を散らし始めた。

「気を付けろ、魔女が再び攻撃を仕掛けてくるぞ!」ジーケンイトは残った兵士と悦子たちに喚

起した。

 カーミは手の中にできあがった光球を肩に担ぐようにして投げた。その光球は物凄い勢いで地

面にぶつかり、ダイナマイトのような爆発を起こして、周りに爆風と砕けた岩の破片を飛び散ら

せた。

 青山たちは岩の窪みに身を隠し、その衝撃を何とか交わした。一方、前沢はフーミのところま

で行っていたので、浩代が持つ竜玉の光がその爆風をしのいでくれていた。

 ジーケンイットはその爆風の真っ直中に立っていたが、体の正面に構えていたコーボルの剣が

全てをはじき返し、微動だしていない。

「おのれ、小癪な真似を!」カーミはもう片方の光球を投げつけた。だが、今度はそれが地面に

当たる前にジーケンイットは宙に飛び、叩き斬った。光球は二つに分かれ、ジーケンイットの両

側に飛んでいき、側面の壁を破壊した。

「魔女よ、子供たちを返すんだ!そして、このトーセから消え去れ。今一度、元の塊に戻してや

る」

「ほざくがいい、私を倒せば、子供の命はないぞ。いいか、サーミが子供を見張っている。私の

指令一つで子供を亡きものにできるのだぞ」そう言いながらも再び両手に光を集めていた。

「卑怯な!」ジーケンイットは歯ぎしりをする表情でカーミを睨みつけた。

 だが、その時、ジーケンイットの右手側の岩壁の中からターニを先頭に佐藤たちが現れた。そ

して、ヒロチーカの腕の中に我が子がいるのを確認できた。

 カーミもそのことに気付き驚きを隠せない表情で言った。「何ということか、サーミめ、何を

しているの?」カーミは既に手の上の中で作っていた光球を持ち上げると、ターニたち目掛けて

投げつけた。

「ターニ、気を付けろ」ジーケンイットがそう叫ぶと同時に、ターニも光球が向かっている事を

知り、ベーシクの楯を掲げようとしたが、その時、史子が足を滑らせ、岩壁の縁から下の窪みに

落ちてしまった。ターニは咄嗟の判断で佐藤に楯を手渡し、この場にいるヒロチーカや伊藤を守

らせ、自分は史子の落ちた窪みに飛び込んだ。それと同時にターニの頭上で光球が弾け飛び、す

さまじい轟音と共に爆風が炸裂した。伊藤たちは佐藤が持つ楯の力で空気の振動以外何も影響を

受けなかったが、楯の前に飛びだした二人には被害を免れることはできなかった。

 史子は自分の上に覆いかぶさる人間の気配を体全体で感じ、すぐにそれがターニだと分かった。

その瞬間に耳もつんざくほどの音が響き、何が起こったのか頭が混乱してきた。史子はぼやけた

意識の中で、ターニが「大丈夫ですか?」と声を掛けたのをきいた。だが、それ以後、ターニは

言葉を発せず、身動き一つしなかった。

 ジーケンイットはその情景を見て、怒りに震えた。「ターニ!おのれ、魔女め、絶対に許さん

ぞ!この手できさまを葬ってやる」

「それはどうかしら?お前もあの男のところに送ってやる」そう言いながら、カーミは次の光球

をジーケンイット目掛けて構えていた。だが、その時、カーミの体に急激な異変が起こった。体

中が痺れだし、手の上の光球も急にその威力を無くしてしぼんでいった。カーミはその力の減退

に何が起こったのか分からず慌てた。

「何?一体、どうしたの?」カーミは自分の両手を見て驚いた。白い肌が黒く濁りだし、あちこ

ちからひびのような亀裂が生じる。それは顔面にも感じられ、崩れはじめた手で触れてみると、

顔の皮膚が剥けだし、中から肉汁がしみ出てきた。「ウォォォー・・・」カーミはパニック状態

になり、浮遊したままジーケンイットから離れた後方に退いて着地した。足が地についても立っ

ていられる状態ではなく、その場にへたり込んでしまった。

 その近くにギオスは立っていた。「魔女、とうとう来たな」

「何だと、きさま、一体私に何をした?・・・あの時の血は何だったのだ」カーミは息も絶え絶

えに言った。

「おれも軍人として生きてきて、人を何人も殺してはきたが、意味もなく人を殺したことは一度

もない。だから、きさまに血を与えよと命令されても、生きた人間を殺すことなどは俺にはでき

ないんだ」

「で、では、あの血は何だ」

「心配するな。あれは人間の血だ。ただし、死んだ人間の血だがな。オリトの森へ行く途中で葬

式があったから、こっそり抜き取ってきたんだ」

「愚かなことを、生きた人間の血でなければ、私の復活は完璧ではないのだ・・・。ならば、こ

こでお前の血を頂こう」そう言うと、カーミは白くなりはじめた髪をなびかせた。すると、髪は

蛇のように伸びはじめ、ギオスの体をくるんでカーミの元に引き寄せた。カーミは骸骨のように

なった顔をギオスに近づけ、大きく口を開けて喉元に噛みついた。

「ウァー・・・」ギオスが叫び声を上げるのと同時に鮮血が飛び散った。

「私を騙せばどうなるか、身に染みたか!」

「それは、どうかな」

「何だと?どう言う意味だ?」

「実はな、俺は病に侵されている体なんだよ。もう、長くないことは分かっていた。血の病気な

んでな。助かる見込みはないらしい」ギオスは苦しみながら言った。

「な、何?血の病気だと・・・?私にそんな不純な血を吸わせたのか!」そう言って、カーミは

ギオスから口を離し、彼を絡ませていた髪も解いてギオスから離れた。「ウァォー・・・」カー

ミは回復するどころか、今まで以上に苦しみ、のたうちまわった。

「残念だったな・・・、魔女、お前も、もう終わりだ・・・」ギオスはそう言って静かに目を閉

じた。

「アー、アァー、ならば、他の人間の血を吸ってやる」カーミは這うようにして目の前の岩場を

越えた。次の標的を探そうとしたが、カーミの前にはジーケンイットが待ち受けていた。

「魔女よ、とどめ刺してやる。覚悟しろ」

「何ー、お前の血を奪ってやる」カーミは再び白髪を持ち上げようとして立ち上がろうとした。

 だが、ジーケンイットの後方に控えていた女性たちが持つ竜玉から発せられた光が、弱体した

カーミの体を貫くと体中に大きな穴が開いていった。ジーケンイットは剣を振り上げ、天空から

カーミの脳天目掛けて振り降ろした。

「ギェェェェー・・・」カーミは絶叫しながら、その場に崩れていき、体全体が灰のように朽ち

果てていった。ただ、最後に残った頭蓋骨の部分が、言葉を発した。「これで、終わったと思う

なよ。トゥリダンは間もなく復活する。その時はお前たちも、そして、この世界も終わりだ。私

を倒したところで何の意味もないのだ。無駄な努力だったな・・・」頭蓋骨もボロボロに崩れて

いった。そして、最後に拳大ほどの肉片がその灰の中に残って、ピクピク動いていた。

 ジーケンイットはその塊に剣を突き刺し、二つに引き裂いた。そして、それを大きな穴の方に

蹴り上げた。

 

 ターニは微かな息の中で周りの人を見ることができた。光球の爆発により飛び散った岩片はタ

ーニの背中をまともに襲い、大きな破片が突き刺さって背中を真っ赤に染めていた。だが、その

お陰で史子はかすり傷だけですんでいた。

「ターニさん、しっかりしてください」史子は目に涙を溜めていた。「御免なさい、わ、私のた

めに、こんなことになって」

「・・・いいのですよ。フミコーさん、あなたが無事でおられるなら・・・」

 カーミを倒したジーケンイットも駆けつけた。「ターニ、大丈夫か!」

「ジーケンイット様、私はあなたに仕えることができて幸せでした。一度は死んだこの私を救っ

て頂き、感謝のしようもありません」

「な、何を言うんだ、ターニ!私はまだお前を必要とする。剣の技とてまだお前には及ばないん

だぞ」ジーケンイットはターニの手を握った。

「何をおっしゃいます。ジーケンイット様はすでに私を越えております。剣の力で適う者はおり

ませんでしょう。あとは精神的な面さえ克服されればもう何も言うことはありません」

「ターニ、死んじゃいやだ。ターニ、また一緒にどこか行こうよ、ねー」ヒロチーカはターニの

胸にすがりつき大粒の涙を流して訴えた。

「ヒロチーカ、お前はもう大人だ。美しい女性になってくれ。私はお前のことを弟、いや、妹の

ように思ってきた。何もしてやれなかったが、お前との冒険は楽しかったぞ」

「ターニ!」泣き叫ぶヒロチーカを奈緒美が後ろから抱き抱えてあげ、ヒロチーカ彼女の胸で泣

きつづけた。

「ジーケンイット様、お願いがあります。私が死んでも竜玉の力で甦らしたりしないで下さい。

私はもう疲れました。それに、彼女を待たせすぎています。いい加減に行ってやらないと、可愛

そうなので。どうか、お願いします」

「ターニ・・・。分かった。約束しよう」ジーケンイットはターニの言葉におれ、彼の手を強く

握った。

「エツコーさん」伊藤のそばにいた悦子は呼ばれて近づいた。

「何でしょうか、ターニさん」

「あなたにもお礼を言わせてください。そして、これからのことを頼みます。ブルマン王家をい

つまでも守って下さい」

「は、はい、ターニさん」悦子は嗚咽でそれ以上の事は何も言えなかった。

 ターニは周りを見るようにゆっくり見回した。全ての人たちが涙にむせいでいる。特に一緒に

旅した美砂や土田は泣きじゃくっており、青山もまともに見れないのか、背中を向けて肩を震わ

せていた。そして、最後に史子を薄れゆく視界の中に捕らえた。

「フミコーさん、私はあなたに出会えて良かったと思っています。あなたによって私は悔いのな

い人生を全うできたと・・・。ですから、これをもらって下さい」ターニは首にぶら下げていた

ペンダントを引きちぎり、史子に手渡した。「あの世には持っていけないので、あなたにもらっ

て欲しいのです。スウーイも分かってくれます。ありがとう・・・」

 史子は手渡されたペンダントが自分の手の中に落ちるのを感じて、ターニを直視した。閉ざさ

れた瞼と口許が幸せそうに微笑んでいる。トーセ最高の騎士が、今逝った。

 悦子は自分の持っていた竜玉を握りしめ、ターニが甦るように願いを掛けようとした。だが、

それを伊藤が止めた。「何をするの?今ならまだ、間に合うわ」

「駄目だ、ターニさんが、頼んでいたろ。生き返らさないでくれって、彼の望みは叶えてやらな

くては」

「でも、そんなの、いやよ。ターニさんが死んじゃうなんて、ほっとけないわ」

「エツコー、私からもお願いする」ジーケンイットが割って入ってきた。「一度、竜玉の力で生

き返った私には、そんなことを言う権利はないかもしれないが、ターニの意志を尊重してやって

欲しい。ターニは充分に働いてくれた。もう、このへんで休ませてあげたいのだ。ターニが愛し

た女性の下に送ってやりたいんだよ」

 悦子はジーケンイットの涙を見て、考えが変わった。一番辛いのはこのジーケンイットかもし

れない。ターニはジーケンイットにとり、従者であり、師であり、そして、友であったのだ。そ

のターニを失った悲しみは人一倍のはずだ。そのジーケンイットがターニを眠らせて欲しいと言

っているのだ。竜玉の力で甦らすのは簡単かもしれない。だが、人の命はそんな単純なものでは

ないのだ。ターニはまだトーセにとって必要な人間かもしれない。だが、彼の役目は終わったの

だ。一度死んだ身の男が今までの罪を償い、未来を作った。たとえ、ターニはいなくなっても彼

の意志というものは決して失われない。永遠にジーケンイットたちの中に生き続けるのだ。

 いつのまにか、コトブーが現れ、ジーケンイットの肩を叩いていた。ターニの側ではヒヨーロ

が泣き崩れている。悲しみは大きかったが、今はそれを乗り越えなければいけなかった。

「ジーケンイット様」負傷したエーグが応急処置をした腕を抱え近づいてきた。「ルフイです」

 ジーケンイットが振り返ると、ルフイがギオスの遺体を抱き抱えて歩いてきた。華奢なフルイ

は自分の倍ほどもあるギオスを重たそうに両手で運んでいる。ルフイはジーケンイットの前に来

ると立ち止まった。

「ジーケンイット様、ギオスの亡骸は私が預かります。どうか、このまま、お見逃しください。

二度とトーセに姿は現しませんから」ルフイは深々と礼をした。

「ああ、分かった。お前の好きなようにしろ」

「ありがとうございます」ルフイはもう一度礼をして再び歩きだそうとしたが、背中を向けたま

ま立ち止まった。「ギオスが言っていました。ジーフミッキ様でなく、ジーケンイット様にお仕

えしていれば、自分の生き方も変わったかもしれないと。・・・私もそう思います」そう言うと、

ルフイは穴の一つに消えていった。

 ジーケンイットの周りに皆が集まってきた。悦子たちは全員無事だが、警備隊の兵士はほぼ壊

滅状態で、怪我人が七人ほどおり無傷な者はいなかった。ジーケンイットはコトブーからジーフ

ミッキが死んだことを聞かされ、眉をひそめた。この戦い、あまりにも犠牲者が多すぎる。だが、

戦いはまだ終わっていなかった。

「これで、終わったのでしょうか?」フーミがつぶやいた。

「いえ、まだです。まだ、トゥリダンがいます。そして、ゲートが開く時が迫っています」ノー

マが冷静に答えた。

「トゥリダンか、こんなに多くの人の命を奪いやがって、許せないな」古井の言葉は誰もが思っ

ていることであった。

「ところでゲートというのはどこにあるんだろう。そんな地球に繋がっているような穴はないよ

うな気がするけど」佐藤の質問に誰も答えられない。だが、その時、回答が現れた。

 洞窟内にサイレンのような大きな音が響きわたると同時に、一瞬にして、周りに霧が発生しだ

した。まるで、ステージのドライアイススモークのようで、どこからそれが発生しているのかも

分からない。そこにいた誰もが動揺していたが、逃げようとしても方向さえも分からなくなって

いた。しばらくすると、音が鳴りやんだ。そして、すぐにも霧が晴れ出し、徐々に視界が回復し

てきた。そして、彼らの目の前には信じられない光景が広がっていた。

第十六章へ   目次へ ホームページへ


 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください