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トゥリダンの逆襲

 

    第 十 七 章      パ ワ ー ・ オ ブ ・ ハ ー ト

 

         1

 

 洞窟内の霧が掃除機にでも吸い込まれるように一瞬にして消滅していく。だが、その後の情景

は霧の発生する前と一変していた。この広い空間の中央には大きく窪んだ穴があった。今もその

穴は存在するのだが、さっきと異なっているのはその穴の中に水があることだった。窪んだ穴に

は澄みきった水が満々と溢れんばかりに漂っているが、鏡のように波一つたてない静かな湖面で

ある。そう、これが地底湖であるエサカ湖の本当の姿であった。

「こりゃ、すげえー、一瞬にして湖になっちまった」唖然とする一行のうち、藤井が最初に言葉

をもらした。

「ここが、エサカ湖というのは正しかったのね」祐子がつぶやいた。

「そして、この地底湖こそがゲートなんだ」土田はそう確信を持っていた。

「あっ、皆、来て来て、大変よ」湖の湖面に近づいて、覗き込んでいた美砂が大声を上げて皆を

呼んだ。一同が湖面まで行き、美砂と同じようにしてみると、彼らは皆同様に声を張り上げた。

 透き通った水の中に、多くの人間の姿が見える。水の屈折により、それは少しぼやけてみえる

が、水の中に写っている人々は紛れもなく、彼らの家族であり、友人であった。

 

「裕予がいる」青山が言った。

「千尋ちゃんが、香織ちゃんに神谷さんも」史子がそう言うと、前沢も「ほ、本当だ」とつぶや

いた。

「うちの人がいるわ。それと、あれは加藤君に、森君じゃない」奈緒美が歓声を上げた。

「ひとみじゃないか!」佐藤がそう言うと、枡田が「寺村君に和田さんもいる」と後に続く。

 浩代が「孝江ちゃんに、光永さんだわ」と言うと、隣の祐子は「あれは、大北さんに竹村さん

じゃない」と驚き、美香は「みゆきちゃんまでいるわよ」と感動していた。

「臼井、来てくれたのね」美砂は歓喜した。

「荻須さんじゃないか、佐藤さんに古田さんもいる」古井の言葉に続いて、土田は「た、竹内さ

ん」と震えて言った。

 藤井は「竹原まできてやがる。すごいこったな」と苦笑している。

「皆来てくれたのね。私たちのメッセージが届いたんだわ」悦子は涙目で喜んだ。

「くそ坊主がちゃんとやってくれたんだな!」伊藤はこの奇跡に感謝していた。

 だが、彼らの安堵も一時でしかなかった。喜びもつかの間、洞窟内が大きく「ゴーッ・・・」

という激音と共に揺れはじめた。

「何だ、何が起こっているんだ。地震なのか、それともセブンフローが噴火でしているのか?」

ジーケンイットは突如の異変に再び緊張度を増していった。

 ノーマは揺れに耐え切れず、大地に這いつくばって答えた。「こ、これは・・・。きっと、ト

ゥリダンです。ゲートが開いたので、トゥリダンがやって来るのです」

「何だと、トゥリダンが・・・。エツコたちトゥリダンが来る!危険だ、水面から離れて戻って

くるんだ!」

 ジーケンイットの叫びに、エツコたちも事態の把握ができ、這うようにして戻ってきた。

「とうとう、来やがるか!」藤井は武者震いをしていた。

「いよいよ、地球の運命をかける時が来たんですね」土田がそう言ったが、誰の心にも同様のこ

とが浮かんでいた。

 女性たちや気の弱い男にはこの地響きは恐ろしいとみえて怯えていたが、美香が「ここで、怖

がっては駄目よ。私たちはこの世界と自分たちの世界のために戦わなきゃいけないの。だから、

勇気を持って、立ち向かって」と皆を励ました。

「そうよ。恐怖心を心に抱いてはいけないわ。恐怖がトゥリダンに付け入る隙を与えることにな

るわ。だから、恐れないで」悦子は本来こういった状況下では一番怯えるタイプなのだが、今は

違っていた。以前のトーセにおける戦いや今回の冒険において、彼女は大きく成長していた。一

人だけなら恐ろしいかもしれない。だが、今は多くの仲間がいる。しかも、ゲートの向こう側に

も仲間が集まっている。そのことだけでも、彼女に大きな勇気と希望を与えていた。

 周りの岩壁が崩れだし、尖った鍾乳石が折れて地面に突き刺さる。エサカ湖の水も大きく揺れ

て、湖岸から水が溢れていた。頭上から岩が剥がれ、大きな落盤も起こり、恐怖心を捨てろと言

われても無理な話だった。だが、本当の恐怖はこれからだった。佐藤たちが抜けてきた穴の付近

が崩れだし大きな空間ができあがると、そこから突風が吹きあがり始めた。周りの砂塵になった

石が飛び交い、髪も衣服も大きくたなびき、まともに立ってなどいられない状態だ。そして、そ

の穴からエネルギーの塊みたいな、金色に輝く光が現れた。それはこの洞窟の中央、エサカ湖の

上までゆっくり進むと光の粒子が四方に飛び出し、洞窟内を飛び回った。エネルギーの塊が徐々

に姿を変えていった。丸い塊は前後に伸び始め、先端の部分に生き物の顔を作り出す。細長いそ

の顔に角のような突起が二本現われ、尖った先端が大きく上下に分かれていき、その付け根あた

りに強く光る目が二つ、顔の側面に輝きだ出した。顔の後方はくねくねと曲がった形で筒状に伸

び、その一部に手のような部分と、足のような部分が見え出した。

 完成されたその物体はまさに伊藤たちの知る竜である。日本画や寺院の天井などに描かれた日

本人なら誰でも認識している竜の姿になった。大きく開いた口の中には無数の歯があり、口の根

元に妖しく光る鋭い目、その目の上から雷のように伸びる角、体全体がうねうねと前後左右に動

き、空中を浮遊している。

「竜だ!まさに、竜じゃないか!これがトゥリダンなのか?」青山は想像上の生き物である、竜

を見て声を張り上げた。

「竜だ!あれは、竜だ」皆が口々にそう言いはじめた。

 一方、ジーケンイットたち「トゥリダンが復活した」とその物体を眺めていたが、彼らの目に

は伊藤たちとは違う竜の姿、つまり、五年前の生け贄の時に現れたあざらしのようなトゥリダン

の姿が見えていた。

 だが、一人だけ不思議な映像が目に映った者がいる。悦子だった。彼女は日本の竜も知ってい

るし、トーセのトゥリダンも見ていた。だから、彼女の目にはその二つの竜の姿が重なったよう

に見えている。「私には竜も見えるし、あざらしのようなトゥリダンも見えるわ」

 その言葉を聞いて土田は理解した。「あれは幻です。トゥリダンが我々に、我々が知っている

竜の姿を見せています。僕らには古来からの竜の姿を、ジーケンイット様たちには生け贄の時に

現れた竜の姿です。あれは竜なんかじゃないんです。トゥリダンの幻影に過ぎません」

 だが、二つの姿のトゥリダンは彼らを威嚇しようと怒涛のごとく吠えた。それはまさに地獄の

雄叫びのようで、ゴジラの泣き声など赤ん坊の声に聞こえるぐらいの凄まじさであった。だが、

トゥリダンはそれ以上に彼らを驚かせた。

「私はトゥリダン、私は竜、そして、私は神だ」目の前の幻影が話しているようであったが、実

際には耳から聞こえてくるのではなく、脳に直接言葉が入り込んでいる感覚だった。

「お前たちは神である私に逆らおうとしている。そのことがどんなに不埒なことか分かっている

のか!」

「何をいうか!きさまが神だと、神が人類を滅ぼそうというのか、そんなのは神じゃない、単な

る破壊者だ」藤井が怒りを込め幻影に向かって叫んだ。

「おごるな!愚か者よ。私は人間が誕生する前からテラを支配していたのだ。何万年も、何億年

も前からな。人類の変遷を私は全部見てきた。そのことを忘れおって!」

「確かに、お前は人類より長く生きているかもしれない。だからって人間を支配していいなどと

言うことこそ、おごりではないのか!単にお前は自分にしかなかった、感情や思考を持つ生物が

現れた事に、嫉妬し、恐れただけではないのか!」青山の言葉はトゥリダンを怒らせ、竜の姿の

光が強さを増した。

「人間の分際で私に意見しようといのか。お前たちなど瞬時にしてこの世界から消し去ることも

できるのだぞ」

 ジーケンイットは彼らのトゥリダンの姿に向かって言った。「トゥリダン、トーセの街の人々

を生け贄にしたのはなぜだ。お前は無意味な死を欲していたのか?」

「この星においての私の力を見せるためだ。いかに私が偉大で恐れ多いモノかということを知ら

しめなければならないからな。人間の命など私にとっては些細な物なのだ。お前たちはが虫けら

を殺すのと何も変わらん」

「何だと、トゥリダン、人間をそんなふうに愚弄する気か。我々を虫けら呼ばわりするのか!許

せん、きさまだけは絶対に許せん!」ジーケンイットの怒りははちきれんばかりであった。その

思いは今ここにいる者全員同じである。

「テラから来た者よ。私はこれからテラに戻り、全てを無に戻して新しい世界を築くつもりだ。

全ての文明と生命は滅ぶ、だが、お前たちに新たな人類の源としての意義を与えてやろう。私に

従えば、命を助け、テラにおいて新たな生命を生むことを許してやる。確か、テラの愚話に『ア

ダムとイブ』とかいうものがあったな。その物語を実現させてやる」

「ふざけるな!俺たちがアダムとイブだと。それとも『ノアの箱船』のつもりか。俺たちだけが

生き残って何になる。多くの犠牲者の上に立って生き残ったって・・・。家族がいない、友達が

いない、愛する人がいない世界なんて、あったって無意味だ。きさまに、俺たち人間の自由と生

き方と生命をもてあそぶ権利なんてないぞ。絶対に」佐藤が強く言い放った。

「愚か者たちめ、折角のチャンスを与えてやったのにな。ならば、仕方がない。お前たちをまず

先に死の世界へ、いざなってやる覚悟しろ!」トゥリダンは光っている形を変化させ、太陽のコ

ロナを発するような火の玉になった。周りの空気が熱を持ち始め、静電気みたいなパチパチとい

う電光が洞窟内に発生しだした。再び突風が巻き起こったが、こんどは熱波の風が彼らを苦しま

せた。

「皆さん、竜玉を掲げてください。今こそ、竜玉の真の力を導き出す時です。恐れてはいけませ

ん。トゥリダンこそ、竜玉の力を恐れているのです。ですから、自分自身の力を信じて、持って

いるすべてのモノを出し切ってください」ノーマは風にかき消されないように大声で叫んだ。竜

玉を持つ女性を中心に十五人とフーミたちが分かれ、各々の思いと力を竜玉に託した。

 ジーケンイットは彼らの前に立ちはだかり、ベーシクの楯を正面に構えた。トゥリダンからの

熱風はその楯により跳ね返されている。だが、風はとぐろを巻くように洞窟内をうねり、あらゆ

る方向から悦子たちに向かっていった。すると、彼女らの持つ竜玉が眩しいばかりの光を放ち、

玉の周りにいる人を包み込んで、トゥリダンの攻撃を防御していく。それでも凄まじい波動が大

地や光のバリヤーを通して中にいる人間に伝わってくる。耳をつんざくような轟音と足が浮いて

しまうよな振動が皆の心に恐怖を産み付けようとしていた。

「くっそー、奴の攻撃を防ぐので精一杯かよ。身動きができないな」コトブーは美香の隣でそう

ぼやいた。

「そうですね。このままでは埒が明かないわ。何とかしてトゥリダンにもダメージを与えなけれ

ば、私たちもこの状態が続いてのではもたないわよ」美香がそう言うと、竜玉の中からその意見

に賛同する声が聞こえてきた。竜玉はトランシーバーの役目を果たし、この攻撃の中でも会話を

通じさせている。

「美香さんの言う通りです。守勢だけでは我々の戦いの意味がありません。我々はトゥリダンに

勝たなくてはいけないんです」土田の声が竜玉を通して聞こえた。

「だけど、どおするんだ?奴の攻撃は凄すぎる」古井が言ったようだ。

 悦子がそこで話し始めた。「竜玉には本来特別な力というものはないの。ただ、我々が持って

いる力を導き出し、それを竜玉の力が増大させているだけなの。我々が何もしなければ竜玉も何

もしてくれない。だけど、本当の力を出せば、竜玉はそれに答えてくれるわ。我々が持っている

力をエネルギーに変えてくれるはずよ」

「でも、力って何なのですか?体力はあるつもりですけど、それとは違いますよね」美砂が尋ね

た。

「そう、そんな目に見えるような力じゃないわ。皆が心の中に持っている力、愛とか勇気とか信

頼とか、そう言った目に見えない力のことよ。どんなことでもいいの、地球を守りたい、友達を

助けた、愛する人に会いたい、そんな人間としての、人間しか持っていない感情をトゥリダンに

ぶつければいいの」悦子は熱弁を振るった。

「そうです。トゥリダンは実態のない存在です。今我々が見ている奴の姿もただの虚像にすぎま

せん。ですから、奴に対抗するには我々も実態のないモノ、すなわち、心の力で立ち向かうしか

ないのです。竜玉は僕らのそういった心をエネルギーに変えてくれます。そのエネルギーが悪の

思考を持つトゥリダンの意思を打ち砕くことができるはずです。竜玉は僕らのために力を貸して

くれます。それを信じて力を出してください」土田は竜玉の思考を得ている者として竜玉の力を

信じていた。

 そこにいる全員がその言葉を信じた。この強大なトゥリダンを倒すためには一人の力では到底

無理だが、皆の心がひとつになれば、強靭な敵の意思をも粉砕することができるはずだ。互いを

信頼し、互いを愛しく思い、全ての為に命を賭ける。その強い意志が奇跡を生み、そして、その

力強い思いに竜玉が感応する。自らを傷つけることはできない竜玉はその中に善の意思を持つ。

その意思が人間の意思と重なり合う時、二つの力は一つになってトゥリダンをも凌駕する無敵の

パワーとなった。

 バリアのように彼らを取り巻いていた竜玉の光はその光の強さを増し、トゥリダンの幻影に匹

敵する光を放ち始めた。六個所からの光が大きく広がっていき、やがて一つの大きな光の輪とな

った。ジーケンイットは背後で起こっている光の広がりを察知すると自分がその中に飲み込まれ

ていったのが分かった。すると、手に持つベーシクの楯に光が吸い込まれていき、楯全体が強烈

な光を発した。

 トゥリダンの目の前にドーム型の光が広がり、その中央がその周辺以上に輝きだした。その部

分が大きく開かれるとその輝く光が膨張し、トゥリダンに向けて放たれた。その光をまともに受

けたトゥリダンの幻影は、強烈な意思のエネルギーに耐えることがでず、自分が放っていた炎と

熱波を著しく衰えさせた。幻影に起こった事態は意思であるトゥリダン自身にもその影響を及ぼ

す。自分の持つ、悪と人間から呼ばれる思考が大きなうねりの中に巻き込まれたようで、実態が

ないにもかかわらず、苦痛を感じていた。それは三種の神器によって幻影が傷つけられた時に起

こる痛みと同じ物であったが、その度合いはトゥリダンが味わったことのないものである。

 悦子たちの強い意思が竜玉によってエネルギーに換えられ、トゥリダンを倒すべく集まった人

間の意思により作られたベーシクの楯の力と合わさったことが、絶対的な存在のトゥリダンを苦

しめる結果となった。

「馬鹿な、人間どもにこんな力があるとは・・・。私の涙がここまでの力を導き出しているのか

?それに、私を倒すために作られた武器が・・・。これは何だ、この痛みは、そしてこれは何と

いう感情なのだ」トゥリダンは意思を持つ以上人間と同じ感情がある。だが、今まで自分を怯え

させる者がなかったトゥリダンにとり、恐怖という感情は経験していなかった。このままでは自

分の存在が消滅してしまう、そんな思考がトゥリダンの中に芽生えていた。

「ならば、こいつらの相手などせず、テラに戻った方が賢明だな」トゥリダンは本来の目的を思

い出し、地球に向かうことにした。

 その思考を竜玉が察知し、すぐさま竜玉を持つ女性たちに伝えられた。

「大変だわ、トゥリダンが地球に行こうとしてる!何とかしなきゃ」美香が最初に叫んだ。

「奴め、地球に逃げようっていうのか。そんなことはさせないぞ」土田はそう言いながら、遠く

離れた地球の仲間たちにメッセージを送った。

「宮崎!聞こえるか?聞こえるなら返事をしてくれ!」

 

         2

 

 雨にうたれながら池の平にたたずんでいた宮崎たちは池の中を覗き込み、その底に映る不思議

な映像を見入った。彼らの家族や仲間が見え、一同に喜びいさんだのもつかの間、水の中のあち

らこちらが花火のように光りだし、いつしか巨大な光の玉が現れると、青山たちも別の光に覆わ

れていくのが雨がはじけて揺れる水面の下でぼやけながらも見えている。

「一体何が起こっているの?私たちをここに呼んだ訳ってなんなの?それにどうしたらウチの人

たちが帰ってこれるのかしら」裕予は矢継ぎ早に誰に問い掛けるのでもなく質問した。

「あの人たちは戦ってんですわ」宮崎はぽつりと言った。

「戦っているって、あの眩しい光みたいなのとか?それじゃ、あれが夢の中で言っていたこの世

にとっての危機なのだろうか?」竹内はそういう結論にしか達することができなかった。「それ

で、俺たちは何をすればいいんだ、ただ、黙ってここで見ているしかないのか?」

「そうでんな、今は祈るしかないでっしゃろ」

「どうして、こんな近くに見えるのに、声が聞こえないの?すぐそこなのにどうして帰ってこれ

ないの?」涙目で、香織が訴えていた。

「そうか、近くにいて遠いってことはこの事だったのか。けれど、彼らの心の声が聞こえてくる

だろう」竹内はそう香織に言ってあげた。

「ええ、聞こえるわ。皆が必死になって戦っている。心を一つにしているのがここまでも伝わっ

てくる」

「なんやて!」急に宮崎が大声を上げた。

「どうしたの宮崎さん、何かあったの?」千尋が尋ねた。

「これはえらいこっちゃでー、けど、あの人らがわてらを呼んだ理由っつうのが分かって来まし

たわ。あの光の主がこっちに向かってきますんねん」

「えっ、光って、あれは一体何なんだよ。何が来るっていうんだ?」谷口は落ち着きを無くして

いた。

「竜が来るらしいでっせ、トゥリダンとかいう。ただ、それは単なる竜じゃおまへんな。神みた

いな竜でっか。ただし、わてらを幸福にしてくれる神とは違いまっせ。悪意に満ちた、人間と世

界を無に変える神でんな。わてに言わしてもらえば、単なる鬼でっせ。けれど、その神の正体は

肉体の存在しない魂みたいなもんですな」

「神とか竜とか、訳が分からんな。で、それがこっちにきてどうなるんだい」酒井は苛立ちなが

ら言った。

「どうなるどころじゃありまへんで、それがこっちに来てもうたら、この世は終わりでっせ、全

てが滅び、何も残らんようになってまうんですわ」

「おい、それって・・・、そうか、樋口君たちはこのことが言いたかったのか。で、どうするん

だ?どうすればいいんだ?宮崎さんよ」竹内はことの重大さに緊張しはじめた。

「でっから、我々にできることはでんな、祈ることしかないんですわ」

「祈るたって何を祈ればいいのですか?」和子がきいた。

「でっから、あの水の向こう側にいる人たちのことを念じればいいんでっせ。あの人たちがこっ

ちに帰ってきてほしいとか、もう一度会いたいとか、何でもええですわ。とにかく、あんたさん

方の心で思っていることを素直に強く、念じていればええでっせ。後は私の力で何とかしまっさ

かい」

「よく、分からないけど、とにかく今言ったように心で思えばいいのね」幸子がそう言って最初

に目を閉じた。それに続いて皆が順番に目を閉じていき、一心に願いを込めるように体を硬直さ

せていった。筒井警部も何が起こっているのか全く理解できていなかったが、周りの人々に倣う

しかなかった。

「さあ、竹内さんも目を閉じてくださいな」

「ああ、だが、お前はどうするんだ。こちらに向かって来るモノに対して戦わなくちゃいけない

んだろ。何かとてつもないモノが来るみたいだが、大丈夫なのか?」

「さあ、わてにもそれは分かりまへん。けどでんな、わてはこうしたモノと戦うためにこの力を

授かっているんです。ですから、わてが存在している意味を示す時、でんねん」

「宮崎さん・・・」

「さあ、わてらも戦いましょ。水の向こうで戦っている人たちのために」

 

 トゥリダンの光の玉はその強さを弱めたかと思うと、玉がその形を崩し始め、無数の細かい塊

に分離していった。その塊は洞窟内を無造作に動き回り、そしてエサカ湖の中に飛び込んでいっ

た。

「トゥリダンはゲートを抜けて地球に行こうとしている。それだけは何としても防がねばならな

い。地球側の宮崎を通して、向こうからもトゥリダンを封じ込めるように言ったけど、こちら側

からも奴が向こうに行けないよう、引き続いて力を出し、竜玉のパワーを借りて引き戻さなきゃ

いけない」土田は気を緩めないようにと皆を喚起させた。

 彼らはその言葉に従って、念ずる思いを今まで以上に強くさせた。トゥリダンを絶対に地球へ

行かせてはならないのだ。帰る故郷を失うことだけは絶対に阻止せねばならない。竜玉の光のド

ームからもトゥリダンの光を追いかけるように、光の帯が数十個所から伸び始め、湖の中に突っ

込んでいった。

 

「来たでー!」宮崎がそう叫ぶと今まで雨の雫しか水面になかった池の様相が一変してきた。水

の底の方で光っていたものが徐々に上昇してくるのが見える。水面の水があちこちで噴水みたい

に盛り上がり、水鉄砲のようにしぶきを飛ばし始めた。大地が揺れるような細かい振動が足元か

ら伝わってくる。

 宮崎は日蓮宗の読経を唱え始め、池に向かって念波を放った。額に皺を寄せるほどの力を込め、

彼が持つ精神の全てを放出している。それは、今まで霊たちと戦ってきた時の威力よりも何倍も

大きく強いもので、これほどのパワーを宮崎も出したことがない。それは、自分自身を滅ぼす程

のエネルギーであり、力を出しすぎれば精神に異常を来たし、廃人になりかねないほどである。

だが、今の宮崎にはそんなことを考えている意識はなかった。ここで力を出し切らねば、どのみ

ち世界は滅ぶのだ。ならば、自分の命などと、宮崎とは思えないことを考えていた。そのことは、

ここに来るまでの様々な異変を感じていた宮崎には、すでに決心していたことである。他人が感

じない異変を察知できることが、自分の役割ならばそれを全うしなければならない。それは自分

の命さえ顧みないほどの宿命と宮崎は感じていた。

 宮崎から発せられるパワーが池に放たれると水面がすり鉢状にへこみだし、その中央に渦巻き

が発生しだした。宮崎がより一層力を込めると、まるで十戒のように水面が大きく割れ、目には

見えない力が水底に向かっていった。底の方からも光の塊が上がってきている。そして、光と力

が水の中で衝突した瞬間、大地を揺るがすような大きな衝撃とそれにともなう地響きが森の中に

こだました。

「こりゃ、思った以上に凄い奴や。これはちょっとまずいんとちゃうかいな」宮崎は敵のあまり

に強いパワーを感じ取り、少し戸惑った。

 光と力の衝突により、大きな水柱が池の中で吹き上がった。音と振動により一心に念じていた

竹内たちもさすがにその衝動には無反応でいられない。目を開け何が起こっているのかを確認す

ると滝の水に打たれたように水柱の水を被った。大地は大きくゆれ立っていられない人もいる。

「何よこれ、地震なの、一体何がおこっているの」啓恵を初め、女性たちはもちろん男どもでも

怯んだ。

 その瞬間に宮崎は自分たちの力が弱まったのを感じていた。「駄目でっせ。気を緩めたらあか

んがな。あんたさんがたの力が必要なんですわ。もっと、心の力を注いでくれまへんか」宮崎は

焦りを感じ始めていた。額には雨でなくて汗の滴が吹き出していた。

 だが、香織たちは事の真相を掴めず、恐れを抱き始め、心の中もパニック状態になり出してい

た。

 その時、彼女らの心の中に、水面下の向こう側にいる人々の声が聞こえてきた。

「裕予、恐れないでほしい。俺はお前のところに帰りたいんだ。だから、奴に負けないでくれ」

青山の声が裕予に優しく囁く。

「臼井、もっと気をしっかりもってよ、弱気なると負けちゃうよ。大北さんも竹村さんも怖がら

ないで」美砂の声が彼女たちに届いた。

「ひとみ、がんばってくれ、まだ、俺はここでくたばるわけにはいかないんだ。まだ、君との生

活は始まったばかり、何も築きあげない、中途半端は嫌なんだ!」佐藤の声がひとみの恐怖を取

り去っていく。

「白井君、肉体の眼で見ないで心の目で見てみれば何も恐くない。俺たちの心が見えるだろ。竹

原もそうだ、お前には強い意志というものがあるだろう。それを表に出せばいいんだ」藤井の励

ましを白井と竹原は聞いた。

「香織ちゃん、僕はここに、すぐ側にいる。だから、負けないで!僕も一緒に戦っているんだ」

香織は前沢の声に真の思いを感じ取った。

「真里さん、古田さん、本当の自分をそのまま出せばいいんだ。そのままの心を。そうすれば敵

は恐れをなしていくよ。荻須さんも自分を信じて持てる力を出してくれ」三人の脳裏に古井の声

がこだまする。

「谷口君、優しさを思い出せばいいの、人を思いやる心を思い出せばいいの。江口君、心の恐怖

を全部捨てて、全ての力が一つになる時よ」浩代の言葉は谷口と江口を我に返らさせた。

「あなた、頑張って、こんな奴に負けてどうするの。私が帰れなくなってもいいの。加藤君、森

君、男でしょ、もっとしっかりしなさいよ」奈緒美の言葉が男たちを喚起させる。

「みゆきちゃん、ここまで来てくれてありがとう。それだけでも嬉しいのに・・・。頑張って、

母親の気持ちを心に大きく広げれば何も恐いものなんかないわ、だから、勇気を出して・・・」

みゆきは美香の言葉を受け止めた。

「和田君、寺村君、君たちは結婚しているんだから分かるだろう。何が大切で何のために生きて

いるか。そのことを思えばいいんだ。その気持ちが大きな力になるんだ」枡田の言葉は二人に強

さを与えた。

「順子ちゃん、素直な自分に戻れば何も恐くないわ。一人じゃないのよ、皆がそばにいるわ。千

尋ちゃん、母親の愛がどんなに素晴らしいものか知っているでしょ!その心が奇跡を生むのよ。

力は千尋ちゃんの心の中にあるの。それを念じれば恐怖なんて吹き飛ぶわ」順子と千尋は史子の

声に奮い立った。

「孝江ちゃん、光永さん、私たちの声をきいて、今、世界の命運は皆の力にかかっているの!こ

こで負けたら全てが無になるわ。だから、弱音を吐かないで」祐子の願いが彼女らを目覚めさせ

る。

「竹内さん、頑張ってくれ、僕たちの力と皆の力が一つになれば、何者にも負けないよ。きっと

樋口君やケイちゃんたちも応援してくれる。僕らは今一つの意思になるんだ。そうすれば邪悪な

意思に負けるはずがない。信じて僕たちを、信じて皆のことを。信じることが希望を作り、信じ

ることが未来を切り開くんだ」土田の叫びが竹内に届いた。

「分かったよ。俺はもう何も恐れない。俺には『死』という恐怖がいつもまとわりついていた。

だが、今それから解放されたような気分だ。実は樋口君たちに会ったんだよ。ケイちゃんや片岡

さんたちにも。彼らも今、俺たちのために祈っているはずだ。だから、俺はもう何も恐れるもの

はない。今は、君たちの帰りとこの世界の未来を信じている。それが、本当の力になることを今

知ったよ」竹内は心の中でそう返事をした。そのことで竹内は全ての呪縛から解かれたように正

義という強い意思がみなぎっていた。

 宮崎の脳裏に伊藤の声が聞こえてきた。「宮崎、よくここまで皆を導いてきてくれた。そして、

この命運を賭けた戦いに挑んでくれて感謝するよ。けれど、この戦いは簡単には終わらないと思

う。武器や兵器での戦いじゃなくて、精神と意思との戦いだ。だから、頑張ってくれ、お前が皆

の力を一つにして、奴を、トゥリダンを打ち砕いてくれ」

「伊藤はん、簡単に言うてはりますけど、こりゃ、ちーとばかし苦しい戦いでっせ、でも、何と

かしますわ。そうせな、わても女の子と遊べんようになってまうで。でっから、そちらも何とか

してくんさいよ」宮崎は半分強がりを言って、半分本音で言っていた。これほどまでの敵には今

まで出くわしたことがない。宮崎は生涯において初めて恐怖というものを感じている。恐怖など、

和尚の恫喝ぐらいしか知らなかったが、心の中に逃げようとしてしまう自分の逃避的な感情が恐

怖に対面していることの現われだと知ったのだ。だが、もうそれは無くなった。宮崎は女の子の

事以外の邪念を捨て去り、敵に対して精神を集中させた。

 そして、悦子の声が皆に聞こえた。「みんな、来てくれてありがとう。そして、こんなことに

巻き込んじゃって御免なさい。でも、時間が無くて皆に頼るしかなかったの。恐ろしいだろうけ

ど、今は皆の力を貸して。もうこれしか、私たちが帰るところ守る方法はないの。心を一つに、

皆の心を、恐れないで、皆が一つになれば恐いものなんかないわ」

 別次元にいる仲間たちの声が恐れを抱いていた竹内たちに勇気を与えた。その力が大きな波動

となり水の中に向けて放たれた。雨が下から降ってくるかのように水柱と水しぶきが跳ね上がっ

てくる。宮崎も彼らのパワーに連呼するかたちで自分の持つ力を最大限に引き出した。精神がト

ランス状態に陥ったかのごとく、五感で周りのことを感じ取ってはおらず、心の目だけで宮崎は

すべてを見ていた。その心の目にトゥリダンの姿が見え始めた。

───これが、敵の姿なんか!何という精神の強さを持っているんや。肉体は存在せえへんはず

なのに、なぜこれほどの意思があるんねん。奴は本当に神なのかもしれへんな。

 

 トゥリダンはゲート通過し次元の境に来たとき、向こう側から押し寄せてくる力に驚いた。

───どういうことなのだ。テラからも私に刃向かおうとする人間がいるのか?しかも、この力

さっきの奴らと等しいほどの波長だ。人間にこれほどの力があるのか?確かにあの三つの武器を

作った人間の力は強かった。だが、長い年月の経った今でもそんな力を持ち続けている人間が存

在しているなど信じられん。あの武器が最後の力と思っていたのに・・・・

 しかし、トゥリダンはそんなことで怯んだりはしない。ゲートを抜け、テラに行き着くために、

自分の思考の力を前面に押し出していった。

───だが、私には勝てるはずがない。人間がどんなに力を出そうともこの私には・・・。私は

人間より遥かに優る存在なのだ。私が人間を支配してきたのだ。その、私が・・・。

 トゥリダンは抵抗する地球からのパワーに対抗するべく、意思の念を強くした。次元間の境界

付近で衝突した二つの思念波は押し合い圧し合いの形で一進一退を続けている。その時の衝撃波

が地球側とトーセ側に伝わり、大地の異変を呼び起こしていた。

 ブルマンの城にいたリオカやミヤカたちもその大きな揺れに驚いていた。

「リオカ様、この大地の揺れはどうしたことでしょう。何かとても恐ろしいものを感じますが」

ミヤカは怯えてリオカにすがり付いてきた。

「今、ジーケンイット様たちがトゥリダンと戦っておられるのでしょう。私たちもここで祈りま

しょう」リオカは願いを込めて目をつぶった。彼女の背後では、ヨウイッツやキユーミも祈りを

捧げていた。

 

 シンジーマーヤとアズサーミは揺れの中でも落ちついていた。

「シンジーマーヤー王、これは、ジーケンイットたちが戦っているのですね」アズサーミは窓の

外を覗きながら王に語りかけた。

「そうだ、ジーケンイットの叫びがここまで聞こえてくるような気がする。だが、それは勝利へ

の叫びだ。我々もジーケンイットや一緒に戦っている者たちのために、祈ろう。少しでも彼らの

ためになるのなら」シンジーマーヤはそう言って、アズサーミの側に行き、震える彼女の手に自

分の手を重ねた。

 

 城内では兵士たちが慌てていた。

「騒ぐでない。ジーケンイット様や仲間たちが、今戦っておられる。ここにいる者も共に戦って

いるつもりで祈るのじゃ」老練のテムーラは若い兵たちを叱咤した。兵たちはその言葉を聞いて

騒ぎをやめ、全員が静かに目を閉じた。

 

 オーミナは病院のベッドで揺れを感じた。そして、これがジーケンイットたちの戦いだという

こともすぐに分かった。「頑張るのよ、リーノ」オーミナは一心に祈った。

 

 イーウはマーキーの腕の中で怯えていた。「お母さん、恐いよ、恐いよ」

「大丈夫よ、イーウ、お城の方たちが私たちのために戦っているのよ。だから、怖がらないでい

いの。そして、お母さんと一緒に祈ってね、あの方たちが無事でおられうように」

 イーウも母の言葉に従って、震えながらも祈った。

 

 街でもこの大きな揺れに街人は動揺していた。店から道路に飛びだし、何が起こったのかと右

往左往している人ばかりである。その中に、二人の女性が立ちはだかり大きく叫んだ。

「慌てたりしては駄目よ。これはジーケンイット様が戦っておられるの。私たち、そして、トー

セのために」ミーワの叫びで街の人々は鎮まった。

「そうよ。だから、皆もジーケンイット様のために祈りを捧げて、私たちもここで戦うの」マー

リの声に従い、街の人々は瞳を閉じた。

 ルフイはちょうど洞窟の出口に達したところであった。大きな揺れが出口の上から落石を起こ

させ、彼の上に降りかかってくる。ルフイは背負っていたギオスをすぐに降ろし、庇うようにそ

の上に覆いかぶさった。小さな小石がルフイの体に当たり、その上から巨大な岩が彼に迫った。

だが、その巨石はルフイの頭上直前で崖の縁に当たって跳ね返り、彼の目前に落下した。

「ギオス、お前が守ってくれたのか」フルイは眠っているようなギオスに話しかけた。

 

 地球の各地でその地震は観測された。震源地は静岡県西部の山中であり、断層による地震と観

測所は考えたいた。だが、この地震は実に不思議なものであった。まず、マグネチュードが八を

超えるという規模の大きい地震であるにも関わらず、各地での震度は一から三ほどの弱いもので

あった。震源地近くであっても震度は五に満たない。だが、地震を観測した地域は途方もなく広

かった。日本全国の地震観測所の地震計測器はこの地震をキャッチしていた。だが、それは日本

だけでなく隣の中国はもちろんのこと、アジア全域を始め遠く、ヨーロッパ、アメリカ大陸でも

この地震をとらえていた。確かに地震の発生というか、最初に観測されたのは静岡であるが、地

震波がそこから地殻を通じて広がったのとは違っていた。まるで、地球の内部から外側に向かっ

て地震が起こったようで、世界中でこの地震を感知することができたのだ。弱い揺れではあるの

だが、その時間は何分も続くほど長かった。だが、なぜこのような現象が起こったのか、それを

科学的に解明できるものは誰もいなかった。

 宮崎はトゥリダンの思念波とぶつかった自分のパワーの反動をまともにくらった。その衝撃は

肉体に及ぶのではなく、彼の精神に影響を及ぼす。すさまじい苦痛が宮崎の中に流れ込んだ。だ

が、宮崎はそれによって怯んだりはしなかった。なぜなら、彼の周りに自分以上の力が充満して

いるのを感じ取っていたからだ。水面下の向こう側の仲間たちからのメッセージにより、真の力

に目覚めた香織たちのみなぎるような意思の力が、大きく広がっていた。

 

 トゥリダンは宮崎の思念を跳ね返し、地球側に一歩進んだ。だが、すぐにもさっき以上のパワ

ーがトゥリダンに向かって襲来した。トゥリダンの意思はその波により進行を阻まれ、次元の境

でたじろんだ。

───何という力なのだ。こちらの世界と同じように一人の人間の力ではないな。様々な意思が

混ざり合い、それが一つになっている。だが、私を打ち負かすことは不可能だ。人間は神を超越

することはできないのだ。

 トゥリダンの思念は地球の人間のパワーを凌駕するべき、威力を増した。トゥリダンの力が一

つ一つに思念を食いつくしていくように、徐々に前進を再開させた。

 

───クッソー、あれだけの力を持ってしても、こいつを押さえることはできへんのか?凄い奴

やで、ほんまにすごいで、このままではマジで地球そのものがまずいでんな。おーい、土田さん

たち、何とかできへんのか?このままでは負けるで。

 その声は洞窟にいる人々の頭の中に伝わった。

「やはり、奴は神なのか?俺たちの力では倒せないのか?」佐藤は悔しそうに言った。

「諦めては駄目です。私たちが諦めてしまえば、もう負けです。最後まで諦めては駄目ですよ」

史子は力強い意思をあらわにした。ターニの死が彼女を何倍にも強くさせていた。ターニの死を

無駄にしてはいけない。彼から教えられた心の強さというものを、無くしてはいけないのだ。

「史ちゃんの言うとおりだ。俺たちは何のために苦労してここまで来たんだ。そのことを忘れて

はいかん。俺たちは故郷に帰るんだ。そのためにも、絶対に諦めることはできないんだ」青山の

声が皆の心に響いた。

 ノーマが思いついたように言った。「皆さん、竜玉を向こう側に与えてみてはどうでしょうか

?テラの方の力を助けるためにはそれしかないと思いますが・・・」

「そうだ、それがいい。真野さん、脇田、その竜玉を地球に渡すんだ」藤井がその案に乗った。

「でも、どうすればいいのですか?ここと地球では次元が違うのでは」奈緒美が疑問を唱えたが、

すぐにも土田がその答えを出した。「大丈夫、この湖に中に投げ込めば、きっと届くはずだ。だ

から、早く投げ込むんだ」

「分かりました」、「分かったわ」と奈緒美と祐子は持っていた竜玉を湖に向けて放り投げた。

「よし、では我々も残った竜玉の力を最大限に引き出し、トゥリダンをこちら側に引きづり戻す

んだ」ジーケンイットの声に皆はもう一度力を振り絞った。

 

 湖に投げ込まれた二つの竜玉は重力に引き込まれるように湖底へ向かい、次元の壁を越えると、

地球側の池に入り込み、こんどは重力に逆らうようにすさまじい勢いで水の中から飛びだした。

───宮崎、我々を救ってくれるパワーをこちらからそっちに送ったそれを受け取って力を出し

てくれ!

 土田の叫びが宮崎の心に伝わると、「その、玉を受け取って、もっと力を出してくれ、これが

最後のチャンスかもしれへん。あんたさんがたの全てを全部出し切ってくれ」宮崎は皆の心にそ

う叫びかけた。

 竜玉は吸い込まれるように、香織と裕予の手の中に飛び込んだ。そして二人がそれを握った瞬

間、強烈な光がそこから溢れだし、池の周りを覆い尽くした。

 香織も裕予も竜玉の光を浴びて、暖かい心地よさを感じた。それは全ての恐れも不安も消し去

っていくようで、自分が持っている力が何倍にも増幅されたような、みなぎるものがはっきりと

分かった。そして、その力の広がりは周りにいた者たちをも取り込み、全員が同じ気持ちになっ

ていた。

「素晴らしい、この安らぎは、この暖かさは何なのだ。そして、この湧いてるような勇気と力、

何も怖くない、何も恐れるものはない。そして、この力が今迫り来る敵を打ち負かすことが出来

ると確信が持てる」竹内が心でそう感じた時、池の周りに広がっていた光が波をうっている池の

中に注ぎ込まれていった。人間たちの意思と竜玉の力が一つに合わさり、それはどんな力にも負

けることのないパワー・オブ・ハートとなって、前進をしていたトゥリダン目掛けて突き進んで

いく。

 再び、大地を揺るがすほどの衝撃波がまきおこった。だが、地球の人間の心が一つになった力

はトゥリダンの前進を完全に遮り、次元の境まで押し戻していった。

───馬鹿な、こんな、馬鹿な、私が人間の力に負けるなどとは、そんなことがあるのか?

 トゥリダンは再度思念の力を出そうとしたが、それを阻むかのように、今度は後方から自分を

引き戻そうとする力があることに気付いた。

───何!この力は何だ。引力のようなこの力、あの世界の人間にもまだ、こんな力が残ってい

たのか?

 前からは押され、後ろからは引っ張られたトゥリダンは徐々に元の次元の中に引きづり込まさ

れていた。そして、トゥリダンはついに致命的な思考を思い浮かべてしまった。

───恐ろしい・・・。

 トゥリダンは完全な恐怖というものを自分の中に作ってしまった。人間の中に恐怖を植えつけ

ていたトゥリダンが、自らの中に恐怖を植えつけられてしまったのだ。トゥリダンにとって考え

られないことが起き、それにどう対処すればいいのか判断がつかず、思考が混乱し始めていた。

それにより、トゥリダンの意思の力は急速に弱まっていった。

 地球からの力がトゥリダンを押し、トーセからの力がトゥリダンを引き戻した。エサカ湖の水

面が明るく光りだすと、次の瞬間には水しぶきを上げて、光の球がいくつも飛びだしてきた。

「やった、竜を引き戻したぞ!」前沢が最初に叫び、「これで、地球は救われる」と美砂が続い

た。

 

         3

 

 宮崎は敵が去っていったのを知り、大きく息を吐いてその場に倒れ込んだ。全身からは汗が吹

き出し、体が痙攣するように小刻みに震えている。苦痛に歪んだ顔は真っ青であった。

 裕予たちも持てる力を全部出し切ったのか、その場にへたりこんだ。肩で息をしたり、頭を抱

えている者ばかりだ。竹内もふらふらした感覚で脚をひきづるようにして宮崎に近づいた。

「どうやら、敵は去ったようだな」

「ええ、そうでんな。なんとかなりましたわ。恐ろしい奴でしたけど、皆さんの力が奴を封じ込

めたようでっせ」宮崎は苦しそうにして答えた。

「じゃ、これで地球は救われたのか?」

「・・・いえ、まだ分かりまへん。奴は単に、向こうの世界に戻っただけだと思いますで。これ

からが本当の、そして最後の戦いでんな。もう、向こう側の人に全てを任せるしかありまへん。

ですから、我々もこちらで祈りましょう。あの人たちが勝つことを」

 

 全員は一時力を弱め、トゥリダンの動きを見るために集まった。洞窟内に飛びだしたトゥリダ

ンの光が再び一つになった。伊藤たちはそれを見て、まだ終わっていないことをすぐにも悟って

いた。

「さて、奴は引き戻した。けど、まだ死んではいない。これからどうする。奴をどうすれば滅ぼ

すことができるんだ。俺たちと竜玉の力で奴を倒せるのか?意思としてしか存在しない化け物を

物を壊したり、生き物から命を奪うようにはいかないのか?」伊藤は光の集合体を見ながらつぶ

やいた。

「そう、トゥリダンを完全に滅ぼすことはまず、無理でしょう。地球の誕生と共に生まれ、何十

億年も生きている、いや、奴には生も死もない。奴は実体がないんだ。だから、何をもって奴が

死んだのかという尺度が全くない。人間だって、肉体は滅んでも魂だけは永遠に生きると言われ

ている。奴も魂みたいな存在だ、目に見えないものを消すことは不可能だろう」土田が伊藤の質

問に答えたが、それは絶望的なものであった。

「それじゃ、私たちに勝ち目は無いって言うの!そんな、ことって・・・」美香が悲鳴のように

叫んだ。

「いや、一つだけ方法はあります。竜玉が僕に教えてくれたことが。確かにトゥリダンの意思を

滅ぼすことは無理です。それならば、奴を全く異なる次元に放り込むという手段しかないのです

」土田の話に誰もが驚いた。

「違う次元って何?ここや地球でもないと世界ということ?」浩代が尋ねた。

「そうです、奴を我々の世界とは異なる次元に放り込むんです」

「でも、もし、その次元に人間が存在している世界があったら、俺たちと同じ様な苦しみを与え

ることにならないか?」コトブーが疑問を投げかけた。

「ですから、奴を生物の存在しない世界、絶対に戻ることのできない世界に導きます。つまり、

ブッラクホールです」

「ブラックホール?それは宇宙のどこかにあるというものじゃないのか?それに、そんなものが

どこにあるっていうんだ」古井は気でも狂ったかという顔をした。

「ブラックホールはもちろん宇宙にあります。ですが、ブラックホールというのは別空間、暗黒

の無の世界と呼ばれる次元への入口です。ですから、その暗黒の空間の中に直接トゥリダンを連

れていきます」

「しかし、どうやってそんなことを?」祐子がきいた。

「それは、竜玉が導いてくれます。トゥリダンはトーセと地球との次元の壁を越えることができ

ず、このゲートが開く日を待っていました。それは、トゥリダンは本来こういった次元間を行き

来する力もあったのですが、その力を善の意思が封じ込めてしまったのです。そして、今、善の

意思であるこの竜玉にその力が移っています。ですから、竜玉がそのパワーを今ここで我々の力

と共に実現させてくれます」

「で、それはどう行うのだ」ジーケンイットはその答えを知っているかのように尋ねてきた。

「竜玉の力をコーボルの剣に送り、そのパワーで空間に裂け目を作りだして、そこにトゥリダン

を引き込みます。ただ、トゥリダンとて抵抗するでしょう。ですから、その前にシーゲンの矢を

使って、意思であるトゥリダンをその場に釘付けにしなくてはなりません。ジーケンイット様、

コトブーさん、全てはお二人に掛かっています。そして、僕らにもその力を導き出す最後の務め

があります」土田は力強くそう言って、全員を見つめた。そして、互いの瞳が最後の決戦の意思

を強固にしていた。

 だが、トゥリダンは容赦しなかった。「おのれ人間ども、私を本当に怒らせたな!そこまでし

て私を拒むとは、きさまたちをまず殺し、それからテラに再び向かう。決して、きさまたちに邪

魔はさせない。神である私に歯向かったことをあの世で後悔しろ!」一つとなったトゥリダンの

光はジーケンイットたちに目掛け、最後の通告をした。光がまた大きく輝きはじめる、それと共

に、急に悦子たちは頭の中が割れるように痛くなった。それも、ただの頭痛ではない。脳味噌を

かき回され、釘でも打ち込まれているような苦痛で、我慢の限界どころではない。トゥリダンの

思念波が直接彼らの思考を攻撃している。苦しみに喘ぎ、その場に倒れ込む彼らになすすべはな

かった。

「おのれ、トゥリダン。しかし、これでは、何もできない・・・。リオカ!」ジーケンイットは

苦痛の中で叫んだ。

 フーミも「お兄様・・・」と、助けを求め、ヒロチーカは「お母さん」と、泣き叫んだ。「コ

トブー」と呼びかけたヒヨーロをコトブーは庇おうと彼女の頭を自分の体で覆ったが、それは無

意味なことであった。ノーマは無言のまま耐えようとしていたが、人間である彼らに限界は近づ

いていた。このままでは、頭の中から破壊されてしまう。

 そして、藤井たちも同様に苦しみ悶えるだけで何もできなかった。「ちっきしょー、ここまで

きて負けるというのか。この化け物をぶっ倒すことはできないのか」

 竜玉に助けを求めたいのだが、そのことを思考することさえもできないほどの苦痛が頭から足

先までを麻痺させ、痙攣まで起きそうになってきた。

「さあ、苦しめ、お前たちの力など、所詮そんな程度なのだ。私に勝とうなどと恐れ多い考えを

持ったのがお前たちの誤りだ。何も考えることのできない世界で苦しめ」トゥリダンの声だけは

頭の中に響いてくる。

 悦子の腕に抱かれていた美沙希も皆と同じように苦しみ、そして泣いていた。悦子はその泣き

声に少しだけ意識の回復を感じた。

───この子を、この子を守らなければ、この子だけでも。

 しかし、その思いも長くは続かない。何か考えようとすれば、すぐにもトゥリダンのパワーが

人間の思考を食いつぶすように侵食を始める。

 悦子の手から竜玉がこぼれ落ちた。だが、それは彼女の体を伝って美沙希の小さな手の中に転

がり込んでいった。大人よりも純真で汚れのない子供の手に触れた竜玉はこの子の願いである、

苦しみからの解放という意思を受け取った。一方、浩代が抱えていたミーユチッタも苦痛の中で

泣いていが、竜玉を持つ浩代の手に触れた時、彼女の竜玉も反応を起こした。その瞬間、強烈な

光が二人の手の中から放たれ、周りに広がっていった。光に包まれた人たちの苦痛が和らいでい

き、誰もが正常の思考力を取り戻していった。

 そのことを悟ったトゥリダンはなおも強力な思念のパワーを浴びせようとしたが、トゥリダン

は自分の前に何か大きな壁があることに気付いた。

───何だ、これは?私の力を封じ込めるようなこの力は・・・?なぜ、それほどの力があるの

だ。これだけの苦痛を与えてさえも、なぜだ・・・?

 ジーケンイットたちもトゥリダンを取り巻くような光のベールに気付き、苦痛から解放されや

っとの思いで立ち上がった。光の源が自分たちの子供だと気付いて彼らを見つめた。「子供たち

の力が、私たちを助けたのか」

「ジーケンイット様、今がチャンスです。トゥリダンの動きが封じ込まれているうちに・・・」

ノーマが進言した。「では、コトブーさん、まず、シーゲンの矢を打ち込んでください」

「しかし、矢を撃つったって、どこを狙えばいいんだ?奴は実体がないのだろう。今見えている

のもただの虚像の光じゃないのか?」コトブーは言葉を返した。

 ノーマはそう言われ、トゥリダンの光を見つめた。すると、その光の中の一部が周りよりも明

るいところを見つけた。それと共にどこからかノーマの耳元に囁く声が聞こえてきた。

───ノーマ、見えるじゃろ。あの小さな光の点を。そこがトゥリダンの目になるのだ。

「ワーンお祖母さま!」その声はワーンであった。ノーマにはそう聞こえていた。

───そこを狙えば、トゥリダンの動きは一時的に止まる。トゥリダンの思考の中にシーゲンの

矢の威力が注ぎ込まれるのだ。

「分かりました。コトブーさん、トゥリダンの中の小さな別の光が見えますか?」

「光の中の光?」コトブーは目を凝らした。初めは分からなかったが、ノーマの指し示す位置に

小さな光の点を見つけた。「分かったぜ、あそこだな」コトブーはすぐさま狙いを定めた。小さ

な点だ。普通の名人とて外すかもしれないほどの的である。だが、コトブーにはそれを射止める

自信があった。ここにいる人たち、そしてトーセの人たちの力が彼の中にも入り込み、コトブー

の力を揺るぎないものにしていた。

 シーゲンの矢が放たれた。その小さな光の点に向けて矢はまっしぐらに進む。そして、瞬時に

それはトゥリダンの光の中を突っ切っていった。見事に矢は光の点に当った。トゥリダンの光の

中は単なる空間のはずなのに、まるでそこに何かがあるように矢は空中に止まった。

「よし、命中したぞ」ジーケンイットが叫ぶと、ノーマは「では、ジーケンイット様、コーボル

の剣を」と言い、土田に尋ねた。「どうすれば、さっき仰った異次元への扉が開くのですか」

「竜玉の光をその剣に当てれば、次元を切り裂く力が現れるはずです。ですから、もう一度皆で

竜玉に力を込めてください。トゥリダンをこの次元から永久に消してしまうことを願って」

 悦子と浩代が子供たちから竜玉を受け取ると、トゥリダンを取り囲んでいた壁が消え去った。

だが、シーゲンの矢を撃ち込まれたトゥリダンは身動きが取れないままだ。

 土田の言葉に従って、ジーケンイットの後ろに集まり、四つの竜玉を握る女性たち、悦子、美

香、浩代、史子の周りに皆が分かれ、彼女たちの手の上に自分の手を重ねていった。このトーセ

を、この世界を、そして自分たちの愛する故郷に安らぎが訪れることを一心に願い、トゥリダン

の悪意が消え去ること祈った。

 竜玉が再び光り始めた。誰の心の中にも竜玉から伝わってくる暖かみと、安らぎが染み渡って

いく。光は今まで以上の強さをみせ彼らを取り巻いて言った。そして、その四つの光の輪が一つ

に重なり、コーボルの剣を持つジーケンイットに注がれる。それと同時に湖の中からも光の帯が

飛び出し、同じようにジーケンイットの体を包み込んでいった。

 地球側でも土田たちの声が聞こえたのか、竜玉を持つ香織と裕予のところに皆が集まり、池の

中に向けて願いを込めた光りを放っていたのだ。

 トゥリダンも黙ってはいなかった。シーゲンの矢により意思の存在を射ぬかれてはいたが、思

念のほうはまだ生きていた。竜玉の光がジーケンイットに当てられている隙をついてその力を回

復させようとした。子供たちが作った壁が無くなったため、トゥリダンの思念波は再び彼らに襲

いかかった。

 ジーケンイットはトゥリダンの思念波をまともに受け、全身に激痛が走った。

───トゥリダン!きさまを倒す、トーセはこの私が守ってみせる。

 だが、トゥリダンはそのジーケンイットの怒りと憎しみをとらえ、逆にそこからジーケンイッ

トの心の中に入り込もうとした。

───怒れ、人間、その憎悪が私の糧になるのだ。きさまの怒りが自分を滅ぼすのだ。

───おのれ・・・。

 トゥリダンの陽動にジーケンイットは乗りかけた。だが、そこに別の声が聞こえてきた。

───ジーケンイット様、心を落ちつけてください。剣はそれを持つ者の心を反映させます。怒

りや憎しみの剣で、敵を倒すことはできません。無に帰ってください。愛する者たちの事だけを

考え、ジーケンイット様の心のままに剣を握って下さい。

───ターニ!・・・・・・、ありがとう。

 ジーケンイットは全ての感情を一旦心の中から消し去った。そして、自分が愛するリオカやミ

ーユチッタ、フーミやノーマの事、そして、仲間として共に戦ってきてくれた悦子たちの事だけ

を考えていた。それと共に、竜玉の力を通して、彼らの力と優しさと勇気を感じ取った。コーボ

ルの剣がそれらの力を放出させるかのように眩しい光を放った。ジーケンイットはみなぎる力を

感じ、震える心を高揚させていた。だが、無心の境地で剣を構え、トゥリダンの前に飛び上がり

空を斬った。

 空間であるその場所に一本の線が縦に現れると、それが大きく口を開けるように広がった。そ

れと同時にすさまじい吸引力が発生し、周りの物を何もかも吸い込んでいく。小石から大きな岩

までが飛び、その空間の穴の中に消えていく。穴の中は真っ暗な暗黒の世界で、光さえも吸い込

んでしまうほどであった。湖の水もまるで水竜巻のように渦を巻きながらその中に飛び込んでい

く。藤井たちも地面に這いつくばり、引き込まれるのに耐えていた。

 トゥリダンを釘付けにしていたシーゲンの矢が止まっていた位置からまた動きだし、矢の先の

岩壁に突き刺さった。解放されたとトゥリダンは思ったが、それもつかの間、何かに吸い込まれ

る感覚を意思として感じた。───何だ、これは、もしかして・・・。

 光として存在を見せていたトゥリダンの虚像が崩れだし、空間に空いた穴に引き込まれようと

している。全ての物質、光さえも吸収してしまうブッラクホールが今ここに開き、光と化してい

たトゥリダンをも取り込もうとしていた。その力は意思としてしか存在していない、トゥリダン

自身をも巻き込んでいった。トゥリダンは抵抗しようと思念の力を出そうとしたがそれさえも吸

い込まれていった。

「アバ、アバァァァ、ニニ、ニンンゲゲゲン、ドドドドモモモメメメメエエェェェ・・」

 トゥリダンの声がこだまするようにホールの中に消えていった。

「トゥリダンが吸い込まれたぞ」古井が声を張り上げ、誰もが喜びに耽りたいところだったが、

ホールの力はまだ続き、ジーケンイットたちをも引き釣り込もうとしていた。

「おい、竜は消えたんだ。いいかげんにこの風はやまないのか!俺たちまで吸い込まれちゃうじ

ゃないか」藤井がかき消されるような風の中で叫んだ。

「竜玉がなんとか・・・」美香がそう言いながら手の中の竜玉を覗いてみて驚いた。今まで見て

いた透明感のある竜玉が黒く濁ったただの石になっていたからだ。「ねー、大変!竜玉が石にな

っちゃった」

「しまった!トゥリダンが別次元に消えてしまったから、竜玉も本体がなくなり、その力も無く

してしまったんだ」土田がそう言っても、もう後の祭りだ。

「えっ、何だって、それじゃ。あの穴をどうやって元に戻すんだよ」佐藤が言ってもどうにもな

らない。

「一難去ってまた一難ですね」枡田が顔を歪めて言った。

「そんな落ちついている場合じゃないわよ」ミーユチッタを抱えていた浩代は怒ったが、そのミ

ーユチッタが腕の中から離れ飛ばされそうになってきた。

 それは誰にも同じで、もう耐えきれない状態の者や、ひきづられるように地面を滑っていく者

もいた。

「もう、駄目!」一番小柄なヒロチーカが完全に動きはじめた。藤井が手を伸ばしたが、すんで

のところで取りそこねた。ヒロチーカの体が宙に浮きだし、吸引の風の中に巻き込まれた。

「ヒロチーカちゃん!」

 その時、洞窟内に今までと違う光の粒子が現れた。洞窟に続く岩の穴という穴からそれは飛び

だしてくる。この空間の中をその粒子は浮遊しているように漂っているが、ホールのパワーに巻

き込まれると、吸い込まれるようにホールの中に向かった。だが、ホールの周りに無数の粒子が

集まりだすとそれを塞ぐように密集を始めた。極小さな一つ一つの粒子が繋がっていく。いつし

かそれは大きな光の塊となっていき、空間に開いていた穴が完全に埋め尽くされた。それと共に

洞窟内に吹き荒れていた風が衰えていった。突風がピタリとやみ、一瞬にして無音の状態になっ

た。宙に浮きかけた石が床におち、大きな岩が割れた。舞い上がっていたヒロチーカも重力の法

則のままに落ちていった。「イテテテッ・・・」

 ジーケンイットたちも体の力を抜いて、何とか立ち上がれた。光の粒子で穴が閉じられた部分

が徐々に小さくなっていく「何だあれは。あの光は何なのだ?」ジーケンイットがつぶやいた。

「きっとあれは街の人々の意思の力です。街の人々が我々のために祈ってくれた力が我々を救い

に来てくれたのです」ノーマの説明通り、それは街の人々の意思の集合体であった。城の者を始

め、トーセの街の人間や各集落の人間が皆、同じ思いを描いていた。自分たちのため、トーセの

ために戦ってくれているジーケンイットの勝利を誰もが心から祈り、二度とトゥリダンの災禍が

訪れないことを願った。その願いがこのセブンフローの洞窟内にまで達し、ジーケンイットたち

を救ったのだ。「これが奇跡というものなのか?人々の願いが、多くの人たちの心がこれだけの

事を・・・。あんな小さな光の粒だというのに、トゥリダンでさえ吸い込んでしまった穴を塞ぐ

なんて・・・。街の人々の思いが奇跡を作りだすとは」

「トーセの街を愛する人たちの思いが心に染みます」フーミも立ち上がって感涙した。

 全員が立ち上がった。誰もかもが大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。

「僕たちが勝ったのですか?」前沢が疲れた表情をしながらも、声を張り上げた。

「地球は助かったのですね」奈緒美が微笑み始めた。

「トゥリダンは消え去ったのか」コトブーが倒れているヒロチーカを抱き起こして言い、「コト

ブーおじさん、トーセは無事なのね」とヒロチーカが抱きついてきた。

 徐々に皆の心の中に戦いの勝利の実感が湧いてきた。誰もが口許を綻ばせながら、互いに肩を

抱いたり、背中を叩いたりして、喜びを分かちあいだしている。

「俺たちは勝ったんだ。この世界の危機を、地球の危機を救ったんだ」青山が大きく叫ぶと、全

員が笑いだし、歓喜の声を上げた。

「僕たちだけの力じゃないですよ。トーセの街人の力も、ジーケンイット様たちの力も、そして

地球の向こう側から力を貸してくれた人たちのお陰ですよ」土田がそう言うと、皆もうなずく。

「一人の人間はちっぽけだけど、その一つ一つが集まり、協力し、力を出し合えば、何でも可能

なのね」美香はそう言いながら嬉しさのあまり、泣いていた。

「確かに我々は奇跡に助けられたかもしれない。竜玉の力に頼っていたかもしれない。だが、そ

れを導き出したのは一人一人の心の力だ。それがこの世界を救ってくれた」ジーケンイットはそ

う高らかに言った。

 誰もがこの感激を一入に味わった。今までの人生でこれほどの喜びがあっただろうか?自分た

ちの力で成し遂げられたこの勝利は彼らの心を躍動させた。人間の力の偉大さ、素晴らしさを皆

が実感している。この世界を、そして自分たちの世界も救うことができた誇らしさに彼らは酔い

しれた。不可能を可能にすることが人間にはできるのだ。どんな苦難であろうと諦めてはいけな

い。最後の最後まで力を出し切れば、人間は普段持ち合わせている力以上のものを発揮できる。

彼らは自分たちの行ったことに充実感と誇りを抱き、互いの無事をもその感激の中で祝った。

 ところが、現実の問題が浮き上がってきたのだ。「あのー、水をさすようで申し訳ないんです

けど、竜玉がただの石になってしまって、私たちどうやって地球に帰ればいいのかしら」美砂が

史子の竜玉を見ながら言った。

 その言葉に一同は我に返って、冷静さを取り戻していった。「そうだよ。俺たち、竜玉の力で

帰ろうと思っていたのに、どうするんだ。もう、俺たちの願いなんか叶えてくれるようには見え

ないけど」藤井も喜びを忘れてつぶやいた。

「このまま、ここで暮らしますか?それも返っていいかもしれませんよ」伊藤は虚ろな眼差しで

言ってみた。

「んー、そうするしかないのか?しかし、目の前の湖に地球のやつらが見えるというのに」青山

は湖に視線を投げかけた。

「そうですよ、湖があるじゃないですか!この湖が地球とトーセを繋ぐゲートなのですから、こ

こを通ればいけるんじゃないですか?」土田がそれを思いついた。

「でも大丈夫?私たちはトゥリダンみたいな実体のないものじゃないのよ」美砂がそう反論した

が、土田は「大丈夫ですよ。二個の竜玉も向こう側に行ったのですから、僕たちだって」確信の

あるように言った。

「私もそう思います。例え竜玉が無くても、皆さんの力があればゲートを潜れると思います」ノ

ーマが言うと、真実味が出てくる。「ですから、もう時間があまりないような気がします。いつ

までもこのゲートがテラと繋がっているとは思えませんから」

「そうですか・・・。では、急がなくては。すると、ここで皆さんとはお別れですね」青山はそ

う言い、少し寂しげな顔をした。

 「お別れ」という言葉に他の者も反応を示し、ジーケンイットの周りに集まってきた。

 ジーケンイットは一人一人を見つめて言った。「エツコ、ケンジー、フジイー、そして、共に

戦ってくれた方々、心から礼を述べたい。本来なら、もう少しトーセに留まっていただき、平和

と勝利の祝杯を共にあげたいと思っていたのだが、どうやらその時間も無いようだ。あなたたち

にも故郷があり、待っている家族がいるのだから、このゲートが開いているうちに戻らねばなら

ないな。残念で偲びない。だが、またいつか出会える日もあるだろう。私はそう確信している。

もちろん、その時は今度のような戦いの場ではなく、互いの交流だけを深める楽しい時であるこ

とと願っている。約束だ、また再会できる日が必ず来ることを・・・。ありがとう。あなたたち

のような素晴らしい方々に出会え、共に戦ったことは決して忘れない。そして、たとえ遠くに離

れていても我々の心が互いに結びついているということを決して忘れない」ジーケンイットは胸

に腕を上げ、トーセの挨拶をした。フーミたちもそれに倣い悦子たちに向けて礼を尽くした。

 藤井は前に出て右手をジーケンイットに差し伸べた。ジーケンイットは「何だ?」という不思

議そうな顔をしたが、藤井は「これが我々の挨拶です。出会った時と別れる時、本当に信頼でき

る人との心を繋ぐ挨拶です。ですから、王子さんも手を出してください」と説明した。ジーケン

イットが右手を出すと藤井はその手を強く握り大きく上下に振った。

 ジーケンイットもこの挨拶の意味が分かり、自らも力強く握りかえした。「それは、マブダチ

の挨拶か!フジイー、ありがとう。あなたのこの手の温もりを決して忘れはしない」

「藤井さん、そりゃ、アメリカの挨拶でしょう」古井がそう突っ込んだが「まあ、お辞儀だけよ

りはいいですけどね」と自分も藤井の次にジーケンイットと握手した。

 それぞれの人がこの冒険で出会った人々に別れの言葉をかけ始めた。

「いろいろ、ありがとうございました。お元気で・・・」美香は目に涙を溜めながらコトブーに

言った。「ああ、そっちもな。また、いつか来いよ」とコトブーも笑って答えた。

 前沢がフーミに「お元気で、さようなら」と言うと、彼女は目を潤ませ「本当にありがとうご

ざいました。マエサワさんのことは一生忘れません」と彼を見つめた。前沢も彼女の言葉にまた

照れたような表情をみせると、フーミも泣き笑いした。

 ヒロチーカのところには奈緒美と古井がいた。「それじゃ、元気でね」、「お母さんと幸せに

暮らすんだぞ」と二人が言うと、ヒロチーカは泣きじゃくりながら「お姉ちゃん、また来てね、

お兄ちゃんもね。約束よ」と二人にすがりついた。

「ええ、今度は主人も連れてくるから、それにその時には私の子供も一緒にね・・・」奈緒美は

そう言って、ヒロチーカを抱きしめると、古井も「ああ、次の時は釣りでもしような」と声を掛

け、彼女の頭を撫でてあげた。

「それでは、お元気で、コトブーさんと幸せになってくださいね」と浩代が小声で言うと、ヒヨ

ーロは少し照れていた。「ワンさんもお元気で、今度はお子さんも連れてきてください」

「ええ、きっと。こんな素晴らしい世界をぜひ見せてあげたいわ。その時にはヒヨーロさんのお

子さんもいらっしゃればいいですね」

「はい・・・」そうヒヨーロは返事をしながらチラリとコトブーを見た。それに気付いた浩代も

暖かい笑顔をして、ヒヨーロに囁いた。「お幸せに・・・」

「ノーマさん、いろいろお世話になりました」枡田が礼を述べた。

「いえ、私たちの方がお礼を述べるほうです。本当にありがとうございました」ノーマは枡田に

答えて、隣にいた土田にも話しかけた。「ツチダーさんもお元気で・・・、本当にありがとうご

ざいました」

 土田はノーマに声をかけられると、悩ましげに言った。「僕はこっちの世界に残ってもいいか

なと思うんですけど。どうせ、帰ったって何にもいいことないし」

「それはいけませんわ。ツチダーさんにもご両親がいらっしゃるのでしょ」ノーマが軽く諌める

と後ろにいた美香が言った。「そうよ、それに私たちだって寂しくなるじゃない。ツッチーみた

いな変人がいないとつまらなくなるのよ」

「美香さん・・・」

「ツチダーさん、これをあなたに差し上げます」ノーマは耳からイヤリングを外し土田に手渡し

た。

 土田は彼女の贈り物に驚いて言った。「ノーマさん、これは大事なものでは?お母さんの形見

なのでしょう?」

「いいのです。これをあなたさまにもらっていただきたいのです。ですから、故郷に帰ってもト

ーセのことも、私のことも忘れないでください」

「ノーマさん・・・、ありがとう。僕は決してこの街のことも、あなたのことも忘れませんよ」

土田はそれを大事そうに手の中で握って、ノーマを見つめた。彼女の瞳が少しだけ震えているこ

とに土田は気付いたが、それ以上何も言えなかった。

 史子は彼らと離れ、横たわっているターニを見つめていた。

───ターニさん、ありがとうございました。

 すると、コトブーが史子の側に来た。「あとは俺がちゃんとしておく。安心してあんたの世界

に戻ってくれ。ターニはずっと俺たちを、そしてあんたたちも見守ってくれるだろう」

「はい。そうでうね。」史子は涙を拭って仲間たちのところに戻っていった。

「エーグさん、怪我は大丈夫ですか?」美砂は心配そうに尋ねた。

「ええ、これくらいは何とか。しかし、あなたのような強い女性に出会ったのは初めてです。今

度警備隊でも女性の隊員を集めようとしているのですが、あなたのような方が指揮官であれば素

晴らしい隊ができあがるのですが、残念です」

「ええ、はっはっはっ・・・」美砂は妙な誉められかたをされて顔が少し引きつっていた。

 祐子と佐藤も前沢の後にフーミのところへ行った。「フーミ様、ありがとうございました」

「いいえ、こちらこそいろいろ助けていただいて、ありがとうございました」

「今度は僕たちの世界の方にも来てください」

「そうですね。一度伺いたいですわ。それでは、お気をつけて、お元気で」

 佐藤はズボンで手を拭って、フーミに握手を求めると、彼女も快くそれに応じてくれた。

「佐藤君ったら・・・。フーミ様、お元気でさようなら」祐子も寂しげに笑ってフーミにお辞儀

した。

 藤井に続いて青山もジーケンイットと握手を交わした。「大変な目には遭いましたけど、この

世界のこと忘れません。そして、皆さんのことも・・・」

「ああ、私の方こそ」

「ターニさんの事が唯一の心残りです。我々にもっと力があれば・・・」

「何も自分を責められることはない。ターニも分かってくれます。きっと今ごろは新たな幸せを

見つけていることですから」

「そうでうね・・・」青山はそういって、黙祷を捧げた。

 悦子と伊藤も、ヒヨーロ、コトブー、エーグ、ノーマと順番に別れの挨拶をしていった。

 ヒロチーカはさっきから泣きっぱなしで悦子にも抱き着いた。「お姉ちゃん、またお別れね。

でも、また会えるよね」

「ええ、またいつか会えるわ。遠くに離れていてもあなたのこと、いつも思っているから。だか

らもう泣かないで、女の子になったらすっかり泣き虫になったみたいね」

「へへへ・・・」ヒロチーカは泣き笑いの表情を見せていた。「お兄ちゃんも、またね」

「ああ、元気でな。お母さんを大切にするんだぞ」

「うん」

 二人はジーケンイットとフーミのところまできた。「エツコ、本当にありがとう。あなたには

どんなに感謝しても感謝しきれないくらいだ。ケンジーも本当にありがとう」

「いいえ、こちらこそ」悦子は涙ぐみながら言った。「リオカさんやお城の方々にもよろしくお

伝え下さい。お別れの挨拶も言わないで行ってしまうのは申し訳ないですけど」

「ああ、分かっている」

「王子さん、こんな素晴らしい世界に来れたことを誇りに思っていますよ」伊藤もジーケンイッ

トに握手を求めた。

「ありがとう、ケンジー、またいつか一緒に酒を飲みたいな」

「はい。そうでうね」

 悦子の腕に抱かれれていた美沙希が、フーミに抱かれているミーユチッタに手を伸ばそうとし

た。「この子も、お別れするのが寂しいみたいですね。ずっと、一緒にいたから」

「この子たちは二つの世界を繋ぐ架け橋になるかもしれませんね。私たち以上の心のつながりが

この子たちにはあるように思えます」フーミはミーユチッタを美沙希のところまで引き寄せた。

「さあ、お別れだけど、悲しまないで。また、いつか、きっと会える日が来るはずだから」

子供たちは向き合いながらも互いに笑みを投げかけている。この子らには何か見えない糸がある

ようだった。

 それぞれが別れの挨拶を終えると一同はエサカ湖の岸まで進み、ジーケンイットたちも後ろに

続いた。湖の水は先ほどの争いの後が消えたかのように静かな湖面を漂わせている。透明感のあ

る水底にはおぼろげながらも地球側で覗いている人の姿が見えている。

「さて、この水の中に飛び込まなくちゃいけないのだが、本当に地球側に行けるのかな」藤井は

少し不安そうに言った。

「それなら、決まっているな。水と言えば松浦だからな」青山は松浦を押し出した。

「ど、どうして、私ばっかなんですか?最後の最後までこき使うんだから、しょうがないわね」

と美砂はぼやき、一度振り返って「さようなら」と言ってから、きれいな姿勢で頭から湖の中に

飛び込んだ。

 大きく水が跳ねて美砂の姿がぼやけていき、屈折した彼女の姿が徐々に小さくなっていく。そ

して、水面が再び穏やかになった時、美砂が地球側で誰かの腕に捕まっているのがはっきり見え

た。

「どうやら、行けそうですね、これでやっと帰れるんだ」佐藤は望郷の思いを大きく描いた。

 悦子たちは振り返って、最後の挨拶をしたそれは純日本的なお辞儀と手を振る別れの挨拶だっ

た。「さようなら、ありがとう」

 ジーケンイットたちもそれに倣い手を振った。「さようなら、またいつの日にか、きっと」

 深そうな水で泳ぎに自信の無い者もいたが、覚悟を決めて頭から足から次々と飛び込んでいっ

た。

「この子大丈夫かしら?」悦子は美沙希のことを気にかけた。

「大丈夫だよ、俺が連れて行く。もし、息につまったら俺が口移しにしてやるよ」伊藤は悦子か

ら娘を受け取り「さあ、一杯空気を吸うんだぞ」と娘に言った。

 美沙希は伊藤の言葉を理解したのか、頬っぺを膨らませた。

「いい子だ。じゃ、行こう」伊藤はそう言って先に飛び込んだ。

 悦子はもう一度だけ振り返り、見送ってくれるジーケンイットたちを瞳に焼き付けてから後を

追った。

「皆さん、行ってしまわれましね」フーミが寂しげに言うと、ジーケンイットも悲しそうな表情

で答えた。「またいつか会えるさ。約束したのだから。また、いつか・・・」

 

         4

 

 美砂は頭から飛び込んだ瞬間、重力に引き付けられように水の底へ体が落ちていくの感じた。

それは、もう水面には戻れないほどの力で、このまま行くしかないなと、その勢いに従った。そ

れでも、水の底に映る地球の人たちの姿が徐々に大きく見えてくると、帰れるんだという喜びが

彼女を元気にさせていく。不思議なことにしばらく潜ると、水中なのに水の境があるのに気付い

た。その境界線をそのままの勢いで通り抜けると、さっきまで落ちていく感覚だったのが、今度

は浮遊する感覚に変わった。そして、水の底に向かっていたはずが、いつしか水面上に向かって

いる感じになっていた。頭の先に明かりが見える。そしてそれと共に水を覗き込んでいる人々の

姿がはっきりと見えてきた。美砂は足を水中でばたつかせ一気に明かりへ向けて突き進んだ。

 

 竹内たちは竜玉の光を池の中に放った後、光が途絶えてからずっと水の中を覗き見ていた。向

こうの世界で何が起こっているのか、皆がどうなったのか、気になってしかたがなかったが、こ

ちらからでは全く分からない。しばらくは時の過ぎ去るのをじっと待つしかなかった。そのうち

に水底に人の姿が映し出され、人が飛び込んだのを確認できた。

「誰かが飛び込んだみたい!」かおるが最初に言い、全員が水の中を凝視した。

 その飛び込んだ人の姿が徐々に大きくなっていく。そして、湾曲しぼやけた人間の形がはっき

りと見え出すと、大きな水飛沫をあげて美砂が飛び出してきた。

「松浦!」啓恵がそう叫ぶと、全員がどよめいた。水面をクロールで泳ぐ美砂に竹内が手を伸ば

した。

「大丈夫ですか、松浦さん」

「ありがとう、竹内君」

「他の人たちは?主人は?」美砂が陸に引き上げられると、裕予が心配そうにきいてきた。

「大丈夫ですよ。皆すぐに来ます」そう美砂が言うと池の中から次々と人間が飛び出してきた。

「古井君」、「ワンさん」、「藤井さーん」、「ツッチー」・・・・・と、人が飛び出してくる

たびに歓声が上がった。岸まで泳いでいき、順番に引き上げられる。それと共に、再会の喜びが

彼らを取り囲んだ。

 裕予は青山を見つけるとすぐにも駆け寄って抱きついた。「おいおい、飛びつくなよ」青山は

笑いながら言ったが、裕予は何も言わず彼の胸の中で涙にくれた。

 浩代と美香、祐子が岸まで泳ぐと、白井と竹原が彼女たちをすくい上げ、みゆきや孝江、かお

るがすぐにやって来た。「ありがとう、みゆきちゃん」、「ありがとう、孝江ちゃん」、「無事

でよかった」と互いに声を上げ帰還を喜び合った。

 佐藤はすぐにもひとみのところに行った。「お帰りなさい」

「ただいま」と二人は見つめ合ったまま、互いの信頼を強くしていった。

 枡田と古井は和田や寺村に寄りかかり切り株に座った。「帰りましたね」、「帰ったな」二人

が安堵の声を上げると、和田と寺村も「良かった、良かった」と微笑み返した。

 奈緒美が手を伸ばすと酒井がしっかりその手を握った。「御免なさい、心配かけて」奈緒美は

嬉しさのあまり感涙してしまった。「いいんだよ。戻ってきてくれたんだから。それだけでいい

だ」酒井は震える腕で彼女を包み込んだ。

 美砂は啓恵や幸子、和子たちに抱きつかれ、互いの無事を喜んでいた。「ありがとう、皆、こ

こまで来てくれて。皆のお陰で帰ってこれたわ」

 藤井は加藤と森に助け出され、大きく息を吐いた。「加藤に森か、よく来てくれたな。あっ、

タバコないか?」

 森は「濡れたのしかないですけどいいですか?」とくずれたタバコの箱を取り出し、一本差し

出し、そばにいた江口が火を付けてあげた。

「サンキュー。生き返るぜ」と藤井は満足げに微笑んだ。

 前沢が肩で息をしていると後ろから抱きつくように香織が駆け寄った。「良かった。無事で」

「御免ね。いろいろ心配かけて、でも、こうして帰ってきたよ。全部の君のお陰だよ」二人は笑

い合った。

 古井を荻須が引っ張り上げると真里と美和子が待っていた。「古井さん、無事で良かった」、

「本当に」

「いやー、参ったよな。とんだ目にあっちまったよ。でも、ありがとう、来てくれて嬉しいよ」

「まあ、元気でよかったぜ、お前の軽口がきけないとつまんないからな」荻須はそう言って古井

の肩を叩いた。

 史子は谷口に引き上げられると、すぐにも千尋と順子が寄ってきた。「史ちゃん大丈夫?」、

「史ちゃん怪我ない?」

「ええ、大丈夫よ。ありがとう」史子はそう言って無理に笑った。手の中のネックレスの暖かさ

が冷えた体に染みてくる。

 疲労で溺れかけた土田の手を力強く握ってくれたのは竹内だった。「おい、しっかりしろよ」

「た、竹内さん・・・」土田もしっかりとその手を握りかえした。

「ありがとう。皆をここまで導いてくれて」

「ここまで来たのは皆、自分自身の意思で来たんだ。土田さんたちの願いがちゃんと皆に伝わっ

たんだよ」

「そうだったのか・・・」土田は感極まる面持ちで涙ぐんでいた。

 最後に悦子と伊藤が水面に出てきた。水の上に顔を出すと美沙希が大きく息を吸った。岸まで

泳ぎ着くと全員が集まり、三人を引っ張り上げた。筒井は竹内の車から持ってきたタオルを渡し

た。「すみません」

「子供さんが風邪を引いたら大変ですからね」

「伊藤、元気そうじゃないか、怪我とかはないのか?」荻須がそう声をかけると伊藤は「不死身

だよ俺は」と空威張りしていた。

 悦子は自分を囲む人々に対しもう一度礼を言った。「本当に、ありがとう。私たちのためにこ

こまで来てくれて。感謝してもしきれないわ・・・」

「でも、不思議ね。夢で藤井さんたちのメッセージを知り、その曖昧な感覚だけでここまで来て、

そして、消えてしまった人たちがここから現れるなんて。それに、今だによく分からないけど何

かとんでもないものがこっちに来るのを阻止したんだから。信じられないことばかり」裕予は素

直な感想を述べていたが、誰もが同じ思いでもあった。

「俺たちは竜玉という神秘の力を借り、何とか大きな障壁を乗り越えてきたけど、結局は俺たち

の互いの心のつながりってもんが、この結果を生んだんじゃないかな。各々が信頼しあい、相手

のことを思う気持ちが無ければ、万能の竜玉があったところで役に立たなかっただろう。それに、

トゥリダンみたいなあんな化け物を退治することなんか到底不可能だったはずだ」藤井も自分の

意見をありのままに言った。

「俺ははっきり言って感動しましたよ。見知らぬ世界に紛れ込んで絶望感を浴びながらも、皆と

助け合い、こうして無事に帰れたこと。それに、俺たちを心配してくれて、ここまで皆が来てく

れたこと。そして、皆が協力し合って地球を救ったこと。奇跡って本当にあるんだなって初めて

知りましたよ」古井が普段とは違う真面目なことを言った。

 古井に続いて美香が言った。「確かにそうね、一人一人は小さな存在だけど、多くの人が集ま

り一つになれば何でもできるって、よく分かったわ」

「ところで・・・」筒井が話を割るように言ってきた。「皆さんは一体どこに行っていたんです

か?池の中から出てくるなんて、ずっと溺れていたんですか?このことをどう本署に説明すれば

いいのか、困っているんですよ」

「それはどう説明すればいいのですかね。筒井警部さんに理解してもらうのは難しいかもしれま

せん。ただ、僕らは素晴らしい世界に行って、素敵な人たちと出会い、恐ろしくも心を躍らされ

るような冒険をしてきたとしか、言いようがありませんね」土田は含みのある笑みを浮かべてい

た。

「でも、本当にどこへ行っていたの?水の向こうでは一体何があったの?」和子がそう質問しか

けたとき、谷口が大声を張り上げた。

「皆さん、見てください。池が、池にまた何かが起こっている」

 その言葉に全員が池を見た。すでに雨はやみ、森の霞も薄くなってきたのだが、池の上空に突

然と霧が発生しだした。急速に霧は広がっていき、竹内たちの視界もなくなるほどになった。そ

の霧が池の方に降りていき、全体を包み込むと森中にこだまする「ゴーッ」という大きな音が鳴

り響いた。煙に囲まれたようで何も見えなかったが、次の瞬間、彼らにまとわりついていた霧が

何かに吸い込まれるように消え去り、そして、目の前にあった池も跡形も無く消滅して、元の森

の風景に戻っていた。

「消えちまったぜ、池が・・・、ゲートが・・・、そして、トーセの世界が・・・」佐藤が寂し

そうに言った。

「さようなら、トーセの街、さようならトーセの人たち・・・」奈緒美も今までのことを思い出

したのか、酒井に抱かれながら悲しそうにつぶやいた。

「また、いつか行けるわよ。きっと、また会えるはず。そう約束してきたじゃない」美砂はそう

微笑みながら皆に話しかけたが、瞳だけは潤んでいた。

「そうさ、また行ける。僕たちはあの人たちのことを決して忘れない。いつでも心に描いていれ

ばいつかきっと・・・」前沢も自分に言い聞かせるように言った。

「この竜玉がまた光るようになれば、向こうの世界に行けるのかもね」美香は黒くなってしまっ

た竜玉を見つめた。

 ただ、土田は竜玉が再び元の姿に戻ったときはトゥリダンも戻ってくるということを意味して

いるのだと気付いたが、今はそのことに触れるのはやめておいた。

 全員が水の消えてしまった痕をじっと眺めていた。不思議だ、ここに別の世界とつながる道が

あったなど信じられない。

「そろそろ、帰ろう。腹も減ってきたから帰りにどっか寄って行こう」青山が切り出した。

「ああ、ご飯に味噌汁、梅干しでいいから、食べたいよな」古井の意見にトーセに行った誰もが

賛同していた。

 消えてしまった池を後にしようとすると、か細い声が聞こえてきた。「待ってくださいな。わ

てのこと忘れていまへんか?」

「おっと、坊主のこと忘れていたぜ」伊藤はまじに忘れていた。

「そりゃ、ないでしょうに。こんなに活躍したわてを忘れるなんて・・・」宮崎は精根尽き果て

た様子で伐採した木に横たわっていた。伊藤と前沢が宮崎に肩を貸してやった。

「とにかく、礼を言うよ。お前がいなかったら、こんなハッピーエンドにはならなかっただろう

からな」

 一行が森の中を抜けようとすると、竹内が思い出したように言った。「あっそうだ、皆さん、

すみませんが、この間の喜多満の飲み会での飲み代なんですけど、僕が肩代りしているんで、払

ってもらえませんか?額が額だけあって、懐が・・・」

「竹内!こんな大きなことを成し遂げたっていうのに、そんなちっぽけなことにこだわるなよ」

藤井はとぼけた表情で竹内に言った。

「えっ、それとこれとでは話が違いすぎますよ。藤井さん」

「分かった、分かった。また、今度皆で飲み直しをしよう。こうして集まった仲間同士で」

「ええ、そうですね」

「あのー、わても混ぜてもらえませんか」宮崎は飲み会という言葉に元気を取り戻した。

「お前が来ると、また、何か騒ぎが起きるからな・・・」土田は嫌な顔をわざとしてみた。

「そんな、御無体な」

「冗談だよ、お前も誘ってやるよ」

「ありがとうさんでございます」

 雲が張り詰めていた空にはいつの間にか青空がのぞきだしていた。雨に打たれ、水の中を通り

抜けてきた人たちの冷えた体が、照らし出される太陽の光で暖まるのを感じていた。

「やっぱ、太陽は一つで充分だな」古井の言葉には故郷に帰ってきた実感が込められている。

 トーセに赴いた誰もが、心の中で今日までのことを回顧していた。不思議な事ばかりが続き、

尋常ではない物語が流れていった。様々な苦難や冒険、新しい出会いに別れ、一週間ほどの出来

事が彼らの人生感を大きく変えていった。そして、この旅で得たものも大きかった。それは、日

常の生活では見つけることのできなかった、互いの信頼と友情、そして愛しみである事をここに

集っている全員が心に刻んでいた。

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください