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トゥリダンの逆襲

 

    第 四 章        再 会

 

         1

 

 筒井警部は当惑していた。信頼する友人に呼ばれてここへ来たものの、その理由がいまいち飲

み込めない。最近は大きな事件もなく、今日も書類の整理をしてから早く帰れると思い、席を立

った時、自分のデスクに直接つながる電話が鳴った。筒井は帰る足を止め、受話器を取ると、相

手は竹内であった。至急筒井に来てもらいたいと、竹内にしては落ち着きのない高揚した声だっ

たが、詳しい訳は来てから話すと言っていたので、ひとまず駆けつけることにした。ただし、現

場が名古屋駅近くの飲み屋だということは奇妙に思えた。

 現場に到着して竹内から事情を聞いたが、さっぱり話の内容がつかめない。竹内とは様々な事

件を手掛けてきたが、今回のような奇々怪々な事件は稀である。彼の元同僚が突如行方不明にな

った。しかも、十六人もの人間が忽然と姿を消したのだ。そんなことは常識の範囲でしか行動で

きない警察の人間には信じることはできない。相手が竹内だからまだ、癇癪も起こさずここにい

るのだが、竹内も冗談を言っているようには見えない。筒井は半信半疑のまま竹内や彼の同僚で

ある荻須、酒井に尋ねた。荻須は彼らの元勤めていた会社で起こった「専務殺害事件」の時、事

情聴取をした記憶があるが、酒井とは面識がない。

「しかし、竹内さん、これは正直言って信じられない事ですな?皆さんで私を担いでいるんじゃ

ないんでしょうね。本当に何があったのですか?」筒井は難しい顔をして三人を見つめた。

「だから、何度も言っているじゃないですか?ここにいた人たちが全員消えてしまったと」酒井

は分からないのかという焦った気持ちで声を張り上げた。妻の奈緒美もその消えた仲間の中にい

ては、落ちついてなどいられない。

「まあ、酒井君、落ちつけ」竹内は彼をなだめた。「筒井警部、確かに不思議な出来事です。私

だって信じられません。しかし、ここにいた人間が消えてしまったのはどう考えても事実なので

す。ご覧の様にこの店から出るにはこの階段を降りていくしかありません」竹内たちは座敷の前

で話し合っており、竹内は階段に視線を流して続けた。「ですから、誰もここを通った人物はい

ません。それは、店の人の証言からも明らかですし、何かが起こった時、私と荻須さんは階段を

登ってきました。ですから誰も降りた形跡が無いのは確実です」ここで、荻須もうなずいた。「

むろん、座敷の窓から飛び降りたなどということもありません。ですから、十六人もの人間が突

如消滅してしまったのは疑いようの無い出来事なんです」竹内の話は理路整然としていて、筒井

も口を挟むことができない。

「ですが・・・」

「筒井警部、分かっていますよ。いくら私が説明したところで、それを信じられないことぐらい

は。ですが、以前にもこのような不思議な事件があったじゃないですか?人の姿を写し取る化け

物や、耳が変になって事件に巻き込まれたとか。まあ、それらとこれが同一的だとは言いません

が、常識では計れない出来事もあるのですよ」竹内自身、常識を固持する人間であった。今まで

の難事件を解決したのもそういった考えを基盤に、解けない謎はないという観点から事件の全貌

を切り開いていったのだった。しかし、そんな中でもいまだに解けない不可思議な出来事も多々

あった。それは竹内にも常識が全てだと言うことが誤りであったことを悟らせ、柔軟な思考を竹

内に与えていた。

「確かに、昔にもいろいろありましたが。それじゃ、例えば、今回の事にまだ未解決な、あの神

出鬼没な殺人鬼が絡んでいるとでも、奴がどこからか現れてここの人をさらっていった?そう言

えば、あの時の渡辺さんもその中にいたようですし・・・?」筒井は少し厭味ぽく言った。

「いえ、今回のことは違うと思います。あの殺人鬼の恐怖はもう去ったはずです。ですけど、何

か我々の理解を越えた出来事があったはずなのです」

「分かりました。とにかく、今晩は様子を見ましょう。こんな失踪の仕方をされたのでは警察と

しても捜査のしようがありません。事件性が全くないですし、集団誘拐とは到底思えません。も

し、竹内さんの言う不思議な力で彼らが消えたのなら、またどこかに現れるかもしれません。今

はそれを待つしか無いのではありませんか?」

 そう言われては竹内もそれ以上は言えなかった。竹内とて、どう彼らを探さなければならない

のか模索のしようがない。パズルの断片はすっかり消え去っているのだ。

「そうですね、ひとまずここは引き上げましょう」

「た、竹内さん、それじゃ・・・」酒井は訴えかけるような目つきを表したが、彼も冷静に考え

だし竹内の考えを理解した。

「けど、どうするんだい?皆の家族の人や御両親の人たちにこのことを言わないと。明日になっ

ても帰らないんじゃ、そっちの方が騒ぎだすんじゃないか」荻須は落ちついた態度で設問を投げ

かけた。

「ん、それもそうだが、それも大きな問題だな。家族の人たちに事情を説明しても信じてもらえ

るかどうか?筒井警部以上に困難かもしれない」竹内は次の難問に窮しだした。

 消えた人たちの家族や知人の中には竹内のよく知るトリオの会社にいた人間が含まれている。

それを考えるとどうこの出来事を切りだせばいいか分からない。難解な事件はまだ始まったばか

りであった。

 

         2

 

 悦子たち五人はミーワとマーリが操るカウホースの荷台に揺られ、城へと向かって行った。美

砂たちはここがどんな場所なのかを知ろうとしているのか、荷台から体を乗り出し周りの景色を

眺めている。悦子にとっては記憶のある光景だ。ジーケンイットとヒロと共に歩いてきた道のり

であった。

───まさか、またトーセに来るなんて。

 悦子にとっては信じがたい事だった。あの街に再びやって来るなどとは、夢にも思っていなか

った。それよりも、悦子はトーセの存在を今まで疑っていた。あの時の冒険は自分が事故に遇っ

た時の夢であり、現実には体験しなかった事だと、時が経つにつれてそう思い始めていた。あん

な、非現実的な出来事が起こるはずがない。ジーケンイットもリオカも、そしてヒロも自分が創

造した架空の人物だと思うようになっていった。病院を退院してからもその考えは顕著になり、

事故で頭を打ったせいではないのかと思っていた。ならば、あの竜玉はどうなのだ。トーセに赴

いた証拠として竜玉が彼女の手元にあったが、それも、自分がどこかで買って、事故のショック

で軽い記憶喪失に陥り、その出所を忘れてしまったのではないかと考えるようになった。という

よりも、夢だったと考えるように深層の中の現実という部分がそうさせていたのだ。さらに、そ

の深層は全てを拒絶しようとし、竜玉の存在をも消していった。お産の時までは、まだ竜玉の存

在を意識していて、産婦人科に運ばれた時も握っていたのだが、その後、家に戻り娘の世話を始

めると、彼女はそれをどこに仕舞ったのかも忘れ、お産後は一切見ていない。

 時折、トーセの事が頭に浮かんだが、それも残留的な夢の断片としか認識していなかった。子

育てや家事の忙しさに追われ、そんな夢のような事などじっくり考えている時間もなかった。

 だが、トーセは存在していた。あの時の記憶は幻ではなく、すべて現実だったのだ。美沙希の

ポケットに竜玉を見つけた時、トーセの記憶が走馬燈の如く脳裏に蘇った。そして、次の瞬間、

強烈な光に包み込まれ、不可思議な無重力の世界に放り込まれたかと思うと、再び閃光の中に吸

い込まれて、旧知の世界へと降り立った。そこがトーセと認識できた時、彼女の記憶は完全に覚

醒された。今では、トーセで出会った人たちや、出来事、そしてあの冒険の数々を鮮明に思い出

せる。それまで、ジーケンイットの事でさえ、おぼろげな記憶しかなかったのに、今でははっき

りと目の前に浮かんでくるほどだった。

───どうしてなのだろう。そして、なぜ私なのか・・・・?

 なぜ再びトーセにやってきたのかその理由は見当もつかない。以前来た時でも、この街に呼び

込まれた原因は全く分かっていない。ノーマは悦子がトーセを救った伝説上の人物の子孫ではな

いかと推測していたが、そんなことも簡単には信じられなかった。ミーワたちはコーキマという

流刑地で大きな騒ぎがあったと言っていたが、そのことが関係するのだろうか?前も、トゥリダ

ンの件があったから悦子が呼ばれたと考えてもおかしくはない。むろん、結果論としての考えだ

が、彼女がトーセの命運を変えたのは間違いない。では、今回も何かそれに関わる事なのだろう

か?

───トゥリダンは死んでいなかったのか?まさか、あの時、ジーケンイット様があの怪物を完

全に倒したはずだわ。でも・・・。

 それは、彼女が考えても分かるものではない。トーセという時の流れが彼女を取り込む限り、

トーセは彼女を欲するのだ。

 だが、その疑問以上に困ったことは今回は彼女一人で来たのでないということだ。どういうわ

けか、彼女の友人や夫、そして娘までもが巻き込まれてしまった。竜玉の光を浴びたものが皆不

可思議な空間に吸い込まれ、この地にやって来たのだ。夫や娘もここにいるのか定かではないが、

多分、どこかにいるのだろうと、確信はなかったが彼女にはそう思えた(思いたかった)。あの

空間の中で娘が自分の手から離れた時はどうしようかとパニック状態に陥った。運良く夫がキャ

ッチしてくれたので、胸をなで下ろしてはいたがその後、再び光に吸い込まれ離れ離れになって

しまった。今はどこでどうしているのだろうか?自分の時のように砂漠などに飛びだしていない

ことを祈るだけだった。その事が一番の気掛かりだ。

 仲間たちのこともどうすればいいのだろう。自分の道連れにこの地へ放り込まれたことは申し

訳ないと思えた。むろん、彼女には責任はないが、この現状をどう説明すればいいかそのことも

問題だ。これに乗ってから、古井たちは悦子がこの地のことを知っていると考え、いろいろ聞い

てきたが、彼女は頭を整理したいのでしばらく待ってと、無碍な言葉を返した。彼女にしても混

乱した頭をすっきりさせたいし、どう説明すれば理解してもらえるか、言葉を考えていた。

 トーセのことは今まで誰にも話していない。夫にさえもそのことは秘密にしていた。事故の後、

その記憶があやふやになり夢だったのではと思うようになって、話す意思も無くしていたが、話

したところで誰も信じてくれるようなものではないと最初から分かっていた。だが、彼らは現実

にこの街を体験している。そのことを理解させ、トーセという街の全てを語ることは非常に難し

い。現実に彼らの身に起こっていることなのだから、それを受け入れてもらえばいいのだが、こ

の世界は尋常な地球の世界とは少し異なる。固定観念の中で生きてきた彼らにそれを承諾できる

だろうか?自分でさえ、始めてこの地に来た時は、混乱以上の当惑、精神的な困惑に近かった。

そんな中でも唯一、頼れるのは土田の存在だ。彼ならば、こういった非現実的世界観を熟知して

おり、その受け入れかたも他の人間とは違う気がした。今まで、ただの物知り、変人と思ってい

たが今回だけは自分の考えを受入れ、助言してもらいたい気分だった。今でも、土田は興味深そ

うに辺りを観察している。そして、当惑している表情というよりは未体験な出来事に接触し、興

奮しているという感じだった。土田に理解させることが皆を理解させることに一番早いと彼女は

思った。

 悦子は気持ちが整理でき、皆のところに近づいた。

「枡田君、足、大丈夫?」

 枡田は荷台の壁にもたれながら、後ろに遠ざかって流れ行く景色を眺めていた。「ええ、痛み

ますが大丈夫です」苦痛を表さないように笑ってみせた。捻挫ほどの怪我なのでほとんど腫れて

いなく、安静にしていればすぐに直るだろう。

「城に行けば、治療できる人がいるから、少し我慢してね・・・」

「こんなところに医者なんかいるんですかね?祈祷師とかまじない師でもいるんじゃないですか

?」古井は悦子の言葉をきいてふざけた。

「大丈夫よ城に行けば、何とかなるから」

「でも、城って一体何ですか、お殿様でもいるのですか?」土田が興味深そうに聞いた。

「そうじゃないんだけど、行けば分かるわ。後で、説明するから。ほら、見えてきた」

 道が山裾を回って、直線に戻ると大きく広がる草原が見えだした。カウホースが進むと正面に

雄大な峰山をバックに白い建物が見えだす。それは土田たちが今まで見たことのない、壮大な建

造物であった。誰もが、その大きさと美しさに我を忘れたように見入っていた。悦子もこの景色

を見ると、感慨深げな感情がこみ上げてくる。昔と変わらないこの景色は懐かしく、そこにいる

人たちも変わらぬのかと一人一人の顔が思い出された。

 

 悦子が考えていた通り、土田はこの世界のことを誰よりも理解していた。もちろん、悦子とこ

のトーセとの関わりについては全く分かっていないが、今自分たちがいるこの大地は地球とは異

なる別次元の場所であることを充分に認識している。本当にこんな世界があったのかと彼は驚き

を隠せない。宇宙という無限大な世界が広がっている限り、地球と同じ様な星があってもおかし

くない。だから、今いるこの世界がある事自体は別に不思議でもなかった。ただ、地球からこの

世界に飛び込んだことが信じられなかったのだ。時空の壁を超え、別世界に紛れ込んだことが、

彼が好むSF小説そのままの現象であった。自分が映画やテレビで見た想像の世界が存在し、現

実に自分で体験している。夢の中で作り上げていた世界が今、目の前に・・・。土田は気付いて

いた。この変異に悦子が持っていた光る輪っかが関係ある事を。だが、今その輪っかが悦子の手

元になかった。たぶん、ここにいない誰かの手に渡ったのだろう。あの輪に何があるのか、そし

て、この世界と悦子にどんな関わりがあるのか、興味津々であるが、戸惑ったように考え込んで

いる彼女に話を切りだせなかった。悦子が落ちつけばきっと皆に話すだろうと思って、今は静か

にしていた。

 土田は自分の身に振りかかった、この奇異な現象を楽しんでいる。むろん、未知の世界なのだ

から、恐怖と当惑はあるが、新しいものを見聞きし、体験することは彼にとっての糧になってい

た。次に何が待ち受けるか、ワクワクしていたが、この世界が想像以上に恐ろしい世界とは気付

いてもいなかった。

 

「しかし、さすが松浦さんだけのことはありますね。さっきの活躍ときたら・・・」古井は松浦

の隣に座り話しはじめた。

「あのねー、どうも私を暴力的な人間と思っている見たいだけど、そんなことはないんだから勘

違いしないでよ。さっきは仕方がなかったらよ。誰だってあんな窮地に陥れば、同じ行動をとる

わよ」美砂は自分を誤解している古井に強く言った。それと同時に思い出したのか、ジリノーを

殴った右手の痛みを感じ手を軽く振った。いまさら考えるとよくあんな行動が出来たものだと再

考した。ジリノーたちのように質の悪い男どもに敵意を剥きだしたのは冷静に考えれば向こう見

ずとしかいいようがない。普段の手癖の悪さが、つい出てしまったのだが、トリオの軟弱な男ど

もとは違うことをよく吟味するべきであったかもしれない。まあ、無事に済んだのだから、いい

と自分で納得しているが、これじゃ、結婚も程遠いと反省する面もある。「それよりも、あんた

たちがもっとしかりしてもらわないとね、男なんだから。どっちかというと頼り無い男ばかり私

たちのとこにいて、頼りになる藤井さんたちはどこ行ったのよ」美砂の言葉は段々愚痴っぽくな

っていった。

「ところで、一体ここはどこなんですか。僕らの知っている世界とは全然違う気がするんですけ

ど。この荷台を引いている動物も見たことのない変な生き物ですしね」

「そんなこと、私に聞かれたって・・・、ツッチーにでもきいてよ。さっきから目を輝かせてき

ょろきょろしているんだから、きっと何か分かっているはずよ」

 美砂にとってもこの見知らぬ世界は心に恐慌を宿させている。いくら、鉄拳のパワーを持って

いるとはいえ、彼女もまた乙女である。心の不安を表には出さないが、内心では誰かにすがりた

い気持ちで一杯なのだ。トリオの男たちの前では弱音を吐きたくないと思いつつも、彼らが一緒

にいてくれるからまだ心の均衡が保たれている。結婚もできずに、こんな辺境の地で死ぬのだけ

はまっぴらごめんだった。

 

          3

 

 草原には城で養われているカウホースが自由に走り回っている。道端にも数頭のカウホースが

のんびり草を食べ、悦子たちが通り過ぎると物珍しそうに顔を上げた。しばらく進み城壁の門ま

で行くと、衛兵の詰所前でミーワたちがカウホースを止めると、中から衛兵の一人が顔を覗かせ

た。

「ミーワ、どうした?今日は行商の日ではないはずじゃが?」

「ええ、分かっているわ。今日は違う用事で来たのよ。テムーラさん、とても素晴らしい方をお

連れしたの」

「ほほー、それはどなたです。また、変な行商人じゃないだろうな」

「違うわよ・・・」

 悦子は荷台から降り、テムーラに近寄った。テムーラはほころぶように顔をくずし、満身の笑

みをたたえた。「あ、あなた様は、エツコ様ではありませんか?」

「ええ、今日は。確かテムーラさんでしたね。お久し振りです」悦子にもテムーラの事が記憶に

あった。以前も今と同じ様な状況で彼と会い、また、トゥリダンとも一緒に戦ったことがある。

「エ、エツコ様、一体どうしてらしたのですか?祝杯の日に突然いなくなられて、城では大騒ぎ

でしたぞ」

「御免なさいね。急に戻らなければいけなくなったから」

「そうですか、でも、良かった。こうして、またエツコ様と再会できるとは、私としましても嬉

しく思うかぎりです。ところで、また、城をお訪ねになったということは、やはり、コーキマの

騒ぎを聞きつけてのことでありますか?」

「ええ、そういうわけじゃないんだけど、まあ、そうね」悦子は曖昧にしか答えられなかった。

何が自分を引き寄せたのか全く分かっていない。しかし、マーリたちも「コーキマ」と言ってい

た。一体そこで何があったのだろうか?それが、自分と結びつくのだろうか?テムーラたちはト

ゥリダン退治についての事で悦子がどういう人間かを知っている。その彼らが、悦子が再び現れ

たことで、歓喜していることから判断すると、やはり、トゥリダンに関わる何かがあるようだ。

 美砂たちもぞろぞろと荷台から降りてきた。枡田はまだ完全には歩けないので古井の肩を借り

ている。四人は、中世時代のような甲冑ではないが、それを計量化したような防御服を身に着け

ているテムーラに恐がりながら近づいていった。

「あちらの方々は?」

「私の友人です。ちょっと、偶然が重なって、一緒に来ちゃったんです」

「そうですか、そういえば、先程もターニがあの方々と同じ様な服装をした五名ほどの客人をお

連れしていましたが・・・。チーアの方に見えましたけど」

「本当ですか?」悦子は喜び勇んだ。自分たち以外にもこの城にやって来た地球の人間がいるの

だ。ここにいないメンバーだと悦子は望んだ。特に、夫と娘がいることを。

「とにかく、城内にお入りください。ジーケンイット様はあいにくお出かけですが、フーミ様や

リオカ様はいらっしゃいますから。それに、ヒロチーカもきっと喜ぶことでしょう」

 テムーラが言った人々の名を聞くと、すぐにでも会いたい衝動にかられた。皆、あれからどう

しているのだろう。まだ、二年ぐらいしか経ってないが、彼女の記憶としては随分昔のように思

えてならなかった。

 若い衛兵が門を開けた。エーグかと思ったが、もっと若い新米兵のようだ。大きな木の門が仰

々しく開けられると、その奥には荘厳壮麗な城が、大きく広がる草地の向こうに見える。彼らは

ゆっくり中央に引き詰められた石の道を進み、その建物に近づいた。昔来た時と全然変わってな

いと悦子には思えた。その印象も以前の時以上に大きなものとなり、あらたな感動を呼び起こし

ている。

 土田たちもそのあまりの素晴らしさに我を忘れたような茫然たる表情で、視線を城に釘付けに

したまま足だけを動かしていた。古井も枡田に肩を貸していることを忘れ、枡田も借りているこ

とを忘れて、夢遊病者のような足取りである。

 建物へ通じる入口の前まで来た。門兵が直立不動の態勢でそこにいたが、扉は開かれており、

中から人が出てくる気配を察した。

 暗がりの影からその女性は現れ、爽やかに流れる風にその長い髪をたなびかせた。

「エツコさん、本当に、エツコさんですのね」フーミは瞳を輝かせ、弾むような足取りで駆け寄

り、悦子の前でトーセの挨拶をした。フーミは以前に出会った時より随分大人びていた。少女で

初々しさがあったのが、今では一人の大人としての麗容な美しさと気品をそなえている。一見で

はあのフーミなのかと思ってしまうほどの成長振りだ。

 悦子も挨拶を返して笑みをこぼした。「お久し振りです、フーミ様。しばらくお会いしないう

ちにすっかり美しくなられて、見違えるほどですわ」

「それは、五年も経てば私も変わりますわ。お兄様にはいつも子供だ子供だと言われていました

けど、最近やっと大人として見てくれるようになってくれましたから」

「五年・・・?」悦子は不思議に思った。彼女には解釈できない次元差の隔たりである。確か、

以前ここにきてからは二年ちょっとしか経っていないはずなのに、どうしてだろう。自分の世界

とこことでは時間の流れが異なっているのだろうか?五年も経っていればフーミの変わり様も理

解できるが、悦子にとっては驚く事ばかりだ。

「でも、私たちの願いが通じたのですね。エツコさんの再来がトーセの平和を救って下さること

になるのですから」

「あのー、トーセにまた何か起こっているのですか?私は何も分からず、またここまで来たので

すが」

「エツコさんは何も聞いてないのですか?」フーミは拍子抜けしたような顔をした。「きっと、

エツコさんは心で何かを感じているんですわ。五年前の時も、よく考えれば偶然の出会いですも

のね。街でお兄様がエツコさんに出会ったのが始まりですから。とにかく、長旅で疲れたことで

しょう、城でゆっくり休んでから、私たちの話をきいてください。ぜひ、エツコさんの力が必要

なのです」

「はい、分かりましたわ」エツコもそれ以上のことは言えず、フーミに従うことにした。「あの

ー、ただ、今回は私だけではなく、友人が一緒に来たものですから、その点もお願いしたいので

すけれど・・・」

「ええ、こちらの方々ですね」フーミは悦子の背後を覗いて、美砂たちに顔を見せた。古井たち

はわけの分からずまま、軽く会釈した。随分品位に欠けた挨拶だが、フーミがこの城の王女とは

知らないので致し方ない。もちろん、後で驚くことになるのだが。

「それと、テムーラさんに伺ったんですけど、既にこの城に私たちみたいな旅の人間が来ている

ということですが・・・?」

「ええ、ちょっと前にターニが外出の途中で見つけて、ここまで案内したのです。でも、驚きま

したわ。その中の赤ちゃんが竜玉を持っているんですもの。ですから、エツコさんが来ると分か

っていたのです。彼らもエツコさんのお仲間なのですか?」

 ”赤ちゃん”と聞いて、悦子は喜悦した。「本当ですか?今どこにいるのですか?」

「今は客室で休んでもらってますけど。あら、ちょうど降りて来られましたわね」

 城の入り口から青山たち五人の男女が駆け寄ってきた。その中に自分の夫と愛する娘を見つけ

ると彼女も駆け寄り、それに気付いた土田たちも動きだした。

「美沙希、大丈夫?」悦子は伊藤の腕に抱かれている娘に飛びついた。

「ああ、大丈夫だよ。どこも怪我なんかない」伊藤もホッとした表情で優しく言葉をかけた。

「あなたは、それに青ちゃんたちも・・・」

「俺たちは皆元気だ。そっちの方は・・・、どうやら皆無事な様だな。良かった」青山は仲間の

顔を見ると穏やかな笑顔で口を開いた。

 十人の男女は寄せ集まり互いの無事を喜んだ。「枡田さんが、ちょっと脚をひねっただけで、

皆元気です」古井は枡田に肩を貸しながら、告げた。

「青山さんたちはどうしてここに?」美砂が尋ねた。

「うーん、あの光に包まれて変な空間に出たのは同じだよな。その後、俺たちが気付くと草原み

たいなところに降り立ったんだ。そこで、ターニという騎士みたい人に出会って、ここまで連れ

てきてもらったんだ。松浦たちもどこかにいるとは思ったが、ここで再会できるとは奇跡だよ」

「あれっ、藤井さんやワンさんたちがいないみたいだけど、一緒じゃ・・・?」美香が気付いて

顔を曇らせた。

「えっ、そっちにもいないのですか?」土田が答えた。

「僕らもそっちにいると・・・。ここの上で休んでいたら、人がこっちに来る姿が見えたんで、

急いで降りてきたんですが・・・」前沢が不安げに言った。

 その時、史子が遠くを指差して言った。「今、向こうから誰か来ますけど・・・、あれって藤

井さんたちじゃないですか」

 全員がその言葉を聞いて振り返った。石の道をこちらに歩いてくる人間が七・八人見える。向

こうも、こっちに気付いたのか手を振り上げ大きな声で「オーイ」と叫んだ。

 その声は佐藤のもので、こちらもそれに答えて大きく手を振ると、藤井を先頭に佐藤や祐子が

走ってきた。

「良かった、青山さんたちがいて。もう二度と会えないと思ってたぐらいですから」佐藤が荒い

息づかいで言った。

「ああ、こっちこそ心配したぞ。今、悦ちゃんたちが来たばかりでお前らがいないからどうしよ

うかと思っていたところだ。皆怪我はないか?」

「ええ、大丈夫です。ちょっと足が臭いだけですから」と浩代がおどけて答えた。

 土田が脇から顔をのぞかせた。「でも、どうしてここに僕らがいると知っていたのですか?」

「それは、あの人たちに案内してもらったからだよ」藤井が後ろからゆっくり歩いてくる男女を

示した。

 悦子にはそれが誰か分かり、集まりの中から抜け出ていった。「コトブーさん、コトブーさん

ですね」

「やっぱり、エツコか、もう城に来ていると思っていたよ」コトブーは昔と変わらないシニカル

な笑みを浮かべた。彼に関しては五年の歳月を感じさせないほどほとんど変わっていない。悦子

は隣の女性に視線を移したが、一瞬誰か分からなかった。

「今日は、ヒヨーロです。お久し振りです」

「ヒヨーロさん?」悦子は少し戸惑った。元々、ヒヨーロとはあまり話をしていないが、以前に

会った彼女の印象とは、今、目の前にいる女性は全く違う。

「分からないのも、しょうがないだろう。ヒヨーロは随分変わったからな」

 悦子はヒヨーロに身の上を思い出しその意味を悟った。反逆者ジーフミッキの娘としての烙印

を押されながらも、生きていかなければならなかった彼女がこのような変化をしたのは理解でき

るが、それ以上の豹変ぶりに驚いた。隣のコトブーを見て、悦子は二人の関係を察し、その事が

ヒヨーロの人間的、精神的な成長を促したということが読み取れた。

 悦子がそう考えている時、いきなり抱きついてくる人物がいて、彼女は何事かと振り返った。

純白のドレスに長い髪の女の子が「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と言ってすがりついてくる。

「えっ、誰?」と悦子がびっくりすると少女は「忘れちゃったの?おいらだよ、おいら」と少年

のような声音で言った。

「えっ、ヒロなの?本当にヒロ・・・?」悦子はトーセの掟のため少年の振りをしていたヒロこ

と、ヒロチーカを思い出した。別れた時は、女の子の恰好をしていたが、髪形や話し方、それに

顔だちというものはどうみても少年にしか見えなかったのが、いまでは可愛らしい女の子として

目の前に立っている。背丈も大きくなり、小柄な悦子を超えていた。髪を伸ばし、少女の雰囲気

が表面に出ていて、昔の面影は目元や鼻など基本的な顔の作りの部分にしか残っていなかった。

あのヒロがこんな可憐な少女になるなんて、信じられなかったし、五年の歳月の隔たりをここで

も大きく感じた。

 ヒロチーカは悦子を見つめ、瞳を潤ませた。「お姉ちゃん、どうして黙って行っちゃったの?

一緒に居てくれるって、記憶が戻るまで居てくれるって約束したのに・・・」ヒロチーカは悦子

に抱きつき涙の雫をこぼした。

「御免ね、ヒロ。あの時は突然居なくなったりして」悦子のトーセでの気掛かりはヒロの事だっ

た。偽りといっても記憶が戻るまでしばらくいてあげると約束したのに、故郷に戻りたいという

自分の願いを優先させたため、ヒロチーカとの約束は反故にされたような形になってしまった。

現実に帰り、薄れゆくトーセの記憶の中でも悦子には少女との約束という事柄が最後まで心に残

っていた。「御免ね。私を許して・・・」

 ヒロチーカは指で涙を拭い、嗚咽しながらも笑ってみせた。「でも、嬉しい。こうしてまた来

てくれたんだもの。私たちの願いが通じたんだわ。今度はずっといてくれるの?」

「それは・・・ちょっと、分からないんだけど・・・」

「ヒロチーカ、あまりエツコさんにわがままを言ってはいけませんよ。長い旅を経てここまで来

ていただいたのですから、まずは休んでもらわなければ」フーミがヒロチーカの肩を叩いて言っ

た。

「フーミ様、ジーケンイット様はどちらに?」

「お兄様は、先程コーキマの方から戻られ、今は政務省の方で今後の方針について話し合いをし

ています。お兄様もエツコさんにお会いできればとても喜ぶことでしょう。あとで、伺うように

しますから、それまで客室で休んでてください。それから、コトブーさん、お兄様のところに出

向いて話し合いに加わっていただけますか。あなたの力もきっと必要になりますから」

「分かった。早速行ってみる」コトブーがフーミに返事をするとヒヨーロが一歩前に出て、申し

出た。「私も一緒に行ってよろしいですか?」

「えっ、ヒヨーロさんも・・・」

「変なお気遣いは必要ありません。私もトーセの人間としてこの街を守りたいだけです。ですか

ら、ぜひ」

「分かりました。私の方こそ、嬉しく思います。仲間は多いほうがいいですから。ではお願いし

ます」

 二人は踵を返して城の中に入っていった。悦子は彼らの会話の中に今トーセで起こりつつある

動きに緊迫したものを感じていた。一見平和に見えるこの街で大きな何かがうごめいているのだ。

再会の喜びも束の間のような気がしてきた。そして、自分が再びこの地に来たことの意味を悦子

は悟り始めていた。

 

         4

 

 悦子を中心にして彼女の仲間たちが取り囲んでいる。ここは城の正面入り口の階上にある巨大

なホールであ、街の者たちが王たちに謁見する時も、このホールのバルコニーを利用する。来賓

や祝賀行事があった時の宴にも利用され、悦子が去った、トゥリダン退治の祝賀もここで行われ

た。そのホールは花が生けられた大きな花瓶しかなく、壁の白さが際立つだけの殺風景な場所に

今はなっており、その真ん中に彼らは各部屋から持ってきた椅子に座っていた。壁際や柱にもた

れている男たちもいるが、皆の視線は悦子に注がれていた。

 彼らに降りかかったこの不可解な現象を悦子に説明してもらう時が来たのだ。居酒屋という悦

楽の世界から、全く見ず知らずの異境の地に放り出され、誰もかもが戸惑い恐れている。運よく

この街の善良な人々に助けられ、今はこうして全員無事に集っているが、下手をすれば命を落と

しかねない状況でもあった。そして、この異変に悦子が大きく関わっていることを彼らを助けて

くれた人たちから悟っていた。当然、その訳とこの世界の説明を受けなければいけない。一体こ

こはどこで、どうして来たのか。そして、もっとも重要なことはどうすれば元の世界に戻れると

いうことだ。

 悦子はこれほど視線を浴びたことはない。赤の他人でない彼らに見つめられても、普段ならど

うこう思わないが、今の状況はそんな生易しいものではない。誰もが、彼女に説明を求めている。

どう切りだせばいいのか、城に来る途中から考えていたが、結局は正直に全部話すことにした。

信じてもらえようとそうでなくても、真実を素直に話すのが一番だと思った。それをどう納得し

てくれるかは彼らに任せるしかない。

「まず、皆には謝るわ。こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思っているわ。本来なら

私だけがここへ来るはずだったのに、どういうわけか、皆まで連れてきてしまって。美沙希が、

娘があれを持ち出してしまったために関係のない皆まで・・。多分、皆、訳も分からないまま、

ここへ来たと思うけど、これは夢でも幻でもない現実だということをまず分かって欲しいの」

「悦ボンに謝ってもらっても、その理由が分からなければ何とも言えないな。確かにこれは夢じ

ゃない。ホッペをつねっても痛いし、夢と現実の区別ぐらいは俺にもつく。ただ、現実だとは言

うものの、俺たちの常識では全く計れない世界だということだけは理解できる。まず、この世界

は一体何なのか、それから説明してほしいな」藤井は真剣な言葉つきで言った。

「分かったわ。じゃ、最初から話すわね。あれは、二年ほど前、私が交通事故を起こした時に始

まったの・・・」

 悦子はトーセの街に来たきっかけである事故のことから話し始め、砂漠を彷徨い、ジリノーた

ちに助けられ、ジーケンイットたちに出会い、トーセの掟を目の当たりにし、ジーケンイットを

喚起させ、彼を危機から救うためにヒロと旅立ち、魔女たちと戦って、リオカを救うためにトゥ

リダンと対峙し、勝利を納めたことを順番に語った。彼女の話は三十分近く掛かったが、誰も口

を挟む者はおらず、静かに彼女の言葉に耳を傾けた。ただ、彼らの表情は目まぐるしく変わって

いく。そのほとんどが、信じられないという驚愕の顔つきであった。

 悦子が話し終えると皆しばらく黙りこくり、困惑の仕種を示していた。最初に口を開いたのは

夫である伊藤だった。

「しかし、なぜ今までそのことを黙っていたんだ。そんな話し俺は一度も聞いたことないけど」

「それは、私自身ここでの出来事が夢ではないかと、時が経つにつれて思うようになったからよ。

記憶がどんどん曖昧になっていくの。・・・でも、例えあなたにこのことを話したとして信じて

くれる?どうせ、言ったところで事故のショックで夢でも見たんだとか言って一笑するだけじゃ

ない。違う?」

「まあ、確かにそうかもしれない・・・・。けど、夫として妻のことは何もかも知っておきたか

ったんだ・・・」伊藤は不満そうな顔つきをした。

「そういう、伊藤君は何もかも奥さんに話しているの」美香が鋭い突っ込みをしたので、伊藤は

それ以上何も言えなくなった。「そ、それは・・・、これとそれでは、ちょっと次元が違うよう

な・・・」

「まあ、とにかく、今、悦ちゃんが言ったことは全部真実なのだから、それは俺たちも受け入れ

なくちゃいけないだろう。確かに信じがたい話であるが、現に我々は彼女と同じことを経験して

いるのだから」青山は全員のリーダーシップを取り、話を進めた。「問題はどうやって元の世界

に戻るかだ。今の話を聞くとその子が持っているペンダントを使えば可能なのかな?」

 今、美沙希は浩代と枡田の間で戯れていた。彼女の胸元には竜玉のペンダントが光っている。

「そうだと、思うけど、この前もどうやって戻れたかは私もよく分かっていないの。ただ、帰り

たいと心から願っただけだから」愛する人のところへという祈りが彼女の願いを竜玉の力を借り

て成就させたのだが、皆がいるし、夫の前で恥ずかしくてそこまでは言わなかった。

「それじゃ、俺たちも帰りたいと願えば帰れるということなのですか?」佐藤が尋ねた。

「ええ、そうかもしれない。ただ、私がここに呼ばれたという事は私を必要としている事柄があ

るから、そのままでは帰れないわ」

「でも、それは変な話ね。この世界で何かが起こったとしても私たちや悦ちゃんには関係の無い

ことじゃない。どうして、私たちが巻き込まれなければいけないの?」祐子が悦子の言葉に反論

した。

「そ、それはそうだけど・・・」

「真野さんの言うことには一理ある。酷な言い方だが、この世界がどうなろうと、俺たちとは無

縁のはずだ。今回はたまたま、俺たちも巻き添えを喰ったが、本来悦ちゃんだけが呼ばれたとし

ても、それはこの世界の身勝手というものじゃないのか。自分たちの問題をどうして、他人、い

や、それ以上の全く関係のない人間に頼るんだ。この街のことはこの街の人間が解決すればいい

ことだろ」青山の口調はトーセにしてみれば辛辣かもしれない。しかし、彼の意見もまた正論で

ある。「だから、今の話の中でも言ったように、この世界の人間では竜玉を扱うことができない

の?だから、伝説の勇者の子孫でる私が協力しなければ・・・」

「そんな、伝説なんか信じているのですか?それじゃ、昔も今もこの世界と地球がどこかでつな

がっているみたいじゃないですか?」古井が述べた。悦子が伝説までも真実を思い込んでいるこ

とが少し信じられなかったのだ。

「ええ、そうです。このトーセとあなたがたの世界はつながっているのです」彼らの会話に別の

女性の声が紛れ込んできた。ホールの入り口に清楚で地味な紺のベールを纏った人物が立ってい

る。

 悦子にはそれが誰かすぐに分かっり、立ち上がって彼女を迎えた。「ノーマさん、お久し振り

です。あの時はいろいろありがとうございました。ろくにお礼も言えなくて」

「いえ、お礼を言うのは私たちの方です。本当に有り難うございました。そして、またこのトー

セに来て頂いたことを心より感謝しております」ノーマはベールを取り素顔を覗かせた。以前と

はあまり変わっていないようだが、賢者としての威光が彼女を取り巻き、知的な美しさと精神的

な力強さを見せ、男どももその容姿に言葉を無くした。特に土田は取りつかれたように彼女を見

入っていた。年齢的にも悦子より若かった筈なのに、五年の歳月のせいでもあるが今では完成さ

れた大人の女性のようであり、悦子も少し畏敬を感じていた。

「こちら、今の話にも出てきたノーマさん。この街の賢者でいろいろなことを知っていらっしゃ

るわ。きっと、我々の相談にも乗ってくれるかと」

「エツコさん、怪我をされた方がいらっしゃると聞いてうかがったのですけど、どなたですか?

「枡田さんね」と悦子が言うと、枡田自身が小さく手を上げた。ノーマは枡田のところまで行き

持ってきた袋から坪のようなものを取り出した。

「どこを怪我されました?痛みますか?」

「足首を少しひねったみたいで、そんなに痛くはないですけど、まだ歩くのが不自由で」

「分かりました」ノーマは布のようなものを出すと、そこにさっき取り出した坪の蓋を開け、中

から粘性の液体を流し、布に広げた。「薬草を混ぜたものですからご安心下さい」ノーマは軽く

笑って枡田を安心させた。

 ノーマが治療をしている間に、美砂が尋ねた。「あのー、今、この世界と私たちの世界がつな

がっているとおっしゃいましたが、どういうことなのです?」

「これは、エツコさんがこの地を去ってから調べたことなのですが、この世界とあなたがたの世

界はある時点でつながっていたことが分かりました。過去の文献や編纂史をほどなく調べたとこ

ろ、この地に来たあなたがたの世界の人間はエツコさんだけではないようです。『異境の人間が

現れ、我らを助けた』とか、『髪を束ね、細い剣を持つ不可思議な着物を着た騎士のような者』

とかという記述が時々ありました。もちろん、伝説の勇者の時代までは分かりませんが、伝説の

話はされましたか?」ノーマが悦子に尋ねると彼女は小さく頷いた。「ですから、伝説の話も単

なる伝説だと切り捨てることはできないのです。どういう要因なのかは私にも分かりませんが、

私たちの歴史の中にはあなたがたの存在があることは間違いないのです。それが私たちの意思な

のか、それともこの大地のなせるわざなのか・・・?」

「じゃ、僕らはこの世界のオタスケマンなのですかね」前沢が冗談を言うと、皆笑った。この世

界と地球の関連がまだ飲み込めていないが、ひとまずは心に納めて置くことにした。トーセの人

間の前であまりごたごた言うこともできない。それにノーマには何でも見透かされてしまう彗眼

があるように見えたからだ。

 枡田の手当てが終わり、悦子は一番尋ねたかったことをきいた。「ノーマさん、今一体トーセ

で何が起こっているのですか。コーキマの騒動とかという話は何なのです?」

「そのことは、間もなく、ジーケンイット様がこちらに見えますので、その時お話になられると

思います。私もまだ詳しいことは知りませんので」それは嘘である。ノーマはすでに今回の騒動

に魔女が絡んでいることさえ、ジーケンイットの話を聞かないまでもすでに察知していたのだ。

それを阻止できなかった自分の愚かさをノーマは悔いていた。

「じゃ、ちょっときいていいかしら。悦子さんのお話を聞いていると、私たちの世界では二年し

か経っていないのに、こちらでは五年も経っているのはどうしてなのですか?」奈緒美が素朴な

ことを尋ねた。

「それはどういうことですか?エツコさんにお会いするのは確かに五年振りですけど、そちらで

は二年しか経っていないのですか?」

「ええ、そうなんです。ですから、皆さんの変わり様に私も驚いているんです」

「それは、不思議ですね。時間の流れというものは世界によって違うのでしょうか?」

「それは、多分、異なる惑星だからでしょう」言葉を発したのは土田だった。今まで、黙って話

を聞いていたが、彼の考えを述べるときが来たようだった。「この世界も当然惑星であることは

間違いないでしょう。ノーマさんには分からないかもしれませんが、この星が惑星である以上、

太陽である恒星を中心に公転しているはずです。その周期を一年としているのでしょうが、地球

と同じ周期ではないかもしれません。そこに時間のずれがでているんじゃないですか?」

「でも、どうして二年しか経ってない我々が五年後のここに来れるのですか?」史子が疑問を挟

んだ。

「そうだね、じゃ、分かりやすく説明しよう。例えば、複線の線路を同じ方向に列車が走ってい

るとする。で、一方は時速五十キロ、もう片方は時速百キロで同時にスタートするとする。一時

間後には当然二つの列車の距離は離れているね。これが丁度公転周期の違いに当たるかな。とこ

ろがこの列車の間には列車を行き来できる渡し板があったとするよ。この板は伸縮自在でどんな

に列車同士の距離が離れても板が途切れることがない。つまり、この板を渡れば互いに行き来で

きるということになるんだ」

「けど、ツッチー、板がいくら伸びても距離はあるわけでしょ。私たちがこの世界に来たのはほ

んの一瞬よ」今度は浩代が尋ねてきた。

「それはですね、渡し板が距離という観念をなくしている特異なものと考えてください。この板

を渡り始めた瞬間にはもう反対側に着いているんです。それが僕らに起こった現象と同じなので

す。もっと、分かりやすく言うならば、ドラえもんの『どこでもドア』ですね。あれは、行きた

いと思った瞬間にその目的地に着いています。一種のテレポーテーションですが、僕の言う渡り

板がそのどこでもドアの役目を果たしているのです。ですから、瞬時にこの世界に・・、でも、

よく考えるとこの考えもおかしいな。いくら惑星の公転の周期が違うからって二.五倍も隔たり

が出るだろうか?」

「何か疑問に思ったの?」と美香が言った。

「いえね、ここの環境は地球の環境に酷似しているでしょ。確かに太陽が二つあるという点は太

陽系と異なっていますが、人間が生活でき、地球に似た自然が形成される惑星の状況というもの

は、どの宇宙でも同じじゃないのかなと思って。つまり、太陽との距離によって惑星の条件が決

まるはずです。地球のような惑星が存在するならば、太陽自身の大きさや質量にもよりますが、

大体は地球と同じ程度の距離に惑星があるはずです。太陽に近ければ金星や水星のように灼熱の

星になるわけで、逆に離れていれば火星みたいな寒い星になります。ちょうどいい距離にあるの

が地球となり、この星も同じ様なことが言えるはずです。そうなると、公転の周期もそれほど変

わるとは思えないんですよ」

 土田の話は天文学的な展開が出てきて難しい話だが、決して理解できないものではなかった。

ノーマも理解しているのか、真剣に土田の話を聞いている。

「そう考えるとさっきの僕の説は成り立たないな。・・・そうか、単純に距離だけではなくて、

時間にも大きな隔たりがあるんだ」

「分かったの?」と悦子が合いの手を入れた。

「ええ、これも僕の推測ですが、SF的に考えれば間違っていないでしょう。奥さんが最初ここ

に来たのは何の影響かは僕にも分かりませんが、その目的を果たし自分の世界に帰った。そして、

この世界では五年が経って、また奥さんを必要とすることが起こった。その必要性というか、こ

の地の人の願いが地球に届いたのでしょう。そして、その願いは時間の壁を超え、奥さんが地球

に帰った後に達していた。しかし、それを奥さんが気付かなかったんじゃないですかね」

「それは、どういうこと。それと、奥さんはやめてって何度も言っているでしょう」

「すいません。で、この世界と伊藤夫人のつながりが何かあるはずです。何か物質としてのつな

がりが、それがつまりその子が持っているペンダントじゃないですか?」土田は美沙希の方を指

差した。

「そうかもね」

「じゃあ、聞きますけど、以前この地に来て、また地球に戻ってからあのペンダントはどうして

ましたか?」

「ずっと、箪笥の中に仕舞ったままよ。出産の時は、手元に置いておいたけど、その後いろいろ

忙しくて、それに記憶が薄れていったから、お産の後は全く見ていないわ」

「つまり、娘さんが持ち出すまで、全然触れていなかったんですね」

「そうよ」

「そうですか、分かりました。つまり、五年後のこの地の願いは伊藤夫人が帰った後に時間を超

えて届いていた。しかし、そのきっかけになるペンダントの存在を忘れていたために、その願い

はずっと待ちぼうけをくらっていたのです。そして、二年後、たまたたそれを見つけた娘さんが

持ち出してしまい、ついに喜多満の席で触れてしまった。その瞬間、願いは伊藤夫人に届き、本

人だけではなく、周りにいた我々をもここに運んできてしまった。そう考えれば辻褄が合うと思

うのですけど」

「土田さん、そうなると、私たちが元の世界に戻った時も時間のずれが起こるのですか?」奈緒

美が疑問を唱えた。

「そうだね、それは何とも言えないな。僕らが帰れたとしても、それがいつの時に戻るのか?基

本的な時間の流れというものは変わらないと思うから、出発した時点より過去に戻ることはない

だろうけど、出口が地球での遙か未来になるかもしれない」土田はその点を考え始めた。

「そうか、そう言えば、今思い出したが悦子が事故を起こした時、変な話を耳にしたな・・・」

柱にもたれかかっていた伊藤が口を開いた。「・・・偶然事故を見た人がすぐに一一九番してく

れて、現場にも向かったらしんだけど、その時、悦子の姿が車の中に無かったらしい。その人は

車から出たのか、もしかしてぶつかったショックでどこかに飛ばされたのかと思って、辺りを探

したんだけど、どこにもいなかったそうだ。不思議に思いながらも救急車の到着を待っていたん

だけど、救急隊員が駆けつけると、悦子の姿がまた車の中にあったということなんだ。その目撃

者は後の警察の事情聴取で今の事を話し、俺も警官から笑い話的に聞かされたんだ。警察も俺も

その人が事故を目撃して動転していたのだろうと思っていたんだけど、今考えるとその短い瞬間

にこの世界に来ていたことになるのかもしれないな」

「そうすると、我々も元の世界に戻るときには、喜多満で消えた直後に戻れるのかしら?」美砂

が僅かな希望で尋ねた。

「それは、どうでしょうね。結局は誰もこの現象の根本的な原因は分かっていない。もちろん、

誰も経験したことのない未知の領分ですから、分かるはずもありませんが・・・。そう、戻れる

という保証もないんですよ」

 皆少し落胆した気持ちになった。土田の解説は自分たちに起こったことを理解させているが、

理解することが返って、この不可思議な現象の謎を深めている。誰にも解明できない謎の断片が

分かると、その全体像が見えはじめ、より大きな問題が見えてくる。クロスワードパズルを解く

ようにはいかないのだ。

「・・・なるほどな。さすが土田だ。よくそこまで考えることができるな。伊達に映画がなんか

が好きなオタクじゃないようだな。フリーターにしておくのはもったいない」と藤井が気分を変

えようとからかった。

「オタクは余計ですよ。オタクは。私はマニアなんですから」と土田は口を尖らせたが、皆はど

っと笑った。ただ、ノーマには「オタク」の意味が分からず、きょとんとしていた。に

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