このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

トゥリダンの逆襲

 

    第 五 章        光 の 導 き

 

         1

 

 青山裕予は子供を寝つかせてやっと一息入れたところだった。今日は亭主がいないため、土曜

日なのにのんびりできる。どうせ、遅くまで飲んでくるのだから、待っている気などさらさらな

かった。夫が昔の仲間と飲みに行くというのは彼女も承知していた。自分も行きたかったのであ

るが、二人目の子供がまだ幼いのでそれも無理なことだった。皆によろしくとだけ言づけて、夫

を見送った。その時、裕予はなぜかもう夫である青山真治に会えないような気が一瞬だけ心に浮

かんだ。何を自分は考えているのだろう?出掛ける時に、「うちは母子家庭で困るわ」と冗談で

言ったのが心の片隅に残り、奇妙なことを想起させたのだろうか。

 青山は一週間前にトリオを退職していた。むろん、青山の事である、子供が二人もいるのに先

のことを考えないような暴挙にはでない。ある人の紹介で新たな仕事をちゃんと見つけてある。

それにともない家もこの北区から裕予の実家に近い七宝町に引っ越すこととなっていた。今はそ

の新天地への準備で忙しく、夫だけ飲みに出掛けるのが少しだけ癪に触ったが、昔からのことな

ので慣れてはいた。自分も一杯だけお酒を飲もうかと、冷蔵庫にあるワインを取ってこようとし

た時、電話が鳴った。多分、夫からの「今日は遅くなるコール」だと思って、裕予は厭味の一つ

でも言ってやろうかと心構えをしながら受話器を取った。彼女の考えは半分当たり、半分外れて

いた。電話の内容は確かに夫の帰りが遅くなるというものであったが、電話口に出たのは夫の後

輩であったのだ。

「もしもし、青山さんのお宅ですか?私、竹内と言いますけど」

 裕予はすぐに相手が誰か分かった。「あら、竹内君、久し振りじゃない。どうしたの?」

「ええ、ちょっとお知らせしたいことがありまして」

 竹内の声はいつもの張りがあまり無く、裕予も何かよくない知らせだということをすぐにも察

知した。「何?主人に何かあったの?一緒に飲んでいたんでしょ?」

「そうなんですけど、つまりですね。青山さんがどこかに消えてしまったんですよ」

「消えた?それ、どういうことよ。失踪とか行方不明って言うことなの?まさか、家出?」

「いえ、そういう類のものじゃないんです。消えたのは青山さんだけじゃなくて、飲み屋の席に

いた人全員が消えてしまったんです」

「ちょ、ちょっと待ってよ」裕予は声を張り上げたので、寝ついた子供が寝返りをうったが、彼

女はそれにも関わらず言葉を続けた。「何か余計話が分からなくなってきたわ。一体全体どうい

うことなの?」

「ですから、僕にもよく分からないんです。僕が遅れて店に来た時、座敷で何かの異変が起こっ

たんです。僕と荻須さん、それにトイレに行っていた酒井君が丁度座敷の外にいたんですけど、

部屋に飛び込んだら誰もいなかったんです。ですから、僕にも何がどうなっているのか?」

「警察には届けてくれたの?」裕予が受話器を握る手の力が強くなった。

「ええ、筒井警部に来てもらったんですけど、警部の方も不可解なこの出来事に当惑しているば

かりで。むろん、捜査はしてくれるのですが、事件性がハッキリしないかぎり、大々的には動け

ないんです。多分、明日になっても何の進展もなければ、警部も少し人力を集めてくれるとは思

います。それに、そちらにも連絡が行くと思うので、こうして先にお知らせしておきたかったん

です」

「じゃ、主人の行き先なんか何も分かっていないわけ。それに、皆も。そんな、そんな・・・。

どこへ行ったの?事故にでもあって病院にでも担ぎ込まれていない・・・もう、二度と会えない

の」

 ヒステリー気味になり始め竹内は言葉をかけた。「まあ、落ちついて下さい。まだ、生きて帰

ってこないと決まった訳じゃありませんし、きっとすぐに帰ってきますよ。いつものように笑い

ながら」竹内にも苦しい慰めである。

「御免なさい、竹内君に言ったところでどうにもならないわね。ひとまず、様子を見てみるわ。

明日になれば何か連絡があるかもしれないし。とにかく、有り難う、知らせてくれて。竹内君が

いてくれるならきっと何とかなるわね」

「ええ、それじゃ、あまり気を落とさずに。また、連絡しますし、筒井警部の方にもきちんと言

っておきますから。では、失礼します」

「分かったわ。ありがとう」裕予は静かに受話器を置いた。今自分の夫に何が起こっているのか

理解に苦しんでいた。行方不明になるなんて、これから新しい生活が始まるというのに、夫は何

か不安を感じ雲隠れしたのだろうか?いや、そんな筈はない。夫が自分と子供たちを見捨てるは

ずなど絶対にないと、彼女大きな信頼を夫に寄せていた。それに、消えたのは夫だけでなく、彼

の仲間、つまり自分の旧知の人々なのだ。

 裕予は不安と恐怖で少し震えが、夫のある言葉を思い出した。青山は家で酒を飲み、少し酔い

すぎると口癖のように言っていたことだ。

───俺たちの人生は運命に左右されている。運命は予め決まっているんだ。それを変えること

はできない。もちろん、変えようと努力することは大切だが、誰も自分がどうなるか知るよしも

なく生きているんだから、運命の導きを気にする必要などないだろうけど。

 いつもそんな哲学的なことをのたまっていて、裕予は適当に相槌をうっていただけだった。運

命について論じると、今度は伊勢湾台風のことを話しだす。夫の両親が被災に遇ったことは聞い

ているが、彼の話し方は妙に生々しい。産まれてもいるはずもないのに、まるで直に見てきたみ

たいな言いぶりだった。特に、しのぶなどという人名まで出てくるところは、不思議でしょうが

ない。だが、それ以上のことは話さなかった。裕予にはいまいち理解できない話であった。

───運命?これも彼と私の運命なのかしら。これもすでに定められたことなの?

 裕予には「運命」という言葉が大きくのしかかってきた。だが、こんな先の見えない運命など

信じたくはなかった。今はただ、夫の無事な姿を待つのみであった。

 裕予は夫に言った「母子家庭」という言葉が現実になりかけたような気がして、少しめまいが

した。

 

 榊原香織はトリオ時代の同期である神谷順子と電話をしていた。二人とも既にトリオの人間で

はく、それぞれ新しい仕事に従事していた。

「そう、今日は前ちゃんはトリオの人と会っているの。私も誘われたんだけど、ちょっと仕事が

忙しくて。香織ちゃんは誘われなかったの?」順子は彼女独特なテンポののろい口調で語った。

「うん、誘われはしたんだけど、私も仕事があったし、二人で出るのはちょっとね・・・」香織

も順子に合わせてかゆっくりとした話し方をしている。

「けど、酒井君も夫婦で行ったみたいだし、なんでも伊藤さんたちも来るそうだから、行けば良

かったんじゃない?」

「そう、そうなの・・・」その時、香織の電話にキャッチホンの音が入り込んだ。

「あっ、順子ちゃん、キャッチホンが入ったからちょっと待ってて」

「うん」

 香織はフックボタンを押し切り換えた。「もしもし、榊原ですが・・・」

「もしもし、私竹内と申しますが、香織さんいらっしゃいますか?」

「香織は私ですけど、竹内さんって、トリオの竹内さんですか?」

「ええ、そうです。ああ、香織ちゃんか、お久し振り」

「ほんと、お久し振りです。でも、何ですか急に電話なんかりして、確か今日はトリオの方たち

と飲んでいるいるはずじゃ・・・」

「ああ、そうなんだけど、ちょっと大事な話があるんだ・・・」竹内の声は妙に暗かった。香織

は何かを察して、怪訝な顔つきをした。

「ちょ、ちょっと、待ってください。今、キャッチホンに掛かってきたんで、切り換えたいんで

すけど」

「ああ、いいよ」

 香織はもう一度切り換えた。「順子ちゃん、御免ね。何か大事な用件みたい。しかも、どうい

うわけかあの竹内さんからなの?」

「竹内さん?それは珍しいわね」

「また、あとで掛けなおすから、一旦切ってね」

「うん、分かった」順子は不承不承な気持ちで電話を切った。

「もしもし、すいません、お待たせしました。それで、御用はなんですか?」

「・・・・・・」

 電話口からは竹内が言葉にためらっている気配がし、香織はあまりよく無い事だと直感した。

彼女の同期であった今は亡き林田恵が事件の渦中にあった時も、調査をしていた竹内は同じ様な

態度を見せて、申し訳なさそうに話を切りだしていたのを彼女は思い出していた。

「あの、何かあったのですか?飲み会の方で、何か・・・」香織は嫌な予感を胸に秘め尋ねた。

「実はそうなんだ。僕が連絡しなくても、そのうち知らせが行くと思うからこうして電話したん

だ。・・・言いにくいんだけど、前ちゃんがいなくなってしまったんだよ」

「えっ、彼が、いなくなったって、どう言う意味ですか?何か事故にでもあったのですか?」香

織は前沢と聞いて、気持ちが揺らいだ。

「僕にもどうなっているのかよく分からないんだ。消えたのは前ちゃんだけじゃなくて、そこに

いた皆もなんだ。青山さんや藤井さん、山田さんたちまで、全員が・・・」

「それじゃ、何が起こったのですか?」

「目下のところ皆目不明なんだ。だから今僕にできることはこうして、消えてしまった人の家族

や友人に連絡している事だけなんだ。前ちゃんの家族のところにはもう言ってあるけど、やっぱ

り君みたいに納得はしてくれなかったよ。もちろん、前ちゃんを含め、皆がいつ戻るかは分から

ない。でも、そのことだけでもきちんと伝えておこうと思ってね」

 香織には竹内の言っていることが全く理解できなかった。前沢を含めた大勢の人間が忽然と姿

を消すものだろうか?竹内が酔っぱらってでもいて、からかっているのかとも思ったが、彼の口

調はそんな冗談めいた感じもなく、また、竹内がそんなことをするとも思えなかった。それでは、

前沢は本当に消えてしまったのだろうか?香織は急激な悲しみと虚脱感を感じた。

「香織ちゃん、大丈夫かい?突然、わけの分からないことを話して戸惑っていると思うけど・・

・。でも、心配ないよ。きっと、明日にでもなれば前ちゃんたちが、『皆でかついだんだ』とか

言ってひょっこり現れると思うから・・・」

 だが、その竹内の言葉もほんの気休めにしか彼女には聞こえなかった。彼とはもう会えないの

だろうか?そんな、最悪の局面が目の前に迫ってくるような錯覚に捕らわれ始めた。

「それじゃ、また、何か分かったら、連絡するから。元気を出してね」

「・・・いえ、ありがとうございました・・・」香織は静かに受話器を置いたが、その手が震え

たため、電話の本体から受話器が外れ、ピー、ピーという発信音が小さく流れた。そのことに気

付くこともなく、香織はその場で気を失った。

 

 東海・遠州地方を中心にし、弱い地震が発生した。昼の最中ならほとんどの人が感じない微震

だが、夜も更けたとあって、よっぽど鈍感な者以外はそれに気付いていた。ただ、こんな弱い地

震など時々起こるものなので誰も気にはとめていなし、全く被害や怪我人等も発生しなかった。

だが、気象庁側から見れば、この地震も単発的なものという見解は示しておらず、多少の懸念を

抱いていた。それは、人間が体感できない極弱い地震がここ数日の間に群発化していたからだ。

今の地震もたまたま、その揺れが大きくなり、地震として人間が感知できるものになっただけだ

った。地震計の記録上には通常の範囲を超える微震が発生しており、ここ数日ではその発生の頻

度が大きくなり始め、間隔も短くなってきた。

 気象庁としては、この群発地震に対し、東海沖地震の予兆ではないかと検討を開始したが、震

源地が東海沖地震として予測されている遠州灘海域ではなく、浜名湖の北部に位置する内陸部だ

ということが、大きな論議となっていた。この付近に火山帯やプレートの歪みなどは観測されて

いない。突発的な直下型地震の前触れとも考えられたが、現代の地震予知でははっきりとしたこ

とが言えなかった。現地調査の必要性も考慮され、警戒も怠らないよう結論が出されたが、はっ

きり東海沖地震が来るとは言明しなかった。

 竹内も眠りにつこうかと思った時、軽く揺れたこの地震により、目を開けた。心の不安が揺れ

動いている時に、大地までもが揺れ動くと、より一層の不安感が募ってきた。

 

         2

 

「ジーケンイット様がお見えになったようです」悦子たちには何も聞こえないのに、ノーマがい

ち早く察知した。

「えっ、ジーケンイットってここの王子か?」古井が言葉を洩らすと、全員が緊張感を身に感じ

た。日本という武家体制で、なおも近代国家においても象徴天皇制の中で生きてきた彼らに街の

君主と出会う時の心構えなどあるはずもないが、権威には弱い習性からかそれなりの礼儀はわき

まえているのか、椅子に座っていたものは立ち上がり、壁や柱にもたれていた者も直立不動の姿

勢をとった。

「皆、そんなに緊張しなくてもいいから。そんな堅苦しい方じゃから、もう少し気を楽にしてい

いわよ。ただ、あんまり失礼のないようにはしてね」と悦子は皆を落ちつかせようとした。

 入口に人の気配がした。全員がそっちに視線を移し、どんな人が来るのかと息を殺して見入っ

た。

 それは想像以上の人物だった。王子ときいてすぐにマンガに出てきそうな「白馬の王子」を思

い浮かべ、超二枚目か、お目々キラキラの人物を想起してしまう。だが、目の前の王子はそんな

やわな架空の存在ではなく、一人の人間としてこの街の将来を担うことを約束された男であり、

容姿も恰好いいというよう単純な表現では表せない完成されたものであった。女性陣はその男を

目の前にして、茫然となり、こんな素晴らしい男が現実に存在することに、誰もが目を疑りたく

なった。

 悦子にしても、ジーケンイットのことはよく知っていたのだが、五年の歳月は彼を大きな存在

へと変えており、畏敬を感じるほどだ。昔はまだ少年のような面影があったのだが、今の引き締

まった顔だちにはそんな事を全く感じさせない。だが、彼から滲み出てくるような雰囲気には以

前と変わらない優しさとたくましさが漂っている。

 ジーケンイットから一歩遅れて女性が登場した。真っ白なドレスを纏ったリオカは眩しく、女

性でさえもその美しさに見とれてしまう。むろん、男どもは独身、妻帯者に関わらずリオカの姿

に我を忘れていた。まるで、ミロのヴィーナスが現れたのごとく、二人の登場により時間が止ま

ってしまった。

 ジーケンイットはそんな彼らの挙動をも気にせず、悦子を見つけるとトーセの挨拶をしながら

微笑みかけた。「エツコ、久し振りだが、元気だったか?五年振りであるけど、あまり変わって

いないな」

「はい、御無沙汰しておりました。ジーケンイット様もお変わりになられないようで」

「だが、あの時は、突然宴の席からいなくなってしまい、我々も驚いた。一体何があっただ?急

に記憶でも戻ったのかね?」

「は、はい。あの時はいろいろありまして、挨拶もせずこの地を去ったことは失礼だったと深く

お詫びします」

「ん、まあ、こうして再び巡り合えたのだから、別に謝る必要などはない。・・・さて、今回は

大勢のお仲間を連れて来られたようだが、皆チーアの方々かね?」ジーケンイットは優しく微笑

んだ。

「ええっ、そうです。私の家族や仕事上のお友達です。いろいろありまして、こんなふうになっ

たんですけど、大勢で押しかけたような形になり申し訳ありません」

「いや、気にする必要はない。エツコの友人なら我々も歓迎するし、今回のことに関しては大勢

いたほうが頼もしいからな。おっと、挨拶が遅れたが、私がこのトーセの王家、ブルマン家のジ

ーケンイットです。そして、彼女は・・・」ジーケンイットはリオカの方を向いて、続けた。「

・・・私の妃であるリオカだ」二人がトーセの挨拶を皆に向かってすると、彼らも慌てて同じよ

うな動作をとった。「あなた方の来訪を心より歓迎します。どーぞ、この城で精気を養い、我々

のために力を貸して頂きたい」

 悦子はジーケンイットの言葉に耳を傾けた。彼は自分たちに何か協力を求めている。それは何

なのか?今まで聞いてきた事に関連するのか?

「あの、今、トーセでは何が起こっているのです?」

 その質問にジーケンイットは少し驚いた表情を見せた。「エツコ、何も聞いていないのか?」

「ええ、コーキマとかいうところで何かあったとかは伺ってますが、具体的な事は・・・」

「んー、それでは何をしにここへ来たのだ?それとも、また記憶を無くしたのか?」

「いえ・・・」悦子が言葉に詰まると、ノーマが言葉を添えた。

「ジーケンイット様、エツコさんたちはワミカに渡る途中でトーセに寄られようとし、途中で道

に迷われてターニやコトブーに救われたとのことです。ですから、コーキマのことなどは存じて

いらっしゃらないようです」

 悦子はなぜ、ノーマがこのようなでたらめを述べているのかと思ったが、彼女が自分や仲間た

ちの正体を知っているのだということにすぐ気付き、心の中で感謝した。

「そうか、それでは我々の願いを聞き入れに来てもらったわけではないのだな。しかし、これも

見えない力の思し召しかもしれない。トーセの危機を救ってくれた女性が、また再度の危機の時

に訪れたのだからな。エツコ、勝手なお願いだとは思うが、今一度我々を救って欲しい」

「はい。それは構わないですが・・・」悦子は自分はいいものの、仲間たちがどう思うか心配だ

った。見も知らずの世界に投げ出され、その上救いを求められるとは、彼らはどう反応するのだ

ろうか?

「では、コーキマのことからお話ししよう。皆さんも楽にして下さい」リオカが部屋の隅から椅

子を運び、ジーケンイットが座ると、皆も一息もらしながらそれぞれの席に座ったり、しゃがみ

こんだりした。それと、同時にコトブー、ヒヨーロ、ターニの三人が現れた。

「コトブーたちか、なら、一緒に聞いてくれ」ターニはジーケンイットの背後に立ち、ヒヨーロ

は藤井たちの後ろに回った。コトブーは壁際により背中をもたれかけた。

「エツコ、コーキマとは何か知っているかい?」

「いえ、知りませんが」

「うん。コーキマは砂漠の中にある囚人の流刑地だ。重罪の犯罪者が「アクア」を採取する肉体

労働を強いずる過酷な場所であるが、それが彼らの罪に対する罰なのだから仕方がない。十日程

前のことだが、そのコーキマで脱獄の騒ぎがあった。むろん、厳重な管理下におかれている流刑

地だが、ある者の手引きにより、囚人が脱獄し、コーキマ流刑地は壊滅した」

「それで、ある者の正体は分かったのか?」コトブーが言葉を挟んだ。

「ああ、私はその騒ぎのことを調査するため、唯一の生存者でコーキマの所長であるダーヤマに

会ってきた。彼はこの騒ぎにおいて重傷を負ったが、意識の方はしっかりしており、その日の出

来事をすべて話してくれた。ダーヤマによると、脱獄を手助けしたのは二人の女のような黒ずく

めの衣装をまとった人間だったらしい。いや、人間ではないと言うほうが正しいだろう。その二

人は宙を舞い、奇妙な武器を使ったり、体から光を発していたそうだ」

「えっ、ジーケンイット様、それは、もしかして・・・」悦子は驚きながらもジーケンイットを

見つめた。

「そう、エツコの考えている通り、そいつらは魔女だ。あのトゥリダンの下僕である魔女に間違

いない」

 魔女という言葉にここにいる連中も動揺していた。さっき、悦子から聞いたばかりの話の中に

出てきた魔女の事だからだ。

「そ、そんな、まさか。魔女はジーケンイット様やターニさんの手によって倒されたのではない

のですか?」

「確かに、そうだ。我々は魔女を滅ぼしたはずだが、しかし、やつらは甦った。その方法は分か

らないが、ダーヤマの証言からしても、魔女に間違いない」

「ジーケンイット様・・・」ノーマが話し始めた。「魔女はトゥリダンの体の一部です。三種の

神器によって打ち滅ぼしはしましたが、完全には死んでいなかったのでしょう。そして、魔女は

生き物の血を浴びることにより、復活すると昔の文献に残っています。ですから、何者かが、魔

女の残骸に血を浴びせ、甦らせたものと思いますが・・・」

「しかし、一体誰がそんなことを・・・?わざわざあの恐ろしい魔物を甦らすなんて正気の沙汰

じゃない。そうか、その正気の沙汰でない者の企てなのか・・・?」ジーケンイットは自分で言

い、自分で納得した。

「つまり、その正気の沙汰でない者というのがジーフミッキというわけなのか」壁にもたれかか

りながらコトブーが語気を強めた。

 皆がコトブーを見つめた。ヒヨーロだけはそのままの姿勢を保ち身動き一つしない。悦子も”

ジーフミッキ”ときいて、再び驚いた。

「では、脱獄したというのはジーフミッキなのですか?」悦子は誰に尋ねるという訳でもなく言

葉を洩らした。

「そうだ、ジーフミッキが騒ぎの先頭を切ってコーキマを脱走した。衛兵は魔女たちと戦ったが、

むろんかなうはずもない。そして、魔女たちは囚人たちの砦を破壊し、彼らを解放した。そして、

彼らを指揮していた者がジーフミッキなのだ」ジーケンイットは浮かない表情で話した。

 ジーフミッキが脱獄したその事実はブルマン王朝、いや、トーセにとり大きな衝撃である。五

年前、ブルマン王朝に反旗を翻し、リオカを策謀に陥れるとともに、ジーケンイットまでをも謀

殺しようと図った。だが、それも悦子のお蔭で防ぐことができ、ジーフミッキは投獄されたのだ。

トーセに降りかかろうとしているこの暗雲は悦子にとっても身のきしむ思いであった。

「ジーフミッキがなぜそのような大胆な事をしでかしたのか分からない。ヒヨーロの前では言い

にくいが、ジーフミッキは精神の均衡を乱しているのではないかと思う。それにしても途方もな

いこと考えたものだ。騒動の数日前、ジーフミッキの部下であるギオスとルフイが刑期を終え出

所している。その事から考えて、ジーフミッキの指示で彼らが魔女復活に手を貸したものと推測

できるな。二人が出ることを知っていれば監視をつけておいたのだが、政務に忙しく見過ごして

いた」

「だが、ジーケンイット、ジーフミッキの考えだけで魔女を甦らすなどと思い浮かぶだろうか?

それに、その方法もノーマのような知恵者がいなければ分からないことじゃないか。まあ、コー

キマの事だからいろんな人間がいてもおかしくないが」コトブーの意見は的を得ている。

「確かに・・・、それに、ジーフミッキの目的が何かというのも気になる。単に自由に身になる

という事だけではなさそうだ。魔女を甦らすのだから、何か大きなモノがあるはずだ。ブルマン

王朝に対する復讐か、まだ自分の野望を捨てていないのか・・・」

「ジーケンイット様、これは大胆な考えかたかもしれませんが・・・」再び、ノーマが述べだし

た。「魔女を甦らすという手段はトゥリダンを復活させることの目的ではないのでしょうか?」

「トゥリダンだと?まさか、トゥリダンこそ五年前に三種の神器で倒したはずだ」

「ですが、魔女も甦りました。さっきも言いましたように魔女の残骸が残っている限り、魔女に

復活もあるのです。ですから、トゥリダンについても同じことが言えませんか?」

「だが、セブンフローのスターライト連山の荒野には何も残っていなかったはずだ。あの後も何

度かあそこを訪れた。オリトの森とは違い、あそこでは雨風がしのげない。残骸があったとして

も、とっくに風化しているのではないのか?」

「これも、私の推測、というよりは身体が感じている事なのですが、トゥリダンの残骸は物的な

ものだけではないかもしれません。つまり、肉体は滅んでも魂は生きているのではないでしょう

か?最近、私は自然の中に何か異質なものの流れを感じることがあります。それは自然の中だけ

でなく、トーセの街全体を覆っているような感触まであるのです」

「うんー、ノーマがそう言うのなら、そうなのだろう。となると、やつらの目的はトゥリダンの

復活なのか?しかし、どうやって・・・?」

「たぶん、竜玉を使うのではないでしょうか?」

「竜玉?」ジーケンイットはノーマを見据えた。

「そうです、竜玉を使えばどんな願いも叶えられます。ですから、竜玉でトゥリダンは倒せませ

んが、甦らすことはできるかもしれません」

「しかし、竜玉を扱えるのはエツコのような特別な人間ではないのか?そのような人間が他にい

るのだろうか?」

「元々、竜玉はトゥリダンの涙からできあがっています。自分で作り上げた物の威力を自分で使

えないはずはありません。魔女もトゥリダンの一部です。ですからそれも可能でしょう」

「だが、その竜玉もここにしかないのではないか?その赤ん坊が握っている竜玉しか」ジーケン

イットは浩代と枡田の間に座っている美沙希を指差した。美沙希は彼の言葉が聞こえたのか、声

に反応しジーケンイットに微笑んだ。

 ジーケンイットもその微笑みに答えて、口許をほころばせた。「ところで、その子はどなたの

子なのかね?あなたの娘さんか?」そばにいた浩代に尋ねた。

「いえ、この子は悦ちゃんの子ですけど」浩代は慌てて否定した。

「エッチャン?なんと、エツコの子供なのかね?」

「ええ、そうです」悦子は照れながら答えた。

「ほほ、これは驚いたな。エツコも結婚をして、子供までいるとは、意外だな。もしかして、ご

主人もここにいるのかね?」

「ええ、そこにいるのが主人ですけど・・・」悦子は伊藤に向かって手を向けた。

「これは、失礼した。お名前は?」

 伊藤はジーケンイットと視線が合い、少し身を引いたが「伊藤といいます。伊藤賢司です」と

緊張した顔で言った。

「ケンジーか、どうぞ、よろしく。エツコには以前いろいろと助けていただいた。あなたは彼女

のような人をめとって幸せものだな・・・」

「はあ・・・」伊藤はいつものような気楽さがほとんどない。今の彼の心境は複雑なものであっ

たからだ。

「私にも息子がいる。まだ。幼いが・・・。まあ、そのことは後で話そう。今は、魔女の事につ

いての問題が先決だからな。で、ノーマ、エツコの娘さんが持っている竜玉が、ここにあるのだ

から、どうやってそれを使うのだ?それに、その竜玉はすでに三つの願いは叶えられ、その効力

を無くしてはいないのか?」

「確かに、竜玉としての神秘の力は無いかもしれませんが、竜玉は使う人によりその力もまた違

います。エツコさんのような方が使えば、また効力が有るというものです。それに、竜玉は今こ

こにある三つだけではないのです」

「何だって、他に竜玉があるのか?」ジーケンイットと共に、悦子もその言葉に驚いた。

 

         3

 

「ノーマさん、竜玉が他にもあったのですか?ノーマさんから頂いたその竜玉以外にも・・・」

「そうです、エツコさん。あなたが、ここにみえた時には確かに私が持っていたものしかなかっ

たはずです。しかし、トゥリダンとの戦いにおいて、トゥリダンの角が斬られる直前に涙を流し

たという話をターニから聞いています」

「ターニ、それは本当のことか?」ジーケンイットは背後にいるターニに向き直った。

「はい、あの時私は負傷して、身動きできませんでしたが、ジーケンイット様の戦いはずっと見

ておりました。ジーケンイット様が上空から、トゥリダンの頭部に飛び移り、角を一刀されまし

たが、その時、奴の目から何かが落ちるのを見ています」

「そうだったか、しかし、なぜ、そのことを私に話さなかったのだ」

「はい、無礼だとは承知していましたが、私も怪我で混乱していた状態でしたので、本当に見え

たものなのか確信が持てませんでした。それに、そのようなことでジーケンイット様を煩わせる

のもお忙しい身でしたので、控えさせていただきました。ただ、ノーマにはそのことを話してお

いたほうがいいと思い、彼女だけに話したのです」

「分かった。別にお前を責めるわけではないが、もっと前に話しておいて欲しかったな」

「ジーケンイット様、あなた様には話さない方がいいと言ったのも私でございます。ですから、

ターニには責任はございません」ノーマが庇うようなことを言った。

「いや、責任など問う気はない。だから、あまり気にするな。それで、ノーマ、その竜玉はどう

なったのだ?」

「はい、ターニから話を聞いたあと、私もセブンフローへ行き、探して見ましたがもう見つかり

ませんでした。あの小さな竜玉ですから、探すのは困難でしたし、あの後、大雨が有りましたの

で山からどこかに流された可能性もあるのです」

「なるほど、そうすると、どこかに竜玉があるかもしれぬということだな。ならば、魔女もそれ

を探しているのか・・・?そう言えば、トーセの各地にある警備隊の分隊から、コーキマから脱

走した囚人らしい男を見たという報告が入っていた。脱走した者はトーセはおろか隣街の方まで

逮捕協力の手配をしてある。囚人たちもそんなことは充分承知しているのに、各地に出没してい

るということは、魔女は脱走させた囚人を使って竜玉を探させているのかもしれんな・・・」

「それは、ありえることです」

「あのー、魔女とか言う者なら、簡単に自分で探せないのですか、魔力を使って・・・?」佐藤

が疑問を唱えた。王子の前で発言するのは勇気のいることだが、好奇には勝てなかったのだ。

「うん、彼の言うことにも一理あるな」

「たぶん、魔女にも竜玉を見つける力は無いのでしょう。トゥリダンの涙となって、トゥリダン

から離れた時点でそれはもう別の物体になっています。トゥリダンの肉体の一部であっても、そ

れはもうトゥリダンのものではないのです。魔女は意思を持っています。ですから、トゥリダン

の魔の力をもって、自由に動き廻りますが、玉となったトゥリダンの涙には単なる石であり、そ

れを誰かが所持しなければ、何の力も発揮しません。意思のないモノを魔女が探すことは無理で

しょう。仮に、意思があったとしても、それはもうトゥリダンとは違っています。人間のように

感情があればその心の狭間に魔女は入り込めます。ですが、無生物のものに対しては魔女でもと

りこむことはできません。同じトゥリダンンの一部であっても、全く異質のモノになっているの

です」

「では、逆に聞くが、そうなると、やつらの計画を阻止するためにも我々が先にその竜玉を見つ

ければいいはずだが、我々にも見つけることは難しいのではないか。魔女にも探せないものが、

我々に探し出せるのか?」

「はい、そうかもしれません。しかし、こちらには既存の竜玉があります。それを使えば探し出

せるかもしれません。玉として存在している竜玉に反応するのは同じ玉である竜玉ではないでし

ょうか。トゥリダンの涙として、別の物体になった竜玉ではありますが、その竜玉同士なら、感

応したり、共鳴したりするのかもしれません、意思のない物体であっても、同じ仲間なら可能性

はあります。それに、こちらには竜玉を扱えるエツコさんがいます。彼女の力をもってすれば不

可能なことではないと私は思うのですが・・・」

「よし、では早速試してみようではないか?エツコすまぬが協力してくれ」

「はい。でも、どうすればいいのですか?」

 ノーマが説明した。「エツコさんがその竜玉を握り、どこかにある別の竜玉のことを見つけた

いと願えばいいでしょう。そうすれば、何かの変化があるはずです」

「ええ」悦子は美沙希のところに行き、竜玉を手に取った。娘は自分の物が取られるのかと思い、

手を伸ばしたが、エツコは優しく「ちょっと貸してね」と言った。そして、それを両手で握り目

を閉じた。心の中でノーマに言われた通りに「竜玉を見つけて」と祈った。

 周りの者も何が起きるのだろうかと、期待を胸に抱き息を呑んで彼女を直視した。しばらく、

その竜玉には何の変化も起きなかった。

「エツコさん、少し体の位置を動かしてください。ゆっくり回るように」と、ノーマが言ったの

で、悦子が竜玉を持ちながら、体の向きをゆっくり移動させていった。

 少し動いたところで、竜玉がほのかに光り始め、微かだが光の帯のようなものが伸びていた。

「あっ、光ったぞ」と古井が口ずさむと、悦子は目を開けて体を止めた。

「どうやら、竜玉がいずこかにある別の竜玉に感応したみたいだな。光が指し示す方向に竜玉が

あるのだろうか」ジーケンイットがノーマに尋ねると、「そのように思います」とノーマは答え

た。

 青山たちは竜玉が目の前で光を放ったことに驚くと同時に、悦子が語った話の信憑性を感じは

じめた。この竜玉は確かに不思議な力を持っている。そして、この世界も不思議な世界だという

ことをあらめて悟った。

 悦子が振り返ろうとして、向きを変えた時、竜玉の光がまた放たれた。「あら、こっちにも反

応しているわ」

「うん、どういうことだノーマ?」

「竜玉は三つあると先程言いましたが、それが同じ所にあるのではなく、ばらばらになっている

のではないでしょうか?」

「エツコ、もう一度、ゆっくり回ってくれないか、その竜玉が指し示す光りの方向がいくつある

のか知りたい」

 悦子はもう一度姿勢を正し、ゆっくり回転を始めた。最初に竜玉が光った位置にくると、当然

それは光を放つ。そのまま、動きを続けていくと、徐々に光が弱くなったように見えたが、また

再び、明るくなり、さっきとは別の方向に向けて光が放たれた。

「どうやら、その方向にもあるようだな。エツコそのまま回ってくれ」そして、再び光が弱まり

だしたかに見えると、さっきたまたま悦子が向けた方向で竜玉が再度光り始めた。そして、その

まま回転を続け、元の位置に戻ってきた。

「その竜玉が光った方向は三箇所か?三つあると思われた別の竜玉はそれぞれ違うところにある

ようだな」ジーケンイットはそういいながら難しい顔をした。「ノーマ、あの竜玉の飾り物は外

せるのか?竜玉の玉だけを三つに」

「はい、金色の環はただの装飾品ですから」

「しかし、困ったな。竜玉の力を扱えるのはエツコだけだ。だが、竜玉はばらばらにできるが、

エツコをばらばらにすることはできない。エツコだけで三箇所を順番に探すのは、大変だろうし

時間もまたない。どうしたものか・・・」

「ジーケンイット様、竜玉を探しに行くことは今の私には無理です。以前とは違い、子供がいま

すので、いろいろ世話をしなくてはいけません。一緒に旅に出るのも心配ですし・・・」悦子は

申し訳なさそうに言った。

「んー、それも、そうだな・・・私にも子供がいるから、その気持ちは分かる。エツコやリオカ

の立場に立てば子供を置いていくことはできまい」ジーケンイットも困り果てていた。

 夫に託してもいいのだが、普段から子供の世話などしていない伊藤ではかえって不安になって

しまう。

「ジーケンイット様」再びノーマが思いついたことは話しだした。「確かに、エツコさん一人で

は無理でしょう。しかし、今回はエツコさんのお仲間が一緒にいらっしゃいます。エツコさんと

同じ郷里の方々でしょうから、もしかすると、エツコさんと同様に竜玉の力を導き出すことがで

きるかもしれません」

「なるほど、それは考えられるな。では、そちらの女性、その竜玉を持ってエツコと同じように

動いてくれないか?」ジーケンイットは美香に向かって言った。

 美香は「えっ、私?」とビックリしながら自分を指差した。

「そうね、美香さんなら、結婚もしているし、子供はまだだけど、条件的には私に近いから、も

しかして・・・」悦子はそう言いながら美香に竜玉を手渡した。

 美香は戸惑いがちに彼女から竜玉を受け取った。始めて触るこの神秘の光石に不安を感じなが

らも興味を持ち始めていた。手に取った竜玉は単なる金属の環と透明な石ではなかった。そのペ

ンダントに触れた瞬間、心の中が温められるような穏やかな気持ちになり、今までずっと募らせ

ていた捉えどころのない不安が消え去っていくのがはっきりと分かった。

 美香はその気分のまま、悦子と同じように立ち、彼女が竜玉を光らせた方向にそれを向けた。

すると、どうだろう、美香の手の中の竜玉がさっきと同じように光り始めたではないか。

「あらら、光ったわ」

「おお、光が放たれた。エツコのお仲間にも同じ様な力が宿っているのだな」ジーケンイットは

感慨深げに言葉をもらした。

「美香さん、すごーいですね」奈緒美がそう言って近づいたので、美香は「脇田もやってごらん

?もしかしたら脇田にもできかもしれないから」と優越感に浸って竜玉を手渡した。

「ええ、やってみます。でも、光らなかったらどうしよう」と、言いつつも奈緒美が美香と同じ

ようにしてみると、竜玉はまた光りだした。

「光った、光った。これ、面白いし、何かとっても心が和みますね」奈緒美が感嘆の声を上げる

と、今度は美砂が「ねえ、私にもやらせて、やらせて」面白がって奈緒美と交替した。

「なんだよ、誰でも光るんじゃないのか?」藤井が少し、やっかみを言ったが、美砂が美香たち

と同じようにしても竜玉は全く反応しなかった。一周廻ってみたが、結局光らなかった。

「なんで、私だけ、光らないの?」美砂は恨めしそうに竜玉を見て、眉をしかめた。

「きっと、松浦さん、どこかに邪な心でも抱いているんじゃないですか?」土田が皮肉ると、松

浦が鉄拳の構えを見せたので、土田はそそくさと後ろへ下がっていった。

「松浦は、まだ独身だからだと思うわ。この竜玉はそういった恋愛の事とも関係が有るみたいな

の」悦子はそういって慰めた。確かに、竜玉は愛に溢れた者に対しては敏感に反応する。だから、

既婚者や子供を産んだことのある者の方が、力を導き出せるのかもしれない。

「それじゃ、史ちゃんにも無理なのかな」前沢がそう言いったので、史子は試しにと松浦から竜

玉を受け取った。すると、彼女が握って、いつもの方向に向けると、再び光り始めた。

「あらっ、光ったわね・・・」悦子はさっき松浦に言ったことが逆に裏目に出たため、額に汗を

かいた気分になった。

「史ちゃんもきっと素敵な恋愛をしているんじゃないのかな?」と佐藤がからかった。

 だが、「どうして、私だけなのよ・・・」と美砂は完全にふくれてしまい、彼女の近くにいた

古井は静かに後ずさりしていった。

「真野さんもやってみる?」と青山が声を掛けたが、真野は「私も独身者だし、どうせ心もすさ

んでいるから光らないわよ」と美砂を気づかって、遠慮した。

「じゃ、ワンさんは?」

「私もいいわ。もう三人いるから充分でしょう。それに、私、まだ産後間もないんであんまり旅

に出るのはしんどいの。なんたって、この中では最年長だから」とこちらも美砂を気づかって、

遠慮がちに言い訳をした。

「ん、まあ、そうだな。三人いるから・・・」藤井が何かを言いたげに皆を見た。「さて、どす

する?こうして、玉を扱える者が見つかったけど、本当に竜玉とやらを探しにいくか?さっきも

言ったけど、本来この街での出来事に俺たちは関係ない。だから、何も好き好んで冒険になんか

行く義務もないんだ。それに、ここは我々の世界とは全く違う。予期せぬ事やどんな危険な状況

が起きるかもしれない。けど、この街の人たちは困っているようだ。どういうことか、まだ俺に

はよく分からないけど、このまま、この人たちを見捨てることもできない気がする。そこで、皆

の意見を聞きたい。悦ちゃんが言った方法で何とか地球に戻る方法を見つけるか、それとも、そ

れは後回しにして、ここの人々の為に竜玉とやらを探しに行くか?どっちにする?」

 青山がその後に続いた。「まあ、この世界に来たこと自体、不安で一杯だが、こんな見知らぬ

世界を見てみるのも面白いかもしれないな。地球とは全く違うし、今の都会の生活では味わえな

いことかもしれない。どっちみち、帰る方法を見つけたところで、早く戻るも少し遅れるも変わ

らないような気がするな。どうせ、いまごろ名古屋では大騒ぎになっているかもしれないし・・

・。俺としてはもう少し、この世界を楽しんでもいいと思うんだけどな」

 皆も互いに顔を見合せて、心の動向を探っているようだった。

「ん、いんじゃないですか?僕も、もうちょっとこの世界を見てみたいに気になっていますよ」

と古井が笑いながら言った。

「そうね、すぐに戻ったとしても、また、いつもの生活が始まるだけだし、たまには羽を伸ばす

のもいいかもね」と、美香も建設的な意見を言った。

 彼らの言葉に促されてか、各々に首を縦に降り始め、皆が賛同の意思を示しはじめた。

 藤井が全員の真ん中に立った。「じゃ、多数決を取ろうか?もう少しここにいて、冒険をして

みるこに賛成の人、挙手して」

 すると一斉に手が上がった。ただ、伊藤だけは少し躊躇いがちにゆっくり手を上げていた。「

よっしゃ、全員一致で、竜玉探しに行くか」

 その言葉を聞いてジーケンイットが言った。「本当に有り難う。我々、いや、トーセの為にあ

なた方が力を貸してくれることを、心から感謝します」トーセの長たるジーケンイットに謝意を

述べられて、青山たちも嬉しくもあり、その反面、途方もない事に足を突っ込んだという気もし

ていた。

「それでは、竜玉探索の支度に取りかかりましょう。先程の三方を携え、隊を編成しなければい

けませんが、ジーケンイット様、いかがなされますか?」ノーマが提言した。

「そうだな、まずは警備隊から十名ほど選出して、旅の警護に当たらせよう。それと、私とター

ニ、コトブーがそれぞれの隊の中心になって、隊の統率を行う。二人ともいいな」

 ターニとコトブーは厳かにうなずいた。

「それで、先程の三人の女性方に竜玉へ導いてもらうよう、道案内を託して頂こう」

「王子さん、われわれもその隊に加わります。女性だけを行かせるのでは彼女たちに申し訳ない

し、さっきも言ったように、我々も協力すると約束しましたので、彼女たちに付いていきます」

藤井がジーケンイットに提案した。

「それは、ありがたくも心強い。きっと我々の力になってもらえることだろう」

「じゃ、どうする?誰が誰と行くか、どう決める?悦ボンはまあ、娘さんがいるから残るとして、

ワンさんも残るかい?」

「ええ、申し訳ないんだけど、今長旅はちょっときついから」浩代は肩身を狭くして答えた。

「いや、いいんだよ。女性には確かに厳しいことになるかもしれないからな。それと、枡田君も

どうする?足の方は大丈夫か?」

「そうですね、ノーマさんの手当てで痛みはだいぶひきましたが、旅となると、まだ無理かと。

途中で悪化してはかえって迷惑になりますから、ワンさんたちとこの城にいます」

「その方がいいだろう。で、残った我々だが、適当に割り振るか?俺はどうしよう。昔の課の先

輩として脇田を守らなきゃいけないから、付いていくか」藤井が最初に決めた。

「それなら、俺は史ちゃんに付いていこう。課の元先輩として」と青山が早いもの順だと言わん

ばかりさっさと決めた。

「じゃ、年功序列から言っても俺は美香さんかな。これで、だいたいリーダー格が分散したこと

になる」佐藤が言った。

「あとの人間はどうする?」藤井があらためてきいた。

「じゃ、俺は藤井さんとこに行くよ」古井がそう言い、「伊藤はどうすんだ?」と尋ねたので、

伊藤も「俺も一緒に行くよ」と、少しぶっきらぼうに答えた。

「僕はどうしようかな・・・?なら、青山さんのとこに付いてくよ」と、土田が決め、残った前

沢が「僕は桑原さんのとこですか」と必然的な結果を言った。

「これで、だいたい決まったが、どうもバランスが悪いな。俺のとこが男三人だけど、他は二人

づつか・・・。じゃ、枡田君の代わりに松浦、青ちゃんたちと一緒に行けよ」と藤井が美砂を指

名した。

「えっ、私も行くんですか?竜玉が光らなかった私が?城でも見物していようと思ったのに」

「まあ、いいだろう。ツッチーだけじゃ腕力的に物足りないから、松浦がいたほうが安心できる

。松浦だって城に籠もるより、外に出ていたほうがいいんじゃないか?」青山が美砂を促した。

「えっ、まあ、そうかもしれないですけど・・・。どうも、皆勘違いされている気がするわ。私

も一応女なんですけど・・・、絶対に・・・」美砂は不承不承のまま承諾した。

「あと、佐藤のとこか・・・、真野ちゃんはどうする?城に残るか、それとも、佐藤たちと行く

かい?」真野に藤井が尋ねた。

「そうね、別に行ってもいいわよ。最近、運動不足だから、少し体を動かさなきゃ。それに、佐

藤君がいるなら、外での生活も問題ないだろうし」

「よし、これで、全部決まった。王子さん、我々は三班に分かれて行きますが、こんなんでいい

ですかね」藤井は王子を見つめ、微笑しながら言った。

「ええ、充分です。本当にお礼の言葉もありませんよ。エツコも素晴らしい人だが、あなた方も

本当に素晴らしい人たちだ」

 ジーケンイットのような人物にそう言われると、悪い気はしてこない。地球での生活でこんな

に頼られ、こんなに感謝された事があるだろうか?会社の為にと一生懸命働いたところで(そん

な奴は実際にほとんどいないが)、管理職たちはそれが当然のごとく、すました顔をしている。

たまに、おべっかやおだてで、歯の浮くようなことを言う人もいるが、内心では感謝の意などこ

れぽっちも持ってやしない。世間一般では、世の中の為に人は働き、世の中に貢献しているのだ

と、最もらしい言い方をされているが、それを実感したこともないのが現実である。最低限の生

活を営むためにあくせく働き、短い余暇で精神と体をリフレッシュする。そんなことを毎日、毎

週、毎月、毎年繰り返し、一生を全うしていくだけなのかもしれない。誰もが、何か違うことを

したい、何か変わったことはないか、何か変化はないのかと、漠然と考えてはいるが、それを実

行したり、自分を思いっきり方向転換させる人は稀にしかいない。特に家庭を持ったりしたので

は、そんな急激な変化を成すことはますますできなくなる。そうして、人はあれよあれよという

間に歳を取り、何も出来ないまま、その一生を終わる。ほとんどの人間が、自分の一生の中で何

かを成し遂げた、心ゆくまで何かに打ち込めたという経験を得られないまま、無為に過ごしてい

くのだ。平凡に就職して、平凡に結婚し、平凡に子供をこしらえ、平凡に年輪を重ねていく。ふ

と、気付けば縁側で痛い腰をさすりながら、孫たちと遊んでいるのかもしれない。平凡は平凡で

もいいかもしれない。だが、人間一生のうちに一度ぐらいは何か大きなことをしてみたいとう願

望を持っているのも事実であり、そういった体験こそが、人生の糧になる。

 彼らは今、その経験に踏み込もうとしている。既に、過去において、数奇な出来事に巻き込ま

れていた人たちもいるが、この地での出来事こそ、彼らの人生のうちで最も大きなことになるの

だろう。働くことを中心に生活していた彼らにとり、ここでの出来事は自分たちが、誰かの為に

生きているということを明確にさせ、自分自身の存在をも再認識できた。誰もが、この不思議な

巡り合わせに驚き、戸惑い、恐れながらも、何か今までと違うものを見つけようとしていた。

 見知らぬ人たちだが助けを求められれば、無碍にそれを拒むことなどできない。そして、その

助けを叶えて上げられるのが自分たちだけだと、分かればなおさらだ。小さな親切大きなお世話

という風潮の中で、本当の助け合いというものを忘れかけてしまっていた都会の人間には、トー

セの頼みは彼らの人間の本質をあらわにしてくれた。確かに今までも彼らは人の為に力を貸した

り、協力したりしていた。だが、それは内輪だけでのことであり、今回のようなグローバルなこ

とは経験していない。今、彼らはある巨大なコミュニティーである「街」を救おうとしていた。

悦子一人に出来たことが、十五人もいてできないはずがない。彼らの心には頼られた事への自信

と、誰かの為に何かを成すという満足感、そして、未体験の旅に出るという期待感で一杯だった。

だが、これからのことが、彼らにどれだけ大きな激動を与えるか、まだ誰も分かっていない。

 

          4

 

 静かな闇の中にはほのかな蝋燭の炎があちこちに点在し、小さな明かり溜まりを形作っている。

岩肌が露出した狭い通路をランプでかざしながら、二人の男は広いホールのような所に出た。そ

こだけは明々と大きなランプが幾つも灯り、闇からは隔絶された世界と作っていた。

「ジーフミッキ様、いかがですか。外の空気には慣れましたでしょうか?食べ物をもってきまし

が・・・」大柄な男が言った。

「ギオスとルフイか・・・」ジーフミッキは無愛想に答えた。「で、トゥリダンの涙は見つかっ

たのか?」何か書物をしている彼の手が止まり、二人を見つめた。

「いえ、まだ。コーキマの囚人共が各地に散って探していますが、あのような小さなものを見つ

けるのは大変なのでしょう」ルフイが言い訳がましく言った。

「何をしているんだ。たかが、石だろ。罪人だけあって、まともに動くことも出来ないのか。そ

んなやつらを統率しなければならないなんて、俺としては情け無いとしかいいようがない」ジー

フミッキは気分を害し二人に当たった。

「それと、魔女たちはどうしている?相変わらず奥の洞窟に籠もりっぱなしか?」

「はい、身動きする様子はありません。魔女は太陽が苦手なのでしょうか?あのような暗がりに

いるというのは?」ギオスは手元のランプを消した。

「所詮、影の魔物なのだ、我々人間とは違う。それに、俺を助けたことで、力を消耗したのだろ

う。今、叩けば、三種の神器無くしても魔女を倒せるが、まだその時期ではない。しばらく、そ

のままにし、様子を見張っていろ。決して油断するな」

「はい」

「しかし、今は俺も影の生活だ。こんな穴倉で暮らしているとはな。街の方では俺や脱走した囚

人たちを捜索しているか?」

「はい、普段より警備隊の数が多いようです。我々も、街へ行くのには苦労してますし、一部捕

まった者もいるようです」

「ふっ、軍務を経験していないやつらでは仕方がないな。だが、ここのことはばれていないだろ

うな」

「はい、やつらは別の所に集めてありますし、ジーフミッキ様の所在については我々は話してい

ませんから」

「うん、分かった。とにかく、トゥリダンの涙を早く見つけることだ。魔女たちもそろそろ動き

だすかも知れん。魔女に渡る前に何とかしなければならんからな」

「はい、承知しました」二人はジーフミッキに一礼して、その場を去った。

───魔女め、何を考えている?トゥリダンを甦らせても俺は構わないが、その前にトゥリダン

の涙で大きな力を得てみせる。必ずな・・・。

 ジーフミッキは一人で微笑んだ。

 

「カーミ、調子はどう?」暗闇の中でサーミが言った。

「ええ、だいぶよくなったわ。しかし、私たちが疲れを感じるなんて、どういうことなのかしら

ね?」

「それは、長い間元の姿で眠っていたし、精気を養ってすぐにコーキマで力を使ったから、仕方

のないことじゃないかしら」

「たぶん、そうでしょう。それとも、ギオスたちが変な人間の血でも浴びせたのだろうか?まだ、

体が完全に復活していない気がするわ」

「人間を信用したのが間違いかも。だが、こうやって甦ったのだから、もう私たちの力を無くす

ことはできないわ。いざとなればジーフミッキを含めて、やつらを砕くことも簡単よ」

「そうね、ところで、何か新しい事は分かって」カーミは口調を変えて、サーミにきいた。

「ええ、凄いことが分かったわ。ジーケンイットのところに、憎っくきあの女が現れたそうよ。

それに、今回は大勢仲間連れてきたみたい」サーミは強調するかのように、大袈裟に言った。

「本当に?ふっふっふっ、思った通りね、また、あの女が来るとは・・・。これで、私たちの思

い通りね。しかし、仲間連れとは、少し気にかかるわね、あの女のような力を持っていたらこと

かもしれない。・・・ところで、ジーフミッキたちは、まだ、トゥリダンの涙を見つけていない

の?」

「ええ、まだよ。私たちにも探せないものが、そう簡単にあいつらに探せて」サーミは低く嘲笑

した。

「あんな、ならず者ばかりだから、無理な話ね。元々、やつらを頼ってなんかいないから、いい

けど。ただ、あまり、時間が無いわ。ゲートが開くのが迫っている」

「分かっているわ。だから、こちらも、それなりの用意をしてあるんじゃない。あの女や仲間、

それにジーケンイットたちが動きだせばすぐに分かるから」

「そうね、その時がチャンスのはず・・・、そして、私たち、いや、トゥリダンの力が甦る時だ

わ。ふっふっふっ・・・・」

「ふっふっふっ・・・」

 闇の中にこだまする不敵な笑い声、それを耳にするものは誰もいない。だが、もしそれをきけ

ば真の恐怖というものを味わえたかもしれない。

第六章へ   目次へ ホームページへ


 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください