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トゥリダンの逆襲

 

    第 六 章        そ れ ぞ れ の 思 い

 

         1

 

 悦子たちは話がまとまると、一旦客室の方に戻った。部屋は男女別に若い者と年配の者という

年功序列同期の感じで各々ふたてに分かれた。

 青山と藤井のリーダー格は、枡田、佐藤と部屋にいた。

「何か、とんでもないことになってきましたね」佐藤が青山と藤井に向けて言葉を発した。

「佐藤、心配なのか?」藤井は佐藤に振り返った。

「そりゃ、そうでしょう。こんな訳の分からない世界に来て、しかも、その世界を冒険しようと

しているんですから」

「何だ、佐藤君らしくもない消極的な意見だな」今度は青山が言った。「こういった前人未到の

ことをするのは好きだろう?ありとあらゆるアウトドアをやっておきながら、今度のが本当の意

味でアウトドアライフだと思うけどな」

「ええ、ですが、そうは言っても僕も昔のように傍若無人的にはいかないですから・・・」

「ああ、そうか、佐藤は結婚して間もないもんな、まだ新婚ホヤホヤだし、奥さんの事が気掛か

りなんだろう?」

「それは・・・」佐藤は眼鏡を外して、しかめっ面をした。「・・・でも、藤井さんや青山さん

だって、結婚しているんでしょう。特に青山さんなんかは子供もいることだし、奥さんのこと気

にならないのですか?」

「そりゃ、まあ、俺だって、一家の大黒柱だからな。俺がいなくなった後の裕予のことを考えて

いないことはない。でも、今の状況ではどうしようもないだろう」

「ええ、まあ、そうですが・・・、枡田君もそう思わないか?」佐藤は一人傍観している枡田に

振った。

「おいおい、俺に振るなよ。俺は結婚していない身だぜ、そんなことは分からないよ」

「でも、付き合っている人ぐらいいるだろ、それと同じじゃないか!」

「いや、今、別にそういう人はいないから何とも言えないけどな」枡田はいつものスマイルで惚

けた。

「たっく、そうやっていつも逃げる。たまには意見を持ちな」佐藤は先輩には反論できないので

同期の枡田に対し文句を言った。

「それにな、佐藤君」青山が間を制して言ってきた。「ここに来て、忘れていた好奇心というか、

冒険心みたいなものがフツフツと湧いてきたんだ。家庭を持ってもうできないだろうと思ってい

たことがさ、ねえー、藤井さん?」

「ああ、確かにそれは言えるな。俺も昔は結構派手にやっていたから、もちろん、その時の内容

とは全然違うが、感覚的には何か似ているかもしれない。若いころの何にでも挑戦してみたいっ

ていう気持ちがな」

「そんなもんですかね。歳の功だけあって、開き直りも早いですね」

「佐藤、しばらく会わないうちに、随分変わったな。お前、もっと積極的な人間だったろ。それ

とも、明日からの旅が嫌なのか?」

「そんなことはないですよ。僕だって、不安ながらもどこか何かを期待はしているんですから」

「要は奥さんのことが気掛かりなんだろ。分かっているよ。大丈夫だ、きっと元の世界には帰れ

るから、ちょっと帰りが遅くなるだけだと思っていればいいんだよ」

「ええ」

「まだ、新鮮だな、俺も昔はそんな気持ちがあったけど、今はだいぶ冷めちゃっているから、あ

いつも俺が帰って来なくて、せいせいしてるかもしれない。どのみち、俺ん家は『母子家庭』だ

からな、裕予なら一人でもやっていけるさ」青山は冗談でそう言って窓から外を眺めた。

 佐藤はその姿を見て、心配していないと言いつつも、心の中では彼女のことを思い描いている

のだなと感じ取り、それ以上は何も言わなかった。藤井も含め、彼らは今の状況に対し、虚勢を

張っているのかもしれない。口では、冒険を楽しみにしているように言いながらも、内心では家

庭のことを考えているのだ。リーダー格である彼らがあからさまに不安や脅えを表出すわけには

いかない。そんなことをして、他の人たちを怖がらせては、まとまりが欠けてしまう。十五人も

の人間をまとめるにはある程度の統率力が必要だ、それが彼らには備わっている。仲間たちと共

にこの世界に来たからには彼らには皆を守る責任がある。会社の中での先輩というだけでなく、

彼らが本来持ちつづけている責任感がそうさせているのだろう。佐藤はそのことを悟り自分が恥

ずかしくなった。まだ、大人になりきっていない未熟者だといまさらに気付いた次第だ。自分も、

明日は竜玉探索班のリーダーとして、動かなければいけない。彼らの思いを汲み取り、佐藤も自

分に対し厳しくしていく決意をした。

 

 土田に伊藤と古井の同期連中は後輩の前沢と部屋に入って話し合っていた。

「けど、驚いたな。伊藤君の奥さんがこんな貴族みたいな人たちと知り合いだったなんて、それ

も、竜がいる世界だぜ、信じられるか」古井はいつもの調子で話しだした。

「けど、これは現実だ。夢みたいな話だけど、集団催眠じゃないんだから、受け止めなきゃ」土

田が真面目に答えた。

 伊藤はさっきからあまり元気がなく、いつものような軽口も叩いていない。古井はそれに気付

いて尋ねた。「どうした、伊藤、あんまり今日は、はしゃいでいないな。いつもの元気がないぞ

「ん・・・?まあなあ、何が起こっているのかてんで理解できなくて、頭が爆発しそうだ。それ

に・・・」

「それに、何だ、奥さんがこの事を話さなかったことが気に触っているのかい?」土田があえて

きいてみた。

「いや、それは・・・、まあ、それもあるかな。俺はあいつのことを何でも知っているつもりだ

ったけど、本当は何にも知らないんだ。だから、何か急に距離が離れたような気がして・・・」

「でも、伊藤、それは奥さんだってさっき言ったろ。お前にこの事を話したって、どうせ信じる

分けないからって」

「それはそうだが、でも・・・」

「伊藤君だって、何から何まで話すわけじゃないだろう。だから、奥さんだってさ。前ちゃんも

そうだろ、まだ、結婚はしていないけど、香織ちゃんと付き合っていて、何でも話すかい?それ

に、結婚してから、それが変わるかい?」土田は前沢にも話を振った。

「ええ、それは、確かに、全部話すことはないです。結婚したところで、それは変わらないと思

いますけど」

「人間あくまで個人で生きているんだ、例え夫婦だからと言って、お互いを全て知っているわけ

じゃない。そりゃ、結婚の誓いの時にでも、互いを信じ、偽りの無い一生をおくるなんて、恰好

つけたこと言うけど、それは無理な事なんだよ。『結局は他人』とまでは言わないが、お互い言

わなくてもいいことがあるんだ。もし、奥さんがこの世界のことを正直に話していて、伊藤君は

それをどう受け止める?どうせ、奥さんが少し変なんだろうと思うだけだろ。それに、奥さん自

身がこの世界のことを信じきっていなかったんだ。その曖昧な考えを話すことができるか?僕だ

って、今ここにいながらまだ信じきっていないような気もする。それに、地球に帰ったとしても

この事は誰にも話さないな、絶対誰も信じてくれないよ。自分が信じていても、誰もそれを認め

てくれないことほど、辛いものはないぜ。よく、UFOに遭遇したとか、お化けを見たとか言っ

て、人に説明しても相手にしてもらえないっていうシチュエーションがあるじゃない。あの時の

本人の心境っていうものは、とても不安で、悲しいんだろうな。その事、伊藤君も考えてみなき

ゃ。夫婦なんだから、互いを信じなければいけないのはもちろんだけど、相手を不安がらせたり、

心配させたりしないのも愛情だと思うよ。結婚していない僕が言うのも変だけど」

「ああ、ツッチーの言う通りかもしれない。そう深く考えるな」と古井は伊藤の肩を叩いた。

「ところで、ここにいる女の人たちは皆美人だな、王子の奥さん、リオカさんだったけ、目がく

らむような人だよな」古井が話を変え始めた。「前ちゃんは誰がいい。やっぱり、リオカさんか

?」

「ええ、僕は、そうですね、王子の妹さんなんか、可愛らしいですね」前沢は思い出したように

笑った。

「それも、言えてるな、ツッチーは?」

「僕?僕はね・・・・・・」

「何だ正直に言えよ。俺たちしかここにはいないんだし、伊藤君みたいに妻子持ちじゃないんだ

から、問題ないだろう」

「ああ、そうだね、僕はあの賢者の人かな、何か神秘的で魅了されるものがあるよ。それに、あ

の人とは以前・・・、いや、何でもない」土田はそこで言葉を止めた。これ以上のことを言って

も馬鹿にされると思い口をつぐんだ。

「ツッチーは年上好みだったのか、知らなかったな、はっはっはっ・・・」古井と前沢は笑った

が伊藤だけはまだ一人、複雑な表情であった。どうして、何か心の中にわだかまりがあるようだ

った。

 

 美砂、史子、奈緒美の若い三人も、王子の事で盛り上がっており、さっきまでの不安な心も消

えていた。

「でも、あんな人がいるなんて信じられる。もう、痺れちゃったわよ」美砂は乙女のようなとき

めきを露にしていた。

「フグの毒にでも当たったのですか?」奈緒美がからかって言った。

「脇田!何言っているの?そんなことで茶化さないで、私の夢が叶いそうなんだから」

「それは無理じゃないですか、王子様はもう結婚されているんですから」史子が異議を唱えた。

「それは、分からないじゃない。王子さんが私を見て心をときめかすかも、王子との一大不倫劇

なんて、本当に夢じゃない?」

「松浦さん、何かはしゃぎ過ぎですよ。だから、松浦さんだけ竜玉が光らなかったんじゃないで

すか?」奈緒美は釘を刺すようなことを言い、松浦を夢の世界から引き戻した。

「脇田、人が気にしていることを言うわね。あれはあれでショックだったんだから。それに、こ

んな訳の分かんない世界に来ちゃって、少しは楽しいことを考えなきゃ、やっていけないわよ」

「御免なさい、松浦さん、私、少し言いすぎました」奈緒美は申し訳なさそうな顔をした。

「うーん、いいのよ。私の方こそ現実をきちんと見なきゃね。脇田の方こそ、酒井君と離れてし

まって、辛いんでしょう」美砂は表情を穏やかにした。

「ええ、それはそうですけど」

「酒井君、丁度トイレに行っていたから、巻き込まれなくて済んだみたいですけど、運が良かっ

たのか、悪かったのか」史子は落ちついたままの様子で言った。「この世界に来なかったことは、

良かったも知れないけど、奈緒美ちゃんと離れてしまったのは辛いんじゃないかしら」

「そうね、きっと向こうの世界で心配しているわ。目の前で奥さんがいなくなったんだもん」

「大丈夫ですよ。あの人、そんな情けない人じゃないですから。心配はしているでしょうが、私

が帰ってくるのを信じて待っててくれますよ」

「いいわね、夫婦って、遠くに離れていても心が通じ合っているみたい。私にもそんな人が欲し

いわ。あっら、こんな欲を考えているから、竜玉が光らないのね。もっと、欲を無くして、竜玉

が光るようにしなくっちゃ。史ちゃんが竜玉を預かるんだけど、たまに貸してね。きっと、光ら

せて、私を誤解している男たちをぎゃふんと言わせてみせるから」

 そういう男を負かそうという精神が邪心の原因なのだろうが、自分も鉄拳を浴びたくはないの

で、史子は何も言わないことにした。

「まあ、とにかく、明日からの冒険、頑張りましょうね」と美砂は目を光らせた。

 二人ともこの女性の凄さに二の句がつげなかった。

 

 悦子は浩代と美香、祐子という年輩組と部屋にいた。悦子にとり、仲間たちがトーセの危機を

救うことを手助けしてくれることは嬉しいが、皆が、この街、特に竜や魔女たちの本当の恐ろし

さを知らないというのが気掛かりであった。そんな口で言うほど、生易しいものではない。魔女

により極限の恐怖を味わっている悦子にとり、そのことをもっと説明できなかったことが悔やま

れる。かと言ってジーケンイットたちを見捨てることもできない。彼らは悦子のことを奇跡を起

こす超人と思っている。それを無碍に否定することもできず、一種のジレンマに陥っていた。そ

れに、仲間たちはもう冒険に出掛ける気で一杯だ。いまさら、止めることなど無理だということ

も長い付き合いで分かっていた。こうなれば、彼らを信用するしかない。彼らならこの事態をど

うにかしてくれると信じていた。

 美沙希は相変わらず、元気にはしゃぎまくっている。普段ならもうそろそろ、疲れてきてお眠

になるのに、今も浩代と美香の間で笑いながら戯れていた。

「今日は、この子本当に元気ね、元から元気な子だけど、子供には世界の違いなんか関係ないみ

たい」悦子が美沙希に近づくと、よちよちと歩いてきた。「離乳食をあげなきゃいけないんだけ

ど、ここにはそんなものはないんでしょうね」悦子は困った顔をした。異世界に来たのはいいが、

子供の世話を考えると不便なところだ。

「そういえば、王子さんの奥さんにも子供さんがいるとか言っていたら、そういった物はあるん

じゃない?あとできいてみたら?」浩代は手を叩いて、自分の方に美沙希を呼ぼうとした。

「ええ、そうね。さすが、ワンさん、ちゃんと人の話を聞いているわ。それにしても、ワンさん、

子供をあやすのは上手いわね、やはり、母親なんだ」

「そりゃそうよ。これでも一児の母なのよ」浩代もそうおどけたが、どこか寂しげでもあった。

 悦子はその意味に気付いた。「ワンさん、ご自分のお子さんのこと思っているのね。こんな、

世界に来て離れ離れになってしまったら、御免なさいね、私のせいで・・・・」

「悦ちゃんが謝ることはないわ。確かに子供の事は気になるけど、旦那がちゃんと面倒を見てく

れていると思うから、大丈夫よ」

「でも、皆が冒険に行くとか言いだして、帰りが遅くなるのは・・・」

「いいのよ。ここの人たちが困っているのに、それを見捨ててはいけないわ。藤井さんたちの選

択は間違っていないと思う」浩代は毅然として言った。

「そうよ、本音からいえば、やっぱり不安だけど、皆がいるから、それで安心できるわ。それに、

冒険なんて久し振りだから、ワクワクしちゃって・・・」美香が言葉を挟んだ。

「そう?じゃ、明日からの旅、気を付けてね。決して気を許しちゃだめよ。本当に魔女が復活し

ているなら、それは恐ろしいことなんだから・・・」

「大丈夫よ。これでも勇気はあるほうだから・・・、美沙希ちゃん今度はこっちいらっしゃい」

と、美香が手を叩き、美沙希を振り向かせた。

「美香さんも、子供の扱い方に慣れておいた方がいいわね。いつ、産まれてもいいように」浩代

は美沙希をだっこして、美香のところに運んだ。

「そうですね、こうやって子供と遊んでいると、本当に欲しくなるわね。人の子でもこんなに可

愛いのに、自分の子だったらなおさらでしょうね」

「そうそう、真野ちゃんも今のうちに訓練しておいた方がいいんじゃない」浩代は一人話を聞い

ていた祐子に向けて言った。

「えっ、私もですか、私は当分、結婚する気はないですから、まだ、いいですよ。でも、子供は

確かに欲しいですね。結婚よりも子供だけ先に作ちゃおうかな」祐子は真面目な顔で言った。

「おっと、それは大胆なお考えですね。男無しで子供を作ろうとでも言うの?」美香が驚いてき

いた。

「そうね、男はどうでもいいわね、今は人工受精もあるから、子供を作るぐらいは問題ないかも

しれないし」

「ふう、真野ちゃんらしい、考えね。でも、ちゃんとした男の人が目の前に現れたら、考えもこ

ろっと変わるかも」悦子の言い方に、真野は澄ました表情を見せた。

「トーセの人で、いい人でも見つけたら、まあ、ジーケンイット様は無理だけど、ターニさん、

やコトブーさんぐらいなら、いいかもしれないわよ」

「コトブーさんには、一緒にいた女の人がいるから・・・、ターニという人はちらっと見ただけ

だけど、女けのない感じの人ね。私とは異質よ」

 そう言われて悦子は気付いた。ターニにはそういった女に関わるような雰囲気が全く無く、逆

に避けているような感じなのを。今まで全然気に掛けなかった、ターニの素性というものに少し

興味を引かれた。

「じゃ、お風呂にでも入りましょうか、ここのお風呂はとっても素敵よ。皆で入っても大丈夫ぐ

らい広いから、久し振りに一緒に入りましょう。あっ、それと、下着だけはちゃんと管理してお

いてね、後で大変なことになるから」

 美香たちは下着に関してだけ、悦子の言っている意味がよく分からなかった。

 

    2

 

 二つの太陽が沈むと、今度は二つの月が昇ってきた。地球からの月しか見たことのない彼らに

とって、それはまさに耽美な神秘的光景である。それと共に、ここが自分たちの故郷でもないこ

とをひしひしと感じていた。

 周りが暗くなると、歓迎の晩餐を行うことになり、準備が整ってから、城の使いが悦子たちを

呼びに来た。

「晩餐の御用意ができましたので、先程の大広間までいらしてください」使いの一人が部屋のド

アを開けて、中の者に知らせた。それはマーリであった。

 悦子は彼女に気付いて歩み寄った。「マーリさん、どうしてここに、帰られたのでは?」

「いえ、今日はきっとエツコ様たちの歓迎があると思いまして、ミーワ共々、お手伝いをしてい

ます。お客様も大勢ですので、普段のような人員では大変でしょうから。それに、明日竜玉を探

しに行かれる、旅に出られるそうでね。ですから、皆さんのお帰りを心から願うためにも、ここ

で祈らせてもらいたいのです」

「そうですか。ありがとう。では、すぐに伺うわ」

 悦子たちがさっきの大広間に出向くと、何も無かったホールには大きな長いテーブルが置かれ

白いクロスが掛けられていた。テーブルの上にはすでに料理や飲み物が並び、豪華な様相を整え

ている。すでに席に付いている、青山たちもこの豪勢な持てなしに、戸惑っているよで、互いに

顔を見合わせている。悦子たちを待っていたのはシーラで、彼女を見つけると親しげに顔をほこ

ろばせ、席に案内してくれた。十五人が互いに向き合うような形で座った。悦子が美沙希を膝の

上に座らせようとする、小さな椅子をミーワが持ってきてくれた。

「すみません、ミーワさん」

「いいえ、エツコ様のお子様ですか。お可愛らしですね。リオカ様のお子様も拝見させてもらっ

たことがあるのですが、どこか似てらっしゃようで・・・」

「そうなんですか?じゃ、今度、私もお目に掛かりたいですわね」

「ええ、それがいいですわ。あら、ジーケンイット様たちがお見えになりましたから、これで」

ミーワがそう言って、引き下がると、大広間の入り口からジーケンイットとリオカ、それにフー

ミが現れた。

 三人が席に付いたが、まだ席が二つ空いている。誰が、来るのかと思っていると、ブルマン王

朝の王、シンジーマーヤと王妃アズサーミが登場した。その身なりと物腰、それに年齢的な事も

考え、皆彼がこの城の王だとすぐに判断し、緊張した面持ちになった。悦子から見ても王と王妃

はあまり以前と変わっていない。初めて会った時と同じ、毅然とはしているがどこか暖かみのあ

る、仰々しさのない二人の姿はこのトーセが繁栄していることを物語っている。王たちが席の前

に立つと同時に、ジーケンイットたちが起立したので、悦子たちも慌てて立ち上がった。それと

同時に給仕たちが静かに現れ、彼らの前にあるグラスにワインのような飲み物を注いだ。

 王がその威厳のある声で話し始めた。「私が、このブルマン王朝の王、シンジーマーヤであり

ます。今日は、ここに集まりいただき、心から感謝いたします。今、このトーセに起こりつつ災

禍についてはおききでしょうが、それを未然に防ぐことに協力をいただけることに、お礼のいい

ようがありません。私は王自身としてではなくこのトーセの代表として、皆さんに感謝の意を表

します。エツコさん、本当にお久し振りです。あの時もジーケンイット、我々のために力を貸し

て頂いたこと深く感謝しております。そのお礼を述べることもなく、ここを去られたことは非常

に残念でありましたが、また、こうしてお目にかかれたことは何よりもの喜びです。その上、今

度も我々を助けて頂けること、重ね重ね感謝いたします。今宵はその感謝の一環としまして、こ

うして皆さんをもてなさせていただきます。遠く、チーアからお見えになり、お疲れとは思いま

すがその疲れを癒すためにもぜひ、この晩餐でおくつろぎください。それでは、乾杯をいたしま

しょうか?ジーケンイット、頼むぞ」

 王から言葉を掛けられ、ジーケンイットが続いた。「私からも皆さんには感謝の意を表します。

我々の願いを叶えていただき、お礼を言わさせてもらいます。明日からは、厳しい旅が始まるか

もしれませんが、今宵だけはどうか息を抜いて頂きたいと思います。それでは、皆さんの御協力

を感謝し、旅の無事と、トーセに平和をもたらすことを願って、乾杯!」

「乾杯!」と全員がグラスを掲げ、飲み物に口を付けた。悦子には覚えのある、あのおいしい魅

了的な味の酒だった。他の連中も酒好きの面々が雁首揃えているので、その美味に顔をほころば

せているのが、悦子にも分かりおかしかった。料理の方も、以前食べたものであるがそのおいし

さは変わらない。古井たちも、食べ慣れないこの料理に堪能しているらしく、無我夢中で食べて

いた。王と王妃は「我々がここに長居しても気が休まらないでしょうから、このへんで失礼させ

ていただきます」と、席を立った。

 悦子は挨拶をしておこうと二人に近づいた。

「シンジーマーヤ王、アズサーミ様、今夜はこんな大勢で押しかけておきながら、このような御

配慮をしていただき、ありがたく思います」

「何を言っているエツコさん、お礼を言いたいのは私たちの方だ。あなたはいくら感謝しても足

りないほどのことを我々やジーケンイットのためにして頂いた。このような晩餐など、その礼に

も適っていない」

「いえ、そんな」

「エツコさんの横に座っているのはあなたのお子さんですか?」アズサーミが尋ねた。

「はい、私の娘です」

「可愛らしいお子さんですね。リオカさんにも息子が生まれましたので、私たちも孫ができて喜

んでいたところなんですよ。エツコさんは明日からの旅には出られないそうですから、また、娘

さんを連れてきてくださいね。ミーユにも会わせたいですから」

「はい、その時はぜひ」

「それでは、もうしばらく楽しんでください。それと、ヨウイッツが礼を言いたいそうなので、

こちらに呼びますから」

「はい、分かりました」

 王たちがいなくなると、緊張感が抜けたのか、皆少し騒がしくなった。こんな贅沢な食事をい

ただいて、黙ってなどいられない。悦子はそうなると、ジーケンイットたちが少しバツが悪いの

ではないかと思い、美沙希を夫に預けて、ジーケンイットたちのところに行った。

「本当にありがとうございます。皆も喜ぶ以上に驚いていますから。私の方からお礼を述べさせ

て頂きます」

「いや、今の我々にはこれくらいのことしかできず申し訳ない。無事に竜玉を捜し当てたあかつ

きにはまた、それなりのことをさせてもらいますか」

「いえ、そんなお気遣いは?」

「それにしても、悦子さんのお仲間って楽しそうですね」フーミが笑いながら尋ねた。「何か、

本当に家族みたいな感じですわ」

「ええ、騒がしくて、申し訳ありません。お酒が入ると、ついああなってしまうもんですから」

「いいえ、そんなこと気にしてませんわ。時々、諸街から来賓の方が見えて、こういった晩餐を

催すのですけど、いつも、形式ぶっていて、息が詰まるくらい。こんな楽しそうな晩餐なんか初

めてですよ」

「何だ、フーミもそう思っていたのか?私もいつもの晩餐では気苦労が多いからな。街の代表者

も楽じゃない」

「お兄様がそんなことを仰ってどうすのです?父上から王位を継承なさる身でしょ、そんな不徳

なことを仰っては・・・」

「エツコ、フーミも変わらないだろう。子供だと思っていたら、いっぱしの口をきくようになっ

た。王子に意見するのはフーミぐらいだからな」ジーケンイットがそう愚痴をこぼした。その姿

はこの街を統治するべき者でなく、一人の兄としての姿があった。フーミの事を話す彼の表情は

以前と変わらない。

「リオカさんからも何か仰ってください。何か、私だけが悪者で見たいで、狡いですわ」

「ジーケンイット様、あまりフーミ様をおいじめになってはいけませんわ。兄弟喧嘩が続きます

と、トーセの街の安泰にも響きますから」リオカが優しく言った。

「おいおい、二人で私を責めるな。王子といえでも、女性たちにはかなわないか?私はちょっと

戦線から離脱させてもらおうかな、エツコのお仲間たちとも親睦を深めたいので、向こうで少し

話をしてくる。いいだろ、エツコ」

「ええ、それは構いませんけど、あの人たち、あまり、こういった環境には不慣れなんで、無礼

なことを言うかもしれませんが」

「いや、そんなことは気にしなくていい、一緒に明日から旅をする身だ、あまり、格式にこだわ

っても仕方がないだろう。ではな」と、ジーケンイットはグラスを持ちながら、悦子の仲間たち

のところに寄っていった。

「エツコさんは旅に出られないそうですから、明日からは私のお部屋で過ごしませんか、エツコ

さんの娘さんもお連れして」

「はあ、よろしいのですか?さっき王妃様からもリオカ様のお子さんに会いにいらっしゃいと、

お声をかけてもらいましたが・・・」

「ええ、構いませんわ。お互い母親の身ですから、その辺のこといろいろうかがいたいぐらいで

すから。フーミ様も御一緒に?」

「えっ、私、ええ、うかがうわ・・・」フーミはどこかもたつくような口調で答えていた。

 その時、入り口から穏やかなグリーンの衣装をまとった長身の男が入ってきた。

「父上!」リオカがそう叫ぶと、ヨウイッツは優しい微笑みを浮かべ、悦子に対し挨拶を交わし

たので、悦子も即座に反応した。

「エツコさん、お会いしたかったですぞ。リオカを救って頂いた時の、礼をまだ述べておらずあ

なたが、再度ここを訪ねられることをどんなに首を長くしていたことか」ヨウイッツは浮わつい

た口調で言った。

「いえ、こちらこそ、突然姿を消したりして申し訳ありませんでした。いろいろ事情がありまし

て・・・」悦子はこの誤魔化しに少々辟易しだしていたが、ノーマ以外に言っても理解されない

ことなのでしょうがなかった。

「何を仰る、こうして、また会えたことだけでも私としては感無量です。リオカ、お前からもよ

く礼を言っておくのだぞ」

「はい、父上」リオカはヨウイッツの背後から、悦子に向けて苦笑してみせた。ヨウイッツは何

かに付けてオーバーな人らしい。

「ヨウイッツ様は、今も政務省の方ですか?」

「いえ、今は政務からは離れております。リオカがジーケンイット様に嫁ぎましたので、私がそ

のまま政務宰相を続けることは、権力の掌握という面でいささか問題がありますので、リオカの

結婚を機に一線を退き、今は政務の中でも新しい部門である、福祉厚生に関する部門を任されて

おります」

 軍務の削減により、街の人々に関わる福祉業務への比重が大きくなってきた。トーセの政治は

まさに民主化してきているのだ。

「ヨウイッツ様、あのー、福祉厚生副官から急ぎの用があるとのことで、私邸の方に連絡があり

ましたが」清楚な中年にさしかかった婦人がヨウイッツの所にきて、言づけた。

「ああ、そうか、すぐに行く。キユーミ、こちらがいつもお話していたエツコさんだ。彼女は私

の秘書であるキユーミです」

「キユーミ・キサラです。エツコさんのお話はヨウイッツ様からいつも伺っておりました。ぜひ

一度お会いしたいと思っておりましが、こうしてお目にかかれて光栄です」

「いえ、こちらこそ。初めまして」

「では、少々用事ができましたので、これで失礼します。リオカ、きちんともてなすんだぞ」と、

ヨウイッツはくどく言って、キユーミと出ていった。

「相変わらず、お忙しい方なのですね。こんな夜遅くにもお仕事ですか?」

「福祉厚生の仕事は始まったばかりなのでいろいろ齟齬が出て、大変なのだそうです」

「ところで、先程のキユーミさんですか?お名前のほうがキサラとうかがいましたが、確か、リ

オカ様、というか、ヨウイッツ様のお名前もキサラですよね、ご親戚なのですか?」

「ええ、キユーミさんは、父の遠縁にあたる方です。直接の家系ではないのですが、キユーミさ

んのご家庭に不幸がありまして、いざという時には父を訪ねるようにと、遺言されたいたもので

すから、今はこうして、父の秘書として力を注いでもらっているのです。それに、父も母を無く

して長いですから、そろそろ・・・・」

「ああ、そうですか。お似合いのようにお見受けしますわ」悦子はリオカの含み笑いを理解して

一緒に微笑んだ。

 悦子を呼ぶ声がまた聞こえた。今度はヒロチーカだ。「お姉ちゃん!」

「ヒロ、ビックリするじゃない。どうしたの?」

「だって、折角お姉ちゃんに会えたのにあんまり話をしていないから、つまんなくて」

「ヒロチーカ、もう夜も遅いんだから、早く寝なさい」フーミが姉のような口調で言った。

「フーミ様、おいらもう子供じゃないんだら、少しはこういうのに参加させてください」

「困ったわね。それに、何度も言っているでしょう。『おいら』って言うのはやめなさいって」

「あっ、またでちゃった。すみません。私興奮すると昔の癖でつい『おいら』って言ってしまう

んです。ずっと、男の子のつもりで生きてきたから・・・」

「大変ね、でも、明日でもゆっくりお話できるでしょう。私、今回は旅には行かないんだから、

リオカ様たちのところでいろいろお話ししましょう」悦子は諭すように言ったが、ヒロチーカが

戸惑ったような表情をした。

「どうしたの、ヒロチーカ、明日は何か用事でもあるの?」それに、気付いたリオカが尋ねた。

「い、いいえ、リオカ様、別に用事はありません。いつもの、習学を終えれば、暇ですから」ヒ

ロチーカは慌てたように言った。

 ジーケンイットは悦子の仲間たちと打ち解けたのか、お互いに笑い合っている。女性たちもそ

んなジーケンイットを憧れの眼差しでうっとり見つめたりしていた。はたから見ていると、王子

と普通の庶民という隔たりがないように見える。そういった雰囲気を作れる彼らだからこそ、こ

んな状況下にあってもめげずにいられるのだ。悦子は彼らに対して、この世界に連れてきてしま

ったことは心から詫びているが、今回は自分一人だけがこの世界にきたのでないことに感謝して

いた。      まなこ

 美沙希が眠そうな眼をしているのに気付いて、悦子は娘を部屋に連れていこうとした。すると、

伊藤が話の中から抜け出し、彼女のところに来た。

「俺が連れていくよ。お前の部屋でいいんだろ」

「そうだけど・・・、ええ、お願いするわ」悦子は伊藤の様子がいつもと違うなと感じた。まだ、

何か怒っているのだろうか?

 伊藤は半分眠っている娘を抱き上げ、部屋を出ていった。

 

    3

 

 土田はトイレを済ませてから、大広間に戻ろうと、ランプの灯る廊下を歩いていると、下から

通じる階段のところでばったり人とぶつかりそうになり、土田は少しよろけた。

「失礼しました。大丈夫でしょうか?」

「ええ、こっちこそ、すみません。少し酔ったせいか、前を見ていなくて。確かノーマさんでし

たね。晩餐には参加されないのですか」

「はい、私はそういったことに参加する身分ではございませんから・・・、お怪我をされたマス

ダーさんに替えの薬をお運びしただけです・・・」ノーマはランプを持ち上げ、相手が誰か確か

めようとした。「あなたさまは、ツチダーさん、それとも。、ツッチーさんかオタクーさんでし

たか、いろんな呼び名で呼ばれてらしたので、どれが本当の名か分からないのですが」

「ああ、僕の名は土田です。他のは単なるニックネームですから、覚えないでください」さすが、

賢者だけあって、耳に入った言葉は全て覚えている。

「あのー、こんなことを伺っては失礼かと思いますが、ツチダーさんは、あなたの世界での知識

者なのでしょうか?」   たぐい

「知識者?いやいや、そんな類のもんじゃないですよ。単に僕は他の人が知らないようなことや、

誰も興味を持たないことを知っていたり、覚えているだけで、あなたのような博学な方じゃない

ですよ」

「そうなのですか?」ノーマはどこか納得しかねないという顔つきをした。「先程のお話も、分

かることもありましたが、理解を超えている点も多く、興味深く聞かせてもらいましたのに」

「まあ、それは仕方のないことでしょう。我々の世界のことをノーマさんが分かるはずもありま

せん。文明や文化の進捗が違いすぎますから、ノーマさんがもう少し未来に産まれればきっと理

解できることです」

「そうなのですか?あなたの世界というのも私は見てみたいですね。この街のことは何でも知っ

ています。そして、まだもっとこれから、この街、この大陸、この『星』の事をいろいろ学ばな

くてはいけないのですが、自分の見たことのない世界というものも、私には大いに興味がありま

す」

「いつか、ノーマさんも僕の世界に来れるかもしれまんね。僕らがここに来たのですから、その

逆もありうると思いますよ」

「そうですね、そう願いたいですわ」

「ところで、ノーマさんのお話をうかがっていて、思ったのですが、ノーマさんは我々がどこか

ら来たのか知ってらっしゃるのですか?他の方々は我々をチーアとか言うところから来た人間と

思ってらっしゃるらしいですけど」土田はついでだからだと質問してみた。

「はい、私は存じております。どのような、方法でこちらに来られたかは、私にも分かりません

が、あなた方はこのオリワやチーア、ワミカのあるランドの方ではなく、全く別の世界の方だと

いうことは。ジーケンイット様たちに説明しても多分、御理解できないでしょうから、私も敢え

てお話していないのです。ツチダーさんが先程仰っていた星という概念もこのトーセでは私のよ

うな賢者か、そのことについて研究している者にしか分からないことです」

「それでも、ノーマさんのように我々のことを理解してくれる人がいて、嬉しいですよ」土田は

ノーマを見つめた。普段ならこんなことを女性に対して言うような男ではないが、酒が入ってい

るせいもあるのか、少し饒舌気味に喋った。

 その時、彼には幻影のようなな記憶が甦ってきた。土田には時々、こういった事が起こる。あ

る時、ふと今起こっている事、見ている事、始めて出会った人と話していることを以前にもどこ

かで見たことがあるとう、いわゆるデジャビューだ。それは、以前夢で見たことなのだが、その

現場に出くわすまで完全に記憶からは消されていた。その瞬間になって、どこかで見たなという

思いが急激にこみ上げてくるのだ。単に本人の錯覚かもしれない。それでも、土田は今、ノーマ

を間近に見て、以前出会った、夢の中で見たことがある女性だと思い込んでいた。

「どうか、されました?」ノーマは自分を見つめている彼に声をかけた。

「い、いえ、別に・・・」土田は慌てて視線を逸らせた。その時、ふと床を見ると小さなイヤリ

ングが落ちていた。

「あっ、これは、ノーマさんのですか?」土田がそれを拾ってあげた。小指大ほどの小さなスカ

イブルーの石だった。暗い廊下の中なのに、それだけは妙に輝いているように見える。

「あら、すみません。ぶつかりそうになった時、落ちたみたいですね。最近、止め金が緩んでい

ましたから」ノーマはそれを受け取った。

「綺麗な石ですね。僕の世界にもないような変わった色をしている」

「これは、母の形見なんです。母は私が幼い時に亡くなって、私は祖母に育てられました。母の

面影なんかは全く記憶にありません。ですから、これが私にとっては唯一の、母の思い出です」

ノーマ、珍しく寂しげな顔をした。賢者という知性と教養を携えた、言わば一般人と違い、また

ジーケンイットら、貴族(彼らを貴族とは呼ばないが土田はそう感じていた)とも違う、聖人だ

と彼は思っていた。土田には彼女の素性が分からないので、それ以上は聞けなかったが、彼女の

違う一面を見た気がした。今までにトーセで出会った女性たちとは一線を画す人であるが、彼女

も一人の女性であるようだ。

 ノーマにとってもこんなプライベートなことを話すことなど滅多にないことだった。自分のこ

とをしかも異世界の人間に話すなど、彼女には初めてであった。本来寡黙であるはずの彼女は今

日はどこか変だった。ある意味で賢者という立場にいると、他の人からは違った目で見られる。

ジーケンイットたちから見れば頼れる拠り所であるが、彼女を賢者としか見ていない人にとって

は異質の存在になっている。それゆえ、気軽に話しかけてくる人なども、ジーケンイットやフー

ミたちのような上の者しかいない。それは賢者になったことによる当然の成り行きだが、人間と

して考えてみると、それは寂しいものであった。賢者も子孫に自分たちが習得した英知を伝えて

いかなければ義務がある。その為には結婚をしなければならないのだが、賢者としての地位は結

婚に破綻をいたらすことが多かった。ノーマの父にしてもそうだ。ワーンは彼女に父親のことは

ほとんど何も言っていない。どんな人で、どのように母と出会い、どうして別れたのか。ノーマ

もそれらを知りたいという欲求はあるものの、その回答を祖母に求めたりはしなった。彼女もト

ーセの賢者を継ぎ、その才覚を多いに役立てなければいけないのだが、それと同時に自分を継ぐ

者について考えなければならない時がきていた。

 だが、子孫を求めるだけの結婚などノーマはしたくなかった。母がそうだったのかは分からな

いが、自分は母のようにはなりたくない。母の死は父との別離に原因があったと、城内の噂でき

いたことがあった。たとえ賢者であろうと、幸せを求めてはいけないという決まりはない。ノー

マは耳飾りの石を見るたびにそんなことをいつも考えていた。

 土田はそんなノーマに対して、畏怖したような隔たりのない感覚で話しかけてきた。本人は酒

の勢いとか言っているが、それでもノーマには嬉しかった。以前、エツコと話をした時もそうだ

った。異世界の人間である彼らと話すことはノーマにとり、異種の体験であった。最初は賢者と

いう立場に控えめがちな態度をされるが、彼らはそれほど畏まった人たちではない。それは、彼

らが封建的な世界や、身分の格差という世界観の中で生活していないからでもあるが、彼ら自身

の性格そのものが、そういっ分け隔てをしない純なものであるのだろうとノーマは思った。

「あの、怪我をされた方のところへ行きましょう」何か気まずい雰囲気になり、ノーマが視線を

逸らした。

「ええ、そうですね」と、二人は大広間の方へ歩いていった。

 

「エツコ、あなたのお仲間は気さくな方たちばかりだな。一緒に話をしてとても楽しい」ジーケ

ンイットは彼らの輪から離れて悦子に言った。

「はあ、そうですか・・・」

「フジイから教えてもらったのだが、我々はマブダチという関係になるようだな。親しい友人と

かいう意味のようだが」

「マブダチですか?はっはっは・・・」と悦子は引きつりながら言った。単に彼らは礼儀という

もの知らないで、王子だろうと王女だろう関係なく、話しているのだろうと。イギリスやオラン

ダみたいな王国に産まれたならば、まだこういったことを考える環境にあるだろうが、天皇が存

在していてもそのことを気にしていない、若い彼らではしかたがない。まあ、それほど格式張っ

ても逆に息が詰まって辛いかもしれないが、もう少し、考えて欲しいなとも思えた。

 いま見ると、古井たちはフーミやリオカを相手に笑っている。街の人間や城で彼らに仕えてい

るものから見れば、何と恐れ多いことだろうか?もちろん、ジーケンイットたちもそんな偉ぶっ

たりはしない、良識ある気さくな人たちであり、そんなことを意に介していないだろうが、悦子

としては気になってしょうがいない。

 だが、よく考えると、自分も昔はああだったような気がしてきた。誰とでも、すぐに親しくな

れる性格であり、始めて出会った人とも友達になって意気投合することが多かった。それが、結

婚した後は家庭と子育てに追われ、そんな楽しい巡り合いをする機会もなくなっていた。多くの

友達とも昔のように頻繁には会っていない。それは、久し振りにトリオの仲間と再会したことで

も言える。主婦という今までとは異なる生活サイクルにあって、そういった環境の変化というも

のは避けることができない。けれども、そういった変化の中にも昔もっていた自然な心をずっと

抱いていかなければいけないのではないだろうか?確かに実質的に変化を拒むことは不可能だ。

だが、最低限の心だけは失ってはいけない。悦子はこの世界に仲間たちと来て、また一つ大事な

ことを思い出した。トーセに来るたびに何か彼女は無くしたものを見つけたり、忘れていたこと

を思い出している。トーセには自分気付く気付かないに関わらず何か心の中で悩んでいたり、苦

るしんでいた時に、呼ばれるような気がした。そして、この世界は竜玉とともにその心を癒して

くれる、カウンセラーのような存在だ。

 悦子は伊藤の姿が見えないの気付き、「ちょっと、主人を探してきます」とジーケンイットに

言って、大広間から廊下に出てみた。入り口でばったり土田とノーマに会い、妙な取り合わせに

彼女は不思議な顔をした。

「ツッチャン、ノーマさんと何してたの?」

「いえ、別にちょっとお話していただけですよ」何でもすぐ顔に出てしまう土田はどきまぎして

いた。

「ノーマさん、変なことされませんでしたか、この子、普段はおっとなしいのに、酒が入るとこ

ろりと変わるんですから、気を付けた方がいいですよ」悦子は土田の過去の遍歴を思い出して言

った。

「いえ、ツチダーさんはとは楽しいお話をさせて頂いただけです」ノーマいつもと変わらぬ落ち

ついた笑顔をのぞかせた。

「そうですか、それならいいんですけど、ツッチー、トーセまで来て、悪ふざけしたら駄目だか

らね」悦子は子供を叱るような口調で言った。

「はい、はい」と土田も聞き飽きたという、傲慢な態度で返しただけだ。

「ん!もう、ところで、うちの人、見なかった?さっき、子供を寝かせに行ったきり、帰ってこ

ないんだけど」

「伊藤君ですか?さあ、僕は見ていませんけど。伊藤君、『出ていったきり雀』だから、どっか

そのへん、うろついているんじゃないですか?家にいる時と、同じですよ」

「あーた、家の事までは余計でしょ。それが一言多いって言っているのよ」悦子が目を細めたの

で、土田はそそくさと中に入っていった。

「変わった方ですね」ノーマは面白そうに微笑んでみせた。

「ええ、仲間の中では一番の変人かもしれません。皆変な人ばかりだけど」

「ふっふっふっ・・・」悦子の言いぐさがおかしいのか、ノーマは声を出して笑った。悦子には

珍しい、彼女の仕種だ。

「それでは、私は怪我をされた方の手当てをしに来ましただけですので、これで・・・」

「そうなんですか?それじゃ、私はうちの人を探しに行きますから、また、後で」悦子は廊下を

歩きかけて「ああ、そうそう、中の男たちは失礼な奴ばっかりですから、気を付けてください」

そう声を掛けると、ノーマはまた微笑んで中に消えていった。

             たたず

 伊藤は一人暗い部屋の中で佇んでいた。城の人が用意してくれたのか子供用の小さなベッドが

あり、パジャマのような衣服も置いてあったので、伊藤は自分で娘の服を着替えさせた。美沙希

は昼間ずっとはしゃいでいたせいか、ぐっすり眠っている。よく、考えると伊藤たちも二十四時

間ぐらい起きている事になっていた。喜多満に集まったのは夜の七時、そしてこの世界の昼間に

飛んできて、今までずっと眠っていない。本来ならとうに睡魔の餌食にされているところなのに

なぜかそれほど眠気を感じなかった。時間と空間の壁を超えたことが体にも変調をきたしたのだ

ろうか?

 伊藤はすやすや眠るわが子をじっと見つめていた。こうして、この子の眠る姿を見るなんて随

分久し振りのような気がする。仕事のせいやその他諸々の理由で帰りが遅いため、娘の寝顔も見

ず、一人台所で寂しく食事をして寝るだけの毎日だった。たまの日曜日も接待ゴルフや古い友達

の付き合いで滅多に家にいることはない。家庭を持っておきながら、家庭を持ったという実感が

湧いてこない。唯一、妻から小遣いをもらうぐらいが関の山だ。別に家庭を省みないとかい不遜

なことをしているつもりではない。ただ単に自分のペースで生活しているだけだった。だが、今

のようなこの突飛な世界に紛れ込んで、そんな普段考えたことの無い現実がまざまざと見えるよ

うだった。いつとは違う環境に立ってみて、人はやっと自分がしてきたことに気付くのかもしれ

ない。

 伊藤の心は揺れ動いていた。知らなかった妻の体験、想像もしたことがない未知の世界、そし

て、自分自身についていろいろ考え始めていた事。普段、こんなに考えを巡らしたことのない伊

藤にとっては、脳細胞が生き返った見たいな感じだった。心の迷いとか不安、恐れなど自分には

無縁であった感情というものが、こんな時には一気に押し寄せてくる。

 ただ、こうして娘の寝姿を見ていると、自分は幸せ者だと思えた。家庭を持ったことの最大の

果報は、その愛の証かもしれない。こうして、一人ではなく、家族を持って生きていくことは、

自分への励みであり、幸せをもたらしていくことへの報酬なのだ。

 非現実的な世界にいて現実的なことを考えるなんてなんという皮肉だろうか?時間を無駄に流

してきたことの報いが今、訪れたような心境だった。今一度自分を考え直す時機かもしれない。

「ここにいたの?どこ行ったかと思って、探したわよ」伊藤の思考を遮るがのごとく、妻が部屋

に入ってきた。「何しているの、こんな暗がりでボーッと立っていて」

「ああ、美沙希を眠らせていたんだ」

「あら、珍しい。普段そんなことしてくたことないのに」悦子は皮肉っぽく言った。

「俺だって、子供の世話ぐらいはみるよ。いつもは忙しくて、してないけど。だから、こんな時

ぐらい」近寄る妻から伊藤は視線を逸らして、月明かりがこぼれ込む、窓際に動いた。

「ねえ、何か、今日のあなたはどこか変ね。この世界に来たのがそんなにショックだったの?そ

れとも、私がここの事を話さなかったのを、まだ、怒っているの?」伊藤の背中越しに言葉を投

げかけた。

「いや、そんなんじゃやないんだ。ただ・・・、ただ、俺は自分の妻の事を知っているつもりで

何も知らなかったんだなって。ここの話をしなかったことはどうでもいいんだけど、夫でありな

がら、そういった事があったことさえ気がつかなかったことが、少し情けない気がして・・・」

「何言ってんの、あなたらしくもない。そんな事考えるなんて変よ。熱でもあるんじゃない?」

悦子は苦笑して息をもらした。

「違うんだ。お前が、この世界に来てとても楽しそうなのが不思議なんだ。俺の全く知らない人

たちと会って、嬉しそうにしていることが。昔のお前は確かにそうだったけど、今家の中ではそ

んな顔を見たことがない。今日、王子たちと話をしている時の顔は最近見たことのない顔だよ」

「それって、もしかして、やきもちでも焼いているの?」

「だから、そうじゃないんだ。今の俺と生活でどうしてあの笑顔を無くしてしまったのか、俺と

の生活の中ではあの笑顔を作りだせないのかって・・・」

「だって、私たち夫婦でしょう。いつも、ニコニコしてなんかいられないわ。家事や娘のことも

あるし、あなたの世話だってしなきゃいけないんだから」悦子は何が不満なのか分からず、少し

強い口調になった。

「それは、そうだけど。何も笑っていることをそのままいっているんじゃないだ。その、なんて

いうか、気持ちの伝わり方が昔と違うような、新鮮さがないというか・・・」伊藤は言葉が分か

らず口ごもった。

「だって、もう何年も同じ屋根の下で暮らしているんだから、そんな付き合っていたころや新婚

の時みたいな気分とは違うはずでしょ。確かに、なれ合い染みては来たけど、私のあなたに対す

る気持ちは以前とは変わらないつもりよ。もちろん、美沙希にも愛情は注いでいるけど、あなた

に対しての気持ちも同じよ」悦子はこんなことを言う伊藤が信じられなかった。この見知らぬ世

界に来て、ショックのあまり頭がおかしくなってしまったのかと思えるぐらいだった。一体、何

の心境の変化があったのだろう。娘を抱えていた時に触れた竜玉のパワーが良い方向だけでなく、

悪い方向にも影響を及ぼしているのか?

「まあ、いいや。明日から、旅に出なくちゃいけないから、その時、もう少し考えてみる。これ

からのこと、二人の事も」

「ねえ、そんなんで大丈夫なの?そんな気の迷いがあって旅に出れる。もし、魔女に出会ったら

付け込まれる隙だらけよ」悦子は急に不安になってきた。

「ああ、大丈夫だ、ひとりで行くわけでもないし、誰か知らないが、この城の人も一緒に行くん

だろ。だから、心配ないよ」伊藤は妻を安心させようと、笑ってみせたが、どこか無理があるよ

うだった。

 その時、静かに扉が開いて、囁くような声が聞こえてきた。「あのー、夫婦の営みの最中申し

訳ないんですけど、王子さんが、明日のことについて話しておきたいと言ってらっしゃるので、

広間に戻ってきてくれますか?」

「あら、美香さん、私たち別に何もしてにないわよ、ちょっと、話をしていただけだから」悦子

は慌てて言葉を返した。

「はあ、そうですか。そういうことにしておきます。じゃ、すぐ来てね」と美香は開けた時と同

じように静かに扉を締め、出ていった。

「あん、もう、美香さんに変に思われちゃったじゃない」悦子は不平をもらしたが、伊藤は「待

たせたら悪いから行こう」と、先に部屋を出ていった。

 この世界にきて始めて出てきた弊害が自分の中に起ころうとは、悦子にも想像できないことだ

った。

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください