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トゥリダンの逆襲

 

    第 九 章        復 讐

 

         1

 

 辺りが暗くなり始めると、隊はその日の行程を終了し、野営をする場所を探して、適当な草む

らにテントを張った。野営の準備が整うと、夕食の支度にとりかかる。材料はカウホースの荷台

に積み込まれており、缶詰やレトルト食品みたいな便利なものはないが、それなりに工夫された

魚の干し物や保存の効く野菜類があり、まずまずの物が作られた。アウトドアに関しては青山が

長けているし、軍隊で訓練を受けてきた兵士たちはてきぱきと作業を進めていった。青山が持っ

ていたライターに関してはトーセの人間は一様に驚いていた。青山は文明の優越感に少しだけ浸

っていた。

 焚き火を囲んで食事を取ればそれなりに親交というものは深まっていく。美砂たちは周りの者

が皆兵士ということに少々引いているところがあったのだが、彼らとて住んでいる世界は違えど

も同じ人間には変わりないので、いつしか、気さくな話をするようにまでなっていた。特に警備

隊のリーダーであるエーグとは、彼自身の温厚な性格もあるのだろうが、すっかり打ち解けてし

まった。

 ただ、ターニだけは彼らの輪には入らず、一人どこかに消えていた。その事をエーグに尋ねて

みた。

「ターニ様は、あのような方なのです。あの方はジーケンイット様の従者です。我々のように元

軍務の人間でもありませんから、普段はあまり接してはこられません。もちろん、剣の腕前など

は適うものがおりませんから、時々は我々の訓練に参加してもらうことはあります。ですが、あ

の方は結局、孤独な方なのです。あの方の過去は我々には分かりません。どうして、ジーケンイ

ット様があの方とお知り合いになられたのかも分かりません。ですが、あの方ほどジーケンイッ

ト様の従者、護衛としては最適な方は他にはおられないでしょう。我々もあの方には敬服するも

のがあるのです。技能はもちろん、精神的な面まで完璧な方ですから。ですが、その分、あのよ

うに孤独な方になったのかもしれません」エーグは少し寂しそうに語った。

「そうですね。心も体も強靱そうに見えますが、時々、どこかに寂しさも漂っている。そんな感

じの方に見えますね」美砂はエーグの言葉にそう答えた。

 史子はじっとエーグの話を聞き、ターニに寄せる気持ちが大きくなっていった。

 

 ターニは一人、月を眺めていた。それは彼が毎日行っている日課のようなものである。ターニ

は別に孤独が好きなわけではない。だが、人と親しくなるのが恐かったのだ。スウーイの一件以

来、自分は人に不幸を招くと思い込んでいた。ジーケンイットとの関係は主従であるため、そう

言った気持ちとは全然違う。ジーケンイットに対してはターニはただ従順に従っているだけであ

り、彼を自分と同等の立場に持ってきたことなどは一度もない。それゆえ、ジーケンイットと離

れてしまえば、誰とも接することをしようとはしなかった。それが自分に課せられた今までの贖

罪と彼は心に誓っていたのだ。

 ターニは背後に気配を感じ、剣を抜こうとしながら翻った。木の影から「キャッ」と女性の悲

鳴が聞こえると、ターニは剣を収め声の方に走った。

「フミコさん、申し訳ない」ターニは落ちついた声で言った。

「い、いいえ、私が悪いんです。驚かすつもりではなかったのですが」史子はすぐに謝った。

「ですが、こんな夜に森を歩いていたら危ないですよ。コレットもいるかもしれませんから。そ

れで、何か?」

「いえ、少し、寝つかれなかったので、夜空でも見ようかと思って、テントのところは雨を凌ぐ

ために木が繁っているところですから、少し見晴らしのいいとことまで歩こうかと、そしたら、

月明かりの中にターニさんの姿が見えたので、つい。ターニさんは何を?まだ、眠られないので

すか?それに夕食もとってないように思いますけど、どこか具合でも?」史子はターニの後ろ姿

に寂寥を見ていた。エーグの話以上にターニが漂わせているものを史子は強烈に感じ取った。何

がターニにはあるのだろうか?何が彼をこんなにまでしているのか。女心的な興味を抱いていた。

「いえ、私はどこも悪くありませんよ。食事はあまりとらないので。それに睡眠も私は少し眠れ

ばそれで充分なのです」ターニは夢を見たくなかったのだ。ぐっすり眠れば必ず夢を見る。それ

も決まってスウーイの姿を。心身共に鍛えぬいたターニであるが、夢だけは制御できなかった。

夢は心の片隅にあるものを見せようとする、普段は忘れていることを見せようとするアマノジャ

クのような存在である。ターニは浅い眠りを取るようにし、夢の呪縛から逃れていたのだ。

「では、帰りましょう。明日も早いですし、何か大きな出来事があるような予感がします」

「竜玉が見つかるという事ですか?」

「だと、いいですけどね」ターニは笑って見せたが、史子には哀愁を帯びた笑いに見えた。

 

         2

 

 ターニが率いる隊は昨夜の野営地を出て、先へ進んでいった。竜玉の光は少しずつではあるが

その光の強度を増しているように感じられるものの、確かなものではない。時々、史子から美砂

が竜玉を貸してはもらうがその度に竜玉の光が途絶える、それと同時に美砂の苛立ちに火が灯っ

ていくようで、青山と土田もきがきではなかった。竜玉にも慈悲というものはないのかと、とば

っちりを恐れている二人は竜玉を恨みたい気持ちであった。

 ターニは相変わらず後方を黙々と歩いている。青山たちはどうも懐けなかったが、史子だけは

昨日の事があって、時々後ろを振り返ってはターニの様子を見ている。先頭を行く、エーグの方

がすっかり彼らとは打ち解け、自然な会話を楽しむようにもなっていた。

「このまま、行くと砂漠に出てしまいますね。コーキマ流刑地があるナイショウ砂漠に・・・」

エーグは前を見ながら背後の青山たちに言った。

 青山たちもコーキマと聞くと今回の事件の発端である砂漠のことかとふと考えた。

「エーグさん、それではこの先には人が住んでいるようなところはないということですか?」青

山はエーグの言葉に疑問を挟んだ。

「そうですね、むろん、砂漠には誰も住んでいません。それに集落の方も砂漠に入る手前で分岐

する道をしばらく行けばあるのですが、そこですと、竜玉が指し示している方向とは違います。

城を出たばかりの時では遠い距離ですので、光の向きが指しているのがその集落の方ではないか

と思ってはいたのですが、今、フミコさんの手の中で光っている竜玉の方向は近距離に来てもそ

の集落の方向を示しません。ですから、その方ではないと思われますが」

「じゃ、砂漠の中にあるのかな?それじゃ探すのも大変かもしれない。砂の中に埋もれていたら、

例え竜玉がその位置を示しても掘り返さなければいけないんじゃ?」土田が深刻に言った。

「ああ、そういえば、砂漠の手前にアクアを精製する工場があったはずです。そこならば数人の

人間が働いているはずですが・・・」

「工場か、まあ、砂漠にあるよりそこにあることを願いたいな」青山の意見には皆も同じ思いで

あった。

 そうして、その道を進み、何度かの勾配を登り下りしていくと、最後の峠を登り切ったところ

で目前に広がる砂漠が視界に入った。地平線がくっきりと見え、砂の色しかないまさに砂漠であ

る。テレビではコビ砂漠やサハラ砂漠を見たことがあるが、実際にこのような広大なものを見る

と、自然の凄さというものを目の当たりにした気になる。青山は以前見た鳥取砂丘のことを思い

出したが、そんなものとはスケールが違う。あそこまでは行きたくないなと誰もが思ったが、そ

の思いに感応したのか、竜玉の光がさっきよりも明るくなっているのが目の錯覚でないほど、は

っきり見て取れた。

「史ちゃん、竜玉が・・・」土田は見て分かることを言葉で言った。

 エーグはそれに気がつくと、後方のターニの所へ行き、彼を呼んできた。ターニは史子の竜玉

を見つめながら言った。「エーグ、確かこの先にはアクアの工場があったはずだな」

「はい、そうです」

「すると、竜玉の一つはそこにあるのだろうか?」

「私もそう思いますが」

「よし、ひとまず、そこに行ってみよう。それから、敵のこともある。ここからは警戒を怠らぬ

よう部下にも伝えてくれ」

「承知しました」

「では、皆さんもそれなりの心構えをお願いします」ターニは史子たちに向き直って言った。

「はい、分かりました」と四人は素直に返事をした。それほど、ターニの顔には緊張感があった

のだ。

 史子は何をターニが察知しているのだろうと詮索したい気持ちになった。ターニにはターニな

りの感というものがあるのだろうか?戦士として生きてきたターニの。

 峠を過ぎ、急な坂道を下っていくと砂漠の手前に煙が出ている建物が見えた。木造式のまるで

学校の講堂のような大きな建物が二つに、小屋ほどの小さなものが一つ、工場であるその建物の

側にはこれも木で作られた樽みたいな巨大な筒状のものが幾つも横たわっていた。アクアの貯蔵

タンクと思われる。

「コーキマで採掘されたアクアはここまで運ばれ、我々がランプなどの燃料として使える状態に

するのです。そして、ここからトーセの街や近隣の街に運搬されます。こういった工場は砂漠と

の境界上にいくつかあり、ここもその一つです」エーグが歩きながら説明した。

「アクアって何だったっけ?」美砂が小声で青山に聞いた。

「何だ、そんなことも知らないのか?アクアっていうのは天使の敵だよ」

「青山さん、それは悪魔でしょ」土田が青山のボケに突っ込んだ。

「じゃ、ツッチーは知ってるの?」美砂が偉そうなこというなと言いたげにきいた。

「ええ、アクアは僕らの世界でいう石油みたいなものですよ」

「へえー、よく知ってるわね。誰にきいたの?」

「えっ、ちょっと、ノーマさんにきいただけですけど」

「いつの間に?ツッチーも隅に置いておけないな」青山がからかった。

「そんなんじゃないですよ。僕はこの世界に興味があるだけなんですから」土田は語気を強めて

言った。それを耳にしたエーグは「どうかしましたか?」と尋ねたので、土田は咄嗟に的確な質

問を返した。「エーグさん、アクアはコーキマから採取されるのですよね。すると、あの脱獄騒

ぎの後では、アクアの採掘やここへの運搬は滞っているのではないですか?」

「ええ、確かにそうですね。工場としては新しいアクアが運ばれてこないので、操業も止まって

いるでしょうね」

「そうですか、すると、人もいないのかな?」

「でも、工場には煙が出ているわよ。誰かいるっていうことじゃない?」美砂が疑問を唱えた。

「未精製のものがまだ残留しているんでしょう。それに、採掘地はコーキマだけではなく、新し

いものが作られていますから、緊急的にそちらから運んでいるのかもしれないです。まあ、とに

かく行ってみて、竜玉がなくても少し休ませてもらいましょう」

 工場に近づくにつれ竜玉の光はますます強くなった。竜玉から伸びる光の帯びも工場に真っ直

ぐ向かっている。竜玉はここにあるものと思って間違いなかった。一行は工場の入り口まで来た。

ターニは隊を止め、エーグ以外の者は残し、青山たちを引き連れて中に進んだ。六人は工場の脇

にある小屋の扉を開けた。

「失礼する。誰かいるかね?」ターニは誰もいない部屋の中に語りかけた。部屋の中には大きな

テーブルと十個以上の椅子が乱雑に置かれていた。部屋の隅には木の食器やグラスが置いてある。

工場で働く人の休憩場のようであった。

 入り口の向かい側にもう一つ扉があった。しばらくすると、そこから若い女の人が現れた。髪

の長い顔だちのくっきりした女性であるが、少しやつれた感もある。この工場で働いているせい

なのか?服装も汚れてもいいような作業用のようないでたちだ。

「あのー、何か御用でしょうか?」女性は剣を携えた男に、警備隊の者、そして、チーアの人間

が四人もいるので驚いた表情をした。

「我々はブルマン王朝の者です。城からの任でここまで来たのですが」

 ブルマンの名が出ると、女性はますます驚きを大きくしていった。「あっ、そうでございます

か?これは失礼いたしました」

「別に、それほど恐縮する必要はない。あなたは、ここの工場の方ですか?」エーグは取り乱し

ている女性を落ちつかせようとした。

「はい、この工場の責任者の妻です。マーキーと申します。今、主人はアクアの運搬作業の為出

ているのですが、コーキマの騒ぎで別ルートの運搬が必要となりましたから。ですから、工場の

ことについては私では全て分かりかねますが・・・」

「いや、我々は工場の事で来たのではない。捜し物を求めて来ただけだ」

「捜し物ですか?一体何を?」

「フミコさん、見せてあげてください」エーグが史子に言った。

 史子は握っていた掌を広げ竜玉をさらした。すでにその光は眩しいほどのものになっていた。

「これと、同じ物を探している。この近くにあると思うのですが」ターニがそう言うのと同時に、

マーキーはハッとした顔をした。

「そ、それならば・・・、確かに私のところにございますが・・・」

「本当ですか?ここにあるのですか?」土田が喜びいさんで声を上げた。

「ええ、そうですが・・・」

 その時、奥の方からどたどたと走ってくる足音と共に「お母さん、お母さん」とい幼い子供の

叫び声が響いてきた。マーキーが出てきた扉が開くと、室内が眩しいほどの閃光で覆われた。マ

ーキーの子供の手の上にも史子のものと同じ様な光を輝かせているものがあった。その二つが今、

出くわした瞬間、光のナビゲーションは終わり、互いの存在を確かめるように光を放ったのだ。

 誰もが息を飲み、言葉を失った。騒いでいた五才くらいの子供はそのことに驚き、思わず手か

ら光の玉を投げ捨ててしまい、床を転がって美砂の足元に転がった。美砂は瞬間的にそれを拾っ

たが、それと同時に光の放出が止まった。

「ふー、まぶしかったぜ、サングラスを持ってこなかったのが失敗だったな」青山はすぐにも軽

口をたたいた。

「いや、松浦さんが拾ってくれて助かりましたね。史ちゃんだったら、もっと光っていたかもし

れませんから」土田も青山に続いたが、美砂は不満げな顔をしていた。

「何か、納得できないわ。どうも私だけ、虐げられている気がして」

 マーキーはびっくりしたあまり半べそをかいている子供をあやしていた。「大丈夫よ、もう、

大丈夫だからね」

「んー、だって、さっき、お部屋にいたらあの玉が光ったんだ。だから、びっくりして、持って

きたんだけど・・・」

「ええ、分かったから。もう泣かないでね」マーキーは子供の涙を拭ってあげていた。

「すまないことをしたな。あなたのお子さんか?」ターニは二人に近づいていった。

「はい、私の娘でイーウと申します」

「そうか。では、イーウ、あの玉はどこでみつけたんだい?」ターニはマーキーの娘を見て言っ

たが、イーウはさっきのショックとターニの凄味に怯えたような表情をした。幼い子供には縁が

なく、その扱い方も知らないターニは戸惑ってしまった。

 それを、見かねてか史子が静かに近づき、イーウの前にしゃがみこんで微笑みながら語りかけ

ると、ターニも史子に任せようと一歩後退した。「イーウちゃん、怖がらなくてもいいのよ。ち

ょっとききたいの?この玉をどこで見つけたの?」史子は自分が持っている竜玉を見せた。

 イーウは鼻をすすりながらも答えてくれた。「・・・、あのね、ずっと前にお父さんと、遠く

へ行ったの。・・・その時、川で遊んでて、あの玉を見つけたの?」

 子供の話を聞いて、マーキーが詳しい説明をした。「たぶん、三年ぐらい前でしょうね。主人

がこの子を連れて街へ行った時、途中のリーホ川で休憩していて、この子が見つけたそうですけ

ど」

「リーホ川か。あの川の源流はセブンフロー近くにある。竜玉が雨などで流され川を下ったとい

うことかな」ターニがマーキーの話しに追随した。

「では、まず間違いないですね。あの玉はあの時、トゥリダンの目から流れ落ちたものに」エー

グはついそう言ってしまった。

「ト、トゥリダンですか?」マーキーはその言葉に怯えた表情を示した。彼女は子供がいるとい

ってもまだ若い。五年前の当時ではまだ、トーセの掟に縛られている年齢のはずだ。自分の運が

悪ければトゥリダンの生贄にされた可能性もあるのだ。その時の心にすどう恐怖というものを今

思い出したのだろうか。女性にとって「トゥリダン」という言葉は禁句であったのだ。

「大丈夫だ、この玉にはトゥリダンの魔力や呪いなどはない。それよりも、トゥリダンを倒すた

めに必要なものなのだ」ターニは彼女の動揺を取り払おうとした。エーグは余計な事を言ったと

いう表情で申し訳なさそうな顔をした。

「でも、トゥリダンはジーケンイット様によって退治されたのではないのでしょうか?」

「ああ、確かにそうだ」ターニも言葉の選択を誤り、答えに窮してしまった。

 その時、外の方でカウホースがいななく声が聞こえ、それと共に、剣を交える金属音も聞こえ

た。ターニはそれを聞くと「エーグ、お前はここにいろ」と命令して、入り口から外に出た。駆

けだしながら剣を抜き、警備兵たちが留まっていた工場の入り口まで走った。三人の警備兵のう

ち二人は胸元に矢が突き刺さっており、残りの一人も腹部や脚から血を流して絶命している。タ

ーニは敵の存在を察知し身構えた。その瞬間に何かが風を切って飛んでくるのを剣を振りかざし

防いだ。足元に折れた矢が転がると、続けざまに矢が向かってきた。ターニは背中のベーシクの

楯を掴み、防御しながら方向を確認しつつ、荷台の陰に隠れたが、矢は容赦なく荷台にも突き刺

さってくる。

 態勢を整えようと一呼吸したが、荷台の上から敵が短剣を振りかざしながら上半身を乗り出し

てきた。ターニはその敵の攻撃を交わすと、その男の短剣は勢い余って荷台のカバーに突き刺さ

った。ターニはその男の腕をそのまま掴み、引きずり降ろした。ドタッという鈍い音と共に男が

地面に叩き付けられると、ターニはすかさず剣の柄を男の胸部に突き当て、男を気絶させた。

 荷台の陰から顔を覗かせるとまだ矢は降ってくる。ターニはその方向を確認しつつ、倒れた男

の短剣を手に取ると、狙いを定めつつ飛びだしながら矢が飛んでくる方向に投げつけた。矢が一

本ターニが動いた軌跡上に突き刺さったと同時に、短剣が飛び去った方向の木陰に「ウォー」と

言いながら男が落ちた。

 今一度、敵の姿を確認した。見すぼらしい感じの髭面をした見た目にも風体の良くない男だ。

だが、ターニは何かこの男に記憶があった。敵の顔というよりは男から滲み出ている気配という

か匂いに覚えがあった。だが、それと同時に自分が策に乗せられてしまったことを知った。咄嗟

に剣を握るとさっきの小屋に向かった。陽動に乗った自分の甘さにターニは歯ぎしりする思いで

あった。

 小屋は見た目にはさっきまでと変わりない。だが、ターニはすでに異変を感じていた。小屋の

窓際に寄りゆっくり中を覗いた。中にいるマーキーと娘の姿が正面に見えた。だが、その表情は

妙に強張っている。青山たちは窓際の壁にいるために後ろ姿がはっきり見えない。そして、エー

グの姿が見えないのが気になった。ターニは忍び足で入り口まで戻り、どうするか考えた。既に

自分は敵の術中に陥っていることを悟り、中の人間の安全を考慮して、そのまま策に乗ることに

した。

 ゆっくり扉を開けると、目の前に剣が翳された。ターニは動揺する様子も見せず、翳された剣

越しに正面を見た。マーキーとイーウがいた所には一人の男が立っており、青山たちは部屋の隅

に追いやられ、二人の男に剣で脅されていた。エーグは負傷したようで右手から血を流し、苦痛

にあえいでいる。だが、そこには一人欠けている人物がいた。

「久し振りだな、ターニ、こんなところでお前に会うとは思っても見なかったよ」正面の男はタ

ーニを凝視し、嘲笑するように言った。

「き、きさまはグッチ」ターニは驚いた。目の前の男はかつて自分の仲間であった男、そして、

自分の愛する者の命を奪った男だ。

「ほうー、俺のことを覚えていてくれたのか?嬉しいな。しかし、お前が生きているとは知らな

かった。てっきり、あの時、野垂れ死にしていると思っていたのにな。しかも、王朝の中に潜り

こんでいるとはな。うまく、したもんだ」

「・・・・・・」ターニは目をたぎらせたままグッチを見据えた。

「おい、そいつから剣をもらっておけ、油断ならない男だから気を付けろ」グッチはターニに剣

を翳している男に命令した。男はターニを見ながら手を剣の柄を握り、それを奪い取って自分の

足元に置いた。楯は攻撃にならないのでそのままにしておいた。

 ターニも今は素直になるしかなかった。「グッチ、なぜここにいる?なぜ、我々を襲うのだ」

「ふっ、きさまたち、というか王朝が捜し物しているのは知っている。これだろ」グッチは掌を

広げ二つの竜玉を見せた。「これが、お前たちにとってどんなに大事かは知らん。だが、王朝が

探しているのだから、それなりの価値はあるのだろうな。そして、これをジーフミッキのところ

に持っていけばかなりの価値になるのだろうよ」

「何だと」グッチは何を知っているのだろう。ターニは警戒した。

「驚いたようだな。我々の仲間がコーキマにいた。そして、ジーフミッキの通達によりトゥリダ

ンの涙とか言うものを探すよう言われたらしい、そのことを俺たちは知って協力しようとしてい

たんだよ」ターニの背後の扉はまだ開いていて、そこにもう一人男が立ちふさがった。

 ターニは後ろを振り返らなくても相手が誰か分かった。「ザーワ、きさまもいたのか?」

かつて、ターニが加わっていた犯罪集団のボス、ザーワは巨体というべき大男で、強靱な肉体を

持つ荒武者である。顔には深い傷が皺のように彫り込まれ、長い髪を後ろで束ねていた。

 ザーワはターニの背後に寄り、後ろから顎に手を当て、強引に顔を向かせた。ターニは険しい

目つきでザーワを見たが、以前とは違うザーワ表情に少し意外さを感じた。ザーワの面はどう見

ても人間とは思えない、狂気染みた形相をしている。

「ターニ、きさまが王朝の犬になっているとは俺も驚いた。昔のお前を城の奴らは知らないのか

?物を盗み、人を脅し、命を奪った。今のお前はその罪滅ぼしの為にジーケンイットの下僕に成

り下がったのか?」ザーワはターニの顎を力を込めて握った。わずかな苦痛がターニの顔面に走

る。

「ザーワ、お言葉だが、俺は人殺しだけはしていない。きさまらのように保身の為に殺したこと

はな」

「じゃ、今は城の為に人を殺しているのか?王朝に歯向かうものを王の傘の下で正当化させ、王

朝の利益になるように。だが、人殺しには変わらない。人間の命を奪うのだ、どんな正当な理由

があろうとそれは同じ、つまり、俺たちと変わらないということさ、それこそ不公平だな。俺た

ちは罪人にされ、お前は賛辞を受ける。だが、あの世では同じ罪人だ。だから、早めに送ってや

る。これ以上罪を重ねないようにな」ザーワはターニから手を離した。「ターニを表に連れだせ、

俺が最後を見とってやる」

「ザーワ、それは俺の役目だ。昔取り逃がしてしまったからな、今度こそは仕留めてやる」グッ

チがそう言いかけた時、奥の部屋に通じる扉が開いた。

 用をたしに奥の部屋のトイレを借りに行った土田が、この騒ぎのことも知らずにすっきりした

表情で、のこのこと出てきたのだ。土田は何がどうなっているのという表情でキョトンとした。

それは、グッチたちにも同じことで予想外の出来事にしばし我を忘れてしまった。

 ターニはその隙を見逃さなかった。瞬時にしゃがみこみ、剣をかざしている男の腹部に強烈な

肘打ちを食らわし、男が吹っ飛ぶと同時に自分の剣を取って、倒れていく男を切り付けた。エー

グも機敏な反応を示し、怪我をしていない左手でそばにいた男の顔面に下方からアッパーを食ら

わし、のけ反って剣を離した瞬間、それを手に取りもう一人の男に投げつけた。男は一瞬の出来

事で何が起こったのかもわからず、眼を見開いたまま口から血を流した。その間にもターニは前

進し、グッチに立ち向かおうと剣を振りかざした。グッチも咄嗟のことにターニの攻撃を交わす

のが精一杯で、手に持っていた竜玉を落としてしまった。二つの玉は別々の方に転がった。グッ

チはターニから逸れると、そのままの勢いで窓をぶち破り、外へ飛びだした。

 土田は事態の状況をすぐに把握し、転がっている一個の竜玉を手に取り、青山たちがエーグの

後に付いて入り口から外に出ようとするのに続こうとした。もう一個は走ろうとした史子の足に

当たったのでそのまま彼女が手に取った。しかし、入り口の前にはザーワがおり、出てきたエー

グに足蹴りを食らわせた。倒れ込むエーグに切りかかろうとするザーワをターニの楯が止め、甲

高い金属音がこだまする。美砂たちはその戦いを避けながら、四方に逃げた。青山は倒れている

エーグを引きずりながらも、ザーワから離れようとした。美砂と土田は上手く逃げたが、史子だ

けは慌てていたためか反対の方向に逃げてしまった。そして、そこにはグッチが待ち構えていた。

 ターニとザーワの戦いは続いていた。ザーワの強大なパワーが剣全体に伝わり、ターニを打ち

負かそうと重圧的な威力を押しつけている。ターニはそれを体全体で受け止めつつも、巧みに相

手の力をまともに受けないよう剣と楯で対抗した。力では勝てない。ザーワの事を昔から知って

いるターニには分かりきっていることだった。ターニは形勢を覆すためにも、相手の欠点である

動きの緩慢さの隙を探した。

「ターニ、俺に勝てると思うのか、きさまのようなやわな男が!」ザーワは豪語しながらも剣を

振りかざしてくる。

 後ろに下がるしかないターニだが、ザーワが一呼吸余分に剣をかざした瞬間を見抜き、後ろへ

は下がらず、側面に交わした。ザーワはそのままの勢いで体をつんのめかせ、前方に大きく一歩

進んだ。ターニはすぐにも態勢を整え、剣をザーワの脇腹に突き刺した。手応えのある感触がタ

ーニの腕に伝わる。ザーワの肉体を貫いた剣にどす黒い血が染み出てきた。ザーワは持っていた

剣を落とし、反対の手でターニの顔を掴もうとしたが、それを交わしながらターニは剣を抜き去

り、後方に飛んだ。ザーワの傷口からは噴水のように血がほとばしる。そのままの勢いでザーワ

は倒れ込み、少しだけ砂ぼこりを上げた。

 ターニは相手が息絶えたのを確認したが、気を休める暇もなかった。ターニの背後からグッチ

の叫ぶ声が聞こえたからだ。

「ターニ、そこまで」

 グッチは史子の背後から彼女を羽交い締めにし、その喉元に短剣をかざした。

「剣を捨てろ、この女がどうなってもいいのか!」悪辣な笑みを浮かべ、グッチはターニに迫っ

た。

 ターニは剣を構えたまま、動きを止めた。グッチのことを失念していたことにいまさら気付い

たが、どうすることもできない。史子も恐怖の極限という表情で震えながらもグッチのなすがま

まであった。

「さあ、どうするんだ。人殺しのお前には他人の命など、どうでもいいのか?」グッチはターニ

を挑発しようと、辛辣なセリフをはいた。そして、あることにもやっと気付いた。「ターニ、こ

の女、昔のお前の女に似ているな。肌の色や髪は違うが、顔だちはそっくりだ。あの女の事は俺

もよく覚えているぞ、お前の女とは知らなかったが、結構いい女だったな。あの時の事を思い出

すぜ。いろいろ楽しませてもらったからな。そして、俺が止めの剣をかざしたんだ。この女も同

じようにしてやろうか?」

 ターニは心の中に仕舞い込んだ怒りというものを今甦らせた。そして、復讐という片時も忘れ

なかった言葉が今脳裏を過った。スウーイの顔が目に浮かんだ。美しく、しおらしい女、そして、

ターニの生き方を変えた最愛の女。スウーイの笑顔が幻影のようにターニを取り巻く。その幻影

がぼやけ始め、再び焦点が定まってくると、そこには史子の姿があった。ターニは一度無くしか

けた冷静さを取り戻し、彼女のことを案じた。史子をスウーイの二の舞にするわけにはいかない。

あの悲しみを二度とは味わいたくは無かった。だが、どうすればいいのか?凍えたような時間が

対峙する二人の間に留まっていた。

 

         3

 

 青山はエーグを安全な場所まで連れていき、土田のところに駆け寄った。「大丈夫か?」

「ええ、でも、史ちゃんが・・・」

「くっそー、卑怯な奴だ」二人にもどうする事もができなかった。今はターニの出かたを見るし

かない。

 だが、事態はまだ悪い方向に向かい、土田はそれに気付きながら信じられない恐怖を感じた。

「あ、青山さん、あれっ」土田が指差した方向を青山も見たが、それは驚愕の光景であった。

 死んだと思われたザーワがゆっくり立ち上がった。それも腕を使ってではなく、何か見えない

糸に引っ張られるように、そのままの状態で立ち上がり、見開いていた眼を土田たちに向けた。

だが、その瞳は既に人間のものではなくなっていた。精気の宿らないまるで死んだ魚のような濁

った眼だ。腹からは血が流れているが何も苦痛を感じていないようだった。ザーワは地獄の底か

ら聞こえてくるような響く声で言った。

「お前たちそのトゥリダンの涙を渡せ、さもなくば一瞬にしてお前たちを八つ裂きにしてくれる

ぞ」

「青山さん、あいつ、ゾンビですか?」

「さあね、俺は死人には知り合いがいないんで」

 青山と土田は逃げようとしたが、かな縛りにでも出くわしたみたいに動きが取れなかった。タ

ーニはこっちの事に気付いているのかどうか分からないが、グッチと睨み合いを続けている。

 ザーワは一歩踏みだし、大きく口を開けた。すると、火の玉のような火球が二人の足元に飛び

散った。そのことで呪縛がとけたかのように二人は後方に退いたが、逆に走って逃げることが出

来なくなった。

「一体、あいつは何なんですか。ゾンビがくるりと火を吐いたとでも言うのですか?」土田は怯

えながら言ったが青山にも解答がない。

「さあね、俺もゾンビには知り合いがいないんで、何とも言えん。ただ、竜がいる世界だろ、何

がいてもおかしくないんじゃないか?」

「やっぱり、冒険に出たのは間違いでしたかね」

「俺もそう思うがもう遅い」

「さあ、死にたくなかったら、それを渡せ!」ザーワは怒声を強くした。

「渡した方がいいですかね」

「俺もそう思うが、それでは男がすたりそうだな」

 二人にはなす術がなかった。

 

 ターニとグッチが睨み合う中、史子は少しずつ冷静さを取り戻していた。自分の為にターニが

窮地に陥っている。それを何とかしなければならないのだが、首に巻きつくグッチの腕の力は相

当なものであり、短剣の先が喉元かすめていたのでは無理な動きができない。だが、彼女は手の

中にある竜玉のことを思い出し、悦子から聞かされた竜玉の奇跡を脳裏に巡らせた。

 史子は心の中で強く念じた。

───この事態をなんとかしください。ターニさんを助けてください。

 その願いが通じたのか、竜玉を握る手にほのかな暖かみが伝わってきた。指の隙間からチラリ

と竜玉を覗き、強い光りがもれているの知った。その瞬間にも史子は左手を動かし、グッチの目

前に掲げて、掌を広げた。

 不意を突かれたグッチはその貧しい閃光に目を眩ませ、史子の首ねっこを押さえていた左手で

目を覆った。目を瞑っていた史子はそれを察知し、するりと抜け出してグッチから離れようとし

た。しかし、逆にグッチも史子が離れたことを感じ取り、このまま逃がすかという思いで短剣を

振りかざしたが、竜玉の閃光が目に焼きつきまだよく見えなかった。ぼやけた映像の中に人の陰

を感じ取って、その方向に向けて短剣を投げつけた。史子はそれを交わそうとして身を翻したが

、足元にアクアの管があり、それに躓いて転び気を失った。そして、短剣は史子を飛び越え、彼

女の背後にあったアクアの樽に突き刺さった。樽からはアクアがこぼれだし、地面に流れていっ

た。

 ターニも閃光を目の当たりにしたため、瞬時には動けなかった。だが、グッチの動きを気配で

感じ取り、決着をつけようと剣を構えて突き進んだ。

 まだ、視力が戻らないグッチは手を伸ばしあたりを探っている。ターニはグッチの前で剣をか

ざした。「グッチ、きさまと勝負を付ける時が来たな」

「ほざくな、お前は俺が殺る。最初にお前と会った時から、気に喰わなかったんだ。一度は取り

逃がした。しかし、今度はそうはいかん。お前もあの女の下に送ってやる」グッチもターニの気

配を感じつつ回復しだした視界にターニを捉え、腰の鞘から剣を抜いた。

「きさまに言われなくても、俺はスウーイのところへ行く。だが、それは自分の意思で行くのだ。

きさまの手は借りぬ」

「だが、お前も罪を重ねている。女と同じ世界に行けるとでも思うのか?お前も結局俺たちと同

じ悪人の世界に落ちるだけなのだ」

「ならば、グッチ、きさまが先に行け、私も後から行ってやるから、座席でも取っておいてもら

おうか!」

「なんだと!」グッチは剣を振りかざして攻撃に出た。ターニは楯を捨て、剣だけで戦いに挑ん

だ。グッチが剣を突き出せば、ターニがそれを交わしつつ、次の攻撃に出る。そして、それをグ

ッチが避けながら再度攻撃に出た。

 グッチは単なるその辺のはぐれ者ではない。今までこうして生きてきたのも百戦錬磨の戦いを

凌いできたからこそだ。よってターニとの剣の技量も五分五分に近い。だが、心は違っていた。

ターニはジーケンイットやヒロチーカたちと出会い、本当の人間の心というもの知った。親から

も昔の仲間からも授からなかったモノ、そしてスウーイとの出会いで知った愛をターニは持って

いた。その違いは剣を司る者にとっては大きな隔たりがある。ターニはその全てを会得していた。

 ターニは数歩下がって、剣を構えなおした。グッチも同じようにしたが、彼はかなり息が切れ

ていた。ターニは目をつぶり今一度精神を集中させた。心に宿った怒り、迷い、悲しみ、そして

復讐心を捨て去った。すべての邪念を葬り去り、剣を司る者が本来持つべき、清廉な心を満たし

た。

 グッチは死んだように立ち止まったターニを見て怯えた。ターニの姿に神々しいほどの光を見

た気がしたからだ。何がこの男をこんなにまで変えたのか?単に自分と同じ、日陰の人間ではな

かったのか?グッチは言い知れぬ恐怖と、怒りに震え、ターニに向かっていった。

「死ねー、ターニ!」

 グッチの剣がターニを切り裂こうとした時、目を閉じたままのターニはまるで見えてるがのご

とく、それを交わしつつ、軽やかな動きの中で剣を振り降ろした。剣の先が地面に触れる前に止

まると、それと同じくしてグッチの動きも止まった。ターニが目を静かに目を開くと、グッチは

小さく「ウッ・・・さ、先に行っているぞ・・・」と言葉を発し、その場に倒れた。

 

 ザーワは二人の男から目を離さないようにしながらも一歩ずつ近づいてきた。そして、からか

うがごとくわざと的を外して、火の玉を吐きだしている。だが、グッチの短剣が突き刺さった樽

から流れ出たアクアが彼らの間に流れ込んできた。ザーワはそれにも気がつかず、火の玉を放出

していたが、その一つがアクアに引火した。燃えだしたアクアは導火線のように炎を巻き上げ、

樽の方に突き進んだ。

「ツ、ツッチー、確かアクアは石油と同じだとか言っていたな」

「ええ、そうです」

「じゃ、これは非常にまずいわけだな」

「ええ、そうです」

「なら、逃げろ!」二人はザーワのことを考えず一目散に走った。遠くにいる美砂たちにも「伏

せろ、爆発する!」と青山が怒鳴った。

 ザーワも二人が走り去ったのに気付いたが、引火したアクアの方に気を取られた。いくら死人

でもどうなるかは判断できた。だが、その巨体では咄嗟の行動に移れなかった。

「あっ、青山さん」土田は急に立ち止まった。「史ちゃんがまだ」

「うっ、しかし、もう間に合わん。ターニに任せるんだ」青山は戻ろうとする土田を引っ張り、

目の前の排水路のような浅い堀に飛び込んだ。引っ張られた拍子に土田は握っていた竜玉を落と

してしまい、それを拾おうと溝の縁から頭を出したが、青山に「何やってんだ。頭を引っ込めろ

」と強引に引き戻され、青山は土田を庇うように上に乗った。

 

 グッチを倒しても、ターニの落ち着きはそのままであった。だが、そんな悠長に構えてはいら

れなくなった。ターニの視界にもアクアに引火した火の帯がこちらに向かってくるのが分かった。

樽は彼の前にある。今からでは到底逃げおおすことは不可能だった。しかも、史子が少し離れた

ところで横たわっているのを思い出し、それを見殺しにはできなかった。ターニは史子に向かっ

て駆けだしながら、ベーシクの楯を拾った。ターニの前をアクアの火柱が突き進む。それを飛び

越えターニは史子の上に覆いかぶさり、樽の方に向けて楯をかざした。

 その瞬間、引火したアクアの炎は樽にまで達し、その中のアクアに燃え移ると同時に樽を吹き

飛ばした。耳をつんざくような轟音と、眩いばかりの閃光、そして太陽のように赤くたぎった炎

が散らばり、四方を火の海にした。

 

 青山の背中が熱気を感じ、激しい熱風が体をかすめ、髪の毛が少し焦げたような気がした。耳

は両手で押さえられていたが、爆発が起こった瞬間にキーンという耳なりがしたかのように麻痺

状態に陥った。土田も大地に横たわっていたため、揺れを感じ、生きた心地がしなかった。エー

グは運よく青山が溝の近くまで運んでくれたのですぐに隠れる事ができていた。

 美砂は青山の叫び声を聞く前からマーキー親子と共に走りだし、工場の建物の陰に隠れた。そ

の瞬間に炸裂は起こり、建物の横を爆風と真っ赤な炎が駆け抜けていくのを耳を押さえながら見

ていた。

 ターニも身体中に振動を感じていた。楯を持つ手が自分の意思でなく勝手に震えている。しか

し、ターニと史子自身には何も変化はない。楯の周りは真っ赤な炎で包まれていた。二人は完全

に炎の中に没していたのだが、ベーシクの楯はその力を見せつけ、完全に二人を防御した。耳に

伝わるべき炸裂音も聞こえない。楯の周りだけはまるで無音の状態になっていた。

 史子は体に感じた振動で少し意識を回復させていた。今の状況がどうなっているかは分からな

い。ただ、自分の上にターニがいるのだけは分かった。そのことが史子の心から不安を取り去っ

ていた。

 

 炎と熱風は一瞬にして終わってしまった。精製されていないアクアは瞬時にして燃え尽きてし

まう。それに樽に残っていた未精製のアクアが少なかったのもその理由だ。

 青山は爆発のあと、すぐに静かになった気がした。気がしたというのは耳が完全にいかれてし

まったのだと思っていたからだ。それでも、体が熱を感じないので、恐る恐る起き上がった。周

りにはところどころにくすぶっている炎が残ってはいたが、すでに爆発は消えていた。土田も青

山が体から離れたことで、何もかも終わったと思い、顔を上げて溝から外を見た。さっき落とし

た竜玉が吹き飛ばされていないか心配だったのと、史子とターニの安否が気になったからだ。

 竜玉は落としたところにあった。史子とターニも楯の陰に隠れて無事なのを確かめた。だが、

すべてが終わっていたわけではない。目の前には大きな火柱が燃え盛っていた。それは逃げ遅れ

たザーワの末路である。真っ黒に焦げた人間からは異臭が漂い、目も当てられない姿だ。土田た

ちは目を逸らそうとしたが、その燃え盛る人間の遺骸が膝から倒れ込んだ時、炎の中からもう一

つ別の人間の姿が現れた。

「げ、げ、今度は何だ!」青山はそうつぶやいたが、土田は次から次へと起こる現象に言葉を失

った。

 炎の中の人間は真っ黒な姿をしている。だが、それは焼け焦げた姿ではなく、そういう出で立

ちだったのだ。ザーワの巨体とは比べ物にならないその小柄な黒いものは炭となったザーワの体

を踏みつぶし、炎の中でも平然と歩きだした。ものには炎さえも燃え移っていない。

 黒いものの目が開いた。青白く光るその瞳は不気味でしかない。そしてそいつ、リーモはしゃ

がれた声で話しだした。「クックック、トゥリダンの涙は頂いていく」

「何!」土田がその言葉を聞いて、すぐにも落ちている竜玉を拾おうとしたが、リーモの動きは

人間業ではなく、土田が動く間もなく竜玉を手に取った。

「これは、頂いていく。カーミ様が待ち望んでおられるのでな!クックック」そう言いつつ、リ

ーモは後ろ向きに飛び跳ねるように逃げ去ろうとした。青山たちもこれまでかと思ったが、竜玉

を手にしたことで気を抜いていたリーモは、背後から迫りくる危険を察知できなかった。

 強烈な美砂の回し蹴りがリーモの胴体部分に炸裂した。リーモは前方に倒れながら、竜玉を取

りこぼすと、美砂はすぐにもそれを拾い、青山たちのところに駆け寄った。

「そうは、問屋が卸さないわよ」

「さっすが、松浦さん、いいとこで登場しますね」土田がしてやったりと拍手した。

 だが、リーモはすぐに立ち上がり、青白い目をたぎらせた。「お前たち、命だけは助けてやろ

うと思ったが、もう容赦しない。まとめて炎の中にうずめてやる」

 その言葉に青山たちもたじろいだ。一難去ってまた一難。命が幾つあっても足りない状態だ。

 リーモは目の下にある見えなかった口を広げ、炎を放った。もう駄目かと美砂たちは観念した

が、ターニの持つベーシクの楯が彼らを守った。

「た、助かったよターニさん」土田は感謝の言葉を気が抜けたように言った。

「しかし、この楯だけでは相手を倒せない。奴は多分、魔女の下僕だろう。シーゲンの矢か、コ

ーボルの剣があればなんとかなるのだが、楯は防御するものだからな」ターニも打つ術がない。

敵も炎だけを吐くとは思えず、このまま埒が明かなければ次の手に出るはずだ。ターニはどうす

るか冷静に考えた。その時、美砂が手にしている竜玉が目に入った。

「ミサさん、その竜玉を光らせてくれ。竜玉自体ではトゥリダンやその仲間を滅ぼすことはでき

ない。だが、その力をこの楯を借りて使えば倒せるかもしれないのだ」

「で、でも、私、一度もこの玉を光らせたことがないのですよ。無理です。私には、絶対に」美

砂は急に弱気な態度になってしまった。

「だが、フミコさんはまだ意識がはっきりしない。これを使えるのは同じ街の女性、あなたしか

いないんです。心から願えばいい。力を貸して欲しいと竜玉に念じればいいんです」

「松浦、お前ならできる。俺は松浦に賭けるから、自分の本当の力を出すんだ」青山が真剣な顔

で励ました。

「そうです、松浦さん。僕も松浦さんを信じます。この難局を乗り切るのは松浦さんの力だけな

んです」土田も懇願するように松浦を見つめた。

「わ、分かったわ。やってみる」松浦は竜玉を握りしめ、一心に願った。自分が助かりたいとい

う思いなどなく、ただ、ここにいる皆を救って欲しい、目の前の悪魔を倒して欲しいと願った。

一切の邪念を捨て、願いが適うことだけを意識に集中させた。

───お願い、私にも、私にも力を貸して!

 美砂は手の中に今までとは違う暖かみを感じた。それが自分の心の中に入り込んでいくように

思われると、体中が熱くなってきた。

 青山と土田も、美砂と同じように目を閉じ、力を貸してくれるよう願った。

「いい加減に、観念しろ!素直にトゥリダンの涙を渡すんだ。今度は炎だけではすまないぞ!」

リーモは相手に苛立ち、最後通告をのたまった。

 美砂は竜玉が力を貸してくれた事を悟った。目を見開いて、掌を広げると眩いばかりの光が放

たれ始めていた。

 ターニもそれを確認し、楯を動かした。松浦が放った光りを楯の表面で反射できる位置まで傾

け、「よし、光をもっと放つんだ。強く念じろ」と美砂に指示した。

 美砂はその言葉を受け、もっと光をと心に叫んだ。すると、竜玉からは眩い光が放射され、そ

れはベーシクの楯に跳ね返り、リーモ目掛けてまっすぐ向かった。光の広がりは一瞬にしてリー

モにたどり着き、悪魔は逃げる間もなく光に包まれ、「グェェェー・・・」と断末魔の悲鳴を上

げのけ反りながら、その肉体を消滅させていった。

 「お見事!」ターニは彼らしからぬセリフをはき、少しだけ微笑んだ。

 美砂は自分のしたことで放心状態に陥り、しばらくボーッとしていたが、青山に「さすが、松

浦」と肩を叩かれ、我に帰った。

「えっ、うそー、私、私があいつを倒したの?竜玉が光ったわ。私にも出来た。私にも・・・」

美砂は自分の行為に歓喜し、飛び上がった。「ねー、見た、見た。私にも竜玉を光らすことがで

きたの。あれだけできなかったのに」

「ああ、松浦もやっとやましい心が無くなったようだな。それにあの光、史ちゃん以上の強さだ

ったな。お見逸れしましたよ」青山は松浦に敬服した。

「いえ、いえ、青山さんたちも願いを込めてくれたお陰ですよ」高飛車になってはいけないと少

しだけ謙遜してみせた。

「んー、松浦さんが光らせるとは、見掛けによらなかったな。でも、あの化け物、光で死んだ以

前に松浦さんの蹴りで既に死んでいたんではないだろうか?」土田が、また余計なことを言いだ

した。

「何ですって、私は『北斗の拳のケンシロウ』か、ツッチーにも蹴りを見舞わしてあげようか?

」松浦は逃げようとする土田を追いかけ回した。

 ターニは史子のところに戻り、彼女を抱き上げた。すでに意識の方は戻っているようで、はっ

きりした口調でターニにきいた。「皆無事ですか?竜玉も大丈夫ですか?」

「ああ、皆無事で、竜玉もちゃんとある。全てフミコさんとあなたのお仲間たちのおかげだ」タ

ーニは笑顔でそう答えた。           なだ

 美砂が土田を捕まえようとしていて、それを青山が宥めている。その姿に史子も心の安堵を覚

えた。そして、ターニもその姿を見て、「素敵な人たちだ」と笑ってみせた。

 

         4

 

 その日、アクア精製工場で彼らは泊まった。アクアの爆発は残存量が少なかったため、瞬時に

引火しただけで、大きな被害を及ぼさなかった。他の樽はほとんど空であり、また、建物等も耐

火に強い木材を使ってあるため、瞬間的な爆発だけでは延焼までには至らなかった。マーキー親

子も怪我一つ無く無事であったが、警備隊の兵士三人がザーワたちの犠牲になったことだけは残

念であった。彼らの遺体は近くの警備隊分署のものに引き取られ、それと同時にザーワ一派の遺

体も運ばれていった。ただし、ザーワの遺骸はすでに回収不能、グッチも完全に燃えてしまって

いた。

「大変な迷惑をかけてしまいましたね。施設の損害に関しては政務省の方から補償してくれるは

ずです。戻ったらきちんと報告しておきます」右手を負傷したエーグはマーキーに手当てしても

らいながら、そう説明した。

「いえ、こちらこそ。たとえあなた様方がお見えになられなくても、あの者たちは来たでしょう。

そうなれば、私と娘の命は無かったのも同然です。それに、あの炎の中から現れた化け物もそう

です。お礼を言わせて頂くのは私たちのほうです」マーキーは彼らに心から感謝していた。

 史子と美砂はマーキーの部屋の台所を借りて、食事の用意をしていた。小さなイーウも手伝い、

部屋の机には料理が並べられた。

「さあ、できたわよ。ここの世界の料理はよく分からないけど、地球と同じ様なものはあるから

適当に考えて作ったわ。調味料なんかはないけど、逆にヘルシーなものになったかもね」美砂は

久し振りに料理の腕を奮って張り切っていた。

「いやいや、松浦さんの料理なら何でもおいしいはずですよ。そっちの方の腕も僕も認めていま

すから」美砂の手料理を食べたことがある土田はそう褒めたが、美砂は言葉の刺に気付いてた。

「ツッチー、『そっちの方の腕も』の『も』とはどういう意味よ」

「いえ、何でもありません。松浦さんの考えすぎですよ。さあ、食べましょう。僕、もう、おな

かがペコペコです」土田は誤魔化しながら、席で姿勢を正した。

 史子とイーウが残りの料理を運んできて、一通りの支度は整った。

 史子はターニがいないのに気付いて尋ねた。「ターニさんはどこに?」

「さあ?さっき表に出ていったみたいだけど、呼んでこようか?」青山が席を立とうとしたが、

史子が「じゃ、私が行ってきます」と青山を制して外へ出た。

 二つの夕日が砂漠の地平線に沈もうとしている。ここから見える砂漠は洛陽の光によって黄金

色に輝いて見えた。それは実に美しい景色であり、眩しさに目を細めながらも、その光景から目

を離すことができない。そのきらめきの中に人の影が陽炎のようにぼやけて見えた。

 ターニは一人、沈みゆく太陽を眺め、遠くを見つめていた。背後から人が歩いてくる気配を感

じ、ゆっくりと振り返った。

「ターニさん、夕食ができましたから、いらっしゃって」フーミは穏やかに言った。

「そうですか。でも、私はいいです。もう、少しここで」ターニは史子を見つめながら、ゆっく

り話した。

 史子はそのターニの顔に以前とは違うものを感じた。いつもの、緊張感、何に対しても決して

警戒心を解かない鋭さというものが今は無い。ターニの瞳には今まで見たことのない優しさと暖

かさがあるように思えた。史子は料理の支度をしながらずっと考えていた。史子を捉えていたグ

ッチの言った言葉を何度も思い出していたのだ。あの時の女とは何なのだろう?そして、その女

性が私に似ている?史子はしばらく考えて、ターニの過去に何があったのか何となく理解でき、

理解できたことを後悔した。それはターニの心の中を踏みにじるようで、赤の他人である自分が

踏み込む領域ではなかったのだ。ターニは自分にその女性をダブらせていたのだろうか?ターニ

が自分を見る目は、他の人に対する目と少し違うことに史子は以前から気付いていた。そして、

自分も無意識のそのことに対する反応をしていたのではないだろうか?ターニに引かれるものが

あったことは否定しない。だが、それ以上のことは無理なのだ。ターニの心にはある女の人が生

きている。永遠の人が・・・。

 そして、今ターニには心の中に残っていたわだかまりが消えたようであった。表面には決して

出さなかったが、復讐という言葉だけは心深くに刻まれていた。その復讐を成し遂げたから、す

べてから解放されたのだろうか?いや、そうではない。ターニは剣を持つ人間としてのその頂点

を極めたのだ。グッチとの戦いにおいて、彼は無の境地に至った。グッチを倒したのは彼の剣の

腕ではなく、心の技が完全なものになったからだ。そのことは彼の深層にある負の邪心を取り払

った。そして、今ターニは全ての罪を償い、真の人間になりえたのだ。

「たまには皆と食事をしませんか?ターニさんと、もっといろいろお話しをしたいですわ。ジー

ケンイット様と過ごした冒険の話なんかを?」史子は自然に誘っていた。

 ターニもその言葉を待っていたかのように、何の躊躇いもなく答えた。「そうですね。たまに

はそういうのもいいかもしれません」ターニは微笑んだ。それは彼が今まで一度も見せたことの

ないような本当の微笑みだった。

 史子の後に続いてターニも歩きだした。そして、彼は小さくつぶやいた「ありがとう。フミコ

さん」

「えっ、今何かおっしゃいました?」史子は振り向いてきいた。

「いえ、何も、さあ、行きましょう」ターニはもう一度笑ってみせた。

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください