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トゥリダンの逆襲

 

 

          いつか見た街、いつかきた土地、おぼろげな記憶の中の故郷。

 

          誰の心にも懐かしい街の面影が焼きついている。

 

          偶然に立ち寄った景色の中に自分の過去を見つけるかもしない。

 

          そして、そこが本当の魂のふるさとなのだ。

 

          思い出して欲しい、自分の生まれた街を、

 

          思い出して欲しい、そこで出会った人たちのことを、

 

          思い出して欲しい、そこで得た大事なものを・・・・・・。

 

 

 

    それから壮大なしるしが天に現れた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、そ

   の頭に十二の星の冠をいただいていた。この婦人は身ごもって、陣痛の悩みと苦しみの叫びをあ

   げていた。また天に他のしるしが現れた。七つの頭と十の角を持ち、頭には七つの冠のある赤い

   竜がいるのが見えた。それは天の星の三分の一を尾で掃き寄せて地上に投げた。竜は出産しよう

   とする婦人の前に立ち、生むのを待ってその子を食おうと構えた。婦人は男の子を生んだ。この

   子は全ての異邦人を鉄の杖で牧するはずの者であって、神とその玉座のもとに上げられた。婦人

   は荒野に逃れたが、そこには一二六〇日の間婦人を養うために神が備えられた避難所であった。

    そうして天に戦いが始まった。ミカエルとその使いたちは竜と戦い、竜とその使いたちも戦っ

   たが、しかし竜は負けて、天に彼らのいる所がなくなった。大きな竜、すなわち、悪魔またはサ

   タンと呼ばれ、全世界を迷わすあの昔の蛇は、地上に倒され、その使いたちも共に倒された。

    地上に落とされたのを知った竜は、男の子を生んだ婦人を追ったが、婦人には荒野の自分の避

   難所に飛ぶために大鷲の二つの翼が与えられたので、蛇を離れて、一時、二時、また半時の間に

   養われた。蛇はその口から川のような水を婦人の後ろに吐いて水に溺れさせようとしたが、地は

   婦人を助けようとその口を開き、竜がその口から吐いた川をのみこんだ。竜は婦人に怒り、その

   子らの残りの者、すなわち神の戒めを守り、イエスズの証明を持つ者に挑戦しようとして出てい

   き、砂浜に立った。

                       新約聖書 「ヨハネの黙示録 第十二章」

 

 

 

プロローグ

 宮崎博明は夜中に目を覚ました。普段なら僧侶という聖職の身にも関わらず、何時間も熟睡し

て決して真夜中に飛び起きることのない男であるのに。

───なんや、この胸騒ぎは?マジに気味が悪いで・・・。女子大生の夢でも見ていた方がよっ

ぽどええやんけ。

 霊能者である宮崎は、普通の人間とは違う感覚を持っている。普段はそれを除霊や降霊に使っ

ているのだが、それだけではなく、超能力の部類に入る様々な力をも所持している。それが自然

や森羅万象に感応することもあるのだ。

───地脈の流れが妙やな。正常な動きやなく、乱れとる。なんが原因なんやろか。それとも何

かの前兆なんかいな・・・?

 宮崎にとっては経験したことのない感覚だった。見えない力が彼を取り巻くような、手が静電

気に触れたような心地だ。いや、以前にも同じ様なことがあった。今から二年ほど前のことだ。

だが、その時の現象はすぐに収まり、その後何も感じることはなかった。だから、その時は少々

神経過敏になっているか、女の子と遊んでいないストレスのせいと思っていた。だが、同じこと

が再び現れ始めた。そして、今度は大きな事が起こるという予感さえもしていた。

 宮崎は少し、思いを巡らせたが、考えたところでどうなるものでもない。何かが起これば自分

の出番かもしれないし、その時はその時だと、安楽な結論を導き出した。宮崎は明日遊びに行く

女子大学園祭の事に思いを移し、再び目を閉じた。─── 一九九五年の秋である。

 

 ノーマは城の裏側、かつてはオリトの森と呼ばれる地に続き、勇気ある者しか辿ることのなか

った山道を進んだ。鬱蒼と覆い茂る木々のため、日の光は地表に届かず、その暗さがこの道を行

く者を阻んでいた。滅多に人が通らないこの道はすでに道としての痕跡も無くなり始めている。

むろん、一人であるがノーマには暗闇に対する不安や恐怖などない。人間として完成された彼女

にとり、凡人が抱くような安っぽい単純な感情は存在しないが、勇気というほどの大それたもの

でもない。何事にも動じない普段の彼女のままで、それ以上に彼女には目的があってこの道を進

んでいた。彼女は仄かに光るランタンのようなグラスで覆われたランプを手に持っていた。森林

にすむ獣や虫たちも、珍しい来訪者に慌てた様子で石の陰などに姿を隠している。それは人が来

たという反応だけではなく、ノーマの威光がそうさせているのかもしれなかった。

 五分も歩くとノーマはその道を外し、急な斜面を登り始めた。女性には少々きつい急坂である

が、彼女は意とせず黙々と進んだ。その斜面を登り切ると目前に大きな黒い穴が現れる。ノーマ

はランプの火を大きくして、その中に向かっていった。ランプの明かりがノーマの前に道を作り

だす。その灯された光の先は行き止まりに達した。だが、そこは木を積み上げてあるものでその

中央には把手の付いたドアがある。ノーマはその扉を開いて、低い入口を中腰で潜って中に入っ

た。内部は、寒くも暑くもない適温で空気も乾いている狭い空間であった。四方の壁際に火が灯

され部屋の中を程よい明るさで照らし出している。扉の右側には小さなベッド、その反対側には

蓋の付いた大きな箱が並んでいる。そして、扉の真正面には木の机があり、その上にあるランプ

がこの部屋の中で一番明るく灯っている。揺れる炎が光と陰を造りだし、その光の奥に動く気配

があった。                       はかど

「ワーンお祖母様、御機嫌はいかがですか。トーセ編纂史の方は捗っておりますか?」ノーマは

自分のランプの火を落として足元に置いた。

「ノーマか、待っておったぞ。編纂史もそろそろ佳境に入ってきたのだが、私の時代にはそれほ

どの出来事が無かったかので、詰まらない出来かもしれないのー。お前がこれを書く時が一番面

白い物になるやもしれんがな。でもまあ、私がこの世を去る前には完成しそうじゃ」ワーンは年

寄り特有のしゃがれた声で話した。

 ワーンはノーマの祖母である。つまり先代の賢者にあたる。トゥリダン退治の直前にワーンは

ノーマに賢者の任を伝えた。ワーンはすでに七十を超えており、知識者としての才覚は全くの衰

えをみせたはいなかったが、体力の方だけはついてこれなかった。そこで、ワーンは孫であるノ

ーマに自分のもつ賢者としての力を全て伝承した。本来なら、賢者の継承は娘になされるものな

のだが、ワーンの娘、つまり、ノーマの母は彼女を産んですぐに亡くなってしまった。ノーマは

祖母のワーンに育てられ、若くして賢者の任を継いだのだ。ノーマは幼き頃から賢者としての教

育をワーンに厳しく受け、彼女もそれを素直に受け止めていた。子供らしい生活を過ごせなかっ

たが、それは自分の運命だと思い、邪念に負けることなどなかった。賢者の血を受け継ぐものの

生きる道とは、ある意味では過酷なものであった。

 ワーンは引退後この洞窟に移り住み、自分の生きた時代の歴史を綴っていた。これが、引退し

た賢者の最後の務めであり、歴史の真実を後世に残す大事な作業でもあるのだ。ワーンもここに

籠もり、数年が経っていた。命の灯し火が残り少ないのを感じつつ、最後の気力を振り絞ってこ

の最後の職務に精を出していた。

「何を仰るのですか、そんなお祖母様らしくもない。それが終わられてもまだいろいろと教えて

頂くことが・・・」

「んー、お前にはもう教えることは何もない。それよりもすでに私以上の存在になっておる」ワ

ーンは書き綴っている筆を止め、ノーマを見上げた。「そんなことより、お前を呼んだ訳を聞き

たいか?」

「ええ、何の御用でしょう。お祖母様のお呼びと聞いて駆けつけてまいりましたが・・・」ノー

マは本題に入ったので真剣な顔つきになった。

「ノーマ、お前は感じておるか?近頃の不穏な空気を」

「えっ、どういうことですか?それは?」

「なぜだとは私にも言えない。だが、何か気になるのじゃ。何かそこ知れぬものが・・・」

「お祖母様も感じていらしていたのですか」ノーマはワーンの指摘に少しだけ身震いした。「私

も、最近心に感じるのです。お祖母様の仰る通り理由は分からないのですが、妙な不安感を時折

抱くことがあります。空気の流れと言うか、地脈の乱れと言うか目には見えない物ですが、自然

の摂理が何かを訴えかけているのです」

「んー、やはりそうか・・・」ワーンは悩ましげに目を閉じた。

「しかし、トゥリダンは退治されましたし、ワミカとの和平も結ばれ戦争の不安もなくなったは

ずではないのですか?それなのに、なぜこのような胸騒ぎがするのでしょうか?」

「そのことがかえって災いを呼んでいるような気もするのじゃが・・・」ワーンを瞳を開き、怪

訝な目つきを示した。深い皺をより一層濃くして。

「どういうことです、それは?トゥリダンはジーケンイット様により、退治されたのでは?伝説

の三種の神器をもって・・・」ノーマは一歩前にのめり込み、普段見せない怯えた表情をあらわ

にした。

「確かにトゥリダンは滅んだ。しかし、本当に死んだのであろうか。あの強大な竜がそう簡単に

死滅したとは私には思えなくもないのだよ」

「それでは、今感じている不安はトゥリダンの復活があるということなのですか?」声を張り上

げてノーマは言い寄った。

「それは、断言できない。私の思い過ごしかもしれんしな」

「それならば、お祖母様どうすればよろしいでしょうか?」

「そうじゃな、下手に騒いでもシンジーマーヤ王がお困りになるだけであるし、街の人々を不安

がらせるのはよくないからの。ただ、ノーマ、それなりの準備、心づもりだけは怠らぬようにせ

ねばな。ターニにでも相談してみるのもいいかもしれぬ。あの男は頼れる者だからな」ワーンは

再び、老いた老女の顔に戻った。

「承知しました。それでは失礼します」

「うむ・・・」ワーンは筆を取り、再度執筆を始めた。

 ノーマはドアから出るとランプの明かりを大きくしたが、その歩みは鈍かった。ワーンの忠告

はノーマにとり、差し迫るものであった。自分自身が抱いていた取り留めのない不安を別の人物

に指摘されることで、より現実味を覚え始めているのだ。ノーマは賢者であって超能力者ではな

い。よって、的確な未来を予知することなどはできない。しかし、身につけた経験と神秘的な力

でその予兆というものを感じ取ることはできた。

───何が起ころうとしているのだろう?ワーンお祖母様の言うとおり、トゥリダンの影が蠢い

ているのだろうか?もし、それが本当なら・・・。

 ノーマの脳裏にはある女性の姿が浮かんでいた。このトーセを救った勇敢で愛に溢れていた女

性の事を・・・。

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