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 官能小説(2003.02.13)
 酒に酔って、またいつもの悪い癖が出た。
「ぼくはあなたと、合一したい」
「それは、三位一体ということですか」
「違います。三位一体ではなく、四位一体です。あなたとぼくの肉体が合一することによって、同時にあなたとぼくの精神が合一するのです。ひとりの人間に、肉体と、精神というふたつの要素。それがふたつあるから、合計四つ。したがって三位一体ではなく、四位一体です」
「そのように考えるのならば、やはり三位一体です。ユングは師フロイトが提唱した、無意識のさらに深層に、集合無意識として新たな概念を定義しています。集合無意識は、人間誰もが生まれながらにしてもつ意識層であり、この部分はみな同じものを共有しているのです。性欲という、ごく本能的な欲求も、おそらくこの原初的な部分から、表面の意識層に噴出してくるもののはずですから、肉体は別々でも、精神はまったく同一のものなのです。個々の肉体に、精神がひとつ、すなわち要素はみっつですから、四位一体ではなく、三位一体です」
 こんな御託並べずともたった一言、
「君とエッチしたい」
と言やあいいのだが、「セックス」と言わず、「合一」と言った方が、何にも増して昂奮するぼくは間違いなく、正真正銘の「コトバフェチ」なのだろう。
 なあに、ぼくだけがコトバフェチなのではない。現代人はすべて情報社会に毒されているのだから、みな少なからずコトバフェチなのだ。殊にひとつの文字が、それだけで意味をなす「表意文字」である日本語を日常言語とする日本人は、「表音文字」の羅列に過ぎない英語を公用語としている欧米人より、助平が多い。これは間違いない。
 心理学の激しい応酬を、言語学の必死な再応酬(=口説き)で薙ぎ払い、プラス酒の力を味方につけて、なんとか連れ込み宿まで漕ぎ着けることができた。敵の攻撃は厳しく、ここまで辿りつくのにもう、脳味噌も、それに司られる身体もぼろぼろになりかかっていたのだが、性欲の波がそれらをすべて洗い流す。なにしろこればっかりは、彼女言うところの深層無意識からほとばしるものなのであるから、心理学だの言語学だのヒトが付け焼き刃で編み出した小手先の技巧ごときが、太刀打ちできるものか。ここまできたら、あとは快感原則に身をまかせて、突っ走るのみだ。

 期待していた読者には大変申し訳ないが、もうさっそく、挿入に入る。ぼくはこれ以前の描写が得意ではないのだ。ある一定の昂奮が得られないとこれより先にすすめないという方は、即書店へ走ることをお勧めする。これより先へすすむ準備運動に必要な作品ならば、書店にて数百円で入手できる。図書館には置いてない場合が多いから、自腹を切って購入するほかない。何でもただで済ませようなど、もってのほかである。それからこれは余計なお世話だが、安直に画像や動画でこの場をしのぐのは、感心できない。読書は、無味乾燥な記号の羅列を、人の想像力でもって薔薇色の世界に仕立てあげる行為である。この高尚な行為に、安易な方法をその場つなぎで取り入れるのは、許されない。前置きが長くなった。ともかく挿入である。

「待って」
「何ですか。読者が首を長くして待っておられます」
「避妊具を装着して下さい」
「これはご無体な。そんなことをすればぼくがさきほど言っていた四位一体はもちろん、あなたの提唱されていた三位一体の実現はかないません。それでもいいのですか」
「それならば、もうすでに実現しているではないですか。あなたが言うところのふたつの精神と肉体の合一。もうすでに充足されたはずです」
「それは違う。ここでの肉体の合一とは、個と個の表皮どうしの触れ合いよりも、個と個の粘膜どうしの触れ合いが問題なのです。いや、そのすべてに尽きるというべきです。肉体といえども、もう少し内部的な、そう、精神にほんの一歩でも近づこう、そういう問題なのです。それを猿、いやヒトの浅知恵的なゴム膜でワン・クッションおこうなど、神への冒涜もはなはだしい」
「それなら心配にはおよびません。わたしは無神論者です。神は信じません」
「あなたは無神論者でも、ぼくはそうではありません。もっともこういう場合、男は、ふだん無神論を唱えていても、やすやすと有神論者に翻るのです。さあ、つべこべ言わずに、ご覚悟を」
「待ってください。これは三位一体ではありません」
「まだ言いますか。では一体何なのです」
「四位一体です」
「それはぼくが言ったことじゃないですか」
「いえ、あなた言うところの…六位一体となってしまいます」

 とっぺんぱらりの、ぷう。


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