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 『京終航空』 京終 京三・作

京終航空株式会社

 奈良県奈良市京終(きょうばて)には空港がある。
 私設の空港であり厳密には空港としての認可を受けていないので、「場外離着陸場」という扱いになる。
 「空港」といえば聞こえはいいがこの「空港」を(に)離着陸する航空会社は「京終航空株式会社」一社のみであり、この「空港」はぶっちゃけた話、この京終航空株式会社の「社有地」なのである。だからそこは滑走路とかもあるのかないのかよくわからないといういい加減な感じのところであり、到着ロビーなどを含む建物もあるにはあるが取り敢えずプレハブ小屋とリースのコンテナを繋ぎ合わせて間に合わせた様なそんな感じである。
 さてこの空港を舞台にする「京終航空株式会社」の概要についてだが、創立年月日、資本金の額等、会社説明会に行くともらえるようなパンフレットに必ずと言っていい程記載されている事項については一切不明であるが、代表取締役社長は京終京三(きょうばて・きょうぞう)氏という筆者と同姓同名の御歳六十一歳の初老の男性である。京終氏は地元中学を卒業後、自動車修理工などの数多くの職を経て二十代にして事業を起こしたがすぐに失敗したようである。その時起こした事業がどんな事業であったのかも不明である。しかし何処から資本金を調達して来るのか事業を起こすだけのカネは無尽蔵にある様であり、現在の「京終航空株式会社」を起こすまでの間にも数々の事業を起こしては失敗を繰り返している。地元の人達は彼の事を「本当は何もしなくても一生遊んで暮らせるだけの金は持っているのだが道楽で事業を起こすのが好きでありまたそれが生き甲斐でもあるちょっと変わったじいさん」とみている模様である。
 社員は京終社長とその妻五十八歳でスチュワーデス、他に雇用社員としてパイロットとスチュワーデス各一名、合計で四名の中小企業である。社長は本来ならばできるだけ自分とその家族以外に社員など雇いたくないのであるが、会社の所有する大手航空会社から安く払い下げてもらった中古の小型ジャンボを操縦するにはそれなりの資格を持ったパイロットを雇うことが必要であり(もっとも数年前までは社長が若い頃に取得したセスナ免許で社長自身がセスナ機を操縦していたのであるが、事業拡大を目論みジャンボ機を購入した)、スチュワーデスも自分の身近に妻という女性がいるのだから彼女がスチュワーデスとしての職務を果たせばそれで済むのであるが、そこはやはりスチュワーデスとは空を翔る「華」、高齢でしかも「三日見ても慣れ」ない程不細工な社長婦人にはスチュワーデスとしての「職務」を果たすことは可能であっても、「華」としての役割は到底期待できるはずもない。そんな理由で京終氏の遠い親戚からできるだけ若くて可愛い子を連れてきて「華」としてのスチュワーデスを一人雇う羽目になったのである。
 次に「京終航空」が運行する路線であるが全部で四路線存在する。それは以下のとおりである。

  1.奈良(京終)⇔東京(調布・場外離着陸場)
   航空会社を設立したからにはやはり首都圏までの航空路線は絶対に確保したいものである。
   しかし「京終航空」などというどこの馬の骨とも解らないような零細航空会社が羽田や成田
   に路線就航の申請をしたところで当然相手にされるはずもなく、主に島嶼部への路線を持つ
   東京都調布市の調布空港(場外離着陸場)に無理に頼み込んでようやく就航に漕ぎ着けた。

  2.奈良(京終)⇔大阪(伊丹)
   関空ができたとはいえ伊丹だってメジャーな空港な筈である。しかしこちらの方は何故だか
   就航の許可が下り、比較的すんなりと就航に漕ぎ着けた。でも空港へ足を運ぶまでの時間、
   搭乗するまでの時間、離陸するまでの時間を考えると電車を利用した方が早いのでまず乗る
   客はいない、あってもなくてもよい路線である。

  3.奈良(京終)⇔秋田(鷹巣)
   秋田県鷹巣町に「国民の税金の無駄遣い」の象徴ともいえるほとんど利用されていない農業
   空港(農薬散布などの飛行機が利用する空港)がある。京終社長はこの空港が国民から白眼
   視されているのに眼を付け、この空港への路線を就航することを企んだ。しかし最近この近
   所にあきた北空港(大館能代空港)ができたので、この路線も利用率はほとんど未知数であ
   る。

  4.奈良(京終)⇔淡路島
   実は「京終航空」唯一の、結構評判の良い路線。

 そんなこんなで経営を続けていた京終航空にある日、一大事件が起こった。なんと県知事が京終航空の飛行機をチャーターしたいと言ってきたのである。この県知事、地元の大手企業の社長から県知事に当選した人物であり、今回のチャーター要請を機に「京終航空」を贔屓にしてもらえば、他の地元企業の社員旅行等にも「京終航空」を利用してもらえるかもという絶好の上得意客であった。それこそ知事の利用する日にはその日のフライトを全てキャンセルしてでも引き受けるべき大仕事である。ていうかジャンボ機一機にパイロット一名なので全てのフライトをキャンセルしないと引き受けることができないのであるが。
 しかし喜んでいられたのも束の間知事のチャーター要請を引き受けさあ明日が「京終航空」の迎える天王山という日、突然にパイロットが「ストライキ」と称して出社を拒んだのである。いや突然にというよりはこの「ストライキ」、起こるべくして起こったと言えるであろう。何しろ保有路線がたったの四路線とはいっても一人のパイロットが四路線全てを運航していたのであるから、彼には休暇はおろか寝ている暇すらなかった。今まで何の争議行為も起こさないでやってきたのが奇跡なくらいである。
 更に悪いことに今度はもう一人の雇っていたスチュワーデスも辞めると言い出した。原因は彼女は彼女の持つ若さと美貌をネタに、日頃から社長夫人兼スチュワーデスの京終夫人の嫉妬を買いイジメを受けていたのである。それはもうまさに陰湿な姑の嫁いびりの如くねちねちとである。彼女は出社するなり泣く泣く社長に辞表を突き付けて飛び出していってしまった。
 さあて困った。どうしよう。スチュワーデスは(不本意ではあるが)夫人がいるのでどうにかなるものの、肝心のパイロットを新たに探すにはあまりにも時間がなさ過ぎる。ええい、ままよ、セスナもジャンボも形は違えど同じ飛行機であることには変わりがない、こうなったらおれが操縦してみせる、と社長、なかばヤケクソでコクピットに乗り込むことになり、遂に県知事搭乗の当日を迎えた。
 結果は散々、社長の操縦のひどさに機内は上を下への大騒ぎ。それでもなんとか目的地には辿り着いたものの、航行途中失神した県知事は意識が戻るなり大激怒、「京終航空株式会社」はたちまち廃業に追い込まれた。
 空港用地は没収され、建物は取り壊され、京終社長の手元にはたった一機のおんぼろジェット機が残されただけであった。
 しかし転んでもただでは起きない社長、手元に残されたジェット機を利用してまた新たな事業を起こそうと早くも考えていた。
 「ジェット機の内部を少し改造して宿泊できるように整えよう。『飛ぶホテル』…我ながら名案だ……」

* * *

 以上が、小説『京終航空』の原案となるべき内容である。正確には原案となる「はずだった」内容と言った方がいい。なぜなら原案者である私には最早以前書いていたようなショート・ストーリーを書けるだけの気力というか能力というかそういうのが残っておらず、今後も小説としての『京終航空』を書き上げられるような兆しが私自身には見えて来ないからである。しかしこの『京終航空』の原案は私が学生の時分からずっと、もう何年ものあいだあたためていたものであり、これを公表しないままにしておくのがいたたまれず、今回こうして「原案」という形で陽の目をみることになった。ショート・ショートが書けていた時代のあの頃にちゃんと小説として書き上げておくべきだった、と正直今となっては後悔もしているが、この『京終航空』を小説としての形でなくともよいから何らかの形で公表しないことにはもっと後悔する、と思ったことも今回の「原案」公表の理由でもある。とにかく私以外の誰かがこの原案を基に小説『京終航空』を書きでもしない限り、以上をもって私自身の『京終航空』の公表は完遂されたということである。(誰かこの原案、買ってくれないかな←笑)


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