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【序】
カクレウオは、日中はナマコの肛門を出入り口にした、腸内を住み処にしています。
夜になると餌を求めてナマコの体内から抜け出すのですが、もともと臆病な性質のため、あまりナマコからはなれることはありません。カクレウオとナマコの、このような関係を「共生」とよびます。ただこの場合、カクレウオにとってナマコは、住み処であり外敵から身を守る、という利点がありますが、ナマコにとっては、カクレウオが体内にすみつくことは、これといって利点がないため、このような共生をとくに、「片利共生」とよんでいます。
しかし、この「片利共生」もあくまで、人間の目からみて「片利」のようにみえるということであって、実はナマコにとってはこの共生も、人間の目には見えない、利点があるのかもしれません。
その証拠に、ナマコはカクレウオが腸内にすみついても、追い出そうとはしないのです。
カクレウオが、肛門から腸内へ入り込むのは、きっとナマコにとって、とっても気持ちがいいのでしょう。
* * *
小人が、すみついてしまった。
朝、口中がむずむずしていたので、目が覚めた。
寝ているあいだじゅう、だらしなく口をあけていることが多いようなので、なにか蟲でも入ったか、と思いつつ、口の中に指を突っ込んで引っかきまわすこと数十秒。
格闘の末、出てきたのが小人だったからおどろいた。
つまんでいたぼくの親指と人差し指の間でしばらく、もがいていたが突然、人差し指に噛みついた。
いたい。
指先が赤く腫れた。
びっくりしてつまんでいた指をはなすと、手首、腕とつたって、肘の手前でぽとり、と布団の上に落ちた。しばらくそのさまを見ていたが、そのうちシーツの波間に隠れて、見えなくなった。
虫歯菌も最近は、目に見えるくらいの新種が出てきたか程度に思ったが、歯は特にいたくないので、昨夜はじっくり時間をかけて歯を磨き、床についた。
ところが今朝おきると、ふたりの小人がすみついていた。
そのうちのひとりが、昨日逃がしたのであるかは、わからない。
ふたたび口に指を突っ込んでつまみだそうとしたが、今度はふたりがかりで指に噛みついてくるし、おまけに吐き気を催してきたので、断念した。
口の中にふたりを残したまま、昨夜はマスクをして寝ることにした。寝ている最中にマスクが取れるとよくないので、そのうえから手ぬぐいで、口とその周囲をきつくしばった。
ところが翌朝目が覚めると、小人は四人に増えていた。
マスクも、手ぬぐいも、取れていない。
増殖するのか。
背筋が、ぞっとした。
ぼくの不安をよそに、小人は八人をさかいに、増えなくなった。
八人、というのは取りだして数えることはできないため、鏡に向かって口を開け、三十分がかりで数えたのだ。
小人がすむようになってしばらくは、口中がむずがゆく、仕事も手につかないような状態だったが、そのうちに気にならなくなった。小人たちも気をつかってか、ぼくが働いているあいだは、あまり活動せず、じっとしているようだ。
困ったことといえば、食費が今までの倍ちかくにふくれあがったことだ。
小人たちもおなかが減るので、食べなければならないわけだが、口からとびだして食料を調達するわけにもいかないようで、そうなると当然ぼくが口に運んだ食物の一部を、おこぼれとして彼らは摂取する。
小人だからそんなにものを食わないだろうとたかをくくっていたのだが、それがあまかった。
大食いなのである。
ぼくの口中で腹をすかせている大食いたちは、食物が口内に運ばれると、待ってましたとばかりにそれに食らいつく。するとじっさい咽喉を通って胃へ落ちる食物の量は、当初の半分程度になってしまう。
三月もしないうちに、我が家のエンゲル係数が倍にはね上がったのは、言うまでもない。
水など、水分を取るときは、小人たちが流されやしないかと、ぼくも少し心配したのだが、前もって、飲む動作を少しおおげさにとってやると、彼らもすばやく歯のすき間などに身をかくして流されないようにしているらしい。
うかつに飲めないのは、酒である。
ぼくは自他ともに認める酒好きなのだが、小人たちがすみついてから酒量が、がくんと落ちた。
少量ならば、小人たちもほろ酔い加減でよろこんで、口中で踊りだしたりするのだが、あるとき大酒を飲んだら、彼らがえらい二日酔いになってしまった。
翌朝ぼくが目を覚ましても、彼らは舌の上でぐでんぐでんになったままなのだ。
この日は結局、朝食、昼食が抜きで、夕食もだいぶおそくなってからとらざるをえなかった。
それいらい、酒はビール一本程度になった。
歯はいつ磨くのか、とよくきかれるが、これはそれほど心配する必要がなかった。
小人たちも自分たちの住み処だとあって、ときどき室内清掃をしているようである。
ただやはり清潔度にも限界があるので、三日に一度は歯を磨く。
夜寝る前に、彼らを舌の上に一時避難させて、磨く。器用なものである。
ある日、とつぜん口の中が苦くなった。
と、同時に口中が非常に騒がしくなった。
しまった。
ぼくはそのとき不覚にも、欠伸をして不用意に、もごもごと口を動かしてしまっていた。
ひとり、噛み合わせた歯の下敷きになったのである。
彼らはふだん、口中を住み処にしているだけはあって、ぼくが無意識的に顎や舌を動かしても、簡単には歯の下に押し潰されたり、咽喉の奥に引き込まれたりは、しない。
一時期、彼らがすみついているのがいやになって、水をがぶ飲みしたり、歯を噛み鳴らしたりしたことがあったが、まったく被害者は出なかった。
その日、(毎朝やっていることだが)鏡の前でおおきく口を開けて、小人たちの様子を点検していると、そのうちのひとりがなんとなく、元気がなかった。風邪でもひいていたのかもしれない。まわりの小人たちもそれとなく、彼に気をつかっていたようだった。
ぼくもその日は朝食の味噌汁をやめたり、欠伸や咳、くしゃみなどにもそれとなく、気を配っていたのだが、なにしろ彼らは、日中はおとなしくしていてくれる。
油断して、口中の小人の存在を、ふと忘れた。
ぼくは真っ青になった。七人の小人たちは怒り狂った。
仲間を殺された彼らは、かんかんになって、ぼくの顎や舌や歯茎に、噛みついた。
たちまちぼくの口の中は、血まみれになった。
ぼくはおろおろするばかりでどうしたらよいかわからず、とりあえず仕事を早引けし、あわてて家へかえった。
部屋の中でしばらく正座して、じっと考え、ようやく供養してやることを思いついた。
まだ怒り覚めやらぬ七人の小人たちの住み処へ、そっと指を差し入れ、右下の奥歯と奥歯のあいだにはさまってぐったりとなっている小人を、そっととり出した。
小人の亡き骸を、小さな和紙に丁寧にくるみ、月並みだが、庭のすみに埋め、お線香と昨日の残りの炊き込み御飯と日本酒のワンカップを、お供えした。
しばらくのあいだ手を合わせていると、自然と涙がこぼれてきた。
同時に、口の中がいっしゅんにして、しょっぱくなった。
* * *
口の中に、小人たちを飼いはじめてから、どれだけの月日が経ったろうか。
ある老人が、ぽつり、とそんなことを年老いた妻に、呟いた。
妻は静かに笑うと、夫に言った。
いやですよお、おじいさん。ぼけるにはまだはやいですよ。
外には何年かぶりの雪が降り、あたりは一面の銀世界だった。
今年も無事に正月を迎えられた、
老人は、暖かい部屋のなかで、うとうとしながら、そんなことを思っていた。
きょうは、家をはなれた子どもたちが、年に一回、帰ってくる日だった。
ただいまあ。
玄関から、七人の子どもたちの、元気のいい声が、帰宅を告げた。
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