このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
春、陽気もいいのでちょっとした小旅行にでたのだが、休みの日に車など運転するものではない。美しい桜の花を求めて、などといいつつ、いちめん見わたせるのは、色とりどりの自動車の群である。
そんなわけで案の定、郊外の国道は渋滞で、小一時間ばかり、車はぴくりとも動かない。今後も動く見込みはないので、私はエンジンを切り、シートに深く身を埋めた。
ふと左のほうに目をやると、道端に自動販売機がある。いまやめっきり見なくなった、大手コーク会社の、瓶ジュースの自販機だ。
車を降り、硬貨を投入する。壊れてないか、と一瞬不安だったが次の瞬間、釦のランプが一斉に点灯すると、私は紫色の無果汁炭酸飲料を選択した。
機械壁面にある、栓抜きに瓶の口を突っ込んで、しゅぽっ、と心地よい音に快感を得るやいなや、思いっきり瓶をあおって、半分くらい飲んだ。ひと息に。
天然ではありえない人工着色料の鮮やかさ。口に含んだときにふわっと広がる、わざとらしい香り。酸味料でいくぶん誤魔化してるはずの甘ったるさ。しかしそれをすべて凌駕する、懐かしさ。
しばし淡いノスタルジーにひたっていると、向こうから、農作業姿の中年男が、肩に鍬しょってやってくるのが見えた。
通りすがりになんとはなしに声をかけると、こう年がら年中車が多くては、排ガスで作物も台無しだがや、とぼやく。隣村ではもう畑を放り出して、渋滞で動かない車相手に、弁当やら飲み物やら売っている始末だという。自分の家で民宿をはじめる者もいて、野良仕事をやるより収入が数段にいいらしい。
そう男が話したとたん、彼は私を自分の家に泊めたそうな素振りをしたので、私はあわてて彼に、抜け道はないか、と切りだした。
明日は仕事だからこんなところに泊まるわけにはいかないし、だいいち泊まるにしたってきっとろくな目にはあわない。農家民宿といえば聞こえはいいが、もともとは商売などしていなかったのだから、飯は不味いし、風呂はぼろぼろ、便所は汲み取り式で汚い。しまいにはすえたようなセンベエ布団にムカデが潜んでいて刺されて飛び起き、その後は一睡もできずに朝を迎える。そのくせ農民というのは変に狡猾なのが多いから、こんな待遇をしておきながら、べらぼうに高い宿泊料を請求する。支払いを拒むと、周囲の農家から農夫たちが鍬や鋤や鎌を持ってやってくる。五体満足で帰れなくなるのは間違いない。
私が声をかけたこの農夫もどことなく胡散臭そうな男で、抜け道は、との私の問いに一瞬悲しそうな顔をしたがしかし、
「ある」と答えた。
男はすぐ脇の畦道を指した。この畦道をどこまでも走ると狭い林道に出て、そこも抜けるとやがてこの国道の先に出るという。かなりまわり道になるはずだが、ここでこうして渋滞にイラついているよりはずっとましだ。
私は男に礼を言うと、車に乗り込んでハンドルを切り、畦道に車を乗り入れて走り出した。
単なるまわり道のつもりが、はからずも旅情をかきたてられることになった。畦道を過ぎ、林道を抜けると、道は小さな集落の中を通る。道幅は、私の小型車がやっと一台通れるほどの狭さだ。
右手には大小の民家がひしめき合い、左手にはすすきや葦や枯草に両岸をおおわれた、小さな小川が流れてくる。小川の向う岸には、限りなくつづく田んぼ。天気もいいし、つい、ぼーっとなる。
その時。
右手にはまだ民家がつづいていた。私は百メートルほど前方右手に妙な看板を発見した。
「タコ風」
茶色いペンキをべったりと塗りたくったトタンの壁面にアルミ・サッシュの安っぽい両開きガラス戸がひとつ。ビニール製の軒看板はやけに大きく、古びて黒ずんだ朱色だったが、そこには黒色ペンキで、
「タコ風」
これが国道ならば、少し風変わりなドライヴ・イン食堂ということでさして気にかけず、そのまま通り過ぎているはずだが、ここは村道。小集落で付近には民家と田んぼしかない。
集落民を相手に商売している商店の可能性もあるが、それにしてはあの
「タコ風」
の看板が大袈裟すぎる。
何なんだ、タコ風。
食い物か。タコ焼きみたいな。しかし「タコ焼きみたいな」は、「タコ風」ではなく「タコ焼き風」である。
タコの味のする食べ物とか。タコの味を必死に思い浮かべようとするが、どうにも思い浮かばない。タコに味なんてあったか。もともとあのぐにゅぐにゅとした食感が好きではないので、タコはあまり口にしない。居酒屋で刺身を食いながら「固いタコだな、これ」などと言っていたら、友人から「それはイカだ」と大笑いされたことがある。それ以来、イカもあまり食わない。タコもイカもあの食感ばかりが気になって、本当に味わって食っているやつなどいるのだろうか、と疑ってみたくなる。
食う「蛸」ではなくて、上げる「凧」か。凧専門の民芸品店か。すると「タコ風」の「風」って何だ。凧とは似て非なるものってことか。そういう遊び道具か。それとも「風」は「ふう」とは読まず、「かぜ」と読ませるのか。
「タコかぜ」。凧上げに適した、風を売る店。なんとなくメルヘンチックだが、そんな商売が成り立つとはとても思えない。むかし、どこそこ高原のおいしい空気と銘打って、そこの空気を詰めた缶詰を売っていたことがあったが、実態は空の缶詰だった。いっ時話題を集めたが、ほどなく消えた。製造工場の社長が詐欺罪で訴えられなかったのは、きっと客がだまされた振りをしながら、ちゃっかりメルヘンの世界にひたってくれたからだろう。しかし商売は商売。メルヘンで商売は、できない。
では、「タコ」は「タコ社長」のことか。ここ地元か。私はなぜ彼が「タコ」社長と呼ばれるようになったのかまったく知らないが、いつしか彼は中小企業社長のシンボル的存在となり、いまや「タコ社長」と言えば中小企業社長の代名詞である。下積みの長い人生だったそうだが、今にして思えばそういう人生も、人のこころにしんみりとしたものを与えてくれて、ああこういう生きかたもあるのかと、今さらながら感慨深く思う。
そんなことを思いつつ、車はやがて「タコ風」の前までたどり着いた。
立ち止まって考えている暇などなかった。反射的に右折して、店の脇にある駐車場に車を乗り入れた。大型ショッピング・センター並みのえらく広い駐車場だったが、すでに満車の状態だった。三十分ほど待ってようやく駐車し、店に入った。
店内には行列ができている。正面奥のカウンターから入り口まで、約五十メートル。そこに人の列が五つ。その両脇は一段上がった広い御座敷になっていて、幾組もの家族連れが、お茶を飲んだり、持ってきた弁当を広げたり、昼寝をしたりして、くつろいでいる。よくある休憩所の大広間の風景なのだが、きっとこの中に正面のカウンターで買い求めた「タコ風」を食して(?)いるものがいるはずだ、と私は人だかりに目を凝らした。
だが。私が目にしたのは、大広間をいくつにも貫く、大柱に貼られた紙きれだった。
「この場所での
携帯電話とタコ風の
ご利用はご遠慮ください」
利用するものなのか、タコ風。食い物ではないのか、タコ風。しかも携帯電話と並列か、タコ風。
タコ風の御姿さえ拝めれば、何も長時間並んで買い求めるほどのことはない、と思っていたが、そうはいきそうにない。それでも中には一人くらい、張り紙を無視して「タコ風」を利用しているものが、と、大広間をきょろきょろと見渡したが、それらしきものを使っているものはひとりもいない。
やはり買い求めるしかないようだった。しかし行列は遅々として進まない。待つこと三時間。ようやくカウンターの全容が見えてきた。
驚いたのはこの店、メニューが存在しない。いや、存在しないというのは不正確で、カウンター頭上に大きく、「タコ風 8コ入り500円」という張り紙以外に何もない。
五百円か、タコ風。しかも八コ入り。案外リーズナブルなお値段と個数から勘案して、やっぱり「アレ」じゃないのか、タコ風。疑惑は幾何級数的にふくらみつつ、列は少しずつ動く。
ここまでカウンターに近づくと、他の客が受け取っている様子で、「タコ風」の真相を伺うこともできるはず、と期待したが、その期待は見事に裏切られ、客はみな、発泡スチロール様の包装容器の、中身はおそらくタコ風を、さらに白いビニル袋で包んだやつを、五百円と引き換えに、店員から渡されているだけだった。やはり食べ物ではないのか、他の客の袋からもカウンター奥からも、匂いすら漂ってこない。
買うしかない。買って自分の目で確かめるしか。
私の番がきた。
「タコ風、ください」
若い女性店員は、たぶんマニュアルどおりの悲しそうな表情を浮かべて、
「お客さま、申し訳ございません。タコ風はたった今、品切れとなりました」
私は、店を出た。
残念、というより、悔しかった。
何時間も待たせて、品切れはないだろうに。
こうなったら、意地でもこの「タコ風」を買ってやりたかった。明日は仕事だが、そんなこと知ったこっちゃない。買えるまで、何日ででも並んでやる。
その時、私の前にひとりの男が現れた。
「今日の泊まりを、探してるんじゃあないがね」私に、ここへの抜け道を教えてくれた、あの胡散臭い農夫だった。私の様子をみて、ニヤニヤしていた。きっと何もかもお見通しのはずだった。
私は結局、彼の家に泊まることにした。
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