このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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太平洋戦争って何??

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まず、太平洋戦争ってなんだろうというところからはじめてみましょう。この太平洋戦争という名前の戦争は、一般には1941年の12月に日本がアメリカのハワイに攻撃したところから始まり、1945年の8月15日に出された昭和天皇の詔書(この詔書は「玉音放送」としてラジオ放送された)で終戦になったとされています。しかし、これは大きな間違いです。実際の戦争状態はサンフランシスコ平和条約が結ばれる1952年まで各国との戦争状態が続いているのです。この平和条約が締結される間は、アメリカを中心とした占領軍の下に有名なマッカーサー元帥を中心とするメンバーにより日本の国家運営を行ってきました。この組織が連合国軍総司令部(GHQ)と言われる組織です。したがって民間レベルでは空襲などもおさまり平和な生活が少しずつもどりつつありましたが、政府レベルでの戦争はサンフランシスコ平和条約によりGHQが解散されるまではずっと続いていたのです。

また、この太平洋戦争は戦争当時は日本では「大東亜戦争」と呼ばれていました。「太平洋戦争」という呼び方は元々アメリカで呼ばれていた名前です。何故日本とアメリカで呼び方が違ったのか。これには日本とアメリカの戦争の規模の違い、また当時の国際的な情勢なども微妙に影響されているのです。

ではアメリカが「太平洋戦争」としたのはという事から説明すると、アメリカ軍はこの第2次世界大戦では太平洋だけでなく、ヨーロッパにも展開しました。したがって大戦の中での主だった一つの戦場として太平洋を見ていた為だと思われます。それでは日本は何故「大東亜戦争」と呼んだかというと、日本ではこの太平洋戦線とは別に中国とも戦争をしていました。これは日中戦争と呼ばれていますが、この中国戦と括りを同じにしたという風に考えてもらえればよいのではないでしょうか。では何故日中戦と太平洋戦が日本では同じ戦争としてまとめられたかというと、これは日本のアジアでの外交方針について説明しなければなりません。

日本が目指した物は、東アジア、東南アジア地域からのヨーロッパ勢力の排除と独立という内容でした。俗に「大東亜共栄圏」の確立ということです。日本はこの構想の中心を日本自身としていましたし、当時のアジアの勢力関係を見ると、日本以外にこの構想の中心として考えられる国がありませんでした。それまでのアジアならば中国が中心となる筈ですが、日清戦争以来領土をヨーロッパ諸国や日本に乗り込まれてしまいます。独立国として世界に誇示できる国はアジアでは日本しかありませんでした。国際連盟の常任理事国の中で唯一アジアから日本が選ばれています。アジアのナンバー1は中国ではなく日本だったのです。

この大東亜共栄圏に反対したのはアメリカでした。南北戦争の為にアジアへの進出が大幅に遅れてしまい、特に中国への進出はまったくできない状況になっていました。しかし完全にあきらめたわけではなかったので、こうしたアジアでのヨーロッパ勢力の排斥運動はアメリカにとっては絶対に承知できない問題になったわけです。こうした経緯があってしだいに日本とアメリカの関係が悪化していくわけです。どうしても中国に進出したいアメリカと中国での権益を守りたい日本。この関係が太平洋戦がはじまってしまった大きな原因となるのです。中国市場は当時の列強国にとっては大変魅力的な場所でした。それは石油などの天然資源の宝庫だったからです。特にアメリカは日本が支配していた満州地域の地下に石油が埋蔵されていることを突き止めていました。

表向きは日本が一方的にアメリカに対して戦争を仕掛けたような印象を与えているのは、後の東京裁判などでアメリカの正当性と日本の不当性が過大に評価されて語り継がれた為です。実際アメリカは当時、国の中枢部に関わる人達はドイツ戦に参戦することを考えていました。しかし、国民のほとんどがドイツ戦参戦には反対でした。この国民意識を変える為、日本に矛先を向けました。ドイツと同盟国だった日本が参戦し、アメリカと交戦すれば、世論も参戦に対して積極的になるだろうと想像したのです。そこで日本に対して強気の外交を展開していきます。外交交渉が開戦に差し迫る時期になると、アメリカは日本の中国からの完全撤退を示唆する内容の妥協案(有名な「ハル・ノート」)を提示します。このことは日本に対して日清戦争以前の状態にまでもどせ、という内容です。経済状況、特に資源的物資が貧困な日本本土だけでは、経済が成り立つわけがなく、とても受けいれられる内容ではありませんでした。とくにこの内容に反対したのが陸軍の幹部達だった為、後に彼等が不当に悪い評価を受ける大きな原因となります。

日本が何故戦争をしたのか。それは追い詰められたからです。特にアメリカと戦争をしても勝てないということを誰もが認識していました。しかし、戦争しなければ自滅する、戦争しなくても自滅するという状況に追い詰められたからです。太平洋戦が開戦してしまった経緯の裏にはこのような背景があったのです。日本が望んでアメリカと戦争に踏み切ったわけではないのです。そういう事をこのページで書き並べて行こうと思います。

 

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