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鉱山
虹金の鉱山には、万余の者が働いていた。
最も数が多いのは、鉱山の掘削を受け持つ、掘方と呼ばれる連中だった。その数はおよそ七千。地にもぐり、鉱石を掘り出す重労働を担うだけに、屈強の男どもが揃っていた。それゆえ、気風もまた荒々しい男たちではあった。鉱山はあちこちに点在しており、掘る場所と働く時間により小さな組に分かれていた。例えば、銅若菜夜組といえば、若菜という場所で夜中に銅を掘る者をさすのであった。
次いで数が多いのは、鉱石の精錬を受け持つ、坩堝方と呼ばれる連中だった。その数はおよそ千五百。薪や炭から高熱を得て、鉱石を溶かす作業に従事するため、掘方より厳しい部分がある務めであった。それゆえ、誇り高く矜持を保つ者が多かった。
普請方と呼ばれる連中は、掘方や坩堝方の仕事を助けながら、日々の生活を支えていた。その数はおよそ五百。鉱石を運ぶ道を整えたり、上水路を手入れしたり、建物を修繕したり、小さな細々した要請が山積していた。鉱山のなかにあってはおとなしく、目立たない者ばかりが揃っていたが、世の常識に最もかなう連中であった。
調方と呼ばれる連中は、七十名ほどの少数ながら、精鋭中の精鋭として尊重されていた。なぜなら、調方が探しだす鉱脈こそが鉱山の明日の繁栄を約束するということは、広く知られていたからである。ただし、調方の男は尊大に智をひけらかしがちで、鼻持ちならぬと嫌われる傾きもあった。
鍛冶方と呼ばれる連中は、精錬された金属をさらに製品として加工するのが務めだった。刀剣や鏃などをつくるため、遠国からの需要も多かった。人数はおよそ三百と少なかったが、鉱山の主な柱として機能していた。鍛冶方のなかで、水晶や翡翠を加工しより単価の高い製品をつくる者たちは、工房方と独立した名で呼ばれていた。
ここまでは、男が受け持つべき力仕事であった。稀に男まさりの仕事をこなす烈女もいたが、それは一種の大才、十年に一人出るか出ないかの豪傑であり、鉱山の主役は男であった。
しかし、男が働き続けるためには、女の助けがどうしても必要であった。男とは力を自慢するくせに、女なしでは生きていかれぬ、脆弱ないきものにすぎなかった。ただし、手狭な鉱山では多くの者が家庭を営むことは難しかった。そのため、妻帯を許されるのは三年以上勤めあげた者のみに限られていた。それは逆にいえば、厳しい環境のなかで健康を損ねず、三年以上働くことがどれほど難しいか、という証でもあった。
これら妻の大部分と、極めて少数の独身の女たちは、台所方、裁縫方、及び清整方で働く者が多かった。台所方は、働く者たちに食事を給仕する務めを果たしていた。裁縫方は、衣服織物の類一切を整えるのが役目であった。清整方は、掃除洗濯整理整頓が務めであった。台所方、裁縫方、清整方には、それぞれ五百の者が働いていた。ただし、これらは全て女ではなく、力仕事に向かない男たちも何人か含まれていた。
掘方、坩堝方、普請方、調方、鍛冶方、工房方、台所方、裁縫方、清整方ほか、もろもろ一切を統括しているのが商方であった。人数はわずか五十。しかし、虹金を補佐しながら、国内外の取引を全て掌握し、資金の流れを手中におさめているため、絶大な権力を持っているのであった。
この商方こそが、鉱山の病巣であった。小人数で大きな権力を独占しているため、重要な情報がほしいままに操作されていた。皆で共有すべき利益が横流しされ、私財として蓄えられているはずなのに、そんな謀略の気配など表には毛筋ほども出てこないのであった。首魁は飛猿であることは明らかなのに、証拠がないために罷免も出来ず、裏面での暗躍を抑えきれないというのが今日の状況だった。
虹金の攻め方は、今まであまりに真っ直ぐすぎた。確たる証拠を押さえようという心が強すぎ、疑念が露わであったため、受けて立つ飛猿は楽に回避することが出来たのである。これを教訓として、虹金は灰神楽の配置を考えなければならなかった。
商方付とすることは論外だった。為す術もなく短期間で排斥される結末が、目に見えていた。ならば、考えられるのは台所方しかなかった。ここは実力本位の職場、もし灰神楽に実力あれば、皆はそれを認め、ずんずんと累進していくだろう。その過程のなかで、商方と接する機会もあるだろう。灰神楽の目がなにを見つけるのか。虹金は大きな期待を寄せていた。
虹金は狂わんばかりに焦っていた。わが国の大黒柱が犯されかかっているというのに、自分の鉱山の経営が壟断されているのは、耐えがたい屈辱でもあった。しかし、まめまめしく動き回り、才あふれる虹金にしても、商方の全てをつかむことは出来なかった。虹金は神出鬼没東奔西走の男であり、あまりにも時間がなかったからである。鋭い勘と洞察だけで補うことには、明らかに限界があった。信頼おける者の補佐なければ、商方の隅まで把握することは出来なかった。
虹金は志をともにする者に飢えきっていた。鉱山に能力ある者は多かったが、虹金と志をともにし、同じ心をもって、遠き道の涯にほの見える曙光を目指し、一緒に歩む者など皆無であった。虹金は孤独であった。鉱山に君臨する主でありながら、さびしく孤立していた。商いでどれだけ稼いでも、毎晩女を抱いても、満たされることは決してなかった。
慎重な虹金は、熊吉からの口添えがあったところで、灰神楽ひとりが鉱山を変えられるはずはないと思っていた。ところが実際には、灰神楽の影響は凄まじく、鉱山の経営を一新したばかりか、虹金の人生をも革めたのである。
ただし、それはのちの話。今のところ、灰神楽はただの新参者であって、虹金はほのかな期待をかけていたにすぎなかった。灰神楽はといえば、虹金の期待などつゆ知らず、無垢で素直な心をもって、台所方の鍋組に飛びこんだのであった。
奥山から鉱山にやってきた灰神楽の胸は、明るい希望にふくらんでいた。しかし、その希望が暗転するまでに時間はかからなかった。
まさに四六時中、灰神楽は罵倒され続けた。ありとあらゆる罵声が、灰神楽に浴びせられた。灰神楽は懸命に働こうとしていたが、罵声に萎縮して失敗を重ね、さらにひどい罵声を浴びるという繰り返しにはまってしまった。
数日もしないうちに、灰神楽の心身は疲れはててしまった。自分はなんとだめな者なのか、と落ちくぼんだ。眠るときには枕を濡らし、起き出すのが憂鬱でしかたなくなった。
もし、灰神楽の心が弱ければ、そのまま奈落の底まで落ちこんで、二度と浮かび上がることはなかったであろう。幸いにして、灰神楽の心は強くたくましかった。時と場所が大きく変わっていると気づくだけの柔軟さもあった。
「熊吉さんたち木樵のひとは、やさしかったなあ」
今宵も涙で目を腫らしながら、灰神楽はひとりつぶやいていた。そして、はっとひらめいた。木樵たちにしても、最初は灰神楽の容貌に怖じ気づいていたことを。木樵たちがやさしくなったのは、毎日毎日真剣に働いて、才覚と気立ての良さが認められたからではなかったか。
そして、皆がやさしくなってからは、少々の失敗など見すごされるようになっていたのである。灰神楽は甘やかされていたのであった。叱られるべき失敗をしようとも、叱る者はいなかった。灰神楽に厳しく接していたのは、舞いの指導をする時の弥次郎だけであった。
灰神楽は謙虚になり、鉱山に来てからの日々を省みた。不慣れとはいえ、失敗ばかりを重ねていたことが、しっかりと自覚できた。
罵声の一つ一つをも、思い返してみた。そのいちいちが、灰神楽の至らなさを指摘するものではなかったか。言葉づかいこそ荒く乱暴でも、まったく正当な指摘でもあった。
そんな罵声に負けたままでは、詰まるところ、自らの弱さを認めずに虚勢を張っているようなものであり、それでは永遠に成長できないはずであった。
心の救いは、たくさんの罵声を浴びながらも、
「醜女」
この一語だけは誰も言っていないことであった。灰神楽は、人格まで否定されているわけではなかった。蜘蛛の糸が、一条あった。ならばそれを手繰って、舞台の上に戻るべきであった。
翌朝、灰神楽はまたも小さな失敗をした。
「こりゃぁ、何度やったら覚えるんじゃ、このぼんくらがぁ」
鍋組小頭の萠黄が男言葉で罵った。灰神楽はそれに萎縮し、さらに失敗を続けるはずであった。それが改まらないようでは鉱山の流儀には合わない、と萠黄は見切りをつけかけていた。
しかし、今日は違った。
「申し訳ありませんっ」
小気味よく大声で返事して、灰神楽はすばやく後始末を始めていた。ほお、と萠黄は思った。この小娘も、鉱山の流儀を身につけたかな。ならば、もっと試してやろう。
「灰神楽、今日から二の鍋の味つけを手伝ってみよ」
「はいっ、わかりました」
返事は軽やかで、小気味よかった。昨日までにはない風情だった。
新しい仕事を与えれば、灰神楽は新たな失敗を繰り返すに間違いなかった。しかし、短い間にそれは克服されるはずであり、灰神楽は舞台の上に顔を出すはずであった。萠黄の灰神楽を見る目の光は、失望から淡い期待に転じていた。
舞いに打ちこむ姿から明らかなように、灰神楽はもともと研究熱心で、かつ努力家であった。性格や気質が天賦の恵みを享けている以上に、たゆまぬ努力を続けられるという意味においての天才なのであった。
そんな灰神楽が萠黄に注目されたことは、まったくの幸運であった。灰神楽は、長い長い階段の最初の一段をのぼりはじめていた。
暑い夏がやってきた。鉱山では常に新たな鉱脈を探しており、鉱山本営から歩いて三日の距離があるところに、鉄が得られる坑口を開くことにした。虹金により銘された地名は“郁紗”。字こそめでたいものであったが、その音には鉱山が巻きこまれるべき未来が暗示されていた。
離れたところにある郁紗坑の新設により、台所方も人数を派出する必要があった。その鍋組頭に抜擢されたのは萠黄で、慣例に従い、萠黄には連れていく者を指名する権利があった。新しい組では、不備と不慣れが重なるうえに、新参者も加わるので、なにかと軋轢が生じがちである。気心が知れ、力量を買える者たちでなければ、連れていけなかった。
鍋小組に属する者を一室に集め、萠黄は四名を指名した。そのなかに灰神楽の名はなかった。灰神楽は少々落胆した。本営から離れたくないという思いもあったが、萠黄に認められなかったことは悲しかった。
「それでは、この鍋組の小頭を指名する」
一同の顔色を見渡しながら、萠黄はおごそかに言った。
「灰神楽、おまえがやれ」
どよめきが広がった。最も驚いたのは、誰あろう灰神楽であった。確かに、灰神楽の才覚は皆に認められつつあった。しかしそうはいっても、鉱山に加わってからまだ三月も経たない新参者に小頭をまかせるというのは、異例中の異例、大大抜擢なのであった。
「皆やはり、驚くか。まあ、驚くだろうな。だが、よくよく考えてみよ。残る者たちのなかで、灰神楽以上の適任はいるか」
萠黄が言うことは、まさに正鵠を射抜いていた。残る者たちのなかで灰神楽の才覚が突出していることは、誰もが認めなければならなかった。どよめきは消えた。皆の沈黙は、そのまま是認を示すものであった。
萠黄たちが郁紗に向かう朝、鉱山本営の門前において、灰神楽は歓送することにした。旅支度を整えた萠黄ら五名のいでたちは凛々しかった。今まで受けた恩義を思い、涙をこぼす者もいるのを背に、灰神楽は朗々と向上を述べた。
「萠黄様、郁紗に行かれましても、どうか御健勝にお過ごしください」
「ありがとうよ。でもまあ、そう堅苦しい挨拶はやめようや。照れちまう」
「いいえ、これは残る者の総意を代表しているのです。萠黄様がたの御健勝と御活躍を祈念して、ここで一曲舞わせて頂きます」
強引といえば強引な申し出ではあったが、こと舞いに関しては、確固とした強い自信が灰神楽にはあった。灰神楽は、自分の舞いの価値と重みをよく知っていた。萠黄に対する感謝を表すには、灰神楽の舞いを見せなければならなかったのだ。
灰神楽はするすると舞い始めた。演目は“若松”。松の若木が伸びていき、大木に育つさまを舞いにおさめた、めでたい演目である。萠黄たちは、あっけにとられてしまった。なんと美しい舞いだろう。なんと輝かしい舞いだろう。短い道中の餞別として貰うには、勿体なさすぎるほどのめでたさではないか。
「ありがとう。身に染みたよ」
萠黄たちは涙をあふれさせながら、名残惜しそうに出発した。
この門前での舞いは、のちのち語り草にもなったとおり、灰神楽自らをおおいに助けた。神韻あふれる舞いは、新参者にすぎない灰神楽を小頭と仰ぐことに、なお釈然としない思いを抱く者の心をとろかしたのである。さらに、灰神楽が舞いの名手であるとの高評が、またたく間に鉱山じゅうに知れ渡ったのは大きかった。
立場はまだ新参の小頭にすぎずとも、灰神楽の舞いはまぎれもなく鉱山一であって、誰からも一目置かれるようになったのである。
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