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営団5000系の思い出





■車齢40年前後の車両動向

 営団5000系のデビューは昭和39(1964)年のことである。初期車の車齢は40年を超えているから、充分老朽車の域に達している。近い世代の車両のなかには、東武8000系(初出昭和38(1963)年/以下同じ)などのようになお矍鑠として健脚を誇るものも残っているとはいえ、全般的には衰勢の下り坂をたどっている。

5000系アルミ車
天翔けるアルミニウムの騎士
東葉高速東海神−飯山満間にて

 同じ営団の3000系(昭和36(1961)年)、東急7000系(昭和37(1962)年)、京王5000系(昭和38(1963)年)、国鉄 103系(昭和39(1964)年)、西武 101系初期車(昭和44(1969)年)、さらに新しいところでは東急8000系(昭和45(1970)年)、小田急9000系(昭和47(1972)年)などのように、首都圏からは絶滅するか、絶滅寸前の状態まで活動範囲を狭めた車両形式の方が多い。近年では東急8500系(昭和50(1975)年)が長野電鉄に移籍し、車両の世代交代が早いことを世に印象づけた。

5000系
5000系一般車の各停運用
東西線原木中山にて





■営団5000系電車

 栄枯盛衰は世の習いである。営団5000系もその例外ではありえない。営団5000系はこの 3月に、長年に渡り韋駄天ぶりを誇示してきた東西線(そして相互直通相手の東葉高速)から撤退する。千代田線綾瀬−北綾瀬間に運用がなおも残るとはいえ、短編成・短区間の端尺運用に適した車両が他にないからというだけにすぎず、往年の栄華からはほど遠い。

5000系
満月に吼える
東葉高速東海神−飯山満間にて

 否、栄華と記せば、いささか語弊があるかもしれない。5000系はどちらかといえば華に欠ける、垢抜けた印象を与えない車両ではあった。3000系のように個性的な顔でもなく、6000系のように斬新で鮮烈な衝撃を伴う外観でもなく、野暮ったく地味な車両でなかったか。一族のなかには、荒川鉄橋の上で強風に煽られてひっくり返り、そのまま解体された哀れな仲間すら存在する。

東葉1000系
東葉高速に移籍した車両
東葉高速飯山満にて

 新世代車両が続々と登場した近年において、5000系の旧さはさらに際立った。隙間風が入るほどバタつく窓、中途半端な固さの座席、暗い雰囲気の車内、等々。新鋭05系と比べ明らかに劣る面が多かった。もっとも、05系がその数を増し、東西線から追い立てられるようになっても、東葉高速に移籍し勢力をしぶとく残したあたり、なんとなく微笑ましいところがある車両でもあった。

5000系アルミ車
快速列車通過!
東西線原木中山にて

 誤解を招かぬよう、念のため記しておこう。5000系が地下鉄として稀有かつ出色の走行性能を発揮した事実は、特筆に値するものである。東西線では地上区間が連続しており、この地理的条件を利して快速運転が行われている。足の遅い地下鉄電車のなかで、東西線快速の高速度は頭一つ以上抜け出た水準に達している。国鉄電車に比肩しうるほどの駿足で首都圏を駆け抜けた事績は、鉄道史に刻んでもよいであろう。ただ、その高性能ほどには目立たぬ車両であったことは、5000系にとって幸であったか不幸であったか。

5000系
地上区間で高速度発揮
東葉高速東海神−飯山満間にて





■個人的思い出

 筆者は船橋に住んでいた時期がある。しかし、通勤経路の関係で東西線とはほとんど縁がなかった。東西線を頻繁に使うようになったのは、平成 9(1997)年秋のことである。この時以来、筆者には5000系が好ましく思えてきた。

1000系
薄暮の許家路を急ぐ
東葉高速東海神−飯山満間にて

 当時の筆者には、西船橋で30分ほど行列して始発電車の座席を確保する必要があった。そんな時に5000系がくると安堵したものだ。理由は単純、座席定員が多かった点が大きい。逆に05系ワイドドア車などは最悪の部類で、たとえ行列の先頭集団にいても迂闊に動けば席を失うおそれがあったものだから、まったく好きになれない車両だった。まだ若いのに着席争いとはなにごとか、と嗤わないでほしい。筆者は毎日身重の妻に席を譲り続けて、ようやく無事に長男を授かることができたのだから。

5000系
5000系どうしのすれ違い
東葉高速東海神−飯山満間にて

 殺人的混雑を呈する東西線の朝ラッシュにおいて、少しでも混雑緩和に寄与する車両の方がより適していることは確かである。かような一般的価値基準は、筆者もいちおう理解してはいる。だからといって、それが個人的利害と合致するかどうかは、また別次元の話だ。座席定員の多い5000系の存在は、筆者夫婦にとっては実にありがたかった。

 5000系のなかには、波涛のかなた遠くインドネシアに新たな活躍の場を得たものもあるという。高温多湿の地でさらに厳しく酷使されることになるわけで、ある意味では地味な車両に最もふさわしい運命を選びとったといえるのかもしれない。今後も幸多かれと祈る次第である。
1000系
朝陽を背に駆ける
東葉高速東海神−飯山満間にて





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注1:営団(帝都高速度交通営団)は現在東京メトロ(東京地下鉄株式会社)に改組されているが、改組後筆者は5000系に乗車した経験がないため、
   敢えて「営団」の表記で統一した。

注2:写真は全て平成13(2001)年撮影。





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