このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

第1部  比立内にて

 

■平成 9(1997)年 5月

 この日の旅程は、法外に欲張った内容だった。朝のうちは弘前城を観光し、散りかけの桜を楽しみ、資料館をも見学する。ホテルを刻限ぎりぎりにチェックアウトし、渋滞する道を青森に向かう。その途上、弘南鉄道黒石線前田屋敷駅にも立ち寄る。三内円山遺跡を早足で巡り、発掘された土器、復元された当時の建物などを見て回る。青森郊外で軽食をとる。芦野公園で今度は満開の花見。溢れそうなほどの人出である。

 
写真−1 弘南鉄道黒石線前田屋敷駅          写真−2 芦野公園駅近傍の保存車両

 芦野公園を出たとき、時計は午後3時を回っていた。そして、宿を予約したのは比立内であった。まともな時刻に到着できるのか、既に不安が兆していた。

 海岸沿いに、即ち五能線に沿って、延々と南下する。気は逸れども、道路は片側1車線である。遅い自動車が前にいれば、なかなか抜けるものではない。仮に抜きさったとしても、その先に遅い自動車が控えていたりする。どのみち、無茶な速度など出せはしない。千畳敷や十二湖にも寄ろうか、などと甘い見通しも持ってはいたが、脇道する余裕は既に失われていた。

 能代あたりで日が沈み、二ツ井の道の駅ではすっかり暗くなっていた。やむなく、宿に連絡しておく。あまりに遅くなり、キャンセルしたと思われても困るからだ。暗い夜道を走り抜けていく。おそらく、往時と比べかなり改良されているのだろう。交通量も少なく、快調に飛ばす。これが旧道であれば、狭くカーブも多くで、おっかなびっくりで進むようだったろう。

 2箇所で立ち寄った道の駅といい、この道路といい、日本は隅々まで道路が整備されてきたな、と強く実感する道ゆきではあった。

 

■比立内にて

 宿に着いたのは午後8時を過ぎていた。まずは風呂に入ることにする。この宿は近所の温泉と提携しており、無料で入浴できるという。だが、温泉の営業は夜が早い。もうすぐ閉まってしまう。どたばたと温泉に急ぐ。国道を渡り、秋田内陸縦貫鉄道の踏切を越えると、漆をひたしたように深暗い。星明かりしかない暗さに道がわからず、近くの家で道を尋ねてしまったほどである。

 ようやく温泉に辿り着くと、歩いてきたのかねと笑われた。距離は確かに近かったが、これほどの暗さでは、自動車を提灯がわりに使うべきだったかもしれない。

 温泉の営業時間はもう終わり、余の客はいなかった。掃除の都合もあるからと、混浴を勧められた。夫婦で混浴というのも妙な話ではあるが、家の風呂とは違い湯船が広いので、新鮮な気分は味わえた。

 宿に帰ると、部屋が差し替えられていた。山に入る衆と思いこんでいたところ、夫婦者がやってきたので、相応の部屋にと配慮したらしい。宿の家族のための大部屋が、私どものために用意された。離れにある新しい綺麗な部屋で、ありがたかった。

 食膳は、豪勢だった。見慣れぬ肉が出ていたので、これはなにかと問うと、エゾシカだという。宿の親爺がマタギで、北海道まで遠征してきた成果だそうだ。地元の産でないとはいえ、自らしとめた獲物が供された膳には、強い印象を受けた。このほか、山菜や蕗や蕎麦など、食膳には付近の大地から産されるものが彩られていた。饗餐の典型とはかくの如きかと、感動を覚えた。

 宿の一隅には、月の輪熊の毛皮の敷物があった。これも親爺がしとめたものだという。月の輪熊は羆と比べおとなしく小柄だが、熊であることは間違いない。月の輪熊は絶滅が危惧されるほど個体数が減っているらしい。かような稀少種を獲物としたさまを実見して、羨望を感じた。

 
写真−3 旅館での食膳            写真−4 月の輪熊の敷物と筆者

 

■豊かさとは

 ごく正直にいえば、こんな予見を持っていた。この地とはどれほど辺鄙なところだろうかと。実際に着いてみれば、確かに辺鄙な場所ではあり、僻遠の彼方ではあった。しかし、この地は思いのほか豊かであった。

 要するに、偏見に縛されていた。田舎=貧しい、と勝手に思いこんでいた。ところが、実相はまったく異なるものであった。

 秋田県の、いわんやさらにその奥地は、経済指標において劣位にあるのは間違いない。秋田県の一人あたり県内総生産は第34位(首位東京都の44%水準/平成 9(1997)年度)、一人あたり県民所得は第38位(同じく首位東京都の60%水準)、いずれも下から数えた方がはやい。だから秋田県が貧しいかといえば、そうではない。日本の社会において相対的に豊かでないというだけで、充分に豊かなのだ。

 高度経済成長以前は、経済的劣位は即ち貧しく乏しいことを意味した。飢え餓えることさえあった。ところが、高度経済成長は日本の経済力を根底から押し上げた。今日では、どの地方のどの家庭を訪れても、テレビ・冷蔵庫・自動車など文明の利器が揃っているのが普通だ。それが日本の底力である。

 かような礎の上に立てば、経済的優劣を比較するのに、どれほどの意味があるだろう。恵まれているのと、極めて恵まれているのとでは、いかほどの差があるのだろう。

 してみると、この地はたいへん豊かであると呼ぶべきであろう。国内の経済指標、即ち金銭的評価においては、なるほど劣位にあるかもしれない。しかし、様々な食糧を産する大地を擁し、自給自足できるならば、金銭収入に重きを置く必要がないのである。だからこの地は、生活を営むに充分すぎるほど豊かであるといえまいか。

 食生活で比較する限り、都会の方がよほど貧しい。海山の幸はなんでも入手できるかもしれない。石を投げれば当たるほど、レストランは数多くある。ところが、食材の鮮度や質は、農薬や添加物の有無は、料理の腕前は、などと突き詰めていくと、その水準の低さには驚かされる。それらは経済活動として表現されているのが実態である。経済的優位を追求していけば、自然と、規格化や大量化に帰結してしまう。都会のメニューは、見た目のバリエーションが豊富である。ところが、食材や調理法の規格化が究められているため、選択の余地が意外なほどに少ない。

 例えば、同じファミリー・レストランで三食続けて食べてみるがいい。全てメニューを変えたとしても、すぐに飽きてしまうはずである。そんなことはない、といえる方は残念ながら既に味覚を破壊されている。

 勿論、人によって主観は大きく異なるから、この価値判断を押しつける気は毛頭ない。都会は豊かで田舎は貧しいと認識する方はなおいるだろうし、実際問題として経済指標は優劣を厳密に表示してしまうから、この認識を改めろと主張しては傲慢にあたるだろう。しかし、それでも敢えて私は言いたい。この地は豊かな山であったのだ、と。

 

 

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