このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





丁酉年頭所感





 二十日を回ってようやく年頭所感を書けるという、何とも慌ただしい年越しになった。こんなしんどい年越しは繰り返したくないところだ。しかしながら、現実世界でさまざまもがいている以上、苦しくなるのはやむをえない。遅れ馳せながら、年頭所感を幾つか、記しておくことにしよう。

甲午初日
初日の出を迎える人出で混みあう「舎人山」
今年の人出はいよいよ 1,000名超か






■意見の発信

 平成28(2016)年最大級の事件といえば、アメリカ合衆国大統領にドナルド・トランプが選ばれたことであろう。筆者はトランプ新大統領の政治姿勢を支持しないし、そもそもトランプを大統領に選ぶに至ったアメリカ合衆国民の心事を危うく思う。しかしながら、トランプ新大統領就任に小気味良さを覚える面もある。

 何故か。断片的な接触でも明確にわかるほど露骨な、ヒラリー・クリントン贔屓の報道に触れたからである。 CNNやNEWSWEEKなど日本でも伝えられるほどの主要メディアは明確にクリントン贔屓で、日本のメディアはその尻馬に乗る形だった。池上彰・佐藤優が綺麗に読み違えたほど、米メディアはクリントン推しの記事を提供し続けていた。

 筆者は アゴラ——言論プラットフォーム での渡瀬裕哉氏の記事を継続的に追っており、かつその分析の信頼性の高さを見出していた。(平成29年初頭時点アゴラで閲覧できる)最も古い記事は平成27(2015)年12月11日の「なぜ反イスラム発言でトランプの支持率は落ちないか」で、以降継続して米大統領選分析記事を提供し、感情や好悪によらず客観的にトランプ有利を伝え続けてきた。渡瀬氏の筆致は自らの叡智を恃むこと強く、受け容れがたい面はあるものの、信頼性の高さは紛れもない。この渡瀬氏の記事がなければ、筆者がトランプ当選を予見することなどできなかった。

 トランプ新大統領が良き大統領になるかどうか、現時点ではまったく見通せない。その一方で、クリントンに肩入れするあまり、トランプ当選を予見できなかったメディア連が「Post Truth」を唱え始める醜悪さは見過ごせない。自分以外の意見が全て「Post Truth」であるならば、あまりにも傲慢というものだ。

 「Post Truth」とは「社会の木鐸」と対をなす表現といえよう。「事実に基づかない」意見の発信である点、両者に共通するところは多い。既存メディアの化けの皮が剥がれた——重厚な装飾が剥げ落ちた、という点で、平成28(2016)年は画期となる可能性がある。

 すでに CNNはトランプ新大統領から 「Fake NEWS」と決めつけられ、質問拒否されるという制裁を受けている。その制裁が妥当かどうかは措くとして、意見を発信するにあたり相応の信頼性が求められるのはいうまでもない。

 筆者は技術者で、工学を基礎とする。事実に基づく客観的な論証を、これからも続けていきたい。筆者の基本姿勢は五年前に記した「壬辰年頭所感」から変わっておらず、そのことを示し続けられれば、と思う。





■日本のメディアもまた

 拙「以久科鉄道志学館」において繰り返し批判しているとおり、日本のマスメディアもまた事実を伝えない。トランプ大統領当選においてもまた然り。

 典型的な断面はTPPである。「せっかくここまで積み上げてきた合意が覆される」という類のコメントを垂れ流すとは如何なものか。このように発言する政治家・官僚がいたとしても、内心が全く同じであるものか。TPPに関しては、

「日本はTPPを国会で批准し、国際的な約束を果たした。アメリカがTPPを覆したとしても、それこそ大国の横暴というもの。TPPが発効せず、現状が変わらないのであれば、日本にとって悪いことではない。地方からの突き上げが消え、かえって楽だ」

 ……といったあたりが平均値ではなかろうか。しかし、この種のコメントや分析記事を主要メディアでは見ることがない。ちょっと考えればすぐ出てくる着想を表面化させないとは、相当に凝り固まっていると見える。

 これはもちろん、他山の石でもある。自戒したい。

丁酉初日
「舎人山」山頂で迎える丁酉初日の出






■高度な専門性

 平成28(2016)年はテクニカルにややこしい事象が表面化した年でもあった。とりわけ豊洲問題は東京都政の主導権争いと密接に関連し、混乱しやすい事象ではあった。そこに今回の突拍子無い調査結果が示され、解決は遥か彼方に遠ざかった感がある。

 築地・豊洲問題はテクニカルな案件であることに加えて、相反利害調整を要する断面もあり、解決には相当高度な専門性を必要とする。かような案件を「足して二で割る」政治の世界で解決するのは、かなり無理があるように思われる。

 同様に難しい案件が交通・鉄道の世界にもある。JR北海道問題である。筆者は実は、現実世界においてもJR北海道問題への参画を試みつつあり、幾許かの成果も得ている。その過程を踏まえて率直にいうと、JR北海道問題は素人の思いつき程度で解を見出せるほど容易くはない。一通りの材料を確保した筆者にしても「日暮れてなお道遠し」と慨嘆したくなるほど、前途は厳しい。

 筆者は拙「以久科鉄道志学館」において、継続してJR北海道問題を採り上げるつもりではいる。しかしながら、断片を提供するにとどまることも、予め宣言しておかなければなるまい。

 拙「以久科鉄道志学館」を読み続けている読者諸賢には感謝しつつ、JR北海道問題が現実世界を動かさなければどうにもならない一大事である以上、現実世界において行動を起こさなければならない。

 筆者は既に老いの坂を下りつつある。小智を誇ったところで意味はない。行動し、実績を残し、その記録を残すのみである。





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