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第3章 攻める市/守りから一点突破の名鉄

■地下鉄の時代へ

市内地下鉄の前史
 名古屋市内での高速度鉄道建設に対する会社の関心は古くは大正 8年に名古屋電鉄が名古屋郊外循環鉄道および横断鉄道の免許申請を行った時点にまで遡ることができる。また 9年には東西線・南北線の2線の地下鉄道建設を申請している。この企ては市内線の市営移管後の民営鉄道の在り方に関する問題提起の意味合いが強く、会社としては必ずしも現実的な見通しは持っていなかったが、現在の市営地下鉄路線網と相似した形状であるのは注目される。・・・・・・・・
 一方名古屋市は11年に東西線・南北線を軸とする7路線、総延長52キロの高速鉄道案を発表し、また15年にも交通網調査会を設置して、4路線の計画を策定して、戦前2回にわたり都市内鉄道の建設を提唱している。戦時体制に入ってこれ等のプランは夢物語と化してしまったが、戦後の復興に当ってその提言は再び活用されることになる。
 名古屋市は戦後の復興計画を立案するに際し、三たび高速度鉄道網建設を企図することとしたが、今回は用地買収の便宜・建設費の削減を考慮して、戦災復興事業に関する都市計画と一体化して進めることを考案した。
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 その結果22年10月には戦災復興院が主催する名古屋市高速度鉄道協議会によって6路線55キロの計画が決定した。
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 その後25年 8月には市が公益事業学会に依頼した高速度鉄道の経営形態に関する研究結果が同学会より発表され、そのなかで基本的固定施設は市で、動的施設と運営は新会社でとし、新経営会社には市・名鉄・近鉄及び一般市民が参加して行うとの案が示されたが、この高速度鉄道網原案は主として資金調達困難の理由から、実行態勢に入ることができなかった。
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 こうして28年に・・・・・・・・私鉄側は建設資金調達の問題では協力の確約を行わなかった。
 これで協同経営や相互乗入れの案も事実上消滅し、特別委員会は 9月22日に①建設は早急に実施、②地下線とする、③広軌・第3軌条方式を採用、④市営市有の経営形態とする結論を作成、10月 8日に議員総会でこの案が満場一致可決され、当初のプランは完全に破棄された。
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 路面電車の市営化の後、さらに高速鉄道の計画と、名古屋市の姿勢にはとどまりません。戦争があったため、一時の停滞こそありましたが、高速鉄道網の計画が着々と構築されていきます。

 この地方の鉄道会社が大同合併し、名古屋鉄道が発足したのもこの頃のことです。御壕の電車瀬戸電気鉄道は、名古屋鉄道瀬戸線となりました。

 高速鉄道の計画案は、その時点により相違はあるにせよ、ほぼ相似形をとっています。わけても注目に値するのは、市役所裏−大曽根−水分橋(小牧線上飯田−味鋺間の新駅)間の路線です。これは市役所裏−大曽根間で瀬戸線の経路をなぞっています。これをどのように扱うかが、名古屋鉄道と名古屋市の争点になりました。

 高速鉄道の計画は、名古屋市と私鉄の共同事業というかたちで始まりました。運営方法は「基本的固定施設は市で、動的施設と運営は新会社」とされ、今日でいう上下分離方式(しかも「上」は第3セクター方式)が採られていました。これが実現していれば、日本の都市鉄道整備のあり方が、全く変わっていたかもしれません。

 しかし、理由は必ずしも明確でありませんが、高速鉄道計画は頓挫してしまいました。名古屋市は、独力での地下鉄網整備へ姿勢を転じました。資金調達の困難は、おそらく真の理由ではないはずですが、ここでは措きます。

 瀬戸線にとっては、先に記した、市役所裏−大曽根−水分橋間の路線が焦眉の急です。この路線にどう対応するか。名古屋鉄道はまずモラトリアムを画策します。

 

市内地下鉄の前史(承前)
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 ただし会社は瀬戸線の都心乗入れについての協議の継続を申し入れ、市側より以下の回答を得ていて、これが後日の栄町乗入れにつながってゆく。
                           (記号番号略)
                          昭和29年 5月31日
 (宛名等略)
       名古屋市高速度鉄道建設に関する協定について
 標記の件に関する・・・・・・・・貴社千田副社長より口答を以て当市交通局長に
御申入れの要点は
 1.東西線の相互乗入れの取止めは了承
 2.南北線については瀬戸線との関係を明確にしておき度い
の二点と了解いたしますが、瀬戸線と当市高速度鉄道路線との連絡について
は次のように各種の案が考えられますが、何れも早急に決定いたし難いので、
瀬戸線との関係は後日協議いたすことゝしてこの際相互乗入れの取止めにつ
いて御諒承得たく至急御返事を願いたい。
 1.栄町まで並行乗り入れ
 2.市役所裏にて連絡
 3.大曽根にて連絡
   こゝに瀬戸線、国鉄線、小牧線と市高速線とを連絡する
   総合駅をつくる

 

 名古屋市のイライラがにじみ出る文面といえます。この時点での課題は、高速鉄道計画における名古屋市と私鉄各社との関係の見直しにありましたから、瀬戸線を守ろうという名古屋鉄道の姿勢は、市にとっては枝葉の案件だったはずです。

 高速鉄道計画での協調を解消し、これを名古屋市の単独事業に確定するのが先決、瀬戸線を云々するのはその後だろう、そんな名古屋市の不快感がなんとなく察せられます。

 

 

■瀬戸線の経営権をめぐる攻防

瀬戸線の栄町乗入れ
 瀬戸線は明治の開業時から起終点ターミナルが適当でないという営業上のハンディキャップに悩まされてきた。そのため大曽根から市街の北部を回って名古屋城の外壕を利用して堀川畔に達する路線敷設を考案し、大正元年 2月に大曽根〜堀川間の複線が開通していた。しかしこれでも都心と直結する状態ではなく、戦後に沿線の守山・尾張旭方面が住宅地・文教地区へと発展するに従って不便さが目立ってきた。
 ところが前記のように名古屋市の戦災復興計画とこれとセットとなる高速度鉄道計画のなかで、瀬戸線の都心乗り入れが取り上げられてその具体化が実行に向かっていた。・・・・・・・・瀬戸線に関してはすでに復興土地区画整理事業が鉄道計画を先取りし、大曽根〜市役所裏間の鉄道用地を確保して、いわゆる2号線の建設と瀬戸線との相互乗り入れの準備が進められていた。・・・・・・・・
 その後高速度鉄道計画全体が転換したため、名古屋市との相互乗入れは原則的に廃案となったが、瀬戸線に関しては前記の既成事実が存在するため、市は鉄道計画を進行するに当り会社の立場を配慮した手続きを取った。その結果、現在の東大手〜大曽根間の線路の形態は32年 8月までに大体完成し、線形は大幅に改良された。・・・・・・・・

 

 名古屋鉄道も必死です。市内線の経営権を手放したことがよほど強い教訓になっていたのでしょう。瀬戸線の経営権確保のため、名古屋市に対してはモラトリアムを図りつつ、既成事実を積み重ねていきます。

 この時期の瀬戸線の路線図は図−3のとおりです。このスケールでは目立ちませんが、森下付近の線形が整理されていることがわかるでしょう。このような改良事業は、瀬戸線の経営権は名古屋鉄道にあり、という宣言でもあったはずです。

 なお、この時までに、坂下・師範下・久屋が廃止、社宮嗣・東大手が休止されています(社宮嗣は復活されずに廃止/東大手は長い休止期間の後に復活)。休廃止に至った理由は不明ですが、市電との競合を勘案して、利用者の少ない駅を整理したものと思われます。ただし、東大手に関しては、ここを休止することで、利用者に大津町まで乗ってもらうという意図があったのかもしれません。もしそうだとすれば涙ぐましい努力です。

 ところが、名古屋市は容赦なく攻めたててきます。どこまでも強気です。

 瀬戸線は、おそらく軽んじられたのでしょう。全線専用軌道とはいえ、路面電車に毛が生えたような規格です。電圧は 600Vとまさに路面電車そのもの。御壕の中にはR=60mという、極端な急曲線が存在してもいます。

 新しい高速鉄道計画に燃える名古屋市にとっては、瀬戸線の存在など眼中になかったのかもしれません。

 

瀬戸線の栄町乗入れ(承前)
 ・・・・・・・・
 36年 1月に至り市は会社に対し「大曽根都市改造計画に伴う名鉄瀬戸線の処理方針について」という照会をした。会社はこれに答えて、瀬戸線を改軌し、市の南北線(2号線)と大津橋付近で相互乗入れを行いたいことを表明した。市はこれを検討したが、37年 6月に相互乗り入れは基本的に好ましくないと回答して、会社瀬戸線との共同計画を打ち切った。・・・・・・・・

 

 どうやら名古屋市は名古屋鉄道に対し、瀬戸線の廃止を迫ったようです。先の引用文中の照会の表題、「処理方針」という極めて厳しい表現が、その証拠だと考えます。

 名古屋鉄道は、おそらく敢えて、照会の詳細な内容の記述を避けたのでしょう。名古屋市の態度を不快に思ったことは、まず間違いありません。

 名古屋鉄道は、瀬戸線経営の継続をごく明確に表明します。「大津橋(※)付近で相互乗入れ」とは、大津橋−大曽根間の経営は自社で行うことを意味します。相互直通運転を実現するため、瀬戸線を改軌してもいいとさえ提案しています。引用文中には明記されていませんが、おそらく給電方式の変更(架空線方式から第三軌条方式)まで覚悟していたかもしれません。

   ※引用者注:原典の図面は東大手付近の接続となっており、記事と乖離している。
         これは、現瀬戸線の線形に沿うような新線をつくり、大津橋を境とする案と解釈できる。

 ここに至って、名古屋市は方向転換します。瀬戸線をとりこむことを諦め、独自の路線網構築に走り出すのです。瀬戸線の経営権は、名古屋市にとってもはや些事になっていたようです。

 

瀬戸線の栄町乗入れ(承前)
 ・・・・・・・・36年10月には運輸省の都市交通審議会名古屋圏部会が開催され、市の路線は瀬戸線と土居下〜大曽根間で並行する計画とされた。しかし市は後日二重投資であるとしてこの案を変更し、市役所から北上して黒川経由とするように改め、42年 7月に免許申請した(46年12月に開通)。・・・・・・・・

 

 名古屋市のこの措置は、瀬戸線にとってたいへん厳しいものです。黒川経由になったとはいえ、強力な競合路線が出現するわけですから、瀬戸線の経営に影響を与えないはずがありません。

 名古屋市には、瀬戸線を攻め滅ぼすほどの強い意志があったのかもしれません。この案にせよ、瀬戸線と並行している以上、充分「二重投資」だといえるのです。それを敢えてやるからには、瀬戸線が立ち枯れになるのを狙っているようにしか見えません。

 名古屋鉄道の困惑と焦燥が目に浮かぶようです。無策のままでは、瀬戸線はいずれ衰亡してしまうでしょう。なにか手を打たなければなりません。

 

 

■都心乗入をめぐる攻防

瀬戸線の栄町乗入れ(承前)
 ・・・・・・・・この結果会社は相互乗入れは不可能となったので、改めて単独での栄町乗入れを42年 9月に名古屋市に申し入れ、翌43年 8月に運輸・建設大臣宛に東大手〜栄町間 1.5キロの敷設申請を行った。
 この企画に対して市と会社は種々協議を重ねたが、従来の経緯を尊重して46年12月に以下の通り合意を見るに至った。
               協定書
 名古屋市(以下「甲」という。)と名古屋鉄道株式会社(以下「乙」と
いう。)との間に、乙の東区久屋町五丁目、中区三の丸三丁目間の鉄道路
線(以下「栄乗入れ線」という。)の建設について、次の協定を締結する。
 1.甲は、乙が市道久屋大通に栄乗入れ線を建設することに同意する。
 2.乙は、甲の一般行政に寄与する目的で、甲乙が別途定める金額を
  甲に寄付するものとする。
   なお、寄付する時期、方法などについては、甲乙協議して定める。
 3.(略)
 4.乙が所有する八事・豊田間の地方鉄道事業免許のうち、甲の高速
  度鉄道3号線と競合する区間の免許を乙は、甲に無償譲渡するもの
  とする。
   (以下略)
     昭和46年12月24日
     甲乙署名

 

 名古屋鉄道は、単独での栄町乗入を決断します。名城線と競合することも、乗入線建設に要する初期投資負担の重さも、瀬戸線そのものを失うよりは軽いと判断したのでしょう。

 ところが、名古屋市はさらなる要求を繰り出します。市道占有の条件としてか、寄付金を求めたあたりは、名古屋電気鉄道の昔に戻ったかのようです。新三河鉄道→三河鉄道→名古屋鉄道と継承されてきた、八事−赤池間免許の無償譲渡を要求するに至っては、過酷としかいいようがありません。かなり極端な不平等協定といえます。

 名古屋鉄道の当事者は、屈辱すら感じたことでしょう。それでも、この協定は成立しました。寄付金も、まだ見ぬ豊田新線の免許も、今ある瀬戸線を潰すよりはましという判断があったのでしょうか。これらを名古屋市に渡してしまいました。

 肉を斬らせて骨まで断たせて、ようやく陣地を守ったという趣です。

 

■都心乗入の悲願実現

 こうして瀬戸線は、悲願ともいえる栄町乗入の実現に向け動き出します。東大手を復活のうえ、東大手−堀川間( 2.0km)を廃止し、東大手−栄町間( 1.5km)に地下線を新設することになりました。地下線へのアプローチ区間にあった土居下は廃止となりましたが、実際には東大手に機能を移転したようなものです。

 

 東大手−堀川間は昭和51(1976)年 2月15日に廃止、東大手−栄町間は昭和53(1978)年 8月20日に開業しています。新線区間の工事延長は 2,135m、総事業費は約 200億円と、距離のわりにコストを要する事業でした。

 栄町乗入線の建設にあわせ、 600Vから 1,500Vへの昇圧も行われました。これに伴い在来旧型車は一掃され、本線系統から転属の改造車3780系22両、新造車6600系12両が投入されました。50kgNレールへの重軌条化も行われました。さらにその後、矢田−東大手間の連続立体交差化も進められました。

 瀬戸線の古色蒼然たる趣は払拭され、まさに「都市高速鉄道として再生した」のです。

 

 

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