このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





天塩炭礦鉄道を歩く

そのⅡ〜〜第一トンネル





■第一トンネル(留萠側)

 自動車にとってはともかく、鉄道にとっては急勾配の、そして自転車にとっても相応にきつい勾配を上り詰めると、第一トンネルが見えてきた。

第一トンネル
第一トンネル留萠側遠景(奥が達布方面)


 「通行止」という表示は自動車に対するものと解釈、トンネルの坑口に近づいてみる。

第一トンネル
第一トンネル留萠側近景


 ブルーシートがまったく無粋というしかないが、道道として整備途上にあるがゆえに、無用の立入を防止するために当然の措置ではあろう。

 坑口周辺の法面がアンカー付格子枠工で補強されているのに対し、坑口じたいの劣化は著しい。上部には完全に開口したクラック、開口しかけたクラックがそれぞれ一箇所ずつあり、この他にも何条かのクラックが走っている。右手に見える柱状の装飾に至っては、コンクリートが形を失っている。このぶんでは、もはや根本的な改修が必要だ。

第一トンネル
第一トンネル留萠側超近景


 ブルーシートの隙間から内部をうかがってみると、崩落を補強したはずの鋼製支保工がすっかり錆びついていた。本当に道道として整備する意志があるのか、ふと疑問が湧いてくる。

第一トンネル
第一トンネル留萠側近景


 今はただ、灼熱の太陽にあぶられつつ、第一トンネルは再起の時を待っている。





■第一トンネル(達布側)

 問題は、第一トンネルの達布側に如何にして辿り着くかである。あわよくばトンネルを通り抜けることも念頭にあったが、かくも厳重に封鎖されていては通過など不可能である。国土地理院 1/2.5万地形図には、坑口付近から尾根筋に達する小径が記されているものの、尾根の反対側まで行けなければ意味がない。

 必然的に、一旦留萠市街まで戻り、海岸線沿いに臼谷まで北上、さらに林道を駆け桜山に至る、大迂回を敢行せざるをえない。これは平成 3(1991)年にも実走しており、骨身に染みた辛さが未だ生々しい。しかも当時はスポーツ仕様のATB、今はお買物自転車に毛がはえた程度のレンタサイクルだ。さらに肉体は衰え、体重はぶざまにも増えている。気が重くなる一方のところ、せっかくここまで来たのだからと蛮勇を奮い、とにかく前進である。

第一トンネル
第一トンネル達布側遠景


 問題はまだ残されていた。近年工事の手が入っていなければ、第一トンネル−桜山間の線路跡には草木が繁茂し、立入困難となっている懸念があった。逆に、工事の真っ最中であれば、これまた立入は困難だ。息を切らしながら林道を上り詰めていくと……。

 工事は今年もやっている様子だ。本日は土曜日、休工になっていれば、第一トンネルに近づくことは決して難事ではない。……と安心しかけていたら、作業用車両の往来があるではないか。これは難しい場面だと一刹那逡巡したのち、せっかくの機会をみすみす棒に振ることこそむなしい所業、当たる前から砕けては情けないにもほどがある、と思い直し、執念を眉間に示しつつ、現地で働いている方々に交渉してみたのであった。

 結論からいえば、写真が残っていることからわかるように、工事現場内への立入は簡単に認められたのであった。幽遠な奥山に自転車を漕ぎ漕ぎ踏みこんでくる来訪者など稀であろうから、憐憫の情を持たれたのかもしれない。

第一トンネル
第一トンネル達布側近景


 工事の内容は、坑口付近にアンカー付格子枠工を構築し、法面の安定を図るものだった。平成 3(1991)年の来訪時には、鬱蒼とした空気のなか、測量作業が行われていた。あれから16年の時が経ち、道道は未だ完成していない。蝸牛の歩みの方がよほど素早いのではなかろうか。

第一トンネル
第一トンネル達布側超近景


 この角度で写真を撮っていると、若い作業員に「こんなトンネルになにか価値があるんですか」と尋ねられたのが、妙に微笑ましかった。客観的に考えれば、営業廃止後40年を経たトンネルに価値を見出すのは難しい。明治期の古トンネルというわけでもなく、意匠にすぐれているわけでもない。天塩炭礦鉄道が敢えて穿った、という歴史的事実こそが、このトンネルの本質である。





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