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二本のトンネルの因縁〜〜天塩炭礦鉄道
<完全改稿版>
そのⅢ 天塩炭礦の発起
■小平蘂川上流域に石炭資源を求めて
第Ⅰ章にまとめたとおり、小平蘂川上流域に石炭資源が埋蔵されていることは江戸時代末期から認められていた。しかし、持続安定的に採掘を続けた事業者は江戸・明治・大正期を通じ出てこなかった。後に天塩鉄道を興す北炭にしても、「明治三十四年採掘権を所有して以来継続所有し、常に開発の意図を有したるも諸条件に制約せられ実に数十年の間陽の目を見るに至らなかった」と参考文献(01)に記さねばならないような状況であった。
「諸条件に制約」されていたのは北炭であるが、「諸条件の制約」打破を意図したのもまた北炭であった。否、これは北炭という会社組織ではなく、むしろある個人の強い意志に帰すべきであろうか。
北炭北海道支店事務部長大西一男(後の天塩炭礦鉄道社長)は昭和 6(1931)年より、「海岸線に近き小平蘂炭田の開発は港に遠い事業地のみに依存せる北炭として、経済的価値と共に奥地開発の使命達成のため早急に開発の要」ありと建言し、事業化を進めたのである。以下、参考文献(01)の記述により時系列を年表化してみよう。
年(元号) | 年(西暦) | できごと |
明治34年 | 1901年 | 北炭による石炭採掘権所有 |
昭和 6年 | 1931年 | 大西事務部長による天塩炭礦事業化の建言 |
昭和 8年 | 1933年 | 小平−達布間鉄道建設予算編成(夕張鉄道に委嘱) |
昭和10年 | 1935年 | 部分的に現地測量開始 |
昭和12年 | 1937年 | 本格的に現地測量開始 留萠−達布間の調査を並行して開始 |
昭和13年 | 1938年 | 留萠−達布間地方鉄道建設申請 |
昭和14年 | 1939年 | 留萠−達布間地方鉄道敷設免許 天塩鉄道株式会社創立 |
年(元号) | 年(西暦) | できごと |
明治34年 | 1901年 | 北炭による石炭採掘権所有 |
昭和 6年 | 1931年 | 大西事務部長による天塩炭礦事業化の建言 |
昭和 8年 | 1933年 | 小平−達布間鉄道建設予算編成(夕張鉄道に委嘱) |
昭和10年 | 1935年 | 部分的に現地測量開始 |
昭和12年 | 1937年 | 本格的に現地測量開始 留萠−達布間の調査を並行して開始 |
昭和13年 | 1938年 | 4月:国家総動員法公布 7月:留萠−達布間地方鉄道建設申請 8月:人造石油事業法公布 12月:北海道人造石油株式会社創立 |
昭和14年 | 1939年 | 3月:留萠−達布間地方鉄道敷設免許 5月:天鉄創立 |
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