このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

第6章 天鉄廃止後の状況

 

 廃止になった後、天鉄の用地・施設などはどうなったでしょうか。そのまま残っているでしょうか。それとも、転用されたのでしょうか。筆者の実見と、参考文献(12)などから、下記にまとめてみます。

場所平成 3年時点平成 6年時点参考文献(12)
留萠駅羽幌線跡と同化写真あり
留萠川橋梁羽幌線含め痕跡なし痕跡なし
春日町駅確認できず写真あり
第一T南口道道への転用工事中/入口近くで崩落復旧・補強工完了工事中のため近づけず
第一T北口測量中/路盤上には木々が繁茂単線の築堤残る
桜山駅路盤上には草木が繁茂写真あり/道道対応の拡幅工事済?
第二T記述なし
天塩住吉駅確認できず写真あり
天塩住吉駅〜沖内駅道道に転用
沖内川橋梁劣化が進んだ橋脚を確認記述なし/撤去されたか?
沖内駅場所を確認集会所に転用/写真あり
第三T両坑口とも封鎖写真あり
第三T北口〜達布駅道道に転用一部の駅の記述/写真あり
達布駅てんてつバス営業所写真あり
小平蕊川橋梁劣化が進んだ橋梁・橋脚を確認記述なし/撤去されたか?
炭礦ホッパー存在を確認写真あり

 

 天鉄の廃線跡は、ほぼ全線に渡って、転用された(もしくは転用されつつある)ことがわかります。しかも、道路に転用された部分が圧倒的に多いのが特徴です。未転用の部分は既にほとんどないようですし、民間に譲渡された部分も多くはなさそうです。

 それにしても、春日町−天塩本郷間の用地・トンネルを転用する、道道留萌小平線工事のペースの遅さは、どのように理解するべきでしょうか。私の初訪問時から10年近く経つというのに、未だ完工する気配がないのです。施工主体たる北海道には、この事業を完遂する意欲がないように見えます。これは当然といえば当然かもしれません。海岸沿いには立派な国道が供用されて久しく、サブルートとなる道道の必然性は大きくないのですから。

 それではなぜ、敢えてこの事業に着手したのか。この疑問に対しては、どのような答を与えるべきでしょうか。

 

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 以下に連想を試みてみましょう。

   留萠鉄道浅野炭鉱付近 → ダム湖に水没
   三菱石炭鉱業南大夕張鉄道南大夕張−明石町間 → サイクリングロードを経てダム湖に水没
   夕張鉄道下の月−北長沼間 → 広域農道に転用
   夕張鉄道富野−鹿之谷間 → サイクリングロードに転用
   千歳線東札幌−大谷地間 → サイクリングロードに転用

 これら事例には、積極的な意図があって転用したというよりむしろ、転用じたいを目的とした気配がありますが、そう考えるのは穿ちすぎでしょうか。鉄道路線は廃止されても会社はなお存続します。その会社の経営を支援するため、元の鉄道用地を買収し、必ずしも急を要さない事業を興している可能性があります。そして、道道留萌小平線はその典型のように思えてならないのです。

 廃線跡がその原型を失っていくのは、かなしむべき状況ではあります。しかし、会社に残り続ける方々にとって、不要になった用地を転用・転売することは、会社の利益を確保するための有力な選択肢のひとつなのでしょう。かような行為そのものの否定は、すべきでないでしょう。

 天鉄の営業時代をかたちづくるもの、車両・構造物・施設など大部分が、既に失われています。今後も原型のまま残りそうなのは、第一・第二トンネルくらいでしょう。これらは単線断面のまま道路転用される様子なので、かなり永い寿命を保つと思われます。天鉄の記憶を最後まで刻するのは、おそらくこの二本のトンネルでしょう。転用が実現すれば、営業期間より長い廃止期間を経て再び世に出ることになりますから、この二本のトンネルにまつわる因縁は、どこまでも深いものがあるといえそうです。

 

 

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