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ドッガー・バンク海戦に見る機関部の実相
4.戦訓
まとめとして、ド海戦における機関部に関する戦訓を挙げてみましょう。
4-1. 軽快艦艇の速力増大に関するもの
まず英国側は、軽快艦艇(軽巡洋艦、駆逐艦)が26ノット以上で疾駆する主力艦(巡洋戦艦)に追従できず、通常ならぱその針路前方に占位しての前路警戒、および先頭付近に集結・同航し機に乗じて行う魚雷襲撃は、ともに実施する機会を失いました。
これはドイツ側も同様で、駆逐艦は小型かつ劣速のため、敵主力艦に対する襲撃はおろか、23ノットで航行する味方主力艦(巡洋戦艦・装甲巡洋艦)や軽巡洋艦にすら追従できず、密集隊形のため前続艦の艦尾波にも影響されて次第に後落するに至り、ほとんど戦闘の帰趨に寄与しませんでした。
こうして、両軍主力艦の大速力は、随伴する軽快部隊を事実上無力化したため、自然と海戦の態様が主力艦同士の砲戦のみに集約、単純化されました。
ド海戦における英国巡洋戦艦は、次章で述べるように計画当初の戦闘巡洋艦的用法でしたから、翌年のジャットランド海戦のような軽巡洋艦による前路警戒などを必ずしも必要としなかったとも考えられますが、いずれにしても軽快部隊(軽巡洋艦、駆逐艦)が組織的な艦隊戦闘に参加するためには、味方主力艦(巡洋戦艦)よりも実質3〜5ノットの優速を備えることが必要で、その実現手法としは
主缶: 小径水管付き重油専焼缶
主機: 高低圧または高中低圧併結式オール・ギヤード・タービン
による重量当り出力、容積当り出力の増大が有りました。
しかし、ド海戦後に起工の英独軽巡洋艦は、英国のエメラルド級など一部の特殊目的のものを除き、下記のように同時期の巡洋戦艦より必ずしも優速ではありませんでした。これは技術的な制約と言うより、艦隊運用上で切迫した要求が無かったためと考えられます。
ドイツ:
巡洋戦艦 マッケンゼン級 1915年起工(未成) 30,511T, 直結タービン3基3軸、90,000shp, 27kts
軽巡洋艦 ケルン級 1915年起工 5,620T, パーシャル・ギヤード・タービン2基2軸、31,000shp, 27.5kts
英国:
巡洋戦艦 アドミラル級 1916年起工(フッド以外未成) 42,670T, オール・ギヤード・タービン4基4軸、144,000shp, 31kts
軽巡洋艦 ダナエ級 1916年起工 4,970T, オール・ギヤード・タービン2基2軸、40,000shp, 29kts
参考までに、八八艦隊計画による日本軽巡洋艦は、下記のように巡洋戦艦より3ノット以上優速となっていました。
巡洋戦艦 天城型 1920年起工(未成) 41,200T, オール・ギヤード・タービン4基4軸、131,200shp, 30kts
軽巡洋艦 天竜型 1917年起工 3,230T(基準), オール・ギヤード・タービン3基3軸、51,000shp, 33kts
軽巡洋艦 球磨型 1918年起工 5,100T(基準), オール・ギヤード・タービン4基4軸、90,000shp, 36kts
駆逐艦に関しては、英国では2-3.項で既述のルシファーとレオニダスの好成績により、1915年6月以降の発注分は全てオール・ギヤード・タービンが採用されました。これは第1次大戦半ば以降、パーソンズ、ジョン・ブラウン両社での歯切盤(ホブ盤)を中心とする製造能力の整備によって実現可能となっています。
ドイツでは、1918年に起工のV170級(未成)に至って初めてオール・ギヤード・タービンの採用が決定されています。
4-2. 煤煙防止に関するもの
当時の主燃料は既述のように石炭で、一部が重油を使用していました。
石炭の燃え方は、まず外部から熱せられ、放散される揮発分に引火し、次いで引火点に達した固定炭素が燃え出します。当時の缶は手焚きで、石炭が火室に投入された瞬間は局所的かつ一時的に温度が下がるため、揮発分中の炭素が未燃のまま煙突から吐出され、煤煙となります。頻繁に、また大量にくべるほど、酸素不足とあいまって黒煙濛々となるわけです。燃料のサイズが大きく、かつ不同なことや、燃焼の断続的なことなどが、煤煙発生と大いに関係しています。
これに対して重油の噴燃は霧状の燃料が連続的に燃焼しますから、燃料中の炭素が空気中の酸素で良く酸化され、本質的に煤煙が低減するわけです。なお、必要に応じ、意図的に空気の供給を抑えることによって濃密な黒煙を排出し、煙幕を展伸することも容易です。さらに、体積当りの発熱量が大であること、燃料庫配設の自由度が増すこと、燃料搭載および焚火の省力化によって機関部員を大幅に削減できることなども大きなメリットです。
英国では、すでに第1次大戦の開戦前から大艦以外は重油専焼が採用されていましたが、ド海戦以降に建造のものは、大艦でも重油専焼となっています。
ドイツでは、駆逐艦のみ重油専焼としていましたが、ド海戦で煤煙が作戦指揮にも悪影響を及ぼしたことより、以後重油燃料の寄与率を増大しています。
ちなみに、ド海戦の以前と以後に起工されたドイツ艦艇を比較すると、
巡洋戦艦 ヒンデンブルク 1913年起工
石炭専焼缶14基、重油専焼缶4基、石炭搭載量3,640トン、重油搭載量1, 180トン、炭油比率3.08
巡洋戦艦 マッケンゼン級 1915年起工(未成)
石炭専焼缶12基、重油専焼缶4基、石炭搭載量3,940トン、重油搭載量1, 970トン、炭油比率2.00
軽巡洋艦 ケーニヒスベルク級 1914年起工
石炭専焼缶10基、重油専焼缶2基、石炭搭載量1,340トン、重油搭載量500トン、炭油比率2.68
軽巡洋艦 ケルン級 1915年起工
石炭専焼缶8基、重油専焼缶6基、石炭搭載量1,100トン、重油搭載量1, 050トン、炭油比率1.04
のように、後者は重油燃料の寄与率が増大しているのが判ります。
また、既存艦艇の石炭専焼缶にも、ド海戦以後に重油噴燃装置が付加されています。翌年のジャットランド海戦には間に合ったようで、「北海海戦史」第5巻は、
「(筆注、17:40 GMT頃)ドイツ巡洋戦艦戦隊は敵の圧迫を益痛感し始めたり剰え午後4時(筆注、15:00 GMT)以降掃除する能わざるに至りたる缶の火は含石質の石炭の為残滓多くして焚燃状態甚だ不良となり且乗員は正午以来全く食物を取らざりしを以て機関兵及び石炭繰りは既に疲労の兆候を示せり蓋し油混焼装置も亦タール油区画に於て撹乱せられたる澱渣に依り管が梗塞せる為屡故障を生じたればなり」(P395)
と、必ずしも好成績ではないにせよ、同海戦における炭油併焼の事実を記しています。
4-3. 機関部の被害局限に関するもの
4-3-1. 英国巡洋戦艦ライオンの例
軍艦機関計画一班 増補三版 巻之弐(1919年発行) 送水管装置[給水「タンク」] の項に、
「給水「タンク」ハ従来機械室前方ノ両舷ニ於テ船体区画ノ一部ヲ以テ之ニ充当スルヲ普通トセルモ舷側ニ於ケル「タンク」ハ敵弾ノ被害ニヨク海水ヲ誘致シテ缶ノ給水ヲ不能ナラシメタルノ実例アルヲ以テ現今ハ「タンク」ヲ中央隔壁ニ沿フテ両舷ニ設クルモノトセリ」(P291)
とあるのは、まさしくド海戦における同艦の被害と戦訓について述べているものと思われます。
また、上掲文献の「排出管装置」の項には、
「補助排出蒸気ハ全部機械室ニ集合セシムベキモノニシテ其主管ハ補助蒸気主管ト同様左右両舷ニ分割シテ導設スベキモノトス而シテ各分岐管ノ接続点ニハ塞止弁ヲ設ケザルモノトシ唯主管ニハ機械室前後ノ隔壁ニ於テノミ塞止弁ヲ設ケ航海中常ニ使用セザル機械室前後ノ補助排出管ヲ閉鎖シ得ルニ止メ尚両舷交通管ニ一個ノ塞止弁ヲ設クルヲ普通トス」(P287)
とありますから、同艦のように揚錨機の排気管に被弾しても、塞止弁が閉鎖されていれば、海水の浸入は途中で食い止められるはずでした。このようなことは運用面で周知徹底し、浸水を予防すべきと思われます。
ちなみに、定常的には、造水装置(蒸化器、蒸留器、付属ポンプ)が缶水中の塩分を除去しています。
軍艦機関計画一班 増補三版 巻之弐 造水装置 の項には、
「造水装置ハ真水ノ亡失ヲ補給スルヲ目的トスルモノニシテ海水ヲ蒸発セシムベキ蒸化器ト蒸発汽ヲ復水セシムベキ蒸留器及付属喞筒ヨリ成ル」(P264)
また、同著の 缶内ニ海水ノ混入ヲ予防スル装置 の項には、
「蒸化器ハ決シテ沸溢ヲ起ス等ノコトナキヲ要シ尚蒸留水ノ塩分試験ヲ行ヒ得ルタメ検水「タンク」ヲ設備スルコト」(P262)
「復水器ノ管端ヨリノ漏洩ヲ予防スルコト」(P262)
などとなっています。
復水器には海水が循環しており、海水圧は排気圧力より大きいので、管端の接合部から排気側へと海水が漏れることが有るためです。
4-3-2. ドイツ装甲巡洋艦ブリュッヒャーの例
軍艦機関計画一班 増補三版 巻之弐 蒸気管装置「蒸気管導設法」の項には、
「主蒸気管ノ導設法ハ主機械及缶ノ配備ニヨリテ異ナルベキハ勿論艦種ニ応ジテ多少ノ差アリト雖モ主管ハ必ズ左右両舷ニ分割シテ導クベキモノニシテ缶ノ半数ヲ一舷ニ連絡セシムルヲ原則トス」(P280)
とあります。
同艦の配管図は公表されたものが存在しませんが、先行のシャルンホルスト級では機関室寄りから
第1・第2缶室 各4缶 合計8缶 左右別々に蒸気管2系統 各4缶宛 中心線寄りに平行に配設
第3・第4缶室 各4缶 合計8缶 左右別々に蒸気管2系統 各4缶宛 中心線寄りに平行に配設(第1・第2缶室では前記の直上に位置)
第5缶室 2缶 左右別々に蒸気管2系統 各1缶宛 舷側寄りに配設
となっていましたので、同艦も同様であったとすると、第3缶室中央部の被弾により、第3・第4缶室からの左右主蒸気管が同時に損傷する可能性が大です。
上掲文献の解説は続けて、
「然シテ一舷ニ連絡スベキ缶数ノ分割法ニ関シテハ別ニ一定ノ法則ナク或ハ第一缶室全部ヲ一舷ニ第二缶室全部ヲ他舷ニ連絡セシムルコトアリ或ハ一舷側缶全部ヲ同一舷側ニ連絡セシムルコトアリ又時トシテハ駆逐艦ノ如ク一缶ヨリ両舷ニ連絡セシムルコトナキニシモアラズ之ヲ要スルニ缶ノ最良分割法ハ次ノ諸項ヲ考究シテ設計スベキモノトス
(一) 缶又ハ主管ノ故障又ハ敵弾ノ被害等ニ際シ成ルベク発生力量ヲ停減セザルコト
(二) 平常航海ニ於テ蒸気ノ通過スベキ部分ヲ成ルベク少ナカラシムルコト
(三) 蒸気管系ノ重量ヲ最少ナラシムルコト
と述べています。
ちなみに、ドイツの大艦は、缶室を2列の縦隔壁で横に3分割したものが多く、主機も3基、3軸としたものが多いようで、後年のビスマルク級、H級などを含め、特に純戦艦に多く見られます。一方、モルトケ級、ザイドリッツ以外の巡洋戦艦は、横3分割方式を採っていません。
いずれにせよ、上記文献にも有るように、2系統以上の主蒸気管などスチーム・サーキット同士を互いに離して配設し、1弾の命中で同時に損傷しないようにするのが、現実的な対応と思われます。
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