このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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新幹線「あおば」
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(在来線時代)「あおば」は昭和25年11月のダイヤ改正で、当時上野〜仙台間を結んでいた急行101レ・102レに命名されたのが始まりとされている。当時はまだ平仮名表記ではなく、漢字表記であった。しばらくは客車編成で運転されていたが、昭和38年6月のダイヤ改正を機に電車化され12両編成で関東〜東北を結んだ。ところが、翌年10月のダイヤ改正で「第2松島」を名乗っていた区間に青葉の名前がコンバートされ「青葉」は夜行急行となってしまった。その夜行「青葉」は、長続きせず昭和40年10月の改正で同じ東北急行であった「きたかみ」に改称され一端姿を消すことになる。3代目「あおば」は、昭和46年3月のダイヤ改正で東京・上野〜秋田間を結んでいたディーゼル特急「つばさ」の間合いを利用して仙台〜秋田間の特急列車として復活する。運行開始当初は臨時特急であったが、利用客の増加に伴って翌年3月のダイヤ改正で晴れて定期列車に格上げされる。昭和50年11月、奥羽本線の電化に伴い特急「つばさ」は電車化され、「あおば」は在来線の線路上から再び名前が消えてしまう。
(新幹線時代)その後、「あおば」の出番は暫くなかったが昭和57年6月に開業する東北新幹線の愛称名で選ばれ、活躍の場を在来線から新幹線へと移すこととなった。開業当時は上下6往復ずつの運転だったが、同年11月で本数は増便され東北だけではなく、関東近郊の新幹線通勤列車としても活躍することになる。昭和60年3月には、東北新幹線は大宮〜上野間が延伸開業され「あおば」は、14往復となり東北新幹線開業前まで走っていた特急「ひばり」の最盛期を彷彿とするほどまで成長した。平成3年6月には、東北新幹線は東京まで延伸されるが、「あおば」はこの頃から徐々に陰りを見せ始める。東京までの開業に伴って、あおばの乗客はやまびこに定着し始めたのだ。その影響で平成5年12月で東京〜仙台間の直通列車が削減されるが、東京から郊外への通勤新幹線は更に増発された。だが、愛称などの問題から平成7年12月の改正で那須塩原発着のあおばについては「なすの」に変更され、あおばは7往復まで本数が減便される。平成9年10月、長野新幹線の開業に伴いJR東日本は新幹線の愛称名の整理をすることになり、仙台〜盛岡間の各駅停車タイプも「やまびこ」と名乗るようになったために「あおば」は新幹線から消えてしまうことになる。あおばと同じように長年”みどりの新幹線”として親しまれた200系車両もリニューアル車を除き、今年12月の東北新幹線八戸開業までに順次廃車され、あのみどり色で丸顔の新幹線もついになくなってしまうのだ。
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