このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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特急「はと」
はとが最初に運転されたのは、昭和25年5月11日で当時は東京〜大阪間を結ぶ豪華特急であった。運転開始1ヶ月後の6月15日からは列車給仕6名のうち4名を女性の乗務が開始され、後に「はとガール」の名前で列車共々、一世を風靡するが昭和35年のダイヤ改正で一端消滅する。しかし翌年のサンロクトウダイヤ改正で東京〜大阪間の電車特急として再復活する。東京・大阪共に午後1時に発着するためにビジネス客などの利用率が高い列車でもあった。はとは昭和39年10月まで近畿〜関東圏の特急として活躍したが、東海道新幹線の開通後は活躍の場を山陽〜九州の電車特急として第2の人生を歩み出す。設定当初は、関門トンネルに入る為の機関車の付け替えに大変時間がかかっていたが昭和40年に交直両用の481系列車が使用されることになり新大阪〜博多間を約8時間45分で結ぶようになった。昭和43年からは往年の名列車である583系が運用化され、翌44年には設定以来初めての2往復運転が実現した。しかし、昭和47年3月の山陽新幹線岡山開業によってその活躍に暗雲が立ち上り始める。岡山開業によってはとは新大阪〜岡山間が廃止となり、新幹線連絡特急として岡山〜下関間の在来線特急として新たに2往復増強され計4往復として再スタートする。昭和47年の年末には多客期の救済輸送として下関〜大分間を走った。翌昭和48年3月、はとは、更に1往復され計5往復の運転になったが2年後の昭和50年3月の山陽新幹線の博多全面開業によって惜しまれながら廃止された。ところで20世紀も終わりになった平成12年8月、山陽新幹線博多開業25周年を記念し、新大阪〜博多間を久しぶりにはとが復活運転をし、大変な人気を得ることになると共に現在のリバイバル運転の火付け役となった。今回、はとは約2年ぶりに片道だけ岡山〜広島間を復活運転を行う。
●5月19日●
9016M
広島845−902⑦入線→海田市907→安芸中野910→瀬野914→八本松923→西条928−935→西高屋939→白市942→河内949→本郷959→三原1006−1007→糸崎1011−1013→尾道1022→松永1032→備後赤坂1036→福山1042→東福山1047→大門1051→笠岡1057→里庄1102→鴨方1106→金光1110→新倉敷1115→西阿知1120→倉敷1124→中庄1129→庭瀬1133→岡山1141
回9016M
岡山1205→東岡山1211→瀬戸1217→万富1220→熊山1223→和気1230→吉永1230→三石1235→上郡1245→有年1251−1311→相生1318→網干1329→英賀保1332→姫路1337−1338→御着1342→姫路貨1344→宝殿1348→加古川1351→東加古川1354→土山1356→大久保1401−1407→西明石1411→須磨1422→鷹取1424→兵庫1427→神戸1430→三ノ宮1436→芦屋1442→西ノ宮1445→甲子園口1447→尼崎1450→塚本1453→大阪1457−1458→新大阪1501→吹田1503→茨木1507→高槻1511→山崎1515→長岡京1517→向日町操1520
回9539M
向日町操2118→京都2126−2130→敦賀2242−2244→福井2324−2325→金沢019
リバイバル運転シリーズ⑪ 特急「やまびこ」
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