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★★★特急「はつかり」リバイバル運転情報★★★   運転日:11/2  列車番号:9002M 主な停車駅:青森・野辺地・三沢・八戸・二戸・盛岡・花巻・北上・水沢・一ノ関・仙台・福島・郡山・宇都宮・大宮・上野  運転時刻:青森807→野辺地839−840→三沢859→八戸913−914→二戸938−939→盛岡1027−1030③番線→花巻1053−1054→北上1102−1103→水沢1115→一ノ関1134−1136→仙台1251−1253③番線→福島1352−1356②番線→郡山1433−1440→宇都宮1639−1640→大宮1752−1753→上野1818⑯番線   使用車両:583系青森車12両編成   乗車券は10/2〜全国のみどりの窓口にて発売中。チケットはみんなの物であり、オークション目的での買い占めなどは絶対にお辞めください! 



特急「はつかり」

鉄道ファンマナー向上の為にここを一読ください

特急「はつかり」は青函トンネル開業前、本州から北海道への昼行特急として活躍した列車である。はつかりは昭和33年10月1日に上野〜青森間のディーゼル特急としてデビューする予定であったが、デビュー直前の9月25日に台風22号が襲来し、運転開始が10月10日に延期になるというハプニングがあった。また、初期はつかりは後に「いなほ」や「くろしお」などに用いられた80系が昭和35年12月から使われていたが、度重なるエンジントラブルなどでマスコミから「(故障)ばっかり」と叩かれたこともあったそうだ。はつかりは登場からしばらくの間、常磐線経由の特急として活躍をしていたが、昭和43年10月に東北本線が全線電化が完了しそれ以降は東北本線経由の特急として大活躍をする。また昭和43年のダイヤ改正前からは、山陽筋の特急として大活躍していた「月光」型といわれる583系(581系の改良版)が80系に変わって登場し、僅かな期間であるが常磐線を走る583系「はつかり」も見られたそうだ。本線移行後(昭和43年10月)からは、本数を2往復に増便、上野〜青森間を約8時間30分で結んだ。昭和45年8月16日、夏臨の輸送として臨時はつかり51号が設定された。従来のはつかりは東北線経由だったのに対し、こちらは常磐線経由で運転され、時刻表にも掲載がないということから誤乗が多かったというエピソードも残っている。同年10月には、輸送力増強を目的とした全国規模のダイヤ改正が実施され、はつかりは3往復になる。昭和45年以降は、ダイヤ改正の度に増強され、昭和48年3月のダイヤ改正からは、初めて1往復だけ481系が投入された。また昭和47年には、全国新幹線鉄道整備法の策定に基づき東北新幹線の上野〜盛岡間が着工され、東北特急も次第に「新幹線」という脅威が次第に迫ってくる。昭和53年10月2日、5年ぶりにダイヤ改正が実施される。同改正から東北本線上野〜宇都宮間の1時間あたりに特急3・急行2・普通5を設定した規格ダイヤを修正し、1時間あたりに特急4本を設定した。これにより、同区間の線路容量はアップしたがその反面ではつかりを始め、東北特急の所要時間が約10分スローダウンした。本数も更に1往復増便し、6往復となった。しかしその直後から本州対北海道の鉄道輸送が徐々に落ち込み、ゆうづるの2往復が季節列車化、ひばりにおいては1往復が廃止に追い込まれたが、はつかりは、この窮地から脱出することが出来た。しかし間近に迫った東北新幹線開業という大きな波には叶うことがなかった。昭和57年6月、東北新幹線の大宮〜盛岡間が暫定開業し、やまびこやみちのくなどの東北特急はこの改正で消滅したが、はつかりは11月の上越新幹線開業まで最後の活躍をする。そして11月15日、上越新幹線大宮〜新潟間が開業し、はつかりは東北新幹線の連絡特急として盛岡へ追いやられ、上野〜盛岡間のはつかりは消滅した。新幹線連絡特急として新たなスタートを切ったはつかりは、11往復までに本数を拡大し、青森〜弘前間の週末運転のはつかりも設定した。昭和60年3月、東北新幹線上野〜大宮間がようやく開通、それに伴うダイヤ改正が実施されはつかりは1往復が増強された。翌年11月には国鉄最後のダイヤ改正が実施され、はつかりの100㎞/hから120㎞/hにスピードアップがなされ盛岡〜青森間が2:21で結ぶようになる。また輸送ニーズに合わせて更に2往復が増強され14往復まで膨れあがったが、同時に季節運行されていた弘前はつかりは廃止された。昭和63年3月、本州と北海道を結ぶ青函トンネルが開業、長年北海道への連絡手段であったはつかりはその実績をかわれたのか北海道へ乗り入れる昼行列車として2往復が函館へ乗り入れることになった。平成にはいると「はつかり」全体の状況が次第に様変わりしてくる。平成2年7月には函館はつかりが1往復函館へ延伸された。一方でこの頃から景気の低迷が顕著に見られるようになり、トータルでの増発は平成2年を最後に無くなってしまう。その翌年3月には、中小国〜木古内間の速度が120㎞/hから140㎞/hにアップされ盛岡〜函館間が約11分短縮の4:09で結ばれた。平成5年12月、JR東日本の独自ダイヤ改正が実施され583系「はつかり」の定期運用がついに消滅した。また僚友であった「ゆうづる」などの夜行列車が数多く廃止になった。平成7年以降は583系の置き換えとして残った485系の陳腐化が目立つようになり、485系の改造化が実施され平成8年4月21日から運行された。20世紀最後の平成12年3月には、はつかりの速達タイプである「スーパーはつかり」が誕生した。最高時速が130㎞/hのスーパーはつかりは、主に盛岡〜青森間に7往復が設定された。平成13年4月28日、そのスーパーはつかりデビュー1周年を記念とし、「思い出の583系はつかり」が青森〜上野(翌日は上野〜青森)間を走行した。結果としてJR東日本の現在のリバイバルブームの火付け役になった。JNRマークの復活、JRマークの塗りつぶしやグリーン車のマークが1等車になっている点など限りなく現役時代を再現し、鉄道ファンからは大喝采を浴びた。はつかりは平成14年末に迫った東北新幹線八戸開業後も八戸〜青森・弘前、函館を結ぶ特急として活躍するか、はたまた将来の八戸〜新青森延伸のことを踏まえ新幹線になるのでは?と誰もが思っていた。ところが平成14年5月15日、東北新幹線八戸開業の愛称列車が発表され、八戸〜函館間の特急を「白鳥」八戸〜青森・弘前間の特急を「つがる」東京・仙台〜八戸を直結する新幹線を「はやて」と決定し、ついに「はつかり」は現役を引退することが決まったのである。今回の復活運転は、昨年同様に583系を使用したはつかりが運転され、11月30日には、「さようならはつかり583系」(青森〜一ノ関)と呼ばれる列車も運転される予定となっている。そしてその翌日、ついに新幹線開業という大きな波に呑まれはつかりは40年余りの長い歴史に幕を下ろすことになり、ついに東北本線からは国鉄時代より走っていた特急列車は全廃することになる。またある鉄道誌では、583系1編成が廃車する可能性もあると報じている。更に2年後には、九州新幹線新八代〜西鹿児島間も完成、九州の特急も東北特急同様に大きく様変わりするだろう。これから先、新幹線開業によって数多くの特急が消滅していくのを見ることになると本当で残念でならない。

●11月2日●
9002M
青森807→青森(信)811→東青森814→浅虫温泉822→小湊829→野辺地839−840→上北町851→三沢858−859→下田905→八戸貨911→八戸913−914→北高岩918→三戸928→金田一温泉933→二戸938−939→一戸943→小鳥谷946→奥中山957→沼宮内1005→岩手川口1009→好摩1012→滝沢1017→厨川1021→盛岡1027−1030→仙北町1032→盛岡タ1037→矢幅1039→日詰1043→花巻空港1049→花巻1053−1054→北上1102−1103→六原1107→水沢1114−1115→前沢1122→一ノ関1134−1136→花泉1147→石越1153→瀬峰1204→小牛田1213→鹿島台1220→松島1228→塩竃1235→陸前山王1238→岩切1241→東仙台(信)1244→東仙台1246→仙台1251−1253→長町1258→南仙台1300→名取1301→岩沼1307→槻木1311→大河原1316→白石1325→越河1331→藤田1339→東福島1346→福島1352−1356→松川1407→本宮1420→日和田1427→郡山1433−1440→郡山タ1443→安積永盛1446→矢吹1459→久田野1506→白河1511→新白河1515−1520→白坂1525→黒田原1533→黒磯1540−1547→那須塩原1552→西那須野1556→矢板1605→氏家1619→宝積寺1625→宇都宮1639−1640→雀宮1647→宇都宮タ1650→石橋1654→小金井1704→小山1709→古河1720→栗橋1725→東鷲宮1729→久喜1732→白岡1736→蓮田1740→大宮1752−1753→浦和1800→川口1805→赤羽1809→尾久1813→井堀(信)1815→上野1818
回9052M
上野1833→井堀(信)1837→尾久1841


リバイバル運転シリーズ⑮ 特急「みちのく」

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