このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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上野〜仙台間完全乗車!特急「ひばり」乗車レポート
鉄道ファンマナー向上の為にここを一読ください
[9/22]
ついに9/22の朝が静かに開けた。しかしその静けさとは裏腹に、自分は寝ていない状況が続いていたので気分が特別にいい朝でもなかった。上野駅には今朝2度目だが、さっきのブルトレの撮影時とは異なり多数の同業者がもう場所取りを始めていた。ちなみにひばりの入線時刻は8時53分であったが、ホームに入った時刻はその30分前くらいであった。実はホームにて昨日と同様に記念キーホルダー(22日は「はやて」デビューキーホルダー)とボールペン(3種類)、特製ひばり弁当などが販売するから明日は早く来た方がいいよと昨日のひばりの車内販売の人が違うボックス席の人と話しているときに何度もそう言っていたからだ。ホームでボールペンとキーホルダー、後で弁当を購入していくとお札の方がそろそろ寂しくなりかけていた。グッズを購入して場所取りをして、恥を忍んでホームの上で軽く朝食を食べ撮影の用意に取りかかった。実は今日のひばり乗車にはもう1つのエピソードがあった。それは、親友T氏がキャンセル待ちを粘りに粘ってとったのだ。もし、そのチケットが直前でも取れてなかったらこの乗車は出来なかったのだ。自分は、T氏や駅員に改めて感謝をしながらひばり入線を心待ちにしていた。ひばり入線前、人がホームに転落するのを防止するために昨日と同様に白線の内側にロープが張り巡らされた。そして午前8時53分、ついにひばりは入線してくる。入線して、自分よりも待ちかまえていた同業者は一斉に前へ後ろへと走っていった。自分は、まず後ろ→前→前面側面と撮る予定であったが、後ろは前日の上野駅同様、押すな押すなと盛況でまたもや断念せざるを得なかったので小手調べに前から撮る。続いて側面を13番線から撮り、最後は金棒越しの所から撮り時間が来てしまったので車内に入った。午前9時11分、ついにひばり号の旅が再び始まる。発車してすぐに自分はデッキへ向かった。デッキは、客室よりもノイズが少なくステレオに手を伸ばせば客室よりもより高性能の音が取れるために行ったのだ。ちなみに車内放送は今日も鉄道唱歌のメロディーではなかった。尾久付近で放送が終わり、客室へと戻った。右手には、尾久操車場が広がっており「あけぼの」と「はくつる」が並んでいて、はくつるは、職員の手によって綺麗に洗車されていた。ここでまた意外なものを見る。なぜか国鉄色189系が止まっていたのだ。尾久には、急行「能登」の国鉄色489系が止まっているが、189系「能登」の運用は勿論ない。東日本独自の189系訓練車でもないようで無かったしゥAJNRマークもなく前のヘッドマークが出る所は回送表示で掲示され、どうやら一連のリバイバルがらみでもなく、なぜ停車していたのか謎である。2日目の席であるが、今日は上野からは自分を含めると2人が座っていた。赤羽〜川口付近を走行中だったか、札幌発東北本線上野行特急「北斗星」とひばりがすれ違った。昨年4月に開業したさいたま新都心を通過した頃か、その人の親友らしき人がやってきて話をしていた。実は、その人は5月に乗車した「はと」で同じ号車に乗っていた人であったのだ。話をするとかそういう面識こそないものの、意外なところでまたあったということにビックリした!ちなみにこの人は、ゆうづるやおおぞらのリバイバルにも足を運ぶみたいで自慢げに話をしていた。大宮には、それからすぐの午前9時37分に到着する。ここで3分、時間があったので大急ぎでホームを駆け上がって電光掲示板を撮影した。大宮を出ると少し落ち着くことが出来たのだが・・・この頃、真後ろの席のオッサンの行動に腹が立った。
上野出発直後のアナウンスで「携帯電話での会話は周りのお客様のご迷惑をかけますのでデッキにてご使用ください」とあれほど言っていたにもかかわらず、堂々と客室で使用しているのだ。勿論、着メロなどもマナーモードでなくメロディーが流れ、そうなるたびにハッとなった。そればかりではない。他人の迷惑を顧みずに暢気に歌まで歌い出す始末だ。こういう身勝手な奴が居るから「鉄道ファンは皆、マナーが悪い」と言われるのである。自分は、3月の岡山開業イベントでのマナーの悪さを機にマナーに対する注意喚起を促すホームページを作成し、これからあるリバイバル運転の情報のHPには、「マナー向上のために読んでください」とやっているのだが、やはり効果無いのかな〜なんて車窓を見ながら考えていた。
それと同時にある疑問が浮かんでくる。はとの時にいたこの人、そういえばはとの車内でも南風のチケットを乗り合わせた人に見せていたが、一体いくつのリバイバルに乗車し、これからあるリバイバルすべてに乗車すればいくらくらい必要なのかと思ったのだ。ちなみにこれからあるリバイバルは、こちらを
参照
にして欲しい。また、全部が無理だとしてもどうやってこれらのチケットをいとも簡単に入手しているのだろうか。というまたもや解決不可能な疑問が浮かんでくるのだ。しかし切符の問題はある程度の予測は付く。個別に買えば、かなりの額になるがある切符を使うと自由に乗り降りが出来る。それはJR東日本だけ発売している「3連休パス」である。2万数千円を払えば、どの列車にも簡単に乗り降りできるという便利な切符である。 この切符ではなかったが、昨日相席していたビデオカメラの子供は、ひばりの乗車券と一緒に休日パスというこれに似た切符を持っていた。だが、簡単に手に入る方法の謎は解決できない。サッカーワールドカップの時のチケットを電話で追加発売したときに電話線がパンクして取れなかったという話があったが、友達に聞けば灰色の公衆電話なら簡単に取れたよという話を聞いたことがあった。また、季刊J−train7月号の583系のスペシャルコラムの中に次のような記載があった。「(昭和42年)当時の指定席券発売開始日は、国鉄駅で乗車日7日前の9時と決まっており、(中略)「研究会」(このコラムの著者である種村直樹氏が所属していた名鉄研究会)でまとめられた指定券は乗車券センターに伝えられ、よほど無理な請願でなければ、優先的に処理してもらえた」とある。しかし、このコラムはまだマルスが未発達の段階の話で、現在はそのような事は到底不可能である。この難問をT氏にぶつけてみるが、T氏は「キャンセル待ちじゃないん?」と言っていた。しかしキャンセル待ちにしては、余りにも指定券が取れる確率が高すぎる。それともそんな”裏ワザ”が今もなお、有るのだろうか。いずれにせよこの疑問はあまりにもミステリアスである。そんなことをずーっと考えていたら肝心なときに眠気が次々と襲ってくるのだ。前の人は気持ちよさそうに寝ていたが、自分は寝ようとも思わなかった。何度も書くが、この乗車券はT氏の努力のたまものであり、自分が寝てしまえばその努力を水の泡にしてしまうようだったし、大好きな583に乗って旅をすることがもしかするとこれが最後かもしれないと思ったから、583から見る景色を瞼に焼き付けておこうと思ったから何としても目を開け続けた。黒磯で再び車内が停電になってからその眠気が一気に乗り越えられた。黒磯では、10分間停車したが、運転停車でドアが開かずに撮影も出来なかった。ちなみに実際、ひばりで黒磯は通過だったのかな?と昭和50年3月の復刻版で調べてみると下りは、2・4・9・10・12号が上りは1・4・6・10・11号が黒磯停車タイプで、うち下り4号と上り10号が583系13両編成であった。食堂車付きの13両は、まさに堂々たるものであった。今回のひばりはその頃のリバイバルであるので黒磯もドア解放をして撮影タイムを取って欲しかった。黒磯を出てから暫くして腹が減ったので特製ひばり弁当を食べる。パッケージが若干異なっていた位でおかずは、昨日と同様のものが入っていた。午後0時55分福島県内に入って最初の郡山駅に停車した。郡山では、若干の撮影の時間があったのでソラリーと後部ヘッドマークの撮影をした。ところで郡山停車前、駅東側にある郡山工場内で昨日の485系はつかり用リニューアル車の前に昨日はなかった山手線用の通勤型電車が短編成ながら留置されていたのだ。自分は、昨日のはつかりに加えこれも写真撮影をしたのだが、速度の関係で写真撮影は敢えなく失敗に終わる。郡山を出てすぐに自分は、車内アナウンスを撮りにデッキに行ったら、洗面所にある紙を発見する。それは、某旅行業者主催の583系を使った団体列車のパンフであった。行きが東北本線経由で帰りが常磐線経由という行程である。興味深かったのは、オリジナル583系ビデオとある。もはや動く583の映像は、先日購入したしおじの前面展望ビデオと昨日と今日、デジカメで撮影したひばりの映像だけでもしこのビデオの中に全盛の頃の映像も含まれていたならばマニアにとっては涎が出るほど価値のあるものだなぁと思った。しかし、自分はこの旅行を機に資格を次々に取るつもりでしばらくは旅行をすることも控えようと思っている。よって残念ではあるが、諦めることにする。福島停車15分くらい前だったか、ついに空から雨が降り出す。雨や空を見ていると何だかこっちまで寂しくなってきそうな天気だった。福島には午後1時40分に停車。ここで僅かな時間ではあるが、写真を撮る時間があったので今日2度目の後部の写真を撮る。福島を出るとひばり号での旅行は残り少なくなり、何だか降りるのが惜しくなってきた。福島を出ると山間をひばりは突き進む。気が付くと山の頂上付近を進んでいて眼下を見渡すと東北自動車道が走っていた。午後2時15分、ついにひばりは仙台まであと一息の白石に到着する。ここでも3分停車して終着仙台へと駆け出す。白石出発後のアナウンスを撮っていたら、ついにカセットテープが両面使い果たしてしまい変わりのテープにて最後の収録をすることにする。白石を通過すると鉄道写真の撮影ポイントである大河原〜船岡間を通過する。進行方向右でよく分からなかったが、東北特急がまだ全盛で有った頃、特に春先の桜の開花シーズンになると桜と東北特急を撮影する人が多く、自分もインターネットや鉄道各誌などでこの地での写真を何度も見ている。また、昨年リバイバルされた485系ひばりの記念オレンジカードの1枚がここでの写真であったと記憶している。山陽本線のセノハチと同様、好きな鉄道風景の1つである。南仙台を通過すると最後の収録をするために席を離れる。またテープが切れるのではないのか・・・という不安があったが何とか収録を乗り越えられた。午後2時54分、仙台到着。所要時間5時間43分のリバイバル特急「ひばり」の旅はこれにて終焉する。
参考資料:鉄道ダイヤ情報10月号(交通新聞社)・J−train7月号(イカロス出版)・
時刻表復刻版昭和後期編1 時刻表昭和50年3月号(JTB)
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