このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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急行「信州」
鉄道ファンマナー向上の為にここを一読ください
急行「信州」の由来は、昭和36年10月まで遡る。当時、名古屋−長野間(中央本線経由)を走っていた気動車急行に命名されたのが始まりである。しかし、当時の中央本線は後に特急へ発展する「しなの」などを含め4往復の急行が走っていたのだが、「しなの」と「信州」の命名が紛らわしく昭和38年10月の碓氷峠の粘着運転開始に伴うダイヤ改正で急行「信州」は、上野−長野間の急行として生まれ変わる。昭和43年からは169系電車に置換、新たにビュッフェも連結される。また同じ区間を走っていた急行「志賀」を吸収し、7往復になる。翌年には、妙高高原に乗り入れる不定期列車(2往復)を格上げをするも、2往復減便の5往復になるが後に6往復まで回復する。しかし、昭和50年代にはいると信越線には特急「あさま」が勢力を拡大するようになり、以降急行「信州」は伸び悩むようになり、一部区間の普通列車格下げ処置なども施されるようになる。そして昭和60年3月の東北・上越新幹線上野開業に伴う白紙ダイヤ改正で特急「あさま」の輸送力増強の引き替えで急行「信州」は、廃止となる。尚、02年夏の臨時列車で妙高高原−大阪間を結ぶ特急「信州」が設定されたが運転経路や運転区間が”元祖”「信州」とは異なるので別物と考えた方がよいだろう。
★★★回送時刻★★★
●10月5日・6日●
回9832M
新前橋535→井野538→高崎543−549→高崎操552→倉賀野554→北藤岡558→新町601→神保原606→本庄611→岡部617→深谷622→篭原627→熊谷貨630→熊谷633→吹上641→鴻巣649→北本654→桶川659→上尾705→宮原710−718→大宮723−724→浦和731→川口736→赤羽739→尾久744→井堀(信号所)746→上野750
9303M
上野800→井堀(信号所)803→尾久804→赤羽808−809→川口812→浦和817−818→大宮824−826→宮原831→上尾834−835→桶川841−841→北本846→鴻巣849→吹上856→熊谷904−905→熊谷貨909→篭原911→深谷916−917→岡部921→本庄926−927→神保原931→新町935→北藤岡939→倉賀野942→高崎操945→高崎949−950→群馬八幡957→安中1001−1002→磯部1008−1008→横川1020
回9326M
横川1032→磯部1041→安中1047→群馬八幡1050→高崎1057−1059→高崎操1102→倉賀野1103→北藤岡1106→新町1109→神保原1113→本庄1117→岡部1123→深谷1127→篭原1132
回9325M
篭原1350→深谷1354→岡部1356→本庄1400→神保原1403→新町1406→北藤岡1408→倉賀野1412−1418→高崎操1421→高崎1424−1430→群馬八幡1436→安中1440→磯部1446→横川1448
9304M
横川1515→磯部1525−1526→安中1532−1533→群馬八幡1537→高崎1543−1546→高崎操1550→倉賀野1552→北藤岡1555→新町1557→神保原1601→本庄1605−1606→岡部1611→深谷1615−1616→篭原1620→熊谷貨1622→熊谷1625−1626→吹上1633→鴻巣1641→北本1645→桶川1649−1650→上尾1655−1656→宮原1700→大宮1704−1705→浦和1711−1712→川口1717→赤羽1720−1721→尾久1725→井堀(信号所)1727→上野1731
回9835M
上野1744→井堀(信号所)1749→尾久1751→赤羽1755→川口1759→浦和1805→大宮1812−1813→宮原1818→上尾1823→北上尾1833→桶川1838−1905→北本1833→鴻巣1838−1905→吹上1914→熊谷1921→熊谷貨1925→篭原1927→深谷1932→岡部1936→本庄1942−1949→神保原1955→新町1959→北藤岡2001→倉賀野2004→高崎操2006→高崎2009−2010→井野2015→新前橋2019
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