このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


〜〜〜 北へ 2002 エピローグ 〜〜〜

こうして都合10日間のドライブは終わった。

何とか月曜日夕方の仕事には間に合い、自席へと戻ってみれば、「その顔の黒さならセネガルでも大丈夫だよ」と、サッカーワールドカップねたで上司に笑われる。同僚もガハガハ笑っている。
「眉間に、眉間が」
陽射しの眩しさに、きっと顔をしかめて運転してしまうのだろう。眉間の皺の部分だけどうしても白く焼け残るのだ。まるで極短触角のよう...。


函館を翌朝9時の便で、再び青森の大間へと渡る。帰りもお客さんは少ない。通常ならば8〜10名くらい横になれる2等スペースに、2〜3名ずつしか見えない。私もゴロンと寝転び、持ってきた本を読みふける。
と、隣の区画からおっちゃんおばちゃんの話し声が、読書の合間の耳に飛び込んできた。
「12ビットに触れたけど、あれはスゴイね」
「いやいや、辺見エミリの母親は辺見マリ。辺見エミリの母親は辺見マリ」
・・・どうにも会話が成り立っているとは思えない。青森弁を聞き取る事が出来ないのだ。きっと全然違う会話なのだろう。いや、絶対に。

大間に降り立つと、その足で仏ケ浦を見学。まさかりのような下北半島の西側をぐるっとまわる。そして野辺地を過ぎ、奥入瀬渓谷、十和田湖畔から秋田県鹿角市で大湯環状列石、いわゆるストーンサークルを見て大館にて就寝。
後3年の役資料館にて東北古代史に思いを馳せたりしつつ、翌日も南へと国道13号線をひた走る。

総走行距離 4,500 km(この内、道内は 2,700 km)。日本一高い場所にある灯台とか、全てを見る事はできなかったけれど、今回も楽しいドライブ旅であった。楽しい旅をくれた方々に、感謝。

05-Jul-2002 記


付録:「 北海道の地名


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