このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


列島巡り〜 「四国へ行こう!」


[平家ちっく色使い]

「キャメるん、るんるんるん〜♪」

意味のない鼻歌がもれる。
ドライブインを出て直ぐ、どこまで行こうかなどと言っていたのが嘘であるかのように、交叉点を左に曲ってみる。川下りの川にかかる橋を渡り、さぁ山道だ。

特に他意も本意もなく、気の向くままにハンドルを切り、坂を駆け上っていると、1つの看板が目に入ってきた。

『平家屋敷』

ブレーキを踏む。入ってみようじゃないか。どこが駐車場だか分からないが、車を更に細い急坂路へと進ませて。

「当家の祖先である堀川内記は安徳帝の御典医として治承・養和・寿永の頃、宮中に仕えたが平家の都落のとき安徳帝を供養して屋島に逃げ延びた。(後略)」

どうやら貴族ではなく、医師の方のお屋敷だったようだ。

入場券を買い求め、立派な門までを、そんな由来を読みつつ進む。

しかしそんなに山深いところへやってきたという意識はない。これが文明の力と言うことなのか。今ではこの辺りの道路も整備されており、往時とは全く風景も異なるのだろう。

でもと思い出す。さっき曲ったカーブのところに、炭焼き小屋(現役)が活躍しているのを見かけたのだ。煙を上げている小屋を直接目にしたのは初めてだけに、ちょっと感慨深いものがある。


[現役です]


[庭も少し残されている...のかな]

屋敷へと入ろう。

屋敷は合掌造りということで、欅(けやき)の大木を組んで建てられている。天井はない。父親の実家もそうだったなぁ。現在でこそ茅葺きでこそなくなってしまったが、純粋農家の一軒家だったそこでは、冬に天井がある辺り中空に、なんと雪が舞うなか食事をした事がある。かつては村びと同志で屋根のふき直しが行われていたのだろう。しかし現在では財力により、個々人で補修しなくてはならない。実家では面倒で手入れを怠っていたのだ。いま思い出しても、結構シュールな光景である。

おっと別にワシの(父親の)実家は平家とは関係なかったな。

中には平家御典医の頃の資料だけではなく、その後この家で刻まれた様々な資料が展示されていた。

割と最近のものも数多いため、絢爛豪華とか貴族生活をイメージしていると、ちょっと「あれ?」と思うだろう。

先の思い出ではないが、どちらかというと昔日の日本家屋という感じである。
見上げると壁に粉ひきの際の唄が掲げられていた。

「祖谷の粉ひき節

  祖谷のかすらばしや
  くものゆのごとく
  風も吹かんのに
  ゆらゆらと
  吹かんのに
  吹かんのに風も
  風も吹かんのに
  ゆらゆらと」

・・・基本的に風が吹いてないのにゆらゆらしてるというだけのようだし、しかも「ゆら」を「ぶら」に変えるとアレだなぁなどと妄想してしまいそうだ。
メモしておこう。 (^^;


[ちょっと古いもののようだ。何だかは分からないが]


[囲炉裏では火も焚かれていた]


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