このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
【座椅子考】#2 まず機能から見てみるに、腰をかけるのと腰を下ろすのとでは、人間に要求される動作 は確かに異なる。しかしながらどちらにしたところで「座る」事に変わりはないのであ る。つまり座椅子にのみ座という冠を載せる理由にはなり得ない。 では外見の違いが与えるの影響はどうか。 決定的に違うのは脚の有無である。 (一部短い脚の座椅子もあるが、ここでは整理の為除外しておく) 「脚の有無」と「座る」という事の間には、論理的に遠く隔たりがあるように思う。 これもまた座椅子の解明には役立たないのであろうか。 否、よく思い出して欲しい。椅子には脚が有るだけではない。その脚が地面に立って いることがもう1つの条件ではなかろうか。 脚が立っている。 それは即ち「座椅子は脚が立っていない=座っている状態」を意味しているのではな いか。分かり難いようだ。言い直そう。 『座っている椅子だから座椅子』 うわっち! 知らず知らずのうちに傾けていたらしい。左手に持った湯飲みから溢れたお茶が、 あろうことか大腿部に降り注いていた。熱っ〜...え〜い、ちくしょう! 私の声に驚いた小鳥が、すっかり花も散ってしまった梅の枝から飛び立つ。 [ 続く ] |
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