このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


  【金八先生考】
【金八先生考】#2 もし彼が言うように『ノ』が人を表すなら、『人』って字は人々という意味でなきゃおかしい。 そこで今回は金八先生に対抗し、『人』=「ひとびと」と仮定して、幾つかの漢字・言葉を追っ てみたい。 たとえば伝えるの『伝』。 これは人が人に言う(云う)ことを表現している文字であるから、人から人へという複数のヒト が登場してくる字であるといえる。人偏=『人』であるから、推察通り『人』は複数の人を意味 している。 ちなみに人と人との関係を「人間」と呼ぶ。ひとびとの間柄という意味だ。 だって普通「人間」って独りのニンゲンも指すじゃないかって? 実はここでも金八先生の説は不十分な効力しか持ち得ない。 ヒトは複数の「ひとびと」になって初めて「間柄」という関係、即ち「人間」を生みだせるのだ。 ニンゲン独りでは物理的に "間柄"というものが発生しえないのだから。 このことから『人』とは元々は 1 person を指していないのは、もはや明白である。 蛇足ながら、「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。 よく「人間、どんな事が福となるか災いに転ずるか、分かりゃしないねぇ」という意味で用いら れるが、おそらくは「ニンゲン」ではなく「世の中ってのは〜」が本来のニュアンスではなかっ たと思われる。実際に大辞林(三省堂)を開くと「人間:人の世、世間、世の中を指す」とある。 人間がいつしかひとりの人を指すようになったように、『人』も時を経るうち単数形に姿を変え たのだろう。金八先生はこう説明すべきであったのだ。 「キミ達がヒトという意味で使っている『人』というこの字は、ヒトとヒトが支えあう人々と  いう意味なのです。『人』は決して独りではないのです」 そう『人』は複数形なのだ。 ところで金八先生も教えてくれなかったことだが、人扁の漢字には世の中を渡るに際し、非常に 含蓄深いものがあるので紹介しよう。 ・仮病  仮という字を分解してみると、人+反となる。つまり「人に反した病=仮病」。道理で嫌がられ  るわけだ。 ・偽善者  これは更に興味深い。これも同様に分解してみると、偽=人の為である。「人の為に良い事をす  る者=偽善者」 ん?偽造だと詐偽だのは全て人の為だったのか? まるでボランティアスピリッツの塊のような言葉は、しかし世間一般的に悪いイメージでしか使わ れていない。何故だろう。一体この勘違いはどこからきたのだろうか。                                    [
続く
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