【ツキノワグマ考】 #3 「たとえば月輪(月の輪)に対し日輪というものを考えてみればいい。日輪というの太陽のこ とだ。丸いから輪という字がついている。実際に月の輪を辞書でひも解いてみても、満月の ことだと説明されてある。 字義以外の例を思い出してみると、例えば月の輪遺跡と呼ばれる遺跡。この呼び名は通称だ かもしれないが、確かあそこでは丸い石がいくつもあるのを指して『月の輪=満月』遺跡と 表現していたはず。 他にも、そうだな、たしか坊さんの袈裟でも月輪って円い金色の葬具がついてたし、月輪と 名づけられた丸い石を抱いた石塔もあるぞ。 もうこれ以上証拠をあげるまでもないだろう。そもそも三日月は輪じゃないんだから、この 熊が "月の輪熊" と名乗る事は出来ないんだよ」 まるで Q.E.D. 証明終了です。 「しかしそれじゃあ、本物の月の輪熊はどこに行ったんですか? もういなんでしょうか?」 その時私の頭の中では、ある会話が思い出されていました。 3日前のことです。私の家に遊びにきていた姪が突然、 「一文字にいちゃん、兎ってお月様にいるんでしょう。お餅搗いてるんだよね」 「うん、そうだよ」 深く考えず返したこの言葉に、彼女はさらにこう訊ねてきたのです。 「お月様には他に誰もいないの、お友達とか、学校とか?」 「う〜ん。どうだろうね。お兄ちゃんにも分からないなぁ」 「どうして夜にお餅を搗くのかな? やっぱり寂しいからかなぁ・・・」 正直どうして『寂しい=夜にお餅をつく』という発想になるのか、今でもよく分からないの ですが、何だか博士の説明を聞いていて、僕も少し寂しくなってきました。 姪のちょっと悲しそうな横顔が頭を過ぎります。 「もういないんでしょうか、本物の月の輪熊は?」 [
続く
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