碓井町立織田廣喜美術館筑豊美術館トライアングルの一角を占める美術館!2004.4.6かつて碓井には炭坑と石炭の積み出し施設があった。筑豊は不夜城であり、日本中の富が集結していたのだ。筑豊の石炭王達は、その財力の凄まじさを今に伝えている。少なくとも、筑豊の石炭王達は、半端では無い金の使い方をしてきたし、インドの緑化にも結構金がつぎ込まれ、孫文の革命資金にもつぎ込まれ、人から恨まれない結果を生んだ。
その美術品は、離散し、筑豊には残らなかった。例えば、別府の美術館は石炭王の寄贈品がその基本となっている。だから、筑豊の美術館、その収蔵物のレベルはあんまり高くない。だから、直方谷尾の美術館は個人収集品が全てだし、田川の美術館も収蔵物には大したモノはない。でも、碓井の織田廣喜美術館は、本人が死力を尽くして収蔵物を準備されたのだ。そのレベルは異常に高い。ただし、特定個人の美術館という側面は収蔵物が増えない宿命を有している。
残念ながら、収蔵物が増えない美術館はリピーターを育てない。四季の移ろいを愉しめる庭園は欲しい。碓井町の関係者の方々には、大変とは思うのだけれど企画展だけでは無く、美術館を拠点とした空間整備にも知力・体力・精力・予算を注ぎ込んで欲しい。
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